京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

ドーナッツクラブpresents「映画で旅するイタリア2017」!

ドーナッツクラブがお贈りするイタリア映画の祭典「映画で旅するイタリア2017」!
毎回大きな反響をいただき、3年目の
今年は東京と京都、2都市での開催です。


映画で旅するイタリア2017予告編


ルパン三世』さながらの裏切りの応酬、最高の二人のバディ・ムービー『やつらって、誰?』
伝説の色男の死後、残された女たちが知る予想外の事実『ラテン・ラバー』
成功を夢見る二人、すれ違いながらも愛を深める二人の辿る結末は?『アラスカ』
いずれも必見の傑作イタリア映画3作品が、満を持して日本初公開!!

6月3日(土) - 9日(金) アップリンク渋谷
http://www.uplink.co.jp/
6月24日(土) - 30日(金) 京都シネマ
http://www.kyotocinema.jp/

【詳細】https://www.doughnutsclub.com/
※上映時間は決まり次第ホームページ、SNS等でお知らせします。

 

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主催:京都ドーナッツクラブ
共催:イタリア文化会館-大阪*
後援:イタリア文化会館
協賛:ディスク・ロード、JAPANISSIMO、キネプレ*、ロマンライフ*
(*=京都会場のみ)

『夜は短し歩けよ乙女』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年4月14日放送分
『夜は短し歩けよ乙女』短評のDJ's カット版です。

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京都の大学で、バラ色キャンパスライフとは無縁の、悶々とした日々を送る「先輩」。彼は同じサークルの後輩「黒髪の乙女」に恋心を寄せ続けるものの、自意識が空回って外堀を埋めるばかりでなかなか距離は縮まらない。そんな先輩にとって千載一遇の好機とも言うべき夜がやってきたのだが、果たして恋の行方は。

太陽の塔 (新潮文庫) 四畳半神話大系 (角川文庫) 夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

太陽の塔』でデビューして以来、一貫して京都を書き続けてきた作家森見登美彦のベストセラー小説が原作。監督はこれが13年ぶりの長編となる湯浅政明。脚本はヨーロッパ企画上田誠。キャラクターデザインは中村佑介。主題歌はアジカン。この座組は、2010年にフジテレビ系列ノイタミナ枠で放送された『四畳半神話大系』とまったく同じ。さらにそこに、今回は星野源花澤香菜、そしてロバート秋山といった時の人が声優陣に加わり、一層華やかな顔ぶれになっています。
 
僕は森見作品の愛読者ということもあり、思い入れも一際なんで逆にやりにくいんだけど、それはともかく、3分間の短評、今週もいってみよう!

森見作品の大きな特徴に、人間関係とか、システムとか、運命的なものから抜け出せない、ある種の無間地獄的ループを描くっていうのがあると思います。それが色濃く出ていたのが、『四畳半神話大系』で、まさに今頃、大学に入ってから、どのサークルに入るべきかと思案している人も聞いてくれているかもしれません。これがきっと人生の分かれ道になるに違いない。そう思ってはいるんだけど、結局はどれを選んでも、大同小異で、主人公は自分、あるいは自意識の化身である四畳半の下宿から抜け出せない。この部屋でも、隣の部屋でも、そのまた隣の部屋でも同じこと。なんていう、ある種のホラー的要素を持った連作小説だったわけです。だから、毎回30分のTVアニメ枠とも相性が良かった。

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それが今回はどうか。原作では四季をめぐる物語だったものが、なんとたった一晩のお話に改変されている。僕はこれ、正解だったと思っています。だいたいタイトルが「夜は短し」なわけだし、こうすることによって、湯浅監督の持ち味であるドラッギーな絵作りと細部がやたら濃密な物語とが噛み合い、まるで闇鍋のような飛躍的な展開をストンとまとめることができているのではないかと。原作では、1年もの物語だから、「ああもうさっさと手を打たんかい!」という焦燥感が読者に湧いてきて焦らされるし、それが先輩が抜け出せなくなっている自意識問題の根深さを表していたのに対し、今回はこれでもかと怒涛の展開を見せる中でも「自分内会議」にクライマックスを持ってくることによって、スクリーンサイズのスペクタクルを担保しながら、その無間ループを彼が突破できるかどうかに焦点が合ってる。人の縁が強調されてましたが、時計とか車輪とか丸い円のモチーフもたくさんあって、先輩と乙女はグルっと巡った先で落ち合ってまた別の円を形成するという構成。なるほどな、と思いました。
 
今回も「四畳半」の時と同様、膨大なセリフ量を早口でまくし立てるスタイルは健在。サイズやフォルム、時間が目まぐるしく自在に変化してファンタジーが爆発する映像とあいまって、もう情報の洪水。多少の消化不良も何のその。だからこそ、ドラッギーなんですよね。ただ、これは原作もそうなんですけど、僕は「四畳半」の方が、実写とアニメを捏ねくり回したり、もっと実験的で、リアルな京都のぬるま湯的大学生活と橋渡しができていた気がして、より好みだったことが付け加えておきます。監督も語ってますが、「四畳半」が勢い重視だったのに対し、映画はもう少しシックにしたと。監督流のポップな着地でしょう。これが気に入ったって人は、よりぶっ飛んでる「四畳半」の鑑賞も強く勧めます。
 
今回は京都が舞台でありながら、その京都そのものの魅力は出し切れていなかったような気もします。これは木屋町先斗町の裏路地が入口となる「不思議の京のアリス」だと思うので、もっと京都らしさが絵に反映されても良かったような。
 
とはいえ、大好きな森見作品のファンがこれを機に一層増えるのは大いに歓迎すべき事態。この番組の聴取者諸賢なら一見の価値あり。観に行くべし。異議はありますか? なに? ある? それは却下だ!
 
