京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『影踏み』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月10日放送分
映画『影踏み』短評のDJ'sカット版です。

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人々が寝静まった深夜。民家に忍び込んでは盗みを働く「ノビ師」が専門の泥棒、真壁修一。その技術の高さは、警察にも一目置かれるほど。ある夜、県議会議員の邸宅に侵入した真壁は、自宅に放火しようとしていた妻の姿を目撃します。その瞬間、彼の脳裏には、自分の家族に起きた20年前の事件の記憶が蘇るのでした。さて、その事件の真相は? そして、かつて法律家を目指した真壁がなぜ泥棒になったのか?

月とキャベツ [DVD] 8月のクリスマス [DVD] 

原作は『64 ロクヨン』や『クライマーズ・ハイ』などの映画化作品でも知られる作家、横山秀夫。脚本は2010年版の『時をかける少女』や『味園ユニバース』の菅野友惠。監督と主演は、それぞれ篠原哲雄山崎まさよし。このタッグは、まさよしさんの『One more time, One more chance』を主題歌にした96年の青春音楽映画『月とキャベツ』以来。そして、まさよしさんも映画主演は2005年『8月のクリスマス』以来ですから、久しぶりです。

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写真:有村蓮  ウェブサイト「好書好日」より

キャストは他に、真壁と学生時代から親交のあった久子を尾野真千子、真壁を兄貴と慕うチンピラのような男を北村匠海。さらには、中村ゆり竹原ピストル滝藤賢一鶴見辰吾大竹しのぶら豪華キャストが集いました。

 
もう公開館数が減ってきてはいるんですが、配給が東京テアトルということもあって、テアトル梅田が良かろうと、先週木曜日夕方に観に行ってきましたよ。では、映画短評、今週もいってみよう!
僕にとっては『月とキャベツ』がかなり思い出の詰まった作品ということで、まずこの座組に惹きつけられました。山崎まさよし鶴見辰吾以外にも、謎の少女ヒバナを演じていた真田麻垂美がチラッと図書館で出てきて、ワオってなったりして。っていうのは、ファンへの目配せなわけですが、もうひとつ2作の大事なつながりは、群馬県というロケ地です。小栗康平監督が『眠る男』を撮影した廃校となった中学校を改装した伊参(いさま)スタジオという場所があって、そこでは映画祭も実施されているんです。原作の横山秀夫はそこで審査員をしていて、横山ファンである山崎まさよしと出会い、「ぜひ僕の原作の映画にいつか」という横山氏の言葉を受けて、『月とキャベツ』の松岡プロデューサーが今回の企画を立てました。
 
横山氏は「今回の群馬オールロケが視覚的な通奏低音として統一感をもたらした」という趣旨の発言をしています。僕もその効果は大きいと考えています。今では珍しいドライブイン。うどんやトーストの自動販売機なんて、もうなかなかないですよ。他にも、警察署、駅前旅館的安宿、こぢんまりしたネオン街のスナック、刑務所や裁判所の様子っていうのが、テーマとなっている地方都市の閉塞や家族という血の息苦しさを描く上で、絵に説得力をもたせていました。フィルム撮影ではないと思うんだけど、闇の場面にもそんな味わいがありました。

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(c)2019「影踏み」製作委員会
そして、俳優陣もそれぞれに熱演していました。山崎まさよしは、特にその佇まいや姿勢で悲しみを背負った「影」を体現していましたし、大竹しのぶの悲壮感・絶望、滝藤賢一の得体のしれなさ、それから細かいキャラクターで言えば、真壁をマークする刑事の助手のいい意味での上っ面感とかね、みんないい味を出していました。
 
がしかし! 実は僕、決して高くは評価しておりません。映像化は極めて難しいと言われていたこの原作。その困難を突破するために、キャスティングや役作りが念入りに行われ、物語の半ばで明らかになる、とある大胆な仕掛けが用意されています。これはね、驚きもあるし、一定の成功を収めているんですが、そこに注力しすぎたのか、肝心のストーリーの骨格、輪郭がぼやけているんです。実際のところ、かなり複雑な話です。複数の事件とその背後の人間関係のこじれや鬱屈とした心情があって、それらが交差しているはずなんですけど、交差点ばかりが強調されて、そこにいたる道筋がはっきりしないので、わかりそうで色々わからないんです。描く描かないのメリハリなど、整理が必要です。だって、終盤で「お前か、こいつめ!」っていう展開があるんだけど、あの人の事情なんて描写がすっ飛んでますから。

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(c)2019「影踏み」製作委員会
そうしないと、せっかくのあのシンボルツリー、丘の上で過去と現在がクロスして未来を見据えるあのせっかくのキメの構図も白々しく見えてしまうんです。
 
面識もある監督だし、思い入れのある座組だけに、言うことは言うというスタンスで、評しました。でも、これはあくまで僕の評価ですから、あなたも劇場で。テアトル梅田の今やレトロな劇場の味わいも、この映画の鑑賞を一層味わい深くしてくれますよ。


山崎まさよしサウンドトラックも手がけていて、クレジットを見ていると、そちらはまさよしも漢字になっていて区別されていました。映画の最後にこの同名の主題歌を聴くと、歌詞の「影」や「ブランコ」に込められた意味、そのシルエットが、こちらはよりくっきりとしてきます。

 
ひとつ付け足すとすれば、トムカさんというリスナーからの指摘にもありましたが、女性のキャラ付けがいずれも受け身で、さすがにこの時代の設定としてはどうなのかと僕も思いました。演歌の世界じゃないんだから。


さ〜て、次回、2019年12月17日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『決算!忠臣蔵』となりました。「え〜と、何かと物入りな師走に映画で1000円から2000円か〜」なんて算盤勘定は御無用。「討ち入り、やめとこか!」なんてコピーが踊っていますが、あなたはお近くの映画館へ討ち入るべし! 鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月3日放送分

