京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

パン買ってこいや (旧ウェブサイト『小噺パラダイス』)

 どうも、有北です。
 先日我が家の電子レンジが夜な夜な奇怪な機械音を発するという悩みを誰にともなしに漏らしたところ、運よくそれを聞きつけた親切な友人から「それってほんとうにやばいんじゃないの」というありがたい忠告を頂き、あえなく電子レンジはお蔵入りとなりました。「出る杭は打たれる」、まさに現代日本を象徴するかのような我が家の電子レンジなのです。

 さてそんな悲しみを抱えながら僕は今日も新大阪の職場で働いているわけですが、我が職場に、ひとりのチャイニーズ女性がいます。僕は常日頃彼女のバイタリティを見るにつけ、「やはり、BRICSか…」とその実力に驚嘆せざるをえないのですが、ときにはこんなこともあります。
 僕は普段内勤なのでカジュアルな服装で出勤しているのですが、たまに外に出る予定があるときはスーツを着用します。で、ある日僕がスーツを着ていたので、チャイニーズの彼女が「今日は、どこか行くんですか?」。僕は「ただのおつかいですよ」と軽く答えたのですが、彼女はわかっていないようす。どうやら「おつかい」という単語が彼女のボキャブラリーには登録されていないらしい。「どういう意味ですか?」。彼女はまっすぐな目で僕を見つめる。まずいぞ。朝の軽い挨拶のはずが、予期していなかったトラブルだ。適当にお茶を濁すのは簡単だが、それではあんまりだ。「どういう意味ですか?」。彼女の、純粋な目。おつかいを、別の言葉でだって? 「…パシリですよ」。とっさの一言。違うことはわかってるし、おそらく伝わらないだろうこともわかっているが、追い詰められた人間はまったくなにを言い出すかわからないという、いい例だ。
 「ああ、パシリね」
 わかるのか! ていうかおつかいがわからなくてパシリがわかるのはなぜだ。いったいどんな青春時代を? ドラえもんを読みたまえ。ろくでなしBLUESは捨てたまえ。いやそんなことはどうでもいい。問題なのは、僕が完全にパシリだと彼女に誤解されてしまったという事実だ。彼女の、呆れたような目。これはBRICSと日本の縮図か? 聞いてくれ。僕、パシリじゃないですから。聞いてくれって。