京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ノマドランド』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月13日放送分
『ノマドランド』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、ネバダ州のエンパイアという小さな田舎町。住民のほとんどが、そこに工場を構える石膏メーカーに勤めていたのですが、リーマン・ショックで工場は閉鎖。町は即座にゴーストタウンに。仕事も家も失ってしまった女性ファーンは、夫も既に亡くしており、頼れる人などいません。バンに必要なものだけ詰め込んだ彼女は、ノマド、現代の遊牧民として、季節労働をしながら車上生活をするようになります。
 
監督・製作・脚色・編集は、中国系のアメリカ人女性、39歳のクロエ・ジャオ。マーベルの新作エターナルズの公開も控えていて、これを機に名前をしっかり覚えておきたい天才肌。脚色というからには原作がありまして、『ノマド 漂流する高齢労働者たち』というノンフィクション。日本でも春秋社から翻訳が出ています。その本を面白いと感じたフランシス・マクドーマンドが自ら映画にしたいと製作をスタートしてクロエ・ジャオに話を持ちかけ、自分でも主演するという珍しいプロセスを辿りました。

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Photo by Amy Sussman/Getty Images

日本では26日月曜日に発表されるアカデミー賞では作品賞最有力と言われています。既に、ヴェネツィア国際映画祭トロント国際映画祭、さらにゴールデン・グローブ賞で作品賞を獲得しているが故に、アカデミー賞作品賞の最有力と言われています。
 
僕は先週木曜日の午後、TOHOシネマズ梅田で鑑賞してきました。公開から少し日が経っていて、小さめのスクリーンになっていましたが、それでも平日昼間にかなり入っていました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕も学生時代にワンダーフォーゲル部にいましたから、全国あちこちの山を登り、里を歩き、サバイバル体験もしてきました。なおかつ、車の運転が好きだから、生まれたイタリアへ戻っても移動は車がいいし、国内でもそう。日本ではコロナ禍も手伝ってキャンピングカーに乗る人が増えていると言うし、ソロキャンプも流行中。僕の知人の映像作家、馬杉雅喜氏が作ったYou Tubeのドラマシリーズ、『おやじキャンプ飯』もヒットしている状況。だから、僕の作品への興味も膨らんでいて、原作がノンフィクションでもあるし、実態はどんな感じなんだろうと、観始めました。


残念なお知らせですが、簡単に言えば、そう甘くないということです。だって、まず仕事を失っていますからね。というより、住んでいた街があっさり無くなっていますから。そりゃ、厳しい状況です。のほのんとキレイな景色でも見て回ろうか、じゃないですから。それに、ノマドライフを始めるにいたった原因も、彼女が自分で生み出したものではありません。遠いウォール街の狂乱が彼女の人生を変えてしまったわけです。彼女の暮らしに選択に何か落ち度があったんだ、自己責任だと誰が言えるでしょうか。世界の長者番付1位は今年もAmazon創始者であるジェフ・ペゾス氏でしたが、その配送の現場ではファーンのような労働者たちが上層部とは比較にならない賃金で単純作業に従事している様子もわかります。

 
人によっては、この映画をそういう社会問題を扱った、告発するような作品と捉えているようですが、僕には少なくともそうはまったく思えませんでした。「ホームレスなの?」と心配されたら、彼女は「違う。ハウスレスだ」と答えます。それは、決して虚勢を張っての言葉ではありません。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

ファーンは確かに落胆します。でも、しばらくすると顔を上げて、悟ったように身の回りの今となっては必要でないものを処分して、路上へ出るわけです。身の回りにあるのは、ぐるり自分の愛着のあるものだけ。決して、悲壮感が支配するような状況ではないんです。しばらくすると、多かれ少なかれ自分と似たような境遇の人にたくさん出会います。確かに、60を過ぎて、ひとりもので、定職がなく、不動産などの蓄えの乏しい状況で生きていくのは、なかなか大変です。ファーンも車が故障してその修理に困っていました。事故に遭うかもしれないし、次の仕事は前よりも条件が良くないかもしれない。でも、この世の中で、明日どうなるかわからないのは、誰しもそうではないでしょうか。僕は決して経済的に困窮していることを、それはそれで仕方ないとか、構わないなんて言うつもりはありません。社会的格差は是正されるべきだと思います。ただ、健康で文化的な最低限度の生活が保証されるという条件付きで、誰もが経済的豊かさをハングリーに求める必要もないはずです。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

仕事が必要だとは言うけれど、体を動かして、何かの役に立つことに喜びを感じているという意味でしょう。儲けたいというよりも、エッセンシャルな生活を維持するためでしょう。ファーンは決して世捨て人ではありません。孤独を良しとはするけれど、人懐っこいところもあって、職場や駐車場で会ったノマドたちとも一定の人間関係を築くんです。ちょっとしたロマンスまであります。誰かに助言をしたり、助言を受けたり、余命いくばくもないノマドの人生観に深くタッチすることもあります。何より彼女には学があり、尊厳がある。周囲にはアメリカの豊かな自然がある。ファーンのHOBOライフを不幸だと規定するのには賛同できません。現に、この映画は決して小難しいものではなく、むしろ圧倒的な映像美と印象に残る生きた言葉、さらにはドライなタッチの小気味良い編集によって、エンターテイメントとして十二分に成立しているんです。

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© 2020 20th Century Studios. All rights reserved.

これはクロエ・ジャオ監督の演出術の賜物ですが、彼女は非職業俳優たち、しかも、実際にその境遇に置かれている現実の人々をそのままドキュメンタリーのようにカメラで捉えます。マクドーマンドが渓流に素っ裸で浮かんでリラックスしているショットがありますが、プロの俳優である彼女はまさにあの調子でノマドたちの中に身を置くんです。だからこそ、人々の言葉には力がある。
 
一方で、ノマドの中には、何かの拍子にあっさり定住する人もいます。では、彼女はどうして誰かに手を差し伸べられても、それをやんわり、でも、きっぱり断るのか。その理由はおぼろげながら最後に明らかになっていきます。僕はラストでじんわり胸と目頭が熱くなりました。そして、ファーンは孤独で寂しい人ではない、豊かな心を持つやさしくて強靭な人だとわかるのです。素晴らしい映画でした。
劇中でファーンがチラッと耳にし、エンド・クレジットで流れるこの歌をオンエアしました。

さ〜て、次回、2021年4月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『バイプレイヤーズ もしも100人の名脇役が映画を作ったら』。やったやった〜! 予告編で「役所! 役所!! や・く・しょ!!!」のコールを見聞きして既に笑っていたんです。僕にとっては大好物の映画バックステージもの。楽しんできます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!