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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『SING/シング』短評

映画 ラジオ 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月24日放送分
『SING/シング』短評のDJ's カット版です。

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あの『ズートピア』のように、擬人化された動物たちだけが暮らす世界。斜陽の劇場を再建したいと、コアラの支配人ムーンは、経営を立て直す秘策としてのど自慢大会的オーディションを実施。勝ち残った動物たちには、現状を打破したいという事情や鬱屈がそれぞれにある。彼らはいくつものピンチを切り抜け、無事にショーを開けるのか…
 
製作は、2007年に設立し、『ミニオンズ』や『ペット』などヒット作を作ってきたユニバーサル・スタジオの子会社イルミネーション・エンターテインメント。アメリカでは12月に公開されて大ヒット。日本でも観客動員ランキング初登場1位と好調です。
 
僕は今回は吹替版でみたんですが、各国で公開されている中、日本だけが、すべてではないですが、ストーリーに歌詞が絡むものについては歌部分も吹き替えが行われたということで、むしろ吹き替えを狙う価値もあると思います。本職の歌手では、たとえばスキマスイッチ大橋卓弥MISIAの歌声を堪能できます。
 
それでは、3分間の短評というステージ、開幕!

CGアニメ業界でまだまだ新参者、これが7本目のイルミネーションですが、これまでの作品ではキャラクターの造形力は高いものの、ストーリーの構成力に明らかに難があったと僕は見ています。なんだかドタバタしていて、たとえば絶対王者ディズニーに比べると物語の背景や奥行きが足りないのではないかと。ところが、今回の『SING/シング』では、そこを改善してきました。
 
音楽院出身で高慢ちきで強欲なジャズマンのネズミ、25匹の子豚とワーカホリックな夫の面倒を見る主婦の豚、極度のあがり症で内気な象の女の子、窃盗団のボスの息子であることに嫌気が差しているゴリラ、自信過剰で他のジャンルを小バカにする彼氏と反りが合わなくなっていくパンクロッカーの女の子、山嵐。以上、メインのパフォーマー5名のキャラクターには、それぞれに夢があって、現状に対する鬱屈がある。こんなはずじゃないとか、なんで私ってこうなんだろうという不満ですね。さらには、支配人のコアラも、お父さんに叶えてもらった夢と、その夢をうまく開花できずに夢をこじらせているという問題がある。コアラの友達でニートな金持ちの羊ってのも大事なキャラクターでしたね。合計すると7名の登場人物たちのエピソードを均等に束ねていく群像劇スタイルを採用しているのが今作の一番の特徴です。

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セリフを正確に記憶していないのが申し訳ないんですが、支配人のムーンは、ショーを始める時の口上で、いつも「お集まりのすべての動物の皆さま」みたいなことを言うんです。動物っていうのをそのまま人間に置き換えれば良いわけですけど、この街には実に様々な人間がいて、仕事も性格も好きな音楽もそれぞれに違うけれど、この劇場は、そしてこの映画は、どんな人達にも開かれたものである、あるいは少なくとも、そうありたいという宣言だと思うんです。多様性の問題ですね。
 
その多様性を扱う上で、イルミネーションが目をつけた、いや、耳をつけたのが音楽です。これまでもファレルの”HAPPY”を筆頭に、音楽をうまく使いこなしてきた会社なんで、得意分野をさらに研ぎすませて結果を残そうという妥当なアイデアだと思うんですが、それにしても詰め込んだよ。キャラクターごとにジャンルを振り分けてあるから、テイラー・スウィフトやケイティー・ペリーといった最近のヒットから、ビートルズスティーヴィー・ワンダーのようなポップ・クラシック、そしてきゃりーぱみゅぱみゅからプッチーニまで、古今東西のなんと64曲をぶち込んでます。Ciao! MUSICAが6時間の番組内でかける曲数よりよっぽど多い(笑) もちろん、数秒単位のジングル的な短い使い方も結構あるから単純に比較はできないんだけど、とにかく異常なほどに音楽が鳴りまくってる。
 
なんでこんなことをしているかというと、主要キャラ7名はしっかり描くにしても、それぞれには到底掘り下げられないオーディションに集まる端役の背景も本当は見せたいわけですよ。だから、選曲とパフォーマンスの方法でもって、つまりは音楽を通して端的に伝えようと。結果として、落選した大勢の動物たちにもそれぞれに人生があることが伝わってくるし、これまたイルミネーションお得意の一発ギャグ的な演出と相性がいいから、テーマと演出方法がぴったり合致していて相乗効果をあげています。
 
108分で7人のメインキャラ、そして60曲ほどの音楽。どう考えても情報量は多すぎるし、全体として、テンポが良いってのを越えて、展開が一足飛びなのは否定できません。練習の成果が出るのも、失敗から立ち直るのも、何もかもが早送りなんで、僕も何度か「え、こんなにあっさり解決できるなんて、そんなアホな」って思っちゃったし、下手をすると底が浅く見えてしまうという欠点にすらなっているとも言えるでしょう。
 
