京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『ダンケルク』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月15日放送分
『ダンケルク』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170915172544j:plain

1940年。イギリス・フランスを中心とした連合軍の兵士40万人が、ドーバー海峡に面するフランス北端の町ダンケルクで、南から攻め入るドイツ軍によって包囲されていた。敵が迫る中、兵士たちは海を越えてイギリスへ撤退するべく策を講じます。イギリス側では、民間船の協力も得ながら、救出作戦を開始。空軍パイロットも、戦闘機の数が圧倒的に足りない中を出撃していく。

インセプション (字幕版) インターステラー(字幕版)

 ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』などで知られる現代の名匠クリストファー・ノーランが、初めて史実、そして戦争を映画化したものとして話題となっています。脚本もノーラン。音楽は、こちらも世界トップクラスのハンス・ジマー。これまで担当してきた「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ最新作『最後の海賊』の音楽を弟子筋に作らせ、ジマーは『ダンケルク』に集中するという力の入れよう。フィオン・ホワイトヘッドハリー・スタイルズケネス・ブラナートム・ハーディーらが出演。

 

CGを極力排することで知られるノーランですが、今回は1500人のエキストラを動員した他、なんと厚紙を切り抜いて兵士や乗り物を作るというアナログな方法も導入。撮影は、2017年現在世界で最も解像度の高い映像を撮影できるIMAX70mmフィルムで行われました。
 
それでは、『ダンケルク』ばりに時間との戦いとなる3分間の映画短評、今週もいってみよう!

「こんな戦争映画見たことない!」みたいなことが言われてます。僕もそう思いました。その場にいるかのような臨場感とか、IMAXのデカいカメラを実際の戦闘機に載せて撮影した「リアリティー」の追求ということもあるけれど、僕がここで注目したいのはふたつです。ひとつは、脚本と編集が織りなす珍しい構成。もうひとつは、それがもたらす戦争映画というジャンルそのものへのノーランの批評精神です。
 
まずは、構成から。映画初出演となる、ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズなどやケネス・ブラナーなど、俳優陣の名前にも事前情報として目を引かれると思いますが、作品を見始めてしばらくして気づくのは、この映画に主人公はいないということです。陸海空、各エピソードの主役はいるんだけど、その人達が映画全体を貫く主人公とは言えない群像劇です。それ自体は珍しくもないけれど、斬新だったのは時空間の配置。まず大きくふたつの立場があります。連合軍とドイツ軍、ではない! 実はドイツ軍の姿は、一度たりとも出てきません。敵は見えない。ここ重要なんだけど、後でまた触れるとして、じゃあ、どのふたつの立場か。ダンケルクで救助を待つ陸軍兵士。そして、彼らを救う人々。救う側が、さらにふたつに分かれます。つまり、海からと空から。以上、大きく分けてふたつ。そして、それが派生してみっつのエピソードが同時進行します。
 
ここまでも、形式としては比較的普通です。驚かされるのは、クライマックスというか、救出作戦が終了する物語のゴールへ向かう、3つのエピソードのタイムスパンがそれぞれ違うことなんです。救助を待つ側は、1週間。海から救助する側は1日。空から作戦に関わる武隊は、一番短くて1時間。1週間の話と、1日と1時間が同時に語られるわけだから、当然、映画の中では、シーンが変われば、場所が移動するだけでなく、時間も過去に戻ったり、その過去からみればback to the futureになったりと、かなり目まぐるしい、はっきり言えば、混乱を招く構成になってるんです。しかも、ノーランの過去作と照らしてみても、圧倒的にセリフが少なく、状況説明も最低限度までなくしてある。こうすることによって、僕たち観客は、それぞれのエピソードのマズい局面に毎度毎度いきなり放り込まれることになります。だから、先が読めず、ただただ座席でビクビク、オロオロするばかり。これは史実だから、マクロの視点に立てば、いつかどこかで作戦が集結することを僕たちは知っています。でも、ミクロの視点(これが映画の視点)に立てば、この映画に出てくる人々のうち、誰が生き残ることができるのか、それはさっぱり予想できない。まとめれば、この特殊な構成によってノーランが目指したのは、戦争というシチュエーションを借りたサスペンス・スリラーなんです。その恐怖を高めるには、敵は見えないほうがいいということですね。
 
では、なぜノーランはそうしたのか。それが、僕の注目するもうひとつのポイントである、戦争映画というジャンルそのものへの彼の批評精神になります。『ダンケルク』には、たとえば最近のものだと『ハクソー・リッジ』や、既にクラシック化している『プライベート・ライアン』のような血生臭さはありません。常に戦闘中だけれど、グロテスクな描写に重きはまったく置かれていない。
 
この映画への批判として、状況を描くばかりで、ドラマやノーランのメッセージが感じられないというものがありますが、僕は少なくともメッセージは明確にあると思っています。コピーに「生き抜け」とあるように、この映画が僕たちに伝えているのは、戦争のような命に関わる苛烈な状況において、生きて帰ること、撤退することもまた勝利なんだということです。逃げるは恥だが役に立つ。生きること。生かすこと。それが戦争において大事なんだ、と。そして、バットマンも手掛けたノーランですが、戦争映画にはいわゆるわかりやすいヒーローは必要ないと考えたんでしょう。
 
一見、為す術がない絶望的な状況で何を為せばいいのか。これを描くためには、マクロな視点はわずかでいい。むしろ、ミクロ、名も無き登場人物たちと小さな修羅場を次々と共有するような演出を積み重ねることで、それぞれの持ち場での作戦終了時のカタルシスが生まれる。それぞれのタイムスパンが並走するラストでは、僕は目頭が熱くなりました。
 
