京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『蜜蜂と遠雷』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月26日放送分
映画『蜜蜂と遠雷』短評のDJ'sカット版です。

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新人ピアニストにとって、世界で活躍できるか、その登竜門となっている芳ケ江国際ピアノコンクール。その予選会に集った4人を追った、音楽群像劇です。同じくピアニストだった母親の死をきっかけにピアノが弾けなくなった天才少女、栄伝亜夜は7年ぶりに出場。優勝候補は、かつて栄伝と一緒にピアノを習い、現在は名門ジュリアード音楽院に在学しているマサル・レビ=アナトール。楽器店で働きながら、生活者の奏でる音楽を構築したいと意気込む年齢制限ぎりぎりの高島明石。そして、最近亡くなった著名なピアニストの推薦状を持って風のように現れた謎の少年、風間塵。映画は予選から本戦までを描きます。

蜜蜂と遠雷(上) (幻冬舎文庫)蜜蜂と遠雷(下) (幻冬舎文庫)

原作は、直木賞本屋大賞をダブル受賞して話題を作った恩田陸の同名小説。監督・脚本、そして編集まで手掛けるのは、ポーランドで映画作りを学んだ俊英、『愚行録』の石川慶。キャストは、栄伝亜夜を松岡茉優マサル森崎ウィン、高島を松坂桃李が演じます。他に、斉藤由貴平田満鹿賀丈史臼田あさ美ブルゾンちえみ片桐はいりなどが出演しています。
 
去年の10月4日、公開されましたが、当時はおみくじが当たらず、今回配信でリベンジ。僕はポイントをこれでU-nextの持てるポイントを使い切ってレンタルして、先週金曜日に鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

 

世の中には、「映像化不可能と言われた」とか「奇跡の映像化」とかいった常套句がありますが、この映画の場合は、それに加えて、「渾身の音楽的再現」なんて言葉も欲しいところです。残念ながら仕事に追われて、原作をこの機会に読むことはかないませんでしたが、ハードカバー、上下段に分かれて508ページもあるわけです。まずそれを2時間の尺にまとめるにあたってのエピソードの取捨選択が必要になる。それだけでも大変なのに加えて、劇中で演奏される曲の再現も必要です。ここ半年の間だと、『マチネの終わりに』という僕も高く評価した作品があって、あれも小説では文字で表現されていたものを映画ではもちろん聴かせないといけない難しさがありましたが、言ってもあちらはクラシックギターのソロで、演奏はひとりだったのに対し、こちらは4人のピアニストそれぞれの特性を素人にも察することができるレベルで再現できる演奏者が必要で、しかもオーケストラとのコラボレーションまである。『春と修羅』という、小説の中にしかなかった架空の作曲家の作品を映画独自に作曲する必要もあった。これは気の遠くなる作業ですよ。撮影に取り掛かる前に準備すべきことがありすぎる。しかも、下手を打つと、原作ファンが黙っちゃいない。リスクが高すぎる。作曲家、本物のピアニストたちのキャスティングも打ち合わせも入念にしなくちゃいけないし、もちろん俳優たちのキャスティングも。しかも、謎の天才少年、風間塵を演じた鈴鹿央士という、言ってもまだ新人にも主役レベルの存在感を与えられるよう演出しないといけない。脚本、監督、編集と、まさに大車輪の活躍を見せた石川慶はとんでもない才能だし、映画的野心家です。

マチネの終わりに (文春文庫)

原作者の恩田陸に言わせれば、この小説は「ほとんどが心理描写」なんです。映画にとって厳しいですよ。ナレーションや独白も入れられるとはいえ、映画は登場人物の心理を表情も含めたアクションに潜ませる表現です。その意味で映画とは相性の悪い原作に思えるものを、石川監督は真正面から音楽で突破しようと企んで、それに成功しています。小説とは違って、本当の演奏を聴かせられるのだから、その音の流れに、指の運びに、そして演奏している(ように見える)役者の動きに、それぞれの感情を反映させています。つまりは、どのキャラクターにも特徴があって、まだ若手なので未熟さもあって、それがコンクールの間で変化していく。その様子を純粋に楽しむことができる映画なんです。そんな体験はなかなかないです。

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(c)2019 映画「蜜蜂と遠雷」製作委員会
もちろん、コンクールなわけですから、誰が優勝するのか、その結果が大きなサスペンスとして観客の興味をテンポ良く強く引っ張っていく。そんな音楽青春映画、だとまとめることもできるんですが、僕に言わせると、それではこの映画を説明したことにならない。群像劇ですから、それぞれの背景や立場、コンクールにかける想いや、それぞれの関係性とその変化が描かれます。普通はですね、ドラマとして盛り上がるように、ライバル心をむき出しにさせてみたり、何か不正を企てさせたり、恋愛要素を入れてみたり、するものですよ。なんなら、音楽はそこでBGMに後退して、その関係性そのものが前景になるものです。がしかし! この作品は違う。あくまで音楽なんです。潔く、音楽です。それぞれに悩み、もがく4人が、互いに響き合って、誰かを蹴落とすんではなく、それぞれの理想の音楽を奏でる。ただ、それだけです。それがかくも面白いのが画期的なんです。遠くで鳴る雷を察知する才能に恵まれた4人は、その能力を努力で研ぎ澄ませ、世界をすぐれた音楽で満たす。この世界に向き合う。恩田陸は、小説のエントリーでこう書いています。「明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音符」だと。若きピアニストたちが、ひとりひとり世界を祝福する様子は、観ているだけで幸せな気分になるんです。
 
蜜蜂、そして遠雷という比喩、メタファーも、妙に説明的にならず、映画独自だと思いますが、馬の映像も手際良く挟みます。挟むと言えば、フラッシュバックで過去の場面もいくつか入りますが、それも必要最小限で品があります。こちらの解釈の余地を残しています。そして、何度か、あっと驚く映画ならではの仕掛けも用意されていて、たとえば、演奏中のグランドピアノの天板に過去の映像が映り込むとか、ハッとさせられました。といったように、これは小説とは適度な距離を取った、言わばシネマティック・ディスタンスをキープした健全な映画化です。はっきり言って、この映画を観ても、小説を読む喜びは減じないでしょう。

砂の器 デジタルリマスター版

特に、ラストの鮮やかさにはしびれました。朝日新聞編集委員の市川速水さんが論座というサイトで言及していて、僕も同じように思い出した映画は、野村芳太郎監督、松本清張原作、74年の『砂の器』です。同じように、オーケストラで大団円を迎えます。あの日本映画史に残る作品を思い出させる。内容はまるで違う、下手すりゃ、正反対なんですが、オーケストラシーンの余韻と解放は、勝るとも劣らないのではないでしょうか。惜しむらくは、家ではなく、蜜蜂の羽音すら聞き取れるような、映画館で観たかったことでしょうか。
サウンドトラックからお送りしたのは、松岡茉優が演じた栄伝亜夜の演奏を再現した河村尚子さんのピアノで、ドビュッシー『月の光』でした。