ただ、そこは音楽がカバーしています。いや、カバーというか、音楽が説得力を持って脚本を補強している、いや、ねじ伏せてます。たとえば、歌はうまいが踊れない主婦の豚さんロジータが自分を解放するあの場面を思い出してください。彼女は何も考えてないでしょ? 身体が勝手に反応しているだけ。つまりは、彼女が踊れるようになる理由も、そういう音楽に出会ったから。それだけっちゃそれだけなんだけど、これが驚くことに音楽の高揚感でこっちも見事に納得してしまうんです。
 
歌詞とキャラクターをリンクさせる音楽もあれば、今言ったように、音楽そのものがストーリー的な展開を生み出すこともある。選曲がベタだという人がいるけど、じゃあ、他にどうすればいいんですかって僕は問いたいね。浅く広いのは確かにそうだけど、誰しもが耳にしたことのあるようなヒット感と、それぞれ他の曲に置き換えるのが難しいくらいの物語的意味を両立させてるんだからたいしたもんです。

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もしかすると好き嫌い別れるかもしれないのが、キャラクターの性格です。あのコアラも、「こいつどうかな」って思うところがそこそこあるけど、あのネズミ野郎を許せるかどうかですよ。僕にはオオアリでした。音楽的な能力と人間性がどちらも高い方が珍しいわけで、あいつははっきり言って、ろくに成長もしてないわけですよ。でも、バリバリのエンターテイナーです。現実を結構クールに見たり、ブラックな味わいを入れてくるのもイルミネーションの特徴なんで、僕はなんならもっとブラックにしてほしかったくらいですけど、そこはさすがに子ども向けなんでしょうがない。
 
ともかく、誰がどう見ても、イルミネーション・エンターテインメントではぶっちぎりの出来栄えです。ディズニーと比べても遜色ないです。802リスナーなら、多かれ少なかれ絶対に楽しめるので、ぜひ劇場でご覧ください。

映画公式サイトの手が込んでるんですよ。Spotifyとのタイアップで、自分がどのキャラクターにより近いのか診断してくれるという企画があります。僕は豚の主婦。ああ、確かにあのダンスシーンは一番高揚したかもしれない。で、さらにおすすめプレイリストもある。
 
ゴリラのギャング団がお面で顔を隠して逃走していたけど、顔なんか隠したって、ゴリラであることは一目瞭然なわけだから、遅かれ早かれ警察に特定されていただろうな…

さ〜て、次回、3月31日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『キングコング:髑髏島の巨神』です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! そして、来週は年度末恒例のマサデミー賞発表だよ。

『モアナと伝説の海』短評

ラジオ 映画 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月17日放送分
『モアナと伝説の海』短評のDJ's カット版です。

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豊かな恵みのある南の島モトゥヌイで、一族と賑やかに暮らす少女モアナ。海を愛する彼女だが、島には外海へ出てはいけないという掟があった。幼い頃に海で不思議な体験をしたモアナは、海との深い絆を感じていた。16歳になった頃、モトゥヌイでは、ココナッツの木が病気に冒され、海で魚がまったく取れなくなるという異変が起こる。海に選ばれたモアナは、島の人々を救うべく、初めて大海原へと小舟で漕ぎ出し、巡り合った伝説の英雄マウイと共に、命の女神テ・フィティの盗まれた心を取り戻す旅を始める。
 
『リトル・マーメイド』や『アラジン』でディズニー・アニメの黄金期を作ったクリエーターコンビ、ジョン・マスカーとロン・クレメンツを監督に起用。主題歌の”How Far I’ll Go”は、アカデミー賞歌曲賞にノミネートされました。僕は今回は時間の都合で字幕版をチョイスして鑑賞してきましたよ。
 
それでは、3分間の短評という冒険へと出発!

さすがはディズニーですよ。絵のクオリティーがとても高いです。まず目を見張るのが、水の表現。当然ながらまったく喋らないんですけど、予告にも出てくる幼少時の交流を見れば、融通無碍な動きをするこの海は生きているんだ、意志をもっているんだとすんなり感じられる説得力のある演出をしているから、ポリネシアの伝説に基づいたこのお話の世界に観客はすぐさま入っていくことができます。水族館にいるような、いや、それ以上の海の様子を味わえるのには驚きました。決まった形がないものだし、透明だしで、アニメで見せるのはとても難しいわけですけど、光、色使い、透明度、そして常に変化する動きを繊細に操って、見事に命を吹き込んでいます。しかも、キャラクターたちがアニメっぽいデフォルメを施されているのに対して、海はまるで実写のような存在感。この水表現だけでも一見に値するほどです。
 
と、序盤で自然描写の課題はオールOKとばかりにクリアされるわけですけど、僕が懸念していたのは、実は物語を動かす装置の少なさだったんです。だって、人間やマウイのような半分神、半分人間のようなキャラクターが主人公とはいえ、見渡す限り、人工物がほとんどない世界ですよ。『ズートピア』とまるで逆。でも、そんな僕の心配をあっさり拭い去ったのは、マウイの身体にくまなく施されたタトゥーの人間たち、あるいはマウイの化身というべきか、とにかく彼らが皮膚というスクリーンの上でアナログな動きをしてコミカルにマウイを咎めたり次なるアクションを促したりするという、アニメとしては極めて素朴な表現を掛け合わせることで、物語に奥行きを出して特異な効果を上げていたこと。最新技術と原初的なテクニックの融合は、『リトルプリンス 星の王子さまと私』を思い出したりもしました。

