京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ジャンヌ・デュ・バリー 国王最期の愛人』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 2月27日放送分

18世紀、フランス。貧しい家庭の私生児として生まれたジャンヌは、本を通して世界を学び、好奇心を満たしながら、類まれな美貌と知性で貴族の男たちに取り入り、高級娼婦として社交界での存在感を高めていきます。ついにヴェルサイユ宮殿に足を踏み入れたジャンヌは、美男にして型破りだった国王ルイ15世との対面を果たすと、瞬く間に気に入られ、ふたりは熱烈な恋に落ちます。こうして国王の公式の愛人である公妾となったジャンヌでしたが、労働者階級出身で堅苦しいマナーやルールを平気で無視するジャンヌは、とりわけ保守的な女性貴族たちから反感を買うようになっていきます。
 
監督と脚本、そして主役のジャンヌを演じたのは、マイウェン。ルイ15世には、ジョニー・デップが全編フランス語で扮しました。カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映があり、その後一般公開されると、フランスで75万人を動員する大ヒットとなりました。
 
僕は先週木曜日の昼下がりに大阪ステーションシティシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

タイトル通り、ジャンヌ・デュ・バリーの伝記映画ですが、「ベルばら」で既に馴染みのあった方を別にすれば、僕みたいな18世紀フランス史に疎い人間にしてみると、情報まっさらに近い状態じゃないかと思います。でも、話についていけなくなるような難しさは特にないので、当時のヴェルサイユ宮殿内外にあった王族や貴族の文化風習について、観ればしっかり興味を喚起されるはず。
 
監督かつ主演のマイウェンが彼女に惹かれたのは、「ジャンヌ・デュ・バリーが堂々たる敗北者だったから」だとインタビューで答えています。確かに、身分制度がある時代で、彼女のような私生児はサバイブしていくだけでもなかなかきついものがあるわけですが、ジャンヌが自らの境遇の中で最大限の成功とも言える国王との恋愛関係というのは、それを勝ち取ることにより、同時にやがては破滅することも意味してしまうという哀しみがつきまといます。それでも、どうせ散るならできる限り華々しくという美学を彼女の人生を題材にマイウェンは描きます。
 
僕が無知なだけで、たとえばパンフレットに評論家の萩尾瞳さんが寄せた文章を読めば、ジャンヌ・デュ・バリーがサイレント映画の頃から繰り返し映画化されてきたことがわかります。そこに共通しているのは、「美貌と才気でのし上がり最後は断頭台に散った女性の数奇な運命を描くアプローチ」であり、「マリー・アントワネットものでは敵役としてのポジション」であるというパターンにマイウェン監督は反旗を翻し、自分の人生を自分で選び取っていく、主体性のある女性像、もっとはっきり言えば、現代的とも言える女性のあり方をジャンヌに投影しようという意図がうかがえます。美貌が武器になること。それが災いにも結びつくこと。知性やユーモアが人生を豊かにすること。時代によって制度的な限界はあっても、そこに果敢に挑んでいく生き方に、幼い頃から子役としてエンターテインメントの世界で活躍し、若くしてリュック・ベッソン監督と結婚し、子どもを授かりつつも破局した後、監督デビューを飾ってそのキャリアをますます磨き上げているマイウェンが共鳴したことは想像に難くないです。

(c) Stéphanie Branchu - Why Not Productions
実際にヴェルサイユ宮殿でロケをしたこと。目を奪われるきらびやかな宮廷世界を衣装や豪奢な調度品の数々で表現したこと。それだけでも見る価値のある作品になっていますが、成功の要因としてジョニー・デップのキャスティングに触れないわけにはいきません。多少はフランス語ができるにしても、アメリカ人にフランス国王を演じさせるというアイデアは普通に考えれば突飛ですよね。でも、これが当たり役なんですよ。5歳にして国王に即位し、確かに贅沢な暮らしや権力は思うままだったかもしれないが、規則と儀式だらけの狭い世界で生きてきた悲哀が色濃く現れてくる晩年のルイ15世の佇まいを、60歳のデップなら体現できるんですね。枯れたかつての色男の雰囲気がにじみ出ているし、言葉よりも目の動きや微細な表情がものを言う演出が物語にもフィットしていました。

(c) Stéphanie Branchu - Why Not Productions
マイウェンが達者な映画作家であることは、ひとつひとつ的を射たカメラワークからもはっきりと見て取れます。大勢のエキストラを配置した的確な構図。18世紀当時の絵画を参考にしたという、特に引きの画の巧みさ。デジタルではなく35mmフィルムの粒子や色彩を信じた、陰影や色味の出し方。ごちゃごちゃカメラを動かさない中で、時に効果的に挿入される移動も印象深く、特にジャンヌが馬車で宮殿を去るシーンにおいてカメラが後ろに引いていく後退トラヴェリングには、セリフなどなくとも映像だけでこちらの涙腺を刺激する名ショットでした。動きにもうひとつ触れるなら、史実を改変してでも映画的に見せたかった、マリー・アントワネットとのやり取りでジャンヌが大喜びするところ。晴れた屋外の階段を駆け上がっていく彼女を後ろから追うところも、ジッとしていられないほどの嬉しさをアクションだけで示してみせる名シーンと言えるでしょう。しかも、あの階段にはもはや先がないんですよね。まさにジャンヌがこれ以上ない高みに上り詰めた瞬間であり、後はもう落ちるしかないのだという隠喩にもなっていたように思います。

(c) Stéphanie Branchu - Why Not Productions
王室や貴族の儀式や風習が様式化しすぎて堅苦しいにも程がある様子を、ジャンヌは部外者として天真爛漫に揺るがしていくところは痛快だし、往々にして実はコミカルな描写も多いんですね。でも、その笑いや痛快さを後の哀しみにつなげていく手際もお見事でした。一方で、ジャンヌがその波乱万丈の人生において、実際のところ何を求めていたのか、その時々で自分の現状をどう位置づけていたのか描ききれていないように思われるフシがあったのは残念でしたかね。
 
とはいえ、価値ある作品です。18世紀フランス宮廷ものとしても、ジョニー・デップ3年ぶりのスクリーン復帰作にしてはまり役としても、そして何よりマイウェンという日本ではまだまだ知名度の低い大いなる才能に触れるきっかけとしてもオススメします(配信でもいいから、どっかのチャンネルでマイウェン作品回顧上映企画とかやってくんないかなぁ)。
この作品において、マイウェン監督は音楽にお涙頂戴は入れない、映像のサポートではなく、音楽が映像と対比するようなものが必要だとして、コンポーザーに依頼をしたとのことで、実際のところ見事な仕上がりでした。そこは映画で楽しんでいただきつつ、僕はフランスのポップソングをお送りしました。

さ〜て、次回2024年3月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『コヴェナント 約束の救出』。監督はガイ・リッチーなんですよ。なんでも、アフガニスタンを舞台にしたドキュメンタリーを観て映画を撮ろうと思ったそうで、社会派の作品になっているらしいですね。ガイ・リッチーをそこまで駆り立てた出来事に注目します。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!