京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『娼年』短評

 
FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月12日放送分
『娼年』短評のDJ's カット版です。

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森中領は、東京の名門大学に籍を置きながらも、そこに意味を見いだせず、女性関係にも退屈し、バーテンダーのアルバイトで日々を潰すようにして生きている。ある夜、領の務めるバーに現れた美女、御堂静香。「女なんてつまらない」と言ってはばからない領に興味を持った静香は、経営する会員制ボーイズクラブに彼を所属させる。「情熱の試験」なる「身体及び技能検査」をパスした領は、その翌日から娼夫としてデビュー。年齢も境遇もそれぞれ違う様々な女性たちの欲望に接するうち、彼は次第に表情に生気を宿し、人生観を変化させていく。
 
2001年に書き下ろされて直木賞にノミネートした石田衣良の原作が、2016年にまず舞台化されました。演出は三浦大輔。主演は松坂桃李。僕は残念ながら観ることができていないんですが、基本的に全裸で役者たちが性行為を表現するセンセーショナルな演劇として耳目を集めました。三浦大輔さんは演劇ユニット「ポツドール」の主宰者で、2006年の『愛の渦』では演劇界の芥川賞とも言われる岸田國士(くにお)戯曲賞を獲得。同時に映像作家としても活躍。このコーナーで扱った『何者』は、僕も高く評価しました。

何者 愛の渦

 今回の映画化では、監督三浦大輔、主演松坂桃李という軸はそのままに、映像だからこそできる表現を模索しています。もちろん、R18指定です。

 
それでは、少し気後れしながらも行くしかない。虚飾を剥ぎ取り、歯に衣着せぬ3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

内容が内容だけに、興味本位も含め、それが悪いことだとは別に思ってないですが、話題となるのはどうしても性描写ですよね。監督はインタビューにこう答えています。「僕が今まで観てきた映像作品での性描写は、どこか“撮りっぱなし”な印象をもっていたのです。この作品では、セックスを会話を撮るように緻密に撮っていきたい」。なるほど。確かに、こんなに細かくカットを割った性描写はそうそう無いし、セックスシーンだけで1日がかりという地獄のような撮影も行っていたようです。想像するだけでメンタルがやられそうですが…
 
三浦監督の興味は、この作品に限らず、こういうことじゃないでしょうか。一見「普通」とされる人々が特殊な環境に放り込まれることによって直面する価値観の変化を描く。その装置が今回は売春であり、『何者』では就職活動だったのかなと。領はみんなに普通とはっきり言われていました。人間不信というか、自分の人生に対しても社会制度に対しても、あきらめがちな無気力な若者です。「セックスなんて、手順の決まった面倒な運動だ」とのたまうくらい。そんな男が娼夫としてデビューすることで、つまり自分が商品化されることで、多種多様な女性たちの性欲のはけ口としての道具となります。それがある種の荒療治となり、幅の狭くて一面的だった彼のものの見方が押し広げられる。自分の目を通して認識している世界なんてちっぽけで、世の中にはもっと色んな孤独と悩みがあるのだ、そしてこんな自分も誰かを喜ばせることができる、もっと言えば、誰かを救えるのだと、これまた多様なセックスを通して体験学習しているわけです。少し難しく言えば、社会を相対化できるようになっていく。

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この「相対化」はキーワードでしょうね。性的に商品化されるのは女性が圧倒的に多かったものが、ここではその構図が逆転している。観ていて思わず笑ってしまった人もいるでしょうが、たとえばラブホテルで部屋に入る前からキスの嵐で、ベッドへ向かうのももどかしく求め合う場面がありましたが、そこでふっと、部屋の外の掃除のおじさんたちの姿と会話を挿入してみせることで、この行為が一歩引いて見れば滑稽ですらあることをさり気なく見せるわけです。他にも、熱海でのビデオカメラを使った演出も、文字通りもうひとつの視点を加えることでセックスを相対化しています。「森中くん、続けたまえ!」というセリフには笑わされました。コントラストを極端にして青い色味を強調したアーティスティックな画面の中に、効果音を排除して身体が発する音を強調した生々しいAVまがいの行為を放り込むのだって、神秘にもポルノにもどちらにも転ばないバランスを保って、やはりセックスを相対化しているのではないかと。
 
こうした問題意識に、僕は賛同しています。でもね、この程度のバリエーションでは驚けなくないですか。アブノーマルとされていることのバリエーションと目新しさが弱くて、簡単に言えば、変態の中ではそこそこ普通だったりするので、肝心のセックスシーンを長いなと感じてしまうこともありました。領くんのスキルアップも、わかるようで客観的にはわかりにくいですよね。肉体による会話のシーン数を減らしてもいいから、ひとりひとりのバックボーンをつっこむところはもっとつっこんで、彼女たちが男を買う原因をもっと深掘りすると、その結果としての性行為にも深みが出るはずです。
 
さらに、領の家族やボーイズクラブのトップ静香の過去が一気に提示される急展開にはびっくりさせられました。言葉での説明がここで急に増えたせいで印象が浅くなるので、領にあっただろう葛藤がぼんやりしてしまっているし、静香の過去も拙速に出てくるから「へぇ、そうなんですか」ぐらいにしか興味が沸かないのがもったいない。そのせいで全体的にしまりがゆるくなってしまったのは残念でした。
 
