京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年10月20日放送分

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SF映画の金字塔、1968年の『猿の惑星』の前日譚として2011年にスタートした今回の3部作。『創世記(ジェネシス)』『新世紀(ライジング)』に続く完結編です。認知症の特効薬の実験中に発生した猿インフルエンザが蔓延し、人類が極端に少なくなった世界。高度な知能と言語を獲得した猿と人類の全面戦争が勃発。それから2年。猿のリーダーであるシーザーが率いる群れは、専守防衛に徹して森の奥深くで暮らしていました。ある夜、人間側の大佐の奇襲を受けて妻と息子を殺されたシーザーは、仲間たちを安全な場所へ移動させる一方、少数精鋭グループで、大佐への復讐の旅に出ます。道中、口のきけない人間の少女なども加わり、ついにシーザーは大佐の本拠である要塞にたどりつく…
監督は、前作に続いてマット・リーヴス。『クローバーフィールド/HAKAISHA』の監督ですね。CGは猿の毛並みまで含め、この3部作においても進化をしていますが、その動きはモーションキャプチャーがさらに微細な筋肉の動きにまで対応したパフォーマンスキャプチャーで人が演じています。シーザーを演じるのは、パフォーマンスキャプチャー界の巨人アンディ・サーキス。演技でのアカデミーを獲る可能性もあると噂されているし、僕はそうなると良いなと思ってるくらい。
 
ちなみに、Ciao! MUSICAでは、3年前の9月に前作を扱っていて、僕は「脚本の教科書に採用したいくらいによくできてる、今年屈指の作品だ」と評していましたが、今回はどうか。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!

前作の『ライジング』は、戦争発生のメカニズムを確かな説得力で描いてみせていましたが、今回はその戦いがどう収束して、あの『猿の惑星』へとゆるくでも繋がるのか。ストーリーの燃料は復讐です。大きな戦闘というより、小競り合いがもうずっと続いている状態。すると今度は復讐、報復という概念が登場するわけです。
 
これまで、Think before you act. 「行動する前に考えろ」と発言していたシーザーですが、妻子を殺され、今度ばかりは冷静さを保ちきれません。かつて猿同士の内戦の引き金を引いてしまったコバのことを、うなされるように思い出しながら出した結論は、リーダーとしての自分と個人としてのシーザーを切り分けること。仲間の安全を確保しつつ、単独で敵討ちに出かけようとしますが、仲間は放っておかない。旅が始まると、ひょんなことから人間の少女を助けますね。彼女の存在がこの復讐の物語の鍵でした。猿たちに溶け込み、口はきけないけれど、猿語の手話を体得する少女。やがてはお話のゴール、つまり復讐対象の大佐とシーザーの戦いに期せずして関わっていきます。
 
復讐がストーリーの燃料なら、テーマは共生じゃないでしょうか。大佐は猿を排除しなければ人間の未来はないと思ってる。さらに、ある種の人間も排除しないとダメだと決め込んで要塞を築いている。猿と人間双方を敵に回して排除を企み、一部の純粋な人間だけで生き残ろうとした結果、皮肉にも人間らしさを失っている。猿たちの強制労働の場面もありましたけど、明らかにファシズムでしたね。他方、シーザーたち猿には種類としても色んなのがいるし、助け合っていて、人間の少女まで匿う。最終的にどちらが生き残ることができるのか。それはこの3部作が前日譚なので、もう結論は出てますね。「猿の惑星」が誕生するわけです。ただ、最後のあの出来事にはご都合主義を感じる向きもあるかもしれませんが、僕はこう捉えました。文明を軽く凌駕する自然の脅威というものがあるのだと。
 
豊かな映像運びにも触れておきましょう。前回に続き、スタートから本題に入るまでの手際が良かったなぁ。あの熱帯雨林での人間と猿のゲリラ戦パート。泥沼化したベトナム戦争を描いた『地獄の黙示録』を連想する人は多いはず。そう言えば、大佐の存在も『地獄の黙示録』のカーツを彷彿とさせました。復讐の旅に出ていくところは、仲間が増えていくRPGのような冒険でしたが、映画ジャンルで言えば西部劇です。途中、『アナと雪の女王』でエルサが閉じこもってる雪の城みたいなとこが出てきたのはとりあえず脇へ置くとして、あのバッド・エイプと合流してから、今度は薄くコミカルな味付けの脱出劇になっていきますが、あれはどうしたって『大脱走』でしょう。そして、あの檻の中での一連のシーンは、磔描写もあったように、これまた何度も映画化されているキリストの物語を思い出してしまいます。邦題は聖戦記でしたよね。聖書からの引用もありつつ、だんだん宗教性を帯びていくんですよね。このように、既存の映画を下敷きにしているからこそ実現した豊かな映画作品だと言えます。

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三部作を貫いているのは、恐怖にかられて視野の狭くなった人間の愚かさが生む戦いの悲劇でした。恐怖を利用して権力を握った者が何をしでかすか。ひとたび戦争が始まれば復讐の連鎖も始まるのだということなど、SFでだからこそ成立する現実との程よい距離感で諭してくれるリブートでした。
 
でも、あの68年の名作の舞台となる時代まで、この前日譚から2000年が経過する計算です。その間、地球に何があるかはわかりませんが、人間と猿がもしかすると共生できるかもしれないという希望の予感はありましたね。三部作のシメとして、悲しみを希望の光が包むすばらしい形だったと思います。
 
Think before you act. あさっての選挙もそうですね。行動する前に考えろ。有権者も政治家もそうです。

さ〜て、次回、10月27日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『アトミック・ブロンド』です。シャーリーズ・セロンの新たな代表作となるか。僕好物のスパイ物ということで、かなり楽しみにしております。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