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影響関係でいうと、自然・神と人間の関係があって、そこに祟りのようなものが組み合わさるという形式は『もののけ姫』を連想させるし、根底にある自然への姿勢、畏れのような価値観は他の宮﨑駿作品とも通じるでしょう。実際、インタビューでも、最も宮崎アニメに影響を受けた作品だと両監督は語っています。さらに、女性主人公がパワフルな男性と遠くへ行って帰ってくる「行って来い」のストーリーラインや、ココナッツの化物海賊カカモラの登場の仕方なんかは、指摘する人も多いですが、『マッドマックス怒りのデスロード』を明らかに彷彿とさせます。モアナは村長の娘であり、海に選ばれたエリート、つまりはお姫様なのに、恋愛が主要モチーフにならない点は、最近のディズニー女性像の流れでもあるし、ディズニー過去作というよりも今挙げた先行作品から引き継いだものだと言えるでしょう。基本的には自分の役割や内なるアイデンティティを、旅・冒険を通して、つまり居場所から離れることで認識するという、いわゆる「自分探し」の性格を持った古典的な物語ではあるんですが、若い女の子が、しかも恋愛抜きに自立していくのはとても現代的です。
 
舞台がポリネシアであること、そして、多少のイマジネーションの飛躍はあれど、基本的にはその文化への敬意を払った描写が好ましいですね。欧米とは違う美的センスと伝統、考え方がこの地球にはあることを教えてくれるし、しかもそれを違う文化の観客にも魅力的に感じさせている。あんなにタトゥーがコミカルかつかっこよく見えるアニメは珍しいでしょ。すばらしいですよ。僕はタトゥーは入れてないけど。
 
ストーリーのひねりがちょっぴり弱いので意外性が少ないのと、自分は何者なのかという内面の葛藤を絵やアクションに昇華しきれていないこと、さらにはせっかくの個性あるサブキャラクターたちとの絡みが少ないという弱みは見受けられるものの、間口が広くて満足度の高いエンターテインメントにはしっかりなっているので、迷わずにスクリーンで観ることをオススメできる1作です。

できればストップして惚れ惚れと眺めたくなったのは、登場人物たちの豊かな毛髪! あの天然ソバージュ表現のデリケートなことときたら。
 
花粉症の薬を飲んでいることで僕の頭がボンヤリしているからかもしれないけれど、英雄マウイの設定と葛藤が今ひとつこちらに伝わってこなかったので、物語に没入し損ねた感はあります。
 
モアナとマウイの出合いなど、とりわけ船旅におけるご都合主義が気にはなったけれど、これはモアナと固い絆で結ばれた海や、エイakaおばあさんによるお導きがあったものと僕は解釈しています。


さ〜て、次回、3月24日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『SING/シング』です。春休みらしく、2週連続のアニメーション。映画ファンだけでなく、音楽ファンも間違いなく楽しめそうな1本ですね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ラ・ラ・ランド』短評

ラジオ 映画 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月10日放送分
『ラ・ラ・ランド』短評のDJ's カット版です。
本当は3月3日の放送で扱う予定だったこの作品ですが、僕野村雅夫のインフルエンザ罹患による病欠のため、今週に持ち越しとなったこと、改めてご報告しておきます。

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夢をかなえたい人があちこちから集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働く、エマ・ストーン演じるミアは女優を目指しているんだけれど、オーディションには毎度落ちてばかり。片やライアン・ゴズリング演じるセブは、いつか自分の店を持ちたいと夢見るジャズ・ピアニスト。ふたりは何度かの偶然の出会いを通して恋に落ち、互いの夢を応援するのだが…
 
監督は『セッション』のデイミアン・チャゼル。まだ32歳。これが長編2本目。史上最多の14ノミネートとなったアカデミー賞では、1931年以来の最年少となる監督賞、主演女優賞、主題歌賞、作曲賞、撮影賞、そして美術賞と、もちろん最多の6部門を獲得しました。
 
この作品については大絶賛と、それに対抗する強烈な批判が乱れ飛んでいる状況で、正直なところ批評は難しいというかやりにくいんですが、僕も僕なりにささやかですが喋ってみます。世の中に流れている、特に文字情報で出ている意見に比べれば、スパイス程度にしか話せませんが、やってみるか。
 
それでは、映画短評という名の3分間のクリティカル・トリップ、今週はラ・ラ・ランドへいざ入場。

この映画の主人公は、自分の夢を叶えることを人生における最上位課題とする「愛すべき愚か者たち」です。ハリウッドで大女優になりたいミアの夢。自分ならではの個性あるジャズの店を開きたいセブの夢。そして、もうひとつ、チャゼル監督自身の映画を撮る夢。さらに、僕はそこに、映画というシステムが持つ夢のような機能そのものも強く意識して作られていると思うんです。これ、鼻につくとか不正確だとか揚げ足も取られているおびただしいオマージュ(目配せ)のことを言ってるんじゃなくて、映画そのものが「夢を見せてくれる装置」だってことを活かした作りになってるんじゃないかと。
 
