京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

『運び屋』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月21日放送分
映画『運び屋』短評のDJ's カット版です。

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主人公アール・ストーンは、80代後半の男。園芸家の彼は、メキシコ系従業員の手を借りながら、うまく咲かせるのが難しいデイリリーというユリの栽培に人生をかけてきました。全米各地の品評会を巡って成功を収める一方、家族との時間を犠牲にしてきた結果、別れた妻や娘との関係は最悪です。しかも、時代がどんどん移り変わっていく中で、アナログで保守的なアールは、商売の面でも立ち行かなくなり、自宅と農場を手放すことになります。失意の底にいたところに、ある男から「車を運転するだけの楽な仕事がある」と持ちかけられたアールは、そのまま成り行きで麻薬の運び屋になってしまいます。最初の仕事に成功した彼は、結局やめられずに何度も犯罪に手を染め、メキシコの麻薬組織の片棒をかつぐのですが、ひょんなことから、組織と麻薬取締局、双方から行方を追われるようになります。

グラン・トリノ (字幕版) 

あの『グラン・トリノ』以来、巨匠クリント・イーストウッドが10年ぶりに監督・主演をした本作。脚本も『グラン・トリノ』のニック・シェンクが担当しています。主人公アールには、レオ・シャープというモデルとなった人物がいます。ニューヨーク・タイムズ・マガジンで事件が報じられたものをイーストウッドが読み、この役は誰にも譲りたくはないと思ったそうです。といっても、既に亡くなっている実在の人物シャープの私生活は不明の点も多く、物語の大枠以外は、オリジナルのフィクションとなっています。

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アールを演じたのは、もちろんイーストウッド。アールの娘を、イーストウッドの実の娘アリソン・イーストウッドが担当しています。他に、イーストウッドの弟子的なポジションになっているブラッドリー・クーパーアンディ・ガルシアも重要な役どころでそれぞれ参加しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

「この役は誰にも譲れない」という発言や、主人公の娘役に実の娘をあてていることからも明らかなように、これはクリント・イーストウッドが実人生を重ねた、懺悔のような贖罪のような映画です。うまく咲かせるのが難しいあのデイリリーのように、映画スターとして実際に咲き誇ってきたその裏で、奔放な女性関係を謳歌し、家族との関係をうまく構築できなかったというか、ろくに考えていなかっただろう自伝的要素が反映されています。その事実を踏まえれば、仕事一筋で外面と体面ばかりを重視してきた男の末路を描くというテーマが浮かび上がります。
 
実際のところ、こんなじいちゃん、身内だったらほんと嫌ですよ〜 家族との関係を見直す、絆を取り戻すといったって、そのきっかけはあくまで仕事が行き詰まったからでしょ? しかも、これまでの人間的欠落を何で埋め合わせるって、結局は金です。それも、犯罪の片棒を担いで得た金。ろくなもんじゃないです。車はピカピカのに買い換えるし、家族を含めてほうぼうに金をばらまいては、またええかっこしようとしている。完全に調子乗りなんです。その様子は、もはやかなりコミカルで、思わず吹き出しちゃう場面もたくさんある。相変わらず女好きだし、困ってる人を見るとついつい助けちゃうし、常に度胸があって飄々と軽いところとかね。

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うまいなと思うのは、このじいちゃんの人柄を示す描写の数々。喫煙OKなホテル。薄ら寒い下品なジョークは時代遅れな頑固者だと伝える。けれど、根っからの悪い奴じゃないし、困った人には無意識レベルで手を差し伸べる様子も描かれてましたね。そういう良いことをしつつ、軽口レベルで飛び出すあっさりと人種や性的マイノリティ差別発言をしちゃうのもアールだし、それを咎められて反発しない柔軟性もアールなんだよな。あと、ちょいちょい彼が似ていると言われる俳優ジェームズ・ステュワートも、そうした古きアメリカの象徴として引き合いに出されてのことでしょう。
 
そんな彼も罪をあがなっていきます。とりあえず金を手に入れたら、やっと人生を見つめ直し、自分をアップデートしようとする。このあたり、ブラッドリー・クーパー演じる警察や、犯罪組織でしか生きていけないメキシコ系移民への助言からうかがえますね。簡単に言えば、「俺みたいになるな」っていう話。「どの口が言うとんじゃ!」っていうツッコミもできるけど、このアールならっていう妙な説得力がある。アールは「古き良き」、そして「古き悪しき」アメリカの体現でもあるので、深みが出てくるし、そんなアールはやがて当然の報いとして表舞台から退場していく。 

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そこに、安易な共感を誘わない寂しさを伴わせているのが、むしろ胸を打つ。同じく朝鮮戦争退役軍人の保守的な男が、人生の黄昏で社会再構築のためにヒロイックな行動を取った『グラン・トリノ』に対して、今作のアールは家族の再構築を目指すので、作品が内包する規模は小さくなってるし、その姿は無様で情けなくもあるんだけど、だとしても、ただそのまま老いるのではなく、悔い改めて最後に一花咲かせるというのがせめてもの救いであり希望なんですね。
 
それにしても、筋書きとしてははっきり言って予告編以上のものはないのに、1級の娯楽映画として目が離せないものに仕立ててしまうのは、相棒編集者ジョエル・コックスとの無駄のない物語運びと、サスペンス演出の巧みさの成果です。映画のひとつの教科書ですよ、これは。もはや師弟関係と言えるブラッドリー・クーパーにも、またこの作品でその演技と演出が受け継がれているでしょうから、その意味でもイーストウッドは個人的贖罪とともに映画界でまた一花咲かせる最高の仕事をしています。
アールはロングドライブの最中にしょっちゅうごきげんさんで懐かしの曲を歌います。中でも、物語と深く関わるのが、69年のこちらでした。別のバージョンだったのかなって気もするけど、ともかく元妻への贖罪ソングとしても機能していましたね。