結論。『ダンケルク』は、スタンダードな演出を良しとしないノーランが生み出した、戦争映画としては異端だが、誰しもが命を賭けさせられる無慈悲な戦争の営みをモザイク画のように構成してみせた、「真に映画的な」意欲作です。

さ〜て、次回、9月22日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、ついにエピソード0が来てしまった『エイリアン:コヴェナント』です。怖いよぉ。ヤダよぉ。なんてビクビクしながら、戦慄を覚えてくることにします〜。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

 

『新感染 ファイナル・エクスプレス』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月8日放送分

f:id:djmasao:20170908161025j:plain

昨年のカンヌ国際映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門で上映されて反響を呼び、現在こちらも絶賛上映中(にして僕はまだ観られてなくて歯痒い思いでいる)『ベイビー・ドライバー』のエドガー・ライトや、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロらが褒め称えた、韓国のゾンビ映画。監督は1978年生まれだから僕と同い年のヨン・サンホ。アニメーションで演出をしてきた人ですが、今作のヒットを受け、日本でも来月、『我は神なり』という2013年の代表作の公開が決まりました。庵野秀明のような経歴ですよね。

「ベイビー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック パシフィック・リム(字幕版)

 ソウル発釜山行きの高速鉄道KTX。韓国北部で突然起きたパンデミックの感染者がひとり乗り込んでしまいます。車内でも瞬く間に感染が拡大。別居中の妻のもとへ幼い娘を連れて向かう父。臨月の妻をいたわる夫。高校野球部の部員とマネージャーのカップルなどを乗せて時速300キロで疾走するKTX。乗客たちは無事に釜山にたどり着けるのか。

ワールド・ウォーZ (字幕版) レッド・ファミリー(字幕版)

 このコーナーでゾンビものを扱うのって、2013年の『ワールド・ウォーZ』以来かな。韓国映画も『レッド・ファミリー』以来、3年ぶり。いずれも、僕は結構評価しておりました。それでは、秒速10文字程度で疾走する3分間の映画短評、今週もいってみよう!

今週はただただ褒めます。できの良いジャンル映画というのは、そのジャンルが要請する決まりごとは踏襲しながらも、技術、演出のアイデア、テーマなど、どこかでその枠をはみ出してしまう。この作品もそうで、ストーリーを30字くらいで要約すると「噛まれると感染してゾンビになるウィルスが蔓延。誰がどうやって生き残るのか」になります。普通じゃねえか。そこがジャンル映画たるゆえんなわけです。それをハイクオリティーで実現するなんてのは当たり前ですよとばかりに、この映画はどんどん新鮮な映画体験を僕らに届けてくれます。
 
大きくふたつに分けると、舞台を列車内に限定した設定の妙。そして、ゾンビじゃなくて人間を描くテーマ的な意志の強さ。
 
設定の方ですが、僕が先週チケットプレゼントで言ってたタイムサスペンス要素は実はほとんどなくて、とにかく高速で移動する「密室」であることが大事でした。それこそ日本の新幹線を想像すればいいんだけど、各車両ごとに扉があって、デッキがある。個室のトイレもある。網棚も忘れないで! 僕は映画が始まって15分くらいで主人公の親子が列車に乗った時点で、「おいおい、こんなに早く乗っちまって、最後までハラハラできるのか」って心配になったんですけど、余裕でした。最初は、ゾンビ映画にありがちな、「わー、やっぱり、ここにおった〜、ぎゃー!」みたいなことかと思ったら、「いや、ここは違うんです」みたいな、ジャンル映画の約束事を踏襲しつつ逆手に取ったりしつつ、そこで車内に乗り合わせた人物紹介まで自然にやっちゃうスマートさ。その後は、その手があったか!のオンパレード。しかも、密室だから、外で何が起こっているのか、正確には把握できないのもポイントなんです。車内のテレビもスマホもあるけど、いまいちよくわからない。このわからないのが怖いんだよね。観客の想像力もうまく動員してくれるから、そこでスケール感を出してる。予算の限界突破ってのは、こうやるんだっていう好例だと思います。
 
そういう汲めど尽きないアイデアの数々だけでもう十分すばらしいのに、テーマまで骨太なんだ。ゾンビを使って、この映画は人間を描いてるんです。そして、社会を批評しているんです。主役のダメパパ、仕事人間、ファンドマネージャーのソグ。彼なんか、ある意味、最初からゾンビですよ。イケメンだし、もちろん、まったく感染してなくても、金のためなら何でもするし、人を蹴落として生きることを良しとする血も涙もない資本主義の悪しき申し子ですから。それに対して、臨月の妻を気遣うソンファは、子どもっぽいところがあるし、ホワイトカラーへの偏見もあるんだけど、とにかく情に厚い。力が強い。そして、何より自己犠牲の精神がある。それがいよいよ本領を発揮し始めるる、駅の一連のシーンでは、思わず「すげぇ」って声を出してしまうくらい痛快で、「こういうのをヒーローって言うんだ、これこそヒーロー映画だ」って、ひとり映画館の暗闇で考えてました。ソンファ最高! 
 
