京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『哀れなるものたち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月13日放送分
映画『哀れなるものたち』短評のDJ'sカット版です。

橋から飛び降りて命を絶った若き女性が、天才外科医ゴッドウィンの手で奇跡的に蘇ります。ただ、記憶は一切なく、ベラという新たな名前とともにまるで赤ん坊のようにイチから成長していくことになるのですが、世界を自分の目で観たいという強い欲望に駆られ、放蕩者の弁護士ダンカンの誘惑でヨーロッパを巡る旅に出発します。

哀れなるものたち (ハヤカワepi文庫)

原作は1992年に発表されたアラスター・グレイの同名小説で、脚本は監督のヨルゴス・ランティモスとタッグをこれまでも組んできたトニー・マクナマラ。製作には、監督の他、主人公ベラを演じたエマ・ストーンの名前もクレジットされています。外科医ゴッドウィンには、ウィレム・デフォー、そしてベラを世界へと連れ出す弁護士ダンカンをマーク・ラファロが演じています。
 
去年の第80回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した他、来月の第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演女優賞など、計11部門にノミネートしています。
 
僕は先週金曜日の昼にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ヨルゴス・ランティモス監督はすっかりアカデミー賞常連という感じで、映画でしか成立しない表現を追求してたどり着いた強烈な作家性は確かにもう完全に確立していると言って良いでしょう。世界を歪めて見せてしまうほどの魚眼レンズや極端なクロースアップに代表される映像のスタイル、動物の使い方、細部まで作り込んだ凝りに凝った衣装にセット、モノクロも含めた効果的な色使い、そして今回なら先に音楽を作らせて現場で流しながら撮影するほどの音楽の単なるBGMにはしない使い方などなど、彼には予算を与えれば与えるほど映画世界はさらに多層的で豊かなものになっていくんだなと実感します。これまでも発揮されてきたランティモス印に新しい要素が加わったというよりは、その印がより強固になってくっきりはっきり刻印されたのではないでしょうか。その意味で、美術や衣装デザイン、メイクアップ&ヘアスタイリング、作曲、撮影、編集と、アカデミー賞でもこうした部門に軒並みノミネートしているのは頷けるし、それらの要素を束ねてコントロールしていく監督のすごさというのは唸らざるをえないです。2時間20分ほどの映画ですが、そこに封じ込められている情報量はものすごいですから。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
そして、この話、主人公のベラが、彼女をコントロールしようとするものに対して次々と反発して自由と知性と喜びを獲得しようとする内容でもありました。貴種流離譚という物語のパターンがありますね。特別な出自のあるキャラクターが自分の居場所ではないところをあちこち巡って試練を乗り越えていく。その結果として、何か尊い存在へと変貌・成長していくものかと思いますが、ベラも大枠としてはここに当てはまるでしょう。出自の点で言えば、彼女は身体は大人だけれど、当初、頭の中身はほとんど赤ん坊という状態。マッドサイエンティストたる「父親」であるゴッドウィンの人造人間的な娘ということになるわけです。まさに特別な出自ですね。ここはまさにフランケンシュタインということになりますが、ただ、面白いのはゴッドウィンの風貌の方が明らかなツギハギだらけでむしろフランケンシュタインっぽいんですよね。相当に異常なくらいに溺愛されながら、だんだんと言葉を覚え、自分の身体のことを知り、性の喜びにも目覚めていくうちに、みるみる思春期のようなフェーズに入ると、閉じた世界にいたベラは世界への好奇心を抑えられなくなり、婚約までしていたゴッドウィンの助手の男性を置いて、駆け落ちのような格好で弁護士ダンカンと旅に出ていく。リスボンアレキサンドリア、パリなどを巡り、またロンドンに帰ってくる頃には、ベラは見事に自立した女性へと変貌を遂げているわけですが、当然ながら自分の出自と向き合うことになる。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
話のパターンとしては、まさに貴種流離譚なんですが、ここにひとつひとつ、フェミニズムのことや格差のこと、解剖学的見地も含めた生き物としての人間そのもののことや生命倫理、さらには知性や知的好奇心、親子関係や恋愛、友情のことなどが重層的に絡められていきます。そのひとつひとつがベラにとっては発見であり、無垢だった彼女にとっては学びなわけで、それこそまだ常識やルール、マナーの類、大雑把にくくれば彼女を縛る、コントロールしようとする考えや枠組みを知らなかったからこそ当然持ちうるそれらへの疑問が呈されることになります。

©2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
彼女をコントロールしようとするもの、そのわかりやすい最たるものが、男性性であることは言うまでもありません。この点は同じくアカデミー賞作品賞にノミネートされている『バービー』と並べて考えたくなるところですね。弁護士ダンカンは無垢なベラの性の喜びを爆発させる存在ではあるものの、遊びと思っていたのがみるみる本気になっていきます。恋愛で本気になるというのは、ともすると、相手を自分だけのものにしたいという所有欲に突き動かされること。それは性的に不能なゴッドウィンの父性との対比にもなっていました。さらには、今度は女性がどんどん知性と教養を身につけていくことに嫌悪感を示す男性像も出てきましたね。読もうとする本が奪われてポンポン海へと投げ捨てられていくのが象徴的でした。そして、ラスボス的に出てくる、自分の出自に関わる「あいつ」の存在がまた強烈で、かなりハラハラするくだりも最後に用意されているわけですが、そのあたりで考えてしまうのがこのタイトルです。Poor Things。哀れなるもの「たち」という複数形なんですよね。これは純度と完成度の高い寓話ですから、いろんなメタファーが入り組んでいて解釈も一筋縄ではいかないという前提の上で、この作品に出てくる、なんならランティモス流の皮肉のききまくった黒みがかったユーモアの餌食になる男性たちがpoor、哀れなるものであるというのは間違いないでしょう。僕も含めた男性は、引きの画で見れば滑稽で醜悪な自らのマチズモに対して居心地が悪くなること請け合いです。
 
と同時に、僕たち誰もが疑問に思っていたかも知れない常識へのアンチテーゼにもなる痛快さを兼ね備えていて、はっきり言って面白いです。ランティモス監督のひとつの集大成であり、その中でエマ・ストーンが全身全霊で躍動する姿は大きなスクリーンで観ておかないと! さらに、実はランティモスとエマ・ストーン、また一緒に次なる映画を制作中ということで、このふたりの今後からも目が離せなさそうです。
ランティモス監督がその独自性に注目して音楽に抜擢したイギリスの29歳ジャースキン・フェンドリックス。美しくも奇妙でユーモラスな音作りで『哀れなるものたち』の世界を聴覚的に構築してみせたサウンドトラックから、雰囲気をつかんでもらうべく、短い曲をオンエアしました。

さ〜て、次回2024年2月20日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『レディ加賀』。これ、実際に加賀温泉を盛り上げるための旅館の女将たちの同名チームがあるらしいですね。ユニークだなぁ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!