京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『スパイダーマン:ホームカミング』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月18日放送分
『スパイダーマン:ホームカミング』短評のDJ's カット版です。

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マーベル・コミックの大人気キャラクター、ご存知スパイダーマン。2002年からのサム・ライミ監督版、2012年からのマーク・ウェブ版に続き、これが2度目のリブート、3度目のシリーズ化となります。キャラクターの権利を持っているのが、実はマーベル・スタジオではなくて、ソニー・ピクチャーズだということで、これまではソニーがマーベルトは別に手がけていたんですが、昨年の『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』から、アイアンマンなど人気キャラがうごめく世界MCUマーベル・シネマティック・ユニバースと電撃的な合流を果たしまして(あのシーンには笑わされましたね)、今回は単独作で新しいスパイディーが本格デビューとなりました。サブタイトルのホームカミングを、マーベルというホームへ帰ってきたという意味に取る人もいます。

スパイダーマン (字幕版) アメイジング・スパイダーマン (字幕版)

 ベルリンでのアベンジャーズ同士の戦いに参加し、キャプテン・アメリカのシールドを奪ったことで調子に乗っているスパイダーマン。スーツを脱げば、15歳の高校生ピーター・パーカー。アイアンマンことトニー・スタークから受け取った特性スーツを身に着け、彼は言わばヒーロー見習いとして、部活かサークルのような感覚で、住んでいるニューヨークご近所の治安を守る活動にいそしんでいた。そんな中、トニー・スタークに恨みを抱く敵バルチャーが暗躍。その動きを掴んだピーターは、トニー・スタークの忠告を無視して独自にバルチャーを封じ込めようとするのだが…

 
監督は、これが長編3本目の大抜擢、ジョン・ワッツスパイダーマンを、これまでで一番役の年齢に近い21歳のトム・ホランド、そして、悪役バルチャーをマイケル・キートンが演じています。
 
鉄の先輩と蜘蛛の後輩がせめぎ合う様子を僕がどう観たのか。それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

このコーナーでは7月頭の『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』から、いわゆる夏休み映画を続けざまに扱ってきましたけど、断言します。この夏の大本命が遅ればせながら登場です。パイレーツだミニオンジョジョだと、もう夏のキャラ祭ですけど、1本の映画としてのクオリティーがぶっちぎりに高いです。キャラの魅力とは別に、作品として良くできてる。なんなら、アメージングよりよっぽどアメージングで、これまで最高のスパイダーマンだという評価もありまして、僕も同じ考えです。
 
ヒーローものの宿命ですけど、シリーズ化すればするほど、どうしても敵がどんどん強くなっていく。すると、街や国、ひいては地球そのものが危機に陥るような、とんでもなくデカい話になりがちで、それに合わせて主役もどんどん力をつけるから、力のインフレが起きて何が何やら、僕らのしょうもない現実から何光年も離れた遥か彼方の出来事のように思えてくる。そして、パワーがでかくなる分、当然街が破壊されたり、市民の犠牲も出てくるので、「正義とは何か」みたいな話になって、ヒーローが悩み始める。最終的には、話はもう現実感がないのに、観ているとこっちまでしんどくなるほど重々しいテイストになっちゃう。全部あてはまらずとも、こんなような映画、ありますよね?
 
今回のスパイダーマンは、逆です。身のこなしだけじゃなしに、テイストも軽い軽い! そもそも、ピーター・パーカーは、アベンジャーズの誰よりも若くて未熟なんです。高校生だもの。友達とレゴでデス・スター作りたいし、好きな女の子もいるし、部活もある。普通はこれだけでも大変なのに、そこにプラスして、何よりも楽しいヒーローという活動もこっそりやってる。結構忙しいんですよね。そこで、ジョン・ワッツ監督は、例のスパイダーマン誕生のエピソードや、叔父さんを亡くしてしまうという悲劇を、なんと、あっさりカット。これが英断でした。確かに、クラス内のカースト的な嫌なことも描いてるんだけど、僕がいいなと思ったのは、ここでのピーターが、「僕には僕の活躍できる場があって、学校なんて狭い世界でどのポジションにいるかなんて大したことじゃない」という感じを、調子には乗ってるけど、鼻持ちならない奴にはならないように描けているんですよ。その証拠に、学校なんてどうでもいいとはなってない。ピーターがゾッコンなリズに対しては、彼なりに本気だし、親友のネッドともいいバディ感が出てる。要するに、世界を俺が救うんだっていう孤高のヒーローになりきれていないのが、僕らをくすぐるんです。そこに人間味が出るし、笑いが生まれる。
 
笑いと言えば、アメイジングスパイダーマンの時も、とにかくよく喋ってましたけど、今回はセリフ量がまた増えてましたね。独り言が多いこと! 僕も一人っ子だからわかるんだけど、自分を客体化して、セルフツッコミをしたり、自分の行動を実況するような言葉をブツブツ(普通は心の中でだけど)喋ることで、孤独を紛らわせたり、自分の内面のバランスを保ってるんだと思います。そういうキャラクターの特性をうまく引き出しているのが、彼が自撮りしている動画とか、スーツに仕込まれたAIです。2017年の今っぽさも出せるし、スパイディーの個性も際立つ見事な設定でした。
 
優れたヒーロー映画には、目が離せない悪役が欠かせません。その意味で、今作のバルチャー、マイケル・キートンは絶妙です。彼が悪事に手を染めるきっかけと動機には、同情する余地もあるんですよね。むしろ、「トニー・スターク、お前よぉ、ヒーローなんだったら、もうちょっと社会全体の調和ってもんを考えようぜ」と僕らにツッコませるような感じで、このバルチャーのジキルとハイド的な怖さは、この前の『ザ・マミー』の本家本元のはずのジキルを上回ってました。悪役にも理があるってのは別に目新しくないんだけど、今回はさらに中盤であっと驚く展開が待ち受けてるんで、さらにゾクッとするし、さらに同情度合いが増すという。よくできてる!
 