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1988年。アメリカ、メイン州の田舎町デリーで暮らしていた7人の少年少女は、虐待、潔癖症、弟の死、差別など、それぞれに心の傷を抱えながら、学校や社会の片隅で生きていて、『ルーザーズ・クラブ』を結成していました。そんな彼らの前に現れたのは、残酷で情け容赦ないピエロの怪物ペニーワイズ。何とか追い払うものの、それは27年の周期でまた戻ってくるといいます。そして、27年後。やはりそれはやって来ました。7人はそれぞれに立派に成長していましたが、それは「それ」に関する記憶を忘れていたから。再び結集した彼らは、ペニーワイズとの第二ラウンドにしてラストラウンドに臨み、自らのトラウマとも向かい合うことになります。

IT(1) (文春文庫) 

86年に出版されたスティーヴン・キングの同名小説を原作とし、まずは90年にテレビドラマ化、その27年後ってとこがリアルで怖かったんですが、2017年に映画化され、ホラー映画というジャンルではベストの興行収入を記録するなど、大ヒットとなりました。僕も当時担当していたFM802 Ciao! MUSICAで短評しました。あれから2年、その続編にして結末が描かれます。

監督は、前作に引き続き、アルゼンチン出身の若手注目株アンディ・ムスキエティ。『進撃の巨人』ハリウッドリメイクの監督も決まっています。ルーザーズ・クラブのキャラクターたちがアラフォーになっているので、もちろんキャストは一新。ジェームズ・マカヴォイジェシカ・チャステインが出演。一方、もちろんペニーワイズは今回もビル・スカルスガルドが演じています。っていうか、「顔を貸してます」って感じかな。
 
僕は先週金曜日の午後にMOVIX京都で観てまいりました。老若男女問わず、客層は幅広くて、公開から1ヶ月経っているにも関わらず、結構はいっているなという印象でした。それでは、僕がこの続編をどう受け取ったのか、映画短評、今週もいってみよう!

僕は前作を概ね高く評価していました。振り返って少し引用すると… 「『スタンド・バイ・ミー』や『グーニーズ』にあるような、はみだしっ子たちの連帯。思春期特有の性への興味と恐怖が描かれる、チームでの成長・ジュブナイルものとして、爽やかにすら観られるパートもあって、実は間口の広い映画。彼らがどんな大人になるのか、27年後を舞台とするのだろうチャプター2が今から楽しみです」
 
楽しみにした結果なんですが、僕にはどうも楽しみきれませんでした。なぜか。これは1もそうだったんだけど、やたら思わせぶりなんだけど、どうもその結果が伴わない。むちゃくちゃ怖いし、この後どうなるんだって思わせるのはすごく上手いんだけど、フリが上手ければ上手いほど、それを回収しなくちゃいけないという問題が浮上します。で、その落とし前をつけてくれるのかっていうと、そうでもないのがもどかしいんです。これはホラーというジャンル映画なんで、別に何から何まで正体を明かせとか、ミステリーのように謎解きをしろだなんて言っていません。うやむやだからこそ楽しめるというジャンルでもあるんでね。その意味で、ムスキエティ監督は、思わせぶり演出はやっぱり長けているんです。死霊館シリーズを書いてきた脚本のゲイリー・ドーベルマンもそう。

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たとえば、ペニーワイズが再び街に戻ってくる導入部。後にまた舞台となる遊園地で遊んでいたゲイカップルが、不寛容で保守的な不良グループに暴行されますね。差別と暴力をセットで受けた弱者のもとに、ペニーワイズがとどめを刺しにやって来る恐怖。風船、血で書いた文字など、モチーフのおさらいも抜かりない。で、その事件を合図に、唯一街に残っていたルーザーズ、黒人のマイクが仲間たちを呼び戻す。フリとしてすごく効いてます。他にも、無垢な未就学児童の女の子がペニーワイズの餌食になる様子もありました。あそこも怖かったし、遊園地の鏡の間も映像的に面白かった。先日評した『グレタ/GRETA』同様、老婆が突如披露する若者もびっくりな軽快なダンスの怖さもありました。
 
と、ここで思い出していただきたいのが、作家になったジェームズ・マカヴォイ演じるビリーです。彼は、劇中で繰り返し揶揄されていたんですよ。「君の話は面白いが結末が良くない」と。なんと、彼がかつて乗っていた自転車を取り戻すリサイクルショップの店主としてカメオ出演していた原作者スティーヴン・キングにも同様のセリフを言わせているのが強烈なんだけど、残念ながら、僕はその言葉通りにこの映画もなっていると思います。

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僕が考える問題点はふたつ。ひとつは、その構成です。一旦集ったルーザーズ・クラブのメンバー全員のトラウマを、ご丁寧にすべて振り返るんですけど、前作をなぞる部分も多くなるし、いくらトラウマがそれぞれとはいえ、見せ方がさすがに似たりよったりになるばかりか、各エピソードのつながりがないので、連ドラっぽくなるんですね。結果として、ただただ尺が伸びるばかりで、だんだん飽きてくる。そのうえで、ペニーワイズと対決するわけですが、結局「それ」が何なのかよくわからないため、すっきりしない。僕はむしろ最初からスッキリしないほうが怖いと思うんですよ。だって、ITというタイトルが象徴するように、そもそもひとつの恐怖じゃないものでしょ、ペニーワイズってのは。コックリさん的な集団で感じる恐怖に近いものではないのかと。言わば、それぞれのペニーワイズがあるものじゃないのかと。これは原作の問題でもあるのかもしれませんが。だから、変にあの恐怖の館にまとめられても、どうも納得できないんですね。

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もうひとつの問題点は、怖がらせ方。ホラー映画というジャンルへのリスペクトもあるのかもしれないけど、基本的にお化け屋敷っぽい突如驚かせるサドンデス方式が続くんで、途中から先が読めて笑っちゃうのはどうなんでしょうか。
 
