back numberによる主題歌『瞬き』は映画の物語にうまく寄り添っていて、こちらも良かったですよ。昨日28日、FM802 Radio Crazyのステージでは、ライブ初披露してくれました。「この曲とは長いつきあいになりそうです」という清水依与吏くんのMCにも大いに頷いた僕でした。
『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』短評
エピソード8は、「最後のジェダイ」というタイトルが暗示するように、テーマは世代交代です。もっと言うと、これまでスカイウォーカー家を軸として展開してきた特殊な血筋の人々の物語の民主化ですね。「フォースの覚醒」のラストで、レイがルークのもとを訪れているので、ここは触れていいでしょう。最後のジェダイとは、はっきりルークのことです。ジェダイは銀河系の自由と正義を守るフォースの使い手という存在ですけど、これまでは選ばれし者、つまり血統がものを言っていたわけです。それが、新三部作では、レイの登場により、努力次第で後天的に誰にも操れるものになるのかもしれない。そんな可能性が提示されたのが今作なんじゃないかと。確かにそれは開かれた美しい話のようには思えるけれど、ある種の神秘が失われる危険もあると思うんですよ。僕がそう感じたのは、ルークがレイに「フォースとは何か?」と質問する場面です。え? そんなに簡単にフォースを言語化していいの? それはみんなが何となく定義するあやふやなものだから良かったんじゃないの? ルークが予備校の先生に見えてきましたよ、僕は。
こうした懸念は、その後次々と現実のものとなります。つまり、フォースが単なる超能力、はっきり言うと、物語運びに都合の良い、何でもありの便利な力になってしまったんですよね。シリーズを追いかけてきた人ならば、冷静に見れば誰でも気づくでしょう。今作から出てきたフォースの新しい側面がものすごく多いことに。レイアにしろ、レイにしろ、レンにしろ、ヨーダにしろ、ルークにしろ、「そんなことできるん!?」っていうことをやられると、これまでの物語は何だったのかと考えざるを得なくなりますよ。
もうひとつ残念だったのは、やはり脚本の問題なんですけど、尺はこれまでで一番長いのに、スケールが小さく感じられることですね。レジスタンスとファースト・オーダーの攻防が一方的すぎるというか、レジスタンス側の無策が過ぎるんですよ。今回はどちらのサイドでも世代交代が行われるんですけど、その展開がどう考えても乱暴です。レジスタンスの皆さんは、もっとコミュニケーション取って! 意思疎通のなさが原因のミスが多すぎる。時間がないのでひとつひとつは挙げませんが…。ともかく、その結果、自己犠牲の精神でカミカゼ的な、「」付きの「美しい」犠牲を用意されても感動はできないです。
以上、ネタバレを極力避けつつ、僕が思う、というより、冷静に見ればわかる問題点について軽く触れましたが、僕は興奮している人がいるのもわかります。理由はふたつ。ライアン・ジョンソンの画作りがカッコイイのと、とにかくどんでん返しが多いことでしょう。だから、観てる時はアガるんですよ。だから、もちろん良いところだってかなりある。キャラクターもこの3部作はアジア系が活躍するし、クリーチャーも多いし、確かにディズニー的多様性が発揮されていて、とても良いと僕も思います。でも、帰納法的に用意されたどんでん返しの連続は決して上品じゃないし、先週も言ったことだけど、画面の雰囲気だけで持っていこうとするのは無理がありますよ。興奮から醒めればメッキが剥がれるわけですから。
厳しく言ってはきましたが、僕は方向性は間違っていないと思うんです。やり方が乱暴だと言ってるだけで。これを踏まえ、J.J.エイブラムスがどう風呂敷を畳むのか、2019年が今から楽しみです。
さ〜て、次回、12月29日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『8年越しの花嫁 奇跡の実話』です。「♫幸せとは〜」という歌い出しで802でもお馴染みのback number『瞬き』が主題歌ですよね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
『オリエント急行殺人事件』短評
さ〜て、次回、12月22日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』です。今年もこの時期がやってまいりました。僕も、誰が呼んだか大阪エキスポシティの大仏IMAX次世代レーザーで拝んできますよ〜。そう言えば、デイジー・リドリー2週連続ですね。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
『探偵はBARにいる3』短評