メイおばさんの色気とか、トニー・スタークの部下のハッピーとの軽妙なやり取りとか、リズとの淡い関係とか、食い気味でポップな編集のうまさとか、過去作関連作オマージュの嫌味がない出し方とか、音楽の使い所とか、ダサい回想シーンが無いとか、もう褒めるところばかり。
 
ただ、冷静になって考えると、要素が多くて展開が早いからついつい忘れてたけど、ピーターがどう成長したのかっていう内面の変化については描き切れてないから、最後の方のトニー・スタークとのやり取りは唐突だし、ヴァルチャーに対してどう思っていたのかという描写がないのも、ヴァルチャーに同乗しちゃった分、僕は不満です。
 
それでも! 僕はノリノリで楽しめました。スパイダーマンって、建物がなかったら、そっか、走るしかないんだ、とか、ゲラゲラ笑いました。最後の奴の決断も、僕は応援したくなるし、次回への期待を高めつつ、これ単体としてもしっかりまとまっているという、シリーズもの、しかもリブートもの、しかももっとドデカイお話の中に後から参加しての1作目という無理難題に、最高に近い形で回答してみせた痛快作でした。

COP CAR/コップ・カー(字幕版)

若手のジョン・ワッツ監督は、前作の『コップ・カー』がまた超絶オススメなので、こちらもぜひ。

さ〜て、次回、8月25日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』です。岩井俊二のあの映像を90年代にギリギリレンタルで観た世代の僕です。この作品は、それこそいろんな角度から語り甲斐があるんじゃないかしら。観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月11日放送分

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連載スタートから30年。現在も第8部が続いています。熱狂的なファンが多い荒木飛呂彦ジョジョが、アニメ化、ゲーム化を経て、満を持しての実写映画化。大河ドラマばりに、いやそれ以上に時代と場所を超えて成立するこの壮大な物語の中で、日本のひとつの街をベースに進行する、つまり最も実写化しやすいだろう第4部がチョイスされました。それでも話は長いので、今回は第一章と銘打っています。ただ、現時点では何部作になるのか、発表はされておりません。
 
杜王町に暮らす高校生の東方仗助。母と警察官の祖父の3人で暮らしている。仗助はスタンドと呼ばれる特殊能力の持ち主。触れるだけで他人の怪我を治し、破壊されたものを修復できます。ある日、仗助の甥だという年上の男、空条承太郎が現れ、そのスタンドの正体を仗助に教えます。時を同じくして、平和だった杜王町では、連続変死事件が発生。どうやら自分とは別のスタンド使いによる犯行だと知った仗助は、町を守るために立ち上がります。
 
仗助を山崎賢人が演じる他、神木隆之介小松菜奈岡田将生新田真剣佑伊勢谷友介山田孝之など、豪華キャストが揃い踏み。監督は、漫画実写化請負人の三池崇史
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

20世紀少年』の映画化くらいから顕著な気がするんですけど、ファンが多い漫画ほど、役者にコスプレをさせるようにして、実写で再現しようとしている。それに対して、こいつはOK、こいつはダメと、まるで映画と漫画を見比べて答え合わせをさせるような作り方が目立ちます。下手をすると、漫画のコマ割りを踏襲したようなカット割りやアクションまであって、映画が漫画をトレースする格好になってしまっている。でも、それって、何のための映画化なんだと僕は思うわけですよ。百歩譲って、アニメ化はトレースに近くても構わない。でも、実写にするなら、映画ならではの表現を目指さないと。
 
そういう考えを持つ僕からすれば、今回もやっぱりコスプレ色が強すぎて、正直、馴染むのに時間がかかりました。どう考えても、承太郎の後頭部は実写にすると、おかしいでしょ。ただ、演技に関しては、概ね僕は期待以上に楽しめました。特に、神木隆之介のうまさは、際立ってました。彼が演じるのは、転校生にして映画全体の狂言回しである広瀬康一。康一は、あの奇妙な世界を徐々に知ることで最も変化するキャラクターなんだけど、その分、表情や姿勢まで含め、持ち前の演技の幅の広さを発揮していました。
 
スペインでのロケも、馴染んではきたけど、やっぱり違和感は拭えません。前半から中盤にかけて、山田孝之演じるアンジェロとの闘いくらいまでは、ロングショットもちょいちょい入れてるし、明らかにヨーロッパの町並みに日本語の看板とか、オリジナルの標識も貼っつけたりして、杜王町の無国籍感、それこそ奇妙、ビザールな雰囲気を出していたとも言えます。ただし、後半、特に虹村兄弟との対決あたりになってくると、もう西洋風でしかないうえ、途中からやたらセリフも多くなって画面が硬直化するんです。必然的に映画そのもののリズムもおかしくなるんで、アクションと絵の動きでどう見せるのかという計算が、後半はもっと必要だったはず。
 
一方、スタンドはもうバッチリ。一連のCGはうまく画面に溶け込んでました。バッド・カンパニーの進撃場面は僕が1番アガったところ。「こら確かに怖いわ!」って思えるくらいに、アングルもスピード感も申し分なかったです。コマ撮りアニメを観るような、現実だけど現実でない奇妙さがあったからでしょう。
 
