京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『レディ・プレイヤー1』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月26日放送分
『レディ・プレイヤー1』短評のDJ's カット版です。

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2045年。貧富の差が拡大し、荒廃した世界。人々は現実に楽しみや希望を見いだせず、VRの世界OASISに逃避する日々。なぜなら、OASISはゴーグルをつけさえすれば、誰でも何にでもなれるから。そこでは理想がリアルに体験できるから。ある日、亡くなった開発者ジェームズ・ハリデーの遺言のようなメッセージが発信されます。このOASISに隠された3つの謎を解き明かした者に、彼の莫大な遺産、並びにOASISを運営する権利が授けられるというもの。17歳の孤児ウェイドはその謎解き、宝探しに躍起となるうち、美女アルテミスなど他の仲間と出会うのだが、巨大企業IOIがその行く手を阻みます。
 
2011年に出版され、エイティーズ・ポップカルチャーへの賛辞を前面に出して世界的ヒットとなったアーネスト・クラインの小説『ゲームウォーズ』を、スティーブン・スピルバーグ監督が映画化。アニメ、ゲーム、映画、音楽。OASISの中にこれでもかと詰め込まれたオマージュの数々には、ガンダムメカゴジラAKIRAストリートファイターハローキティなどなど、日本のものもたくさんあります。
 
スピルバーグ、現在71歳。日本では『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』が先月公開されたばかり。スピルバーグ最新作をハシゴできてしまうこの状況にまず驚きです。
 
それでは、なんとなくゴーグルみたいなのを付けて観たいと思い、3D吹き替えで鑑賞してきた僕による3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

80年代に百花繚乱したポップカルチャーの数々。諸説ありますが、70年代から日本ではオタクという言葉が生まれ、現実にうまく適応できない人達が、一種の逃げ場として、シェルターとして、フィクションの世界に耽溺するという現象が見受けられるようになりました。二次創作など、独自の文化とコミュニティを生み出してきたオタクたちですが、インターネットが登場してますますその数を増やし、それぞれにコミュニティを形成。果てはクール・ジャパンなどという政府の掛け声も生み出すほど、オタクの地位向上というか、ネガティブなイメージで語られることも減りながら現在に至ります。
 
こうしたポップカルチャーはテクノロジーの進化と切り離せないもの。僕も先月オースティンのSXSWで確認しましたが、もうVRはすごいことになってました。たとえば、イライラしている人がゴーグルをして仮想世界に入り、そこにあるテレビとかパソコンとか電化製品を壊しまくってスカッとするアトラクションとかあったんですよ。いくら見本市とはいえ、傍から見ていた僕は正直その姿に吹き出してしまいました。と同時に、近い将来、時間があればVRの中へ入り込む人が大勢出てくるんだろうなと思ったわけです。もちろん、100年を越える歴史を持つ映画だってそういう装置には違いないんだけど、ゴーグルひとつで文字通りの別世界へ飛んでいけるとなると、発想は延長線上にあるとはいえ、一線どころか二線か三線越えてるのではなかろうか。

未知との遭遇 ファイナル・カット版 (字幕版)

前置きが長くなりました。これは映画作家スピルバーグのひとつの到達点だと僕はみています。初期の名作『未知との遭遇』で主人公が最後に何をしたかを思い出してください。多くのスピルバーグ作品の主人公にとって、現実の世界というのはキツいものであって、自分のいるべき場所ではなかった。ここではないどこかに自分が幸福になる場所があるはずなんだ。フィルモグラフィーの節目節目で、映画史に残る技術革新を形にしながら、テーマとしてはそういう映画を撮ってきた人です。この『レディ・プレイヤー1』は、自分が一気に世界に名を轟かせた80年代を、自分の作品も含めて総ざらいしつつ、最高だよね〜アガるよね〜と観客をもてなすだけじゃないんです。むしろ、ちょっと待てよ。俺たちはフィクションを見て「リアルだ」とか何とか言ってるけど、現実をなおざりにしていいのかよっていうところへと導いていく。そこがこれまでのスピルバーグと違うところじゃないでしょうか。