ところで、リスナーのツイートに、『イエローサブマリン』的な絵、という言葉を見つけました。なるほどね。原色の大胆な使い方は似ているかも。


さ〜て、次回、4月21日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『T2 トレインスポッティング』です。来週もカルト作が来ましたね。20年後の奴らに会いに行くとしますか。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

 

『ムーンライト』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年4月7日放送分
『ムーンライト』短評のDJ's カット版です。

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あの『ラ・ラ・ランド』と一度間違えられた末に、という余計なエピソードがついて回るものの、誰が何と言おうと、第89回アカデミー賞で作品賞、助演男優賞、脚色賞を堂々獲得しました。
 
リトルというあだ名で呼ばれ、内気な性格から学校でいじめられっぱなしの黒人少年シャロン。麻薬常習者のシングルマザーや、親代わりとばかりに可愛がってくれる麻薬ディーラーのカップル。そして、唯一心を許せる同級生のケヴィン。フロリダ州マイアミの狭い黒人コミュニティーで生きていくシャロンの半生を、小学生、高校生、そして青年と3つのチャプターに分けて描写します。
 
エグゼクティブ・プロデューサーをブラッド・ピットが務めていますが、監督はまだ長編2作目という新鋭バリー・ジェンキンス、37歳。素人やまだ無名の役者3人が1人のシャロンを演じ分ける一方、ナオミ・ハリスマハーシャラ・アリ、そしてジャネール・モネイといった名のある俳優や歌手が脇を固めています。
 
それでは、3分間の短評、今週もいってみよう!

僕はほぼ知識ゼロでの鑑賞で、後日予告編を見たくらいなんですけど、驚いたのは、予告でほとんど話がわかるっていう作りになっていて、あのダイジェストで筋はほぼクリア。でも、僕はそれを悪いと言っているんではなくて、この作品はそれでも鑑賞を強く勧めたくなる物語以上の機微が詰まっていて、醍醐味はそれを観客がすくい取るってこと。つまり、観るにあたって、ある程度、集中力をもって味わうという意志を持たないとつまらなく感じるかもしれません。
 
というのも、基本的に説明は周到に省略されているんですね。まず主人公シャロンが内向的なので、セリフがとても少ない。父親が今どこで何をしているのかもわからない。こういう基本的な情報すら、観客の想像に委ねられているわけです。そんな潔い省略が最も発揮されるのが、3つのチャプターで構成される時間的なジャンプです。小学生から高校生、そして青年へ。しかも、目や仕草がよく似ているとは言え、同じシャロンをそれぞれ別人が演じているわけですから。フアンと出会って、親友ケヴィンが登場して、なんだかんだあってっていう、短い時間から、一気に10年くらいポンと飛んで、その間に何があったのか、何のフォローもない。僕らは会話や出で立ち、その言葉の端々から、「こういうことがあったのかな」と漠然と推察する他ないわけです。物語ってのは、省略の上手い下手でその出来栄えが左右されるって僕は常々思うんだけど、これは大胆かつ実験的にして、お見事という他ないさじ加減です。思い出したのは、このコーナーでも扱っているリチャード・リンクレイターの「ビフォア・シリーズ」とか『6歳のボクが、大人になるまで。』ですね。ただ、リンクレイターの場合は、実際に俳優がその時間分年を取るわけだけど、こちらはそれができない分、役者を変えて、それでも説得力を持たせる演出をしている。まだ名も無き役者たちもすごいけど、監督の誘導が凄まじい。

ビフォア・ミッドナイト [DVD] 6才のボクが、大人になるまで。(字幕版)

それから、ここぞというタイミングでのカメラワークも素晴らしかった。映画のスタート、フアンが登場するところなんてまさに典型だけど、カメラがグルッと回る円環ショットと言われる技法がとりわけ印象に残りました。ある程度の時間が経っても、シャロンはあのコミュニティーの論理と価値観からやっぱり抜けきれないんだとカメラでぐるりと線を引く用な演出。黒人しかいないあの社会では、貧困からドラッグディーラーがはびこり、お母さんのように麻薬に溺れる人がいて、育児放棄、売春や暴力が横行し、子どもたちもその社会の中でのピラミッド、スクールカーストを生み出す。そこでシャロンは、さらにセクシャルマイノリティーとして生きている。およそ僕が想像できる範囲でも下の下の下です。言わば、悪しきスパイラルからどう抜け出すのか、抜け出せないのか。
 
「どう生きるかを決めるのは自分自身。他人じゃない」ってセリフがありましたけど、ただでさえ弱い立場のシャロンにとって、それはたやすいことじゃない。これは、そんな彼がアイデンティティーを獲得する、もの静かで時間をかけた闘いの叙事詩です。それは誰しもが通る道でもある。ここまで壮絶かどうかは別にして。だから、苦労したなシャロン、と涙してしまう。
 