さ〜て、次回、2020年6月2日(火)も、まだ引き続き「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『閉鎖病棟-それぞれの朝-』でした。精神科病棟を題材にした作品。実はイタリアは公立の精神科病院をとうの昔に廃絶した国でして、僕はこのテーマ、かなり関心があり、同様のテーマのものをそこそこ観ています。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『アナと雪の女王2』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月19日放送分
映画『アナと雪の女王2』短評のDJ'sカット版です。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.
雪と氷に覆われたアレンデール王国に太陽が戻った前作の終わりから3年。氷や雪を操る魔法の力を持つ女王のエルサ。そして、持ち前の明るさで周囲から慕われる妹のアナ。ふたりとも、平和な日々を過ごしていました。そこへある日、エルサには、北の方から、自分を呼ぶような、不思議な歌声が聞こえるようになります。なぜ呼ばれているのか。エルサは妹のアナ、そのフィアンセのクリストフ、トナカイのスヴェン、そして雪だるまのオラフと一緒に、アレンデールから出た旅は、エルサの魔法の力の秘密を解明し、アレンデールの過去が明るみに出る冒険でもあったのです。

アナと雪の女王 (字幕版) アナと雪の女王2 (字幕版)【レンタルできるのはデジタルだけ!レンタル開始4/22】

 脚本と共同監督には、ジェニファー・リー。もうひとりの監督は、クリス・バック。どちらも前作から続投となっています。男女、ベテランと、2010年代に活躍を始めたコンビですね。声の出演は、エルサをイディナ・メンゼル、アナをクリステン・ベル、日本ではそれぞれ松たか子と神田沙也加など、続投しつつ、オラフはピエール瀧から武内駿輔に変更されています。

 
前作で『Let It Go』を手掛けてアカデミー歌曲賞を獲得したロペス夫妻が、今回は『Into The Unknown』を書き下ろして、またしても歌曲賞にノミネートとなりました。
 
ブルーレイとDVDがちょうど先週リリースされたところですが、僕はポイントを使ってU-nextでレンタルして、吹替版を鑑賞しましたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

言わずとしれた大ヒット作にして、評論家受けもかなり良かった前作。魔法に象徴される特殊能力があるがゆえに共同体に馴染めず、私はこれでいいのかと悩んでいた姉のエルサがLet It Goとありのままの自分を肯定して、すったもんだの果てに王位に収まりました。自分とは違うかもしれないけれど、というか、そんなことお構いなしに姉を無邪気に愛し、恋人クリストフとの仲もそれなりに順調なのかというのが、妹のアナ。アナはアナで、ディズニーのクラシックなプリンセス像を踏襲するかに見えて乗り越えていくという役柄で現代的でした。これでもういいじゃないかと。確かに表面的にはそうだったんですが、いくつかのテーマは今考えると宙に浮いていたとも言える。そうはっきり伝えてくれる続編となっていまして、その意味で、商業的な要請で付け足したような続編よりも、よっぽど気が利いている、というよりもむしろ、必要なお話だと言えます。
 
そのいくつかのテーマに触れていきましょう。まずは、エルサが感じていただろう、女王としての玉座の微妙な座り心地の悪さです。これはディズニーのおとぎ話なので、魔法が使える人が出てくることそのものはみんなそこまで違和感なく受け入れたわけですが、妹にも、前の国王である父にもそんな能力はなかったわけで、なぜ自分だけがこうなのか。そのアイデンティティは判然としなかったし、前作での氷の城に閉じこもる時の吹っ切れた姿も僕らは観ていただけに、最終的にあっさりシステムに取り込まれてしまったという印象もありました。そこに、どこかから自分を呼ぶ声が聞こえる。そうしてルーツを確かめに行く、Into The Unknown、未知の本来の自分の使命を突き止めに行くことになるわけです。さらに、彼女は王家の娘ですから、それがアレンデールという国そのものの立ち位置にも影響してくる。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.

ここで浮上するのが、もうひとつのテーマである国家のあり方です。今のアレンデールは、かつて敵対もしていたノーサルドラという民族との和睦があって成り立っているのだということが、前半で明らかになります。ノーサルドラは、近代国家というよりも、自然ともっと密接な関係を持った、アニミズム的な先住民と理解して良いんだろうと思います。モデルとなったのが、実際の北欧の先住民、サーミ人。リスナーのeigadaysさんが昨日リンクをツイートしてくれていましたが、日本ではアップリンクが『サーミの血』というドキュメンタリーを配給していて、配信でも観られるそうです。ともかく、先住民と近代国家の衝突、紛争、軋轢、融和というのは、世界中で行われてきたことで、なんとアレンデールにも負の歴史のあったことが判明するわけですね。

サーミの血(字幕版)

なんて具合に、個人と国家のアイデンティティとルーツという、かなり壮大なテーマになってきたのがアナ雪2。結末には触れませんが、僕には大いに納得できる、きっちりどちらにも落とし前をつけてみせた、すごい話だなとは思います。僕もアイデンティティが決してスタンダードでないだけに、なんか胸のつかえが下りた感じのする幕切れ、だとは思います。

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©2019 Disney. All Rights Reserved.

って、含みがあるでしょ? ただ、正直なところ、前作以上にスピリチュアルで観念的な話になっているせいで、オラフやクリストフが狂言回しとしてどんどん笑いは取ってきますが、すんなりとは飲み込みづらいところも多いです。特に、話が大きく動くところが、とにかく精霊だ水の記憶だってことばかりなんで、魔法にかけられたというよりも、なんか僕には肩透かしで、舞台となる、アレンデール、魔法の森、アートハランなどの位置関係など、空間の描き方がぼんやりしていて、かなり掴みづらかったので、2回観ました。圧倒的に2回目の方がわかり良かったのは、僕の方がぼんやりしていたから、だけかなぁ。
 
ともあれ、内容も表現そのものもかなり攻めていながら、これだけの成功を収めるというディズニー10年代の金字塔なのは間違いありませんので、ソフト化もされたこの機会に、未見の方はぜひご覧ください。
奇しくもこのコロナ禍を踏まえると、「未来が見えなくなった時には、今できること、それも正しいことをする」というトロールのパビーのセリフには納得させられるものがありました。最後になりますが、橋を架けるという、このご時世ますます大切になっている価値観を、見事に体現してみせたエルサとアナのふたりに乾杯ですよ。そう、橋を架けるにはふたつの場所が必要なんだもんなぁと、感じ入ったしだいです。

