京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『パラサイト 半地下の家族』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月21日放送分
映画『パラサイト 半地下の家族』短評のDJ'sカット版です。

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家族全員が失業中で、半地下の格安物件で糊口をしのぐキム一家。各自スマホは持っているものの、電話契約はできておらず、パスワードのかかっていない近所のWi-Fiに接続できるか否かが生命線という状態です。ある日、浪人生活を送る長男のギウが、大学生の友人から英語の家庭教師のアルバイトを紹介されます。私立の名門、延世大学の学生証を偽造し、身分を偽って乗り込んだ先は、巨大IT企業のCEO、パク氏の豪邸。「ヤング&シンプルな」妻にうまく取り入ったギウは、美術の家庭教師として妹のギジョンを、もちろん兄妹であることを隠して紹介。豪邸と半地下。正反対の環境で暮らすふたつの家族が、奇妙な関係を構築するのですが…

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 監督・脚本は『スノーピアサー』などで知られるポン・ジュノ。キャストは… 半地下家族の父を『タクシー運転手 約束は海を越えて』のソン・ガンホ。息子のギウは、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチェ・ウシク。あとは、僕もすっかりぞっこんになってしまったこの方に触れておかねば。あの豪邸に住むIT社長の妻を、チョ・ヨジョンがそれぞれ演じています。

 
去年のカンヌ国際映画祭で韓国初のパルム・ドールを獲得。韓国では観客動員が1000万人という、ちょっと考えられない数字を叩き出しました。そして、アカデミー賞で、作品賞と監督賞を含む6部門にノミネートという快挙。アメリカの映画賞で、これは本当にすごいです。日本での観客動員も、初登場5位と健闘していて、今後ロングランが予想されます。
 
僕は先週木曜昼にMOVIX京都で観ました。やはりかなり入ってましたし、TOHOシネマズ梅田に観に行ったスタッフは、その回がほぼ満員だったそうです。絶賛が相次ぐ中、かつてローマに留学していた頃に半地下物件で腐っていた僕はどう観たのか、今週の映画短評いってみよう!

観客の反応も、評論家たちのリアクションも、総じて良いですね。結論としては、文句なしの傑作です。韓国の家族たちの比較的小さな交流を描いているのに、外国の僕らがそこに自分たちの社会のあり様を見出す。高度資本主義社会の成れの果てとしての分断、切り立った崖を思わせるような強烈な格差という問題は、先進国のどこにも見受けられるもの。それを誰もが理解できる普遍的な寓話として語るポン・ジュノの着眼点がまず卓越しています。しかも、サスペンスフルかつ先の読めない話として成立させながら、ユーモアを散りばめ、ゾッとさせる。金持ちと貧乏人の対立のように見えて、誰かを安易に悪者にしないことで、事態の深刻さをより浮き彫りにして、鑑賞後の余韻で僕らを考えさせる。

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(C) 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

感心させられるポイントはいくつもありますが、ふたつの家族を象徴する建築物とその空間の見せ方がすばらしいです。半地下物件のせせこましさ、トイレの位置など間取りのいびつさ、そして当然窓からの目線の低さ。昼間でも電気は必須のじめじめした空気までを画面に映していました。一方、庶民を見下ろす山の手にある金持ち一家の大豪邸。広々。洗練。リビングからは広大な庭。窓も大きく光はたっぷり。そう、光と言えば、照明もすごい。ガレージ、リビング、キッチン、子供部屋、倉庫、そして後半大事になるあの場所と、光の当て方が一様じゃない。闇と薄明かりも効果的でした。「だるまさんが転んだ」みたいなシーンがありましたけど、あそこの照明なんて繊細ですよ。ブラックユーモアが過ぎますけどね(笑)

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(C) 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

それにしても、実に寄生しがいのある家ですよね。序盤、半地下家族が続々とまんまと乗り込んでいくのが痛快ではあります。彼らって、それぞれに実は高い能力を持っているんですよね。だのに、社会からは弾かれてしまっていて、その能力を発揮できない。すごい設定だけど、あのお母さんなんて、ハンマー投げの元韓国代表、オリンピック選手なんですよ。今や近所のガラスを割るくらいにしか活かせてませんけど。でも、料理も家事もやればきっちりできちゃう。にも関わらず、経済的な余裕の無さが彼らの粗雑さ、がめつさを増幅しているのも伝わります。
 
一方、寄生される金持ち側は、あの豪邸の中で、まともに肩を寄せ合っているようには見えません。だいたい触れ合うことも少ないし。特に良かったのは、家事も教育もアウトソーシングで、調度品と化しているような妻です。あの空虚なプチ・ブルジョワっぷりはたまりません。悪い人じゃないし、抜群に美しいんだけど、あの英語コンプレックスも含めた、人生の核となる価値基準の希薄さ。でも、繰り返しますが、超美しい。あの空いた口の塞がらないラブシーンも良かったなぁ。

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(C) 2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED

それから、匂いと水の表現。ここにも格差が出ていましたね。当然、金持ちは無臭です。半地下家族は食べているものやジメッとしたあの地下の匂いをまとっている。物語の潮目が変わる強い雨が出てきます。社長一家の被害と、半地下家族の受ける被害の差。水は高いところから低いところへ流れる。金もそうかも知れません。そっからの、映画の逆噴射っぷりよ! 水をきっかけにうまく可視化してみせていました。あの撮影は大変ですよ。セットなんですってね。ちょっとしたハリウッド作品ばりの予算力にも恐れ入りました。

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詳しくは言えませんが、これは単純な二項対立に終わらないのがすごいんですよね。ブルジョワの家に部外者が入り込むことで、ファミリーに決定的な変化がもたらされるという設定は、僕ならパゾリーニの『テオレマ』を思い浮かべましたけど、古今東西、結構あります。でも、それに終わらない驚愕の展開と、あの比較的わかりやすくも切ない光の明滅を見せるエンディングの切れ味… 半地下家族の息子の思い描く「希望の未来図」の輝きのあせていること。クライマックスを迎えた後の豪邸の光の乏しさ、斜陽感が僕らの未来予想図を突きつけられているようで、息がつまりました。
 