もう3幕目なんて、僕の目は常に潤んでました。鍛え上げた肉体と光る金歯で武装しても隠せないシャロンのピュアなやさしい瞳。その光は、あの浜辺で過ごした夜に輝いて辺りをブルーに染めていた月明かりにも似ているようで、実は画像処理も施してまで映画全体を染め抜いた青が、僕のまぶたの裏にしっかり焼き付きました。
 
これは断言できます。地味だけどすばらしい作品です。予算はたった150万ドルだから2億円弱。たとえば『アヴェンジャーズ』の制作費は250億円ですよ。ジャンルもあるけど、映画は金だけじゃない。当たり前だけど、少ない予算でも良いものは作れるってことですね。
 
☆☆☆
 
物語の大事な部分で音楽が重要な役割を果たすのも、音楽ファンとして嬉しいところ。しかも、いわゆるヒット曲の魅力でゴリゴリ押してくるんじゃなくて、しみじみと歌詞を味わわせる控えめな曲をジュークボックスから流すあの「引っ張り」は3幕の見せ場でした。
 
各映画サイトに似たような記事が出ていましたが、ジェンキンス監督は、20年前の名作、ウォン・カーウァイの『ブエノスアイレス』に感化されてオマージュを捧げているんだとか。僕は気づきませんでしたが(エッヘン!) 類似ショットもあるということなので、この機会に見直してみるのもまた一興。記事へのリンクを貼っておきますね。こちら


さ〜て、次回、4月14日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『夜は短し歩けよ乙女』です。僕は原作の森見登美彦フリークで、なおかつアニメ『四畳半神話大系』も大好きでした。今回はいかに! あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

 

『キングコング:髑髏島の巨神』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月31日放送分
『キングコング:髑髏島の巨神』短評のDJ's カット版です。

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1933年にオリジナルが作られたキングコング。その後、1962年、東宝の『キングコング対ゴジラ』も合わせれば、各時代の映像技術の見本市の様相を呈しながら、計8本作られてきました。どうやら今回は、新しく始まるシリーズの序章という位置づけで、ギャレス・エドワーズ版の『GODZILLA/ゴジラ』と絡み合いながら、同じ世界感を共有する「モンスター・バース」という、まるでマーヴェルのような流れが予定されています。
 
時は1973年。ヴェトナム戦争からアメリカが撤退する年です。南太平洋に浮かぶ道の島、髑髏島。地質学的な調査という目的のもと、学者、カメラマン、傭兵、米軍で構成された遠征隊が島へ。島を人の手から遠ざけてきた嵐を抜けて侵入した彼らは、そこはキングコングをはじめ、恐ろしい怪物たちが住む場所だった。
 
戦場カメラマンのヒロイン、ウィーバーを、『ルーム』でマサデミー賞主演女優賞ノミネートしている『フリー・ラーソン』。米軍の士官をサミュエル・L・ジャクソン。遠征隊を守る傭兵コンラッドを、マーヴェルの『マイティ・ソー』のロキ役でおなじみトム・ヒドルストンが演じています。

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監督は、デイミアン・チャゼル並に若い32歳のジョーダン・ボート。胸まである長い髭を伸ばしているエキセントリックな外見で、日本好きでもあります。この規模のハリウッド大作は初メガホンです。
 
それでは、3分間の短評、今週もいってみよう!

僕は怪獣映画にそれほど思い入れはないんですが、今回の「キングコング」は、そんな僕ごとき映画好きのちっぽけな映画体験など超越してきました。まず一言、感想を叫ぶなら、「スゲー!」ですね。最初こそ、いつものように分析してやろうという、ある種斜に構えたスタンスで観ていたんですが、物語が進むに連れて、もうただただ唖然とするばかり。あの密林の中で、僕のなけなしの冷静な審美眼は捻り潰されたので、鑑賞後も血湧き肉躍って沸騰した頭脳をクールダウンさせるのが大変でした。
 
魅力は3つです。ひとつは、モンド映画っていう、かつてあった猟奇系のモキュメンタリーのジャンル映画にも似た、未知なる世界を覗く探検ものの味わい。もうひとつは、映画ファンなら誰もが思い浮かべる、コッポラ『地獄の黙示録』的戦争映画のルックとギミック。そして最後は、もちろん怪獣映画ならではの次から次へとスクリーンに登場するモンスターたちのおどろおどろしさ。普通なら、このひとつひとつで十分に映画が撮れるほどの魅力を全部ぶっこんだうえで、しっかりバランスも保っている。すごいです。