最後に脚本。もちろん、話もキャラも端折ってます。小松菜奈の由花子とか、出て来る順序も変えてます。それが原作と違うからどうとかいうのは、僕にはどうでも良い。それより、映画として構成し直した時に、たとえば警察官のおじいちゃんと仗助の関係とか、虹村兄弟やアンジェロの父親への思いなど、よりタイトな尺の映画だからこそ、父と息子というテーマを軸にしたかったという意図は明確だし、そこは評価できます。
 
ただ、匙を投げるようで悪いですけど、第二章も観ないと判断できないよってくらいに、1本の映画としては成立してないのは、それってどうなのって話です。続きが来月公開っていうなら、まだしも。第一章だけではまとまってないし、現時点では、まだビバ実写化と叫べる要素少なめ、トレース要素多め。とりあえず、評価保留といたします。


さ〜て、次回、8月18日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スパイダーマン ホームカミング』です。これもまたしてもシリーズ化するんやろうねぇ。何作続くかはよく知らんけど、とにかく、1本だけ観ても、それだけで楽しめるものを作ってほしい。僕はそう切に願います。観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年8月4日放送分
『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』短評のDJ's カット版です。

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MCU(マーヴェル・シネマティック・ユニバース)やDCEU(DCエクステンデッド・ユニバース)、そしてキングコングなどのモンスターバースなど、各配給会社が、現在ヒットめがけてしのぎを削っているのが、ユニバース構想と呼ばれる映画シリーズです。さまざまなキャラクターたちによる物語が、実はひとつの世界の壮大な物語の中に与するというようなもののこと。各作品単体でも楽しめるけれど、組み合わせて考えるとより楽しめるという特徴があるので、配給会社としては、あてるとデカいんですよね。昨年、007もスピンオフを作ってユニバース化するかもなんてニュースも出ました。その功罪はとりあえず脇へ置くとして、この『ザ・マミー』は、ユニバーサル・ピクチャーズが往年のモンスター映画をリメイクする「ダーク・ユニバース」の第一作という位置づけです。

ミイラ再生 (初回限定生産) [DVD] ハムナプトラ失われた砂漠の都 (字幕版)

オリジナルは1932年の『ミイラ再生』という作品。それが99年からの『ハムナプトラ』へと展開し、今回また仕切り直してやってみようと。
 
トム・クルーズ演じる米軍の関係者ニックは、世界あちこちの戦闘地域で貴重な古代遺跡からでた品を掠め取って闇市場へ流して儲けている男。中東で武装グループによる襲撃を受けた彼は、ひょんなことから古代エジプトの墓を発見。考古学者の女性ジェニーと共に、その棺をイギリスへ輸送中、葬られていた古代エジプトの女王アマネットが蘇り、大惨事が幕を開けます。
 
監督は、『ミッション・インポッシブル3』や『オール・ユー・ニード・イズ・キル』など、名だたるビッグバジェット作品に脚本参加しているアレックス・カーツマン、43歳です。監督としては2本目となります。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

このキャリアにして、最近出る作品のクオリティーが軒並み高くて、アクションもますますキレが増している印象のトム・クルーズ最新作ということで、また日本にはファンも多いですから、期待している方も多いでしょうし、僕もそのひとりなんですが、ほとんど前情報なしに観に行ったこともあり、正直なところ、結構消化不良な感覚を僕は持っています。
 
まず、脚本にかなり難があります。おかしいなぁ。『ジュラシック・パーク』『ミッション・インポッシブル』『宇宙戦争』『スパイダーマン』のデヴィッド・コープや、『ユージュアル・サスペクツ』でアカデミー脚本賞を獲ったり、最近だと『ミッション・インポッシブル/ローグ・ネイション』なんて傑作も脚本・監督してるクリストファー・マッカリーが脚本を手がけてるんですよ。なぜ、こうなる?

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何が問題って、まず王女アマネットの呪いがもうひとつピンと来ないことなんですよ。プロローグとして描かれる部分なんですけど、要するに彼女は王になり損ね、死の神セトってのに魂を売り、世界を意のままにしようとしたところ、その企みがバレて生き埋めというか、生きたまま棺に入れられてしまったということなんだけど、それから数千年が経って呪いの力で蘇ったと。それはいいとして、彼女が何をしたいのかがどうにも伝わってこないんです。あと、鳥や蜘蛛を操ったり、ニックの意識下に入り込んで呪いをかけてセトに憑依されるっていうんだけど、彼女のそういう能力によって何がどうなったら、こういうことが引き起こされて危ないんだというロジックが全然わからないんで、次から次へと惨事が起こっても、大変なのはわかるけど、いまいち危機の正体が伝わらないんで、事態の全体像がつかめなくて入り込めないんですよね。

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それから、ニックとヒロインのジェニーの関係もチグハグな印象が拭えない。最初は騙されたって言って怒っていたジェニーが、命を救ってもらったからニックはいい人ってことで手のひらを返して恋人みたいになるんだけど、その感覚が今ひとつこちらには伝わってないから! 
 