そして、その後の生き残った人間たちの、あの立場の逆転劇も、愚かな人間ども描写として鮮やかだったし、それがまた次なる展開へときっちりつながる様子はお見事。僕らが知らず知らずに感染している利己主義的な価値観に監督が牙をむき出しにして噛み付いているわけです。総じて、高校生カップルや子どもを産む女性、そして幼い女の子など、露骨な競争社会に毒されていない人間は、善良なる人々として描かれていましたが、変化する人間もいましたね。ゾンビと違って、人は学ぶことができるんだということを見せてくれるのも良かった。
 
そして、何より、ゾンビ映画最大の難問。どう終わらせるかについても、この映画は凄かった! ゾンビって死なないというか死んでるというか。だから、簡単に「はい、これでスッキリ」とハッピーエンドにできないジャンルならではの困難があるんだけど、この作品の後味は、ゾンビ映画ならではの尾を引くビターさと、人間を信じたくなる涙まじり、塩気のある淡い甘みがブレンドされていて、ちょっと他では味わったことのない至高の領域に突入しておりました。
 
ほんと、ただただ褒めです。一部の音楽が、この映画には似合わない説明的なものだったことと、後は邦題くらいかな。でも、もうそんなの気にならないです。ゾンビもの苦手な人でも、これなら大丈夫。しっかりエンタメだし、グロすぎないし、ただビビらせるだけの演出もない。とにかくみんな、ダッシュで、いや、電車に乗って109シネマズへ行こう!
 
それにしても、ゾンビが雨のように降ってくるシーンにはまいりました…

溜息の断面図(初回生産限定盤)

番組では、評を整理していて思い浮かんだ、ハルカトミユキの『終わりの始まり』をオンエアしましたよ。もし日本版で主題歌を付けるならと選曲しました。ちなみに、このアルバムには『近眼のゾンビ』という曲もあり。

さ〜て、次回、9月15日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、いよいよ出ました、クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』です。絶賛の声があちこちから聞こえますが、今週に引き続き、ただただ褒める評になるんでしょうか。IMAXで観てきます。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 

『ワンダーウーマン』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月1日放送分
 『ワンダーウーマン』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170901190419j:plain

マーベル・シネマティック・ユニバースに対して、こちらはDCエクステンデッド・ユニバース、DCEU 4作目。『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』にチラッと出ていたキャラクターの単独作。
 
女しかいない孤島で、プリンセスとして、そして戦士として育てられたダイアナ。ある日、島に不時着した飛行機の男性パイロットを救い、彼から第一次世界大戦が起きていることを知らされます。世界を平和に導くという自分の民族の使命感を覚えたダイアナは、アメリカ人のパイロットと戦場へと向かいます。

 

バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生 アルティメット・エディション(吹替版) モンスター (字幕版)

監督は、シャーリーズ・セロン主演『モンスター』のパティ・ジェンキンス。女性です。これが久し振りの長編で2本目。監督が実写化するなら「私がやる」と強く手を挙げたようですが、大抜擢ですね。ダイアナ/ワンダーウーマンイスラエル出身のガル・ガドット、そして、お相手の男性トレバーをクリス・パインが演じています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!

あらすじを読んでいた時点で、設定にいくつか疑問があったんです。まず、女だけしかいない島っていったい何なんだ! どこにあるんだ! 行ってみたいぞ! これが初の単独作となるので、ダイアナの出自については、前半でわりと時間を割いて描かれていました。普通に考えたら、どうやって子どもが生まれるんだとか思うじゃないですか。これは設定の段階なんでネタバレにはならないでしょう。ギリシャ神話にゼウスってのがいますね。神々の親玉的な。その息子にアレスという戦いの神がいる。さらに、そのアレスから人間を守るために作られたアマゾン族という女性ばかりの種族がいる。ワンダーウーマンは、その末裔なんです。アマゾン族は、アレスが現れた時に彼を撃退するために訓練を積み続ける戦闘集団です。どうやら、殺されたりしない限りはずっと生き続けるようでして、映画のスタートは現代のパリ。ワンダーウーマンは自分の写った1枚の集合写真から、第一次大戦の頃の思い出を偲ぶという、壮大なフラッシュバックの構成なんですね。彼女がそのエリートとしての血筋と使命に目覚めてヒロインになっていく、成熟していくプロセスが描かれる。
 
この時点で疑問は山ほど湧いてきます。アマゾン族は人類の歴史とパラレルに生き続けてきたから武器が剣と盾と弓矢ってのはまだいいとして、世界史にあるような人類の戦争の歴史にどう絡んできたんだろう。飛行機が不時着したけど、あの島と世界の境界線のアバウトさは何なんだ。島から出たことがないから世間知らず、文明知らず、男知らずなのはいいとして、それでどうやってあんなにたくさんの言語が話せるんだろう。どれもこれも、設定はかなりアバウトです。詰めて考えると、クラクラしてきます。ただ、じゃあ、映画として破綻してるかっていうと、そうではないんですよ。そこが凄いなと思うんだけど、しっかり面白いし、興味が持続するんです。中だるみしないんです。
 
それはなぜかと考えると、ガル・ガドットが体現するワンダーウーマンそのものの問答無用の魅力と、映画全体のバランスが良いからですね。神話的要素、第一次大戦歴史ものの要素、カルチャーギャップをベースにしたコミカルな要素と軽い恋愛要素、そして、あくまで肉体を軸にしたアクロバティックなアクション要素。かなりごった煮なんだけど、どの具材も丁寧に下処理されてるから、火の通りも良くて、ずっと食べ続けられる。そして、どの具材も火を通しすぎて煮崩れしたりしてないから、口当たりがいいんです。悪く言えば、正面から向き合いきれてないんだけど、良く言えば、それぞれの要素のいなし方がうまい。さっき挙げた各要素を掘り下げすぎない。だから、矛盾や疑問も、あまり深く意識しないで済む。シリーズ1本目として、それって大事なことですよ。やっぱり、1本目から眉間にシワを寄せるのもしんどいしね。
 