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時代設定が、脚本のうえでも、演出のうえでも、肝でした。1973年と言えば、ベトナム戦争からアメリカが初めて撤退をした年。事実上、アメリカ史上初の負け戦と言ってもいい。泥沼のゲリラ戦で満身創痍の米軍の中には、だんだん自分が何のために戦っているのかわからなくなる兵士も多くいて、今の言葉でいうPTSDを描いた映画も結構あるわけです。この作品だと、パッカード士官ですね。戦争でのカタルシスを得られなかった徒労感から心がもぬけの殻になり、むしろ戦地に留まりたいという欲求が芽生えて、「やった!」まだ戦えるとばかりに髑髏島へ喜び勇んでいく。でも、そんな士官と故郷が恋しい部下だけだと、心理的な厚みが弱いんですよ。そこに、傭兵、つまりは軍隊に属さない民兵という外部の視点があり、戦場カメラマンで反戦運動に身を投じてきたヒロインもいる。島を衛星写真で見つけたアメリカ政府特殊研究機関に所属する地質学者もいる。70年代はさらに、あのミュージシャン雅(MIYAVI)も実はいきなりプロローグで登場します。日本兵小野田寛郎(おのだひろお)がフィリピンから帰国したのが1974年なんですけど、そのことを髣髴とさせるようなエピソードとキャラクターも用意されていて、それぞれ立場も思惑も熱量も違って、人間描写がきっちりできている。こういう奥行きをすべて入れられるのが、70年代なんですよ。『シン・ゴジラ』もそうでしたけど、怪獣を通して、あの場合は現代日本を語るという。こちらは、アメリカです。

シン・ゴジラ

でも、怪獣映画だから、そんな人間の話はたくさん要らないんだけどなと思っているあなた! 大丈夫です。今言ったような、そこそこ人数も多くてややこしいお話の前提を、ボート監督はサックサク処理していきます。この辺の手際こそ褒められるべきですね。下手な人がやると、30分は尺が伸びますよ。アクションと最小限のセリフで、さっさと島へ潜入です。ここでヘリ登場です。これがもう決定的に『地獄の黙示録』ですよ。僕はいつ「ワルキューレの騎行」が鳴り出すかと思ったくらい。あのヘリは、ベトナム戦争で実際に活躍したヒューイというモデルなんですけど、音響チームは、ヒューイが展示されている博物館まで出かけていって、そのプロペラの音をサンプリングしたっていうんだから驚きですよ。逐一挙げないけど、こういうオタク的なマニアックすぎる小道具大道具へのこだわりがわんさとあります。ロケ地もしっかりしていて、秘境を探検しているおっかなびっくり感はバリバリ出てました。コングをはじめ、怪物たちこそCGですけど、コングの毛並みなんて、『スター・ウォーズ』を手掛けたことで知られるILM社が1年かけて作り上げた、実は手作り感あふれるVFXなんだとか。気が遠くなりそうな手間!
 
でも、こういう制作意図や背景をすっかり忘れさせて夢中にしてくれるのが、怪物たちの存在感です。種類が多いのがまた嬉しいんですよ。とにかくみんなデカい。キモい。おっかない。ここで大事なのは、彼らには彼らの生態系というか食物連鎖のような秩序があって、そこにコングも含まれてるってことです。だから、怪獣同士もバリバリ戦うんだけど、そこは人間は指を加えて見ているしかないんです。映画のコピーにもあるように、人間なんて最弱です。ちょこちょこ動き回って、ある程度はベトナム戦争時の武器を駆使して立ち向かうんだけど、健闘むなしくというか、まったく思い通りにはなりません。
 
このコントロールできない自然の猛威と人間の関わりは、やっぱり出ました、宮﨑駿でしょう。島をいつも囲んでる低気圧はラピュタの「龍の巣」を思い出すし、コングのまさに神のような存在感とか、現地での慎ましやかなあの人達とか、自然と人間の本来の調和とそれを乱す要因なんかは、これまた出ました『もののけ姫』を思い出してしまいます。そもそも、コングが史上一番デカくて迫力満点。109シネマズ大阪エキスポシティのあのIMAXの倍くらい身長ありますから。そして、まだ1作目だからなのかもしれないけど、こいつ人を見てるなっていうか、人間の心を見通してるなっていうのが態度に出てるのがいい。あんまり出しちゃうと、もはやコミカルになっちゃうだろうし。
 
とまぁ、キングコング好き、怪獣映画好きなら狂喜乱舞する細かいネタや、『地獄の黙示録』的戦争映画のマッドな領域が好きな人もどっぷり入っていける要素満載なのに、ボート監督はめっぽうバランス感覚のある人なんですよ。能ある鷹は爪を隠すで、ドヤ顔をせずにサラッと進めていく。でも、よく見れば、手が込みまくってる。プロローグの演出が抽象化しすぎじゃないかとか、ヘリの数おかしくないですかとか、島のサイズ感が伝わってきませんとか、知らない間に囲まれすぎじゃないかとか、つっこむ人もいるでしょう。でも、そんなのは、丸ごとコングが投げ捨てちゃいますんで、とにかく安心して劇場へ行って、あなたも「スゲー!」って叫んじゃってください。

さ〜て、次回、4月7日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ムーンライト』です。マサデミー賞発表翌週に、アカデミー賞作品賞を短評するという流れ。悪くないですね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

『SING/シング』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月24日放送分
『SING/シング』短評のDJ's カット版です。

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あの『ズートピア』のように、擬人化された動物たちだけが暮らす世界。斜陽の劇場を再建したいと、コアラの支配人ムーンは、経営を立て直す秘策としてのど自慢大会的オーディションを実施。勝ち残った動物たちには、現状を打破したいという事情や鬱屈がそれぞれにある。彼らはいくつものピンチを切り抜け、無事にショーを開けるのか…
 