ダーク・ユニバースなわけで、これから色んなキャラクターが出てくるのは理解できるんだけど、それにしたって、あのモンスターを封じ込めるという謎の組織「プロディジウム」の役割も、それを仕切るラッセル・クロウ演じるジキル博士の存在も、唐突だし、何しろ目的がもうひとつこれも伝わらないんで、同じく大変なことが起こっても、大変なのはわかるけど、それが結局何がどうして危ないのかという全体像がよくわからないんです。
 
中世の十字軍の騎士たちの墓がロンドンでこれまた発見されてっていうエピソードも面白いんだけど、なんかこう取ってつけた感じが否めない。
 
肝心のニックも、1作目だからしょうがないのかもしれないけど、こずるい男という当初の設定が活かされないまま、あれよあれよと呪いをかけられて、素のニックについてよくわからないまま事態が進行するから、どうしても僕らは置いてけぼりになるんです。
 
やっぱりプロローグが問題なんですよ。全体を貫く意志なり野望のようなものがうまく提示されていないので、何が起きても、ただのパニックに終わってしまう。だから、トム・クルーズラッセル・クロウもせっかくがんばってるのに、そのシーンが映画全体の中でうまく機能していないんだよなぁ。
 
ジャンル的にも、インディー・ジョーンズ的なアドベンチャー、ミイラというかゾンビもの、パニック、アクションといった要素をブレンドしてるんだけど、うまく混ざりきってはいません。
 
まとめると、ダーク・ユニバースの出だしは、ちょっとつまづいてますね。焦点が定まってないし、芯が見えない。今後、フランケンシュタイン、半魚人、透明人間と、ジョニー・デップハビエル・バルデムといった『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』コンビを巻き込んで続いていく模様ですが、全体の構想をしっかり練って立て直していく必要がありそうです。


さ〜て、次回、8月11日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章』です。何を隠そう、僕マチャオ、ジョジョ弱者です。大丈夫なんでしょうか。僕みたいなズブの素人も、熱心なファンも、観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『怪盗グルーのミニオン大脱走』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月28日放送分
『怪盗グルーのミニオン大脱走』短評のDJ's カット版です。

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ユニバーサル・スタジオとイルミネーション・スタジオがタッグを組む人気アニメ「怪盗グルー」シリーズ第3弾。このコーナーでは、2年前にスピンオフというか、シリーズ前日譚となる『ミニオンズ』を扱いました。街中で見かけるポスターを観ても、ミニオンばかり押してるんですけど、邦題にあるように、あくまでも主役は怪盗グルーです。ミニオン達はサブキャラです。
 
悪事から足を洗い、反悪党同盟に所属していたグルー。今作の悪役バルタザール・ブラットによる世界一のダイヤ強奪を阻止できなかったミスから、反悪党同盟を追い出されてしまいます。悪さをせずに家族と仲良く暮らすグルーに魅力を感じなくなったミニオンたちは、新たなボスを求めて旅に出ていったきり… そんな折、グルーにはドルーという双子の弟がいたことが判明。ブラットをとっちめようと力を合わせるのだが…
 
監督は、もとピクサーで、『ミニオンズ』でもメガホンを取ったカイル・バルダです。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

僕が『ミニオンズ』評を振り返ると、シーンひとつひとつはよくできていても、それが有機的につながった物語になっていない。あれは人間の言葉を話さないミニオンが主人公だったので、セリフに制約がある分、ストーリーテリングの難易度が相当高かったわけですけど、今回はあくまでも怪盗グルーシリーズですから、話は比較的まとめやすいはずです。ところが、今回も似た欠点を持っているように思います。個々のシーンの組み立ては、アニメならではの飛躍もあるし、同じイルミネーションの快作『SING/シング』ばりに音楽使いもハマってるし、見ていて愉快です。いわゆるスラップスティックなドタバタのノリも冴えてる。ディズニー・ピクサーより、笑いの種類が悪いから、大人もニンマリできる。でも、シーンとシーンの継ぎ目とか、どのシーンをどの順番でどれくらいの尺で組み立てるかという脚本全体の構成は、やっぱり強引です。
 
特に今回とある理由で逮捕までされてしまうミニオンたちのエピソードは、邦題ではメインだけど、たとえばあらすじを作るなら、もはや省けるレベルなんですよ。いや、あの部分の話は笑えるし、ミニオンたちの乗り物なんて、愉快だからもうちょっと観たいくらいだったんだけど、物語として必要なのかと問われると「さほど…」と言わざるをえないです。この感じ、何か最近味わったぞ… どの映画だろう… 『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』のジャック・スパロウだ! ストーリー的にはたいして必要ないレベルなんだけど、一応主役みたいな。ま、ミニオンは主役じゃないけどさ。
 
ただ、フォローしておくと、物語の意図はわかります。こうありたいという理想とそうなってはいない現実のギャップを埋めようとする物語。悪役のバルタザールが代表で、自分の輝いていた80年代からファッション、音楽、価値観がアップデートされないままでいて、現実はもう21世紀になってるのに、彼の中では時代が止まったまま。かつてテレビで子役スターだったのに、あっさりと見捨てられたという恨みが噴出する。つまり、こんなはずじゃなかったのに、世間はどうしてわからないんだという。
 
同様のことが、グルーと生き別れたドルーにも言えます。ドルーにしてみれば最高の悪党だった父の遺志を次ぎたいという理想を胸にいだいているけれど、あまりに鈍くさく、悪党としてのスキルがないため、現実はまったく理想に追いつかない。ミニオンたちは、理想の悪党を探しているから、今回は更生したグルーに愛想を尽かして旅の途中。そしてグルーの子供たちにも、同じく理想問題がありましたね。
 
このテーマで見ていくと、実はグルーだけが、その理想に近づいているから、どうにも映画全体のエネルギーが弱いんですよ。彼の理想は、少しずつ増えた家族と仲睦まじく暮らすことでしょ? ほとんど叶ってる。強いて言えば、正義のために働くと、今ひとつ活躍できないっていう。だからこそ、今回はグルーとドルーで、欠点を補い合って、とりあえず共通の敵であるバルタザールに向かう。こんな風に、一応、それぞれの葛藤が繋がったり交錯するようにしてはいるんだけど、肝心の主役グルーの理想への推進力が弱いので、話が転がりきらない。
 
