タイトル通り、ひとところにとどまらず、あれこれと形を変えていく映画でした。ヒントを得た54年のSFホラー『大アマゾンの半魚人』を『美女と野獣』のようなラブ・ストーリーにしてしまう。おとぎ話でありながら、エロもグロも入れてのR15指定で、久々に劇場でお目にかかったぼかし処理。制作に60人もが関わったこだわり造形のモンスター映画でもあるし、スパイが蠢く一流のサスペンスでもある。イライザは映画館の上のボロい家に住んでいますね。つまり、彼女の人生の足元にはたくさんのジャンルの物語、その光と影があるわけです。
障害者であり、孤児でもあるイライザ。ジャイルズは時折カツラをかぶるゲイ。同僚はアフリカ系の太った女性。それぞれに、当時の社会でノーマルとされていた狭い枠からはみ出して生きています。さらに、単純に考えれば悪役となるストリックランドでさえ、いわゆるエリートで鼻持ちならないレイシスト兼社畜ながら、劇中で明かされるように、ある理由から狭い檻の中でグレイトでなければならないという強迫観念に苛まれる哀れな男という側面もあります。
今回のアカデミーで作品賞を競った『スリー・ビルボード』もそうでしたけど、映画界の大きな潮流として、「自分たちとは違うしよくわからないけれど、確かに存在して無視できないものと、どう共存するか」というテーマがあると思います。この作品はそれをエクストリームに追求しているわけです。究極の異形である半魚人アセットが捕らえられてやって来ます。彼は正体不明の生き物ですから、異形の象徴ですよね。世界観という言葉があるけれど、何かを美しいと思う人がいれば、それを醜いと思う人もいる。世界観は人や社会によってまるで違うわけです。アセットは、西洋的価値観では気色悪いものかもしれないが、アマゾンでは神と崇められているわけですから。この作品は、多様な価値観を多様なジャンルで描いているがうえに、観客それぞれの人間的な器のサイズと形状によって、その印象のシェイプも微妙に変わってくる。そんな特殊な設計です。
当然ながら、最重要のモチーフは水でした。バスタブ。卵を茹でるお湯。トイレ。研究所にアセットが入れられる水槽。そして、雨と海。人はかつて誰しもが母親の羊水に包まれていたわけですが、水が愛の象徴であることは言うまでもありません。思えば、冒頭には火事があって、ラストには雨が降っていましたね。降りしきる雨の中で、すべてが交錯して大団円を迎えていく。あらゆるシェイプに対応する愛という希望を、デル・トロは水に託して映像に落とし込んだわけです。
イライザもアセットも言葉は話せない。だから、手話と音楽とダンスという肉体的な手段でコミュニケーションを図る。時折、サイレントと見紛うような純映画的、つまり映画でしかできないような表現に出会えることも、この作品の大きな魅力です。イライザとアセットが風呂場で抱き合う場面やファンタジックなミュージカル・シーンは、その最たるものでしょう。ふたりの距離が縮まるきっかけは、水で茹でられた卵の殻をイライザが水槽のへりで叩いたことでした。割れた殻は、彼らを閉じ込める世界を想起させます。こうした小道具の使い方もお見事でした。
反トランプ運動やセクハラとパワハラ騒動という2018年現在の社会に巧みにフィットした作品ということはもちろん言えますが、そんなこと抜きに、あなたがどんな形で受け取るのかが大事です。難しいことは抜きに、立派な娯楽作がアカデミーを獲りました。普段は映画館へ行かないという方も、これはぜひ!
さ〜て、次回、3月16日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『去年の冬、きみと別れ』。また来ましたよ、中村文則原作。『悪と仮面のルール』はムムムとなりましたが、こちらはいかに? それにしても、斎藤工の大忙しなことよ。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!