京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『サン・セバスチャンへ、ようこそ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月6日放送分
映画『サン・セバスチャンへ、ようこそ』短評のDJ'sカット版です。

ニューヨークに住むモート・リフキンは、かつて大学で映画学を教えていたインテリで、現在は人生初の小説の執筆に取り組んでいます。一回り下の妻スーは、フリーランスで映画広報の仕事をしていて、モートはスーに同行してスペインのサン・セバスチャン映画祭に向かいます。ところが、スーはクライアントであるフランス人監督で新作が高く評価されているフィリップにベッタリ。まったく構ってもらえないモートは、スーの浮気を疑いながら、ストレスのあまり地元の病院へ。そこでの出会いが今度はモートの人生に新たな活力をもたらすことになるのですが、果たして彼らの人生の行方は?

ローマでアモーレ(字幕版)

脚本と監督はウディ・アレン。2012年の作品『ローマでアモーレ』以来、久々のヨーロッパ・ロケとなりました。撮影監督は、アカデミー賞撮影賞を3度獲得した名キャメラマンにして、ウディ・アレンとはこれで4度目のタッグとなるイタリアのヴィットリオ・ストラーロです。
 
主人公のモート・リフキンに扮したのは、ウディ・アレン作品に多数出演してきたウォーレス・ショーン。妻スーをジーナ・ガーション、映画監督フィリップをルイ・ガレル、医者のジョー・ロハスエレナ・アナヤがそれぞれ演じている他、クリストフ・ヴァルツもユニークな役柄で登場します。
 
僕は先週水曜日の午後に大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

オリジナルタイトルは主人公の名前を取ってRifkin's Festival、「リフキンの映画祭」です。同じ映画祭に参加するといっても、彼はそこに求めるものが他の人と違うし、彼はサン・セバスチャンへ行っても、映画はほとんど観ずに、自分の好きな映画に自分が入り込んでいる夢を観てばかりいるので、確かに「リフキンにとっての映画祭」の話ですよね。冒頭、モート・リフキンは精神科医と思しき人物に「映画祭ではかくかくしかじかで」と体験談を語り始めます。そして、本編へ。当然、エピローグではまた精神科医とのこの場面に戻りますし、言うまでもなく、精神科医は僕たち観客のことだし、なんなら、モート・リフキンはウディ・アレン監督の分身という側面もあるでしょう。

© 2020 Mediaproducción S.L.U., Gravier Productions, Inc. & Wildside S.r.L.
スノッブでシニカル、何かにつけて口うるさいわりには結構な腰抜けでもある。だけどばっちりインテリで自己分析もできちゃうから、すぐ卑屈にもなるし自虐的でもある。端的に扱いづらいじいさんです。バカではないですから、自分に妻を惹きつけるだけの魅力が乏しくなってきていることがわかるだけに、はるばるスペインまでやって来て、今をときめく妻のクライアントの映画監督にばっちり嫉妬。しっかり具合が悪くなって胸が痛いと病院へ駆け込んだところで、チャーミングで知性豊かな現地の女性と知り合ったからもう大変。あっさり心動かされてのぼせあがるなんてもう、笑うしかないです。ダメだコリャってね。とまぁ、そんなストーリーにウディ・アレン映画としての既視感はそれは正直感じますが、映画祭が舞台ということで、モートの愛する古典映画オマージュをストレートにぶつけてきたことがむしろ変化球ですね。あ、このシーンはあの映画かな、なんてシャレた引用ではないですから。リフキンが観る夢、しかも嫉妬や自虐、不安が反映された夢や妄想、白昼夢の類が、すべてモノクロで観るクラシックな名作に反映されているんですよ。オーソン・ウェルズフェリーニゴダールトリュフォールルーシュブニュエル、そして、ベルイマン。たとえば『勝手にしやがれ』のあのシーツにくるまるラブシーンをモートが演じているところなんて、そりゃ吹き出しますよ。『第七の封印』の死神とのチェスのシーンも、モートが対戦するとシリアスなはずなのにおかしみが出てしまう。登場人物たちが部屋からどうしても出られないというシュールな設定は『皆殺しの天使』のパロディーですが、これもモートが自分でせっせと作り上げてきた鼻持ちならない人物像の中から自分自身が脱却できずに足掻き苦しんでいるようにも思えて、滑稽であると同時に切なくも見えてきます。いずれもストレートな引用でありながら、引用元を知らずともストーリーを追うのに支障はなく、知っていれば細かいところまでうまくやっているなとそのテクニックに感心してしまうものが続きます。

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ご存知の方も多いかと思いますが、ウディ・アレンは長年にわたる性的なスキャンダルがあり、それがまた#Metoo運動の中で広がり深まった中でキャンセル、つまりは干されている状態で、正直ハリウッドではもう作品を撮りづらい状況になっているんですね。そんな中で、ニューヨークから遠く離れたところ、たとえばサン・セバスチャンのようなヨーロッパで映画を撮っている自分。先ほど例に出した、たとえばフランスのヌーヴェル・ヴァーグの面々と実は年齢がそう変わらないくらいだけれど憧れてきた自分の来し方行く末をパロディーを通して客観視しつつ、「自分は何者で、何を求めているのだろうか」という自分探しに戻っていく。それがアレンという映画作家の撮影当時85歳の現在地なんだろうと思います。

© 2020 Mediaproducción S.L.U., Gravier Productions, Inc. & Wildside S.r.L.
好き嫌いは別として、彼の自分反映型の主人公ものとしては近年屈指の出来栄えなのは間違いないですし、サン・セバスチャンの美しい街並みを旅行気分で味わえる観光映画としての醍醐味も存分に味わえます。古典映画への入口として、あるいは再訪もできる映画史の旅行もできてしまうものを90分強にまとめてしまう手腕には、さすがはウディ・アレンと結局痛感させられました。お見事です。
冒頭で流れるこの曲。セレクトが絶妙ですよ。映画祭へ行く。夢のような現実逃避でもある。そこで、トラブルなんて夢にくるんでしまえ、だもの。Frank Sinatraのバージョンでお送りしました。

さ〜て、次回2024年2月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『哀れなるものたち』。これはアカデミー賞に向かっていく中で鍵となる作品を当てることができて、自分を褒めたい気持ちですよ。怪作を発表し続けるヨルゴス・ランティモスエマ・ストーンとタッグを組んで、女性の生き方と性のあり方、そして社会のあり方を問う作品といったところでしょうか。いや、そんな簡単な言葉や定義付けにはきっと収まらないな。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!