さ〜て、次回、2020年5月26日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、これもついにという感じの『蜜蜂と遠雷』でした。音楽映画としての評価がかなり高いですよね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『シャザム!』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月12日放送分
映画『シャザム!』短評のDJ'sカット版です。
幼い頃に迷子になり、孤児となってしまったビリー。里親と信頼関係を構築できず、あちこちを転々としながら14歳を迎えています。彼が今回新たに一員となったバスケス夫妻の家族には、他に何人もの孤児たちが集うグループホームでした。彼はある日出会った謎の魔術師に力を授けられ、内面はそのまま、外見は大人のスーパーヒーロー、シャザムに変身できるようになります。次第に仲良くなりつつあったグループホームの義兄弟フレディと一緒に、その力を試していたところ、ビリーの力を我が物にしようとする科学者シヴァナが現れ、フレディは連れ去られてしまいます。

アナベル 死霊博物館(字幕版)

DCコミックス原作のアメコミを映画化したものが世界観を共有するDCエクステンデッド・ユニバースの7作目として、去年4月に公開された今作。シャザムを演じたのは、MCUの「マイティ・ソー」に出演していたザッカリー・リーヴァイ。シヴァナは、キングスマンシリーズのマーク・ストロングが担当しています。監督は、スウェーデン出身のデヴィッド・F・サンドバーグ。『アナベル 死霊人形の誕生』など、ホラーで成り上がってきた人で、81年生まれ、長編3本目にしての超大作抜擢です。
 
僕は先週土曜日にNetflixで鑑賞しました。福田雄一演出の吹替版が物議を醸したんですが、今回はややこしいので、そこには触れず、字幕のみ鑑賞という前提で短評します。それでは、今週の映画短評いってみよう!


 「見た目は大人、中身は子ども」っていうコピーはなるほどその通りだしやっぱり面白いと思いつつ、妙な既視感が付きまとったんですが、昨日読売テレビに行って理由がわかりました。名探偵コナンなんですよ。結論、『シャザム!』はコナンである。っていくらなんでも雑な話ですが(そもそも逆だしね、逆。)、共通している要素もあります。特殊能力の設定もそうですけど、特に仲間で一緒になって敵に向かっていくってのは、似通っているんじゃないでしょうか。

 
ただし、本作のひねりが効いているのは、ビリーとその仲間たちが、孤児たちの共同体で、血こそつながっていないものの、立派な家族であるということ。帰属意識がなく、やさぐれていた孤独な少年ビリーがいかにしその内面の大人の階段をのぼるのか、そのジュブナイルものという見方もできます。そこで物語上大切になるのが、シヴァナというヴィランの存在と、初めて構築することになるファミリーの絆。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

まずはシヴァナですが、あの人はこれまたかなり気の毒でしたよ、僕に言わせれば。映画の冒頭で示される1974年クリスマスのできごと。シヴァナもまた、ビリー同様、幼い頃に魔術師のもとへ召喚されていたんですよね。ビリー同様、彼もまた孤独を感じていたわけです。シヴァナには家族がいたんだけれど、車に同乗していた父と兄からはできそこない呼ばわりされていて、バカにされ、要は血はつながっているのに心のつながりが薄い状態です。さらに気の毒なのは、彼を呼び出した魔術師から、簡単に言えば「君じゃなかった」みたいなことになるわけですよ。そ、そんなぁ! で、まぁ、表面的にはシヴァナのせいとも言える車の事故が起こる。そりゃトラウマにもなるっていうか、あんな妙なヒゲの魔術師に否定されたら、人間ダメになりますって。で、実際に魔術師の力を受け継ぐ存在への嫉妬を燃え上がらせて、邪悪な存在へと堕ちてしまいます。
 
一方のビリーは、あっさり力を受け継ぐんですが、中身は思春期そのものなんで、力を得るなり思いつく限りのバカをためつすがめつ実行に移して、僕らを笑いの渦に巻き込みます。その小ネタはもう見てのお楽しみですよ。街ですれ違う人のスマホを頼まれもしないのに充電してあげたり、ストリップに行ってみたり。どれも必要以上に引っ張らずにサクサクとリズム良く、そして音楽もあちこちで効果音的にスパッと使っているのが今っぽいし、ニクいなぁと感じるところでしょう。で、このビリーの顛末って、シヴァナがかつて望んだものでもあるわけですよね。構図がシヴァナと逆。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

ビリーはかつてはぐれた母を探しに探して疑似家族に巡り会います。血の通った母へと誘ってくれるのも義兄弟たち。知恵を授けてくれました。で、気づけば、彼ら彼女ら人種も年齢も趣味もバラバラな義兄弟とこそ、本当の絆を育んでいく。これ、ことごとくシヴァナに縁のなかったものですよね。シヴァナの周りには7つの大罪の魔物たち。ビリーの周りには愛おしい仲間・家族たち。そしてこの両者の全面対決へというくだりで、SHAZAMという言葉の意味も明らかになってきます。要は、彼ら義兄弟それぞれに与えられた力の名前の頭文字を合わせると、シャザムになる。ってのは、はっきり言って描写がおざなりっちゃおざなりです。なおかつ、シヴァナとビリー、力が与えられるかどうかの資格のようなものの違いについてもぼんやりしているため、僕のようにシヴァナがだんだん不憫に思えてくる人がいてもしょうがないのでは?と思ってしまいました。ただ、続編もありそうだし、不憫なヴィラン、理のあるヴィランは物語を豊かにしますから、不憫でもいいっちゃいいんですけどね。

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© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc.

それにしても、あの魔物たちのグロテスクな登場の仕方や音の使い方なんかには、ホラー出身のサンドバーグ監督らしいアイデアが光っていたし、全体として、メッセージも含めて、僕は満足しました。何より、とにかくユニバースが複雑っていうマーベルに対して、それぞれのつながりよりも単体として楽しめることを優先したDC、この方向性は間違っていないと素直に感じられる1本でした。
大人になんかなりたくないよってことでしょうかね。主題歌をお送りしました。とにかく今作には、かなりのロック、ポップスが使われていて、サンプリング感覚で効果音よろしく一瞬だけ鳴ったりします。それをひとつひとつ確かめるのも楽しいですよ。フィラデルフィアが舞台だからと、あの階段を使っての『ロッキー』パロディーもあったし、小ネタはもう枚挙にいとまがありません。


 さ〜て、次回、2020年5月19日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕がついに引き当てたのは、『アナと雪の女王2』でした。公開当時も、配信開始してからも、何度となく候補に上がり続けいたものの当たっていなかったアナ雪。いよいよ僕もイントゥ・ジ・アンノウンですよ。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『エクストリーム・ジョブ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 5月5日放送分
映画『エクストリーム・ジョブ』短評のDJ'sカット版です。