とはいえ、松坂桃李のこれぞ体当たりな演技にはひれ伏してしまうし、居心地は悪いけど、劇映画でここまで性行為に踏み込んでみせた三浦監督の気概も買いです。売春が法律違反である平成の日本だからこそのラストの流れと、挑発的でもあるエピローグは考えるほどじわじわ沁みてきます。女性目線の欲望と言いながら、まだまだマッチョだよなこれじゃという描写もあるものの、閉ざされた性の歓びを開けっぴろげてくれる映画でした。

娼年 (集英社文庫)

紹介した監督のインタビューですが、原作の石田衣良も「これは他に類書がない」とパンフレットに書いています。ただ、いくらなんでも、それはちょっと誇張でしょうとは言っておきたい。野暮かもしんないけど。

 

女性の性欲を恋愛感情と切り離して追求した最近の映画として、ラース・フォン・トリアー監督の2部構成4時間超えの大作『ニンフォマニアック』なんてのもあったし、日活ロマンポルノもその一部には女性目線の欲望を反映する作品がありました。リスナーから指摘があったように、大島渚のかつての闘争も思い出さなければいけない。

ニンフォマニアック vol.1(字幕版)

今挙げたような作品は、それぞれ、性行為そのものをテーマとしているがゆえに、撮りっぱなしにはなっていないでしょう。監督の発言をフォローすると、要するに、特に最近のマーケティング過多な映画作りによって性描写そのものが敬遠されることが多い中で、結果的にこの作品が突出したということなのかなと。

さ〜て、次回、4月19日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『パシフィック・リム:アップライジング』。前作の大成功からゴタゴタがあって、ギレルモ・デル・トロは結局『シェイプ・オブ・ウォーター』の撮影を優先。今回は製作に回っていますね。日本が舞台! みんなで出かけよう! あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』短評

僕がこの4月からCiao! MUSICAに代わって担当し始めた新番組Ciao Amici!(月-木、17-19時)でも、3分間の映画短評は続けて行うこととなりました。
これからも、よろしくお願いします。ということで…
FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月5日放送分

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学校で居残りを命じられ、倉庫の整理をさせられることになった高校生4人は、ジュマンジという名の古いテレビゲーム機を発見。それぞれにキャラクターを選んでプレイを始めると、4人はゲームの中へと吸い込まれた。そこはジャングル。しかも、現実の自分たちとはまるで違う、選んだキャラに変身している。ゲームオタクだった男の子は、ガチムチでフェロモンだだ漏れの冒険家。SNSへのセルフィーをアップすることに余念のない自惚れ女子は、古生物学や地図の専門家であるメタボ気味のおっさんに。生きて現実へと帰るには、ゲームクリアするしかない。バラバラだった4人は力を合わせるのだが…

ジュマンジ ジュマンジ (字幕版) 

元々は1982年に出版された、ボードゲームについての絵本です。邦訳は今はもう絶版になっているようですが、中古市場に出回っているので、興味のある方は手に取ってみてください。そして、95年にロビン・ウィリアムス主演で映画化され、当時はまだ今ほど当たり前ではなかった3DCGを大胆に活用した作品として日本でも話題を集めました。
 
監督は、ジェイク・カスダン。「スター・ウォーズ」シリーズの脚本家として知られるローレンス・カスダンの息子なんですが、アメリカでの公開3週目にして、興行収入は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を抜いての大ヒットとなっています。
 
今回はキャスティングをしてから脚本を仕上げる「アテ書き」だということで、キャストはとても重要。「ワイルド・スピード」シリーズのドウェイン・ジョンソンジャック・ブラック、カレン・ギラン、そして先日はPOPSPRING 2018で来日もしていたミュージシャンでもあるニック・ジョナスらが出演しています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

今年に入ってから観た映画では一番笑いました。堪えきれず、声に出して笑ってしまうレベル。強引に一言でまとめると、アメリカ・ハイティーン版、実写『ドラえもん のび太の大魔境』です。余計に分かりにくくなったかもしれない… 今も『のび太の宝島』がかかってますが、劇場版ドラえもんって、尺が長い分、大冒険があって、それを道具だけじゃなくて、仲間で助け合うことで乗り越え、TVではめったになし得ない成長をするでしょ? ああいう感じです。

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アメリカの高校も日本と似たような感じですよ。主人公のスペンサーは、家でゲームばっかりやってるオタクで、ファッションに疎い潔癖症。勉強はそこそこできるんだけど、そこにつけこまれて、幼なじみだけど最近は縁遠い不真面目なアメフト部の兄ちゃんからはレポートの代筆をゴリ押しで書かされてる。学校のイケてる運動部男子に色目を使ってすり寄るスマホSNS依存のかわいこちゃん。生真面目だけどシャイで人付き合いが苦手で、教師にも理屈をこねていく協調性のない孤立した女の子。多かれ少なかれ、こういうタイプ、あなたの身の回りにいるでしょう。同じ学校にはいるけれど、決して交わることのなかった子たちが、居残りを命じられたことで、交わらざるを得なくなる。そこで、「意外とこいつ良い奴じゃん」みたいな、普段なら気づけなかった部分に気づいていく。この設定は青春ものの名作、85年の『ブレックファスト・クラブ』とも似ていますね。

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前の『ジュマンジ』も、みんなで力を合わせるというテーマはあったんだけど、これは現代版アップデートとしてかなりよくできてます。ちゃんと、前作のエンディングから繋げてあるし、ふたつの時代を物語内に取り込んで、ゲームの中から出られなくなった人がいるっていうタイムトラベル要素もそのまま活かすどころか、ジェネレーションギャップやラブロマンス要素までそこに掛け合わせてもっとうまくやってる。さらに、ボードゲームからビデオゲームへと変更することで、現代においてより馴染み深くしてあります。各キャラクターが3つのライフを持っているという設定は、アクションゲームで「3騎ある」っていう感じだし、全体としてはRPGの枠組みですね。ゲーム内の住人と話す時のセリフパターンが決まっているし、4人が変身したキャラそれぞれにスキルが決まっているのもRPGそのもの。