製作は、2007年に設立し、『ミニオンズ』や『ペット』などヒット作を作ってきたユニバーサル・スタジオの子会社イルミネーション・エンターテインメント。アメリカでは12月に公開されて大ヒット。日本でも観客動員ランキング初登場1位と好調です。
 
僕は今回は吹替版でみたんですが、各国で公開されている中、日本だけが、すべてではないですが、ストーリーに歌詞が絡むものについては歌部分も吹き替えが行われたということで、むしろ吹き替えを狙う価値もあると思います。本職の歌手では、たとえばスキマスイッチ大橋卓弥MISIAの歌声を堪能できます。
 
それでは、3分間の短評というステージ、開幕!

CGアニメ業界でまだまだ新参者、これが7本目のイルミネーションですが、これまでの作品ではキャラクターの造形力は高いものの、ストーリーの構成力に明らかに難があったと僕は見ています。なんだかドタバタしていて、たとえば絶対王者ディズニーに比べると物語の背景や奥行きが足りないのではないかと。ところが、今回の『SING/シング』では、そこを改善してきました。
 
音楽院出身で高慢ちきで強欲なジャズマンのネズミ、25匹の子豚とワーカホリックな夫の面倒を見る主婦の豚、極度のあがり症で内気な象の女の子、窃盗団のボスの息子であることに嫌気が差しているゴリラ、自信過剰で他のジャンルを小バカにする彼氏と反りが合わなくなっていくパンクロッカーの女の子、山嵐。以上、メインのパフォーマー5名のキャラクターには、それぞれに夢があって、現状に対する鬱屈がある。こんなはずじゃないとか、なんで私ってこうなんだろうという不満ですね。さらには、支配人のコアラも、お父さんに叶えてもらった夢と、その夢をうまく開花できずに夢をこじらせているという問題がある。コアラの友達でニートな金持ちの羊ってのも大事なキャラクターでしたね。合計すると7名の登場人物たちのエピソードを均等に束ねていく群像劇スタイルを採用しているのが今作の一番の特徴です。

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セリフを正確に記憶していないのが申し訳ないんですが、支配人のムーンは、ショーを始める時の口上で、いつも「お集まりのすべての動物の皆さま」みたいなことを言うんです。動物っていうのをそのまま人間に置き換えれば良いわけですけど、この街には実に様々な人間がいて、仕事も性格も好きな音楽もそれぞれに違うけれど、この劇場は、そしてこの映画は、どんな人達にも開かれたものである、あるいは少なくとも、そうありたいという宣言だと思うんです。多様性の問題ですね。
 
その多様性を扱う上で、イルミネーションが目をつけた、いや、耳をつけたのが音楽です。これまでもファレルの”HAPPY”を筆頭に、音楽をうまく使いこなしてきた会社なんで、得意分野をさらに研ぎすませて結果を残そうという妥当なアイデアだと思うんですが、それにしても詰め込んだよ。キャラクターごとにジャンルを振り分けてあるから、テイラー・スウィフトやケイティー・ペリーといった最近のヒットから、ビートルズスティーヴィー・ワンダーのようなポップ・クラシック、そしてきゃりーぱみゅぱみゅからプッチーニまで、古今東西のなんと64曲をぶち込んでます。Ciao! MUSICAが6時間の番組内でかける曲数よりよっぽど多い(笑) もちろん、数秒単位のジングル的な短い使い方も結構あるから単純に比較はできないんだけど、とにかく異常なほどに音楽が鳴りまくってる。
 
なんでこんなことをしているかというと、主要キャラ7名はしっかり描くにしても、それぞれには到底掘り下げられないオーディションに集まる端役の背景も本当は見せたいわけですよ。だから、選曲とパフォーマンスの方法でもって、つまりは音楽を通して端的に伝えようと。結果として、落選した大勢の動物たちにもそれぞれに人生があることが伝わってくるし、これまたイルミネーションお得意の一発ギャグ的な演出と相性がいいから、テーマと演出方法がぴったり合致していて相乗効果をあげています。
 
108分で7人のメインキャラ、そして60曲ほどの音楽。どう考えても情報量は多すぎるし、全体として、テンポが良いってのを越えて、展開が一足飛びなのは否定できません。練習の成果が出るのも、失敗から立ち直るのも、何もかもが早送りなんで、僕も何度か「え、こんなにあっさり解決できるなんて、そんなアホな」って思っちゃったし、下手をすると底が浅く見えてしまうという欠点にすらなっているとも言えるでしょう。
 
ただ、そこは音楽がカバーしています。いや、カバーというか、音楽が説得力を持って脚本を補強している、いや、ねじ伏せてます。たとえば、歌はうまいが踊れない主婦の豚さんロジータが自分を解放するあの場面を思い出してください。彼女は何も考えてないでしょ? 身体が勝手に反応しているだけ。つまりは、彼女が踊れるようになる理由も、そういう音楽に出会ったから。それだけっちゃそれだけなんだけど、これが驚くことに音楽の高揚感でこっちも見事に納得してしまうんです。
 