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日夜身体を張って走り回っているわりには、どうにも成果が出せず、解散の危機に瀕しているのが、コ班長率いる警察の麻薬捜査班。国際犯罪組織による国内麻薬密輸入情報を掴んだ班長は、起死回生だとばかりに、チャン刑事、マ刑事、ヨンホ、ジェフンという個性豊かなメンバー4人と潜伏捜査を開始。24時間の監視徹底をするため、犯罪組織のアジト前にあり、組織の連中もよく注文していたフライドチキン店を買い取った麻薬捜査班だったが、調理にあたったマ刑事の思わぬ腕前で、捜査もままならないほど店が繁盛してしまう。肝心の捜査の行方は? 韓国のアクション・コメディです。

サニー 永遠の仲間たち(字幕版)

日本でリメイクされた『サニー 永遠の仲間たち』の脚色を担当したイ・ビョンホン監督がメガホンを取った今作。キャストには、韓国を代表する俳優たちが揃いました。『7番房の奇跡』など大ヒット作に数々出演してきたリュ・スンリョン、ノーメイクでスクリーンに登場したスターのイ・ハニに加え、犯罪組織のボスを演じたシン・ハギュンなどが拝めます。
 
韓国では2019年1月に公開され、観客動員数はなんと1500万人。興行収入は『アバター』を抜いて歴代1位を記録しました。北米でもヒットしまして、ハリウッド・リメイクも決まる中、日本では今年1月3日に公開されました。
 
まだ公開から間がない中で、現在期間限定先行配信中。各プラットフォームで1200円という均一価格で配信される中、僕は先週土曜日、U-nextで鑑賞いたしました。それでは、今週の映画短評いってみよう!
作品ホームページには、「揚げる大捜査線」なんて、どっかで聞いたパロディーのキャッチコピーが踊っていますが、なんならそのパロディー元の本家以上に血湧き肉躍る、笑いまくりの、観客が「アガる大捜査線」でもあります。潜入捜査もの、そしてスラップスティックなコメディー、両方のジャンルを多少強引にでもオイルポットに放り込み、チキンと、違う、きちんと独自の味付けを施していて、もう唸ってしまいました。
 
監督のイ・ビョンホンはさすがは『サニー』を脚色しただけあって、人数の多いキャラクターの色分けがお上手。麻薬捜査班だけでも5人いて、あのチキン屋の親父、犯罪組織のボス、子分たち、チキン屋の近所のおばさん、さらには班長の家族と、誰一人混同したり忘れられないように気を配って演出してあります。その意味で、今回当たったのが韓国映画で見慣れていないとか、俳優を誰も知らないし、どうかなぁなんて人は、もったいなさすぎます。ポチッとなと再生すれば、もう2時間ノンストップで楽しみ放題なんですから。

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だいたい、本分を忘れて何かに夢中になるって面白いじゃないですか。僕もよくあったなぁ。学生の頃はバイトに精を出しすぎて勉強しなくなったもんだとか、最近多いメッセージだと、自粛生活で自宅を断舎離し始めたのはいいけれど、出てきた漫画を読みふけってしまい、気がついたら始める前より部屋が散らかってるみたいな。この映画の主人公達の場合は、そもそもうだつのあがらないチームなんですよ。手柄が一向にあがらない。そのダメっぷりと、ケセラセラでは済まないレベルのやらかしを、冒頭のつかみでテキパキまとめてられています。その前提があるので、彼らがデカいヤマを当てたいばかりに、ギャングたちのアジト近くのチキン屋を買い取ってしまうというバカげた行動も、何となく飲み込めてしまうんですね。そんでもって、まさかの店の大繁盛っぷりと、捜査の進まなさっぷりがもう逐一面白い。しかも、身分を隠すために家族経営だなんて嘘をついたもんだから、その後に繰り出さざるをえなくなる嘘の上塗りも笑えちゃって、もう観客は忙しいこと。そんなこんなであっという間に一時間。ポイントは、映画自体も、物語を進めるという本分を忘れていること。そこ一致させるんだっていうアイデアがすごい。そして、そっからの後半の巻き返したるや! ほら、気がついたら脇道にそれてしまっていた時って、みんな慌てて取り戻そうとするでしょ? あの感じが後半です。

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彼らはミッションを達成できるのか。まさかのチキン屋全国拡大に恋の鞘当てにお決まりの港での逃げる逃走、戦う闘争まで盛り込みます。こうした脚本の妙に加え、イ・ビョンホン監督は要所要所でCMっぽいシズル感のあるキメの構図や、インチキ・マカロニ・ウェスタン、あるいはジョン・ウー的なスローを挟むんだけど、すっかり見慣れた麻薬班の面々を改めてクライマックスでひとりひとり紹介する時を思い出していただきたい。最後の最後で明らかになる、彼らのさらなるぶっ飛び能力の数々と、それまでの不甲斐なさがあったから生まれるギャップの笑い。かっこいい絵なのに爆笑してしまう。そして、最後の一騎打ちは、『紅の豚』のラストばりの、情けなさ(笑)

 
こういう話って、普通は職業の矜持を見せつけて、やっぱり彼らはこうでなくっちゃって思わせてまとめるんですけど、この映画のすごいところは、行き詰まったら別の仕事もあるって提示しちゃうところでした。しかも、それを庶民の貴重なタンパク源鶏肉でやってのけるという。そして、余韻はカラッと爽やか。イ・ビョンホン監督、そして演技の超達者な皆さんの仕事こそがエクストリーム・ジョブでした!!!
 
曲は、トーキング・ヘッズのヒット『Psycho Killer』を下敷きにしたパロディーとして、こちらをオンエアしました(笑) パロディーにはパロディー、笑いには笑い、鶏には鶏での対応でございました。それにしても、なんちゅう曲や! となっていただけたとしたら、結構結構、コケコッコー!

