京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『ドライブ・マイ・カー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月31日放送分
『ドライブ・マイ・カー』短評のDJ'sカット版です。

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舞台演出家にして俳優でもある家福悠介は、妻で脚本家の音と長年寄り添ってきました。ところが、ある日、唐突に、彼女はこの世を去ります。家福は実は、妻のある秘密を知ってはいたものの、そこに向き合う機会は失われてしまいました。2年後、広島の演劇祭に演出家として招聘された彼は、愛車のサーブで現地入りし、長期滞在を開始します。口数の少ない専属ドライバーのみさきに宿から送迎してもらう日々の中で、家福が再会したのは、かつて妻の手掛けたテレビドラマに出演していた俳優の高槻でした。

女のいない男たち (文春文庫) f:id:djmasao:20210831103736j:plain

 原作は村上春樹の同名小説で、2014年に出た短編小説集『女のいない男たち』に収められています。監督の濱口竜介と一緒に脚本を手掛けたのは大江崇允(たかまさ)で、ふたりは今年のカンヌ国際映画祭で日本作品では初となる脚本賞を受賞しました。家福を西島秀俊、妻の音を霧島れいか、ドライバーのみさきを三浦透子、俳優の高槻を岡田将生が演じているほか、家福の演出する舞台が多言語劇ということで、韓国語、北京語、インドネシア語、そして韓国語手話など、日本語ネイティブ以外の俳優も集っています。
 
昨日10時台に放送した監督インタビューに向けて、僕はマスコミ試写で公開前に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は村上春樹作品を高校時代から愛読し続けていますが、映画化には不向きな物語が多く、実際に映画化されたものは少なく、いち映画ファンとして言えば、感心してなおかつ好きなのは『ハナレイ・ベイ』と『バーニング 劇場版』くらいです。つまり、最近の2本ですね。いずれもやはり短編が原作で、アプローチは違えど、どちらも外国を(少なくともメインの)舞台にしていました。そして、今作も広島での演劇祭パートを当初は釜山で撮る予定にしていたようで、それはそれで観たかったと思いますが、コロナ禍の影響でそれが叶わなかった結果、僕は、登場人物の移動がほぼすべてをサーブの車で行われるこの物語にとっては功を奏したと感じています。というのも、監督はシネマトゥデイで公開されたインタビューでこう語っているんです。「やりたかったのは、村上作品に則するように、自分が感じていた運ばれていくような体験を再現すること」。確かに、村上作品の多くで読者が感じるのは、そのテキストに否応なしにどこかへと運ばれていく、いざなわれていく気分なんだろうと思います。それを物理的にも心理的にも映像化できればしめたもの、という目算が濱口さんにはあったのだろうと思いますが、東京から広島へ、そしてまたふとした拍子に北へと向かうロード・ムービーとして、基本は国内で、つまり実際に車で移動できるルートで完結する物語と最後の跳躍が効果を持ったと言えるでしょう。

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(C) 2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
短編である原作では、主人公家福の移動はここまで大胆ではなく、黄色いサーブ900カブリオレマニュアル車を運転するみさきの、滑らか極まりないシフトチェンジの描写に意味がありました。対して映画では、色は赤、サーブ900は同じですが、サンルーフ付きのオートマティックになっていましたね。予告編にもある、サンルーフからニョキッと飛び出す2本のタバコなんて、亡き人にたむける線香のようで、映画ならではの表現が追加されていました。そして、映画では、序盤は家福が車を運転し、それ以降はみさきが運転する。主語が明記されていないタイトルを活用した入れ替わりでしたし、この2点を取っても、小説から映画へのシフトチェンジがうまくいっていることを示しています。
 
移動という観点で言うなら、映画にはカメラそのものの移動がありますが、僕が注目したいのは、後退トラヴェリングという手法です。これは、カメラそのものが動いて被写体から離れていく、被写体からバックする映像を生み出して、ざっくり言えば、そこに何かを置いていく、惜別の感情を膨らませる時に、使われるんですが、はっきり言って、どんな映画にも出てくる手法ではなく、それだけに、僕の持論としては、後退トラヴェリングを効果的に使う作品には良いのが多いってのがあります。『ドライブ・マイ・カー』にも、何度か出てきます。濱口監督は全体的にガチャガチャとカメラを動かすことがないだけに、カット割りの意味を考える楽しみがあります。後退トラヴェリングで、何がなぜ置き去りにされるのか。

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(C) 2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
たとえば、夜のあの長い長いドライブ。ふたりはトンネルをいくつもくぐりますね。普通なら、フロントガラスごしに前を映すところなのに、かなり珍しいことですが、後ろの景色を映しているんです。そこにも、ふたりの来し方を思いながら先へ進む行為が暗示されています。
 
と、こんな風に、まだまだいくらでも語るトピックがある映画『ドライブ・マイ・カー』は、まごうことなき傑作です。同じ短編集の他の2篇から要素を盛り込んだこと。劇中劇の戯曲のチョイス。9つの言語が入り乱れる意味。演技とは何か。それぞれキャリアベスト級の演技をみせた役者陣。声に含まれる情報量などなど。あなたもあなたの視点から、この作品を鑑賞して、人の心の移り変わりを映画が丁寧にすくい取る様子に感じ入ってください。

この物語の発端ともなる、誰かに物語を語って聞かせること。そこを意識して選曲しました。

さ〜て、次回、2021年9月7日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『孤狼の血 LEVEL2』となりました。実は先日、白石和彌監督が来局された際に軽くご挨拶しました。今回はスケジュールが合わず、インタビューがかなわなかったのですが、僕の番組への連続出演記録を更新できなかったと悔しがってくれていました。ありがたいことです。なので、おみくじを引いて思わず「よっしゃ」と言いそうになったのですが、マスコミ試写で観てフラフラになった僕としては、このLEVEL2をしっかり評せるのか… いや、震えながらも張り切って挑みます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!