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冒頭のシーン。ヴァン・ヘイレンのJumpをかけながら、2045年の貧民街の様子を見せていきます。積み上げられたトレーラーハウス。高いところに住んでいる主人公ウェイドが、まさにジャンプを繰り返して地上に下りていく。その途中、そこらのトレーラーハウスには、ゴーグルを付けて現実逃避している人々のなかなか滑稽な様子が映る。ここでもうスピルバーグはテーマを早くも提示してると思うんです。ヴァン・ヘイレンのあっけらかんとしたアガるサウンドにも関わらず、現実のウェイドのジャンプは後に出てくるOASISの中のように華麗なるものではないし、何より空もそのスラムもすべてが灰色。このギャップですよね。
 
スピルバーグは正面切ってCG技術の粋を尽くしながらOASISを描きました。自分でもゴーグルを装着して演出したそうです。一方、現実の場面ではフィルムを使って撮影。ハイブリッドな映画作りをしています。
 
この作品を「プロフェッショナルな廃品回収リサイクルボックス」だとするアメリカの評論家がいます。マニアックで閉じられていて、二次創作の延長にすぎないということでしょう。

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僕は違うと思う。一匹狼だった主人公が友情を育んで力を合わせ、敵と戦い、謎解きをして成長するという、少年ジャンプ的でもある極めて王道のストーリーラインを軸に、何度観ても発見がありそうなサブリミナルレベルのものまでぶち込んだサブカルまとめ情報を巧みに入れつつ、でもそれだけじゃダメなんだ。フィクションは絶対に人間に必要だけれど、フィクションを絶対視してはいけないんだというところに着地してみせた。
 
OASISの創設者であり、OASISの中ではアノラックとして『ホビット』のガンダルフの姿で登場するジェームズ・ハリデーは、スピルバーグの自己投影でしょう。これは技術的に画期的かつ個人的な作品であり、映画史にも太字で刻まれるような重要な1本になっている。結論として、やっぱりスピルバーグは凄い!

サントラも話題となっていますね。僕はこの曲がかかるところで結構グッと来ました。

 

あ、そうそう、今回僕は吹き替えで鑑賞したんですが、クレジットに日髙のり子と三ツ矢雄二の名前を発見! こ、こ、これは… 『タッチ』やないか〜〜! あだち充ファンとして、ニヤリな瞬間でしたよ。

さ〜て、次回、5月3日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『君の名前で僕を呼んで』です。80年代の北イタリアが舞台。監督はイタリア人のルカ・グァダニーノ泣く子も黙るアカデミー脚色賞受賞作。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『パシフィック・リム:アップライジング』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月19日放送分

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今思えば、巨大ロボットや怪獣など、日本が得意としてきたコンテンツの谷間だったと言える2013年。前作『パシフィック・リム』が公開されました。そこで日本のアニメ&特撮ものへのこだわりとリスペクトを込めたのが、今年『シェイプ・オブ・ウォーター』でアカデミー作品賞を獲得したギレルモ・デル・トロ。今回彼は製作総指揮に回り、テレビやストリーミングで演出をしていたスティーブン・S・デナイトが監督を務めました。

パシフィック・リム(字幕版)

海の底の裂け目から現れたKAIJUたちが地球を襲った惨劇から10年。復興が進んでいく中、KAIJUを倒した人間が操縦するロボット「イェーガー」の技術は更新され、民間企業による無人型イェーガーの開発も進められ、KAIJUのいない時代なりに、人類は備えをしていました。訓練中、突如現れてこちらに襲いかかってきた謎のイェーガー。その正体は? 人類の新たなる戦いが始まる。
 
前作で殉職した英雄の息子だが、ゴロツキとして廃墟で暮らしていたところを軍に呼び戻されて真のパイロットへと成長していく主人公ジェイクをジョン・ボイエガ、その同僚ネイサンをスコット・イーストウッドが演じている他、日本からは前作に引き続き菊地凛子、さらに、若きイェーガー・パイロットとして新田真剣佑など、前作に引き続き、日本人キャストも参加して話題を呼んでいます。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