『ナラタージュ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年10月13日放送分
『ナラタージュ』短評のDJ's カット版です。

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洋画配給会社に務める20代の女性、泉。ある雨の夜、彼女は過去を思い出す。大学2年生の春、高校時代の恩師、葉山から一本の電話がかかってきた。それは、人数の足りない演劇部の卒業公演に参加してくれないかという依頼だった。葉山と過ごした日々や卒業式のできごとを大切に胸にしまっていた泉だったが、再会によって気持ちがまた募り始める。
 
泉を有村架純。葉山を松本潤。そして、泉に恋心を抱く男子大学生の小野を坂口健太郎が演じます。

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 原作は、若きヒットメーカー、女性作家の島本理生。監督は、行定勲。多作だし、もうすっかりベテランって思い込んでましたけど、まだ49歳。熊本出身で、中島ヒロトさんと同い年。作品に合わせて自在な画作りをされる方と言えるでしょう。代表作と言えるヒットがまた結構あるんですよ、これが。『GO』『きょうのできごと』『世界の中心で、愛をさけぶ』『北の零年』あたりかな。僕も好きな作品もありますし、監督にはこの番組に出ていただいたこともあるということで、思い入れもあるんですが、それはそれとして、しっかりと僕も観てまいりました。

 
それでは、観終わった後、いつも必死に回想して練り上げる3分間の映画短評、今週もいってみよう!

まず明らかにしておかないといけないのは、『ナラタージュ』という言葉の意味です。一般には使われませんが、映画や演劇の専門用語で、語りを意味する英語narrationと、編集を意味するフランス語montageを組み合わせて作られた言葉。登場人物のひとりが語り手となって物語を展開していくという手法のことなので、多くの場合、現在から過去を回想する形式となります。
 
この話は、タイトルにそのナラタージュを採用しているくらいだから、当然のように、主人公は回想します。泉は現在はOL。大学2回生の頃を思い出し、その中で、さらに高校時代を思い出すという、入れ子構造の回想になっているわけです。なので、時間が行ったり来たり、目まぐるしく変化します。これって、小説よりもよっぽど映画向きというか映画っぽい表現なので、行定監督が目をつけるのもよくわかる。
 
ただ、思い出すと言っても、せいぜい10年以内のことで、役者たちや景色がガラッと変わるわけではないので、監督はコントラストをつけるために、いくつもの仕掛けを導入しています。大きく分けて3つの時間には、それぞれライティングやレンズを使い分けて、映像的な差別化を施してます。思い出してもらうと、過去は明らかにソフトフォーカスで淡くなってましたよね。
 
それから、ラックフォーカスと言われる手法ですが、ワンショットの中で、ピントを手前から奥に合わせ直すようなことや、定番のスローなんかも要所でしていて、ケレン味のある、「今映画を観ているなぁ」と実感できる力の入った見せ場も多く用意していました。
 
登場人物の心情や関係性、時間・場所を代弁してくれるようなモチーフもたくさんありましたね。泉は雨をきっかけに思い出すわけですが、雨、海、運河、シャワーなどの水。葉山の髪の毛。花びら。ビクトル・エリセの『エル・スール』や成瀬巳喜男浮雲』などの映画引用。演劇部の話でもあるので、当然ながら、劇中劇のシェイクスピア真夏の夜の夢』。そして、小野くんが作っているという靴。葉山の懐中時計などなど。時にはあからさま過ぎてどうもなぁという、観ているこっちが照れるようなモチーフもありましたけど、そもそも映画向きの話なんだから、セリフよりも映像で語るぜっていう意志が感じられて好感が持てるし、概ねどれも思惑通りの効果を上げていると思います。

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がしかし、僕はのめり込むほど熱心には観られませんでした。感情移入しにくいって人がいるようですけど、僕は感情移入ばかり求めるのはどうかと思ってるぐらいなんで、理由はそこじゃない。泉と葉山がどうしようもなく惹かれ合ってしまったと打ちのめされるだけの裏付けがほしかったんですよ。裏付けはあるっちゃあるけど、そこに心血を注いで、「こりゃ無理だ」っていう説得力ある裏付けで観客をガツンと食らわせないことには、2時間20分のドロドロ心理劇をダラダラだと感じてしまう人がいてもしょうがないです。特に泉と小野については、この恋愛は不可抗力なんだってことを伝えてほしかった。ひとつひとつのエピソードには頷けはするけど、もっとヘビー級のパンチでないと… 恋愛の不可逆な感じ。泉が恋愛の沼に引きずり込まれるような場面を前半に持ってきてほしかった… もっと言うと、行定監督に脚本も書いてほしかったかな。脚本と演出が、野球で言うところの「お見合い」をしちゃって、ボールが間でポトッと落ちちゃったような印象だったのです。
 
とはいえ、役者たちも好演してます。坂口健太郎なんて素晴らしい。評価しきれないけど、好きな作品になりました。特に観終わってから、映像が今もフラッシュバックします。そんな魅力ある画面に、あなたも向き合ってください。

リスナーからの指摘もありましたが、泉の勤務先がシンカという、僕(京都ドーナッツクラブ)が普段からやり取りしている配給会社だったり、小野くんが泉に渡す手土産が京都北山マールブランシュ(Ciao! MUSICAのスポンサー)だったり。『ナラタージュ』の親近感は半端なかったです。冒頭で大きく映し出されるポスターは、イタリア映画『これが私の人生設計』でしたね。これ、僕、大好き! 泉の人生とうっすらリンクさせようってことなのかしら。