さ〜て、次回、2020年5月12日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『シャザム!』でした。また笑える感じになるのかしら。見た目は大人、中身は子どもの異色のヒーローもの。配信で楽しんでみます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『新聞記者』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月28日放送分
映画『新聞記者』短評のDJ'sカット版です。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
東都新聞の記者、吉岡エリカは、日本人の父と韓国人の母の間に生まれ、アメリカで育ちました。彼女はある理由から、言葉の壁をよじ登るようにして、強い意志と情熱を持って勤務しています。そこへ届いたのは、医療系大学の新設に関する極秘情報が記された匿名のFAX。彼女は真相を探るため、調査を開始します。一方、内閣情報調査室の官僚、杉原は、現政権に関する不都合なニュースをあの手この手で統制する職務に就いてるのですが、その内容に違和感を覚えて葛藤するものの、妻との間にそのうち生まれる子どものこともあり、その違和感を押し殺すように仕事をしています。外務省からの出向である彼は、ある日、元上司の神崎と再会するのですが、その神埼に事件が起こります。なぜこんな事に… 政権側で悩む杉原と、その闇に光を当てようとする吉岡記者の人生が、交錯していきます。
 
東京新聞記者の望月衣塑子(いそこ)が2017年に角川新書から出したノンフィクション、エッセーを原案にしたオリジナルストーリーで、監督と共同脚本を手掛けたのは、86年生まれと若い藤井道人(みちひと)。日大映画学科出身の方ですね。

新聞記者 (角川新書)

吉岡エリカをシム・ウンギョン、杉原を松坂桃李が演じたほか、本田翼、西田尚美高橋和也田中哲司なども重要な役どころで登場します。さらに、劇中、テレビで放送されている座談会には、原作の望月衣塑子や、元官僚の前川喜平も出演しています。
 
公開は2019年の6月28日。日本アカデミー賞では、最優秀作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚本賞編集賞と、もう独壇場という評価を獲得しましたね。課題作になっていなかったこともあって、恥ずかしながら完全にスルーしていたこの作品。僕は先週金曜の夜、U-Nextのオンラインレンタルで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

事実として、日本アカデミー賞を事実上独占したわけですから、どうしたって、それほどの作品なのかって思って目を凝らして観てしまいました。なるほどこれはすごいと思ったところと、なぜこんなことになったのかと首をかしげる決定的なところもあった。ざっと言えば、そんなところです。
 
まず、やはりテーマの踏み込みには驚かされますよ。この物語をたどれば、加計学園問題のことや伊藤詩織さんレイプ事件のこと、そして前川喜平氏の出会い系バーへの出入りというスキャンダル、さらには森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書改ざんに関与して自殺した近畿財務局職員赤木俊夫氏のことを思い出さない観客はいるのだろうかってくらいに、今現在も未解決のままになっている事件を明らかに思わせる出来事が次々出てきます。それをエンターテイメントとして見せるのは勇気のいることです。まずこの映画を成立させ、しっかりヒットさせたことをもってだけでも、プロデューサーの高石明彦さんはすごいと思います。ただでさえ社会派と言われる映画が集客の観点から作られることが少なくなる中でのことですから。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
これはバランス感覚として優れていたと思うのは、権力の中枢、ここで言えば、総理大臣や閣僚といった政府の人間は描かなかったこと。そもそもキャスティングすらできないだろうとは思いますが、描かない怖さ、ブラックホールのような怖さを醸せますから。そして、真実を暴く記者と権力の犬としての官僚というような、単純な善悪の色分け、二項対立にしなかったのも良いです。吉岡とその同僚や上司とのやり取りってのは、かなり現場の雰囲気に近いんじゃないでしょうかね。手柄の取り方も含めて。そして、新聞記者のそりゃダメだろうって側面も描けていました。一方、内閣情報調査室の雰囲気は、取材不足が目立ちます。というか、取材には限界があるでしょう。本当にTwitterや政府寄りのメディアへのリークを内調そのものが実施しているのかどうか、それは僕にもよくわかりません。ある程度はやっているにしても、形式上は民間に委託をしてそこを隠れ蓑にするんじゃなかろうかって考えちゃいますけど、とにかくわからんのならと、そのわからないベールに包まれた不気味な印象を映像でそのまま可視化する様子に、その手があったかと感心しました。他にも、時折入れる高い位置からの見下ろし、俯瞰ショットも恐ろしくて効果的だったと思います。
 
一方、演出と話運びのバランスで、2点、言いたいことがあります。ひとつは、映画の中で問題となっている医学部新設の裏の目的です。フィクションなのだから、あれくらい風呂敷を広げるのはありだという見方もできるかもしれませんが、僕には突拍子もないものに見えてしまって、急に作り事が出てきたって思えてしまいます。設定そのものというより、設定を観客に分からせるまでのプロセスが描けていないので、荒唐無稽に思えるんです。もうひとつは、現実の望月記者や前川氏が出演している劇中テレビ番組が、やはり浮いています。1度ならまだしも、複数回出てくると、むしろノイズです。映画の中の世界の現実が、現実の世界を如実に示す。それでいいのに、妙に現実を挿入するから、チグハグなことになります。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
ただ、そうした欠点を踏まえても、僕は意義のある1本だったと思います。キャストのがんばりも総じて良かったですよ。松坂桃李は煩悶させると絶品だし、シム・ウンギョンは吉岡記者の設定で解せない部分もあれど、やはり表情などはすばらしく上手い。そして、内調のボスである田中哲司の鉄面皮具合がたまりませんでした。その対比としての出産を控えた本田翼の不安の希望の入り混じったイノセントな表情。やがては西田尚美演じる神埼の妻のように疲れ果てるなんてことにならないで〜って観ていました。

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©2019「新聞記者」フィルムパートナーズ
最後に付け加えたいのは、田中哲司松坂桃李に言った「君にも子どもが生まれるんだろう」というセリフの怖さです。いくつか家族が出てきますが、その家族のために仕事をするあまり、家族を破壊することになるという構図で思い出したのは、最近でいうとスコセッシ監督のNetflix映画『アイリッシュマン』。要はマフィア映画です。権力とその忖度がいかに個人も社会も貶めることになるのか。それ自体は紛れもない事実でしょう。
OAUの歌うこの主題歌は、歌詞の内容が物語の余韻と溶け合って、素晴らしかったと思います。あれからそれぞれのキャラクター、特に杉原はどういう選択をするのか、想像しながら聴いていました。


さ〜て、次回、2020年5月5日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『エクストリーム・ジョブ』でした。1月に公開されて、現在は期間限定先行配信中のこの作品。配信料金が1200円と少々お高いんですが、高い評判を聞くにつけ、その価値はあるでしょ。昼はフライドチキン店で、夜は麻薬潜入捜査官とか、面白いに違いない。そして、おいしいに違いない。そりゃ映画館で観るのがベストですが、家ではフライドチキンを食べながら観られるってのも、この際の利点としましょう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『コロナの時代の僕ら』訳者インタビュー

どうも、僕です。野村雅夫です。新型コロナウイルスの感染があれよあれよと拡大した、僕の生まれた国イタリア。毎朝のFM COCOLO CIAO765で紹介できそうな記事を日本の各紙でチェックしつつ、イタリアのメディアの報道や、あちらの友人や親戚がSNSで発信する情報に目を配っていましたが、膨れ上がる感染者数と死者数に目がくらむような感覚に陥る一方、向こうのラジオの陽気さに少し安堵もしつつ、簡単に言えば、僕は軽く混乱していました。