2箇所に絞って例を挙げます。ひとつは、ミアがセブの弾くピアノの音色に誘われてクラブに入り、ふたりがあの高速道路以来の偶然の再会をするところ。僕が予告を観すぎていたせいもあるだろうけど、しっかり予想を裏切ってきますよね。「ええ!?」っていう。あそこは言わば、まさに夢のような、映画のような恋の展開と、「そう甘くないで」っていう現実の双方を意識させられるわけですよ。ははぁ、このテイストなんだ、面白くなってきたで〜。僕は手ぐすね引きましたけど、それは置いといて…
 
もうひとつは、あのエンディングです。ミアとセブの再会。セブの奏でるピアノの音色に耳を澄ませながら、ミアは「ありえたかもしれない過去を思い出す」わけです。そこで何と、今言ったシーンが別の形で再現される。記憶と過去が書き換えられる。かつて思い描いた夢の中。もうひとつの人生を束の間、彼女は生きる。そして、現実に戻ってくる。何かを悟ったようにうなずくセブ。それを見るミア。純映画的、映画ならではの表現で、これは僕ら観客が映画に求めていることでもあり、ミアの想像は映画体験そのものでもあるという、まあビタースイートな名場面です。
 
この2箇所に共通しているのは、その導入がセブのピアノであること。FM802リスナーであればわかると思いますが、ふと聴こえてきた音楽が夢の入口になったり、その夢を魅力あるものにもしてくれることがある。ミュージカルだから当然と言えば当然ではあるけれど、ふたりの人生の転機に音楽を伴わせていること、そしてそこに「映画」というものの本質的な喜びを伴わせていること、この2点を見事にやってのけただけで、僕はもうスタンディングオベーションでした。
 
確かにラブ・ストーリーとして新鮮味には欠けるかもしれない。ふたりが抱える葛藤やフラストレーションが十全には伝わってこないかもしれない。でも、一度でも今の自分ではない何かになりたいと思ったことのある人ならば、たとえばミアが大事なオーディションで披露したあの”The Fools Who Dream”という「夢見る愚か者たち」の賛歌を聴いて涙しないわけにはいかないでしょう。
 
”You’re a baby”と言われていたミアが、なりふり構わず全力で自分の夢に向かう姿と、その後、大胆な省略を挟んで繰り広げられる先ほど僕が褒めたシーンがつながっていくあたり。チャゼル監督は歌も踊りも吹き替えを使わずにあえて完璧でないままに残したのは、ふたりが何者かになりたくて不完全ながらも最終的に突き進んでいったことを文字通り体現させるためではないか。
 
今年は実はジャズ・レコードの歴史が始まって100周年です。映画に音が付いて90周年。最初のトーキーは『ジャズ・シンガー』という作品だと言われています。『ラ・ラ・ランド』は純ミュージカルではない。サントラのジャンルもつぎはぎですよ。意地悪に見ればごちゃ混ぜ。でも、はっきり言えるのは、純映画的な喜びに満ちた、しかも2010年代だからこその、音楽恋愛劇をチャゼルは完全オリジナルで作りきって人々をこれだけ高揚させ、それがアカデミー賞での多数の評価へと結びついた。
 
映画と音楽のファンとして、僕はこの映画作品を通し、今一度「映画という夢」を見ることができたすばらしい体験でした。
↑ 生放送ではここまで。


絶賛の声が多いオープニングのダンスシーン。もう褒めなくていいか、とも思ったんですが、一応(笑)

ウィークエンド [DVD]

ポイントはカーステレオ。ジャン=リュック・ゴダールの『ウィークエンド』という映画を彷彿とさせる、渋滞中の高速道路のカメラ横移動から始まるんだけど、車の1台1台に個性があって、人種も様々で、カーステレオから鳴るラジオや音楽もそれぞれ。これって、『ラ・ラ・ランド』の住人はこんな風に十人十色でみんな自分たちの夢を見てるんだってことの表れだと僕は理解しました。この映画ではたまたまセブとミアにフォーカスするけど、みんなそれぞれのビートでステップを踏んでいるんだと。「そう、こんな風に」という、ラジオDJがやる映画全体のイントロ紹介的な役割と果たしているのではないかと。で、あの継ぎ目なくワンカットに「見える」、実に面倒な撮影を敢行した。もうつかみとして申し分ないですよ。あの狭い車の間や車の上、そして中と、役者たちは文字通り縦横無尽に動き回るし、フィルムで撮影したカメラもしっかり踊ってる。

これは余談ですが、今作のエンディング、僕が純映画的だと指摘したあのシーンを観ながら思い出したのは、グザヴィエ・ドランの『マミー』でした。あちらでも、「こうあってくれれば」っていう登場人物の願望が挟まれていましたね。

 

『ラ・ラ・ランド』に話を戻して、賛否が分かれるのはある程度仕方ないにしても、観るたびに発見のある、間口の広い豊かなテクストであることに異論はないのではないでしょうか。たくさんの映画を鑑賞し直したり、「新しく発見」したくなる仕掛けが随所にあります。音楽については僕にも言いたいことがないわけではないのですが、映画については十分「愛情のある」作品。こういうビッグタイトルを「踏み絵」にするような態度を取る好戦的な映画評論には、僕はどうにも馴染めない。そもそも、「踏み絵」なんて言葉を軽々しく持ち出す人は、『沈黙』を思い出してくれと。僕はそう思います。


さ〜て、次回、3月17日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『モアナと伝説の海』です。ゴズリング祭を終えて海へと漕ぎ出します。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

 

「バルゼッレッテ」でイタリアを楽しもう!

