京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

マゾ天狗 (旧ウェブサイトコラム 『イタリアの小噺バルゼッレッテ』)

 先週の金曜、「話があるの」と知り合いのOL、Gさんに呼び出された僕は、彼女の昼休みの時間を利用して、とあるそば屋で彼女と落ち合った。
 いったいなんの話かと思いながら行ったのだが、蓋を開けてみると、「S同士の恋はやはりうまくいかないのか」という彼女の愚痴を延々聞かされる結果となった。彼女はSであり、同じくSの彼氏とうまくいかなくなり、別れてしまったという。彼女はそばをすすりながら、Sのなにがだめなのか、本来Sとはどうあるべきか、自分はなぜSなのか、たいへんな熱意をこめて語った。僕の目を見て語った。僕は目をそらしつつ、そばを食った。まあそばはうまかったから愚痴のひとつやふたつ喜んで聞くのだけど、しかし昨今よく耳にするようになった議論がこの「SかMか」というトピックについてだ。ひところ血液型について語り合うのがたいそう流行したものだけど、そのトレンドはいまやこのSM論議に完全に主流を奪われてしまったといっていいだろう。混んでる居酒屋に行ってみたまえ、必ずどこかの席で誰がSだ自分はMだと熱く語り合っている男女がいる。ひどい場合だと、大テーブルの端っこと端っこで別のSM談義が繰り広げられている場合もある。今、世間はS・Mに夢中なのである。
 しかし、なぜそんなに折に触れ自分がサディスティックなのかマゾヒスティックなのかを語りあわなければならないのかよくわからない。だがなによりも意識しなければいけないのは、これは実はかなりディープな話題だということだ。考えてもみろよ、SかMかなんてのは、性的嗜好だぜ。OLたちは、ともすれば課長のセクハラに目くじらを立てるものだけど、ふと自分を翻ってみるがいい。昼休みの時間に自分がなにを声高に主張しているのか…。
モラルハザードもいいところだぜ!
 などと僕が現代日本のモラルの低下に脳内で警鐘を鳴らしている間に、Gさんは、サドに関するエトセトラを十分に主張しつくしたようだった。若干頬も紅潮している。ひとっ風呂浴びたみたいな、投手でいえばひと試合投げきったみたいな、心地よい疲れと満足感が彼女全体を覆っていた。なんでサドの話をするだけでいっぱしのキャリアウーマンがこんな状態になるのか、僕には測りかねるが、まあ満足してるんだからいいだろう。そばもうまかったし僕も満足だ。僕は席を立とうとした。ところが、
「本題はここからなの」と、彼女は食後のコーヒーを頼み、その後、衝撃的な一言を放った。
「私、最近天狗と知り合ったの」
 話を聞くと、どうやら彼女はとあるつてで超能力者たちの集会に出席し、その席で自分を天狗だと主張する謎の男性と知り合ったらしい。その会合は最後の晩餐よろしく13人の出席者たちによるもので、その中のひとりが僕の知り合いの女性であり、またあるひとりが天狗だったわけだ。ふたりはその席で意気投合し、それ以来懇意にしているらしい。
 超能力者たちの集会ってなんなのかとか、とあるつてってどんなつてだよとか、そういったことはおいおい追及するとして、まずなによりも言及しなければいけないトピックがひとつある。
 天狗? この現代社会に天狗が?
 天狗になっているやつなら当世枚挙にいとまがないが、どうも彼女の言っているのはそういう類の天狗ではない。もっと伝統的なやつだ。かつて自然がまだ畏怖の対象だった頃、荒ぶる山の神と恐れられた日本を代表する妖怪、天狗だ。
 この現代社会に天狗が?