歌詞とキャラクターをリンクさせる音楽もあれば、今言ったように、音楽そのものがストーリー的な展開を生み出すこともある。選曲がベタだという人がいるけど、じゃあ、他にどうすればいいんですかって僕は問いたいね。浅く広いのは確かにそうだけど、誰しもが耳にしたことのあるようなヒット感と、それぞれ他の曲に置き換えるのが難しいくらいの物語的意味を両立させてるんだからたいしたもんです。

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もしかすると好き嫌い別れるかもしれないのが、キャラクターの性格です。あのコアラも、「こいつどうかな」って思うところがそこそこあるけど、あのネズミ野郎を許せるかどうかですよ。僕にはオオアリでした。音楽的な能力と人間性がどちらも高い方が珍しいわけで、あいつははっきり言って、ろくに成長もしてないわけですよ。でも、バリバリのエンターテイナーです。現実を結構クールに見たり、ブラックな味わいを入れてくるのもイルミネーションの特徴なんで、僕はなんならもっとブラックにしてほしかったくらいですけど、そこはさすがに子ども向けなんでしょうがない。
 
ともかく、誰がどう見ても、イルミネーション・エンターテインメントではぶっちぎりの出来栄えです。ディズニーと比べても遜色ないです。802リスナーなら、多かれ少なかれ絶対に楽しめるので、ぜひ劇場でご覧ください。

映画公式サイトの手が込んでるんですよ。Spotifyとのタイアップで、自分がどのキャラクターにより近いのか診断してくれるという企画があります。僕は豚の主婦。ああ、確かにあのダンスシーンは一番高揚したかもしれない。で、さらにおすすめプレイリストもある。
 
ゴリラのギャング団がお面で顔を隠して逃走していたけど、顔なんか隠したって、ゴリラであることは一目瞭然なわけだから、遅かれ早かれ警察に特定されていただろうな…

さ〜て、次回、3月31日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『キングコング:髑髏島の巨神』です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! そして、来週は年度末恒例のマサデミー賞発表だよ。

『モアナと伝説の海』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月17日放送分
『モアナと伝説の海』短評のDJ's カット版です。

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豊かな恵みのある南の島モトゥヌイで、一族と賑やかに暮らす少女モアナ。海を愛する彼女だが、島には外海へ出てはいけないという掟があった。幼い頃に海で不思議な体験をしたモアナは、海との深い絆を感じていた。16歳になった頃、モトゥヌイでは、ココナッツの木が病気に冒され、海で魚がまったく取れなくなるという異変が起こる。海に選ばれたモアナは、島の人々を救うべく、初めて大海原へと小舟で漕ぎ出し、巡り合った伝説の英雄マウイと共に、命の女神テ・フィティの盗まれた心を取り戻す旅を始める。
 
『リトル・マーメイド』や『アラジン』でディズニー・アニメの黄金期を作ったクリエーターコンビ、ジョン・マスカーとロン・クレメンツを監督に起用。主題歌の”How Far I’ll Go”は、アカデミー賞歌曲賞にノミネートされました。僕は今回は時間の都合で字幕版をチョイスして鑑賞してきましたよ。
 
それでは、3分間の短評という冒険へと出発!

さすがはディズニーですよ。絵のクオリティーがとても高いです。まず目を見張るのが、水の表現。当然ながらまったく喋らないんですけど、予告にも出てくる幼少時の交流を見れば、融通無碍な動きをするこの海は生きているんだ、意志をもっているんだとすんなり感じられる説得力のある演出をしているから、ポリネシアの伝説に基づいたこのお話の世界に観客はすぐさま入っていくことができます。水族館にいるような、いや、それ以上の海の様子を味わえるのには驚きました。決まった形がないものだし、透明だしで、アニメで見せるのはとても難しいわけですけど、光、色使い、透明度、そして常に変化する動きを繊細に操って、見事に命を吹き込んでいます。しかも、キャラクターたちがアニメっぽいデフォルメを施されているのに対して、海はまるで実写のような存在感。この水表現だけでも一見に値するほどです。
 
と、序盤で自然描写の課題はオールOKとばかりにクリアされるわけですけど、僕が懸念していたのは、実は物語を動かす装置の少なさだったんです。だって、人間やマウイのような半分神、半分人間のようなキャラクターが主人公とはいえ、見渡す限り、人工物がほとんどない世界ですよ。『ズートピア』とまるで逆。でも、そんな僕の心配をあっさり拭い去ったのは、マウイの身体にくまなく施されたタトゥーの人間たち、あるいはマウイの化身というべきか、とにかく彼らが皮膚というスクリーンの上でアナログな動きをしてコミカルにマウイを咎めたり次なるアクションを促したりするという、アニメとしては極めて素朴な表現を掛け合わせることで、物語に奥行きを出して特異な効果を上げていたこと。最新技術と原初的なテクニックの融合は、『リトルプリンス 星の王子さまと私』を思い出したりもしました。

リトルプリンス 星の王子さまと私 [DVD] もののけ姫 [DVD] マッドマックス 怒りのデス・ロード(字幕版)