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誰もが笑いを禁じ得ないのが、この変身です。『君の名は。』でも、男女が入れ替わって、「なにこれ?」的な一連の展開がありますが、こちらはもっと強烈。何しろ、オタク男子がドウェイン・ジョンソンになるんだもん。なんだ、この上腕二頭筋は? そりゃ、なるよ。フェロモンの塊。だけど、中身は元のまま。アメフト部の黒人の兄ちゃんは、足の遅い武器係になっちゃって、オタク男子の助手的な立ち位置に甘んじますからね。最初にそれぞれのスキルが表示されるんだけど、弱点、スピードと強さ。「強さが弱点ってなんだよ、おれ!」っていう悲痛な叫びに笑わない人はいないでしょう。自惚れ女子は小太りのおっさんの姿になって、「私のスマホはどこよ? ていうか、トイレに行きたいんだけど、どこ? そして、どうやってやんの、これ?」と大騒ぎ。
 
ゲラゲラ笑いながらも、同時に僕は、「キャラがステレオタイプ過ぎてなんだかな~」と思っていたことも事実です。でもね、そんなことはなかったです。この変身を一発ギャグでなく、最後まで持続させることで、めちゃマッチョなのにびびってたり、すごい色気なのに男を誘惑しようとするとぎこちなさ過ぎて滑稽だったり、僕らが実生活で持ってる「人を見かけで判断する」ステレオタイプをしっかり揺さぶってくるんです。そこに、思春期特有の彼らのアイデンティティの形成プロセスが重ねられる。
 
だんだん変身した姿に馴染んでくると、もうこのままゲームの中で過ごしてたほうがいいんじゃないかって、あるキャラが自問する場面なんて最高でした。そこからの決断とエピローグへの流れはジンと来るし、「お前らは確実に前より輝いてるぜ」って僕は胸の内で断言しましたからね。
 
脚本の話が多くなりましたけど、こういう王道的青春物語としての枠組みに、「インディー・ジョーンズ」的な大冒険、ハワイロケが功を奏した大自然の映像、さすがは「アテ書き」だけあって見事にハマった役者たちが織りなすギャップ演技と会話のグルーブ。細かすぎるくらいに仕掛けられた笑いの小ネタの数々。全部入っている上に、この作品は吹き替えで観る人も多いと思うんだけど、日本語のセンスが素晴らしいです。僕も今まさにイタリア映画のコメディーの字幕翻訳やってるから分かるけど、トップレベルでした。
 
さらに、こういうアドベンチャーはそもそも4DXに向いてるってのはあるけど、少なくともこれまで僕が経験した中では、たとえばヘリの動きと座席が同期したり、銃弾が耳元をかすめたりっていうギミックも効果的で、一番楽しかったです。ていうか、物語自体が、ヴァーチャルの世界に迷い込んでしまった人物の話だから、4DXの座席にいる僕ら観客と状況自体がシンクロしててピッタリ。
 
というわけで、超満足! この春、あなたもぜひ叫んでください。マジジュマンジ〜〜〜!!!!

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チラシによれば、この「マジジュマンジ」とは、「物事が予想の斜め上をいくこと」だそうです。こういうセリフは翻訳ならではの面白さですよ。そして、802で見つけたプレスリリースには、こんな遊び心が… 10万字のジュマンジって… バカ過ぎます。大好きです。

 

評の中でドラえもんを引き合いに出してますが、キャラも当てはめてみたんですよ。スペンサーはのび太で、フリッジはジャイアン。ベサニーはしずかちゃんだけど、このしずかちゃんはかなりムカつくんだよな… そして、マーサは、え〜と、そうだ、花沢さんだ! って、それサザエさんじゃないか! そして、ドラえもんがいないよ。ってことで、あくまで似ているのはメッセージ性と物語の構造だけであるということに気づいたという裏話でした。そりゃそうだ。

 

評の中では、十把一絡げに成長って言ってますけど、その度合いも人それぞれってのが、また僕は気に入りました。フリッジは、たいして大人になってないもの。あいつは、まったく… 僕と同じヘッドホン使ってんじゃねぇよ! 

 

さ〜て、次回、4月12日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『娼年。出ました、R18! 白石和彌監督作『彼女がその名を知らない鳥たち』では、その美しい裸体で女性たちを翻弄し、あろうことか大阪城をバックにとんでもないことをしでかした松坂桃李ですよ。僕は彼の姿をTVや街の広告なんかで見かける度に「あいつめ!」ってなってたんですよ。ま、それだけ演技が良かったってことですね(当たり前だ)。今回も僕をムカつかせてくれるんでしょうか。このコーナーでも高く評価した『何者』の三浦大輔監督ということで、かなり楽しみにしております。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『ボス・ベイビー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月30日放送分
『ボス・ベイビー』短評のDJ's カット版です。