いや、ほんと、観ないという選択肢はないほどの圧倒的怪作です。どうぞ、お近くの劇場で。
 
僕、あとで調べてびっくりしたんですが、半地下家族の息子を演じたチェ・ウシクさん、彼はなんとエンディングのこの歌も歌っています。多才だなぁ。これはなんとアカデミー賞歌曲賞にノミネートです。物語のその後を匂わせるような内容になっていて、僕も字幕を見ながら感心しました。焼酎一杯という意味です。

さ〜て、次回、2020年1月28日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『フォードvsフェラーリ』となりました。またしても、僕の観たかった作品を観よ、とのご託宣。マチャオの引きが大変強いここしばらくであります。くじ運のアクセル全開です。アカデミー賞では、作品賞や編集賞など4部門にノミネートの話題作。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『男はつらいよ お帰り 寅さん』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月14日放送分
映画『男はつらいよ お帰り 寅さん』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019松竹株式会社
車寅次郎の甥っ子、満男は妻を病気で亡くし、今は中学生の娘と二人暮らし。脱サラして作家となり、まずまずのヒットを飛ばしている様子。妻の七回忌で集まった親戚の中には、そんな満男に再婚の可能性も考えてはどうかと水を向ける人もいます。ある日、新作のサイン会を大型書店で行っていると、初恋の相手、ヨーロッパで暮らしているはずの泉が列に並んでいたのです。
 
山田洋次が原作とほぼすべての監督や脚本を務めてきた「男はつらいよ」シリーズ。作品数としては世界最長のシリーズとしてギネス登録されていますが、1969年の映画1本目から、これで50作目にして50周年。渥美清は96年に亡くなっていますから、デジタル修復された過去作の映像やCGを使いながら、現在の満男たちのドラマに、過去の場面や寅さんのCGが挟まれる格好で新作が構成されました。

男はつらいよ HDリマスター版(第1作) 男はつらいよ 寅次郎紅の花 HDリマスター版(第48作)

 

キャストは… 吉岡秀隆倍賞千恵子前田吟、そして泉役の後藤久美子佐藤蛾次郎小林稔侍、笹野高史に加え、泉の母として夏木マリ、さらにはマドンナで人気の高いリリーの浅丘ルリ子、他に、満男の担当編集者役で、池脇千鶴も出演しています。さらに、オープニングシーンで、主題歌『男はつらいよ』を桑田佳祐が歌う様子が映し出されます。
 
僕は先週木曜夜、MOVIX京都で観てまいりましたよ。イタリア・トリノで産湯を使い、姓は野村、名は雅夫、人呼んで忘れん坊の雅と発します。そんな僕がどう感じたのか、今週の映画短評いってみよう!

まず触れておきたいのは、これまでのシリーズ49本がすべて修復されたということです。大作映画が1本撮れるほどの予算、そして1本あたり200から500時間とされる手間をかけての4K修復がなされずには、この作品は成立しなかったと断言できます。寅さんはヒットし続けただけあって、35ミリフィルムのネガがすべて残っているんですね。経年劣化の状態がまちまちなそれらを一コマずつスキャンして、傷や汚れを取り除くだけでなく、退色していた色を調整。音もそうです。ミックスされて焼き付けられた音しかないものからそうっとノイズをキャンセルししていく。しかも、デジタルは何でもできちゃうけど、無闇矢鱈にきれいにするんではなく、シリーズの統一感をもたせながら、それぞれの時代に映画館でかかっていたフィルム映写の良さを最大限に再現したのが、松竹映像センターです。これは美術品や歴史的文化財の修復と同じなんです。寅さんは儲かるからいいんですけど、他の作品も、国はもっと予算をつけてフィルムそのものの修復と保存にも力を入れてほしいところです。

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ともかく、そうやってスクリーンに文字通り「帰ってきた寅さん」の姿に眼を見張ります。ただ、これはあくまで新作ですから、寅さんの甥っ子である満男が回想するたびに、過去のシリーズからの引用が挟まれることで、過去作のダイジェストってな感じで、観客も寅さん体験を回想するわけですが、兎にも角にもシーンのチョイスと尺が過不足なくて、編集の技術のすばらしさにも眼を見張ることになります。セットの空間構成、ロケ地の時代の変遷、カメラの向き、役者の動きまで計算されてるから、パッとつないでも違和感なくスムーズに時代を行き来できるんです。しかも、今なお現役の役者陣は当たり前ですがそのまま歳を重ねているわけで、若作りも老けメイクも必要ないわけですよ。これはもう、他のシリーズではなかなかできません。いずれも僕が高く評価しているリチャード・リンクレイターの『6才のボクが、大人になるまで。』とか「ビフォア」シリーズを思い浮かべました。と同時に、フッと思い浮かべたのは、意外にも「スター・ウォーズ」です。エピソード7以降は、ジョージ・ルーカスというオリジネーターの手を離れたわけですけど、寅さんは山田洋次という生みの親が存命で、なおかつこうして監督しているわけです。そりゃ、こちらは統一感が出るわなと。