その意味で、結論を出しきる必要のなかった前作のほうが、今思えば完成度は高かったように思えます。謎をうまく残してほしかったんですよ。これだと、色々散らかっただけというか。と、ついくさしてしまいましたが、コミュニティから爪弾きにあった人、何かを失った人がどう立ち直るのか、その時には信じることのできる誰かの存在と過去と正面から向き合うことが必要だというメッセージについてはしっかり受け取ることができる作品なのは間違いないので、未見の方は映画館という恐怖の館へ足を踏み入れてみてください。
ここではやはり、New Kids On The Blockを聴いておきましょう。かつて肥満気味だった少年ベンが現実逃避先として夢中になっていたのが、彼らの音楽で、今回もチラッとその様子が振り返られていました。
 
コーナーの尺もあって、あえて放送では言いませんでしたが、僕はこの続編を観ていて、『笑ゥせぇるすまん』を思い出したんです。なんでだろ? ペニーワイズに喪黒福造の影を見てしまった格好です。
さ〜て、次回、2019年12月10日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『影踏み』となりました。来週のFM COCOLOはサンクス・ウィーク。スタジオの映画神社が空気を読んだのか、マンスリーアーティスト山崎まさよしさん主演作となりましたよ。篠原哲雄監督との、あの『月とキャベツ』以来となるタッグ。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

映画『ひとよ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月26日放送分
映画『ひとよ』短評のDJ'sカット版です。

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地方都市でタクシー会社を経営する父親の熾烈な家庭内暴力から子どもたちを守るため、2004年、母親が夫を殺害します。彼女はその直後に子どもたちを集めて事情を説明し、刑期がどれほどになるかはわからないけれど、15年経ったら戻ると言い残して、そのまま出頭。それから15年。親のいなくなった長男、次男、長女の3兄妹は、それぞれに心に傷を追ったまま、曲がりなりにも人生を過ごしてきました。そこへ母が戻ってきます。家族は、そして社員に引き継がれていたタクシー会社はどうなるのか。

凶悪 サニー/32 

原作は劇団KAKUTA主宰の桑原裕子が2011年に初演した舞台です。監督は、僕が最もインタビューしている映画監督にして日本映画界若手の筆頭である白石和彌。脚本は、『ソラニン』で知られる他、白石監督と『凶悪』や『サニー/32』で組んできた高橋泉。キャストも粒ぞろいです。母親を演じるのは田中裕子。吃音症で現在は電気店に務める長男を鈴木亮平、かつては作家志望で現在はフリーライターの次男を佐藤健、美容師の夢を諦めてスナックで働く末娘を松岡茉優が担当する他、タクシー会社に中途入社してきた中年男性に佐々木蔵之介が扮します。さらには、白石組常連の音尾琢真MEGUMI、千鳥の大悟なども出演しています。
 
当番組では11月4日に白石監督をお迎えしましたので、僕は公開前に試写で作品を拝見していました。はっきり言って、僕は彼のファンではあるんですが、いったんその気持ちは引き出しに閉まっての、映画短評、今週もいってみよう!

白石監督は疑似家族的な人間関係の物語をテーマに、そのほとんどを地方都市を舞台に撮り続けてきました。たいていの登場人物には、どこか常軌を逸した過剰さがあって、その当事者と周囲の人間が、その出過ぎた杭とどう折り合いをつけていくのか、つけていけないのかといった物語の鋳型があるように思います。それはつまり、社会の周縁で、言わば土俵際で不器用に踊ったり踊らされたりする人たちの哀しきダンスを見せるものでした。社会という名の端に切り立つ崖から落ちそうになっている人たちをカメラという網ですくい取るような、キャッチャー・イン・ザ・ライ的な監督とも言えるのではないでしょうか。で、今回は、血縁でぎちぎちに繋がった家族ものにスライドしたのかなと思ったんですが、先日放送したインタビューで監督も言っていたように、血縁と、会社という非血縁関係で繋がる疑似家族、その双方の合わせ技にまとめています。テーマとしては、今までよりも一歩踏み込んでいるんですね。

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そこで大事になるのが、空間的な演出。これはもともとは演劇で、舞台上にはドンとタクシー会社のセットがあったようですが、映画ではカメラを外にも持ち出すわけですから、演劇ほど、あの住居兼会社に居座るわけではないんですが、それでも、監督を含めた製作陣は実在する建物が醸し出す雰囲気にこだわって、セットを建てず、ロケハンに普通じゃないほど多くの時間を割きました(ただ、今回の場合はどこにでもある匿名的な地方都市を描いているので、そのロケ地をここで特定することにあまり意味はありません)。
 
その成果となる室内シーンで印象的だったのは、ライターである次男が帰省して上がりこんだ部屋で、自分が過去に父親から受けた虐待を回想する場面です。佐藤健が室内の一角を見つめると、その記憶が蘇るんですが、そこでカットを割るのではなく、カメラを佐藤健の視線の方へ向けると、そのまま幼い次男が現れて、父親にボコボコにされる様子が地続きに見える。あれは、人間の記憶がいかに空間と紐付いているのか、そこに染み付いているのかを示すすごい演出でした。

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一方、外では彼らはよく自転車やタクシーといった乗り物で移動しています。そこに広がるのは、監督が描き続けている疲れた地方都市の姿でした。なんとなくどんよりとしていて、広い空間なのに閉塞感の漂う様子が映し出されていましたね。ユニークだと思ったのは、そこで声が大事な役割を果たすこと。タクシーの無線や電話が、隔たれた空間をつないでいました。そして、乗り物は往々にして故障します。次男が父親の墓参りに行こうとまたがった自転車は、タイヤの空気が足りないし、かつての事件を嗅ぎつけられて嫌がらせを受けた会社のタクシーも、タイヤの空気が抜かれていました。
 
その究極の形が、映画独自のシーンであるクラッシュです。15年の空白があって、ぶつかろうにもぶつかることすらできなかった家族と擬似家族が、文字通り、あるいは映像通りクラッシュする夜。これは15年前の父親の殺人シーンも観客の中でフラッシュバックさせる効果もあげていました。