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優しいお父さんとお母さんの愛情を一身に受けて育てられてきた7歳のティムの元に、ある日弟が誕生。というか、タクシーに乗ってやって来た。しかも、黒いスーツに黒いネクタイ、目にはサングラス、腕には高級腕時計、そして手にはアタッシェケースをぶら下げて。どう考えても、おかしいだろ、こいつ。怪訝そうなティムを尻目に、両親は赤ちゃんに構ってばかり。徐々に苛立ちと疑惑を募らせるティムが調査をしてみると、そいつは何と大人のように話すことができるばかりか、口が悪くて人使いのめっぽう荒い、ボス・ベイビーだった。問いただしてみたところ、ボス・ベイビーには秘密の任務があるのだとか…

カンフー・パンダ (字幕版) シュレック (字幕版)

カンフー・パンダ』や『シュレック』で知られるドリームワークス・アニメーション。2年前に買収されてユニバーサル・グループの一員となって初めての長編アニメーション映画となります。日本での公開がアメリカから丸1年も遅くなった経緯については、リアルサウンド映画部の宇野維正さんの「興行ランキング一刀両断!」3月28日付けの記事に詳しいので、スタジオや配給の裏事情について興味のある方はそちらをどうぞ。

あかちゃん社長がやってきた (講談社の翻訳絵本)

原作はマーラ・フレイジーの絵本『あかちゃん社長がやってきた』で、講談社から翻訳が出ています。監督は「マダガスカル」シリーズのトム・マクグラス。僕は吹替版で鑑賞しましたが、ボス・ベイビームロツヨシ、ティムを芳根京子が、そしてお母さんを乙葉、お父さんをNON STYLE石田彰が演じる他、宮野真守山寺宏一といった豪華声優陣も脇を固めています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

このコーナーでドリームワークスの作品を扱うのは初めてです。はっきりとした特徴を、スタジオが言葉にしているので、まずはお耳に入れておきましょう。「ディズニーは、子供と、大人の中にある子供心に向けて映画を作るが、ドリームワークスは大人と、子どもの中にある大人心に向けて映画を作る」。これは元々ディズニーの幹部で94年にスピルバーグと一緒にスタジオを設立した1人、ジェフリー・カッツェンバーグの発言なので、余計にディズニーとの差別化が分かりやすいんですが、この『ボス・ベイビー』はなんと、3月21日に公開したところ、プリキュアはもちろん、日本最強のどらえもんも、そしてなんと『リメンバー・ミー』も抜いて、先週末の観客動員1位を獲得しました。すごい。
 
とまあ、この快進撃には驚いたのでお伝えしましたが、さっきの言葉が鍵です。「子供の中にある大人心」を描くのがドリームワークスである。ティムを思い出してください。彼はいつも背伸びした冒険を夢見る男の子ですよね。そして、ボス・ベイビーは、赤ん坊の皮を被った中間管理職です。これはそんなふたりのバディー・ムービーとして展開する。つまり、ドリームワークス的なるものをそのまま形にしたような作品なんです。だから、下ネタもバンバン放り込んでくるし、それは子供には絶対にわからんだろうっていう映画パロディーとかプレスリーのネタとか、特に説明もなく入れてくる。そして、そもそもの設定も下手すると振り落とされる人が出てくるくらいにぶっ飛んでます。あらすじで書いてるサイトもあるくらいなんで、ここまではいいだろうっていう設定部分を補足しますね。
 
天上界には、この世に生まれてくる赤ちゃんは家族向きか経営向きかで分別され、経営向きとされたベイビーたちはそのまま天上界に残り、ベイビー株式会社で赤ん坊の管理が任される。ところが、最近はどうも赤ちゃんよりもワンちゃんの方が人気があるようで、このままでは赤ちゃんが減ってしまう。何とかしなければ。しかも、地上のワンワン株式会社は人間誰しも夢中になってしまうような愛らしくてたまらない犬の新商品を発売するらしく、ボス・ベイビーはその情報を事前に仕入れるための産業スパイとして送り込まれてきた… なんじゃ、その飲み込みにくい設定は!

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ビジネスマンでゴリゴリの合理主義者たるボス・ベイビーは、愛情なんてものに興味はなく、考えているのは出世です。なんなら社畜です。僕も含め、映画館へ行っている人は、赤ん坊なのにスーツという外見のギャップに興味を惹かれているわけで、そのバリエーションとして、赤ん坊なのに社畜っていう内面のギャップでも楽しませてくれる。でもね、その一点張りのゴリ押しかとも観ながら思ってしまったのも事実です。やっぱり設定が突飛すぎるよって思ったし、その割に、お母さんの妊娠の件はどうなってるのかなとか、説明不足が気になって途中で興味がそがれそうにもなっていたんです。だいたい、画作りにしたって、今動員を争っている『リメンバー・ミー』と比べたらかなわないっていうか、同じ土俵ですらない気もします。
 
ところが、ですよ! まさかの逆転満塁ホームランに、油断していた僕の涙腺は久々に決壊しましたね。これはさすがに口が裂けても言えないけど、終盤でそれまでの物語を大きく括弧でくくるような展開が不意にやって来るんです。そこで明らかになるのは、この作品が実はワーク・ライフ・バランスと兄弟を持つ喜びを大真面目にテーマにしたものだということ。実際に兄がいる監督は、「50年分の僕から兄へのラブレター」だと、この作品に個人的な想いを込めたことを明かしてもいるんですね。
 
さんざっぱら、兄弟なんていない方がいいとばかりの流れからのっていう脚本の構成に参ってしまいました。と同時に、これは大人向けだと確信しました。連れてった子供には、表面的なギャップの部分で通り一遍に笑わせておいてください。で、大人はその笑いの後に、本気でジンと来てください。
 