 天狗と聞いて僕たちが頭に思い描くのは、鼻が長く、やつでの葉っぱを持っていて、山伏の装束に身を包んだあのお決まりのスタイルだが、どうやら彼女が出会ったのはそういう類の天狗ではないらしい。なんでも、40歳の男性で、新大阪在住だそうだ。もちろん、鼻は長くない。
 天狗?
 40歳で、新大阪に住んでる、それは天狗?
 40歳の天狗という違和感はなんとか飲み込むとして、新大阪? 天狗があんなオフィス街に住んでいるなんて話、聞いたことがない。だが待てよ。天狗といえば鞍馬山鞍馬山といえば京都。京都から新大阪までは…、JRで1本だ! 新幹線ならわずか14分の距離! なるほど、新大阪と天狗というミスマッチは完全に解消した。
 天狗が新大阪に住んでいてもいいじゃないか、と。
 さらに話を聞くとどうも天狗は彼女にホの字らしく、彼女もまんざらではないようだ。
 僕も最終的には、この40歳の天狗が本物の天狗であってほしいと願うようになっていた。否定してもなにも始まらない。そのくらいのロマンやファンタジーが現代に残っていてもいいじゃないかと思い始めていたのだ。
「ところで、彼ね…」
 そんな僕をよそに、彼女は今恋する乙女であり、王子様である天狗について、まだまだしゃべりたいようすだった。
 僕の知り合いの筋金入りのMに聞いたところによると、Mは自分の身体的特徴を責められると快感を感じるらしい。
 まあでもそれはばりばりのMの話で、そこまではいかない一般のM、もしくはノーマルの人は、身体的特徴を責められると単に傷つくのがオチだから、「この人たしかMだったわよね」なんて妙なサービス精神を発揮してしまうと、その後の人間関係にひびが入ることになる。SだのMだのってのは、ほんとに難しいのである。
 さて、イタリアの小噺(barzelletta)に、こんな話がある。

 Una ragazza che sta per sposarsi, tutta indaffarata per i preparativi del matrimonio, chiede alla madre di comprarle una lunga, sexy camicia da notte nera per la sua prima notte. La madre si dimentica e, all'ultimo momento, corre nel negozietto sotto casa, ma l'unica cosa che riesce a trovare e un corto pigiamino rosa da bambina.
 La madre lo compra ugualmente e lo infila in valigia sotto a tutto il resto per non farlo vedere alla figlia. La prima notte di nozze lo sposo, un pochino nervoso, dice alla moglie:
 - Ora vado in bagno a prepararmi, tesoro. Ma tu devi promettermi di non sbirciare!
 La moglie promette e, eccitatissima, cerca la camicia da notte comprata dalla madre. Quando vede il pigiamino, esclama con disappunto:
 - Oh no!! E' corto, piccolo e rosa!
 Ed il marito, dal bagno:
 - Mi avevi promesso di non sbirciare!!!

 結婚間近のある娘がいた。結婚準備は思いのほか忙しく、いろいろ手が回らない。そこで、新婚初夜のための長くてセクシーな黒いネグリジェを買ってきてくれるように、お母さんにお願いした。ところがお母さんはすっかりそのことを忘れてしまっていて、結婚式の直前、慌てて近くの服屋に駆け込んだのだが、希望していたものはなく、あったのは短いピンクの子ども用のパジャマだけだった。   しょうがなくお母さんはそれを買い、娘のスーツケースの一番奥に、ばれないように突っ込んでおいた。はたして新婚初夜が訪れた。まだ若い彼女の夫は、まるで女の子のようにもじもじして、彼女に言った。   「僕、シャワーを浴びてくるよ。でも恥ずかしいから、絶対のぞかないでね」   彼女は約束した。どきどきしながら、お母さんに買ってもらったネグリジェをスー
ツケースの中から探す。ところが出てきたのはあのパジャマである。彼女はがっかりして叫んだ。
「なによこれ! 短くて、ちっちゃくて、色もピンクだわ!」
 するとバスルームから夫が、
「のぞかないでって言ったじゃないか!」

「ところで、彼ね」彼女はこう続けた。
「彼ね、Mっ気が強くて、私がきつい言葉を浴びせるとほんとに嬉しそうな顔するの。そういう意味でも、私、彼と合うと思うのよね…」
 M? 天狗が、M?
 天狗じゃねえ! ねえさん、そいつ、天狗じゃねえよ! 40歳なのはいい、新大阪もいい、だけどMっ気の強い天狗なんて聞いたことねえよ!
 仮にMの天狗がこの世にいるとして、そいつは女王様に鼻を握られて、
「まったく、だらしなく伸びた鼻だね」
 なんて言われると、快感を覚えるのだろうか?
 残念ながらその恋、NG!! そんな天狗に恋しちゃダメだよ!
「今夜、天狗と飲みにいくの。あんたも来る?」
 僕が首を横に振ると、彼女は微笑み、午後の仕事をこなすべく、オフィス街の喧噪に消えて行った。