って、このシリーズにそういうロジカルな展開を求めるのは野暮だって言われたらそれまでなんですけど、僕は気になりました。アニメならではの奇想天外な飛躍も、キャラクターの魅力も、ファレルを引き込んだりする音楽使いの上手さもトップクラスのイルミネーション・スタジオなんで、ここはひとつ、脚本をブラッシュアップできる人材を調達してから、とりあえずの続編『ミニオンズ2』に着手してほしいところです。そうすれば、さらなる高みへ一気に進めるし、僕はこういう悪ガキ心を呼び覚ます毒っ気のあるアニメが好きなんで、そんな最強イルミネーションの作品を観てみたい。『SING/シング』を超える代表作をミニオン絡みで観てみたいという理想を最後に表明しておきます。

さ〜て、次回、8月4日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』です。なんか、Twitterでの短い広告動画に出てくる、あのおびただしい数の鳥たち! ヒッチコックの『鳥』を思い出して怖いんですけど〜。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 
 
 

欧米で社会現象化の小説『リラとわたし』クロスレビュー

 翻訳家集団でもある京都ドーナッツクラブのメンバーは、定期的に開く会議の場で、イタリア文学の最新事情について情報交換をすることがある。そこで何度か話題にのぼっていた作家が、エレナ・フェッランテだ。

 イタリアとアメリカでそれぞれ100万部以上を売り上げ、世界40カ国以上での出版が決定した『リラとわたし』。「ナポリの物語1」という副題が付いているが、全4部にわたる大作。ドラマシリーズ化もされるという。各種雑誌やブックレビューはもちろん、ヒラリー・クリントンや俳優のジェームズ・フランコが絶賛し、もはや社会現象化しているにも関わらず、実はフェッランテは公衆の面前に姿を現すことはなく、女性の名前ではあるが、その性別すら明かされていない正体不明の作家なのだ。サリンジャーじゃないんだから! 

 名実ともにイタリアを代表する(謎の)作家となったフェッランテの代表作が、いよいよ日本にもやって来た。原文に真摯でありながら読みやすい訳で僕も(嫉妬混じりに)リスペクトする飯田亮介氏のフィルターを通って。

 この『リラとわたし』出版を記念して、京都ドーナッツクラブでは、ふたりの30代女性メンバーがそれぞれ異なる切り口でレビューを書いた。この作品が、多くの人の現代イタリア文学への入口となりますようにと願いを込めつつ。

 野村雅夫akaポンデ雅夫

リラとわたし (ナポリの物語(1))

リラとわたし (ナポリの物語(1))

 

*「ココナッツくにこ」の場合* 

 60代の作家エレナはある日、長年の親友リラが失踪したことを知る。エレナは直感で事件がリラの意図的な仕業であると確信する。そして過去の記憶を辿りながら、エレナは親友との物語を静かに語り始める… 本書は1950年代のイタリア・ナポリを舞台に、対照的な二人の少女の成長を描いた作品。本好きで勤勉なエレナと頭脳明晰な反逆児リラ。強い絆で結ばれた二人は助け合いながらも、唯一無二のライバルとして生涯の友情を育んでゆく。

 著者のエレナ・フェッランテは1943年、イタリア・ナポリ生まれの作家で、デビュー作は1992年の“L'amore molesto”(「愛に戸惑って」)。2011年に発表した『リラとわたし』をはじめとするナポリ四部作が世界的ベストセラーになり、現在40カ国以上での刊行が決定している。2016年にはタイム誌により「世界で最も影響力のある100人」に選出された。本書は初の日本語によるシリーズ一作目。著者はデビュー以来、性別すら明かさない覆面作家として名高い。

 物語はリラの失踪後、二人の幼年期から思春期までが描かれている。日々の生活を心豊かにしてくれる女友達の存在に心癒される二人。だがそんな仲のいい友人同士でも嫉妬心や競争心といった複雑な心情を伴うのが常である。そんな人間の性を著者は赤裸々に描き出す。同時に母娘の確執にも触れ、母に怯える娘の心情をまるで実体験のように綴る。こうして親友を“羨望の的”に、母親を“恐怖の対象”として対極化させることで、多感な思春期の心情を実に上手く描いている。他にも“優越感への欲”や、“格付け”といった無意識うちに行われる行為についても人間の本質を突いており、著者の鋭い洞察力がうかがえる。

 こうした負の感情を互いに持ちつつも、エレナとリラの友情は壊れるどころか日増しに強くなってゆく。二人の間には常に絶対的な信頼と愛情が存在するのであった。この二つが二人の生命力といっていい程の強さを放つ。「孤独」という言葉をよく耳にする現代の希薄な人間関係とは全くもって正反対である。現代人が忘れかけている人との真の絆というものを、本書は私達に教えてくれる。人によっては過去の友情を思い出す人もいるだろう。

 そんな健気な二人の友情を際立たせているのが当時の時代背景である。日常的な暴力と貧困にあえぐ1950年代のナポリは男性優位の社会。女性の地位は低く、生活基盤は地元住民との密接な繋がりが必要不可欠であった。商売ともなれば地元有力者との関わりは避けて通れず、これが後のリラの結婚に影響を及ぼすことになる。結婚式という地域の一大イベントの裏でうごめくビジネスと金。物語後半では愛情と打算が渦巻く世界に二人は翻弄される。

 最後に物語の鍵を握る「靴」の存在について触れておきたい。靴職人の娘であるリラは兄と共に一足の靴を作る。世界でただ一足しかないこの靴をリラの未来の夫がある日、多額の金で購入する。ところがこの「二人の恋の貴重な証人となるはずの靴」が、予想外の展開を招く。この映画さながらの小物使いのテクニックには恐れ入る。正体不明のミステリアスな著者が放つ仕掛けをぜひ皆さんにも味わって頂きたく思う。確実に興味をそそられるはずだ。

