京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『エリザベート1878』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 9月5日放送分
映画『エリザベート1878』短評のDJ'sカット版です。
ハプスブルク帝国が最後の輝きを放っていた19世紀の末。ヨーロッパの宮廷でも随一の美貌と謳われたオーストリア皇妃エリザベート。1877年のクリスマス・イブに40歳になった彼女が、コルセットをさらに締め上げ、世間のイメージや皇室の伝統と自分の好奇心や欲望の間で揺れ動く1年間の物語です。

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主演は『彼女のいない部屋』のヴィッキー・クリープス。彼女のアイデアから生まれたというこの作品で脚本と監督を担当したのは、オーストリア映画界の気鋭、女性のマリー・クロイツァー。去年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で最優秀演技賞に輝いた他、今年のアカデミー賞国際長編部門オーストリア代表にも選出されました。
 
僕はこの作品はメディア試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

日本では96年頃から、宝塚歌劇団東宝ミュージカルの人気演目の主人公として親しまれてきたハプスブルク家の皇妃エリザベート。映画で言えば、50年代にロミー・シュナイダーが演じた3部作がヒットしましした。また昨年にはドイツで制作されたNetflixのドラマシリーズも好評を博すなど、今もその人気はまったく衰えていません。ただ、僕も実はそうだったように、あまり馴染みがないという方もいるだろうし、映画を観る前にある程度知識があった方が良いのではないかと危惧される向きもあるかもしれませんが、僕に言わせれば、知識があればあったでそりゃ面白かろうが、なくてもまったく問題ないと思います。それが証拠に、僕もだいぶ心揺さぶられたし、楽しみましたから。
 
この手の王侯貴族もの、しかも19世紀のヨーロッパというのは、政略結婚も多いということで、正直、登場人物の人間関係を捕まえるのはそれは最初は難があるかもしれません。でも、監督のマリー・クロイツァーがそのあたりは手堅く見せてくれるので、だんだんとわかってくるので大丈夫。たとえ名前はすぐに覚えられなくても、ポジションが把握できればということだし、なんなら、新しい人物が出てくるたびに、この人、誰やろうって思いながら観ていると、ひとつひとつの会話や行動にかなり集中できるという利点もあるかもしれません。そして何より、これは彼女が40歳になる前後1年の話と時間に制約があるので、それも観やすさの一因になっていると言えるでしょう。

(C)Felix Vratny
とこんな風に鑑賞のハードルを下げているのは、やはり内容がユニークだからです。近代である当時というのは、新聞が主要メディアで、彼女の様子というのは、そこで大衆に知らされるか、どこかに飾られる肖像画でもって示されるか、というのがメインだったわけです。「絶世の美女らしい」「その美貌は天下一品」。そんな具合に、彼女はそのイメージで国家のシンボルとしての役割を担ってきました。だから、ネット社会の今よりも、そのシンボルのコントロールは容易だったと想像されますが、容易なだけに、彼女は自分の見え方に異常なまでに気を配りました。原題は「コルセット」を意味するフランス語のCorsageで、実際に彼女のコルセットを縛る紐は何度も出てきます。それは作り上げる美貌の象徴でもあり、彼女をそのイメージに縛り付けるものでもあるわけですね。40歳を過ぎ、そのまばゆいばかりの美貌も曲がり角に差し掛かっていることは彼女自身がよくわかっている。わかっているだけに、その美しさの維持に過剰なまでの情熱を燃やす一方で、彼女を縛りつけるイメージからの解放にもなびいていくことになります。かなり得意だったという乗馬に夢中になるのもうまくこのバランスの表現に一役買っています。文字通り手綱を引いて制御する一方、彼女は落馬してしまいもする。スポーツ万能、容姿端麗、才色兼備な自分こそ運命のコントローラーなのであるという強靭な意志と同時に、ガラスのように繊細で脆くて危ういハートが透けてみることもあるのです。彼女の胸の内に同居する相反するベクトルの想いがどう言動に反映されていくのか、精神科病院への慰問、夫であるフランツ・ヨーゼフ皇帝との関係、子どもたちや女官たちへの振る舞いからうかがわれます。当時の世情や風俗も、もちろん興味深いですね。

(C)Felix Vratny
ただ、時代劇ではあるものの、史実に忠実な映画化ではないところがミソでして、宮廷音楽の中にThe Rolling Stonesの曲が挟み込まれることにも象徴されるように、主演のヴィッキー・クリープスと監督は、エリザベートの中に現代女性を今もなお別な形で縛る見えないコルセットとその紐を見出しているように思うんです。世間の中で構築されている女性の役割や理想像と現実の乖離が、僕たち観客にも無縁ではないと気づく時、この映画の思惑は成立したと言えるのではないでしょうか。自然光を活かしたライティングと絵画的な構図はとてもカッチリとしていて、ラストのエリザベートのジャンプは、そこからの逃走としても機能しているように思いまいした。映画ジャーナリストの林瑞絵さんは、朝日新聞の映画評で「美のアイコン的主人公がアイデンティティー・クライシスに陥る物語」として、ジャンルもテイストも違うけれど、『バービー』に通じると分析されていて、なるほどなと唸りました。ぜひ、合わせて劇場で観たいものです。
 
この曲はどこで流れるのかと思ったら、まさかの劇中でインストゥルメンタルとして「演奏」されていました。僕たち現代の観客はその歌詞の意味も多かれ少なかれ知っている人が多いわけで、そんなさりげない使い方に唸りましたよ。

さ〜て、次回2023年9月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『私たちの声』です。前から気になっていたこの作品。世界あちこちの女性監督と女優たちがそれぞれに短編を作って束ねられた国際的なオムニバス映画です。イタリアも参加しているし、日本からは杏さんと、呉美保監督。胸が高鳴ります。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッター改めXで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!