もしもデル・トロが今回もメガホンを取っていたら… 1が日本でもあれだけの熱狂を生んだだけに、監督交代劇を惜しむ声はよく聞かれます。でも、補足しておくと、デル・トロにはやる気があったわけです。実際に撮影の段取りも組んでいたんですが、そこで制作会社レジェンダリー・ピクチャーズと配給会社ユニバーサル・ピクチャーズの対立が深刻化してあえなく中止。企画はしばらく宙吊りになりました。その後、レジェンダリー・ピクチャーズは中国の大連万達(ワンダ)グループによって買収。こうしたゴタゴタで時間を食った結果、デル・トロは『シェイプ・オブ・ウォーター』に集中するべく、自分は製作総指揮に回りました。それでアカデミー作品賞を獲得したわけだから、デル・トロは今後より影響力をもって、トレードマークでもあるフェティッシュなこだわりを実現できる土壌を手にしたわけで、それはそれでトータルで見ればOKだと言えるでしょう。
 
彼は作家性を重んじる人だから、続編と言えど、デナイト監督でないとできないことを実行するといい、押し付けはしないから、好きにやってくれと伝えられたようです。
 
具体的に言えば、今回僕もしっかり驚かされたイェーガー同士の戦いというアイデアはデル・トロによるものです。ただ、それをどう見せるかという演出の部分において、
デナイト監督は、はっきり、前作の踏襲よりも革新を、おかわりよりも違う調理法を選んでいます。その志は評価すべきなんだけど、作家性と嗜好の違いが浮き彫りになった結果、あくまで続編として考えた時に、前作ファンの求めるものとの齟齬が無視できないレベルで生まれているわけです。

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では、その違いとは何か。メインの戦闘シーンに端的に表れています。前作は夜だったり雨が降ってたり海だったりと、とにかく暗い絵面が多かったですよね。何が起きているか分かりにくくて、あれはCGの粗をごまかすためだとも言われていました。確かにそういう技術的な理由もあったはずですが、それをむしろ活かしたデル・トロは、ブレードランナー的とも言える終末論的世界に仕立てました。原子力で動くイェーガーは、操縦がふたり一組でやたら難しいし、動きも鈍重でした。KAIJU相手に劣勢に立たされることもしばしば。でも、だからこそ、ケレン味の利いた日本的な間合いから繰り出される必殺技が決まった時のカタルシスがあったんですね。

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それがデナイト演出にかかると、戦闘シーンはほとんど昼日中、降り注ぐ陽光の下で展開されます。この5年でグレードアップしたCG技術を誇示するかのように。イェーガーそのものもグレードアップ。無人機も含め、バリエーションが増え、カラーリングもスタイリッシュ。操縦は容易になり、動きがキビキビしました。デナイト監督はウルトラマン好き、なおかつマイケル・ベイトランスフォーマー・シリーズに最近は脚本家として参加していますから、そりゃ鈍重なロボットは嫌でしょう。
 
両者の違いは、ロボットを捉えるアングルにも出ています。デル・トロは重量感を際立たせる下から見上げるものが印象的だったのに対し、デナイトは高いところから見下ろすことが多い。デル・トロのジメジメした湿度過多な画面に対して、デナイトはカラッとしていて悲壮感が弱め。
 
ネタバレの問題があるから踏み込まないけど、イェーガー同士の戦いがあるってことは、単純に人類vsKAIJUじゃないわけで、物語の力学も違いが鮮明です。
 
以上、違いを挙げてきましたが、今作には映画としてのまとまりに少し難があることも付け加えます。前作で記憶に残るのは、やはりバトルそのもの。話は正直そこまで重要じゃないというか、ありふれたものでした。アルマゲドン的自己犠牲。KAIJUって一体何なんだという謎。これができなかったらもう終わりだというタイムリミット・サスペンス。でも、話が分かりやすかった分、観客もバトルに集中できたわけです。
 
今回は物語を構成する要素が多い上、それを並べるのに時間がかかっている分、バトルが淡白になってしまってます。操縦も簡単だしね。だから、とりあえずスケール感を出すために、続編にありがちな力のインフレが起きてしまっています。せっかくイェーガーをスタイリッシュにして種類も増やしたんだから、それぞれの特徴を描けば萌えそうなもんだけど、そこに時間を割けていない。となると、真剣佑を含めた若きパイロット達のキャラや成長も描ききれず、ドラマとしても淡白です。
 