 本書は現在、世界でシリーズ累計550万部を突破し、アメリカとイタリアでミリオンセラーを記録。既にTVドラマや舞台化も決定している。覆面作家の本が売れているこの現象、海の向こうでは「フェッランテ・フェノミナン」と呼ぶそうだ。果たして日本ではどうか。一度読んだら病みつきになる『リラとわたし』、この夏お勧めの一冊である。

L'amica geniale

L'amica geniale

 

 *「チョコチップゆうこ」の場合*

 「向上心のない者は馬鹿だ」

 この言葉に出会ったのは、夏目漱石の本を読んだからではない。

 私が中学の時の担任教師が、宿題や諸々のプリント類に毎度毎度印字していたのだ。それはそれは常にキツイ女性教師だった。宿題を忘れた生徒にはビンタで応えていた。今なら大問題になりかねないのだろうが、20年前にはこんな教師もチラホラいたものだ。だから当時の私は「なんかまたキツイ言い方してるなー」くらいにしか感じていなかった。この『リラとわたし』を読むうちに、そんな思い出が蘇ってきた。 

 この物語は、戦後間もないイタリア・ナポリの貧しい地区で育つふたりの少女の成長を描いたものだ。話は主に「わたし」であるほうのエレナの言葉で綴られている。

 このふたりの小学校の先生がまだ幼いエレナに語った言葉がある。私が冒頭のフレーズを思い出したきっかけだ。進路の話の際、唐突に「平民」とは何かをエレナに問うのだが、彼女の答えに先生はこう加える。

 「(平民という)身分に甘んじる人間がいるとすれば、つまり自分も、自分の息子たちも、そのまた息子たちもずっと平民でいいと考えるとしたら、その人間にはまるで価値がないわ」

 もちろん、幼い彼女にはその意味を掴みきれない。先生は「平民」を相当に惨めな存在というが、彼女にとっては古代ローマ時代の階級のひとつにすぎなかった。

 タイプは違えど勉強のできるふたりは、先生からも大いに褒められ期待されていた。しかし、一生懸命勉強してふたりで本を書いてお金持ちになろう、という無邪気な発想さえしていた幼い少女たちも、貧困や時代の流れといった自分たちでは変えようのない現実によって次第に別々の道を歩くことになる。手段は異なるが、ふたりが求めていたのは「力」だ。貧しくて、暴力的で、古臭い、自分たちを取り巻く現実を変える力。現状に甘んじず、力を手に入れようともがく姿が彼女たちの成長とともに描かれている。

 私は当初スローペースで読み進めていたのだが、だんだんとページをめくる手が止まらなくなり、一気に最後のページにたどり着いてしまった。

 なぜか。それは、彼女たちが成長する過程で味わう気持ち、特に嫉妬、劣等感、優越感、挫折といった口に出しづらい気持ちが、私もいつかどこかで感じたことがあるものだからだ。「となりのあの子のほうが可愛いよね」とか、「勉強したってどうせあの子が一番とるだろうな」とか、認めたくないけど認めざるを得なかった、少しだけもやもやした気持ちを思い出してしまう。だから彼女たちに早く成長してほしくて、どんな風に成長するのかを知りたくて、ついついページをめくってしまうのだ。私だって成長しているはずだから、と思いながら。

 この物語は四部作の一作目なのだが、リラもエレナも幼いながらに自分たちなりの方法で上を目指して努力し、その努力が節目を迎えるところで終わる。その努力の結果を聞いてエレナは「平民」の意味を思い知るのだが、身分に甘んじず上に向かっていこうとしていた矢先だっただけに切ない。それでも、先生のあの言葉はキツイ言い方だけれども彼女への愛があったから発せられたことに気づくのではないだろうか。気づいたとして、さてそれからどう進んでいくのか。どんな力を手に入れるのか。それは続編でのお楽しみだ。

 そういえば、ただキツイだけの教師だと思っていたあの私の担任も、冒頭の言葉の裏には生徒たちへの愛情を込めていたのかもしれない。苦手意識しかなかったけれど、そういえば英語の課題で私が当時好きだったリンドバークの某曲を英訳した時は、いま思えば拙い訳だったけれど絶賛してくれて、私の外国語への興味を深めてくれたような気がする。『リラとわたし』を読んで、思いがけず先生に感謝することにもなった。

 

『カーズ/クロスロード』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月21日放送分
『カーズ/クロスロード』短評のDJ's カット版です。

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レーサーとして抜群の戦績を誇るライトニング・マックイーンにも、陰りが見え始めていた。彼を文字通り追い抜いていったのは、最新のテクノロジーを駆使した若手ジャクソン・ストーム。そんな時、マックイーンは大きなクラッシュを起こします。引退がささやかれる中、彼はクルーズ・ラミレスという女性トレーナーをタッグを組み、再起をかけるのだが…
 
ディズニー・ピクサー、人気シリーズの3作目。これまで監督を務めたジョン・ラセターから、監督は若手のブライアン・フィーに世代交代しています。先週は『メアリと魔女の花』を扱って、宮﨑駿率いたスタジオ・ジブリからの米林宏昌監督の独立と船出について触れましたが、奇しくも、今作でも似たような制作背景があるばかりか、作品のテーマそのものが、世代間のバトンの受け渡しになっているわけです。
 