でも、なんだかんだ、やっぱり、全体のダシに当たる、肝心のワンダーウーマンを演じるガル・ガドットがすごいんでしょうね。どんな服も着こなすし、すっとぼけた言動を取る時はチャーミングだし、髪型を変えて、露出度を上げて戦う時の頼れる感じ、意志の強さにも説得力があるし。
 
そのうえで、ヒーロー映画ですから、戦闘シーンも色々あるんだけど、いくらCGを使おうと、あくまで肉体重視のアクロバティックな戦いだから、荒唐無稽なんだけど、いい意味で人間離れしすぎておらず、しかも、だんだん戦闘が激しくなるように持っていってるから、ちゃんとラスボスまで戦闘シーンで飽きないようになってる。
 
がしかし、終わってみると、やっぱり疑問は疑問のままたくさん残ってるのも、また事実。エンディングで当然、現代にまた戻るんだけど、彼女は第二次大戦の時どうしてたんだろうとか、よくわかりません。それはまた次作ってことなのかしら。あと、仕方ないっちゃ仕方ないけど、ワンダーウーマン以外の魅力ありそうな男性キャラがその魅力を発揮できずじまいだったのはもったいないなぁ。奴らは人間だから、次作以降、時代が変わると出てこないんだろうなぁ。
 
とまぁ、気になるところはたくさんありますが、マーベルに比べると分が悪いDCEUの救世主としてワンダーウーマンが登場したってことは間違いなく、そして嬉しく断言できる1本でした。

さ〜て、次回、9月8日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『新感染 ファイナル・エクスプレス』です。この夏は『ザ・マミー』に出てくるゾンビでずっこけた僕なんで、こちらにはしっかりビビらせてほしいところ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月25日放送分

f:id:djmasao:20170825185342j:plain

海辺の町に暮らす中学1年の典道。夏休みの登校日。町の花火大会を控え、打ち上げ花火は横から見ると丸いのか、平べったいのか、という素朴な疑問についてクラスメートたちと言い争っていた。クラスの高嶺の花、なずなは、母親の再婚が決まって、夏休みのうちに転校をすることに。なずなに密かに恋心を抱いている典道は、親に振り回されたくないなずなから駆け落ちしようと誘われ、それを機に時間が巻き戻る不思議な経験をする。
 
世にも奇妙な物語」の後釜として93年に放送されたオムニバスドラマシリーズ「if もしも」の中で異彩を放ったエピソードが原作。脚本・演出の岩井俊二知名度を一気に高めたこの作品は、95年に劇場公開され、さらにカルト化しました。今回、ヒットメーカーたるプロデューサー川村元気が劇場アニメ化を企画。原作の岩井俊二が脚本に大根仁を指名。総監督は『魔法少女まどか☆マギカ』の新房昭之。見事に注目を集める座組なだけに、劇場公開後、さっそく賛否両論渦巻く格好です。
 
今週はアニメ「打ち上げ花火」をもちろんスクリーンで観るだけでなく、原作実写映画をDVDで鑑賞し、岩井俊二による24年越しのノベライズを角川文庫で読むなど、僕も負けじと複数の角度からこの物語を検証してまいりました。それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

本屋さんに行ってみると一目瞭然ですが、実は今、角川文庫から2冊のノベライズが出てるんです。ひとつは、岩井俊二が今回のアニメ化に合わせて書いたもの。もうひとつは、大根仁のペンによるもの。岩井俊二版の表紙は、93年のドラマで主演したふたり、山崎裕太(やまざきゆうた)が漕ぐ自転車の後ろに奥菜恵が座っている写真。懐かしいなぁと思う間もなく、僕はそのタイトルに驚きました。『少年たちは花火を横から見たかった』なんですよ。さっき言ったオムニバスドラマ「if もしも」のタイトルは、一部を除いて、すべて「AかBか」という二択になってるんです。あとがきを読んでわかりました。岩井俊二は、当時、このお題を拡大解釈し過ぎた結果、悪く言えば、他の演出家とは違うアプローチで奇をてらった結果、まったく「もしも」の話になっていないぞと当時のプロデューサーから指摘されて、苦肉の策として書き直したものが脚本になった。そこで、今回のノベライズでは、原点に立ち返って、ifというギミックを使わずに、少年少女の淡い夏の一日を文章にしたためた。だから、タイトルが違うんです。
 
話を戻して、アニメ版はどうなっているかというと、岩井俊二とはまったく逆のベクトルでして、ifという仕掛けをさらに膨らませる選択をしています。まず、実写にはなかった不思議な玉が登場。投げるとタイムリープして、その1日の意に沿わなかった部分からやり直すことになります。投げた玉がアップになる時、その内部で電球のフィラメントのようなものが見えるんですけど、そこにifという文字が一瞬だけどはっきりと見えるんです。つまり、93年のあのドラマシリーズコンセプトを強く押し出したアニメ版アップデートと言えます。
 