 

さ〜て、次回、10月20日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』です。なに〜!? シーザーの妻子が殺されるだって!? 僕はあらすじを読んだだけで青筋を立てていますが、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく! あ、今回のシリーズの復習はサラッとしておいたほうが良さそう…

 

『僕のワンダフル・ライフ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年10月6日放送分
 『僕のワンダフル・ライフ』短評のDJ's カット版です。

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ゴールデン・レトリバーの子犬ベイリーは、命の恩人である少年イーサンを慕い、やがてふたりは固い絆で結ばれていく。けれど、犬の寿命は人間よりもずっと短いもの。息を引き取ったベイリーは、生まれ変わってみると、犬種や性別は違うものの、意識はそのまま。いつかイーサンに逢いたい。そんな想いとともに、ベイリーは何度も生まれ変わっていく。

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監督は、『HACHI 約束の犬』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』など、ワンちゃん映画はお手のもの、スウェーデン出身のラッセ・ハルストレム、現在71歳。彼は、初期の名作『やかまし村の子どもたち』なんかを観ればわかるように、子ども演出にも長けています。そして、映画ファンには、ディカプリオが名を上げた『ギルバート・グレイプ』や『サイダーハウス・ルール』でよく知られてますし、僕の映画評では、3年前に『マダム・マロリーと魔法のスパイス』という、これまた素晴らしい作品を扱っています。

マダム・マロリーと魔法のスパイス(字幕版) 野良犬トビーの愛すべき転生 (新潮文庫)

 原作は、脚本にも加わっているW・ブルース・キャメロンという作家のベストセラー『野良犬トビーの愛すべき転生』。日本では新潮文庫から出ています。

 
名前で客を呼べるようなスターが出ているわけでもないのに、観客動員ランキング初週は、『亜人』に次いで2位。ある意味、これも犬のエンドレス・リピート・ライフとも言えますけどね。
 
それでは、犬には噛まれたことは3度ほどあっても飼ったことは1度もない男、犬には特に思い入れのない野村雅夫が3分間で吠えまくる映画短評、今週もいってみよう!

最愛の飼い主に会うために、50年で3回生まれ変わったベイリーの物語。90秒の予告編を観れば、だいたい分かりますってなほどに、設定は突飛だけど、話はシンプルです。だからこそ、演出で失敗して下手をこくと、説得力を持たせられず、先の読める展開でだらだら退屈で目も当てられないものになりかねないんですが、そこはさすがハルストレム。じわじわ手堅く感動させる佳作に仕上げてあります。
 
僕が今回の演出で大事だなと思ったポイント、ハルストレムの手際の良さを2点、挙げていくことにしましょう。
 
まずは、時代の移り変わりの見せ方。先週の『ナミヤ雑貨店の奇蹟』みたいにテロップなんか出しません。あの作品と違って、時代が行ったり来たりしないということもあるけど、こちらがスマートだったのは、それぞれの時代に流行った音楽やファッション、それからニュースを作中にさりげなく配置することで、はっきりいつと分からせずとも、おおよその時代感が伝わってくるということです。キューバ危機があってサイモン&ガーファンクルが流れたり、a-haの“Take on Me”を使ったり。それから、もっと短いスパン、つまりイーサンが少年から青年になるところなんかでは、ベイリーが自分の尻尾を追いかけてくるくる回っているうちにいつの間にか身体が大きくなって何年か経ってるみたいな、これこそ映画だっていうつなぎをしていました。何度かそういうのが出てくるんですけど、つなぎが鮮やかに決まった時には、僕の周辺の座席からは「おお!」っていう感嘆の声が漏れ聞こえてきたくらい。こういうのを映画体験って人は呼ぶんです。小説じゃできない。
 
同様に、時代を経ても、そしてこの作品の場合、身体は入れ替わっても変わることのない習性、記憶っていうのを、人、犬、それぞれのアクションやラグビーボールといった小道具をうまく使って、言語的にではなく、映像的にストンと僕らに理解させるのも好感が持てますね。
 
ただ、言葉という意味では、むしろ喋りすぎだろって批判してる人が多いのもまた事実です。観た人ならわかりますが、この作品は基本的にベイリーのナレーションで進行するんですね。これは判断が難しいところですが、僕はベイリーのユーモラスな語り口が肝だと考えているので、そこは擁護したいんです。というのも、あらすじで言ったように、ベイリーは生まれ変わると、犬種も性別も変わるんです。なので、ナレーションを減らして犬の演技に頼っちゃうと、もうさっぱり感情移入できなくなるし、犬の自己同一性が崩壊するんです。だから、擬人化して喋るってのを逆手に取って、セリフはとことん面白くしてある。
 
ここで、僕の考える本作の手際の良さをもうひとつ。興醒めするかもしれないけど、犬でなく人間を描いてるってことです。この映画にとって、犬はいないと話にならないけど、犬の話じゃない。ベイリーは当たり前だけど常に犬の目線から人間を観察してるわけで、人間の内面はわからないのに、僕らにはそれが痛いほどわかる。それが味噌です。このズレがユーモアを生むし、時にモーレツに泣かせるわけです。犬ならではだよなと僕が興味を持ったのは、匂い描写です。犬にしてみれば、恋する人間の様子はフェロモンによって一発でわかる。怒っててアドレナリンが出てる時も、匂いでわかる。それをベイリーが解説してみせるから、僕らはつい笑っちゃうし、後半、年老いたイーサンが汗をかくシーンでは、ジーンと来ちゃう。
 
