京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『658km、陽子の旅』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月15日放送分
映画『658km、陽子の旅』短評のDJ'sカット版です。

青森県出身、42歳、独身、フリーター、一人暮らしのアパートに引きこもりの陽子。家の中でふとした拍子にスマホを壊してしまった翌朝、従兄弟の茂が突然家を訪ねてきます。陽子の父が亡くなったから、今から一緒に青森へ帰ろうと誘いに来てくれたのでした。父とは絶縁状態だったこともあり、迷う陽子でしたが、茂一家の車に乗り込みます。ただし、とあるアクシデントに見舞われ、陽子はひとり高速道路で取り残され、ヒッチハイクをすることに……。

次世代の映画人を育てるTSUTAYA CREATOR'S PROGRAM 2019の脚本部門で審査員特別賞を受賞した室井孝介の脚本が採用された今作。監督は、熊切和嘉が務めることになりました。主演の陽子を演じるのは、熊切監督とは2001年『空の穴』以来のタッグとなる菊地凛子。従兄弟の茂を竹原ピストル、そして亡くなった父の若かりし姿をオダギリジョーが担当しました。
 
この作品は、第25回上海国際映画祭コンペティション部門で、最優秀作品賞、最優秀女優賞、最優秀脚本賞の主要3部門を総なめにしました。
 
僕は先週水曜日の昼に、UPLINK京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

一見すると、地味な筋立てだし、地味な主人公だし、全体としても地味な作品に感じられるかもしれません。確かに、まぁ、そうですよね。上海映画祭で賞を取ったのはすごいんだろうけど、要は映画祭受けする、結局地味な映画でしょ? と言われると、僕は否定はしないが、それでも強くオススメします。だって、これは陽子にとっての一大事、人生が変わる旅になっているのだから。
 
これぞロード・ムービーってのをこのコーナーで扱うのは、『ドライブ・マイ・カー』以来かもしれません。主人公が車や列車に乗って、たいてい計画もしていなかった旅に出ることになり、それが暫定的なものであれ、「目的地」にたどり着くことで、道中のなんやかんやのできごとや景色の移り変わりにも後押しされての心境の変化が起きている。そういうジャンルですね。僕は好きなんです。映画の醍醐味が詰まってますから。

(C)2022「658km、陽子の旅」製作委員会
その移動手段として、ヒッチハイクというものも確かにあるわけですが、そもそも最近ヒッチハイクしている人をあまり見かけないということもあるし映画ではあまり見かけないなと思いながら作品を鑑賞し始めました。そしたら、頭から菊地凛子演じる、というか、菊地凛子がなりきる陽子のダメっぷりというか、人生の諦めっぷり、引きこもりっぷりがすごくて、こりゃ無理だ。ヒッチハイクなんて絶対無理って思わされます。

(C)2022「658km、陽子の旅」製作委員会
だって、ヒッチハイクなんて、そもそもかなり勇気がいるものなのに、あの陽子にはとうてい不可能だよ、これどうなんの、というところへ、いとこが登場します。竹原ピストルの佇まいがまた絶妙で、彼は陽子と付かず離れずでずっと気にかけて心配してくれていたというのが、言外に伝わってくるんです。そして、伝えにくそうに、お父さんが亡くなったことを告げ、ちゃんとお別れするために、俺もこれから青森まで家族で車で移動するから一緒に行こうと諭します。これをもって、映画の時間と空間のゴールが設定されるわけです。となると、あとは車に乗っていけばいいだけなはずなんですが、その車中がまたガヤガヤしてるんですよ。子どもがふたりいて、真面目で勉強熱心な娘も、そのまだ小さい車マニアの弟も、それぞれにうるさい。陽子の寡黙なキャラクターがしっかり浮き彫りです。その弟がまた、高速ですれ違う車の車種を片っ端から唱え続けるのがすごくて笑ってしまいました。ただし、笑っていられないことが起こるのがSAです。詳細は明かしませんが、陽子は旅のまだ序盤でひとりぼっちになってしまいます。スマホは壊れています。荷物はありません。所持金は2000円ほど。もう、「コミュ障だ」なんて罵られても、これでは黙っていても、何も解決しません。納棺に間に合いません。この陽子の変わらざるをえない局面というのが、何段階かでやって来ます。熊切監督が巧みなのは、主に編集によるうまい省略によって印象づけること。のんべんだらりんとしているように見えて、実はあちこちでスコンと、ダルマ落としでもするように、時間を飛ばすんです。それがとても効果的です。

(C)2022「658km、陽子の旅」製作委員会

2020年に、『風の電話』という女子高生が主人公のこれまた素晴らしい映画があって、そこでもいろんな見知らぬ人との交流があり、震災の爪痕が残る東北がゴールになっていて、終盤には主人公の語りがとめどなく溢れます。風の電話は、死者とつながる公衆電話でしたが、今作はでは、父親が主人公の見る幻影として断片的に登場します。死者がその不在によって残された家族に強い影響を与えることが、観た時期がお盆に近いこともあって強く僕は感じられました。そして、今作では42歳の主人公のロスジェネの背景も透けて見えるのが特徴で、僕だってまったく他人事ではないなと思いながら見ていました。こうなっていた可能性は十分にある。その上で、彼女が勝手に作ってしまっていた人生のゴール=どん詰まりを突き抜けてくれと僕たちに願わせるぐらいの余韻で終幕する。そこもある種の省略だと思いますが、切れ味鮮やかでした。彼女が入り込んでしまった人生の隘路は、時代の隘路でもあるだろうし、彼女を切り捨てるのはおかしいし、これから訪れるだろう再出発を悪あがきだと笑うような風潮には唾を吐かなければならない。僕は陽子をそんな隣人だと思って鑑賞を終えました。うん、地味だった。ツッコミどころも確かにあった。だけど、実はものすごく大きな変化が起こる映画でもあって、僕にとっては忘れられない作品になりました。

さ〜て、次回2023年8月22日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『マイ・エレメント』です。ディズニー&ピクサー最新作ともなると、それだけで品質が保証されたようなものですが、今回は元素がモチーフって、考えたらすごい発想ですよね。多様性を重んじる作品が多くなっているピクサーですが、あの傑作『ズートピア』のような世界観なのかしら、なんて現段階では想像しています。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッター改めXで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!