前置きが長くなった分、いきなり核心にいきます。アニメ化は成功してるのか。僕は面白く観たんですけど、面食らうお客さんが多いのはよくわかるし、その意味では、夏休み興行としては合格点ギリギリという感じがします。実写の尺はとても短くて45分。岩井版ノベライズも、文庫で160ページ。僕は、京都からサマソニまでの行き帰りで読み終えました。それだけ小さな話なんです。それを、アニメでは倍の90分にしました。一応、劇場にかけるんで、それくらいは尺がほしいという判断でしょう。では、どうやって倍にしたか。ごくごく簡単に言えば、ストーリーに小ネタを付けて、アニメ表現ならではの飛躍でボリューム感を出しています。結果、ところどころ、いや、後半は大部分がもう実験映画みたいになってきて、面食らうどころか置いてけぼりになる観客が続出するのも、さもありなんです。僕はそれも含めて楽しんだんですけど、そんなマニアックな楽しみ方をするのは少数派でしょう。
 
実写との決定的な違いである、タイムマシンとしてのif玉。あれを取っ掛かりに、映画を観た方は思い出してください、画面内は丸いもの、円形のもの、円を描くもののオンパレードです。灯台、虫眼鏡、プールでのターン、ゴルフボールとカップ、学校の校舎、螺旋階段、風力発電の風車、そしてもちろん、花火。カメラも弧を描いて動かす場面がありました。こういう似た形のものをリンクさせてどんどん物語をドライブさせていくマッチカットという手法はとても映画的で面白いし、謎としか言いようがないミュージカル的なずなの妄想シーンも興味深いんですけど、僕が残念に思ったのは、そうやって語り口を変えても、物語のテーマ、エッセンスそのものは特に深みを増してないことです。だから、オシャレしてみましたってだけで、重ね着した結果、あれ着ぶくれしてないかと思う人がいてもしょうがない。
 
ローティーンの男女の自分をうまくコントロールできない未熟さ。男女のマセ具合のずれってな淡いテーマを描くには、今回の製作陣の作戦が少々大人すぎる。むしろ、尺を伸ばすなら、岩井俊二のノベライズにあるように、全体を回想形式にしてしまう方が妥当でしょう。アニメ版は、せっかくアニメにするんだし、とか、岩井さんとはまた違った角度から、とか考え過ぎた気がします。もっと正面から打ち上げ花火を見ても良かったんじゃないかな。

オープンエンディングにポカンとしたり苛立ったりする人がいるのはわかるけれど、僕はアリどころか好ましく思いました。そこに至るまでの脱線で振り落とされた人には、「なんなんだよ」って絶対なりますけど、逆にこの話にオープンエンド意外あり得るのかって思うんです。「もしかして…」って想像させてナンボのもんですよ。
 
ただ、それを言っちゃおしまいなのは十二分に承知で言わせてちょうだい。僕はあの絵は苦手です。あの制服もしんどい。いかにも深夜アニメっぽすぎて… たとえば前半のプールの場面でも、急にギャグ漫画的に絵が変化したり、急にキラキラになったり、急にハイパーリアリズム的に写実的になったりと、僕みたいなアニメ素人にはついていけないですね。絵のタッチが饒舌すぎて、冷めちゃうんです。
 
とか何とか、まるでアニメ化は企画倒れかのように評を展開しましたけど、同じ話をメディアや作家を変えるとどうなるか、時代を経るとどうなるかという壮大な実験とも言えるこの「打ち上げ花火」を、僕はしっかり楽しんだし、愛でることができました。とても興味深い。ご覧になる方は、短い話なんで、ぜひ小説や実写版と比較してみてください。

さ〜て、次回、9月1日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ワンダーウーマン』です。彼女については、天然系の女戦士という情報しか、まだ頭に入っていないんですが、大丈夫でしょうか。でも、これが1作目だから、ドンと構えて観に行けばいいんだよね! きっと! 観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『スパイダーマン:ホームカミング』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月18日放送分
『スパイダーマン:ホームカミング』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170818160058j:plain

マーベル・コミックの大人気キャラクター、ご存知スパイダーマン。2002年からのサム・ライミ監督版、2012年からのマーク・ウェブ版に続き、これが2度目のリブート、3度目のシリーズ化となります。キャラクターの権利を持っているのが、実はマーベル・スタジオではなくて、ソニー・ピクチャーズだということで、これまではソニーがマーベルトは別に手がけていたんですが、昨年の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』から、アイアンマンなど人気キャラがうごめく世界MCUマーベル・シネマティック・ユニバースと電撃的な合流を果たしまして(あのシーンには笑わされましたね)、今回は単独作で新しいスパイディーが本格デビューとなりました。サブタイトルのホームカミングを、マーベルというホームへ帰ってきたという意味に取る人もいます。

スパイダーマン (字幕版) アメイジング・スパイダーマン (字幕版)

 ベルリンでのアベンジャーズ同士の戦いに参加し、キャプテン・アメリカのシールドを奪ったことで調子に乗っているスパイダーマン。スーツを脱げば、15歳の高校生ピーター・パーカー。アイアンマンことトニー・スタークから受け取った特性スーツを身に着け、彼は言わばヒーロー見習いとして、部活かサークルのような感覚で、住んでいるニューヨークご近所の治安を守る活動にいそしんでいた。そんな中、トニー・スタークに恨みを抱く敵バルチャーが暗躍。その動きを掴んだピーターは、トニー・スタークの忠告を無視して独自にバルチャーを封じ込めようとするのだが…