はっきり言って、荒唐無稽な話です。原作も、ペットロスで立ち直れずにいる友だちのために作家が書いたっていうくらいだから、冷ややかに言えば、人間にとって都合のいい話です。だいたい、ベイリーの意識は、なんで少年イーサンとの出会いで培われるの? 輪廻するんなら、その前の命の記憶は? とか考え出すと、これはもう『プロメテウス』か『エイリアン:コヴェナント』かってことになってややこしいわけですよ。でもね、そういうあり得ないフィクションを、上映時間くらいは信じさせてくれるのが映画ってもんでしょ? それをハルストレムは爽やかに手際よくやってのけている。僕だってウルウルきちゃって、犬みたいな目になってたはずです。
 
ご都合主義も目立つし、よく描けている人間とそうでない人間の差がすごすぎて、描かれずじまいのキャラが不憫とか、問題もあるっちゃあるけど、そこは犬目線なんだから、そもそも視野が狭いんだってことで目をつぶります。映画を観る楽しみをいくつも提示してくれたハルストレムに、今回も僕は3回回ってワンと鳴きたいくらいに従順でありたい。野暮な噛みつきは不要です。まだ観てない方は、安心して牙を引っ込めて素直に楽しんじゃってください。

さ〜て、次回、10月13日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ナラタージュ』です。監督は行定勲。番組にお越しいただいたこともあるし、僕は正直なところシンパなんですが、それでも気になったことは遠慮なくツッコんでいく所存。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

 

 

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月29日放送分
『ナミヤ雑貨店の奇蹟』短評のDJ's カット版です。

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2012年、児童養護施設で育った幼なじみ3人は、ある悪事を働いて逃走中、空き家となっているナミヤ雑貨店に身を隠します。そこは、かつて主人が人々の悩み相談を手紙で引き受けていたお店。ホッとしたのも束の間、店のシャッターから手紙が差し入れられるのを見て仰天。開けてみると、それは1980年から届いた悩み相談だった。3人は戸惑いながらも、店主になり代わって返事をしたためることに。そんな手紙のやり取りから、ナミヤ雑貨店と3人、街の歴史と現在までの流れが浮かび上がり繋がっていきます。
 
原作は、いったい何本映画化されるんだという東野圭吾。監督はピンク映画出身で、2003年、寺島しのぶ主演の『ヴァイブレータ』で一気に株を上げた後、『ストロボ・エッジ』『オオカミ少女と黒王子』『PとJK』など、近年では少女漫画の実写化を多く手がける廣木隆一
 
ナミヤ雑貨店の店主を西田敏行が演じている他、雑貨店に忍び込む幼なじみたちを、山田涼介、村上虹郎が担当。他にも、尾野真千子林遣都成海璃子門脇麦小林薫など、名のある役者たちが揃い踏みです。
 
東野圭吾作品をそう読んでおらず、これも未読の僕野村雅夫が予備知識ゼロで3分間の映画短評、今週もいってみよう!

東野圭吾って、昔はもっとミステリー色が強かったように思うんですけど、いつの頃からか、ジャンルを広げて一般的なエンタメ小説に寄っているっていう印象があります。この話なんか典型だと思いますけど、登場人物たちの「ちょっといい話」みたいなものを特殊な設定で顕にすることが多いのかな。もう謎とかどうでもいいやって感じで、今回であれば、雑貨店のシャッターの郵便受けがなぜ時を繋ぐのかっていうのは、少なくとも映画では「そういうものだから受け止めなさい」ということになってます。それ自体に僕はとやかく言わないんですけど、僕ら観客がファンタジーを「そういうもんだ」と受け止めるのと、過去から手紙が目の前で届くなんて不思議なできごとを登場人物(ここでは幼なじみ3人組)が受け止められるかってのはまったく別の話ですよね。驚いたことに、3人はあまり驚かないんですよ。最初は当然いたずらじゃないのかってリアクションをするんだけど、返事をしたら、また相談の手紙が来る。いよいよいたずらだろってところだけど、シャッター越しに相談者が奏でるメロディーで、「あ、これ本当に32年前と今つながってるんだ」って、彼らも確信が持てるシーンがありましたね。「スゲえってなれよ!」、あるいは「怖い」ってなれよって僕は思ってしまったんです。普通はビビるでしょ? いや、3人も雑貨店を飛び出して夜の街を駆け回るんだけど、そこで走ってないはずの路面電車が身体をすり抜けたり、駆け抜けたはずの商店街に気がついたらループして戻ってたりっていう、どう考えても恐怖体験を重ねます。ますますビビるでしょ。っていう、ファンタジー設定、つまりは映画全体のリアリティーラインがよくわからないのが、少なくとも僕が映画に没入できなかった最大の要因かなと思います。
 
そして、僕が入り込めなかったもうひとつ大きな理由がありまして、それは時間軸の仕掛けによくついていけないっていうこと。2012年のある1日に、手紙がぽんぽん届くんだけど、つながってるのは、1980年のとある1日ではなくて、9月から12月くらいの3ヶ月間の色んな時間なんですよ。それってなぜ? 理由もよくわからないし、そこに対する3人の疑問も特にないようなので、観ている僕だけがわかってないのか、何か見落としているんじゃないかって落ち込むレベルでした。
 
時間の流れを意図的に混乱させることに物語的意味もあった『ダンケルク』と違って、この作品では悪いけど単純に説明がうまく機能していないんですよ。なので、ますます置いてけぼりをくらってしまいました。こうなってしまうと、登場人物と悩み相談が増えていけばいくほど、そのひとつひとつのエピソードにはなるほど共感できる「いい話」はあるものの、なんでこんなことになってるんだというクエスチョンマークが僕の頭上に絶えず浮かんでいる状態になってまして、もう大変です。
 