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© 2019松竹株式会社
山田洋次のこのシリーズにおける哲学は、社会の様々な立場の人間をきっちり描くってことです。地方の景色もそこに暮らす人々の様子も、少なくとも表面的にはどんどん均質化して均されていく高度成長期以降の日本を、「それでいいのかい?」と、人にも街にもいろいろあっていいじゃないか、いろいろいるから面白いんだろうと、社会の周縁の人々にあくまで娯楽としてスポットを当て続けました。今回もそうです。家族を描きながら、どの家族も決して標準的ではない。満男はシングルファーザーです。しかも、不安定な作家という職業。そこへ泉がヨーロッパから帰ってくる。泉の家も、両親は離婚していて、今は介護の問題に頭を抱えている。この泉を演じた後藤久美子がすばらしかったです。実際、彼女は96年にジャン・アレジと結ばれてヨーロッパへ行ったわけです。泉は国連難民高等弁務官事務所の職員という設定で、フランス語と英語を駆使しながら東京へ久しぶりに戻ってくる。これは実生活とも重なるわけです。僕たちも久しぶりに彼女の姿をスクリーンで観る。そして、美しいし、垢抜けている。本作の成功はゴクミの力が大きいです。VIVAゴクミです。

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© 2019松竹株式会社
あと、ぼんやりと満男をめぐる三角関係を形成する初参加の池脇千鶴もすばらしかったと声を大にして言っておきます。彼女の存在がなければ、ともすると旧ファンへの配慮ばかりに満ちた接待映画になりかねない企画なのに、そうはなっていないんですから。僕みたいにかなりライトな寅さん好きもグイグイ入っていけるのがその証拠です。旧作の復習や、世代によっては予習して観に行くのもいいけど、これは寅さん入門としても機能する堂々の新作です。まだ劇場へ行っていないという方は、今週必ず行くようにしてください。マドンナたちが走馬灯よろしく登場するシーンのみならず、クライマックスの演出など、これは山田洋次による『ニュー・シネマ・パラダイス』なんですから。僕は終始涙ぐんでいたことをここに告白しておきます。

ここで、桑田佳祐渥美清が歌う『男はつらいよ』をオンエアするのはセオリー通りなんですが、ひねくれ者の僕はあえてこうして別のものを。よく言われるように、つらいのは男ばかりというわけではなく(当たり前だ)。特に不器用な恋の言動から、後で人知れず後悔なんてのは性を問わず、みんなひとつやふたつあるわけです。女性の視点から、二階堂和美『女はつらいよ』をお送りしてみました。


さ〜て、次回、2020年1月21日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『パラサイト 半地下の家族』となりました。アカデミー賞ノミネートが発表され、作品賞とポン・ジュノが監督賞にノミネートという快挙を果たした翌朝に、まちゃお、当てました! やりました! 鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『テッド・バンディ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 1月7日放送分
映画『テッド・バンディ』短評のDJ'sカット版です。

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©2018 Wicked Nevada,LLC.
1969年、アメリカ、ワシントン州シアトルのバーで、容姿端麗な若者テッド・バンディと、大学の事務員として働く女性リズが知り合って恋に落ちます。リズはシングルマザーで赤ん坊を育てているのですが、テッドはそんなことはお構いなしにリズと娘のモリーに優しく接し、3人は家族同然の暮らしを始めます。ところが、ある日、信号無視をきっかけに警察から呼び止められた運転中のテッドは、後部座席の荷物が不審だとしてそのまま誘拐未遂の容疑で逮捕されます。新聞に大きく報じられたのですが、テッドはまったくの誤解で冤罪だとリズに話し、ふたりは共に戦おうとするのですが、テッドによるものとされる他の事件が次々と明るみに出てきます。
 
アメリカ犯罪史上、最も有名なシリアルキラーとして知られるテッド・バンディの伝記映画ということになるのですが、ちょっと変わった切り口で映像化してあります。監督は、ジョー・バリンジャー。Netflixが配信権を獲得したので、アメリカを始め、ほとんどの国では配信オンリーだったのですが、日本では劇場公開されました。
 
テッドを演じたのは、ザック・エフロン。恋人のリズ役として、フィル・コリンズの娘さんリリー・コリンズ、裁判長としてジョン・マルコヴィッチなど、が出演しています。
 
僕は先週放送中に宣言した通り、大晦日昼過ぎのTOHOシネマズなんば、満席の回に滑り込みました。2019年のシメに、殺人鬼。さぁ、僕がどう感じたのか、今年最初の映画短評いってみよう!
 
原題は、Extremely Wicked, Shockingly Evil and Vile。日本ではキャッチコピーとして使われています。「極めて邪悪、衝撃的に凶悪で卑劣」という言葉。これはテッド・バンディの目の前で、裁判長が実際に語ったものです。となると、映画もその表現通りと思うじゃないですか。だから、僕は先週おみくじが当たった時に、こりゃ参った、映画の神様は僕に大晦日に何を見せるつもりだとビビったわけです。実際、30人以上に彼は手をかけたわけですから、相当おぞましいことになるぞと。ところが、なんですよ。僕はものの見事にバリンジャー監督の手玉に取られた格好になりました。そこが、この映画のポイントにして、語りの妙に直結するんです。というのも、いくつかのカットのためにR-15に指定されてはいるものの、実はほぼ残酷な映像はないんですよ。
バリンジャー監督はこのテッド・バンディに相当ご執心のようで、Netflixオリジナルの全4話からなる「殺人鬼との対談:テッド・バンディの場合」というドキュメンタリーも撮っているんですよ。で、こちらの劇映画ではどうしたかというと、序盤なんかはまさかのラブ・ストーリーなんですね。連続殺人犯を愛してしまったリズを軸に、テッドがいかに魅力的な男なのかってところを見せます。これには面食らいました。だって、史実として、少なくとも彼が実在の人物で死刑を執行された男だということを観客は知っているわけですから、そのチャーミングさを見せられるとは思わないわけですよ。リズとテッドが娘のモリーと暮らしている冒頭の一連のシーンなんて、幸せそのものに感じられるようにしてある。その意味で、バリンジャー監督が極めて邪悪だって思いましたよ。あ、これは褒め言葉です。