 

もっと冷静に、現状を分析した文章はないものか。そんなことをぼんやりと考えていた矢先、僕の好きな作家のひとり、パオロ・ジョルダーノが書いたエッセーが評判を呼んでいるらしいと、今月上旬に知りました。読みたいなと思いながら、例によって、目の前の仕事にかまけていたところへ、しばらくすると、局内でも話題にのぼるようになり、聞けば早川書房が日本での翻訳権を獲得して緊急出版するというではないですか。題して、『コロナの時代の僕ら』。もしかして、話題の小説をどんどん訳している、現地在住の翻訳家、飯田亮介さんの仕事ではないか? 飯田さんはこれまでもジョルダーノの小説を訳してきた方だし、間違いなく信頼できる。編成部のスタッフが早速早川書房の担当編集者に連絡を取って出版前の文章を取り寄せてくれたのです。4月10日から48時間限定で全文公開された数日前のことでした。急いで読むと、数学の専門家でもあるジョルダーノの抑制の効いた、それでも熱を帯びた実直な文章は、染み入るように僕の頭に入ってきて、特に今後を見据えたあとがきには心打たれるものがありました。 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

 ジョルダーノ本人へのインタビューは難しくとも、飯田さんなら、面識はないけれどTwitterで相互フォローしているし、時差の関係で生出演は無理だろうけれど、もしかするとメールでのインタビューなら引き受けてくれるのではないかとアプローチしました。日本で本の出る前日、4月24日(木)にリスナーに向けて改めて本書のことをアナウンスして、週末に飯田さんとやり取りをし、今日27日(月)、僕が質問と答えの双方を読み上げる形でリスナーに披露しました。ただ、FMラジオの生放送ですべてを紹介するには時間が足りず、なおかつ、声に変化がないので伝わりづらいところもあったかもしれないなと、飯田さんの許可を得て、ここに僕らのやり取りの全文を公開することにしました。ぜひ、『コロナの時代の僕ら』と合わせて、お読みください。

 

と、その前に、飯田さんの略歴を訳書から引用します。

イタリア文学翻訳家。1974年生まれ。日本大学国際関係学部国際文化学科中国文化コース卒。中国雲南省雲南民族学院中文コース履修。イタリア・ペルージャ外国人大学イタリア語コース履修。訳書にジョルダーノ『素数たちの孤独』『兵士たちの肉体』、フェッランテ『リラとわたし』(以上早川書房)他多数。

インタビューの内容の前に、大きな被害を受けて苦しんでいる街、ミラノ近郊、ベルガモ出身の歌手、ロビー・ファッキネッティがリリースしたこのチャリティーソングをオンエアしてから、本の概要を早川書房のサイトから引用して紹介しました。

本書は、イタリアでコロナウイルスの感染が広がり、死者が急激に増えていった本年2月下旬から3月下旬に綴(つづ)られたものです。感染爆発を予感しながらも、最悪の事態を阻めなかったみずからとイタリアの人々、そして人類のふるまいを振り返る、著者の思考と後悔の記録です。

僕らはどこで、何を間違ってしまったのか? 図らずも到来してしまった「コロナの時代」をいかに生きるべきか? 日本の私たちにとってもけっして他人事ではない、とても重要な記録であり、思索です。

以下に27の短いエッセイへのリンクを貼ってあります。お時間のない方はぜひ最後の「著者あとがき」(公開継続中)だけでもお読みください。編集部のおすすめは3章「感染症の数学」、5章「 このまともじゃない非線形の世界で」、27章「日々を数える」ですが、もちろん1章の「地に足を着けたままで」から順番に最後まで読んでいただくのがベストです。

 

ーパオロ・ジョルダーノのイタリアにおける評価と作風を教えてください。

 

勉強不足で、彼のイタリア文壇におけるポジション、現在の評価、などはいまひとつわからないのですが、小説家としてはいまだに、「あのベストセラー『素数たちの孤独』のジョルダーノ」、「史上最年少でストレーガ賞」を獲得した作家、として紹介されることが多いようです。「素数」は2008年の作品です。以来、3作の小説作品があり、それぞれ高い評価を受けているようですが、ベストセラーの声は聞こえません。

 

文体としては静かでミニマルな文章を書く人、という印象があります。けれども冷たいわけではなく、きちんと血が通っている。世界の美しさも醜さもとてもよく見えている優れた観察者という感じでしょうか。静かな感じは村上春樹(あるいは村上が学んだという現代アメリカ文学)にも似ているかもしれません。

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)

素数たちの孤独 (ハヤカワepi文庫)

 

ーこのエッセイのスタートは、全国紙への寄稿で、その文章が相当数シェアされたということですが、それ以降は、単行本のための企画として書き進められたんでしょうか。一冊の本になるまでの経緯を教えてください。

 

COVID−19の流行が始まった時、イタリアでは世論が混乱していたために、自分の理解したことを世に伝えたい、政府の国民に対する指示の理由を数学的な観点から説明してみたい、として記されたのが2月20日の新聞記事でした。

 

そして、記事の原稿を書き上げた一週間後くらいから、COVID−19の流行を生んだ現代社会の諸問題をまとめておきたい、という使命感にかられ、本書の執筆にいたった、ということのようです。

 

記事に対する大きな反響もありましたが、今書いておかないと、こうしたことは流行の終了とともに、「のど元過ぎれば」でまた忘れられてしまうのではないかという危機感が強い動機となったようです。そして、元の記事の掲載された(そして今も作者がひんぱんに寄稿する)コリエーレ・デッラ・セーラ紙と、社会問題を新書(ブックレット)のかたちで昔から出してきたエイナウディEinaudi社が共同で企画、出版にいたったようです。

 

ただしイタリアでは現状、電子書籍しか出ていません。3月末にコリエーレ紙の付録として紙版もいちおうキオスクで販売されましたが、正式な紙版は今は5月まで予定がずれこんでいます。恐らくロックダウンにともなう印刷所の休業等の物理的な問題でしょう。

 

ーイタリア人が当初の文章を多数シェアしたのはなぜでしょう? 具体的には、どんな感銘を彼らは受けたのでしょう。

 

おそらく、ですが、ちょうど新型コロナウイルスの流行が今の日本と同じくらいの段階にあり、まだ真偽も不確かな情報が多数錯綜する中で、科学的な視点から、しかも一般の読者にもわかりやすいスタイルで現況をていねいに説明した点が支持されたのではないかと思います。どういうことになっているのか、どうしたらいいのか、が理解できたのでしょう。

 