影響関係でいうと、自然・神と人間の関係があって、そこに祟りのようなものが組み合わさるという形式は『もののけ姫』を連想させるし、根底にある自然への姿勢、畏れのような価値観は他の宮﨑駿作品とも通じるでしょう。実際、インタビューでも、最も宮崎アニメに影響を受けた作品だと両監督は語っています。さらに、女性主人公がパワフルな男性と遠くへ行って帰ってくる「行って来い」のストーリーラインや、ココナッツの化物海賊カカモラの登場の仕方なんかは、指摘する人も多いですが、『マッドマックス怒りのデスロード』を明らかに彷彿とさせます。モアナは村長の娘であり、海に選ばれたエリート、つまりはお姫様なのに、恋愛が主要モチーフにならない点は、最近のディズニー女性像の流れでもあるし、ディズニー過去作というよりも今挙げた先行作品から引き継いだものだと言えるでしょう。基本的には自分の役割や内なるアイデンティティを、旅・冒険を通して、つまり居場所から離れることで認識するという、いわゆる「自分探し」の性格を持った古典的な物語ではあるんですが、若い女の子が、しかも恋愛抜きに自立していくのはとても現代的です。
 
舞台がポリネシアであること、そして、多少のイマジネーションの飛躍はあれど、基本的にはその文化への敬意を払った描写が好ましいですね。欧米とは違う美的センスと伝統、考え方がこの地球にはあることを教えてくれるし、しかもそれを違う文化の観客にも魅力的に感じさせている。あんなにタトゥーがコミカルかつかっこよく見えるアニメは珍しいでしょ。すばらしいですよ。僕はタトゥーは入れてないけど。
 
ストーリーのひねりがちょっぴり弱いので意外性が少ないのと、自分は何者なのかという内面の葛藤を絵やアクションに昇華しきれていないこと、さらにはせっかくの個性あるサブキャラクターたちとの絡みが少ないという弱みは見受けられるものの、間口が広くて満足度の高いエンターテインメントにはしっかりなっているので、迷わずにスクリーンで観ることをオススメできる1作です。

できればストップして惚れ惚れと眺めたくなったのは、登場人物たちの豊かな毛髪! あの天然ソバージュ表現のデリケートなことときたら。
 
花粉症の薬を飲んでいることで僕の頭がボンヤリしているからかもしれないけれど、英雄マウイの設定と葛藤が今ひとつこちらに伝わってこなかったので、物語に没入し損ねた感はあります。
 
モアナとマウイの出合いなど、とりわけ船旅におけるご都合主義が気にはなったけれど、これはモアナと固い絆で結ばれた海や、エイakaおばあさんによるお導きがあったものと僕は解釈しています。


さ〜て、次回、3月24日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『SING/シング』です。春休みらしく、2週連続のアニメーション。映画ファンだけでなく、音楽ファンも間違いなく楽しめそうな1本ですね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ラ・ラ・ランド』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年3月10日放送分
『ラ・ラ・ランド』短評のDJ's カット版です。
本当は3月3日の放送で扱う予定だったこの作品ですが、僕野村雅夫のインフルエンザ罹患による病欠のため、今週に持ち越しとなったこと、改めてご報告しておきます。

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夢をかなえたい人があちこちから集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働く、エマ・ストーン演じるミアは女優を目指しているんだけれど、オーディションには毎度落ちてばかり。片やライアン・ゴズリング演じるセブは、いつか自分の店を持ちたいと夢見るジャズ・ピアニスト。ふたりは何度かの偶然の出会いを通して恋に落ち、互いの夢を応援するのだが…
 
監督は『セッション』のデイミアン・チャゼル。まだ32歳。これが長編2本目。史上最多の14ノミネートとなったアカデミー賞では、1931年以来の最年少となる監督賞、主演女優賞、主題歌賞、作曲賞、撮影賞、そして美術賞と、もちろん最多の6部門を獲得しました。
 
この作品については大絶賛と、それに対抗する強烈な批判が乱れ飛んでいる状況で、正直なところ批評は難しいというかやりにくいんですが、僕も僕なりにささやかですが喋ってみます。世の中に流れている、特に文字情報で出ている意見に比べれば、スパイス程度にしか話せませんが、やってみるか。
 
それでは、映画短評という名の3分間のクリティカル・トリップ、今週はラ・ラ・ランドへいざ入場。

この映画の主人公は、自分の夢を叶えることを人生における最上位課題とする「愛すべき愚か者たち」です。ハリウッドで大女優になりたいミアの夢。自分ならではの個性あるジャズの店を開きたいセブの夢。そして、もうひとつ、チャゼル監督自身の映画を撮る夢。さらに、僕はそこに、映画というシステムが持つ夢のような機能そのものも強く意識して作られていると思うんです。これ、鼻につくとか不正確だとか揚げ足も取られているおびただしいオマージュ(目配せ)のことを言ってるんじゃなくて、映画そのものが「夢を見せてくれる装置」だってことを活かした作りになってるんじゃないかと。
 
2箇所に絞って例を挙げます。ひとつは、ミアがセブの弾くピアノの音色に誘われてクラブに入り、ふたりがあの高速道路以来の偶然の再会をするところ。僕が予告を観すぎていたせいもあるだろうけど、しっかり予想を裏切ってきますよね。「ええ!?」っていう。あそこは言わば、まさに夢のような、映画のような恋の展開と、「そう甘くないで」っていう現実の双方を意識させられるわけですよ。ははぁ、このテイストなんだ、面白くなってきたで〜。僕は手ぐすね引きましたけど、それは置いといて…
 