さ〜て、次回、2019年3月28日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『バンブルビー』です。なんか凄い振れ幅だな、この1週間は(笑) 僕は正直なところトランスフォーマーに特に何の思い入れもなくって、映画も一通り観てはいるんですが、そんなに詳しくないんです。そこへのスピンオフ。これがきっかけで意外とハマったりして。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

内田洋子『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』レビュー

 小学生のころ、年に何度か家族で曾祖母の家を訪ねていた。そのときの楽しみのひとつが、古本屋へ行くことだった(私のお目当ては漫画)。商店街に面した古くて暗いビルの1階に、こぢんまりとした店があった。壁も本でできているのかと思うくらいに書物がひしめき、通れるスペースは中央の本棚を囲む人ひとり分。そこでは眼鏡をかけたおじさんが、値段をまだ付けていない商品に囲まれて、読書をしていた。店主のおじさんは寡黙だったが、お客さんに「〇〇はありますか?」と聞かれると「この辺りに」とか「ないんです」とかすぐに答えていて「さすがだなぁ」と感心した覚えがある。大通りにチェーンの大型古本店ができてほどなく、おじさんは「閉店のお知らせ」の貼り紙を出した。

モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語

 そんなことを思い出したのは『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』を読んでいるとき。広告から強く興味をそそられた本だ。広げた本を手に持ち、力強く歩く男性の絵。腕にかけた籠にも本がぎっしり。紹介文によると「旅する本屋」は「行商人」だという。地名らしきものにモンテ(山)とあるから山が舞台なのだろうと想像するが、本と行商が結びつかない。そしてなぜ山の幸ではなく本だったのか?イタリア在住の内田洋子さんが「何かに憑かれたように、一生懸命に書いた」のか……

 

 「面白そう!」

 内田さんが本の村へ導かれたように、私も彼女の本に呼ばれた。

 

 本書は、方丈社のウェブサイトに『本が生まれた村』と題して掲載された10章と、6章の書下ろしで構成されている。日本の書店員が選ぶ「2018年本屋大賞」の大賞候補にもなった。出版の2ヶ月後に『本に書かれていないモンテレッジォ』の連載を始めているところを見ると、内田さんの情熱と使命感はとても1冊に納まりきらなかったようだ。

 

 筆者は、ヴェネツィアのとある古書店の店主の先祖が、代々、本の行商人をしていたことを知って、興味を持ち、さっそく、原点であるというモンテレッジォ村の紹介ホームページを見つけ出した。担当者に電話をかけ、村を訪問することに。

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 実は本題である「本の行商」について詳しく分かってくるのは、中盤あたりからだ。モンテレッジォに行けばすっきりできるだろうと思っていた筆者だが、村人たちから話を聞くうち、調べたいことが次々と出てきて、あちこちで取材を重ねることになったのだった。仕事部屋は、古本屋のごとく、集めた資料でいっぱいに。おかげで、とても読み応えのある内容になっている。

 

 私は初めて読み終えた後すぐに2回目を読み始めた。1回目は、話の展開と筆者の調査の厚みに圧倒されて、面白さを味わいきれなかった気がしたからだ。もう一度、不思議な縁が生んだ流れをたどりたかった。2回目は、謎解きに筆者と一緒に挑んでいるような気持ちになって、物語に入り込むことができた。出てくる人たちの経歴を確かめ、村のシンボルである本の行商人の彫刻の写真を何度も見返した。掲載写真がカラーなのは大正解。特に古地図と通行許可証は、活版印刷の字体も含めて美しく、じっくりと眺めた。本の行商人の誇りは「露店商賞」や「本祭り」となって、受け継がれている。モンテレッジォの流れをくむ本屋も、かつて行商人を頼りにしていた出版社も、数が減ったとはいえ今もイタリアに存在している。筆者を含めた今と昔のつながりを振り返ると、感慨深い。やはり読み直してよかった。あぁ、満足。ただ、今度は満足したものの、「こんな本屋に行きたい!!!」という想いがいっそう強くなってしまった。

 

 <文:あかりきなこ>

『スパイダーマン:スパイダーバース』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月14日放送分
映画『スパイダーマン:スパイダーバース』短評のDJ's カット版です。

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ニューヨーク、ブルックリン。黒人警察官の父とヒスパニック系看護師の母の息子であるマイルス・モラレスは、名門私立中学に転校したばかり。エリートが集うその空間にまだ馴染めず、スパイダーマンに憧れ、独身貴族としての生活を謳歌するちょい悪オヤジの叔父を信奉しています。ヘッドホンでヒップホップやR&Bを聴き、ストリート系グラフィティ・アートに夢中になっているような思春期まっしぐらの少年です。ある日、叔父とスプレーアートを描くために忍び込んだ地下で謎のクモに噛まれたマイルスは、スパイダーマンとしての能力を知らず知らず備えることになるのですが、その頃、何者かによって時空が歪められる事態が発生。スパイダーマンであるピーター・パーカーが亡くなります。そこは、もはや様々な次元が交錯する世界。別の次元からやって来たスパイダーマンたちがマイルスのいるブルックリンに集います。時空が歪められた原因とは何か。そして、世界は元通りになるのか。
 
これまで何度か実写としてシリーズ化されてきたご存知スパイダーマンが、初めて劇場アニメ化されました。監督だけでも3人いて、大勢のスタッフ、莫大な予算が注ぎ込まれました。企画の最初期から関わり、脚本と製作にクレジットされているのが、フィル・ロードクリストファー・ミラーとのコンビで、『くもりときどきミートボール』『LEGO ムービー』など、革新的なアニメ表現で知られる気鋭の映画人41歳です。監督陣の中で僕が今回「なるほど、この人が!」と思ったのは、あれがまた傑作だった『リトルプリンス 星の王子さまと私』で脚本を担当していたボブ・ペルシケッティ。
 
声優陣も豪華です。ヘイリー・スタインフェルドニコラス・ケイジ、そして『グリーンブック』でドクター・シャーリーを演じていたマハーシャラ・アリなど。
 
日本公開前から前評判は非常に高くて、各映画賞も総なめ状態です。受賞したものだけでも、アニー賞英国アカデミー賞ゴールデングローブ賞ニューヨーク映画批評家協会賞、そして、アカデミー賞。and more!!!!
 