技術的、そして多少の脚本のアラは置いておいて… 愛情は相対的なものではないということ、そして他者を受け入れることで未知の扉が開くこと、さらにはワーク・ライフ・バランスの問題も含め、アメリカもそうですけど、今の日本でも絶対に観られるべきテーマを扱った作品だという意味で、結果的に、僕は強くオススメしたい1本となりました。僕は一人っ子で、何度か兄弟がほしいと思ったことはあるけど、この映画を観て、やっぱりいいもんだなって思えました。

これまで5年間、毎週金曜午後にお送りしてきたFM802 Ciao! MUSICA。枠組みを多少変えながらも、ずっと続けてきた3分間の映画短評におつきあいいただき、ありがとうございました。

 

僕が担当する新番組FM802 Ciao Amici!(月ー木、17ー19時)でも、この短評は継続します。皆さんのおかげです。これからは毎週木曜日17時台、109シネマズDolce Vitaとしてリニューアルはしますが、システムは基本的に同じ。「映画の女神様からのお告げ」も続きますよ。初回4月5日(木)に扱うのは、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』。まだ先行上映中ということで、少し観るチャンスを選ばせる格好で申し訳ないですが、鑑賞したら、新しくなったハッシュタグ #まちゃお802を付けてのTweetをよろしく!

 
 

『リメンバー・ミー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月23日放送分
『リメンバー・ミー』短評のDJ's カット版です。

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メキシコの田舎町で代々続く靴職人の大家族と暮らす12歳の少年、ミゲル。ミュージシャンになることを夢見る彼には、大きな悩みがあった。それは、ひいひいおばあさんの代から、この家では音楽を聴くのも演奏するのも厳しく禁じられていること。先祖を偲ぶ祭日である死者の日、コンテストにこっそり出場しようとしたミゲルは、尊敬する音楽家ロドリゲスの霊廟に忍び込み、飾られたギターを拝借して弾いた途端、死者の国へとワープしてしまう。元の世界に戻るには時間の制限があることを知ったミゲルは、家族に再開するため、そして夢を追うために、偶然知り合った陽気な骸骨ヘクターに助けを求める。

トイ・ストーリー3 (字幕版) アナと雪の女王 (字幕版)

ディズニー・ピクサーの最新作で、監督は『トイ・ストーリー3』のリー・アンクリッチ。原題は”Coco”なんですが、邦題の由来となったテーマソング『リメンバー・ミー』は、今回短編同時上映された「アナ雪」の名曲”Let It Go”を書いたロペス夫妻が作詞・作曲を担当しています。
 
第90回アカデミー賞では、長編アニメーション賞と主題歌賞の2部門を獲得し、興行的にも大成功を収めているこの作品。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

まぁ、よくできてます。この春休み、たとえば家族で、あるいは恋人同士で、何か映画を1本観に行くということであれば、『リメンバー・ミー』という選択はまず間違いないです。テーマ設定の裏側をわかった風に読み解くとするなら、昨年の「モアナ」もそうでしたけど、もはや決して無視できないレベルでアメリカの人種を構成しているマイノリティーの文化にスポットを当てつつ、そしてもちろんしっかりリサーチしてリスペクトしつつ、それでもなお、宗教や価値観の違いを越えて誰しもが共感できる物語に仕立て上げる。その能力たるや、もうディズニー・ピクサーの右に出るスタジオは現状ないでしょう。
 
予算も潤沢にあるし、技術も世界トップレベルなので、これだけ引きの画が多くても、その背景までの微細な描き込みたるや唖然とします。だいたい、死者の世界の登場人物はみんな骸骨だってのに、あれだけキャラが描き分けられるってのは感服しますよ。

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モチーフにしているメキシコの死者の日は、このコーナーで扱ったもので言えば『007スペクター』のオープニング長回しでも利用していました。あちらは映画全体を支配する死のイメージを頭から印象づけようとしていたと思いますが、こちらには不気味さも厳かさも無くて、むしろラテンそのものな印象の多彩な色味とご機嫌な音楽に溢れています。これはどちらが間違っているということではなくて、どう切り取るかという問題なので、僕としてはどちらも面白かったです。メインの舞台となる死者の世界も、ああいう感じなら死んでも悪くないって思えるしね。ギャグセンスも一流でした。
 
そして、表面的なご機嫌さ、つまり、生者と死者の世界が実はそう遠くないものであって、精神的な交流は可能なのだという、日本で言えばお盆、つまり死者が戻ってくるという観念の裏にあるド級の切なさに踏み込んだのも評価に値するでしょう。冷酷な話だけど、生者に思い出してもらえない死者は、帰る意味があるのかということですね。死んでもしばらくは誰かに覚えていてもらえる。けれど、生者の誰からも思い出してもらえなくなった時、人は2度目の死を迎える。それこそ、本当の意味での消滅なんだと。
 
僕も基本的には同意できるんですが、家族の絆というテーマを重視しすぎているとも思いました。だって、前半のミゲルがまさにそうですけど、家族っていうのは押し付けがわりと当たり前のように許される牢獄でもあるわけですからね。血縁を越えた絆の価値を描くのが進歩的であるというトレンドの中で、実はかなり保守的な映画でもあるなというのが僕の見立てであり、不満な点でもあります。
 
だって、ミゲルはロドリゲスのある種「お導き」によって死者の国へ行き、そこでの大冒険を経てあのラストへと向かうわけですけど、もしこうしたことも無かったら… あの家族、かなりキツくないですか?
 