さ〜て、次回、12月15日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『オリエント急行殺人事件』です。先日、誕生日にゴディバのチョコレートをいただきまして、その品はなんと、この映画とのコラボでしたよ。Funky802 Special Weeksにふさわしい話題作。ネタバレも何も、オチは多くの人が知っていても、それでもなお面白いことを願いながら、あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
映画『火花』短評
板尾監督がビッグバジェット作品で初メガホンということで、どんな映像から始まるのか、それがまず気がかりだったんですが、いきなり僕は心掴まれました。黒い画面を2つの花火が上っていく。そこに、スパークスのふたり、徳永と山下がかつて交わした言葉だけが重ねられる。これは原作にない場面のようですが、とても映画的な叙情があってすばらしいなと感心しました。漫才師として一花咲かせたいふたりの夢を、これだけで想起させてくれるわけです。だけど、花火は不発に終わるかもしれない。うまく弾けたとしても、それはもっと大きな花火にかき消されるかもしれない。それでも、ふたりは闇に向かって自分たちを燃やして光を放った。タイトルでもある火花というメタファーを、簡単に実物を見せられてしまう映画で見事に表現するオープニングでした。これはお笑いという特殊な世界をモチーフにしてはいるけれど、エッセンスとしては、人生を何かに捧げる、夢中で何かを追い求めて生きる若者の葛藤と挫折を描いた、普遍的な青春物語なわけで、その切なさの予感をのっけからさりげなく映画的に提示してみせる板尾監督の手腕には目を見張るものがありました。
小説と違って、そのまんまを生き生きと見せられるという映像の特性を、この物語で最大限に発揮できるのは、もちろん漫才のシーンです。だから、そこはたっぷり見せる。監督も漫才師なわけだし。原作以上にキャラクターを膨らませた徳永の相方山下に、2丁拳銃の修士さんというプロを配役した意図もそこにあるはずです。この映画で誰もが固唾を呑んでしまうのが、クライマックスで披露される「思ってることと逆のことを言う漫才」です。字面でしか表現できない小説を映画なら超えられると踏んだからこその名シーンでした。
でも、僕が本当に感動したのは、その後です。挫折した徳永と神谷が、10年前にふたりの出会った熱海に戻り、例の居酒屋で話し込むところ。漫才はひとりで作ってるんじゃない。まずふたり以上いないとできない。売れる売れないという淘汰はあるけれど、売れた奴らも、売れなかった奴らのがんばりがあったからこそ輝けるわけで、そう考えれば、テレビに出られなかった奴らだって絶対に無駄じゃないんだという趣旨の会話が繰り広げられる。これって、音楽にも、僕らラジオパーソナリティーにも、いや、どんな人にも当てはまる人間への肯定じゃないですか。10年経って、ふたりがその境地に辿り着くことに僕は涙しました。そう。「生きている限り、人生にバッドエンドはない」という強いメッセージです。冒頭で徳永と山下が闇夜に花火を打ち上げたことは無駄じゃなかったんです。
シーンによってはソフトフォーカスがトゥー・マッチだとか、伝記の件がうやむややなとか、話運びのリズムがうまくいっていないところがあるんじゃないかとか、評をまとめる前は色々と茶々を入れようと考えてたんですが、思い返した時に浮かんでくる今挙げたシーンたちのほとばしりが強すぎて、結局のところ心を揺さぶられている自分に気がついたしだいです。本来なら評論としてはもっと冷静であるべきですが、僕はこの作品を劇場で観たことにまだ興奮しているのが現状です。
特に神谷に対してだと思いますが、「感情移入しづらい」との声が出るのもわかります。ただ、僕はあの「お前、それダメだろ」って行動に対して、倫理観を振りかざす前に、人間臭さを感じて憎めないままなんです。
いずれにしても、物語そのものに惹かれました。原作にも、そしてタイムスパンがまったく違うNetflixのドラマにも触れたい。また個人的に比較しながら、こいつらにまた会いたい! そう思いましたね。
さ〜て、次回、12月8日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『探偵はBARにいる3』です。僕がかなり好きなシリーズ最新作来た! 大泉洋さん、そして松田龍平さんとは、先日の大阪キャンペーンでご一緒したので思い入れもあるのですが、つとめて冷静な眼で改めて鑑賞してきます。観たら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』短評