 
監督は、これが長編3本目の大抜擢、ジョン・ワッツスパイダーマンを、これまでで一番役の年齢に近い21歳のトム・ホランド、そして、悪役バルチャーをマイケル・キートンが演じています。
 
鉄の先輩と蜘蛛の後輩がせめぎ合う様子を僕がどう観たのか。それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

このコーナーでは7月頭の『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』から、いわゆる夏休み映画を続けざまに扱ってきましたけど、断言します。この夏の大本命が遅ればせながら登場です。パイレーツだミニオンジョジョだと、もう夏のキャラ祭ですけど、1本の映画としてのクオリティーがぶっちぎりに高いです。キャラの魅力とは別に、作品として良くできてる。なんなら、アメージングよりよっぽどアメージングで、これまで最高のスパイダーマンだという評価もありまして、僕も同じ考えです。
 
ヒーローものの宿命ですけど、シリーズ化すればするほど、どうしても敵がどんどん強くなっていく。すると、街や国、ひいては地球そのものが危機に陥るような、とんでもなくデカい話になりがちで、それに合わせて主役もどんどん力をつけるから、力のインフレが起きて何が何やら、僕らのしょうもない現実から何光年も離れた遥か彼方の出来事のように思えてくる。そして、パワーがでかくなる分、当然街が破壊されたり、市民の犠牲も出てくるので、「正義とは何か」みたいな話になって、ヒーローが悩み始める。最終的には、話はもう現実感がないのに、観ているとこっちまでしんどくなるほど重々しいテイストになっちゃう。全部あてはまらずとも、こんなような映画、ありますよね?
 
今回のスパイダーマンは、逆です。身のこなしだけじゃなしに、テイストも軽い軽い! そもそも、ピーター・パーカーは、アベンジャーズの誰よりも若くて未熟なんです。高校生だもの。友達とレゴでデス・スター作りたいし、好きな女の子もいるし、部活もある。普通はこれだけでも大変なのに、そこにプラスして、何よりも楽しいヒーローという活動もこっそりやってる。結構忙しいんですよね。そこで、ジョン・ワッツ監督は、例のスパイダーマン誕生のエピソードや、叔父さんを亡くしてしまうという悲劇を、なんと、あっさりカット。これが英断でした。確かに、クラス内のカースト的な嫌なことも描いてるんだけど、僕がいいなと思ったのは、ここでのピーターが、「僕には僕の活躍できる場があって、学校なんて狭い世界でどのポジションにいるかなんて大したことじゃない」という感じを、調子には乗ってるけど、鼻持ちならない奴にはならないように描けているんですよ。その証拠に、学校なんてどうでもいいとはなってない。ピーターがゾッコンなリズに対しては、彼なりに本気だし、親友のネッドともいいバディ感が出てる。要するに、世界を俺が救うんだっていう孤高のヒーローになりきれていないのが、僕らをくすぐるんです。そこに人間味が出るし、笑いが生まれる。
 
笑いと言えば、アメイジングスパイダーマンの時も、とにかくよく喋ってましたけど、今回はセリフ量がまた増えてましたね。独り言が多いこと! 僕も一人っ子だからわかるんだけど、自分を客体化して、セルフツッコミをしたり、自分の行動を実況するような言葉をブツブツ(普通は心の中でだけど)喋ることで、孤独を紛らわせたり、自分の内面のバランスを保ってるんだと思います。そういうキャラクターの特性をうまく引き出しているのが、彼が自撮りしている動画とか、スーツに仕込まれたAIです。2017年の今っぽさも出せるし、スパイディーの個性も際立つ見事な設定でした。
 
優れたヒーロー映画には、目が離せない悪役が欠かせません。その意味で、今作のバルチャー、マイケル・キートンは絶妙です。彼が悪事に手を染めるきっかけと動機には、同情する余地もあるんですよね。むしろ、「トニー・スターク、お前よぉ、ヒーローなんだったら、もうちょっと社会全体の調和ってもんを考えようぜ」と僕らにツッコませるような感じで、このバルチャーのジキルとハイド的な怖さは、この前の『ザ・マミー』の本家本元のはずのジキルを上回ってました。悪役にも理があるってのは別に目新しくないんだけど、今回はさらに中盤であっと驚く展開が待ち受けてるんで、さらにゾクッとするし、さらに同情度合いが増すという。よくできてる!
 
メイおばさんの色気とか、トニー・スタークの部下のハッピーとの軽妙なやり取りとか、リズとの淡い関係とか、食い気味でポップな編集のうまさとか、過去作関連作オマージュの嫌味がない出し方とか、音楽の使い所とか、ダサい回想シーンが無いとか、もう褒めるところばかり。
 
ただ、冷静になって考えると、要素が多くて展開が早いからついつい忘れてたけど、ピーターがどう成長したのかっていう内面の変化については描き切れてないから、最後の方のトニー・スタークとのやり取りは唐突だし、ヴァルチャーに対してどう思っていたのかという描写がないのも、ヴァルチャーに同乗しちゃった分、僕は不満です。
 
それでも! 僕はノリノリで楽しめました。スパイダーマンって、建物がなかったら、そっか、走るしかないんだ、とか、ゲラゲラ笑いました。最後の奴の決断も、僕は応援したくなるし、次回への期待を高めつつ、これ単体としてもしっかりまとまっているという、シリーズもの、しかもリブートもの、しかももっとドデカイお話の中に後から参加しての1作目という無理難題に、最高に近い形で回答してみせた痛快作でした。

COP CAR/コップ・カー(字幕版)