ただ、世界中どんな人間にも先祖がいるわけで、自分のアイデンティティを考える時にそこは避けては通れないわけです。折しも日本は彼岸の時期。自分という存在と家族について、つまりは人生の意味を考えるきっかけとして、この映画は万人に開かれた良作だと言って差し支えないでしょう。

さ〜て、次回、3月30日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ボス・ベイビー』。これ気になってたんだよなぁ。アニメ続きですが、ユニバーサル・スタジオxドリームワークスということで、このタッグはどうなのか。見届けましょう。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

映画『去年の冬、きみと別れ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月16日放送分
『去年の冬、きみと別れ』短評のDJ's カット版です。

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婚約者との結婚を間近に控えた新進気鋭のルポライター耶雲恭介。彼は盲目の女性が死亡した不可解な焼死事件と、容疑者の写真家・木原坂雄大について調べ始め、その記事の出版企画を有名出版社に持ち込みます。しかし真相を追ううちに、耶雲は木原坂や担当編集者を巻き込みながら、抜け出せない深みに飲み込まれていく。

去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫) グラスホッパー スタンダード・エディション [DVD]

 原作は映画化が相次ぐ中村文則。監督は『グラスホッパー』の瀧本智行。脚本は、ドラマ「金田一少年の事件簿シリーズ」や『無限の住人』の大石哲也が担当。ルポライター耶雲を三代目J Soul Brothersの岩田剛典、写真家の木原坂を斎藤工が演じる他、耶雲の婚約者百合子には山本美月、編集者には北村一輝が扮しています。そして、RHYMESTERMummy-Dさんも出演しておりますよ〜。Dさ〜ん!!

 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!
 
誰が言ったか知らないが、中村文則の「叙述トリックを駆使した原作は映画化不可能」ということだったようです。言い換えれば、小説ならではの方法で読者をミスリード、騙していたわけだから、そのまんまなぞるように映像に置き換えられないということですね。僕が想像するに、瀧本監督の方針はこうです。「だったら、映画ならではの方法で観客を騙せばいいじゃないか。そして、原作ファンも驚かせてしまおう」。この野心込みの方針を、そこそこ高いレベルで達成できていると僕は思いました。
 
盲目の女性が点字で手紙を書き、炎に包まれる。極寒の海辺。断片的な映像が続くプロローグがあって、本編へと入っていくわけですが、そこで誰もが「あれ?」となるのは、いきなり「第二章」と画面に提示されることです。そして、「第三章」がやって来る。おいおい、じゃあ「第一章」はいつ出てくるっていうんだい。そんな疑問と戸惑いを僕らに一瞬感じさせつつも、それぞれのパートから目が離せないまま進んでいるので、基本的にはこの構成についての謎についてはずっと忘れてます。忘れさせられてます。
 
補足すると、この第○章というチャプター分けは、映画そのもののチャプターだと、僕らは思っているわけですよ。そこでもう…っていうね。映画そのものの構成は、単純化してざっくり分けると、前半と後半です。ガラッと様相が変わってしまう。僕はすっかり騙されました。思ってたのと違う時間の流れ方してるやないか〜!
 
なおかつ、原作では1人称の「僕」が語り手なんですが、映画が1人称のナレーションで進むわけでは必ずしもないため、そしてある決定的な改変があるため、原作読者も、一から十までということはないにせよ、それなりに騙されるはずです。お見事な脚色だと言っていいでしょう。
 
資産家の親子が登場し、家族内での愛憎劇があり、それが人格形成に大きく影響するという筋立てと、廃墟化した郊外の団地、高級マンションといった舞台は、同じ中村文則原作の『愛と仮面のルール』でも観たばかりなだけに、どうしても比較してしまう両者。瀧本監督にはっきり軍配が上がります。
 
振り返って僕が良いなと思ったのは、視線の演出です。誰が誰のことをどんな眼で見ているのか。それはカメラも含めてです。あの場面が実はこうだったのかと、物語的視点の変化がもたらす印象の変化が肝の作品なので、視線にこだわるのは必然だし、とても映画的です。岩田剛典は初めて映画でメガネをかけているんだそうですが、斎藤工も時にサングラスをかけてみたり。これから鑑賞する人は、そこに注目すると面白いと思いますよ。
 
といっても、すべて感心しっぱなしというわけではなく、狂気の見せ方はわりと紋切り型だなとか、結婚を控えている耶雲と百合子の描写に今思えば不自然なところがあるなとか、気になった点もいくつかありました。大きいのはこれです。トリックとしては見事な部類に入るけれど、そこに執着するあまり、登場人物たちの心の闇をえぐり切れていないのと、小説からの改変により、よりやりきれないラストになっている気が僕はしてます。「これって、お前がそもそも理性を保っていれば…」みたいなことを考えると、まあやりきれないんです。
 
いずれにせよ、役者陣もみんな好演してますし、アイドル映画的な魅力も十分。僕も山本美月に夢中でした。そして、サスペンスとしてのクオリティーは、一般的な邦画の水準を越えていることは保証できます。瀧本監督のみなぎる心意気を感じる、小説映画化のひとつのお手本とも言える作品だと言えるでしょう。

さ〜て、次回、3月23日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『リメンバー・ミー』。僕、実はアメリカ行きの飛行機の中で先に観てしまったんですが、やっぱり大スクリーンがいい! もう一度行ってきます。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『シェイプ・オブ・ウォーター』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月9日放送分
『シェイプ・オブ・ウォーター』短評のDJ's カット版です。