結論。デナイトの意欲は買うし、ジャンル映画として一定の水準に達している。その証拠にヒットもしている。大画面で観る価値大アリ。なんだけど、次があるなら、やはりデル・トロにもう一度アップライジングしてほしいと思ったのが正直なところです。

映画通としてもおなじみ、川上洋平くんが『シン・ゴジラ』に反応して書いたというKaiju / [Alexandros]をオンエアしました。

さ〜て、次回、4月26日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、スピルバーグ『レディ・プレイヤー1』です。これ、またガンダムが出てくるぞ〜。2週連続、ガンダム(「アップライジング」でも、チラッと映り込むんですよ)。しかし、結局『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』を観られてないんだよなぁ。それはともかくとして、スピルバーグのタイプの違う新作を同時に観られる環境は素晴らしすぎる! あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

映画『娼年』短評

 
FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月12日放送分
『娼年』短評のDJ's カット版です。

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森中領は、東京の名門大学に籍を置きながらも、そこに意味を見いだせず、女性関係にも退屈し、バーテンダーのアルバイトで日々を潰すようにして生きている。ある夜、領の務めるバーに現れた美女、御堂静香。「女なんてつまらない」と言ってはばからない領に興味を持った静香は、経営する会員制ボーイズクラブに彼を所属させる。「情熱の試験」なる「身体及び技能検査」をパスした領は、その翌日から娼夫としてデビュー。年齢も境遇もそれぞれ違う様々な女性たちの欲望に接するうち、彼は次第に表情に生気を宿し、人生観を変化させていく。
 
2001年に書き下ろされて直木賞にノミネートした石田衣良の原作が、2016年にまず舞台化されました。演出は三浦大輔。主演は松坂桃李。僕は残念ながら観ることができていないんですが、基本的に全裸で役者たちが性行為を表現するセンセーショナルな演劇として耳目を集めました。三浦大輔さんは演劇ユニット「ポツドール」の主宰者で、2006年の『愛の渦』では演劇界の芥川賞とも言われる岸田國士(くにお)戯曲賞を獲得。同時に映像作家としても活躍。このコーナーで扱った『何者』は、僕も高く評価しました。

何者 愛の渦

 今回の映画化では、監督三浦大輔、主演松坂桃李という軸はそのままに、映像だからこそできる表現を模索しています。もちろん、R18指定です。

 
それでは、少し気後れしながらも行くしかない。虚飾を剥ぎ取り、歯に衣着せぬ3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

内容が内容だけに、興味本位も含め、それが悪いことだとは別に思ってないですが、話題となるのはどうしても性描写ですよね。監督はインタビューにこう答えています。「僕が今まで観てきた映像作品での性描写は、どこか“撮りっぱなし”な印象をもっていたのです。この作品では、セックスを会話を撮るように緻密に撮っていきたい」。なるほど。確かに、こんなに細かくカットを割った性描写はそうそう無いし、セックスシーンだけで1日がかりという地獄のような撮影も行っていたようです。想像するだけでメンタルがやられそうですが…
 
三浦監督の興味は、この作品に限らず、こういうことじゃないでしょうか。一見「普通」とされる人々が特殊な環境に放り込まれることによって直面する価値観の変化を描く。その装置が今回は売春であり、『何者』では就職活動だったのかなと。領はみんなに普通とはっきり言われていました。人間不信というか、自分の人生に対しても社会制度に対しても、あきらめがちな無気力な若者です。「セックスなんて、手順の決まった面倒な運動だ」とのたまうくらい。そんな男が娼夫としてデビューすることで、つまり自分が商品化されることで、多種多様な女性たちの性欲のはけ口としての道具となります。それがある種の荒療治となり、幅の狭くて一面的だった彼のものの見方が押し広げられる。自分の目を通して認識している世界なんてちっぽけで、世の中にはもっと色んな孤独と悩みがあるのだ、そしてこんな自分も誰かを喜ばせることができる、もっと言えば、誰かを救えるのだと、これまた多様なセックスを通して体験学習しているわけです。少し難しく言えば、社会を相対化できるようになっていく。