ーこのパンデミックを戦争に喩えることを詐欺だとまで表現するあとがき。そのエモーショナルでいて冷徹な反省と未来へ向けた眼差しには心打たれます。忘れたくないこと、そして元に戻って欲しくないことのリスト。僕も作りたいなと思います。個人的にも、社会的な視点でも。飯田さんが訳していて、個人的にグッと来たところ、膝を打ったところなど、感じられた魅力を挙げてください。

 

今回の作品のリーディングの話が来たのは3月16日でした。その段階でPDFファイルで本文を読んだ時、その内容に感銘はしたのですが、じつを言えば若干のものたりなさも覚えました。というのは、本文に当たる日記的なエッセイが3月4日のもので終了していたのに対し、現実に僕たちは3月10日から全国ロックダウンに既に入っており、感染者数も大幅に増え、事態は作品の内容よりひとつ先の段階に進んでいたからです。

(*飯田さんのお答えにある「リーディング」とは、翻訳家にまず依頼されることの多い、レジュメや資料の作成、及び、作品の評価のこと)

 

数日後に正式に翻訳の依頼を受け、2週間ほどでいちおう脱稿しましたが、版元の早川書房でも、このままでは内容的にものたりないと思ったらしく、「作者へのインタビューをあとがきとして追加したい、ついてはインタビューをお願いできないか」と僕に求めてきました。

 

とは言われてもインタビューなど経験もなく、困っていたら、作者のエージェントから、訳者あとがきの参考になれば、とジョルダーノが最近書いた新聞記事がいくつも送られてきました。

 

そこで出会ったのが、この著者あとがきとなった3月20日の記事です。最初の数段落を読んだだけで、「完璧だ、これで決まりだ、これをあとがきにすれば、この本は完成する」と思いました。「流行が進み、ロックダウンが実行された今、作者はどんな気持ちで過ごしているのだろう」という、本文を読めば当然沸いてくる疑問、つまり、「今ごろジョルダーノは何を考えているのだろう?」への答えがそこに記されていたからです。

 

今の生活を当然、苦痛に感じながらも、あくまでも今後を見据え、過去を反省し、未来を想像するひとつの機会ととらえる作者の姿勢に、やはり何よりもはっとさせられました。

 

アメリカの同時多発テロ9.11の際に僕が出会ったイタリア人ジャーナリスト、ティツィアーノ・テルツァーニ(Tiziano Terzani)の『反戦の手紙』のメッセージにも通じる、「今、本当に伝えるべき言葉」の力を感じ、使命感さえ持って夢中で訳し、早川書房の編集者さんに回しました。すると即座に返事があり、あとがきとして掲載が決まったのです。

反戦の手紙
 

こういうめぐり逢いの体験は恐らく、一生にそう何度もできるわけではないと思います。この文章のどこに感動したか、と言われると困ってしまうのですが、「これは訳さなきゃいけない」、そう思える歴史的なメッセージを日本に伝える役割を担わせてもらった、そんな訳者冥利に尽きる感動がありました。それは言えると思います。

 

ーお住まいのモントットーネ村と、ジョルダーノの暮らすローマでは環境がまるで違うと思います。飯田さんが今忘れたくないことは何でしょう?

(*飯田さんは、マルケ州の人口1000人という村にお住まいです。村での様子は、noteに文章を綴っていらして、こちらも非常に興味深いのでオススメですよ)

 

ありきたりですが、いつまでも続く気がしていた日常が、崩れる時は実にあっさりと崩れるものだ、という驚き、そんな時、自分はとりあえず何もできないものだというふがいなさでしょうか。そして、その一方、人間の世界が大混乱におちいったとしても、庭先の緑から空から、近所の林から遠くに見える山々にいたるまで、自然界はまるで何ごともなかったかのように平然とそこにある。むしろ、いつもに増して美しく見える。そのことに対しても驚きました。当たり前と言えば、当たり前なんですが。また、そうした環境に住んでいる自分の幸運に感謝する気持ちも湧きました。

 

ー幸か不幸か、こうした形で注目されたジョルダーノ。イタリアには、優れた現代作家がたくさんいるわりには、まだまだ紹介が進んでいないのが実情です。飯田さんにとって、海外文学を読む意義とは?

 

僕もけっしてイタリア文学に明るい人間ではなく、ふだん、海外文学、と意識して本を読むこともないのですが、あえて意義をあげてみるならば、世界の多様性に触れることができる点がまずひとつ、でも数を読んでいくうちに、「つまるところ、国は違えど、みんな同じ人間なのだ」という理解にきっとたどりつける、そんなところかもしれません。

 

頭の柔軟で、感性の鋭い読者(特に若い方々)であれば、別に僕みたいに外国語を習ったり、外国で生活などしなくても、きっと翻訳文学に数多く触れるだけで、国際感覚(というか人類という生き物に対する理解)が自然と身につくのではないでしょうか。

 

ーぜひ、イタリア文学翻訳者の第一人者として、今後も番組に現地のホットなトピックなど、教えていただくような機会が得られれば、とても嬉しいです。今後とも、よろしくお願いします。

 

こちらこそ、いつもご声援ありがとうございます。また何か機会がありましたら、ぜひお声をかけてください。あと、第一人者はやめましょう(笑) 辞書を引いたら、恐ろしいこと書いてありました。ある分野で『もっとも』優れているひとだそうです。とんでもないです。やっと中堅になれたのかな、ぐらいのつもりでいます。

最後に、せっかくなので、音楽もお好きな飯田さんのリクエストにお応えしたいなと、何かかけたいものはありますかと質問したところ…

 

「ぱっと思いついたのはこの5曲です。このいずれかをお願いします。今はやはり旅立ちへの憧れとか、いつも歩いていたのに急に遠くなってしまった山々に帰りたい気分が強いので、こういう選曲になりました」

 

番組では、Minaの曲をかけました。60年代、カンツォーネの時代を代表する歌手として、桑田佳祐、可愛いミーナという曲のタイトルにも登場するMina。悲しいことがあっても、音楽がバンドが心の雲を取り払って青空を魅せてくれるという音楽讃歌です。でも、せっかくいただいたので、他の曲も以下に書き上げておきます。 

 

A estrada do Monte / Madredeus

La banda / Mina

La storia di Serafino / Adriano Celentano

Nomadi / Franco Battiato

道 / Yumirose

 

以上が、『コロナの時代の僕ら』をめぐる、僕らのやり取りです。何かの参考になれば、これ幸い!