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先日発表された第90回アカデミー賞で、13部門の最多ノミネートを果たし、作品賞、監督賞、作曲賞、美術賞を獲得。こちらは昨年ですが、世界三大映画祭のヴェネツィアでも、最高賞の金獅子を受賞しました。
 
1962年、冷戦下のアメリカ。宇宙開発にまつわる特殊な政府機関で清掃員として働くイライザは、耳は聞こえるものの口がきけず手話でコミュニケーションを取っています。ミュージカル映画を愛し、映画館の上で一人暮らしの彼女は、同僚の黒人女性ゼルダや、隣人で同性愛者の画家ジャイルズと話をするくらい。淡々と暮らす中で、ある日、秘密裏に職場へ運び込まれた不思議な生き物を目にします。アマゾンでは神として崇められていた半魚人のような「彼」の魅惑的な姿に心を奪われたイライザは、周囲の目を盗んで会いに行き、手話や音楽で心を通わせるのですが、やがて「彼」が国家の実験の犠牲となることを知ってしまう。
監督、脚本、製作、原案は、『パシフィック・リム』のギレルモ・デル・トロ。音楽はアレクサンドル・デスプラ。イライザを演じるのは、『ブルージャスミン』や「パディントン」シリーズのサリー・ホーキンスです。他に、政府機関のエリート軍人ストリックランドには、マイケル・シャノンが扮しています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

タイトル通り、ひとところにとどまらず、あれこれと形を変えていく映画でした。ヒントを得た54年のSFホラー『大アマゾンの半魚人』を『美女と野獣』のようなラブ・ストーリーにしてしまう。おとぎ話でありながら、エロもグロも入れてのR15指定で、久々に劇場でお目にかかったぼかし処理。制作に60人もが関わったこだわり造形のモンスター映画でもあるし、スパイが蠢く一流のサスペンスでもある。イライザは映画館の上のボロい家に住んでいますね。つまり、彼女の人生の足元にはたくさんのジャンルの物語、その光と影があるわけです。

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障害者であり、孤児でもあるイライザ。ジャイルズは時折カツラをかぶるゲイ。同僚はアフリカ系の太った女性。それぞれに、当時の社会でノーマルとされていた狭い枠からはみ出して生きています。さらに、単純に考えれば悪役となるストリックランドでさえ、いわゆるエリートで鼻持ちならないレイシスト社畜ながら、劇中で明かされるように、ある理由から狭い檻の中でグレイトでなければならないという強迫観念に苛まれる哀れな男という側面もあります。

 

今回のアカデミーで作品賞を競った『スリー・ビルボード』もそうでしたけど、映画界の大きな潮流として、「自分たちとは違うしよくわからないけれど、確かに存在して無視できないものと、どう共存するか」というテーマがあると思います。この作品はそれをエクストリームに追求しているわけです。究極の異形である半魚人アセットが捕らえられてやって来ます。彼は正体不明の生き物ですから、異形の象徴ですよね。世界観という言葉があるけれど、何かを美しいと思う人がいれば、それを醜いと思う人もいる。世界観は人や社会によってまるで違うわけです。アセットは、西洋的価値観では気色悪いものかもしれないが、アマゾンでは神と崇められているわけですから。この作品は、多様な価値観を多様なジャンルで描いているがうえに、観客それぞれの人間的な器のサイズと形状によって、その印象のシェイプも微妙に変わってくる。そんな特殊な設計です。

 

当然ながら、最重要のモチーフは水でした。バスタブ。卵を茹でるお湯。トイレ。研究所にアセットが入れられる水槽。そして、雨と海。人はかつて誰しもが母親の羊水に包まれていたわけですが、水が愛の象徴であることは言うまでもありません。思えば、冒頭には火事があって、ラストには雨が降っていましたね。降りしきる雨の中で、すべてが交錯して大団円を迎えていく。あらゆるシェイプに対応する愛という希望を、デル・トロは水に託して映像に落とし込んだわけです。

 

イライザもアセットも言葉は話せない。だから、手話と音楽とダンスという肉体的な手段でコミュニケーションを図る。時折、サイレントと見紛うような純映画的、つまり映画でしかできないような表現に出会えることも、この作品の大きな魅力です。イライザとアセットが風呂場で抱き合う場面やファンタジックなミュージカル・シーンは、その最たるものでしょう。ふたりの距離が縮まるきっかけは、水で茹でられた卵の殻をイライザが水槽のへりで叩いたことでした。割れた殻は、彼らを閉じ込める世界を想起させます。こうした小道具の使い方もお見事でした。

 

反トランプ運動やセクハラとパワハラ騒動という2018年現在の社会に巧みにフィットした作品ということはもちろん言えますが、そんなこと抜きに、あなたがどんな形で受け取るのかが大事です。難しいことは抜きに、立派な娯楽作がアカデミーを獲りました。普段は映画館へ行かないという方も、これはぜひ!