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とある揉め事を経たところで、疑似家族的タクシー会社の、音尾琢真演じる社長がこんなことを言っていました。「巻き込まれてやれよ。行動でしか思いを伝えられない人だって知ってるだろ」って。これ、考えてみれば、映画そのものもそうじゃないですか。行動、アクションで伝えるメディアである。で、何を伝えるかって、登場人物たちの、やり直しなんですね。ひとりひとりの、そして共同体としてのやり直し。みんなそうでした。
 
で、最後に、次男とカメラを乗せたタクシーが、会社を離れて駅へ向かうところ。ここもカットを割らず、カメラは後部座席の佐藤健とリアのガラス越しに、家族と疑似家族をまとめて捉えます。車はグルっと敷地中央のポールを巡って外へ。それに伴い、一度視界から消えた人々が、またフレームイン。あのラストの余韻はたまりません。
 
白石監督は、またひとつ、見事な作品をものにしました。今後、少し休まれるようですが、次の作品が既に楽しみ。必ずや年度末のマサデミー賞に絡む一本をぜひ劇場で。
昔は嫌だったろうけど、親と暮らした故郷に帰るのも悪くないぜとBon JoviがJennifer Nettlesと歌うWho Says You Can't Go Homeをかけようかなと用意していたんですが、リスナーBerioさんの感想を目にして、岡村孝子『夢をあきらめないで』へと直前にスイッチしました。劇中で松岡茉優がスナックのカラオケで酔っ払いながら歌う様子が切ないんですよね。
映画では、こちらも白石監督とのタッグが続く大間々昂サウンドトラックがバッチリしっくりきています。大間々さんはそれにしても幅広い!


さ〜て、次回、2019年12月3日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『IT/イット THE END “それ”が見えたら、終わり。』となりました。ほんと、もう! なんなのよ! だいたい、スタジオのマイクの風防が赤いんですよ。ピエロっぽいんです。怖いんです。正直、嫌です(笑) とはいえ、前作も短評していたことですし、甘んじて受け入れるとしましょう。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

kdc.hatenablog.com

 

『グレタ GRETA』短評

FM COCOLO CIAO 765 朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月19日放送分
映画『グレタ GRETA』短評のDJ'sカット版です。

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ニューヨークの高級レストランでウェイトレスとして働くフランシス。彼女は1年前に母を亡くしたばかりで、まだその悲しみを乗り越えられないまま。ふるさとを離れて、親友のエリカとルームシェアをしています。ある日、彼女は仕事帰りに乗った地下鉄の車内で、誰かが忘れたバッグを見つけます。中身を検めると、持ち主はグレタという女性。家まで届けてあげると、グレタが孤独な未亡人であるとわかり、ふたりは互いの心の隙間を埋めるように、年の離れた友情を育むことになるのですが、フランシスがグレタの家である物を発見したことから、その関係は歪で危険なものへと様変わりしていきます。

マイケル・コリンズ (字幕版) インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア (字幕版) 

監督と脚本は、96年の『マイケル・コリンズ』がヴェネツィア映画祭で金獅子賞、翌97年の『ブッチャー・ボーイ』ではベルリンの銀熊賞を獲得しているニール・ジョーダン。日本では94年の『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』が一番知られていますかね。トム・クルーズブラッド・ピットの共演でした。
 
今作の共演も、最高です。イザベル・ユペールがグレタ、そしてクロエ・グレース・モレッツがフランシスを演じています。ユペールが66歳で、モレッツは22歳。いずれも、キャラクターと同じくらいの年齢で、それぞれ、のびのび魅力を振りまいています。そして、『イット・フォローズ』のマイカ・モンローが親友のエリカ役に起用されています。
 
これは日本では公開規模が比較的小さくて、大阪はステーションシティシネマだけなんですよね。もっと広がってもいいんじゃないかなぁ。僕は先週金曜の昼間の回に行ってきましたよ。久々のスリラーをどう観たのか。それでは、映画短評、今週もいってみよう!

もう怖いの嫌! 観る前はそう思って、南森町映画神社を呪いそうになっていましたが、上映が始まると、むしろ嬉々として喜んでいる僕がいました。すっかり夢中になりました。正直に言って、お話そのものに格別目新しさがあるわけではないのですが、ジャンル映画ならではの愛おしさと、丁寧に作り込まれている部分、女優の魅力の引き出し方、映画史への目配せ、この映画なりのメッセージ… そういったひとつひとつの評価ポイントを加算していくと、今思い出してもやはりこれは好きだなぁと感じられるんです。
 
ジャンルとしてはサイコ・スリラーということになりますが、まず小道具がチャーミングで品があるんですね。人を釣る餌とも言える忘れ物が、まずグレタ、というか、イザベル・ユペールに似合うハンドバッグ。家のピアノや家族写真。聴くピアノ曲。焼くクッキー。ファッション。どれを取っても、しっくりハマる。ジョーダン監督が配置するそのひとつひとつの道具立てや導くキャラクターの所作が、そもそも絶妙なキャスティングの魅力をきっちり引き立てています。これは3人の女の話ですよね。フランシスはまだあどけなさをたたえ、母親の不在がそのまま心の欠落を生んでいる。生真面目でわりと地味。唯一の趣味は読書でしょうか。一方、エリカは自由奔放で快活、ヨガに興じながら、露出度の高い服で健康的な色気を振りまき、ちょいと軽いなって感じで夜遊びもお盛んな様子。なんなら、言葉も軽いし、サイコ・スリラーというこのジャンルのセオリーでいけば、こりゃ痛い目にあうぞってフラグが立っていて、案の定、なんですがという… これ以上はここでは言いませんが。

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そしてグレタですが、彼女はジョーカーを思わせるところがありませんか。映画はフランシスの側からの恐怖ばかりが描かれるわけだけれど、見方を変えればというところ。彼女に何があったのかは描かれていないわけで。なぜ僕がそう思ったのかってことですけど、グレタは前半と後半で、つまり僕らが知識を持つとまったく違う人間に見えるわけです。あのスマイル。あの笑み。これは映画の醍醐味ですよ。そして、ジョーカーのようにも見えた最大の理由は、彼女がダンスする周辺ですね。ブラック・ユーモアにすら見えてしまう。ピエロっぽいというか。ユーモアと恐怖の間に張られたロープの上を、グレタも監督も歩いてる。

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映像面の演出でその綱から軽やかにジャンプしてみせたのは、フランシスの見る悪夢の描写。よく夢だか現実だかわからないって言いますけど、あそこはかなり新鮮な編集テクニックで見事に僕らを混乱させてくれました。そこでの小道具は、ミルク。思い出すのは、サスペンスの神様ヒッチコックの『断崖』です。僕らはそのミルクがどういうものかを知っているから、怖い。そこに、あの電子レンジを組み合わせてくるのも面白い。チン! 