それでは、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

カーズ2の主人公がレッカー車のメーターというスピンオフ的な位置づけだったので、今回は実質的には1の続編になってます。なので、これから観に行く方は1はおさらいしておいた方がより楽しめるでしょう。で、その1を振り返ると、もう既に今作につながるテーマがあったんですよね。若き天才だったマックイーンは、高速道路ができてすっかり寂れてしまったルート66にある田舎町の住人たちとの交流を通じて心持ちが変化する。時代の流れと、そこで忘れられている価値の見直し。モータースポーツらしい、チームワークや友情の大切さ。

カーズ (字幕版) カーズ2 (字幕版)

今回は若かったマックイーンが、もう王者になって久しい状況からスタート。リアルタイムで1から11年経ってますから、スポーツ選手の現役生活のスパンからいっても、モータースポーツの技術革新の面からいっても、とても現実的な設定で、なるほど、うまいです。今回も、やはりかつての価値の再評価が出てきて、場所は変えてあるけれど、独特のトレーニング方法も含め、ここも1を踏襲しています。
 
大きな違いは、今回相棒となるトレーナーのクルーズ・ラミレスが鍵となること。科学的で合理的なトレーニングを重んじるんだけれど、マックイーンと一緒にいるうちに、実はかつてレーサーを目指していたけれど諦めていたということが明らかになります。これまでは裏方としてスタジオに勤務していた今作の監督、ブライアン・フィーと重なります。ラミレスという名前からもわかりますが、ヒスパニック系の女性なんですよね。イタリア車のルイージなど、人種構成というか、車種構成というか、さすがはディズニー。「正しい」としか言いようがないです。
 
この作品、結構アッと声を出してしまうレベルのオチがありまして、それはさすがに言えないんだけど、要するに、傑出したデータ分析と技術力を誇る新世代に対抗してレーサーとしてサバイブできるのか、引退を先延ばしにしてまた黄金時代を作れるのかというサスペンスに対して、わりと驚きの着地をしてきます。そこは、はっきり意見が分かれます。僕はどう思っているかと言うと、世代交代というテーマに対して、それは「正しい」メッセージではあると思うけれど、映画としては首をひねらざるを得ないんです。
 
僕は観終わって、今回すごくモヤモヤしました。シーンごとに盛り上がるし、ちょっとセリフが多いけど、そりゃピクサーだけあって、作り込みは世界最高レベルです。CGアニメの、特に自然描写については、そして時には車のリアリティまで、これは実車じゃないのかと目を疑いたくなるレベルに達しています。さらに、ピクサーそのものの世代交代ともあいまって、流れそのものはいいんですよ。でも、何だかカタルシスを感じきれない。
 
近いテーマを持っていた『ローガン』とそこがはっきり違うんです。アメコミヒーローがその枠を揺さぶってまで表現していたのに対して、カーズ3は、むしろ、ピクサーの十八番である、物の擬人化とCGアニメの実写への接近を究めた結果、逆に魅力が損なわれてしまったような… 

【映画パンフレット】LOGAN ローガン 監督 ジェームズ・マンゴールド

先週、女神様からのお告げが下った時に、レーサーって普通に言ってるけど、これは人じゃなくて、人っぽい車の話だからねって、笑い混じりに喋りました。今回は観ていて、「この世界って、寿命とか、生と死の概念はどうなってるの?」って初めて思いましたからね。比喩というエンジンを噴かせすぎて、映画そのものがオーバーヒートしているんです。これはもう、脚本だけの問題ではなくて、アニメ論にも発展するトピックなので、それはまたどこか別の場所で。
 
とはいえ、そして、ともかく、高すぎる次元での話です、これは。特に大人はグッとくるはず。子供は子供でレース描写にハラハラするはず。これでおそらくもうチェッカーフラッグが振られたであろうカーズです。109シネマズでご覧ください。
 
☆ちょっとした追記
ルイージの声の吹き替えはジローラモさんでした。万が一、次があるようなら、僕もイタリア車に声優として乗り込ませてちょうだい!
 
・車のプロレスさながらのデモリション・ダービーのシーンがすごく好きです。日本では馴染みもないし。


さ〜て、次回、7月28日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『怪盗グルーのミニオン大脱走』です。僕は正直、ミニオンよりも「ひつじのショーン」派なんです。2年前の夏、前作はわりと厳しめに評しましたが、今回はどうでしょうねぇ。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『メアリと魔女の花』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年7月14日放送分
『メアリと魔女の花』短評のDJ's カット版です。

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田園にたたずむ赤い館村に引っ越してきた11歳の少女メアリ。かなりのうっかり者で、天然パーマの赤毛にそばかす。そんな自分の性格にも姿にも、コンプレックスを感じています。ある日、猫に連れられるようにして分け入った森の中で、7年に1度しか咲かない不思議な花「夜間飛行」を発見。それは、その昔魔女の国から盗み出された禁断の花。一夜限りの魔法を手に入れたメアリは、空の上にある魔法世界の最高学府エンドア大学へ誘われるのだが…

借りぐらしのアリエッティ [DVD] 思い出のマーニー [DVD]

監督は、スタジオジブリ出身の米林宏昌。『千と千尋の神隠し』や『崖の上のポニョ』などで原画を担当し、『借りぐらしのアリエッティ』で監督デビュー。『思い出のマーニー』では脚本も手がけて、アカデミー賞長編アニメーション映画賞にノミネートされましたが、ジブリはご存知のように制作部が解散。米林監督は、同じくジブリにいた西村義明プロデューサーと新たにスタジオポノックを設立。その記念すべき船出となるのが今作です。原作は、イギリスの女性作家メアリー・スチュアートが1971年に発表した『小さな魔法のほうき』。今回の映画化にあたり、KADOKAWAから『新訳 メアリと魔女の花』が出ています。

新訳 メアリと魔女の花 (角川文庫)

メアリを杉咲花(すぎさきはな)、村の男の子ピーターを神木隆之介が演じる他、天海祐希(ゆうき)、小日向文世大竹しのぶ、そして満島ひかりなど豪華キャストが声を担当しています。
 
それでは、10年に1度だから「魔女の花」以上にレアなサボテンの花を今週咲かせた僕マチャオが、制限時間3分間の短評を今週もスタート!