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(c)2018 Wicked Nevada,LLC
テッド・バンディはIQが160だったと言われています。要するに極度に頭の切れる男だったらしいですが、この映画も周到に観客の情報量を操作しています。ミステリー用語で言うところの叙述トリック的というか、テッドへの観客の先入観を最大限に利用して、僕らをミスリードするんです。僕らが知ることができるのは、新聞やテレビが出す情報と、テッド本人の巧みな言い逃れだけなんですね。しかも、彼は極めて嘘がうまい、演技がうまい、それをまた演技のうまいザック・エフロンがなりきるものだから、ますますでして、これはもしかしたら冤罪の話かもしれないって思ってしまうんですよ。なんなら、中盤以降くらいまで、下手すりゃテッドに同情すらしてしまいかねない勢いです。人も信じられなくなるし、映画も信じられなくなる。人を信じたい気持ちと猜疑心との間で、僕らをぐらぐらにさせる。そんな術中にはめるテクニックは、考えたら最初からありました。リズが朝起きると、隣にいたテッドがいない。娘の姿もない。僕らも焦るわけです。カメラがキッチンへ移動すると、テッドはおいしそうな朝ごはんを作ってくれていて、娘もミルクを飲んでる。おはよう、なんて、最高の朝じゃないですか。ホッとする。でも、テッドの手には包丁が… 台所だから不思議じゃないんだけど、怖い。

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(c)2018 Wicked Nevada,LLC
中盤からはテッドの身柄が留置されるので法廷劇へと形を変えるんですが、ここでもクライマックス近くになるまで物証がほとんど出てこず、状況証拠ばかりが積み上がります。だから、僕らはテッドの話術に圧倒されるばかり。これは実際のことですが、裁判がテレビで生中継されると、全国から脳天気な女子大生なんかが「かっこいいわぁ」なんていって傍聴しに来てチヤホヤする始末。そして、もろもろあっての死刑判決… で、終わらないんですね。彼を信じたが故に、苦しみ続けたリズが、死刑囚であるテッドと久々に向かい合う場面の厳しさ、そこで初めて彼の口から、ではないんだけど、とある方法で明かされる事実の断片のキツさがまた結構ドラマティックで、語りの順序が卑劣です。褒めてます。
 
さらに僕がキツイなと思ったのは、死刑が執行されてのエピローグですけど、これも事実の通り、現場近くで一般人が集まっていて、歓喜の声を上げたというんですよ。合法的とはいえ国家による殺人が行われて、事実は色々藪の中だってのに、とりあえず復讐がなされたと喜ぶ人々がいる。これって、傍聴でキャッキャやってた女性たちと表裏一体だと思うんです。完全にテッド劇場の観客なんですよ。そして、もっと言えば、僕ら映画の観客もそこにひっくるめられている気がして、つまりはテッドの手玉に取られている。まったくもって後味が悪い。だから、考え込んじゃう。人を信じるってなんだろう。人を裁くってどういうことだろう。そんな映画を撮影したバリンジャー監督の卑劣なアッパレ具合に、僕はもう白旗を揚げてしまいました。
 
もう映画館で観られる日数も限られていますんで、未見の方は、ぜひ劇場へ急いでください。
既存の音楽の使い方も、選曲が鮮やかでした。皮肉が効いているものが多かったんですが、リズとテッドが出会ったバーのジュークボックスからは、こんな曲が… 時代背景もぴったりなんですけど、あまりにも切ない。あぁ、信じましたとも!っていうね…

さ〜て、次回、2020年1月14日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『男はつらいよ お帰り寅さん』となりました。寅さんかぁ。正直なところ、何本かしか観ていないんですよ。大丈夫かな。でも、この区切りにしっかり勉強しておくのも良いのかなと、武者震いしております。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月31日放送分
映画『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』短評のDJ'sカット版です。

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エピソードIV「新たなる希望」の公開から42年。遠い昔、はるか彼方の銀河系を舞台にスカイウォーカー家を中心に繰り広げられてきた、壮大なサーガがついに完結です。伝説の騎士ジェダイルーク・スカイウォーカーの想いを受け継いで、銀河を司るエネルギー、フォースを前作で覚醒させたレイ。そして、祖父ダース・ベイダーの遺志を受け継いで宇宙を支配する組織ファースト・オーダーの幹部として指揮を執るカイロ・レン。ライトサイドとダークサイド、光と闇を象徴するこのふたりの宿命の対決はどうなるのか。R2-D2C-3PO、BB-8、レイア将軍、天才パイロットのポー、元ストームトルーパーのフィン、レジスタンスの同志、ハン・ソロ、彼の良きライバルのランド・カルリジアン、チューバッカ、ルークなどなど、旧三部作、新三部作、そしてこの続三部作に登場する様々なキャラクターたちも華を添えながら、新たなる夜明けはどう訪れるのか。

スター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版) スター・ウォーズ/最後のジェダイ (字幕版)

 監督・脚本は、続三部作の陣頭指揮を執ってきたJ・J・エイブラムス。前作「最後のジェダイ」を監督したライアン・ジョンソンは、今回は結局関わりませんでした。シリーズのオリジネーターであるジョージ・ルーカスは、作品の権利を製作会社ごとディズニーに譲り渡したわけですが、新しい構想がディズニーから却下されているということで、この買収以降のエピソード7から今回の9というのは、ディズニーの上層部とJJたちの合作ということになります。もちろん、丹念なマーケティングに基づいたものです。なので、最初から3作がきっちり練られていたというよりは、毎度、作っていった感じとのことですが。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
レイアは、亡くなったキャリー・フィッシャー。『フォースの覚醒』の未使用テイクを合成しました。レイをデイジー・リドリー、カイロ・レンをアダム・ドライバー、フィンをジョン・ボイエガ、ポー・ダメロンをオスカー・アイザックが演じています。

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僕は今回、ブルク7でドルビー・シネマのデビューを果たしてきましたよ。2D字幕版。黒がしっかり黒ってのが良かったです。しかも、スクリーンの入口から気分を高める仕掛けがあって、かなり満足の鑑賞となりました。それでは、容姿がわりかし似ていることから、人呼んで南森町アダム・ドライバー、つまりはカイロ・レンことマチャオ、今年最後の映画短評いってみよう!