もうこれだけ絶賛されてるんだから、僕がどうのこうの言ったところで新たに付け加えることもないって感じもするんだけど、匙を投げてはいけません。僕なりにまとめるとしますかね。それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

今や世界の映画シーンを席捲し、支配すらしているアメコミの実写映画化。『ブラックパンサー』がアカデミー賞作品賞にノミネートしたことがシンボリックですが、大量生産される中で、CG技術の進歩もあいまって、娯楽としても芸術としても質がぐんぐん上がっています。当然、ヒーローたちは数が多くなり、話が込み入り、マーベル・シネマティック・ユニバースがこれもシンボリックですが、多様化、複雑化の一途をたどっています。マニアックに楽しめる一方、敷居が高くなっていることも事実だし、もとはコミックだった文字通り漫画的なキャラクターを人間が演じて、そのアクションのほとんどがCGっていう表現の連続に疲れを感じる声もあるのが現状でしょう。
 
そんな中、スパイダーマンはマーベル・コミックのヒーローでありながら権利上の問題があって、まずはソニーが実写化し、それがやがてマーベル・シネマティック・ユニバースに合流するという独自の映画化路線を歩んできたわけです。それが、ここでのあえてのアニメ映画化。アメリカでのアニメと言えば、ディズニー、ピクサー、イルミネーションなど、3DCGアニメの技術をそれぞれに極めたスタジオが圧倒的な存在として君臨しているわけです。そのどれかを模倣しても、追いつけるわけはない。では、どこに勝算を見出したのか。なぜアニメなのか。その狙いとは?

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ここで、フィル・ロードの面目躍如です。彼は、アメコミの中にそのまま入り込んだような映像を作りたいと考えるわけです。逆に言えば、アメコミがそのまま動き出すような映像。これ、言葉だけだと単純に聞こえるし、「それってすべての漫画アニメ化に同じことが言えるんじゃないの?」って思うかも知れません。でも、漫画とアニメって、地続きに見えて、実はかなり違うんですよね。当たり前だけど、漫画そのものは動くわけじゃないし、コマ割りだって、コマそのものの形やサイズも映画と違う。
 
今作では、アメコミそのものも映画内に何度も登場させながら、場面転換でページをめくる、セリフを吹き出しで出してみたり、擬音語も画面に表示したり。なんなら、ドットの具合、印刷のかすれまでをもアニメに盛り込んで、それをアニメ映画的なアクションに染み込ませるような実験に成功しています。なおかつ、漫画的なキメの構図、漫画っぽいケレンもたっぷり。フィル・ロードは『LEGO ムービー』で動かないLEGOブロックを動かしたように、今回はそれだけだと動かないアメコミを動かしたわけです。
 
これはとても複雑なプロセスで成立していて、簡単に言えばCGと手描きの融合なんですけど、最初の10秒を作るのになにせ1年かかってます。その甲斐あって、誰も見たことがないものが生まれ、このアニメ技術そのものが今特許申請されているというほどにユニーク。今回アカデミー賞を獲得できたのは、はっきり言って、僕はその映像的発明の成果に尽きると思います。

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加えて、今回はそもそもスパイダーマンが白人男性ピーター・パーカーでないうえ、他にも5人のスパイダーマンが出てくる。ヒーロー業でプライベートが破れかぶれとなり、すっかりお腹がたるんだフリーター。女子中学生。ハードボイルドなノワール。日本アニメ的萌え萌えな女の子。まさかの豚。こいつらが、キャラクターごとに動き、絵の滑らかさ、色味、質感、ギャグ、考え方がみんな違って、まさに異次元の同居。これを同じ画面でやるのがどれだけ難しくて、観ている方は楽しいか。
 
さらに、この異次元のミックスこそが、多様性の賛美というグローバルレベルでようやく尊ばれ始めた価値観、そして文化的には過去のアーカイブから新しいものを生み出すというヒップホップDJ文化・サンプリング文化ともマッチして、すべてが今っぽい見事な着地なんです。
 
もちろん、スパイダーマンならではの成長物語としても水準は高いです。自分の潜在能力を活かす術を身につけるまでの苦労。正義と悪とそれだけでは割り切れない世界のあり様。そして、仲間や家族と結ぶ実りある人間関係。このあたりに抜かりはないし、よくできてるけど、テーマや物語運びというよりは、それを語る装置が斬新かつ中身と見事にシンクロしていたのが素晴らしいんです。映画館でぽっかり口を空けながら、スクリーンという異次元にどっぷり没入してください。
多くの人がグッと来ている(ように僕が感じている)「誰もがスパイダーマンになれる」うんぬんというテーマについては、劇中でマイルスが茶化されるように、メタファー、「もののたとえ」だと僕は受け止めています。確かにクモに噛まれるのは運命でも何でもなくて偶然のなせるわざなんだろうけど、あくまでもそれぞれの次元にいるスパイダーマンはひとりですから。
 
むしろ、僕は、この世界には様々な次元のものの見方と価値観が同居しているんだということそのものがメッセージであり、テーマだと感じました。それゆえ、互いのリスペクトが必要であり、長所を活かし合うとすごいことを成しうるし、何より面白いのだと。もちろん、隣人に手を差し伸べろ、やさしくあれというヒーロー的あり方込みでね。

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なにより、ファンも楽しめるし、一見さんにも門戸がパーンと気持ちよく開かれているという風通しの良さがいい! 
 
僕が「なんだかな」って思ったのは、時空を歪める装置をめぐるクライマックスのごちゃごちゃぐらいかな。
 
ついついやってみたくなるのは、今週の放送で僕がラジオで再現してしまった、意中の人の肩をポンと叩いてからの、キメ顔プラス精一杯の渋い声で「へ〜い」! あれも繰り返しのギャグになってたけど、まさかあんな大事なところでまたひょっこり出てくるとは!
 