イタリア チルコロ京都 有北雅彦(有北クルーラー) 二宮大輔(ハムエッグ大輔) 野村雅夫(ポンデ雅夫)

「バルゼッレッテ」でイタリアを楽しもう!

3月19日開催、京都ドーナッツクラブ主催イベントのお知らせです。

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バルゼッレッテ(バルゼッレッタ)とは、イタリアのジョーク、笑い話のこと。バルゼッレッテを通してイタリアを見れば、イタリアの流行、文化、ユーモアセンス、すべてを笑いながら理解できる!

時事ネタ・地域ネタからちょっと大人のジョークまで。長年イタリア語翻訳を手がけてきたドーナッツクラブが選りすぐったバルゼッレッテで、笑ってためになる120分!

野村雅夫、有北雅彦、二宮大輔のドーナッツメンバーが、バルゼッレッテを材料にお送りする楽しいトークショー。イタリア語を知らなくても楽しめるよ!


★★★「バルゼッレッテでイタリアを楽しもう!」

出演:野村雅夫 有北雅彦 二宮大輔
日程:2017年3月19日(日) 開場13:30/開演14:00
チケット:前売1,500円(当日2,000円)+1ドリンク500円

会場はドーナッツクラブのオフィス兼イベントスペース・チルコロ京都。

お申し込みは→コチラから!

『ナイスガイズ!』短評

映画 ラジオ 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2017年2月24日放送分
『ナイスガイズ!』短評のDJ's カット版です。

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妻を亡くし、13歳の愛娘とふたり暮らしの私立探偵マーチ。酒ばかり煽りながら、冴えない依頼を冴えない仕事ぶりでこなし、冴えない日々を送っている。示談屋のヒーリーは、頭というより腕力に物を言わせて物事を解決するタイプだけれど、女子どもは尊重して守るべきだという正義感に基づいて行動している。ある女性の捜索をきっかけにコンビを組んだふたりは、ある映画にまつわる連続殺人事件と国家レベルの陰謀に巻き込まれていくクライム・アクション・サスペンスといったところ。ま、全体としてはコメディーだけど。
 
探偵のマーチは今をときめくライアン・ゴズリング。凸凹コンビのお相手ヒーリーをラッセル・クロウが演じています。さらに、水原希子に顔の雰囲気がちょっと似てる13歳の娘は、アンガーリー・ライスが担当。アンガーリーちゃん、今後もっと演技を観てみたいかわいこちゃんでした。
 
監督は「キスキス・バンバン」や「アイアンマン3」のシェーン・ブラックが務めています。今週も3分間で映画短評、それではアクション!


この映画が気に入らない人は、その欠点をこうあげつらうかもしれません。なんだかんだごちゃごちゃ展開した割に、謎解きのカタルシスが弱いとか、悪役のキャラクターが弱いとか、二度あるパーティーの場面が似たり寄ったりだとか、どうでもいい話の枝葉が多いとか。僕はこの映画かなり気に入っているので、ひとつひとつ反論して擁護していきます。

 

謎解きのカタルシスが弱い? 『ナイス・ガイズ!』の見どころはあっと驚くどんでん返しにあるんじゃなくて、ライアン・ゴズリングラッセル・クロウのコンビそのものです。イケメンだけど、うだつが上がらない。飲んだくれだけど、決める時には決めたくて、その度に見事にしくじってる。推理も当たりそうで当たらない。当たってもまぐれ当たりなマーチ。「ジーザス!」などとビビってしょっちゅう裏返る声とその機敏だけど無駄な動きが最高でした。担当はボケです。
 
そのお相手は、対象的に、もはや熊としか言いようがない体躯のラッセル・クロウ。少々しんどそうな動きだけれど、その分凄みと重みを備えていました。だいたい対処が遅れがちではあるものの、それなりに冷静ではあって、その遅れを腕力で取り戻している感じのヒーリー。担当はツッコミです。
 
基本的にふたりとも小物です。そんなふたりがなぜこんな大事に命を懸けるのかわからないという人もいるかもしれませんが、そうじゃなくて単に巻き込まれてるんです。最初から事の真相がわかっていれば引き受けていたかどうか怪しい。まさに凸凹なコンビの中年が漫才よろしくボンクラな会話とトンチンカンな行動を取るうちに、謎がたまたま解けただけのこと。ホームズじゃないんですよ。その珍道中的プロセスこそ本筋なんです。だから、枝葉が多いという意見も却下! 枝葉が幹なんです。それに、枝葉だって、その大部分が伏線として後に回収されてましたからね。
 