旧三部作を劇場で観た世代がいて、僕のように新三部作から劇場で観てきた世代もいるし、もちろん続三部作からという若者たちもいるわけです。そのすべてのファン層を相手に、広げきった風呂敷を畳む役割を担ったJ・J・エイブラムスの気苦労たるやといったところですが、先に結論めいたことを言うならば、JJは手堅いってことです。2時間22分の長尺ながら、まったく中だるみすることなく、要所に見どころを散りばめて、きれいなラストに着地させるという、まとめる手腕は、さすがって感じでした。スピルバーグを想っての『SUPER8/スーパーエイト』を撮り、『ミッション:インポッシブル』『スター・トレック』という超人気シリーズを続々と手掛けた人物ですからね。今作も、何かええもん観たぞという気にさせてくれます。そしてこれまで描かれてきた要素もきっちり出てくるし、女性が活躍して、黒人やアジア系もいれば、スター・ウォーズで初めて同性のキスシーンまであって多様性にも配慮しているし、言うことないんじゃないか。と、観終わった直後は思ってしまうほどです。
 
ただ、そのまとめ上手が災いしたというべきか、サービス精神に溢れすぎて、過去作へのリスペクトばかりが先行して、肝心のオリジナリティーに欠けているのではないかという批判が、『フォースの覚醒』で起こりました。で、J・Jからバトンを受けて、ライアン・ジョンソン監督はケレン味溢れる絵面で、私達を魅了。したんですが、確かに血湧き肉躍るものの、どんでん返しのためのどんでん返しが多く、『最後のジェダイ』は152分かけたわりに、スケールが小さく感じられたし、フォースが民主化されたのはいいんだけど、そのフォースが万能すぎて、「それがありやったらさ…」という不満を残したと僕は評しました。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
スター・ウォーズというのは、宇宙を舞台にした神話であり、ファンタジーであり、戦記であり、冒険活劇の娯楽作です。その長きにわたる歴史は、技術の進化とともにありました。だからこそ、旧三部作から新三部作までも16年の時間が必要だったわけです。その意味で、続三部作にも、溢れる情熱に満ちた、物語のパターンを超えるある種のいびつさを含んだ、わくわくさせるサムシングが求められていたことも確かだと思います。ところが、実際に用意されたのは、マーケティングに基づいた、見所を作るべくして作った、帰納法的に整理された小綺麗な物語という商品でした。予定調和的で、要はリスクを回避しすぎているってことです。難題ではあるけれど、一応ひと連なりの物語である以上、途中でルーカスが排除されてしまったことによる弊害を感じざるをえません。

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(C) 2019 and TM Lucasfilm Ltd. All Rights Reserved.
さっきも言ったように、面白く観たことは事実なんですが、死んだ人物が生き返るほどのフォースが乱発されたことには、今回もめまいがしました。ともするとスカイウォーカー家とその周辺の出来事だけに感じられなくもない話を、前作で血縁から解き放って開かれたものにしたはずなんですけど、今回の展開だと、結局元の木阿弥は言い過ぎにしても、やっぱり特権階級のものなのかという感じしちゃうんですよね。まるでカイロ・レンが金継ぎよろしく手下に修復させたマスクのように、ノスタルジーに満ちたあれこれを継ぎ接ぎすることに時間を割いてしまい、すべての対立の根源である光と闇の拮抗、人はなぜダークサイドに堕ちてしまうのか、そこに一条の光を差し込むジェダイたちライトサイドの力の源はなんなのか、そこを掘り下げる展開を観たかったとも想うのは贅沢にすぎるのでしょうか。僕には結局パルパティーンという悪の姿がよくわからなかったんです。
 
なんて具合に、結局もやもやした気分が抜けない僕ではありますが、ともあれ、これをもってスター・ウォーズは一応の完結をみました。がしかし、前作のライアン・ジョンソンが中心となっての新たな三部作が構想されているようで、ディズニーは2022年から1年おきに公開する模様です。マジか… ま、ドル箱ですからね… 開かれたスター・ウォーズが、本当の意味でスカイウォーカーという血脈から解き放たれて、フレッシュな魅力が爆発することを願ってやみません。
どうでもいいことですけど… レイたちが砂地獄に落ちて大変な目に遭うところで、ライトセーバーが懐中電灯の代わりになるってところは、思わず「そんな使い方もあるのか! 欲しいぞ!」と思ってしまいました。あのシーンだけに、完全に蛇足な感想ですけどね!
さ〜て、次回、2020年1月7日(火)、新年1本目に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『テッド・バンディ』となりました。いやぁ、新春早々、実在の殺人鬼のお目見えです。どんなあんばいなんでしょうか。僕は予備知識ゼロですわ。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』レビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。

世界で最も名を知られたイタリアの人物(だろう)レオナルド・ダ・ヴィンチ。今年は没後500年にあたり、日本でもたくさんの関連本が刊行されましたが、その中でも最高峰との呼び声高いウォルター・アイザックソンのものが、文藝春秋から春に上下巻で出ていました。遅ればせながらではありますが、アニヴァーサリー・イヤーのうちに、あかりきなこがレビューを書いてくれたので、以下、どうぞご一読を。

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イタリアの人たちは「レオナルド」と聞けば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を自然に連想するそうだ。2019年は、かのルネサンスの巨匠の没後500年であり、日本でも関連本が何冊も出版された。

 

ひときわ目を引かれたのが「7200ページの直筆メモ」をもとに、レオナルド・ダ・ヴィンチという「人間を」考察した本書である。

 

「私が伝記作家として一貫して追い求めたテーマを、彼ほど体現する人物はいない」と言うアメリカの評伝作家ウォルター・アイザックソンによって2017年に出版され、日本語版は、今年3月、土方奈美さんの訳により刊行された。私は美術作品には疎いが、多才なレオナルドの人となりにずっと関心があったので「よくぞ書いて、訳してくれました!」とすぐさま本屋に走りたい気持ちになった。