さ〜て、次回、3月16日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『去年の冬、きみと別れ』。また来ましたよ、中村文則原作。『悪と仮面のルール』はムムムとなりましたが、こちらはいかに? それにしても、斎藤工の大忙しなことよ。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『空海 KU-KAI 美しき王妃の謎』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月2日放送分
『空海 KU-KAI 美しき王妃の謎』短評のDJ's カット版です。

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7世紀。中国大陸で栄華を誇った大国、唐。後に真言宗の開祖となる空海は、遣唐使として倭の国から渡ってきた。長安の都で詩人白楽天と知り合った彼は、権力者が次々と命を落とす怪事件の調査を始める。そこで浮かび上がってきたのは、50年前の遣唐使阿倍仲麻呂の存在と、その仲麻呂が仕えた玄宗皇帝時代の絶世の美女である楊貴妃空海と白楽天は、楊貴妃の死の真相が何らかの形で今に尾を引いていると気づいていく。

沙門空海唐の国にて鬼と宴す 巻ノ一 (角川文庫) さらば、わが愛 覇王別姫(字幕版)

原作は夢枕獏の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』。監督は『さらば、わが愛 覇王別姫』や『始皇帝暗殺』で世界的に評価の高いチェン・カイコー。日中合作ということで、キャストも空海染谷将太、白楽天を中国のホアン・シュアン、楊貴妃を台湾出身のチャン・ロンロンが演じる他、阿部寛松坂慶子も要所で参加しています。
 
中国では年末に封切られて大ヒット。150億円と言われる巨額の製作費も既に回収済みという知らせが届いています。撮影は中国語で行われているんですが、日本では吹き替え版だけが公開されているので、すべて日本語になっています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

映画館で観ていた予告編とあらすじ以外、例によって情報を事前に仕入れることなしに鑑賞したんですが、思っていたものとかなり違いまして、結構戸惑いました。僕が想像していたのは、いわゆるコスプレ時代物で、空海と白楽天がホームズとワトソンよろしく活躍するような歴史ミステリーだったんです。だって、東京ドーム八つ分の敷地に6年がかりでセットを立て込んだとか、2万本の木を植えたとか、エキストラの数が半端ないとか、そういうことも謳われていたので、わかりやすくたとえれば『ラストエンペラー』のようなテイストだと思ってたんです。でも、夢枕獏が原作なわけですよ。陰陽師の人です。本人も作風について「エロスとバイオレンスとオカルト」と言っているくらいですから、ストレートな歴史映画になるわけがないんですね。どっちかと言えば『47RONIN』です。実際、のっけからCGを駆使した超常現象がわんさか出てきます。

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ちなみに、中国でのタイトルは『空海』ではなく、『妖猫傅』。妖怪みたいな猫が出てきて、普通に言葉を喋ります。なんなら、主役は猫なんです。そりゃ、驚きましたよ、僕は。さらに驚いたのは、空海が超常現象を目の当たりにしても特に驚かないことですね。彼は終始アルカイック・スマイルを浮かべながら、何が起きても努めて冷静。むしろ、自分でも妖術まがいの技で呪いを解いたりします。既に悟ってるやん! とツッコミたくなる佇まい。まあ、弘法大師空海は、事実、全国津々浦々に伝説・伝承を残してますからね。たとえば、空海が座って休んだら、その重みでへこんだ跡が残る岩が岡山にあったり、淡路島で村人が空海に水を与えなかったら、水が涸れてしまったり。怒らせると怖いんでしょうかね。それはともかく、この映画は僧侶としての空海よりも、オカルトめいた術を自ら操る超人としての側面が強いんです。なので、歴史ファンタジー映画だと思ってください。そうすれば、鑑賞した時に僕みたいにのけぞらずに済むかと思います。
 
原作は読んでいないんですが、お話そのものはなかなか面白いと思うんです。誰もが知る絶世の美女、楊貴妃の死の真相。詩人李白と、彼をあこがれ越えようとする白楽天の筆による名作長恨歌の秘話。史実をヒントに想像力を羽ばたかせたひとつのファンタジックな歴史解釈として、きっちりエンターテインメントになっています。人の生涯を綴る伝記じゃなくて、幻想的な伝奇ですね。ただ、映画としての出来栄えは僕は高くは評価していません。
 
スタイルやジャンルが苦手だということもあるんですが、それは僕の好みなので脇へ置くとして、客観的に観ても気になるのは、チェン・カイコーのガチャガチャしたカメラワークです。やたらめったら動きすぎるんです。ケレン味は確かにあります。これでもかというほど、てんこ盛りです。だけど、そういうキメの画作りっていうのは、ここっていう場所に取っておいてこそ、メリハリが生まれるわけで、この映画では別に何でもないショットでもキメてくるんですよ。それが仇になって、物語への観客の集中力を削ぐレベルだと思います。ただでさえ、登場人物は多いし、時間軸もややこしい話なので、困りもの。
 
映像面でもうひとつ言いたいことがあります。あれだけあっぱれなセットをこしらえたんだから、CGは最小限にしようよ。レベルは高いんだけど、そもそもが凝りすぎてるカメラワークや、ただでさえ派手な色味と相まって、なんかCGを使えば使うほど漫画っぽく嘘っぽく見えちゃうのも、困りもの。
 
そして、小説ならいいんだけど、映画としてはどうかと思ったのが、それこそ基本CGの猫くんです。彼も喋りすぎ。特に後半は、彼の言葉を絵が補足するという紙芝居状態なところが何度かあって目に余りました。
 
ただ、ここは『マンハント』のジョン・ウーと印象が似てくるんですけど、もはや何のこだわりかよくわからないくらいに詰め込みすぎたテクニックと美意識に翻弄されるという快感は認めざるをえません。あなたは美の洪水に身を任せるか受け流すか。それを体験するには、劇場でないといけません。

さ〜て、次回、3月9日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『シェイプ・オブ・ウォーター』。ついに来た、アカデミー作品賞の本丸。来週はもうその結果も出ているわけですよ。いずれにせよ、ヴェネツィア昨年の金獅子は獲ってるわけですから、一見の価値は大アリ。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!