悪役のキャラクターが弱い? 主役のふたりが強すぎるだけのことです。プラス、マーチの娘がいますからね。彼女がまたマセてて最高なんだ。マーチが父親ならこうなるか。13歳にして父ちゃんのハンドルキーパーまでやってのけますから。「パパは世界でも最低の探偵」と言い切るわりには、マーチのそれっぽい推理にはちょっと感心しちゃったりなんかして。褒められたもんじゃないけど、微笑ましい関係性で、互いに求め合ってる。
 
二度あるパーティーの場面が似たり寄ったり? 天丼という繰り返しのギャグとその効果はご存知ですよね? ゴズリングは今作で何度落下するんでしょうか。人生でも落ちぶれてるのに、彼はそこかしこから物理的に落っこちますね。なのに特に学びませんね。「またやってるよ〜」というルパン三世的な繰り返しの美学と快楽を追い求めた意図的演出だと僕は思います。
 
汚い言葉は多いし、そこそこエグい場面もあるし、それこそ無駄なお色気サービスもあるんですけど、この過剰さが魅力。オープニングの展開にはビックリしたでしょ? そんなバカな! 途中から出てくる非常な殺し屋のトゥーマッチぶりも良かったですよ。そこでマシンガン要るか? 殺し屋のいるところへ乗り込んでいく凸凹コンビがすごすごと引き返すくだりのブラックジョークも最高です。人が痛い目にあってるんだけど、笑うしかないでしょ、あれは。
 
70年代半ばが舞台でありながら、陰謀がアメリカの自動車産業を巡るものだっていうのも、トランプ政権下の現在アクチュアルです。陰謀が渦巻くきっかけとなる不正も、日本も含めヨーロッパでも残念ながら最近話題になったし、これまた今っぽい。でも、そのいずれも、単なる偶然の賜物だろうってこともこの映画っぽくていいです。
 
以上の理由から、僕はこの親子と熊の3人が大好きです。黄金のトライアングルとも言うべきこいつらのしょうもないハッスルを、ファンキーでグルーヴィーな音楽とともに、ぜひもう1本くらいは同じ座組で観たいところです。


さ〜て、次回、3月3日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『ラ・ラ・ランド』です。またもやゴズリング! あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『サバイバルファミリー』短評

ラジオ 映画 野村雅夫(ポンデ雅夫)
FM802 Ciao! MUSICA 2017年2月17日放送分
『サバイバルファミリー』短評のDJ's カット版です。

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矢口史靖監督最新作。現在49歳。8mmフィルムで映画を撮り始めた、ほとんど最後の世代じゃないでしょうか。代表作は『ウォーターボーイズ』『スウィングガールズ』『ハッピーフライト』、そして近年の傑作『WOOD JOB! 〜神去なあなあ日常〜』。少なくとも長編映画ではすべて自分で脚本も手がける、作家性の強い監督と言えます。
 
今回は映画のコピーがしっかりテーマを言い当てているので引用すると、「すべてがOFFになると人間がONになる」。大まかには、そんな話です。原因不明の大停電に見舞われた世界。乾電池まで含め、とにかくすべての電化製品が使えない。東京に暮らすごくごく普通の4人家族鈴木家も、見る間に暮らしに支障をきたしてしまい、妻の実家である鹿児島を目指して自転車での移動を開始。東京を脱出したものの、果たして4人はサバイブできるのか。
 
お父さんを小日向文世、お母さんを深津絵里が演じる他、時任三郎柄本明大地康雄など、個性派の俳優たちがいい味を要所で出しています。
 
それでは、ラジオ業界をなんとかサバイブしてもうすぐ9年の野村雅夫が、今週も3分間で短評です。レッツゴー。

矢口史靖監督のヒット作は、いずれも特殊だったり専門的だったりして、僕らの身近にはありながらも詳しくはわからない世界を覗かせてくれます。独自のセンスで映画ならではの笑いどころを用意しながら、時に情熱的に時にクールに、その特殊かつ専門的な世界が愛おしくなるように展開させる。そんな距離は近いのに心理的には遠かった未知の世界を通して、観客たちの日常や常識を風刺したり批評したりもしてきました。だのに、辛気臭くも説教臭くもなくて、れっきとしたエンターテインメントになってる。結果として、伊丹十三的とも言える独自の作家性を持つ現代日本映画界最重要監督のひとりだと言って差し支えないと僕は思います。

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そんな監督が選んだモチーフ、今回は電気。どうしたって2011年東日本大震災を思い起こしてしまう設定ですが、実は構想し始めたのは2002年で、その翌年に起きた北アメリカ大停電に直接的なヒントを得つつ、脚本を練り上げていったようです。電気が使えなくなる理由がわからないのが僕はいいなと思っているんですが、できあがった映画は、ディザスタームービーの要素を含んだSFコメディーといったテイストになりました。矢口監督作には欠かせない、平凡の象徴としての鈴木さんたちが特殊な状況下に置かれるという意味では、やっぱり矢口史靖っぽいんだけど、なにしろ大規模な災害が題材なので、考慮に入れないといけない範囲がムチャムチャ広いというのはこれまでにない特徴かもしれません。そのあたりが、この作品のウィークポイントになってしまってもいます。
 