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この「相対化」はキーワードでしょうね。性的に商品化されるのは女性が圧倒的に多かったものが、ここではその構図が逆転している。観ていて思わず笑ってしまった人もいるでしょうが、たとえばラブホテルで部屋に入る前からキスの嵐で、ベッドへ向かうのももどかしく求め合う場面がありましたが、そこでふっと、部屋の外の掃除のおじさんたちの姿と会話を挿入してみせることで、この行為が一歩引いて見れば滑稽ですらあることをさり気なく見せるわけです。他にも、熱海でのビデオカメラを使った演出も、文字通りもうひとつの視点を加えることでセックスを相対化しています。「森中くん、続けたまえ!」というセリフには笑わされました。コントラストを極端にして青い色味を強調したアーティスティックな画面の中に、効果音を排除して身体が発する音を強調した生々しいAVまがいの行為を放り込むのだって、神秘にもポルノにもどちらにも転ばないバランスを保って、やはりセックスを相対化しているのではないかと。
 
こうした問題意識に、僕は賛同しています。でもね、この程度のバリエーションでは驚けなくないですか。アブノーマルとされていることのバリエーションと目新しさが弱くて、簡単に言えば、変態の中ではそこそこ普通だったりするので、肝心のセックスシーンを長いなと感じてしまうこともありました。領くんのスキルアップも、わかるようで客観的にはわかりにくいですよね。肉体による会話のシーン数を減らしてもいいから、ひとりひとりのバックボーンをつっこむところはもっとつっこんで、彼女たちが男を買う原因をもっと深掘りすると、その結果としての性行為にも深みが出るはずです。
 
さらに、領の家族やボーイズクラブのトップ静香の過去が一気に提示される急展開にはびっくりさせられました。言葉での説明がここで急に増えたせいで印象が浅くなるので、領にあっただろう葛藤がぼんやりしてしまっているし、静香の過去も拙速に出てくるから「へぇ、そうなんですか」ぐらいにしか興味が沸かないのがもったいない。そのせいで全体的にしまりがゆるくなってしまったのは残念でした。
 
とはいえ、松坂桃李のこれぞ体当たりな演技にはひれ伏してしまうし、居心地は悪いけど、劇映画でここまで性行為に踏み込んでみせた三浦監督の気概も買いです。売春が法律違反である平成の日本だからこそのラストの流れと、挑発的でもあるエピローグは考えるほどじわじわ沁みてきます。女性目線の欲望と言いながら、まだまだマッチョだよなこれじゃという描写もあるものの、閉ざされた性の歓びを開けっぴろげてくれる映画でした。

娼年 (集英社文庫)

紹介した監督のインタビューですが、原作の石田衣良も「これは他に類書がない」とパンフレットに書いています。ただ、いくらなんでも、それはちょっと誇張でしょうとは言っておきたい。野暮かもしんないけど。

 

女性の性欲を恋愛感情と切り離して追求した最近の映画として、ラース・フォン・トリアー監督の2部構成4時間超えの大作『ニンフォマニアック』なんてのもあったし、日活ロマンポルノもその一部には女性目線の欲望を反映する作品がありました。リスナーから指摘があったように、大島渚のかつての闘争も思い出さなければいけない。

ニンフォマニアック vol.1(字幕版)

今挙げたような作品は、それぞれ、性行為そのものをテーマとしているがゆえに、撮りっぱなしにはなっていないでしょう。監督の発言をフォローすると、要するに、特に最近のマーケティング過多な映画作りによって性描写そのものが敬遠されることが多い中で、結果的にこの作品が突出したということなのかなと。

さ〜て、次回、4月19日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『パシフィック・リム:アップライジング』。前作の大成功からゴタゴタがあって、ギレルモ・デル・トロは結局『シェイプ・オブ・ウォーター』の撮影を優先。今回は製作に回っていますね。日本が舞台! みんなで出かけよう! あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』短評

僕がこの4月からCiao! MUSICAに代わって担当し始めた新番組Ciao Amici!(月-木、17-19時)でも、3分間の映画短評は続けて行うこととなりました。
これからも、よろしくお願いします。ということで…
FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年4月5日放送分