遅刻の言い訳としての相対性理論も真似したくなりますが、信頼どころか仕事を失いそうなので、やめておきます。「時間というのはあくまで相対的なものであって、その意味ではむしろみんなが早く来ているだけという言い方も…」
↑ うるせーんだよ、オメーは!

さ〜て、次回、2019年3月21日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『運び屋』です。クリント・イーストウッド監督主演作! って、『グラン・トリノ』の時に「これが最後かも」なんて喧伝されていたような気もするけど… いや、そんなこたぁ、いいんだ。こうやってその御姿を大スクリーンで拝めることを心底僕は喜んでいますよ。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

 

『グリーンブック』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月7日放送分
映画『グリーンブック』短評のDJ's カット版です。

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1962年。ニューヨークの高級クラブ、コパカバーナで用心棒として働くイタリア系のトニー・リップ。教養も品もないものの、機転が利く言葉巧みな男で、親族から頼りにされていました。コパカバーナが改装に入るためしばらく仕事が無くなると知ったトニーは、家族を養うためにも、アメリカ南部でコンサート・ツアーを実施するという黒人ジャズ・ピアニストのドクター・シャーリーの運転手の座に滑り込みます。なぜドクター・シャーリーは、人種差別というより人種隔離と言うべき状況の南部へ向かうのか。この凸凹コンビは無事にツアーを終えられるのか。

 
本作は実話をベースにしていて、脚本には、トニー・リップの息子ニック・バレロンガがトップにクレジットされています。監督は、『メリーに首ったけ』などのコメディーで知られるファレリー兄弟の兄ピーター。イタリア系のトニー・リップ・バレロンガに扮するのは、ヴィゴ・モーテンセン。そして、ドクター・シャーリーを『ムーンライト』で昨年のアカデミー助演男優賞を獲得し、この春日本公開の話題作『スパイダーマン:スパイダーバース』や『アリータ:バトル・エンジェル』にも出演と、各所から引っ張りだこのマハーシャラ・アリが演じています。
先日のアカデミー賞では、作品賞、脚本賞マハーシャラ・アリ助演男優賞とメインどころの3部門を獲得して決定的な評価を得る一方、プロモーション活動中のヴィゴ・モーテンセンの失言や、ドクター・シャーリーの遺族が「事実が誇張されている」という趣旨の発言もあり、本国での観客動員が思った以上に伸びていないのも事実です。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

アカデミー作品賞ですよ。脚本賞ですよ。もうそれだけで観に行く価値があるっていうか、観に行くべきだし、こんな評は要らないんじゃないかという気もしてきますが、もうひとつメインどころの賞でこの作品が何を獲ったかと言えば、助演男優賞ですね。これはバディームービーなんで、「どっちが主演っていうか、どっちも主演じゃないの?」と映画を観る前は思っていました。しかし、ドクター・シャーリーを演じるマハーシャラ・アリはあくまで助演です。主役はトニー・リップ。脚本は息子が父から聞いた話をベースにしているし、お話もトニーやそのイタリア系ファミリーからの視点で物語られる。僕はそこにこの映画の面白さと、アカデミー賞獲得後に出てきた批判の源泉、その両方があると思います。

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黒人映画監督の雄スパイク・リーが、こちらも超面白そうな『ブラック・クランズマン』という作品で脚色賞を得た際のスピーチで言ったように、アフリカから黒人が奴隷としてアメリカ・バージニア州に強制連行されて400年の今年です。さらに、公民権運動の頃から半世紀を経た今も、差別は雑草や黴のように根深く残っていて、時折社会の表にその醜い姿をさらすという現実があるわけです。
 
舞台は半世紀以上前、特に南部では、人種差別どころか人種隔離が公然と行われていたわけです。ただ、このあたりの歴史的事実は、それこそタイトルの黒人用旅行ガイド「グリーンブック」の存在と同様、今では当の黒人でも若者なんかはよく知らないってこともあるでしょう。ましてや、僕ら日本ではこのあたりの事情はわからない。以上のことを考え合わせると、物語の視点は、ドクター・シャーリーよりもトニー・リップである方が映画的に盛り上がるんです。どういうことか。

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トニーは、無知で粗暴、品のない言動をする男であるがゆえに、僕たち観客の代わりに、当時のディープ・サウスの世相・実情に自然と分け入っていく。「俺にはややこしいことはよくわかんねえけど、これはいくらなんでも仁義にもとるってもんじゃねえんですかい。さすがにうちの旦那が気の毒ですぜ」ってな、寅さん的調子で、トニー・リップがトラブルの解決に乗り出すたび、彼なりに学んでいくことになる。社会の理不尽、ままならなさを身をもって知るんですね。そして、トニーが言わばボケの役割をすることで、ファレリー監督お得意のコミカルな演出をしやすくなっています。
 
たとえば、黒人食文化のひとつフライド・チキンの食べ方をトニーがドクターに教えるところ。あそこも、ちょいちょいトニーは失礼だし下品。でも、そこにドクがいい塩梅で絡むのは、ひとえにフライド・チキンの美味しさもあるっていう、あのあたりはファレリー監督の作家性のなせるわざじゃないでしょうか。

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トニー・リップのリップは、口が上手いから付けられたあだ名です。僕が訳すなら口車トニーです。ところが、時折、堪忍袋の緒が切れると、ついつい手が出てしまう。そこは、ドクター・シャーリーに暴力では尊厳の問題は解決できないと諭されるし、愛する人への手紙の書き方も教わります。いずれも、ニンマリさせられたり、ゲラゲラ笑わされますね。
 
ただ、トニー視点で映画がより面白くなった副作用として、批判の声があるのも事実です。これは、差別をするマジョリティー、つまりは白人が心を入れ替えるのに黒人が利用されたって話なんだと。「俺たち白人もちゃんと歩み寄って、差別を受ける人たちの辛さもわかっていますよ」という、意識高い系の白人を気持ちよくさせる映画なんだと。この批判は僕にもわからなくはないです。
 