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本を手に入れ、目次に初めて目を通したとき、様々なキーワードで章立てされていることに気づいた。そのとき起きた感情は、色んなレオナルドが知れそうだという「わくわく感」と、内容を自分の中で整理できるだろうかという「軽い不安」。しかし後者は杞憂であった。実際には時系列に沿って並んでいて、レオナルドの興味や作風の変化が分かりやすい構成になっている。「レオナルドの人生の詳細についてはさまざまな説がある」が「本書では最も信憑性が高いと思われる説を書き、異論・反論については注で触れている」とあるように、レオナルドの実態に極限まで迫ろうと試みたことが分かる。文章は冷静な視点を基本にしながらも、彼への敬愛が随所で感じられる。レオナルドは研究の成果を論文にまとめたいと言いながら一度もなしえなかったそうだが、他の人たちに伝えたいという彼の夢はアイザックソンによってまた新たに実現されたといえる。

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特に、研究ためのスケッチの余白に書かれたメモやいたずら書きの分析が面白い。一見几帳面なレオナルドがメモの書き込み時期やテーマごとの分類にはこだわらなかったことが、現在も私たちの想像力をかき立てている。逸話と総合して筆者が記したレオナルドの日常生活や心情の推察は、動きや色を伴って私の中の薄っぺらいレオナルド像にたっぷりと肉付けをしてくれた。教科書やテレビでよく紹介される「長いひげをたくわえた老齢期の自画像」の顔になるまでに、なんと様々な経験をしたことか。知らなかったことを知ることも、自分の勝手なイメージが修正されるのを感じるのも心地よかった。

 

意外だったのは、筆者が冒頭からレオナルドは「ふつうの人間でもあった」と強調していたことだ。「「天才」という言葉を、安易に使うべきではない」と。筆者は下巻の第33章でその根拠と「彼に学び、少しでも近づく努力はできる」として、スティーブ・ジョブズも引き合いに出し、現代の私たちにもできることを挙げている。確かに言われてみればできそうな気もすることばかりなのである。それらに気づいた筆者の洞察力はレオナルド並にすごいと思う。私はといえば、レオナルドとは時間や地理的な要素も含め違うことが多すぎて、最初から彼を完全に自分から離れた存在としてとらえていたからだ。特に「脱線する」ことでレオナルドの知性が豊かになった、という部分には励まされる。自分の寄り道も何らかの糧になっていると信じたい。

 

最後に注目すべきは「訳者あとがき」にある映画化の話だろう。縁あって同じ名前をつけられたレオナルド・ディカプリオが主演という。現在の進捗状況は明らかになっていないが、制作陣がレオナルドのように未完で放り出さないよう願いながら、引き続き楽しみにニュースを待ちたい。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

レオナルド・ダ・ヴィンチ 上

 

 ※出版社のサイト『文藝春秋BOOKS』では「おすすめ記事」でヤマザキマリさんも書評を書かれています。別の魅力を紹介されていますので、こちらもぜひ♪


<文:あかりきなこ>

『ラスト・クリスマス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月24日放送分
映画『ラスト・クリスマス』短評のDJ'sカット版です。

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© Universal Pictures

ロンドンのファンシーな雑貨店で働く歌手志望の女の子ケイト。クリスマスを前に、妖精エルフのコスチュームに身をまとう彼女ですが、オーディションはうまくいかず、ヘマをやらかして居候先の友達の家から追い出されてしまいました。そんな中、ケイトのことを何かと気にかけてくれる青年トムが登場。彼はそそっかしいケイトの様々な問題点を見抜いて導いてくれ、しだいに彼女は心を寄せるようになるのですが、この時代に携帯を持たないトムとは会うのも一苦労。彼がボランティアをしているというホームレス支援の施設へ出入りするするようになり、ケイトはやがて世界の見方を変えていきます。

 
ワム!の大名曲『ラスト・クリスマス』を下敷きに組み上げたクリスマスのラブ・ストーリー。原案と脚本は、ジョージ・マイケルの友人でもあった女優のエマ・トンプソン。監督は、2016年版『ゴースト・バスターズ』のポール・フェイグ。ケイトを演じたのは、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のエミリア・クラーク。そして、トムを『クレイジー・リッチ!』のアジア系ヘンリー・ゴールディングが担当した他、脚本を手がけたエマ・トンプソンミシェル・ヨーなどが出演しています。

ゴーストバスターズ (字幕版) クレイジー・リッチ!(字幕版)

 さらに、映画マニアでワム!大好きのポニーキャニオン・プロモーター岩渕氏が教えてくれて知ったんですが、あるシーンでチラリとアンドリュー・リッジリーの姿も垣間見えます。憎いキャスティングですね。

 
日本では12月6日公開で、そろそろ上映回数が減ってきているようですが、僕がMOVIX京都で観た木曜午後の回はそこそこの入りでした。カップルも多かったかな。それでは、特にワム!にそこまで思い入れのない僕がどう観たのか、今週も映画短評いってみよう!