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学校で居残りを命じられ、倉庫の整理をさせられることになった高校生4人は、ジュマンジという名の古いテレビゲーム機を発見。それぞれにキャラクターを選んでプレイを始めると、4人はゲームの中へと吸い込まれた。そこはジャングル。しかも、現実の自分たちとはまるで違う、選んだキャラに変身している。ゲームオタクだった男の子は、ガチムチでフェロモンだだ漏れの冒険家。SNSへのセルフィーをアップすることに余念のない自惚れ女子は、古生物学や地図の専門家であるメタボ気味のおっさんに。生きて現実へと帰るには、ゲームクリアするしかない。バラバラだった4人は力を合わせるのだが…

ジュマンジ ジュマンジ (字幕版) 

元々は1982年に出版された、ボードゲームについての絵本です。邦訳は今はもう絶版になっているようですが、中古市場に出回っているので、興味のある方は手に取ってみてください。そして、95年にロビン・ウィリアムス主演で映画化され、当時はまだ今ほど当たり前ではなかった3DCGを大胆に活用した作品として日本でも話題を集めました。
 
監督は、ジェイク・カスダン。「スター・ウォーズ」シリーズの脚本家として知られるローレンス・カスダンの息子なんですが、アメリカでの公開3週目にして、興行収入は『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を抜いての大ヒットとなっています。
 
今回はキャスティングをしてから脚本を仕上げる「アテ書き」だということで、キャストはとても重要。「ワイルド・スピード」シリーズのドウェイン・ジョンソンジャック・ブラック、カレン・ギラン、そして先日はPOPSPRING 2018で来日もしていたミュージシャンでもあるニック・ジョナスらが出演しています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

今年に入ってから観た映画では一番笑いました。堪えきれず、声に出して笑ってしまうレベル。強引に一言でまとめると、アメリカ・ハイティーン版、実写『ドラえもん のび太の大魔境』です。余計に分かりにくくなったかもしれない… 今も『のび太の宝島』がかかってますが、劇場版ドラえもんって、尺が長い分、大冒険があって、それを道具だけじゃなくて、仲間で助け合うことで乗り越え、TVではめったになし得ない成長をするでしょ? ああいう感じです。

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アメリカの高校も日本と似たような感じですよ。主人公のスペンサーは、家でゲームばっかりやってるオタクで、ファッションに疎い潔癖症。勉強はそこそこできるんだけど、そこにつけこまれて、幼なじみだけど最近は縁遠い不真面目なアメフト部の兄ちゃんからはレポートの代筆をゴリ押しで書かされてる。学校のイケてる運動部男子に色目を使ってすり寄るスマホSNS依存のかわいこちゃん。生真面目だけどシャイで人付き合いが苦手で、教師にも理屈をこねていく協調性のない孤立した女の子。多かれ少なかれ、こういうタイプ、あなたの身の回りにいるでしょう。同じ学校にはいるけれど、決して交わることのなかった子たちが、居残りを命じられたことで、交わらざるを得なくなる。そこで、「意外とこいつ良い奴じゃん」みたいな、普段なら気づけなかった部分に気づいていく。この設定は青春ものの名作、85年の『ブレックファスト・クラブ』とも似ていますね。

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前の『ジュマンジ』も、みんなで力を合わせるというテーマはあったんだけど、これは現代版アップデートとしてかなりよくできてます。ちゃんと、前作のエンディングから繋げてあるし、ふたつの時代を物語内に取り込んで、ゲームの中から出られなくなった人がいるっていうタイムトラベル要素もそのまま活かすどころか、ジェネレーションギャップやラブロマンス要素までそこに掛け合わせてもっとうまくやってる。さらに、ボードゲームからビデオゲームへと変更することで、現代においてより馴染み深くしてあります。各キャラクターが3つのライフを持っているという設定は、アクションゲームで「3騎ある」っていう感じだし、全体としてはRPGの枠組みですね。ゲーム内の住人と話す時のセリフパターンが決まっているし、4人が変身したキャラそれぞれにスキルが決まっているのもRPGそのもの。