まず、この映画をジブリというか駿のパクリだと言っている人に僕は言いたい。おやめなさいと。日本人はすぐパクリだとレッテルを貼って貶すんだけど、百害あって一利なしです。創作活動を貧しくこそすれ、豊かには絶対にしませんから。そもそも、米林監督はジブリに長年いたわけで、そりゃ、モロに影響下にあるわけです。そんな人が、ラピュタっぽい場面、千と千尋っぽい、何より魔女の宅急便っぽいとか、百も承知に決まってるじゃないですか。その批判を覚悟の上で作ってるんだから、比較するのはいいけど、パクリだからダメだと一刀両断するのはもったいなさすぎます。
 
そんな前置きをしつつ、この映画は大きく分けてふたつの解釈ができると思います。まずは、駿もテーマにしてきた科学万能主義への批判です。具体的には、もう誰の目にも明らかですが、原子力です。メアリが迷い込む魔法の国では、魔法と科学の融合が研究されていて、倫理的に問題のある実験が行われていたりする。ま、魔法使いたちに倫理を問うていいものかどうかは別問題にしましょう。とにかく、メアリなど人間たちからすれば、受け入れがたいことが行われている。クライマックスでは、詳しくは言いませんが、はっきり311の原発事故を想起させる展開が用意されています。
 
メアリは「夜間飛行」を見つけることで、後天的に、一時的に魔女になります。エンドア大学へ行ってみると、先天的で変えられない、自分の嫌いな赤毛を羨望の眼差しで皆から見られ、「私にもいいとこあるじゃん」っていうか、短所は見方を変えれば長所であることを学ぶわけです。大事な成長ですね。ただ、逆に、魔法は彼女にもともと備わっている能力ではない。急にほうきで空を飛べるようになったけど、それは核物質の如き「夜間飛行」の力の賜物。褒められて調子に乗ったメアリは、そこからある嘘をつくことによって、魔法=世の中を自在に操ることができる(はずだと魔法使いたちがその応用を研究している)技術の研究開発を一気に進めさせることになってしまい、各キャラクターを巻き込んで大騒動へと発展するわけです。
 
つまり、ここで描かれるのは、魔法というものの危険性。科学の盲信と置き換えてもいい。探求すること、研究すること、知恵を結集して工夫することは人間のすばらしい能力だけれど、自分で制御できなくなるようなものを作り出し、そこに希望を見出すのはいかがなものかという警鐘ですね。取り返しのつかないことになるぞという。
 
このあたりが、真っ当でストレートな解釈でしょうが、もうひとつ、後半の展開や、ここで言えないのがもどかしいけど、あるキーとなるセリフを、アニメという魔法を操ってきたスタジオジブリからの米林監督の脱却宣言だと捉えた人もいるはずです。
 
ここまでは言っていいかな… 魔法を解く魔法というのが何度か出てきますが、ここで言う魔法は、呪いと置き換えてもいいでしょう。メアリがコンプレックスを乗り越え、自分のルーツを受け入れながら、自分で活路を見出していく様子に、監督がまったく自分を重ねなかったわけがない。その意味で、ジブリパクリと言われるような要素を敢えて入れたことも理解できます。頼もしいぜ、米林監督!
 
がしかし、1本の作品として、僕が手放しに褒めるかというと、そんなわきゃない!
 
脚本レベルでの僕が気づいた問題点をザッと挙げます。魔法の国のマダムとドクターが、かつて「夜間飛行」を発見した時に抱いたとされる野望と、それによってもたらされる危機がよく描けていないので、クライマックスの恐怖がいまいち伝わりきらない。エンドア大学のディテールは何となくわかるんだけど、魔法の国の全体像がさっぱりわからない。最後に、あの本! あれがあるなら、大学要らなくないですか? そして、メアリは独り言が多すぎる! 「マーニー」の時のアンナにも感じたことだけど、どうにも言葉が多すぎます。セリフを減らして、キャラの動きで感じさせてほしいところ。は〜、スッキリした。
 
その動きで足りなかったのは、意外に思われるかもしれないけど、スピード感でしょうか。絵そのものの話じゃなくて、キャラとカメラの動きなんです。かなり動いているのに、落下シーン以外でスピードを感じなかったということは、何か技術的にブラッシュアップの余地がある気がします。もっと、ロジカルなアクションの組み立て方をすると、生き生きとしてきて、それがシーンの躍動感、ひいては作品全体の躍動感につながるんじゃないでしょうか。トータルにのっぺり感じてしまう人がいるのは、きっとその辺が理由ではないかと僕はみています。

Suchmosは新レーベルにFirst Choice Last Stanceというかっこいいフレーズをあてましたが、米林監督のスタジオポノックの最初の選択も決して悪くないどころか、いい船出だと僕は思います。主題歌『RAIN』を引用するなら、「雨は草木を育てていくんだ」ということなんで、ポノックの映画制作にも豊かな実りがありますように。次作も楽しみにしています。


さ〜て、次回、7月21日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『カーズ/クロスロード』です。「あのマックイーンがベテランレーサーに」みたいなスポットがたくさん流れていますが、改めて言っておくと、擬人化した車の話なので、レーサーというよりはランナーなんじゃないか。そんなくだらないことを番組後に考えていた僕です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!