児童養護施設で火事が起きる場面も、僕は困ったことに結構クールに観ていまして、「え、そこから脱出したらええやん」などと冷水をぶっかけるようなツッコミを脳内でしている始末。
 
さらには、主題歌の問題まで、あくまで僕の中でだけど浮上します。山下達郎の“REBORN”。すばらしい歌ですよ。歌詞も物語にうまくリンクしてるし、さすがは達郎さんです。でもね、これ、実はエンドロールでだけ流れるんじゃなくて、劇中で門脇麦演じる歌手が自分の持ち歌として披露するんですよ。その歌唱力にも僕は特にケチをつけるつもりはないんだけど、困ったことに、どう聞いてもヤマタツ節だから、フィクション感がビンビンに出ちゃう。さらに、よせばいいのに、いきなり特に何の説明もなく海で門脇麦コンテンポラリーダンスを踊っちゃったりするから、さらにフィクション感が増して、「これは何なんだ」となっちゃう。踊りも映像も悪くないのに…
 
まとめましょうか。いい話です。泣けるっていうより、心に沁み入るタイプのエピソードやセリフがいくつも出てくるタイプの映画です。人はもちろん1人じゃなくて、誰か別の人の願いとか言葉で生かされてるんだよなって思える。でも、それを映画ではこう描いてやろうっていう演出的な工夫が、ないとは言わないけど少ないし、それがうまく言っているとは言い難い。人々の時を越えた繋がりという、映画としても面白くなるはずの物語なんだから、それこそ映像の繋がり、シーン同士のつながりももっと練ってほしかったなと思います。
 
追記:ナミヤ雑貨店に3人が忍び込む時に、シャッターの横っちょから入るんですけど、そこに確かにチェーンがかかっていたんです。それが、その後は一旦チェーンは見当たらなくなって、明け方エンディングに近いところでは、またチェーンが… これには何か意味があったんでしょうか。それとも… いずれにしても、タイムマシンの機能を果たしているのはシャッターなのか、あの敷地なのか、それとも街全体なのか、そのあたりは曖昧だったような気がします。小説、演劇、映画と、メディアの特性によって変化させてあるようではあるんですが…

さ〜て、次回、10月6日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『僕のワンダフル・ライフ』です。監督は名匠ラッセ・ハルストレム。それにしても、脇役ならまだしも、犬が主人公の作品は久し振りだワン。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『エイリアン:コヴェナント』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月22日放送分
『エイリアン:コヴェナント』短評のDJ's カット版です。

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泣く子も黙るSFホラーの金字塔、1979年の『エイリアン』。リドリー・スコットジェームズ・キャメロンデヴィッド・フィンチャーとバトンが渡されたシリーズの前日譚3部作として、1の監督リドリー・スコットがメガホンを取った2012年の『プロメテウス』に続く2本目にあたります。

エイリアン/ディレクターズ・カット (字幕版) プロメテウス (字幕版)

 時は2104年。人類が住めるだろう惑星オリガエ6へと向かっていた宇宙船コヴェナント。2000人の人間と人間の胚をコールドスリープ状態にして運んでいるところ。ウォルターというアンドロイドが船の管理を行っていたところ、コヴェナントはニュートリノ爆発に遭遇。船長たちが命を落とす中、ダメージを受けた船を必死で修復していると、音楽と思われる不思議な電波をキャッチ。発信元を探ると、どうやらその星はオリガエ6よりも遥かに近く、入植地の候補として有力かもしれない。新船長の命を受け、小型船で探索に向かった先は、地球に似ているけれど、生き物たちのいない世界だった…

 
かつてシガニー・ウィーバーが演じたリプリーばりのタンクトップ姿を披露する船長の妻に、『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』のキャサリン・ウォーターストーンが配役された他、コヴェナント号に乗り組むアンドロイドのウォルターと『プロメテウス』のアンドロイドのデヴィッドを、マイケル・ファスベンダーが1人2役で演じています。
 
それでは、グロいシーンでは極力薄目にして、それでもキツイ時には目を背けながらも何とか食らいついて鑑賞した僕野村雅夫による3分間の映画短評、今週もいってみよう!

折しも来月末『ブレードランナー2049』、つまりリドリー・スコットのもうひとつの代表作の続編(リドリー・スコットはこちらでは製作総指揮)が公開されるわけですが、このエイリアンの前日譚三部作も、テーマとしては同じアンドロイドなんだなということが、より鮮明になってきた作品です。79年の1本目は、当時の時勢も相まって、エイリアンが象徴する男性社会に対して抵抗を試みる女性というフェミニズム的な解釈が多く存在します。興味のある人は、文春文庫から出ている内田樹の『映画の構造分析』が読みやすくまとめてあるのでオススメします。それから21世紀に入ってAIの技術もずんずん進歩していく中で、リドリー・スコットの興味は、より根源的なテーマ、つまりはクリエーション、創造、ものを生み出すことに移っているのでしょう。
 