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誰もが笑いを禁じ得ないのが、この変身です。『君の名は。』でも、男女が入れ替わって、「なにこれ?」的な一連の展開がありますが、こちらはもっと強烈。何しろ、オタク男子がドウェイン・ジョンソンになるんだもん。なんだ、この上腕二頭筋は? そりゃ、なるよ。フェロモンの塊。だけど、中身は元のまま。アメフト部の黒人の兄ちゃんは、足の遅い武器係になっちゃって、オタク男子の助手的な立ち位置に甘んじますからね。最初にそれぞれのスキルが表示されるんだけど、弱点、スピードと強さ。「強さが弱点ってなんだよ、おれ!」っていう悲痛な叫びに笑わない人はいないでしょう。自惚れ女子は小太りのおっさんの姿になって、「私のスマホはどこよ? ていうか、トイレに行きたいんだけど、どこ? そして、どうやってやんの、これ?」と大騒ぎ。
 
ゲラゲラ笑いながらも、同時に僕は、「キャラがステレオタイプ過ぎてなんだかな~」と思っていたことも事実です。でもね、そんなことはなかったです。この変身を一発ギャグでなく、最後まで持続させることで、めちゃマッチョなのにびびってたり、すごい色気なのに男を誘惑しようとするとぎこちなさ過ぎて滑稽だったり、僕らが実生活で持ってる「人を見かけで判断する」ステレオタイプをしっかり揺さぶってくるんです。そこに、思春期特有の彼らのアイデンティティの形成プロセスが重ねられる。
 
だんだん変身した姿に馴染んでくると、もうこのままゲームの中で過ごしてたほうがいいんじゃないかって、あるキャラが自問する場面なんて最高でした。そこからの決断とエピローグへの流れはジンと来るし、「お前らは確実に前より輝いてるぜ」って僕は胸の内で断言しましたからね。
 
脚本の話が多くなりましたけど、こういう王道的青春物語としての枠組みに、「インディー・ジョーンズ」的な大冒険、ハワイロケが功を奏した大自然の映像、さすがは「アテ書き」だけあって見事にハマった役者たちが織りなすギャップ演技と会話のグルーブ。細かすぎるくらいに仕掛けられた笑いの小ネタの数々。全部入っている上に、この作品は吹き替えで観る人も多いと思うんだけど、日本語のセンスが素晴らしいです。僕も今まさにイタリア映画のコメディーの字幕翻訳やってるから分かるけど、トップレベルでした。
 
さらに、こういうアドベンチャーはそもそも4DXに向いてるってのはあるけど、少なくともこれまで僕が経験した中では、たとえばヘリの動きと座席が同期したり、銃弾が耳元をかすめたりっていうギミックも効果的で、一番楽しかったです。ていうか、物語自体が、ヴァーチャルの世界に迷い込んでしまった人物の話だから、4DXの座席にいる僕ら観客と状況自体がシンクロしててピッタリ。
 
というわけで、超満足! この春、あなたもぜひ叫んでください。マジジュマンジ〜〜〜!!!!

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チラシによれば、この「マジジュマンジ」とは、「物事が予想の斜め上をいくこと」だそうです。こういうセリフは翻訳ならではの面白さですよ。そして、802で見つけたプレスリリースには、こんな遊び心が… 10万字のジュマンジって… バカ過ぎます。大好きです。

 

評の中でドラえもんを引き合いに出してますが、キャラも当てはめてみたんですよ。スペンサーはのび太で、フリッジはジャイアン。ベサニーはしずかちゃんだけど、このしずかちゃんはかなりムカつくんだよな… そして、マーサは、え〜と、そうだ、花沢さんだ! って、それサザエさんじゃないか! そして、ドラえもんがいないよ。ってことで、あくまで似ているのはメッセージ性と物語の構造だけであるということに気づいたという裏話でした。そりゃそうだ。

 

評の中では、十把一絡げに成長って言ってますけど、その度合いも人それぞれってのが、また僕は気に入りました。フリッジは、たいして大人になってないもの。あいつは、まったく… 僕と同じヘッドホン使ってんじゃねぇよ! 

 

さ〜て、次回、4月12日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『娼年。出ました、R18! 白石和彌監督作『彼女がその名を知らない鳥たち』では、その美しい裸体で女性たちを翻弄し、あろうことか大阪城をバックにとんでもないことをしでかした松坂桃李ですよ。僕は彼の姿をTVや街の広告なんかで見かける度に「あいつめ!」ってなってたんですよ。ま、それだけ演技が良かったってことですね(当たり前だ)。今回も僕をムカつかせてくれるんでしょうか。このコーナーでも高く評価した『何者』の三浦大輔監督ということで、かなり楽しみにしております。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!