もうひとつは、あのエンディングです。ミアとセブの再会。セブの奏でるピアノの音色に耳を澄ませながら、ミアは「ありえたかもしれない過去を思い出す」わけです。そこで何と、今言ったシーンが別の形で再現される。記憶と過去が書き換えられる。かつて思い描いた夢の中。もうひとつの人生を束の間、彼女は生きる。そして、現実に戻ってくる。何かを悟ったようにうなずくセブ。それを見るミア。純映画的、映画ならではの表現で、これは僕ら観客が映画に求めていることでもあり、ミアの想像は映画体験そのものでもあるという、まあビタースイートな名場面です。
 
この2箇所に共通しているのは、その導入がセブのピアノであること。FM802リスナーであればわかると思いますが、ふと聴こえてきた音楽が夢の入口になったり、その夢を魅力あるものにもしてくれることがある。ミュージカルだから当然と言えば当然ではあるけれど、ふたりの人生の転機に音楽を伴わせていること、そしてそこに「映画」というものの本質的な喜びを伴わせていること、この2点を見事にやってのけただけで、僕はもうスタンディングオベーションでした。
 
確かにラブ・ストーリーとして新鮮味には欠けるかもしれない。ふたりが抱える葛藤やフラストレーションが十全には伝わってこないかもしれない。でも、一度でも今の自分ではない何かになりたいと思ったことのある人ならば、たとえばミアが大事なオーディションで披露したあの”The Fools Who Dream”という「夢見る愚か者たち」の賛歌を聴いて涙しないわけにはいかないでしょう。
 
”You’re a baby”と言われていたミアが、なりふり構わず全力で自分の夢に向かう姿と、その後、大胆な省略を挟んで繰り広げられる先ほど僕が褒めたシーンがつながっていくあたり。チャゼル監督は歌も踊りも吹き替えを使わずにあえて完璧でないままに残したのは、ふたりが何者かになりたくて不完全ながらも最終的に突き進んでいったことを文字通り体現させるためではないか。
 
今年は実はジャズ・レコードの歴史が始まって100周年です。映画に音が付いて90周年。最初のトーキーは『ジャズ・シンガー』という作品だと言われています。『ラ・ラ・ランド』は純ミュージカルではない。サントラのジャンルもつぎはぎですよ。意地悪に見ればごちゃ混ぜ。でも、はっきり言えるのは、純映画的な喜びに満ちた、しかも2010年代だからこその、音楽恋愛劇をチャゼルは完全オリジナルで作りきって人々をこれだけ高揚させ、それがアカデミー賞での多数の評価へと結びついた。
 
映画と音楽のファンとして、僕はこの映画作品を通し、今一度「映画という夢」を見ることができたすばらしい体験でした。
↑ 生放送ではここまで。


絶賛の声が多いオープニングのダンスシーン。もう褒めなくていいか、とも思ったんですが、一応(笑)

ウィークエンド [DVD]

ポイントはカーステレオ。ジャン=リュック・ゴダールの『ウィークエンド』という映画を彷彿とさせる、渋滞中の高速道路のカメラ横移動から始まるんだけど、車の1台1台に個性があって、人種も様々で、カーステレオから鳴るラジオや音楽もそれぞれ。これって、『ラ・ラ・ランド』の住人はこんな風に十人十色でみんな自分たちの夢を見てるんだってことの表れだと僕は理解しました。この映画ではたまたまセブとミアにフォーカスするけど、みんなそれぞれのビートでステップを踏んでいるんだと。「そう、こんな風に」という、ラジオDJがやる映画全体のイントロ紹介的な役割と果たしているのではないかと。で、あの継ぎ目なくワンカットに「見える」、実に面倒な撮影を敢行した。もうつかみとして申し分ないですよ。あの狭い車の間や車の上、そして中と、役者たちは文字通り縦横無尽に動き回るし、フィルムで撮影したカメラもしっかり踊ってる。

これは余談ですが、今作のエンディング、僕が純映画的だと指摘したあのシーンを観ながら思い出したのは、グザヴィエ・ドランの『マミー』でした。あちらでも、「こうあってくれれば」っていう登場人物の願望が挟まれていましたね。

 

『ラ・ラ・ランド』に話を戻して、賛否が分かれるのはある程度仕方ないにしても、観るたびに発見のある、間口の広い豊かなテクストであることに異論はないのではないでしょうか。たくさんの映画を鑑賞し直したり、「新しく発見」したくなる仕掛けが随所にあります。音楽については僕にも言いたいことがないわけではないのですが、映画については十分「愛情のある」作品。こういうビッグタイトルを「踏み絵」にするような態度を取る好戦的な映画評論には、僕はどうにも馴染めない。そもそも、「踏み絵」なんて言葉を軽々しく持ち出す人は、『沈黙』を思い出してくれと。僕はそう思います。


さ〜て、次回、3月17日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『モアナと伝説の海』です。ゴズリング祭を終えて海へと漕ぎ出します。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!