前作の『プロメテウス』だと、人類の起源としてのエンジニアという存在が登場しました。が、正直なところ、身体を溶かして川にDNAをばらまくあたりから「ぽかん」となってきまして、わりと理解に苦しんだのは僕だけではないはずです。一方、今回はエイリアン1というゴールへ近づいていることもあり、かなりわかりやすくなってきていて、SFではおなじみのロボット三原則「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」なんかも出てきます。この映画の文脈で言えば、人間そっくりのアンドロイドは、人間が生み出したもので、彼らは人間をサポートこそするけれど、何かを独自に生み出してはならないわけです。しかし、あの有能なアンドロイドに学習能力があるばかりか、好奇心まで備わっているとしたら… 現在、これはリアルな話として、AIに小説を書かせるなんて試みがあるわけですけど、好奇心のあるアンドロイドだって、何かクリエイティブなことをしたいと思うのが道理ってもんじゃないのか、と。人間が動植物の遺伝子を操作するように、アンドロイドが生命の根幹にまで興味を持った暁には… 
 
まぁ、こういう「飼い犬に手を噛まれる」みたいな話は『2001年宇宙の旅』にもあるように、SFのスタンダードだと言えると思うし、AIの恐怖はエイリアン1にもあったわけなんで、それ自体に目新しさがあるわけじゃないんですが、さっきも言ったように、AIによって人間の労働環境が大きく変わることがまことしやかに論じられているこのご時世にあっては、この古きテーマがいよいよ現実味を帯びてきて、恐怖がいや増すアクチュアルな問題としてググっと立ち上がってきているということなんですよね。って、ここまで話してきて、エイリアンそのもののについて触れてないじゃないかというツッコミが聞こえてきそうです。だって、しょうがないよ。これ、実態は、「アンドロイド:コヴェナント」って名付けたほうが良い映画だから。
 
いや、もちろん、エイリアンも出てきますよ。やたらすばしっこいちっちゃいチビリアンも出てくるし、おなじみの完成形も出てきます。そして、しっかりグロいです。ショッキングです。特に人間に寄生してからの成長の早さとか、もうウンザリするくらいに怖いです。でも、ビジュアルの言わばエンタメ的怖さよりも、アンドロイドがもたらす精神的ショックの方が、見終わった後はよっぽど大きい。その後味の悪さたるや…
 
ということで、面白くは見たんですけど、いかんせん、アンドロイドを巡る、ある種倫理的なテーマの面白さとは裏腹に、脚本は結構B級感がありますね。誰しもがつっこむのは、お前ら、見知らぬ惑星に降り立つのに、なんでそんなに無防備やねん、と。そして、もっと素朴な疑問も湧いてきます。コヴェナント号は突然のニュートリノ爆発という予期せぬ事態に遭遇したから、その地点で信号をキャッチして、はっきり言って、行き当たりばったりに目的地を変更し、えらい目に遭うわけだけど、もし爆発が起きてなかったら、あの信号はキャッチされないままだった可能性が高いわけでしょ? エイリアンシリーズって、そんな偶然の産物がきっかけだったの? とか… あ、野暮なこと言いました。
 
ただ、B級とされていたホラー映画の価値を一気に押し上げたのがエイリアン1だったわけで、グロ描写よりも脚本の都合の良さというか、こいつらバカなのかっていう乗組員たちの様子、その設定にこそお約束だからと目をつぶってしまえば、かなり楽しめる1本です。スリルはちゃんとあるし。

↑ お願いだから、『カントリー・ロード』は『耳をすませば』だけにしていただきたかった(苦笑)

 

何より、リドリー先生が楽しそうに演出している気がします。これからしばらくは、御年79歳リドリー・スコット大暴れです。ブレードランナー続編、オリエント急行殺人事件リメイクのプロデュース、そして、70年代に起きた石油王の孫誘拐事件を描く監督作が、アメリカで12月に公開されるので、アカデミー賞に絡んでくる可能性も大。『エイリアン:コヴェナント』を観て、あなたも来るべきリドリー祭りに備えてください。

さ〜て、次回、9月29日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、またまた東野圭吾作品が映画化、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』です。涙を売りにしてるけど、僕はそう簡単に泣かないぞ! なんつって、号泣したりして。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『ダンケルク』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月15日放送分
『ダンケルク』短評のDJ's カット版です。

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1940年。イギリス・フランスを中心とした連合軍の兵士40万人が、ドーバー海峡に面するフランス北端の町ダンケルクで、南から攻め入るドイツ軍によって包囲されていた。敵が迫る中、兵士たちは海を越えてイギリスへ撤退するべく策を講じます。イギリス側では、民間船の協力も得ながら、救出作戦を開始。空軍パイロットも、戦闘機の数が圧倒的に足りない中を出撃していく。

インセプション (字幕版) インターステラー(字幕版)

 ダークナイト』『インセプション』『インターステラー』などで知られる現代の名匠クリストファー・ノーランが、初めて史実、そして戦争を映画化したものとして話題となっています。脚本もノーラン。音楽は、こちらも世界トップクラスのハンス・ジマー。これまで担当してきた「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ最新作『最後の海賊』の音楽を弟子筋に作らせ、ジマーは『ダンケルク』に集中するという力の入れよう。フィオン・ホワイトヘッドハリー・スタイルズケネス・ブラナートム・ハーディーらが出演。

 

CGを極力排することで知られるノーランですが、今回は1500人のエキストラを動員した他、なんと厚紙を切り抜いて兵士や乗り物を作るというアナログな方法も導入。撮影は、2017年現在世界で最も解像度の高い映像を撮影できるIMAX70mmフィルムで行われました。
 
それでは、『ダンケルク』ばりに時間との戦いとなる3分間の映画短評、今週もいってみよう!