思ってたんと違う! 映画を観ていて、ちょいちょい聞かれる感想の第一声です。ポスターや予告から受ける印象と、実際に観てみての内容のギャップに面食らうという現象。この『ラスト・クリスマス』では、僕も後半にある秘密が明らかになってから、もうなんなら観ながらひとりつぶやいてしまいました。思ってたんと違う。これは否定的なニュアンスで発せられることが多いですが、今回は違う。思ってたんと違って、良い! となるんですよ。どういうことか。
 
だって、クリスマス映画でしょ? ワム!の音楽ものでしょ? となると、ジョージ・マイケルの音楽をバックに、ロンドンの洒落た町並みをバックに、とにかく甘い恋が展開するのだろうと。主人公のケイトはおてんば娘っぽいから、ドタバタのスクリューボール・コメディっぽくいろいろとやらかして、そこにトムという王子様が登場。当初こそ、反りが合わないものの、やがてはロマンティックにひっついていくんだろう。そして、メインの曲は『ラスト・クリスマス』で1年前の別れの歌だから、何かきっとほろ苦いできごとがあって、エンディングでは1年後の様子がエピローグとして描かれるのだろう… ってな具合に、安っぽい脚本家気取りで、お話の流れを予測しながら劇場へ出かけたわけです。いけませんねぇ。だから、実は先週この映画をおみくじで引き当てた際にも、タイミングこそ完璧なものの、結構酷評になったりしてって密かに考えておりました。
 
ところが、思ってたんと違ったわけですよ。どう違うのか。大きくふたつです。

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© Universal Pictures

まずひとつは、個人の小さなお話を描きながら、イギリス社会の、いや、ヨーロッパの、ひいてはグローバルな社会テーマを高い志で語るものだったということ。冒頭で描かれるように、ケイトたち家族というのは、旧ユーゴスラビアからの移民なんですね。この番組でも何度もニュースでお伝えしてきたように、UKは主に年長者がもうEUに見切りをつけよう、離脱しようという声を大にしてブレクジットを進めてきて、年明けにもそれが確定するという流れがあるわけです。これは世界中で起きている現象ですけど、何か自分たちの意に沿わないことがあると、その不満というのは、異邦人に理由が押し付けられ、あいつらさえいなければ問題ないんだと短絡的に排斥されてしまう。ケイトたちも肩身の狭い想いをしていて、それは特に彼女が反りの合わないお母さんが体現しているんですが、彼女自身も名前をイギリスっぽくケイトとしているけれど、本名のカタリアは表に極力出さないようにしていました。悪目立ちしたくない、溶け込みたいという意識の現れです。
 
そうした移民問題以外にも、ジョージ・マイケルが実際に行っていたホームレス支援のチャリティーのエピソードも重要なトピックになってきます。ギスギスしたり、わめいたり、無視したり、誰かに不寛容になるよりも、困っている人がいれば手を差し伸べて、やさしく接することで、社会はもっと、自分にとっても居心地の良いものになるんじゃないかという真っ当なメッセージがあるわけです。そのためには、まず自分が自分を愛すること。下を向くよりも上を向くこと。みんなが普通でフラットより、みんな特別なんだと考えるほうが、ずっと楽しい。そこで、名台詞ですよ。「”普通”なんて、人を傷つける愚かな言葉だ」。あの言葉が放たれた瞬間だけは、ケイトに嫉妬しましたよ。「ト、トム、僕にもそれ言うて!」って思いましたもん。さらに、青年トムは、とにかく上を見ろ、Look Upとさとします。実際、街を見渡すと、楽しいことはいっぱいあるんですよね。それに気づけと。

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© Universal Pictures

そして、もうひとつの思ってたんと違うのは、シンプルに歌の解釈です。まさかそんな風に『ラスト・クリスマス』が聞けるだなんて! それが物語になるだなんて! という目を見開いてしまう受け取り方をエマ・トンプソンはしていて、親交のあった生前のジョージ・マイケルにもこの物語の構想を話して承諾を得ていたのがすごいなと。人によってはね、このあたりは少々ファンタジックが行き過ぎてアクロバティックに思えるかもしれない筋立てと半笑いで受け取ることでしょう。あと、音楽映画だからもっと歌を大事にしてほしかったという声があるのもうなずけます。エミリア・クラークの歌は人を圧倒するものではないでしょう。でも、そこはジョージの歌があちこちで華を添えているわけですし、ケイトが今後歌を生業にする、つまり夢を叶えるというきれいなゴールよりも、僕は今回の流れの方がより現実的で良いと思うんです。クリスマスなんだもの。人にやさしく、歌をみんなで歌うのが良かろうと。

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© Universal Pictures
そして、エミリア・クラークがかわいすぎたので、今まで語ってきたことなど、どうでもいいくらいに、僕は彼女そのものに夢中になったことを最後に付け加えておきます。こうして、もう1枚、ただただ貼り付けたくて画像も貼り付けておきます。ともかく、思ってたんと違って、心に深く残るチャーミングな1本でした。
良い悪いは別にして、今後この曲を聴くたびに、ケイトとトムの物語を思い出すことになるだろうなって思います。それはそれで、悪くないぞ。


さ〜て、次回、2019年12月31日(火)、大晦日に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』となりました。どうも、先週からくじ運を映画神社に使っている気がしてなりません。あるいは、僕のフォースが目覚めたか。2020年の夜明けを前に、エピソード9が当たりました。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す! 

『決算!忠臣蔵』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月17日放送分
映画『決算!忠臣蔵』短評のDJ'sカット版です。

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1701年3月14日。江戸城の松の廊下で事件が起こります。赤穂藩主であった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が、義憤に駆られ、賄賂・不正にまみれていたという吉良上野介(きらこうずのすけ)を斬りつけたのです。喧嘩両成敗となるかと思いきや、幕府は浅野に切腹を命じ、浅野家はお取り潰し。対して、吉良はのうのうとしています。路頭に迷った赤穂藩士たちが名誉をかけて、吉良邸に討ち入るという、いわゆるおなじみの忠臣蔵の物語ですが、この物語はその討ち入りそのものを描くのではなく、そこにいたるプロセスを、もっぱら藩の懐事情、経済的観点から検証する時代劇コメディーです。討ち入りするにも予算が必要。移動にも準備にもすべてにお金がかかる。藩を会社にたとえ、倒産、財務整理、リストラなど、現代の用語を交えながら綴ります。で、どうする? 討ち入り、やめとこか?