具体的に触れていきましょう。まず鈴木家の中です。4人のキャラクター描写が、まあお上手なこと。大黒柱を気取ってるけど、その実たいして何もできない父親。一応の家庭の切り盛りはできるものの、ヘラヘラふわふわ右往左往している母親。デジタルオタクでミニマリスト、ヘッドホンで自分の殻に閉じこもっている大学生の兄。スマホとつけまつげ命で狭い人間関係の中を何とか渡り歩いている女子高校生の妹。ちょっとキャラを際立たせ過ぎかなと思わないでもないけれど、後々のそれぞれと関係性の変化が見どころになることを考えると、これぐらいはやっておかないといけないという判断でしょう。冒頭の食事のシーンが素晴らしい。全員が食卓につくことなんて絶対になくて、みんなバラバラ。仲が悪いとか険悪なムードが立ち込めてるわけじゃないんだけど、それだけに余計にたちが悪い家族間のぎこちないコミュニケーションっていうかな。ぼんやりした絶望のようなものをよく捉えていると思います。演技面の演出での過剰さとか、いかにも過ぎるセリフのやり取りが鼻につくところもなくはないけど、矢口監督は現実そのままよりも、イメージをそのまま見せてリアリティを感じさせる人だと思うので、そこは僕はむしろ容認するというか面白がるタイプの観客です。
 
ともかく、鈴木家それぞれの性格と関係が停電によってどう変化するかってことなんですけど、日々のルーティンの中で摩耗していた家族の絆が回復してより強固なものになるという王道の展開は、まあ、そりゃあるとして、そのひとつひとつのプロセス、一癖も二癖もある人々との交錯が面白い。
 
さらには、その水飲めるんだ。そっちは飲めないんだ。そこは通れなくなるんだ。意外な施設に人が集まるんだ。などなど、矢口印の徹底リサーチに基づいた小ネタの数々が奮ってます。最初こそね、僕もちょいバカにして笑ってたフシがあるんですよ。たとえば、電車も止まってるっていうのに、鹿児島へ飛行機で行くなんていう父親の計画に家族の誰も反対しないところなんて、「この状況で空港が使えるわけないだろ」って上からツッコんでしまう。ところがですよ、だんだん、だんだん、この状況なら僕はどうする私はどうすると想像するにつけ、答えがそう簡単には思い浮かばなくて、鈴木家のことを笑ってばかりはいられなくなってくる。その意味で災害シミュレーションとしてもよくできてる。
 
映像面では、こんな設定なのにCGは全然使わずにロケで押し切ってるところは評価できますよ。実際に高速道路であんな大規模な撮影ができたのも、絵としての説得力を持たせた大きな要因になっています。そもそも、脚本の展開がしっかり練られているので、余計な回想も必要ないし、ましてやおせっかいな説明ゼリフもほぼない。サントラに頼った演出もまるでない。さすがのクオリティです。
 
がしかし、弱点も指摘しておきます。大災害が起きても、あくまで鈴木家にフォーカスをするのは、予算的にも、そして監督の作家性の面でもわかるんだけど、災害のスケール感が伝わったかというと、それは希薄なんです。もっと凄惨でもっと過酷なことになってるはずなのに、なんかのほほんとしてる部分が前に出ちゃうから、いくらメイクで体を張ってキツい状態を演技されても、どこか余計な滑稽さが出ちゃうのは少し残念でした。あくまで鈴木家を通してでいいから、日本社会のそれこそ弱点をもっと痛烈に浮き彫りにする局面がほしかったかな。
 
とはいえ、僕らがどれほど電気に依存しているのか。自分で生きるというより、文明の利器に生かされているのか、そのありがたみと表裏一体の怖さはしっかり描けていたので、観る僕らはのほほんとしてていいから、『サバイバルファミリー』はとにかく観てほしい。強くオススメします。


番組ではもちろんフルでかけたこの主題歌”Hard Times Come Again No More”。僕の好きな歌い手であるShantiの歌声が沁みるんだこれが。

 

さ〜て、次回、2月24日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『ナイスガイズ!』です。ゴズリング祭り! あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年2月10日放送分

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原作があります。僕は読んでいなかったんですが、アメリカで2011年に発表されて300万部を超えるロングセラーとなっているランサム・ルグズの小説『ハヤブサが守る家』。日本でも複数の翻訳が出ていて、今だと潮(うしお)文庫版で手軽に入手できます。

潮文庫 ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち<上>

フロリダに住む孤独な少年ジェイク。彼の良き理解者だったのがおじいさん。昔から古い写真を見せておとぎ話を語ってくれていました。ところがある日、そのおじいさんが何者かに襲われて凄惨な死をとげます。ジェイクは遺言のような言葉に従ってウェールズの小さな島を訪れる。そこにはおじいさんから聞かされていた「同じ時間」をループして生きる奇妙な能力を持った子どもたちとミス・ペレグリンがいた。ジェイクは彼らと交流するうちに、やがて自分にもある力があることに気づき、迫り来る脅威に立ち向かっていく。
 