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で、最後に映画のメッセージの部分ですが、打ち出すというより醸すというレベルだと思ってください。母や娘の面影を誰かに重ねすぎた結果、とんでもないことになっていく話であること、そしてトータルに見れば、家族・血縁以外の人間関係が実は人をしっかりつなぐのだということ、さらには男性がほぼ活躍できない話であることを踏まえると、女性のエンパワーメントと社会の連帯や友愛に希望を見出す、伝統という窮屈で古臭い箱に入っていては都会ぐらしなどろくなことはないという攻めた映画にも思えます。
 
いくらなんでも、手口が大胆すぎるとか、不確実性が大きすぎるとか、物語の粗もあるけれど、そんなの差し引いても余りある吸引力に、僕はすっかり吸い込まれた秀作でした。
歌手、女優として活躍したJulie Londonが62年に吹き込んだこんな歌が複数回使われていました。決して彼女の代表曲ではないところに、ジョーダン監督の粋を感じます。そして、この曲も、2回目に聞こえる頃には、なんだか意味合いが違って感じられるのがすばらしかったです。

さ〜て、次回、2019年11月26日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『ひとよ』となりました。出ました! 白石和彌監督! これまで短評してきた経緯もあるし、何より、僕が繰り返しお会いしてインタビューしている方。今作は僕はもう観ていますが、どうぞ劇場へ! すごいんだから。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

映画『マチネの終わりに』短評

FM COCOLO CIAO 765 朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月12日放送分
映画『マチネの終わりに』短評のDJ'sカット版です。

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クラシックギター奏者の蒔野聡史(さとし)。世界的に名の知れた才能の持ち主ではあるが、音楽家としての迷いも抱えていました。ある夜、レコード会社の女性ディレクターがコンサートの楽屋を訪れた時に連れていたのが、海外通信社に勤務するジャーナリストの小峰洋子。初めて会ったその時から、表には出さずとも強く惹かれ合うふたりでしたが、洋子には日系アメリカ人の婚約者がいました。それでも高まる恋心を抑えきれず、蒔野はスペインでの演奏会の後、洋子の住むパリへ足を伸ばし、愛を告げます。世界を飛び回る仕事で、そもそもすれ違いの多いふたりの関係を阻む要因がいくつも重なる中、物語は以外な展開を見せます。
原作は、芥川賞作家の平野啓一郎が2016年に発表した同名小説。メガホンを取ったのは、フジテレビのドラマ演出家、西谷弘。映画だと、『アマルフィ 女神の報酬』や『真夏の方程式』で知られます。蒔野を演じるのは、その『真夏の方程式』でも西谷監督とタッグを組んだ福山雅治。洋子を石田ゆり子、そのフィアンセを伊勢谷友介が演じます。他にも、蒔野のマネージャー早苗を桜井ユキが担当する他、板谷由夏風吹ジュン古谷一行などが出演しています。音楽は、西谷作品に欠かせない存在の菅野祐悟。そして、クラシックギターの監修、福山雅治の指導には、日本を代表するクラシックギタリストの福田進一が招聘されました。
 
僕は先週火曜の夕方にTOHOシネマズ梅田で観てきたんですが、女性客やカップルを中心に、結構入っていました。それでは、映画短評、今週もいってみよう!

時に揶揄の対象となるジャンルに、メロドラマあります。恋に落ちた主人公、カップルは、たいていふたりの間に立ちふさがる障害を抱えていて、それをなかなか突破できない。時代背景にもよりますが、やむにやまれぬ事情があって、行き違い、すれ違い、離ればなれになり、そこでもがくところに感傷的な音楽が流れて、観客の涙腺を刺激する。この展開があまりに型通りで、何も新鮮味がないと、お涙頂戴で安っぽいとなるわけですが、この『マチネの終わりに』は、そんなメロドラマの王道でありながら、含みをもたせた演出と、あえてリアリズムから距離をとった観念的なセリフ回しが功を奏し、自分には縁のない誰かの恋愛の話なのに、自分の人生そのものにも響く映画になっています。
 
ひとつの大きなテーマは、時間です。タイトルのマチネは、バレエやクラシックのコンサートで使われる用語で、昼公演のことを指すんですが、その文脈を離れれば、フランス語でシンプルに朝という意味です。40がらみ、アラフォーで、そろそろ人生が後半のページに差し掛かった主人公たちの人生を暗示しているわけですよ。そして、誰もが印象に残るのは、「今や未来だけでなく、過去だって変えられる」という言葉。僕たちは過去に囚われているけれど、その過去の意味、捉え方はふとした拍子に変えられるし、自ずと変わるのだということ。これは恋愛抜きに、むちゃくちゃ普遍的ですよね。

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これがたとえば10代や20代の恋愛であれば、蓄積している過去が少ないわけですから、「失うものはない」と、人は恋に大胆に飛び込んでいく。一方、40前後の大人にとっては、恋愛だけがすべてではない。自分を培ってきた仕事や人間関係があるからこそ、恋の足は重くなる。逆に言えば、それでも一歩踏み出す時、それをきっかけに過去の意味合いも変化するかもしれない。
 