たとえば琵琶法師がかつて『平家物語』をストリートで弾き語る存在だったように、クボ少年はストーリーテラーとして、音楽と語り、そして折り紙を使った伝説の武士とその敵となる怪物というキャラクターで民衆を惹きつける存在として登場します。彼のエンターテナーっぷりを見せつけるハイライトが始めの方に用意されているんですが、ここがいきなり凄まじいんですよ。クボが三味線を奏でると、観客たちが取り囲むサークルの中に積まれた折り紙が見る間に折られてミニチュアの武士が現れる。それが動き出したと思ったら、今度は火を吹くめんどりがまたスルスルとひとりでに折られていく。クボによって魂を吹き込まれた折り紙が路上で生きているかのように戦いを繰り広げる。僕は今「魂を吹き込む」という表現を使いましたが、これこそアニメーションの本来の意味。それだけだと動かないものにアニマという魂が与えられて動き出すのがアニメーションなんです。
この作品はコマ撮りをベースにCGを組み合わせて作られています。コマ撮りというのは、原初的な特撮で、1秒あたり24コマ、それだけだと動かないキャラクターを少しずつ動かし、そのコマを高速で再生することで動いているように見せる手法です。実際に人形を動かしてるんですね。このライカスタジオは世界トップレベルのテクニックと膨大な労力を惜しみなく投入しているから、動きはとても滑らか。でも、それでも、フルCGアニメとはどうあがいたって違う、作り物感が残るんです。不完全なんです。その完全じゃないってことが実はコマ撮りの大きな魅力で、たとえば僕らが人形浄瑠璃を観る時と同じように、観客のアクティブな想像力が入り込む余地も出てくる。この作品では、手のひらサイズの人形が、さらに小さな折り紙人形を動かしてストーリーを語るところを僕らが観ているという入れ子構造になってるんです。スタッフのインタビューを読むと、「不完全さの中に存在する美というのは、わびさびにつながる価値観じゃないか」と言ってる。舞台を日本にするだけじゃなく、日本文化の価値まですくい取っているというリスペクトぶり。嬉しいじゃないですか。
クボに戻ると、彼の大道芸にはいつもエンディングがない。実は彼にもわからないんですよ。なぜなら、彼が物語っているのは、彼も知らない、自分ののルーツの話でもあるから。そこで、旅に出るわけです。
三味線というのは、一の弦は父親、そして二の弦は母親にたとえることがあるらしいんですが、言わば三の弦のクボはまさにその二本の弦の秘密を探り当てようとする。この映画ではお盆の灯篭流しが大事なモチーフとして出てきます。クボは三種の神器ならぬ三種の武具を巡るイニシエーション的な旅の果てに成長し、この映画の終わりに、自分の命の先祖からの流れを知る。そして、そのルーツが彼が語ってきた物語の結末、死とは何か、さらには僕ら人間にとって物語が必要な理由ともリンクする。しかもそれは、ここ日本を中心とした東アジアの死生観を反映している。僕ちょっとお盆の意味を「そうだそうだ」って考え直しましたもん。そんな作品がアメリカで作られた嬉しさときたら。
とまぁ、作品全体のテクとか構造について話してきましたけど、そんな小難しいこと抜きに、誰が観てもワクワク面白い映画です。浮世絵や版画のような構図。黒澤映画のアクション。宮崎駿的ダイナミックなファンタジー展開が一緒になった日本昔ばなしを、どうぞあなたも劇場で!
予告にもチラッと出てきますが、気の遠くなりそうな労力の一端を知ることができるこのメイキングを見るとさらにこの映画が好きになるはず。
ただ、クボっていう名前はないわ! 言わずもがなだけど、ファースト・ネームじゃないやん! とりあえず、文句はそれだけ! 「三種の武具の意味ってあれだけ?」なんて声があるけれど、あれはイニシエーションだから。アイテムそのものよりも、そのプロセスに意味があるんじゃないでしょうかね。
『ザ・サークル』短評
リスナーの評を眺めていると、結構割れていまして、テーマはうなずけるんだけど、どうも脚本が詰めきれていないんじゃないかとか、肝心の技術の見せ方がどうなんだってつっこみたくなったという意見が多かったです。
確かに、あの小型カメラが出てきた時の、「こんなもんか!」感は否めないですね。でも、僕はその感じも含めて、「あり得そう」と思ってしまった口。脚本も、ところどころ、何かをすっ飛ばしたような一足飛びな展開が残念ではありました。がしかし! それでも僕はメイのストーリーにしっかり寄り添って観てしまいました。途中、サークル社の旗が日の丸に見えた時がまた恐ろしさ倍増でしたよ。
さ〜て、次回、11月24日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』です。気の遠くなりそうなプロセスを経て完成させたんだろうストップモーション、いわゆるコマ撮りのハリウッド・アニメは、まさかの日本が舞台! 字幕で観る? いや、吹き替えか? 迷いつつ、観たら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!