がしかし、アメリカのこの差別構造のトップは、WASP、ホワイト・アングロサクソンプロテスタントであって、トニーはホワイトだけど、ラテンで、カトリックです。下手すりゃ、WASPから蔑まれる立場でもあるわけですよ。その意味では、批判のすべては当たらないのではないかと思っています。
 
僕の好きなところを挙げると、かつてレイシストだったトニーが、ツアーを終えて帰宅後、親族のひとりが黒人差別発言を軽くした時にピシャリと「今の発言はダメだ」と言ってのけるところ。そして、詳しくは言わないけれど、黒人でありながら黒人社会に馴染めず、ある理由から人を寄せつけずに孤独な暮らしをしていたドクのツアー後の変化。たとえば家のアジア系使用人に対して見せる気遣いであったり、クリスマス・イブに取る行動だったりは、彼の心がやわらかくしなやかなものになったことを端的に示していました。

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こうしたエピソードで観客に伝わるのは、人にはそれぞれの出自と育ってきた環境があって、世の中はとてもややこしく複雑だけれど、互いに尊厳を保ったまま誰かにやさしく接する道はあるはずだというメッセージでしょう。
 
様々な土地の風景・そこに住む人との交流を経て、主人公たちが変化していくロード・ムービーの要素と、教養のある人とそうでない人。金持ちと庶民。黒人とイタリア系。異なるバックグラウンドを持つふたりが共に刺激しあって人としての深みを増すバディー・ムービーの要素を併せ持った、オーソドックスだけれど、僕たち日本の観客にとっても学びと笑いに満ちた良質な一本を劇場で見逃すなんてのは、実にもったいないですよ〜

さ〜て、次回、2019年3月14日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スパイダーマン:スパイダーバース』です。日本でも昨年あたりから期待が高まっていたこの作品。アカデミー賞では長編アニメーション賞を難なく獲得しましたね。既に鑑賞している僕の友人たちからも、絶賛の声が聞こえてきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

映画『翔んで埼玉』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月28日放送分
映画『翔んで埼玉』短評のDJ's カット版です。

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あくまで伝説としての話です。かつて東京都民からひどい迫害を受けていた埼玉県民。東京へ行くには通行手形を必要とし、潜伏しようものなら強制送還となる身分でした。東京都知事のひとり息子で、名門高校白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美は、アメリカ帰りで容姿端麗な転校生の麻実麗(あさみれい)と出会います。当初こそ、校内にその美しさを振りまく麻実にライバル心を燃やした百美でしたが、あることをきっかけにして、彼に恋心を抱き、やがては互いに惹かれ合っていきます。ところが、麻実が埼玉県出身であることが発覚。ふたりの恋には、様々な試練が立ちはだかります。地位向上を目指し、通行手形の廃止を目論む埼玉県民。同じく虐げられながらも埼玉には負けられまいとする千葉県民。高みの見物を決め込む神奈川県民。さらにはとばっちりを受けるばかりの周辺の県を巻き込み、関東には大騒動が巻き起こります。

翔んで埼玉 テルマエ・ロマエ

原作は『パタリロ!』で知られる魔夜峰央が82年、実際に埼玉に住んでいた頃に発表した未完の同名ギャグ漫画です。監督は、『のだめカンタービレ』などフジテレビのドラマ演出から出発し、『テルマエ・ロマエ』のヒットでも知られる武内英樹。脚本は、やはりフジテレビのドラマ『電車男』で地上波デビューを果たし、映画はおよそ10年ぶりの徳永友一。二階堂ふみ東京都知事の息子、壇ノ浦百美を演じる他、埼玉のレジスタンス活動を行う麻実麗にはGACKTが扮します。他に、伊勢谷友介ブラザートム麻生久美子麿赤兒中尾彬京本政樹などが出演しています。
 
先週の公開から最も観客を集めているのは埼玉県ですが、全国レベルで見ても、先週の動員ランキング堂々の1位。ロケットスタートでぶっ翔んでいるこの作品を僕がどう観たのか。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

未完の小さな作品であったオリジナルを映画化するにあたり、キャスティングからひとつひとつの小道具まで潤沢な予算を投じ、脚本も複雑に練り込み、キャッチコピーを借りるなら、大真面目に徹底して「邦画史上最大の茶番」をやり、ごく狭い地域のトピックを扱いながら、その実きわめてグローバルな、普遍的な寓話に仕立て上げた、今年屈指のコメディーだろうと僕は受け止めています。
 
だいたい実年齢40代半ばのGACKTが高校生で、二階堂ふみが男子ですよ。普通に考えれば、無茶苦茶です。しかも、学校は制服も何もあったもんじゃない。ベルサイユのばら的な、そして要はパタリロ的な美意識を再現した衣装に身を包んでいる。GACKTがかつて属していた、そして劇中にチラリ登場するYOSHIKIのビジュアル系バンドの耽美的な世界観の源流とも言えるものですね。そして、埼玉の地位向上を狙って暗躍するレジスタンスである男と東京都知事の息子がキスをするボーイズラブでもある。なんだけど、僕らはあまりに有名な現実のふたりを知っているから、これが同性愛ではなく異性愛であることも知ってる。この恋愛は埼玉と東京、異性愛と同性愛、そしてフィクションと現実が越境した産物であるという、むちゃくちゃ複雑なものなわけです。
 
でも、これだけだと、いかにも漫画な、大量生産されている漫画実写映画化と同じレベルに留まっていたと思うんです。この作品に僕がうならされたのは、メタ的な構造を幾重にも盛り込んでお話を重層化していることです。