この映画では、ふたりの出逢い以降、いくつもの障害がふたりの結びつきを阻みます。ギタリスト、ジャーナリストとしての仕事、婚約者の存在、世相を反映した大事件、予期せぬ第三者の介入など。それでも、孤独がふたりの愛情を育んでいく。その時に、芸術がいかに人の心を助けるのかもきっちり描かれます。映画も音楽も。そのあたりを、決して押し付けがましくなく、そっと気づかせてくれる節度ある抑制のきいた演出で見せるんですよ。海外ロケも、異国情緒を醸すためにってわけじゃなく、あくまでふたりの距離を隔てる要因をメインにしたもので、悪い意味での観光映画に陥っていなかったです。そして、画面の奥に映る人物のふとした動作や表情まで配慮が行き届いています。

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主役のふたりもすばらしかった。石田ゆり子はいつもどこか困った顔をしていて、幸が薄そうな感じがするんだけど、ある時はっきりと笑顔を作るんです。僕はそこでついに落涙。福山雅治も、惑う表情に手数があったし、僕は特に声色の使い分けを評価したいです。さすがは当代きってのラジオ・パーソナリティですよ。
 
僕は『ラ・ラ・ランド』を思い出したこの作品。台詞回しは、リチャード・リンクレイターのビフォアシリーズを彷彿ともさせました。では、そのラストは? クライマックス周辺で、コップを使った映画的な見せ場がありましたね。あれは可能性の提示だろうと思うんです。ありえたかもしれない過去と、実際に起きた過去。そこで、感情が溢れ出した蒔野の取る行動は、実際にはコップにどう反映されたのか。含みをもたせての、あのオープン・エンディングは、まことに鮮やかでした。ラストのふたりが歩みだす方向から、こうなるんだろうなという示唆はあるものの、その前にコップの件があるので、また違う解釈もできるのではと僕は考えます。いずれにせよ、あの余韻には、正直に言って、まいりました。
 
下手すりゃ、目も当てられない昼ドラになりかねない題材を、高度に洗練された味わい深い作品に仕立てた西谷監督、ブラボーだったと思います。そりゃ完璧とは言わないし、気になるところもあるにはあるけれど、邦画大作でこの質の高さ、しかも面倒でお金のかかるフィルム撮影の味わいまで画面に出してくれたんですから、やいのやいのつつくより、今はただただ余韻に浸っていたいと心底思います。
福山雅治の演奏は、立派でしたし、いくらギターは弾けるとはいえ、クラシックの訓練には相当な苦労があったろうと想像します。今回の評では、こんな教訓を改めて痛感させられました。人を見かけだけで判断してはいけない。そして、映画は予告だけで判断してはいけない。当たり前なんだけどさ。今週はネタバレに気をつけながら語りましたが、本当はトークショーなんかで、鑑賞済みの人とあれやこれやと語り合いたい作品でした。ちと、もどかしい(笑)
 
さ〜て、次回、2019年11月19日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『グレタ GRETA』となりました。イザベル・ユペールクロエ・グレース・モレッツの共演で贈る身も凍るスリラーなんですよね… 拾ってはいけない。届けてはいけないバッグ… もう怖いんだけど、どうしよう… あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。

『トスカーナの幸せレシピ』レビュー第2弾

どうも、僕です。野村雅夫です。現在全国順次上映中のイタリア映画『トスカーナの幸せレシピ』。先日公開したココナツくにこによるレビューに続き、今度は料理業界にいるセサミあゆみのペンによるものをご賞味あれ。

海外の超一流店で料理の腕を磨き、開業したレストランも成功させた人気シェフのアルトゥーロ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)。しかし、共同経営者に店の権利を奪われたことで暴力事件を起こし、順風満帆だった人生から転落。地位も名誉も信頼も失った彼は、社会奉仕活動を命じられ、自立支援施設「サン・ドナート園」でアスペルガー症候群の若者たちに料理を教えることになった。 無邪気な生徒たちと、少々荒っぽい気質の料理人の間には、初日からギクシャクした空気が流れる。だがそんな生徒のなかに、ほんの少し味見をしただけで食材やスパイスを完璧に言い当てられる「絶対味覚」を持つ天才青年グイードルイージ・フェデーレ)がいた。祖父母に育てられたグイードが料理人として自立できれば、家族も安心するだろうと考えた施設で働く自立支援者のアンナ(ヴァレリア・ソラリーノ)の後押しもあり、グイードは「若手料理人コンテスト」へ出場することになった。アルトゥーロを運転手にして、グイードは祖父母のオンボロ自動車に乗り込み、コンテストが開催されるトスカーナまでの奇妙な二人旅が始まる。

 

監督:フランチェスコ・ファラスキ

脚本:フィリッポ・ボローニャ、ウーゴ・キーティ、フランチェスコ・ファラスキ

出演:ヴィニーチョ・マルキオーニ、ヴァレリア・ソラリーノ、ルイージ・フェデーレ

原題:Quanto basta

配給:ハーク

2018年、92分

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トスカーナの幸せレシピ』おいしいトスカーナを探して

 

原題“Quanto basta”はレシピの用語では「適量」の意。『トスカーナの幸せレシピ』という邦題はなんだかおいしそう。イタリア映画でミシュランの星はどう描かれるのかしら。料理の世界の端の影に属して十数年、おいしいものにはますます目がなくなっている私にはちょうどいい映画かもしれないと思いつつ、鑑賞。

 

個性豊かな登場人物の料理人たちを通して、料理の面から映画を振り返ってみたい。まず、元・三ツ星シェフのアルトゥーロ。暴力沙汰を起こして、刑務所に収監された後、出所。社会奉仕活動を命じられて、自立支援施設サン・ドナート園で料理を教えることになり、そこでグイドに出会う。

 

そのサン・ドナート園での料理教室の一場面。バルサミコ酢を使うアマトリチャーナのレシピを試してみたいと言うグイドに、アルトゥーロは「アマトリチャーナバルサミコ酢なんてありえない」と反論。さらに「トマトソースのスパゲッティが最高だ。チョコレート風味の料理なんて、クソくらえだ」というような格言めいた言葉を続ける。