 

『シティーハンター THE MOVIE 史上最香のミッション』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 4月21日放送分

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production
北条司の漫画、シティーハンター。1985年から91年まで週刊少年ジャンプで連載され、単行本の累計売上は5000万部。1987年にはアニメ化され、再放送も含めて長年楽しまれ、その人気は海外にも及んでいる、これまでも劇場アニメ化されていましたが、93年のジャッキー・チェンに続き、今回はフランスでの実写映画化です。
 
凄腕のスイーパー、始末屋、シティーハンターこと冴羽獠は、相棒のカオリと多種多様な依頼を請け負っています。そんなふたりが今回取り組むことになったのは、盗まれた強力な惚れ薬「キューピッドの香水」の奪還。悪用されれば、世界は大変なことになる。香水を試していた獠と香は、その効果が永遠に消えなくなってしまうという48時間後までに、香水の容器に隠された解毒剤を入手しなければと奔走します。

世界の果てまでヒャッハー!(字幕版) シティーハンター SPECIAL VERSION ジャッキー・チェン 後藤久美子 RAX-901 [DVD]

監督は幼い頃からシティーハンターの大ファンで、北条司の事務所へ実写映画化の直談判もしたという、フィリップ・ラショー。脚本も自分で書き、主役の獠も自分で演じるという気合の入りようです。相棒の槇村香を演じたのは、同じくラショーの監督主演作『世界の果てまでヒャッハー!』にも出演し、ラショーらとコメディーグループも結成しているエロディ―・フォンタン。
 
公開はフランスの9ヶ月後、2019年の11月29日。僕は先週土曜の夜、U-Nextのオンラインレンタルをポイントで利用してデラックス吹き替え版なるものを鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!

80年代から90年代にかけて、ヨーロッパの地上波に大量の日本のアニメが流入したことで、あちらのオタク文化の礎ができていくんですが、フランスだと「ニッキー・ラーソン」というタイトルになっている「シティーハンター」なんですね。監督のフィリップ・ラショーは80年生まれの現在39歳。つまり、思春期、学校に行く前や帰宅後に浴びるように「シティーハンター」を観ていたという意味で、日本の僕らの世代とほとんど同じ環境にいたんです。だから、彼は自然といつか自分でニッキー=獠を演じてみたいと思うようになったわけです。日本では「フランスで実写映画化!?」って不思議に思われたようですが、この作品、先に公開されたフランスでは168万人が観ていますから、特大ヒット。それにはもちろん、コメディー映画作家としての急先鋒であるラショーが手掛けているっていう安心感も手伝ったはずですが、何よりも北条司の原作マンガとアニメがそれだけ国民的な人気作だという基礎があったというのが大きな理由でしょう。
 
それだけファンが多いということは、期待を裏切るリスクも非常に高いということ。ラショー監督が同じ轍を踏むまいと心に誓っていたのが、アメリカでの実写版『DRAGONBALL EVOLUTION』だったようです。そのためには、原作をきっちりリスペクトをして容姿や仕草を似せるということはもちろん、アクション・コメディとして間口の広い、ファンが喜ぶだけでなく、一本の映画として一級の娯楽作にすることが肝要だと考えました。そして、僕はそれに見事に成功していると思います。僕が指摘したいポイントは3つ。

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1.脚本は王道を貫くこと
原作北条司が何よりも重視した脚本。18ヶ月かけてラショーは手掛けたそうですが、女好きのスケベでキザな獠がおっさんを好きになってしまうという、北条氏もうなる軸となるアイデアを幹として枝葉を広げています。「007」や「ルパン三世」にも通じる、キメる時はキメるけれど、油断するとすぐに鼻の下を伸ばす男の冒険として、「適度に予想できる意外な展開」を釣瓶撃ちしているんですね。だから安心して観ていられます。どのキャラクターも適当に出てきているように見える人も含めて、ひとりひとりに役割があって、愛情を感じられるのがすばらしいです。自分の映画常連のコメディーチームとイキイキと演技・演出していました。

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2.映画として違和感のない描写に徹すること
シティーハンター」と言えば、小学生でもわかる下ネタですが、代名詞とも言えるあのワード、焼肉屋でよく飲まれるお酒に似たモで始まるあのワードや描写を基本的に捨てたというのは英断でした。あれを漫画通りに誇張して映像化していいのは、タモリ倶楽部空耳アワーくらいのもんです。映画でそのままやれば、悪目立ちしすぎて、観客はストーリーラインに集中できなくなるだろうし、映画全体のリアリティーラインも凹凸が出てしまうはずです。でも、その分というべきか、入れられるものはふんだんに入れています。たとえば冒頭の手術室での獠と海坊主のファイトシーンを思い出してくださいよ。裸の患者の股間に置かれた銃の取り合い、そして、心電図の波形でしっかり例のワードを再現するという遊びをやってました。さらに、いわゆるお色気、サービスシーンも、品が良いとは言いませんが、家族で観ても居心地が悪くならない絶妙なラインを綱渡りしていて、ラショー監督の手腕が光ります。最初から時間を行ったり来たりする映画的な語り口を導入していた点も、漫画原作ということを抜きに、あくまで一本の映画を作りたいんだという意気込みを感じます。

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© AXEL FILMS PRODUCTION – BAF PROD – M6 FILMS © Axel Films Production

3.架空の街に舞台をすまくすり替えていること
もともとは新宿が舞台の物語なんだけど、そもそも浮世離れした設定だし、街の特性を活かしてうんぬんってものじゃないんですよね。これ、現実にも予算や許可の問題で撮影はできなかっただろうけれど、もし新宿でロケしていたら、目も当てられないものになっていたと思いますよ。あくまで架空の街なんです。パリや南フランスでロケしているんですが、ラショー監督はわざわざポスト・プロダクションでエッフェル塔を消すことまでして匿名性にこだわりました。『バットマン』におけるゴッサムシティ的な感じですね。それが功を奏して、「シティーハンター」の世界に没入できています。
 
以上3つに加えて、1人称視点を導入したユニークなアクションシーンも楽しかったです。それにしても、30年前ならいざしらず、今なら際どくなっているジェンダーの問題も惚れ薬を使って軽やかに乗り越えてみせたラショー監督。僕としてはまたいつか続編を観たいし、他の題材であっても、日本で抜かりなく公開してほしいもんだとつくづく思います。声優のこととか、キャスティングとか、既存曲の使い方とか、まだまだ語る余地のたくさんある、実に愉快痛快な娯楽エンターテインメントが、僕の心を打ち抜きました。 

で、終わり際のこの曲の入り方が、もうオリジナルアニメのタイミングをしっかり意識していて、それはもうアガります。ストップモーションにした時の、絵の構図のキメ具合とか、勘所を押さえてますよ。アスファルト、タイヤを切りつけてますよ。


さ〜て、次回、2020年4月28日(火)も「お家でCIAO CINEMA」です。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『新聞記者』でした。日本アカデミー賞で圧倒的な評価を勝ち得たこの作品。松坂桃李もそうですが、W主演のシム・ウンギョンにも注目が集まりました。賛否両論渦巻いているようですが、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!