京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『異人たち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月30日放送分
映画『異人たち』短評のDJ'sカット版です。

ロンドンのタワーマンションに暮らす40代の脚本家アダム。彼は12歳の頃に交通事故で両親を亡くしており、それ以来、喪失感を抱えながら生きてきました。両親との思い出をベースにした新たな脚本を練り始めたある夜、アダムは同じマンションの彼以外の唯一の住人ハリーと知り合います。一緒に飲まないかというハリーの誘いを断ったアダムは、幼少期を過ごした郊外の自分の家を訪ねてみることに。すると、そこにはなんと30年前にこの世を去ったはずの両親が、その当時の姿のまま暮らしている様子を目の当たりにするのですが…

異人たちとの夏(新潮文庫)

原作は、山田太一の小説『異人たちとの夏』。2003年に英訳されていたものを脚色して監督したのは、アンドリュー・ヘイ。アダムを『SHERLOCK』のモリアーティ役で知られるアンドリュー・スコットが担当した他、アダムと交流を深めていくハリーをポール・メスカル、そしてアダムの両親をクレア・フォイジェイミー・ベルがそれぞれ演じました。
 
僕は先週木曜日の夕方にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

これはとても現代的な再解釈だし、物語のアップデートとして優れたリメイクになっていると先に言っておきます。山田太一が当時珍しくファンタジックでセンチメンタルなモチーフとして小説にしたという『異人たちとの夏』は、翌年に大林宣彦が映画化しています。僕は見落としていたのでこの機会にU-NEXTで観てみると、こちらも面白い。主要登場人物が4人なのはもちろん同じ。今回で言えばアダムにあたる主人公を風間杜夫が演じています。亡くした両親を片岡鶴太郎秋吉久美子、そして主人公と同じマンションに住んでいて愛し合うようになるキャラクターを名取裕子が担当しています。こちらは、バブル期の東京が舞台なわけで、そこから遡って、主人公が幼少期を暮らした浅草との対比もモチーフとして重要な役割を果たしていました。失われゆく東京の風景と、そこに生きた人々の記憶というものを、夏ということもあり、異人をゴースト、つまりこの世ならざるものとの交流を通して表現していました。大林宣彦に白羽の矢が立ったのも納得です。それに対して、今回のアンドリュー・ヘイ版では、ただロンドンに舞台を移したというだけではなく、興味深く意義深くもある改変が施されています。

異人たちとの夏

まず時代が違いますね。今作は現代を起点に、アダムが育ち両親と過ごした80年代と向き合うことになります。そこには、当然ながら時代による価値観の変化というものも投影されるんですが、それが原作小説や大林版以上に切実なものとして、あるいは対峙すべきものとして、なんなら必然と言っていいくらいの切迫さをもって、アダムの両親は彼の前に現れます。そこには東洋的な幽霊の雰囲気というよりもむしろ、僕の受け止めとしては、主人公の主観的な幻影というムードがより強くて、それだけに今回の脚色においては胸を打つものになっています。それというのも、最後に決定的な変更点として挙げるのは、主人公のセクシャリティーです。今回のアダムは、幼い頃からゲイを自覚して生きてきたんだけれども、幼い頃に両親を亡くしたことに加えて、性的マイノリティーであることも、現在の彼の深い孤独感の決定的な要素になっているんです。これに伴い、マンションの隣人たるハリーもゲイに設定が変更されています。アダムが両親に何度か出会って互いに話をする中で、アダムにとっては、12歳の頃には両親に伝えられなかった自分の性的指向のカミングアウトができるかどうかがひとつの焦点となります。一人っ子で、まだ80年代サッチャー政権時で非寛容さも大いにあったあの時代、周囲からは男らしくないといじめられていたあの頃。それを両親にもうまく打ち明けられなかったもどかしさがあった。もちろん好きだった両親だけれど、互いに埋めきれなかった溝があった。そんな親子3人が大人として擬似的に出会う場面の美しさときたら、どれもこれもすばらしいです。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
時代設定の改変が絶妙だというのは、さっき言及した80年代と現代というだけではないです。大雑把に言えばそうなんですが、当時のHIVウイルスをめぐる状況と偏見、そして理解してくれているように見える人でもマイクロアグレッション的に好奇の目と価値観で悪気はなくともしょうもない質問をぶつけてくる当時の価値観がこの少ない登場人物の間でだけでもうまく表現されていたことは特筆に値します。さらに、もうひとつ巧みな改変として、主人公が交流する隣人のハリーが、年齢が一回り下の男性になっていることも挙げておきます。このふたりの間にも、たとえばゲイとクイアという言葉づかいの変化や両親との関係にも違いが見て取れるんです。ハリーにはハリーの孤独があり、疎外感があり、それがふたりをより近づける。アダムはハリーと同時代を生きているけれど、ハリーとは少し上なために、ハリーの感覚とは少しずれがあるんですよね。そこも興味深く映りました。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
アンドリュー・ヘイ監督は、35mmフィルムで淡く幻想的、もっと言えば幽玄な画作りをしていますね。タワーマンションの部屋から見えるロンドンの夜景は、なんとわりとアナログな特殊効果で再現していて、主人公たちカップルの孤独を映像一発で見せつけました。さらになんと、両親の家、アダムの実家は、ヘイ監督の実家でもあるそうです。監督もずっと訪れていなかったんですが、今の住人に許可を得て、ヘイ監督自身の体験を踏まえた演出に現場は独特の緊張感があったようです。つまり、80年代後半に仕事で悩んでいたという山田太一が切実な想いに駆られて書いた小説が今、時空を越えて、ヘイ監督の自伝的な要素も含めたが故にまた切実な想いを反映した映画になったんです。プライベートな体験に基づく物語やファンタジーが、時代も国も関係なく、時にユニバーサルなものになるという証拠ですよ。その上で、今回の英語のタイトルは、『All of Us Strangers』。異人というのが、この世ならざる人という意味だけでなく、LGBTQ+という意味合いにも広がったし、僕も一人っ子で外国にルーツを持つ人間として日本で育った経験を踏まえ、これは広く社会的なマイノリティーを包括できる映画にもなっていると感じました。実験的な映像や編集もあるものの、決して難しい映画ではないし、感覚に訴えるものでもあるので、僕は鑑賞を強くオススメしたいです。
 
劇中では、80年代を中心に、性的マイノリティーの人たちが好んで聞いていた既存曲がたくさん流れるんですが、Pet Shop Boysのこの曲は、あのクリスマスツリーの飾りつけをしているところで、まずお母さんが口ずさむんですよね。その場面がもう涙ものでした。おいで、アダム、あなたも飾り付けましょうよ。一番上はあなたがやるのよ、なんて言いながら…

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.

さ〜て、次回2024年5月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ゴジラxコング 新たなる帝国』。候補にしていた6本がどれも面白そうだったし、確かに「何が当たっても良さそう」とは言いました。そしたら、獣たちが「ほな、わしらをまず見てみろや」と吠えてきた格好です。思わず縮み上がりながらも、劇場へ向かいます。ドッタンバッタンするんだろうなぁ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!