*1" src="https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41vh4TAf7zL.jpg" alt="「忠臣蔵」の決算書 *2" width="175" /> 決算! 忠臣蔵 (新潮文庫) 

原作は新潮社新書から出ている『「忠臣蔵」の決算書』。東京大学史料編纂所教授である山本博文の著書です。これを劇映画の脚本に仕立てて監督したのが、中村義洋。『ほんとにあった!呪いのビデオ』シリーズや映画だと『ゴールデンスランバー』『白ゆき姫殺人事件』『殿、利息でござる!』などで知られるヒットメーカーですね。キャストを紹介しておきましょう。大石内蔵助堤真一、勘定方の矢頭長助(やとうちょうすけ)を岡村隆史、毒見役の大高忠雄(おおたかただお)を濱田岳が演じた他、横山裕荒川良々妻夫木聡、西村まさ彦、木村祐一竹内結子石原さとみなどなど、茶の間レベルでよく知られる俳優・芸人たちが勢揃いしたほか、関西小劇場から、たとえばsundayの小松利昌(こまつとしまさ)が出演しています。
 
11月22日に公開されてから、3週間が経過してもなお、観客動員がベスト5に入っているだけあって、先週木曜昼間にブルク7で観てきた時も、かなりお客さんが入っていました。では、映画短評、今週もいってみよう!

かつて栄華を誇った時代劇が映画でもテレビでも下火になって久しいですね。その理由を多角的に論じた本に、春日太一『なぜ時代劇は滅びるのか』(新潮新書)がありまして、これは名著です。ぜひご一読を。このままだと、京都の撮影所でも、殺陣に代表される演出や道具立ての技術が継承されなくなって断絶してしまいかねないという背景がある中、ここ数年の間にひとつの潮流を生み出しているのが、時代劇コメディーです。『超高速!参勤交代』『殿、利息でござる!』『駆込み女と駆出し男』『引っ越し大名!』などなど。チャンバラを封印して、演出も価値観も現代に寄せながら、何とか時代劇からのヒットを模索する動きと言えるでしょう。
今作ももちろんそのひとつで、忠臣蔵というガチガチの鋳型を、別アングルから語り直すという試み。こうした大きな流れを春日太一さんがどう見ているのかにも興味があるんですが、それはともかく、中村監督が資料的な新書を物語にストンと落とし込んでみせた手腕はさすがだと、まず讃えておきます。刀は持っているけれど、実践の経験のない侍が多い中で、討ち入りがクライマックスのはずの忠臣蔵を、チャンバラはほぼ見せずに語るというのは、確かに面白かったです。
 
映画はそば1杯の値段を現代の貨幣価値に置き換えるところから始めて、エピローグでまたそばに立ち返るという、構造も明快でいいし、語り手を女性にしたのが効いてます。そうすることによって、男性たちの無駄遣いを、勘定方だけでなく、女性の視点、あまり好きな言い方ではないけれど、主婦目線も持ち込むことで、ツッコミが鋭さを増すんです。

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©2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
『超高速! 参勤交代』の時にも思ったけど、今では当たり前に日帰り出張している東海道なんて、行って帰って一月かかるわけですよね。当然ながら、倹約が求められた赤穂藩にかごを使う余裕などなく、徒歩ですから、疲れも出るし、ちょいと羽根を伸ばしたりしたら、お金にも羽が生えて飛んでいく。こりゃ大変ですよ。
 
しんどい時は「かご使ったらええのに」って、これはもう完全にタクシーですよね。そういう置き換えがなされて、討ち入り直前の決算まで持ち込んでいく。忠臣蔵というと、日本型の名誉、義理、人情の典型のようですが、それが藩という集団・組織で動くものである以上、使うのは経費であって、個人の財布ではないんですよね。平たく言い換えれば、自腹なら動きたくないと思う人が一定数以上いるのも仕方ない。さすがに、綺麗ごとだけでは、家族もあるんできびきび動けませんわという人も出てくる。そりゃそうだ。

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©2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
ただ、価値の前提となった「そば」にたとえるとするなら、茹で加減にムラがあったことは否めません。討ち入る討ち入らないの決断をするまでのすったもんだでそこそこ尺を食うんですが、あの中盤は笑いの仕掛けというか論理が基本同じままで行きつ戻りつするので、間延びしてしまいました。そして、画面にテロップが多用されるから余計に、場所によってはいかにもテレビ演芸的なコテコテの笑いが目立ってしまって、のびる+人によっては少し冷めて感じられる部分もありました。
 
ただ、いざ後半の作戦を立てるくだりの笑いの波状攻撃は面白かったですね。どんどん畳み掛けていって、周到な計画のもと、万全の体制で討ち入りたいし、部下たちは守りたいとは思うものの、経済的な理由からそうもいかなくて、計画の変更のたびに一喜一憂する上司の心部下知らずって感じが、物語そのものと笑いのハイライトが重なるシーンにきっちりなっていました。

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© 2019「決算!忠臣蔵」製作委員会
一方で、全体的に芸人さんたちが演じる豪華な再現ドラマっぽい印象も強くて、これはっていうインパクトのある絵が少ないので、おいしいんだけど薄味、映画を観たという喜びを、江戸時代の裏事情を知れたという知識欲のほうが上回ってしまったというのが正直なところです。
 
それでは、この映画にチケット代2000円弱を払う価値があるやなしやというあたり、僕はそれでも十二分にあると思います。何かと物入りなこの時期だからこそ、切迫感をもって追体験できるやもしれない『決算!忠臣蔵』をあなたも体験してみてください。

このコーナーに入る前に、今週はYESの『Money』をかけたんですが、もう1曲これをと思って、クレイジーケンバンドスポルトマティック』をお送りしました。僕が20代半ばの頃、夢だけがあって金がなかった頃によくカラオケで熱唱していたナンバーです(笑)


さ〜て、次回、2019年12月24日(火)、クリスマスイブに扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『ラスト・クリスマス』となりました。もうこのタイミングしかない、後がない(笑)、そんな絶妙な采配でしたね。自分でもびっくり。これ、評判いいですよね。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!