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今話したこのぶっ翔んだ漫画的世界は、すべて現代日本の都市伝説であると括弧で括ってあるんですね。その伝説が語られるのが、埼玉県民がこよなく愛するFMラジオ局NACK5であるという設定。つまり、DJが喋っているんだと。その放送を車の中で聞いているのは、埼玉県民の夫婦と結婚を控えたひとり娘。「なんでNACK5聴いてんのよ。東京FMに変えてよ」なんて言っちゃう。つまり、映画はこのリアルと都市伝説を行ったり来たりするんです。「僕らの世界に似た世界の話」を「僕らの世界で聞いている人がいるって話」を、僕らは観ているという構図ですね。さらに、僕はびっくりしたのは、最後の方でNACK5のスタジオが出てくるんだけど、そのDJとディレクターの姿が映った時です。これは今明かしませんが、「どんだけこねくり回すんや!」って僕は声に出しそうになりました。
 
その狙いは何か。ふたつあると思います。僕ら観客に没入させない効果がひとつあります。「これはフィクションですよ〜 都市伝説ですよ〜」って言い聞かせるわけですから。でも、それを聞いている家族はリアル埼玉県民で、アイデンティティーをリアルにこじらせている。この入れ子構造が、現実とのちょうどいい距離感をもたらす。この距離感があるから、笑えるし、笑いながら考える余白を生む。じゃあ、何を考えるって、現実はどうだろうかってことですね。ここまで極端なことはもちろんないけど、あれ、ひょっとしたら、これまがいのことは本当にあるんじゃないかと考えてしまう。この寓話的な効果を生み出すのが、狙いのふたつめでしょう。これは映画版の功績です。

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通行手形はパスポートやビザに置き換えてください。世界には特定の国の人にそれを発行しない現実がありますよね。この映画では千葉県が東京にうまく擦り寄っていく政治的な戦略に出ていますが、これは日本とアメリカの関係に置き換えられないでしょうか。明治以降からほんの最近まで、いや、なんなら未だに、僕らは韓国や中国の人たちを意識的にせよ無意識的にせよ見下していませんでしたか? アジアナンバーワンだと思いながら、アジアをまるで見ていなかったのは、この映画の中の東京のエリートと同じではないだろうか。
 
僕は今わざと挑戦的に日本を例に挙げましたけど、同じようなことは世界中にあります。僕の生まれたイタリアにもあります。つまり、地域や国のアイデンティティーやプライドは、その周辺をないがしろにして育つと醜いことになってしまうという教訓を、すべて笑いという糖衣でくるんで飲みやすく摂取させてくれるのが、この映画だと思うんです。
 
原作は未完なんで、映画をどう終わらせるかも見どころになるわけですが、埼玉の逆襲とも言える内容になっていましたね。でも、そのどれもが、ショッピングモール、コンビニ、ファストファッション、安いアイスなど、要するに画一的で均一的な、つまりは埼玉らしさのないものだっていう皮肉を見せたのも僕には面白かった。個性がないから生まれたものが、今や日本全体に浸透しているという現実の深みのなさも見せつけられてしまう。
 
なんて真面目に語ってしまいましたが、こうしたことを笑いの畳み掛けで用意周到に描いてみせた本作。僕はひれ伏しました。

ラジオでは埼玉県蕨(わらび)市出身、星野源の『ばらばら』をオンエアしましたが、映画主題歌はこちらです。またよくできてる! はなわディスコグラフィーでも抜きん出た傑作かも。

 

小ネタに関しては、もう語りだしたらキリがないので触れませんでした。ドライヤー銃、草加せんべいの踏み絵、埼玉県民ほいほい、千葉の海女が使うさざえのトランシーバー、さいたマラリアなどなど。こればかりは実際に観て笑ってもらうしかありません。

さ〜て、次回、2019年3月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『グリーンブック』です。ちなみに、来週は火水木と休暇を取らせてもらうんですが、映画評に関しては事前収録でちゃんとやりますよ。しかし、これはアカデミー作品賞も獲ったしねぇ。僕はもう観てますけど、「いい話」です。以上。ってわけにもいかないか。映画ファンならずとも、これは観ておいていただきたいって作品です。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『女王陛下のお気に入り』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月21日放送分
映画『女王陛下のお気に入り』短評のDJ's カット版です。

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18世紀初頭。アン女王が統治するイングランドはフランスと戦争中。アンの幼馴染である側近のサラは、身体が弱く政治的手腕に乏しい女王を意のままに操り、絶大な権力を握っていました。たとえば… 
 
当時のイングランド議会では、増税してでも戦争を進めるべきだとする与党と、一日も早く和平を推進するべきとする野党で、意見が対立していたのですが、夫のモールバラ公爵がイングランド軍を率いているサラは与党に肩入れ。アン女王はサラに言われるがままに戦争継続を命じるのでした。
 
そんな折、没落した貴族の娘で、サラの従兄弟に当たるアビゲイルが宮廷にやって来ます。アビゲイルはうまくサラに取り入って召使いからキャリアをスタートさせつつ、やがてはアン女王の侍女へと昇進。アビゲイル支配下においたつもりのサラでしたが、アビゲイルは再び貴族の座に返り咲き、さらには虎視眈々とサラの権力をも奪おうと狙っていたのでした。さて、アン女王のお気に入りとして生き残るのはどちらなのか。

ロブスター(字幕版) 籠の中の乙女 (字幕版) 

もちろん実在した王室や貴族の秘話を描いた歴史もの。もともとは脚本家のデボラ・デイヴィスが『Balance of Power』、つまり「権力のバランス」というタイトルで書いていたプロットが10年前にラジオドラマになり、そして今回映画化という流れです。監督として白羽の矢が立ったのは、ギリシャ出身ののヨルゴス・ランティモス、45歳。『籠の中の乙女』『ロブスター』『聖なる鹿殺し』など、特に日本では映画通の間では知られた人です。カンヌでは主要な賞を既に2度獲得している他、アカデミーにも何度かノミネートしていました。人間の欲望や社会の常識をグロテスクなまでに極端に描き、どす黒い笑いで風刺してみせるという作家性がある人です。
 