監督はティム・バートン。メガホンを取ったのは、このコーナーで2015年に扱った『ビッグ・アイズ』以来2年ぶり。ミス・ペレグリンをフランスの美しきエヴァ・グリーンが演じる他、テレンス・スタンプジュディ・デンチサミュエル・L・ジャクソンといった名優が大人の主要キャラクターを固めています。
 
それでは、意外と怖くて意外とグロテスクなので、隣の席の若い女性が事あるごとにビクッビクッとしていたこの作品を3分間の短評します。行ってみよう!

まず触れておきたいのは原題です。Miss Peregrine’s Home for Peculiar Children。ペレグリンハヤブサなんで、直訳すれば「奇妙な子どもたちのためのハヤブサ姉さんの家」ってことなんだけど、この「奇妙な」という言葉。僕はてっきりStrangeだと思ってたら違う。peculiarはstrangeと似てるんだけど、ちょっと違う。特徴が他と違うばかりか、特殊、独特、もっと言うと、他にない固有なものを指す時に使う言葉。
 
いくつか作品を観ればすぐにわかることですが、peculiarというのは実にティム・バートンらしいテーマで、誰かと群れて他人と同化して生きる周囲の人間とは違うpeculiarであるがゆえに孤独な登場人物が、自分の居場所や生き方を模索していくことが多いように思います。その意味では、今作だと主人公のジェイクがまさにそう。彼は周囲となじめないんですよね。彼のことを理解してくれる人がほとんどいない。ここが重要なんですが、彼は自分のことを普通で没個性的だと思っているんだけど、やがて自分にも能力があることがわかり、後半ではすごくイキイキとして目覚ましい活躍を見せる。お話の幹として、ジェイクのアイデンティティの獲得と成長があります。そんな彼を見守るのが擬似的な母親ミス・ペレグリンであり、奇妙なこどもたちとの恋心も交えた交流が彼を目覚めさせていきます。

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前作が『ビッグ・アイズ』だったことも象徴的だけど、今回も最重要モチーフは「目」でしたね。キャスティングのポイントは明らかに目力だろうし、それを強調するメイクとカメラアングルが徹底して採用されていました。特にエヴァ・グリーンの瞳はもう吸い込まれそうで、僕は何度かその魅力に打ちひしがれて石になってしまいそうでした。それはともかく、邪悪な能力者たちとの戦いにおいても「目玉」が大事でしたよね。死体からは目玉がくり抜かれるし、目玉を食べれば人間の姿に戻れる。ジェイクの能力は他の人に見えないものが見えるというものです。映画は目で見るメディアだし、自分らしい生き方を模索するのは、比喩を使えば開眼して世界と人生を見つめ直すからこそできることでしょう。
 
この作品は、バートンがジョニー・デップとのタッグに気を使わず、目を見張るアイデアの数々と色彩感覚を駆使して、自分の価値観を封じ込めようとした意欲作だという評価は間違いなくできます。基本的にはどこを切り取ってもワクワクです。
 
ただ、文庫で600ページほどある遠大な物語を2時間強の中にバランス良く語れたかというと別問題。これは類似点を指摘する人の多い「X-メン」シリーズを手掛けた脚本家ジェーン・ゴールドマンの問題かもしれないけれど、後半では明らかに整理不足。彼らそれぞれの能力とタイムトリップやタイムループ、そして善悪の戦い、永遠の命、そしてジェイクの葛藤。すべてを一気に強火で煮立てるもんだから、それぞれの火の通り方がマチマチで、要素がうまく溶け合ってないし、味がまとまってません。多くの人は、その解決策として前半をもっとサクサク進めた方がいいんじゃないかと指摘してますけど、僕はむしろ前半のペースで丁寧に最後まで観たかった。なので、上下に分けるとか、思い切ってメディアを変えてドラマで何話かの連作にするのも手だったかなぁ。
 
とはいえ、やっぱりひとつひとつのカットの構図はすばらしいし、キャラクターのビジュアライズもさすがはティム・バートンとしか言いようがなく、十二分に面白い映画を観たという満足感を得られる痛快な1本だとは断言できます。
 
=追記=
 
それを言っちゃおしまいよってことになるかもしれませんが、僕は全体的に内向きなバートンの世界観には納得しづらいところもあります。今回のエンディングがまさにそうでした。何が幸福かはそれぞれが決める相対的なものだということは理解できても、時間という本来は不可逆なものをいじってまでそこを追求されると、「それじゃ単なる現実逃避じゃねーか」とツッコミたくもなる。でも、それこそ映画を観まくるのだって現実逃避なわけで、全面的に否定したいわけではもちろんないし、結局まんまと幸せについて考えさせられているわけだから、バートンの思うツボなのかもしれないですけどね。


さ〜て、次回、2月17日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『サバイバルファミリー』です。矢口史靖監督、楽しみだよぉ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!