「こんな戦争映画見たことない!」みたいなことが言われてます。僕もそう思いました。その場にいるかのような臨場感とか、IMAXのデカいカメラを実際の戦闘機に載せて撮影した「リアリティー」の追求ということもあるけれど、僕がここで注目したいのはふたつです。ひとつは、脚本と編集が織りなす珍しい構成。もうひとつは、それがもたらす戦争映画というジャンルそのものへのノーランの批評精神です。
 
まずは、構成から。映画初出演となる、ワン・ダイレクションのハリー・スタイルズなどやケネス・ブラナーなど、俳優陣の名前にも事前情報として目を引かれると思いますが、作品を見始めてしばらくして気づくのは、この映画に主人公はいないということです。陸海空、各エピソードの主役はいるんだけど、その人達が映画全体を貫く主人公とは言えない群像劇です。それ自体は珍しくもないけれど、斬新だったのは時空間の配置。まず大きくふたつの立場があります。連合軍とドイツ軍、ではない! 実はドイツ軍の姿は、一度たりとも出てきません。敵は見えない。ここ重要なんだけど、後でまた触れるとして、じゃあ、どのふたつの立場か。ダンケルクで救助を待つ陸軍兵士。そして、彼らを救う人々。救う側が、さらにふたつに分かれます。つまり、海からと空から。以上、大きく分けてふたつ。そして、それが派生してみっつのエピソードが同時進行します。
 
ここまでも、形式としては比較的普通です。驚かされるのは、クライマックスというか、救出作戦が終了する物語のゴールへ向かう、3つのエピソードのタイムスパンがそれぞれ違うことなんです。救助を待つ側は、1週間。海から救助する側は1日。空から作戦に関わる武隊は、一番短くて1時間。1週間の話と、1日と1時間が同時に語られるわけだから、当然、映画の中では、シーンが変われば、場所が移動するだけでなく、時間も過去に戻ったり、その過去からみればback to the futureになったりと、かなり目まぐるしい、はっきり言えば、混乱を招く構成になってるんです。しかも、ノーランの過去作と照らしてみても、圧倒的にセリフが少なく、状況説明も最低限度までなくしてある。こうすることによって、僕たち観客は、それぞれのエピソードのマズい局面に毎度毎度いきなり放り込まれることになります。だから、先が読めず、ただただ座席でビクビク、オロオロするばかり。これは史実だから、マクロの視点に立てば、いつかどこかで作戦が集結することを僕たちは知っています。でも、ミクロの視点(これが映画の視点)に立てば、この映画に出てくる人々のうち、誰が生き残ることができるのか、それはさっぱり予想できない。まとめれば、この特殊な構成によってノーランが目指したのは、戦争というシチュエーションを借りたサスペンス・スリラーなんです。その恐怖を高めるには、敵は見えないほうがいいということですね。
 
では、なぜノーランはそうしたのか。それが、僕の注目するもうひとつのポイントである、戦争映画というジャンルそのものへの彼の批評精神になります。『ダンケルク』には、たとえば最近のものだと『ハクソー・リッジ』や、既にクラシック化している『プライベート・ライアン』のような血生臭さはありません。常に戦闘中だけれど、グロテスクな描写に重きはまったく置かれていない。
 
この映画への批判として、状況を描くばかりで、ドラマやノーランのメッセージが感じられないというものがありますが、僕は少なくともメッセージは明確にあると思っています。コピーに「生き抜け」とあるように、この映画が僕たちに伝えているのは、戦争のような命に関わる苛烈な状況において、生きて帰ること、撤退することもまた勝利なんだということです。逃げるは恥だが役に立つ。生きること。生かすこと。それが戦争において大事なんだ、と。そして、バットマンも手掛けたノーランですが、戦争映画にはいわゆるわかりやすいヒーローは必要ないと考えたんでしょう。
 
一見、為す術がない絶望的な状況で何を為せばいいのか。これを描くためには、マクロな視点はわずかでいい。むしろ、ミクロ、名も無き登場人物たちと小さな修羅場を次々と共有するような演出を積み重ねることで、それぞれの持ち場での作戦終了時のカタルシスが生まれる。それぞれのタイムスパンが並走するラストでは、僕は目頭が熱くなりました。
 
結論。『ダンケルク』は、スタンダードな演出を良しとしないノーランが生み出した、戦争映画としては異端だが、誰しもが命を賭けさせられる無慈悲な戦争の営みをモザイク画のように構成してみせた、「真に映画的な」意欲作です。

さ〜て、次回、9月22日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、ついにエピソード0が来てしまった『エイリアン:コヴェナント』です。怖いよぉ。ヤダよぉ。なんてビクビクしながら、戦慄を覚えてくることにします〜。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

 

『新感染 ファイナル・エクスプレス』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年9月8日放送分

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昨年のカンヌ国際映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門で上映されて反響を呼び、現在こちらも絶賛上映中(にして僕はまだ観られてなくて歯痒い思いでいる)『ベイビー・ドライバー』のエドガー・ライトや、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロらが褒め称えた、韓国のゾンビ映画。監督は1978年生まれだから僕と同い年のヨン・サンホ。アニメーションで演出をしてきた人ですが、今作のヒットを受け、日本でも来月、『我は神なり』という2013年の代表作の公開が決まりました。庵野秀明のような経歴ですよね。

「ベイビー・ドライバー」オリジナル・サウンドトラック パシフィック・リム(字幕版)

 ソウル発釜山行きの高速鉄道KTX。韓国北部で突然起きたパンデミックの感染者がひとり乗り込んでしまいます。車内でも瞬く間に感染が拡大。別居中の妻のもとへ幼い娘を連れて向かう父。臨月の妻をいたわる夫。高校野球部の部員とマネージャーのカップルなどを乗せて時速300キロで疾走するKTX。乗客たちは無事に釜山にたどり着けるのか。

ワールド・ウォーZ (字幕版) レッド・ファミリー(字幕版)

 このコーナーでゾンビものを扱うのって、2013年の『ワールド・ウォーZ』以来かな。韓国映画も『レッド・ファミリー』以来、3年ぶり。いずれも、僕は結構評価しておりました。それでは、秒速10文字程度で疾走する3分間の映画短評、今週もいってみよう!