アン女王にオリヴィア・コールマン、側近のサラにレイチェル・ワイズ、その従兄弟で貴族返り咲きを狙うアビゲイルエマ・ストーンが抜擢されました。
 
ランティモス作品としては、これまでで一番規模の大きなフォックス・サーチライト・ピクチャーズが配給をしています。要は20世紀フォックスの子会社なんですけど、インディー色の強い質の高いものを扱うレーベルみたいなもので、最近だと『バードマン』『スリー・ビルボード』『シェイプ・オブ・ウォーター』『犬ケ島』、これすべてサーチライトです。案の定、今作は昨年のヴェネツィア映画祭で審査員大賞と女優賞を獲得。アカデミーでは、作品賞、監督賞、主演・助演女優賞脚本賞など、今回最多の10ノミネートとなっています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

あらすじから多くの人が思い浮かべるように、そして公式ホームページでも謳われている通り、これは「英国版大奥」です。確かにその側面はある。でも、ポイントはそのトップが「殿」ではなくて「女王」であることですね。痛快なのは、トップが女で、それを影で操るのも女。議会の政治家たち、男どもがその支配下にあるってことです。そこが大奥とは違う。ただ、表面上はもちろん男社会ですから、あくまでその裏で陰湿極まりない駆け引きが行われるのが見どころとなります。
 
オープニングを思い出してみましょう。アビゲイルが宮殿にやって来る乗合馬車のシーンから、早速監督のスタンスが表明されます。一度綺麗な描写をしておいてから、すかさず、乗り合わせた面々の下劣な本性を暴いてみせる。人間の表裏、美醜をとっとと見せちゃう導入です。しかも、アビゲイルは宮殿脇で馬車から突き落とされて、糞尿まみれの泥の中へ。僕ら観客は否が応でも、アビゲイルの味方をしてしまうんですが、これがそう簡単な話ではないミスリードの類だとすぐわかります。徐々にアビゲイルの思惑・欲望・野心が顕になってくると、だんだん僕らはむず痒く居心地が悪くなる。すると今度は、サラも不憫に思えてくるし、アン女王だってなんなら時には… こんな調子なんで、僕らは権力と欲望のトライアングルの中で身の毛のよだつ思いをし続けるわけです。
 
てなことを言ってますが、これ、よりによって国は戦争中なんです。ところがどうでしょう? 戦闘シーンは出てこないばかりか、カメラは宮殿とその周囲から外へは出ません。つまり、この宮殿に巣食う国家の支配者たちは、民のことなど文字通り目もくれていないわけです。
 
ついでに技術的な話をちらっとすると、今回、宮中のシーンで魚眼に近い広角レンズが使われてました。劇映画では珍しい手法なんで、誰もが気づきますよね。まっすぐ廊下が歪んでみえるわけだし。これはもちろん監督の世界観そのものです。それ以外は、極めてナチュラルな撮影法だけに、際立ちますね。病と不摂生がたたって精神状態は不安定で身体は痛風にやられ太りまくって動けなくなっているアン女王ですが、彼女が神輿に乗ったり、巨大な車椅子で移動する様子は、そのまま撮影するだけで権力の中枢の非人間性が浮かび上がります。

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しかし、なぜ今こうした時代ものを撮るのか。意義は少なくともふたつあるとみてます。
 
その1。ミートゥーやタイムズ・アップに端を発するここ数年の女性のエンパワーメントを巡る動きは踏まえているでしょう。たとえば性的にいいよってくる獣同然の男たちは、彼女たちに完全に手玉に取られていました。ただ、それで終わらないのがランティモス監督です。だって、サラやアビゲイルが良心的に描かれているかと言えば、むしろその逆だし、それで彼女たちが幸せなのかと言えば…ってことですよ。
 
その2。権力や富がいかに人を堕落させるかというメッセージでしょう。資本主義がグローバル社会の中で暴走・肥大化した挙げ句、世界中で格差が深刻化していて、今現在、世界の富の8割が、1%の富裕層に集中しているという異常事態が進行しています。政治家たちは世界中で排他的・独善的になり、民のことなど考えていないのではないかという問いかけですね。

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この2点を考え合わせると、僕たちは遠い時代の出来事だと傍観していられないわけです。子どもを持てなかったアン女王が、その代わりにかわいがっている17匹のウサギたち。権力闘争の小道具として、うわべだけかわいがられたかと思えば、足蹴にもされてしまういたいけな動物たちです。ラストショットにも登場しますが、あれは僕たち観客の姿が映り込んでいるのかもしれません。
 
いやはや、笑うに笑えない。僕らの笑みを引きつらせる、強烈なインパクトで人間と社会の本質をえぐる1本でした。

 ラストカットと確か重なって鳴り始めたと記憶しているのが、この主題歌でした。Elton Johnキャリア最初期のものですが、ピアノではなくチェンバロを使っているのが、映画にマッチしていました。チェンバロはピアノが生まれる前の楽器だから物語の時台とも合うし、歌詞も登場人物たちの心情に重なるところがあります。

さ〜て、次回、2019年2月28日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『翔んで埼玉』です。番組スタッフとは、もし関西を舞台とするならどうなるかしら、なんて不埒な話題で盛り上がってしまいました。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ファースト・マン』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月14日放送分
映画『ファースト・マン』短評のDJ's カット版です。

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「これはひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」。1969年、初めて月に降り立った人間ニール・アームストロングの言葉ですね。この映画は、1961年、彼が宇宙飛行士になる前、空軍のテスト・パイロットだった頃からの8年間を描いています。ある日、テスト飛行中に高度を上げすぎて大気圏を突破してしまったニール。命からがら機体を下げ、無事に地上へ戻りますが、その際に目にした束の間の宇宙。耳にした静寂は美しくも臨死体験にも似た、忘れられないものとなりました。一方、私生活では妻との間に娘と息子がいたんですが、まだ幼い娘カレンは悪性の腫瘍に苦しみ、看病もむなしく亡くなります。悲しみにくれながらも、感情を表には出さず、現実から逃れるようにして、彼は宇宙飛行士に応募。NASAに所属して、家族とともにヒューストンへ引っ越し、過酷な訓練に身を投じることになります。