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現実のイタリア三ツ星シェフが作るトマトソースのパスタといったら、透明なトマトウォーターを使ったハインツ・ベックのスパゲッティが思い浮かんだ。アルトゥーロはクラシックを愛しているらしいが、トマトソースに見えない透明なトマトソースを受け入れるかどうか。彼がどんな料理で三つ星を取ったのか、気になるところ。

 

そして、アルトゥーロのライバルがマリナーリ。元々、アルトゥーロとマリナーリは同じ師匠に師事していて共同経営で店を開いたけれど、マリナーリはうまいことやって、店を自分だけのものにしてしまったよう。そして、現在四ツ星シェフ。あれ、ミシュランはいつの間に星を四つもあげるようになったんだろう。星付き店舗を複数経営していて、合計で四ツ星なのだとしたら、経営も含めた敏腕シェフだけれども、まあ、ファンタジーということにしておこう。

 

イタリアでの映画批評では、マリナーリのモデルとして、カルロ・クラッコという実在のシェフが想像されるという話がちらほら見えた。クラッコはマリナーリと同じようにテレビでも活躍する高級レストランのシェフ。たしかに、言われてみれば、二人の見た目もなんだか少し似ている?かもしれない。過去には、アマトリチャーナ協会とアマトリチャーナの作り方で一悶着あったようなので、先のアルトゥーロのアマトリチャーナ発言も、クラッコを匂わせたものなのか。

 

イタリア人の料理に対する保守的ぶりといったら、少なくとも、私の知っている十数年前には、なかなかのものだった。外国の料理に寛容な日本でさえ、「おふくろの味」という表現がまだ見られるけれど、イタリアの「マンマの手料理」や「自分のとこの料理」の呪縛はすさまじい。監督のファレスキもひょっとしたら、見慣れない食材の組み合わせや、小さなポーションできれいに盛られた皿が次々に出てくる高級料理を好まないのかもしれない。なぜって、クラッコはそんな人たちから標的にされているような節があるから。ミラノのガッレリーア(日本なら、銀座の一等地を思い浮かべるのがいい)に出しているカフェが高すぎると批判されたり、料理番組で鳩を使えば、動物愛護団体咎められたりと、気の毒に思うところもある。

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作中では、そんなクラッコをモデルにしたらしいマリナーリの解釈した「メディチ家風ティンバッロ」という料理が出てくる。パイ生地で詰め物を包んだ料理で、その詰め物は牛肉などの具材をベシャメルソースで和えたマカロニ。マリナーリのレシピでは、この重たそうな宮廷料理の焼き上がりに、ココアパウダーを振り掛けるという。

 

そこでアルトゥーロの「チョコレート風味クソくらえ」発言が関連してくるのだけれど、アルトゥーロはマリナーリの過去の料理を思い出して、その発言をしたのかな。すると、マリナーリは料理にチョコレート風味を使いがち、ということになる。いやいや、そんな星付きシェフはいないだろう。それではいくらなんでも脚本が浅すぎる、なんていろいろと考えてしまう。

 

最後に、未来の料理人、グイド。料理を食べると何が使われているのか当てられるという、絶対音感ならぬ、いわば絶対味覚の持ち主。でも、バルサミコ酢を使うアマトリチャーナを試しに作ってみたいと言うんだから、頭の中で味の足し算もある程度できるというのではない様子。

 

そしてアスペルガー症候群を患う彼にとって、レシピの「適量」はあいまいで難しい。「おいしい料理に仕上げるのに、必要だと思うだけ入れればいい。自分で決めるんだ」とアルトゥーロに諭されて、その後には、グイドが味見をするシーンが何度か挿入されている。

 

厨房では、食材の状態も環境も、日々変わっていく。自分の感覚で決断することが求められる厨房で、彼は活躍していけるのか。料理人になる若者を育てる機関に勤める者としては、彼が歩む未来を見てみたい。

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こんな料理人たちが登場しているとはいえ、今さらだけれども、実はこの映画には、料理はあまり出てこない。「塩だらのフィレンツェ風」の盛りつけと、例のティンバッロは作業工程や出来上がりが少々。他にも、調理作業や厨房の様子のシーンが少しずつ。監督が「料理の世界を舞台としただけ」と発言していたようで、まさにその通りといった印象。飲食業界を取材した感じでもなく、所作指導もたいしてありそうにもなし。食べることや業界への愛はそんなに感じられない。というわけで、私のように邦題につられて、おいしそうな料理や料理の世界を期待して臨むのはおすすめしない。

 

トスカーナの幸せレシピ」の醍醐味はやっぱり、多様性の理解について描いた物語の方。それぞれに困ったところのあるでこぼこコンビが旅を通して友情を育み、成長していく。大きな波風は立たないし、極悪人も登場しないけれど、ゆったりと安心できる穏やかな流れを楽しんだらいいんだろう。

 

<文:セサミあゆみ>

 

『ジェミニマン』短評

FM COCOLO CIAO 765 朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月5日放送分
映画『ジェミニマン』短評のDJ'sカット版です。

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史上最強と自他ともに認めるスナイパーのヘンリー。彼はアメリカ政府の依頼に基づき、世界の安定のためにと「必殺仕事人」的に暗殺を続けてきたのですが、50代に入って少し衰えを感じるとともに、良心の呵責にもさいなまれ、そろそろ引退しようと考えていました。これが最後かなと取り組んでいたミッションを終えて一息ついたところで、ヘンリーは何者かに襲撃されます。その若者は神出鬼没にして、とても手強いのですが、どうやら自分の動きをすべて把握している様子。それもそのはず、その男ジュニアは、かつて秘密裏に作られていたヘンリーのクローンだったのです。巨大な陰謀の渦の中で、果たしてヘンリーは生き残れるのか。
 
97年に発案されたものの、当時は技術的に困難だとしてお蔵入りしていたこの企画。20年の時を経て、いよいよ形になりました。メガホンを取ったのは、『ブロークバック・マウンテン』と『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』でアカデミー監督賞を2度も獲得している、台湾出身のアン・リー。50歳のヘンリーと23歳のジュニアを、一人二役で演じてみせたのは、ウィル・スミスです。ま、ひとり二役というと語弊があって、ウィル・スミスの動きや表情をCGで再現してあるんですが。