若手のジョン・ワッツ監督は、前作の『コップ・カー』がまた超絶オススメなので、こちらもぜひ。

さ〜て、次回、8月25日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』です。岩井俊二のあの映像を90年代にギリギリレンタルで観た世代の僕です。この作品は、それこそいろんな角度から語り甲斐があるんじゃないかしら。観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月11日放送分

f:id:djmasao:20170811130616j:plain

連載スタートから30年。現在も第8部が続いています。熱狂的なファンが多い荒木飛呂彦ジョジョが、アニメ化、ゲーム化を経て、満を持しての実写映画化。大河ドラマばりに、いやそれ以上に時代と場所を超えて成立するこの壮大な物語の中で、日本のひとつの街をベースに進行する、つまり最も実写化しやすいだろう第4部がチョイスされました。それでも話は長いので、今回は第一章と銘打っています。ただ、現時点では何部作になるのか、発表はされておりません。
 
杜王町に暮らす高校生の東方仗助。母と警察官の祖父の3人で暮らしている。仗助はスタンドと呼ばれる特殊能力の持ち主。触れるだけで他人の怪我を治し、破壊されたものを修復できます。ある日、仗助の甥だという年上の男、空条承太郎が現れ、そのスタンドの正体を仗助に教えます。時を同じくして、平和だった杜王町では、連続変死事件が発生。どうやら自分とは別のスタンド使いによる犯行だと知った仗助は、町を守るために立ち上がります。
 
仗助を山崎賢人が演じる他、神木隆之介小松菜奈岡田将生新田真剣佑伊勢谷友介山田孝之など、豪華キャストが揃い踏み。監督は、漫画実写化請負人の三池崇史
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

20世紀少年』の映画化くらいから顕著な気がするんですけど、ファンが多い漫画ほど、役者にコスプレをさせるようにして、実写で再現しようとしている。それに対して、こいつはOK、こいつはダメと、まるで映画と漫画を見比べて答え合わせをさせるような作り方が目立ちます。下手をすると、漫画のコマ割りを踏襲したようなカット割りやアクションまであって、映画が漫画をトレースする格好になってしまっている。でも、それって、何のための映画化なんだと僕は思うわけですよ。百歩譲って、アニメ化はトレースに近くても構わない。でも、実写にするなら、映画ならではの表現を目指さないと。
 
そういう考えを持つ僕からすれば、今回もやっぱりコスプレ色が強すぎて、正直、馴染むのに時間がかかりました。どう考えても、承太郎の後頭部は実写にすると、おかしいでしょ。ただ、演技に関しては、概ね僕は期待以上に楽しめました。特に、神木隆之介のうまさは、際立ってました。彼が演じるのは、転校生にして映画全体の狂言回しである広瀬康一。康一は、あの奇妙な世界を徐々に知ることで最も変化するキャラクターなんだけど、その分、表情や姿勢まで含め、持ち前の演技の幅の広さを発揮していました。
 
スペインでのロケも、馴染んではきたけど、やっぱり違和感は拭えません。前半から中盤にかけて、山田孝之演じるアンジェロとの闘いくらいまでは、ロングショットもちょいちょい入れてるし、明らかにヨーロッパの町並みに日本語の看板とか、オリジナルの標識も貼っつけたりして、杜王町の無国籍感、それこそ奇妙、ビザールな雰囲気を出していたとも言えます。ただし、後半、特に虹村兄弟との対決あたりになってくると、もう西洋風でしかないうえ、途中からやたらセリフも多くなって画面が硬直化するんです。必然的に映画そのもののリズムもおかしくなるんで、アクションと絵の動きでどう見せるのかという計算が、後半はもっと必要だったはず。
 
一方、スタンドはもうバッチリ。一連のCGはうまく画面に溶け込んでました。バッド・カンパニーの進撃場面は僕が1番アガったところ。「こら確かに怖いわ!」って思えるくらいに、アングルもスピード感も申し分なかったです。コマ撮りアニメを観るような、現実だけど現実でない奇妙さがあったからでしょう。
 
最後に脚本。もちろん、話もキャラも端折ってます。小松菜奈の由花子とか、出て来る順序も変えてます。それが原作と違うからどうとかいうのは、僕にはどうでも良い。それより、映画として構成し直した時に、たとえば警察官のおじいちゃんと仗助の関係とか、虹村兄弟やアンジェロの父親への思いなど、よりタイトな尺の映画だからこそ、父と息子というテーマを軸にしたかったという意図は明確だし、そこは評価できます。
 
ただ、匙を投げるようで悪いですけど、第二章も観ないと判断できないよってくらいに、1本の映画としては成立してないのは、それってどうなのって話です。続きが来月公開っていうなら、まだしも。第一章だけではまとまってないし、現時点では、まだビバ実写化と叫べる要素少なめ、トレース要素多め。とりあえず、評価保留といたします。


さ〜て、次回、8月18日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スパイダーマン ホームカミング』です。これもまたしてもシリーズ化するんやろうねぇ。何作続くかはよく知らんけど、とにかく、1本だけ観ても、それだけで楽しめるものを作ってほしい。僕はそう切に願います。観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月4日放送分
『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20170804193757j:plain

MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)、そしてキングコングなどのモンスターバースなど、各配給会社が、現在ヒットめがけてしのぎを削っているのが、ユニバース構想と呼ばれる映画シリーズです。さまざまなキャラクターたちによる物語が、実はひとつの世界の壮大な物語の中に与するというようなもののこと。各作品単体でも楽しめるけれど、組み合わせて考えるとより楽しめるという特徴があるので、配給会社としては、あてるとデカいんですよね。昨年、007もスピンオフを作ってユニバース化するかもなんてニュースも出ました。その功罪はとりあえず脇へ置くとして、この『ザ・マミー』は、ユニバーサル・ピクチャーズが往年のモンスター映画をリメイクする「ダーク・ユニバース」の第一作という位置づけです。

ミイラ再生 (初回限定生産) [DVD] ハムナプトラ失われた砂漠の都 (字幕版)

オリジナルは1932年の『ミイラ再生』という作品。それが99年からの『ハムナプトラ』へと展開し、今回また仕切り直してやってみようと。
 
トム・クルーズ演じる米軍の関係者ニックは、世界あちこちの戦闘地域で貴重な古代遺跡からでた品を掠め取って闇市場へ流して儲けている男。中東で武装グループによる襲撃を受けた彼は、ひょんなことから古代エジプトの墓を発見。考古学者の女性ジェニーと共に、その棺をイギリスへ輸送中、葬られていた古代エジプトの女王アマネットが蘇り、大惨事が幕を開けます。
 
監督は、『ミッション・インポッシブル3』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』など、名だたるビッグバジェット作品に脚本参加しているアレックス・カーツマン、43歳です。監督としては2本目となります。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

このキャリアにして、最近出る作品のクオリティーが軒並み高くて、アクションもますますキレが増している印象のトム・クルーズ最新作ということで、また日本にはファンも多いですから、期待している方も多いでしょうし、僕もそのひとりなんですが、ほとんど前情報なしに観に行ったこともあり、正直なところ、結構消化不良な感覚を僕は持っています。
 
まず、脚本にかなり難があります。おかしいなぁ。『ジュラシック・パーク』『ミッション・インポッシブル』『宇宙戦争』『スパイダーマン』のデヴィッド・コープや、『ユージュアル・サスペクツ』でアカデミー脚本賞を獲ったり、最近だと『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』なんて傑作も脚本・監督してるクリストファー・マッカリーが脚本を手がけてるんですよ。なぜ、こうなる?

f:id:djmasao:20170804195509j:plain

何が問題って、まず王女アマネットの呪いがもうひとつピンと来ないことなんですよ。プロローグとして描かれる部分なんですけど、要するに彼女は王になり損ね、死の神セトってのに魂を売り、世界を意のままにしようとしたところ、その企みがバレて生き埋めというか、生きたまま棺に入れられてしまったということなんだけど、それから数千年が経って呪いの力で蘇ったと。それはいいとして、彼女が何をしたいのかがどうにも伝わってこないんです。あと、鳥や蜘蛛を操ったり、ニックの意識下に入り込んで呪いをかけてセトに憑依されるっていうんだけど、彼女のそういう能力によって何がどうなったら、こういうことが引き起こされて危ないんだというロジックが全然わからないんで、次から次へと惨事が起こっても、大変なのはわかるけど、いまいち危機の正体が伝わらないんで、事態の全体像がつかめなくて入り込めないんですよね。

f:id:djmasao:20170804195403j:plain

それから、ニックとヒロインのジェニーの関係もチグハグな印象が拭えない。最初は騙されたって言って怒っていたジェニーが、命を救ってもらったからニックはいい人ってことで手のひらを返して恋人みたいになるんだけど、その感覚が今ひとつこちらには伝わってないから! 
 
ダーク・ユニバースなわけで、これから色んなキャラクターが出てくるのは理解できるんだけど、それにしたって、あのモンスターを封じ込めるという謎の組織「プロディジウム」の役割も、それを仕切るラッセル・クロウ演じるジキル博士の存在も、唐突だし、何しろ目的がもうひとつこれも伝わらないんで、同じく大変なことが起こっても、大変なのはわかるけど、それが結局何がどうして危ないのかという全体像がよくわからないんです。
 
中世の十字軍の騎士たちの墓がロンドンでこれまた発見されてっていうエピソードも面白いんだけど、なんかこう取ってつけた感じが否めない。
 
肝心のニックも、1作目だからしょうがないのかもしれないけど、こずるい男という当初の設定が活かされないまま、あれよあれよと呪いをかけられて、素のニックについてよくわからないまま事態が進行するから、どうしても僕らは置いてけぼりになるんです。
 
やっぱりプロローグが問題なんですよ。全体を貫く意志なり野望のようなものがうまく提示されていないので、何が起きても、ただのパニックに終わってしまう。だから、トム・クルーズラッセル・クロウもせっかくがんばってるのに、そのシーンが映画全体の中でうまく機能していないんだよなぁ。
 
ジャンル的にも、インディー・ジョーンズ的なアドベンチャー、ミイラというかゾンビもの、パニック、アクションといった要素をブレンドしてるんだけど、うまく混ざりきってはいません。
 
まとめると、ダーク・ユニバースの出だしは、ちょっとつまづいてますね。焦点が定まってないし、芯が見えない。今後、フランケンシュタイン、半魚人、透明人間と、ジョニー・デップハビエル・バルデムといった『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』コンビを巻き込んで続いていく模様ですが、全体の構想をしっかり練って立て直していく必要がありそうです。


さ〜て、次回、8月11日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』です。何を隠そう、僕マチャオ、ジョジョ弱者です。大丈夫なんでしょうか。僕みたいなズブの素人も、熱心なファンも、観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!