ラ・ラ・ランド(字幕版)

主演と監督は、ライアン・ゴズリングデイミアン・チャゼルの『ラ・ラ・ランド』コンビ。チャゼルは音楽ものから離れたばかりか、脚本も自分のペンによるものではなく、純粋に監督としての演出力が問われる作品となりました。脚本はジョシュ・シンガー。『スポットライト 世紀のスクープ』や『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』など、実在の事件の裏を丁寧に描く能力を買われての抜擢でしょう。7年前に亡くなったニール・アームストロングは自伝を書かなかったのですが、唯一の伝記として本人も認めたジェームズ・R・ハンセン『ファーストマン:ニール・アームストロングの人生』(河出文庫)を原作としています。

スポットライト 世紀のスクープ (字幕版) ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (字幕版)

映画化の構想は、本人が存命中の2003年からあったようで、そのときにはクリント・イーストウッドがワーナーと一緒に権利を押さえていましたが実現せず、ユニバーサルが宙に浮いたその権利を取り付け、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグを迎え、2015年から製作が動き出したという経緯があります。批評家筋の評価は軒並み高いんですが、アカデミー賞では主要部門は逃していて、録音、音響編集、視覚効果、美術という技術的な4部門にノミネートしています。
 
それでは、映画界の風雲児チャゼル好きの僕がどう観たのか。制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

デイミアン・チャゼル作品は、『ラ・ラ・ランド』も、『セッション』も、共通点がありました。それぞれきっかけは別として、何か夢を持って、それを実現しようと奮闘、格闘、葛藤する男の話。月に行くという夢は、50年前にあって、究極にして、まさにルナティック、つまり狂気じみた夢でもありました。その意味で、これはまさにチャゼル的命題です。『セッション』のような鬼教官は出てこないけど、ストイックな訓練と、度重なる技術的な困難。そして、仲間たちが犠牲となる様子は似ている面もある。こじつけるわけじゃないけど、カメラが執拗なまでに主人公を追いかけ、時には追い詰めるようなサディスティックとも言えるアングルや画面配置は『セッション』に近いです。
 
映画を観て、拍子抜けした人もいるでしょう。全然ヒロイックな描き方じゃないから。いくら世間や時の権力者がヒーロー扱いしようと、それをとにかく嫌ったと言われるニールです。この映画が強調するのは、ミッションの冷徹な描写と、彼のごく私的な想い、プライベートな側面です。彼は常に感情をコントロールしていて、何があっても平静を装う。映画も表面上は静かに淡々と進みますね。でも、だからこそ、たとえばプロジェクトが犠牲者を出した時にそっとカメラが捉える動揺を示すアクションが活きてきます。
 
とにもかくにも、月へ行くのは大変です。毎年『スター・ウォーズ』の新作を見せられていた僕らがいかに麻痺していたことか。コントロールのきかない計器類、ハンドル。スマホ以下の技術しかない、アナログな機械。圧がかかってミシミシ音を立てるロケット。恐怖の臨場感をこれでもかと僕らも追体験することになります。

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話題となっている、16ミリ・35ミリフィルムでの撮影ですが、これは当時の飛行士たちが、劇中にもあるように16ミリカメラで記録映像を撮っていたということもありますけど、チャゼルの思惑はこういうことでしょう。これまで未来の出来事やSFとしていつも神秘的にツルッと描かれてきた宇宙飛行を、無謀かつ大それたもの、つまり過去の異様な現実として振り返るために、映画技術的には古いとされる50年前のメディア、フィルムのザラツキでアナログ感を強調しようとした。逆に、月面では最新鋭のIMAX70mmカメラで撮影することで、これ以上ない2010年代最高の画質にした。それは、今なお人間にとって月面は未知の世界であり、この映画のカタルシスであり、古臭くない、ある種あの目線は時代を超越したものとして示したかったからじゃないでしょうか。
 
ソ連との宇宙開発競争で国家の威信をかけたプロジェクト。天文学的な予算を税金から割くが故に飛び交う批判。周囲の喧騒が激しくなればなるほど、彼は黙り込みます。実際、この手の映画にしてはセリフが少ないです。彼は国なんて背負ってないんですね。またひとり息子が生まれても、それはそれで嬉しくとも、決して死んだ娘の代わりになるわけではない。彼女への追憶が、辛い時に何度も蘇る。でも、それはどうしようもないことですよね。忘れようにも忘れられない。頭の中、まるであの狭いコクピットのようところに、その想いは閉じ込められている。それが彼を月へと駆り立てる。もはや妻にも手の届かないところへと彼はひとり向かってしまう。

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アメリカでは保守系の国会議員が、「どうして星条旗を月に立てるシーンがないんだ」と不満を顕にしたそうですが、うるせーよって話ですよ。飛行士も人間であって、彼の抱えてきた想いに向き合う場面こそ重要なわけですよ。映画を観た人ならわかることですが。
 
思えば、上がったり下がったり、宙に浮いたり。忙しい映画でした。この高さ、高度がニールの精神状態と連動している部分もあるし、セリフは少ないけれど、ゴズリングが得意とする、秘めた想いを表情に浮かべて見せる表現が今回も炸裂していて最高でした。
 
さて、これ、どう終わるよと思っていたら、やはりチャゼルはラストカットの余韻がすばらしい。今回もそうでした。あのツーショット! チャゼルはまたひとつ偉業を成し遂げつつ、難しい企画を軟着陸させました。四の五の言わずに、あなたも早く劇場のシートというコクピットへ!


さ〜て、次回、2019年2月21日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『女王陛下のお気に入り』です。今週はチャゼルとゴズリングのコンビ。来週はエマ・ストーン。そう、『ラ・ラ・ランド』つながりですね。こちらはアカデミー作品賞を含む、今回最多の10部門ノミネートですよ。すごい。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!