今週はただただ褒めます。できの良いジャンル映画というのは、そのジャンルが要請する決まりごとは踏襲しながらも、技術、演出のアイデア、テーマなど、どこかでその枠をはみ出してしまう。この作品もそうで、ストーリーを30字くらいで要約すると「噛まれると感染してゾンビになるウィルスが蔓延。誰がどうやって生き残るのか」になります。普通じゃねえか。そこがジャンル映画たるゆえんなわけです。それをハイクオリティーで実現するなんてのは当たり前ですよとばかりに、この映画はどんどん新鮮な映画体験を僕らに届けてくれます。
 
大きくふたつに分けると、舞台を列車内に限定した設定の妙。そして、ゾンビじゃなくて人間を描くテーマ的な意志の強さ。
 
設定の方ですが、僕が先週チケットプレゼントで言ってたタイムサスペンス要素は実はほとんどなくて、とにかく高速で移動する「密室」であることが大事でした。それこそ日本の新幹線を想像すればいいんだけど、各車両ごとに扉があって、デッキがある。個室のトイレもある。網棚も忘れないで! 僕は映画が始まって15分くらいで主人公の親子が列車に乗った時点で、「おいおい、こんなに早く乗っちまって、最後までハラハラできるのか」って心配になったんですけど、余裕でした。最初は、ゾンビ映画にありがちな、「わー、やっぱり、ここにおった〜、ぎゃー!」みたいなことかと思ったら、「いや、ここは違うんです」みたいな、ジャンル映画の約束事を踏襲しつつ逆手に取ったりしつつ、そこで車内に乗り合わせた人物紹介まで自然にやっちゃうスマートさ。その後は、その手があったか!のオンパレード。しかも、密室だから、外で何が起こっているのか、正確には把握できないのもポイントなんです。車内のテレビもスマホもあるけど、いまいちよくわからない。このわからないのが怖いんだよね。観客の想像力もうまく動員してくれるから、そこでスケール感を出してる。予算の限界突破ってのは、こうやるんだっていう好例だと思います。
 
そういう汲めど尽きないアイデアの数々だけでもう十分すばらしいのに、テーマまで骨太なんだ。ゾンビを使って、この映画は人間を描いてるんです。そして、社会を批評しているんです。主役のダメパパ、仕事人間、ファンドマネージャーのソグ。彼なんか、ある意味、最初からゾンビですよ。イケメンだし、もちろん、まったく感染してなくても、金のためなら何でもするし、人を蹴落として生きることを良しとする血も涙もない資本主義の悪しき申し子ですから。それに対して、臨月の妻を気遣うソンファは、子どもっぽいところがあるし、ホワイトカラーへの偏見もあるんだけど、とにかく情に厚い。力が強い。そして、何より自己犠牲の精神がある。それがいよいよ本領を発揮し始めるる、駅の一連のシーンでは、思わず「すげぇ」って声を出してしまうくらい痛快で、「こういうのをヒーローって言うんだ、これこそヒーロー映画だ」って、ひとり映画館の暗闇で考えてました。ソンファ最高! 
 
そして、その後の生き残った人間たちの、あの立場の逆転劇も、愚かな人間ども描写として鮮やかだったし、それがまた次なる展開へときっちりつながる様子はお見事。僕らが知らず知らずに感染している利己主義的な価値観に監督が牙をむき出しにして噛み付いているわけです。総じて、高校生カップルや子どもを産む女性、そして幼い女の子など、露骨な競争社会に毒されていない人間は、善良なる人々として描かれていましたが、変化する人間もいましたね。ゾンビと違って、人は学ぶことができるんだということを見せてくれるのも良かった。
 
そして、何より、ゾンビ映画最大の難問。どう終わらせるかについても、この映画は凄かった! ゾンビって死なないというか死んでるというか。だから、簡単に「はい、これでスッキリ」とハッピーエンドにできないジャンルならではの困難があるんだけど、この作品の後味は、ゾンビ映画ならではの尾を引くビターさと、人間を信じたくなる涙まじり、塩気のある淡い甘みがブレンドされていて、ちょっと他では味わったことのない至高の領域に突入しておりました。
 
ほんと、ただただ褒めです。一部の音楽が、この映画には似合わない説明的なものだったことと、後は邦題くらいかな。でも、もうそんなの気にならないです。ゾンビもの苦手な人でも、これなら大丈夫。しっかりエンタメだし、グロすぎないし、ただビビらせるだけの演出もない。とにかくみんな、ダッシュで、いや、電車に乗って109シネマズへ行こう!
 
それにしても、ゾンビが雨のように降ってくるシーンにはまいりました…

溜息の断面図(初回生産限定盤)

番組では、評を整理していて思い浮かんだ、ハルカトミユキの『終わりの始まり』をオンエアしましたよ。もし日本版で主題歌を付けるならと選曲しました。ちなみに、このアルバムには『近眼のゾンビ』という曲もあり。

さ〜て、次回、9月15日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、いよいよ出ました、クリストファー・ノーラン監督の『ダンケルク』です。絶賛の声があちこちから聞こえますが、今週に引き続き、ただただ褒める評になるんでしょうか。IMAXで観てきます。あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!