ブロークバック・マウンテン (字幕版) ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日 (字幕版) 

先週この『ジェミニマン』がおみくじで当たってから、eigadaysさんから、観るなら3Dのハイフレームレート方式をオススメいただいていました。一般的な映画は毎秒24コマで撮影されるんですが、これは毎秒120フレームでの撮影なんで、存分に楽しむには、その上映方式が良いと。関西だと、それを完璧な形で余すことなく観せてくれる劇場は、梅田ブルク7のみ。120まではいかなくとも、毎秒60フレーム版の上映ならあちこちであるっちゃあるんですが、上映回数に限りがある中、僕はスケジュールの都合上、不甲斐なくも、ごくごく普通の2Dで先週木曜夜観てしまいました。なので、その技術的すごさは体感しきれていないのが残念なんですが、映画短評、今週もいってみよう!
ファーストカットがいきなり僕の気に入りました。あれはベルギーのリエージュかな。高速鉄道の駅、真っ白な金属製の屋根が湾曲しながら無数に入り組んで、プラットフォームをすっぽり覆っている。その様子を、屋根だけを目いっぱいにカメラは捉え、その白い屋根の網目にまた白い文字でシンプルに「ジェミニマン」というタイトル。クールな見せ方ですよ! この世界には数え切れない思惑があって、そこに主人公が絡められていくことを予感させる。さすがはアン・リー! 待ってました! 
 
その直後、時速300キロ近い高速列車に乗っているターゲットを、数キロ離れた小高い丘からヘンリーが銃で狙う。さらに、今度はヘンリーが何者かに狙われる一連の水辺のシーンでも、僕はかなりワクワクしていました。ウィル・スミスには本当は笑っていてほしいんだよなとか、どうも話の細部で気になるなとかあったけれど、アクションの見せ方の段取りがシャープなんで、とりあえずスルーできるんです。

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で、僕の興奮が最高潮に達するのが、007やミッション・インポッシブルよろしく大胆に場所を移動してのコロンビア、カルタヘナでのバイクチェイスです。あそこで初めて、ヘンリーはジュニアという、若い頃の自分にそっくりな男と相まみえるんだけど、その鏡合わせのシチュエーションに実際に鏡を持ち込む演出でわかりやすくもゾクゾクさせます。そっから、やばい、こりゃヤられるぞってことで建物から外へ出つつ、よりによって警察のオフロードバイクを引ったくってのチェイス。旧市街から新しい街へ移動するのもモチーフに合ってるし、ここがもう最高です。どうやって撮影したんですかって臨場感と、バイクをカンフーのように使ってみせる新鮮なアイデア、しかも、相手は若い頃の自分でCGでこしらえてある。すごい! 2Dで観ざるをえなかった僕ですらシャッポを脱いだくらいなんで、3D + 120ハイフレームレートなら、そりゃもうっていうことですよ。要は、すべての映像が隅から隅まで鮮明で、下手すりゃ現実の僕らの知覚を上回るんじゃないかってな情報量を浴びるスリルときたら。かえすがえすも、体験できていないのが歯がゆいところですが、それでも、つまり普通の映画としてみても、ここには度肝を抜かれました。

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で、そこがクライマックスでしたかね、正直… というのも、今言ったような技術的なハイレベルさや演出の細かい新鮮な工夫の数々が、映画全体のテンポ、話運び、そしてほころびいっぱいの物語と、どうもうまく噛み合ってないんですよ。だいたい、クローンってそりゃDNAはまったく一緒なんだろうけど、育った環境が違うわけだし、年齢も経験も違うってのに、あんな鏡合わせに同じことを考えて同じように行動するものですかって言ったら、そりゃ素人の僕でも違うだろって思ってしまいます。人間って、後天的な要素も大きいはずでしょうから。あと、大義を信じていたとはいえ組織のコマとして動いて人を殺め続けたヘンリーの苦悩と、殺人マシンとして企業に育て上げられたジュニアが、それぞれに覚醒して人生の新たなステージへ入っていくというテーマが後半になって前に出てくると、途端にあの政府の陰謀の話がふにゃふにゃしちゃうというか、主人公たち以外の人間関係がしっかり見えないんで、よくわからなくなってきて、すごく小さな話にも見えてきちゃうという大問題が露呈しました。悪役の言っている「感情のない兵士」がいたほうがいたほうが良かろうって話はテーマとしては面白いんだけど、はっきり言って今の戦場ではドローンとか遠隔操作での爆撃なんかが当たり前になっちゃってるわけで、もちろんPTSDの問題はあるにはあるんだけど、議論の前提がそれこそ20年前からあまり進んでなくてもったいないです。

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それでも、僕は見終わった直後は急いでパンフを買いに行くくらいテンションが上ったんですけど、冷静になって思い返すほどに、技術ばかりを褒めるにいたってしまうのが残念ではありました。とはいえ、もし観られるものなら、映画史に残る果敢なチャレンジを劇場で、しかも極力環境の整った劇場で味わうべき1本であることには変わりありません。
移動手段を都合よくいつも調達してくれるアジア系の調子いい男バロンが、どこからか空飛ぶ応接室ガルフストリームをかっぱらってきて、操縦しながら歌う1曲、Ray CharlesのI Got A Womanを放送ではお送りしました。
 
それにしても、タイトルの『ジェミニマン』ってどうにかならなかったんですかね? だって、このヒーロー映画全盛のご時世ですから、アメコミか戦隊ものかって思っちゃうじゃないですか。英語での響きはわかんないけど、少なくとも日本語で考えると、正直ちとダサいと思うんだよなぁ……


さ〜て、次回、2019年11月12日(火)に扱う映画は、スタジオの映画おみくじを引いた結果、『マチネの終わりに』となりました。日本映画の海外ロケって、微妙な結果を招くことが多いような気がしますが、これはどうでしょうね。原作の平野啓一郎は好きな僕ですが、この作品は未読。はてさて。あなたも鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。