『ボス・ベイビー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月30日放送分
『ボス・ベイビー』短評のDJ's カット版です。

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優しいお父さんとお母さんの愛情を一身に受けて育てられてきた7歳のティムの元に、ある日弟が誕生。というか、タクシーに乗ってやって来た。しかも、黒いスーツに黒いネクタイ、目にはサングラス、腕には高級腕時計、そして手にはアタッシェケースをぶら下げて。どう考えても、おかしいだろ、こいつ。怪訝そうなティムを尻目に、両親は赤ちゃんに構ってばかり。徐々に苛立ちと疑惑を募らせるティムが調査をしてみると、そいつは何と大人のように話すことができるばかりか、口が悪くて人使いのめっぽう荒い、ボス・ベイビーだった。問いただしてみたところ、ボス・ベイビーには秘密の任務があるのだとか…

カンフー・パンダ (字幕版) シュレック (字幕版)

カンフー・パンダ』や『シュレック』で知られるドリームワークス・アニメーション。2年前に買収されてユニバーサル・グループの一員となって初めての長編アニメーション映画となります。日本での公開がアメリカから丸1年も遅くなった経緯については、リアルサウンド映画部の宇野維正さんの「興行ランキング一刀両断!」3月28日付けの記事に詳しいので、スタジオや配給の裏事情について興味のある方はそちらをどうぞ。

あかちゃん社長がやってきた (講談社の翻訳絵本)

原作はマーラ・フレイジーの絵本『あかちゃん社長がやってきた』で、講談社から翻訳が出ています。監督は「マダガスカル」シリーズのトム・マクグラス。僕は吹替版で鑑賞しましたが、ボス・ベイビームロツヨシ、ティムを芳根京子が、そしてお母さんを乙葉、お父さんをNON STYLE石田彰が演じる他、宮野真守山寺宏一といった豪華声優陣も脇を固めています。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

このコーナーでドリームワークスの作品を扱うのは初めてです。はっきりとした特徴を、スタジオが言葉にしているので、まずはお耳に入れておきましょう。「ディズニーは、子供と、大人の中にある子供心に向けて映画を作るが、ドリームワークスは大人と、子どもの中にある大人心に向けて映画を作る」。これは元々ディズニーの幹部で94年にスピルバーグと一緒にスタジオを設立した1人、ジェフリー・カッツェンバーグの発言なので、余計にディズニーとの差別化が分かりやすいんですが、この『ボス・ベイビー』はなんと、3月21日に公開したところ、プリキュアはもちろん、日本最強のどらえもんも、そしてなんと『リメンバー・ミー』も抜いて、先週末の観客動員1位を獲得しました。すごい。
 
とまあ、この快進撃には驚いたのでお伝えしましたが、さっきの言葉が鍵です。「子供の中にある大人心」を描くのがドリームワークスである。ティムを思い出してください。彼はいつも背伸びした冒険を夢見る男の子ですよね。そして、ボス・ベイビーは、赤ん坊の皮を被った中間管理職です。これはそんなふたりのバディー・ムービーとして展開する。つまり、ドリームワークス的なるものをそのまま形にしたような作品なんです。だから、下ネタもバンバン放り込んでくるし、それは子供には絶対にわからんだろうっていう映画パロディーとかプレスリーのネタとか、特に説明もなく入れてくる。そして、そもそもの設定も下手すると振り落とされる人が出てくるくらいにぶっ飛んでます。あらすじで書いてるサイトもあるくらいなんで、ここまではいいだろうっていう設定部分を補足しますね。
 
天上界には、この世に生まれてくる赤ちゃんは家族向きか経営向きかで分別され、経営向きとされたベイビーたちはそのまま天上界に残り、ベイビー株式会社で赤ん坊の管理が任される。ところが、最近はどうも赤ちゃんよりもワンちゃんの方が人気があるようで、このままでは赤ちゃんが減ってしまう。何とかしなければ。しかも、地上のワンワン株式会社は人間誰しも夢中になってしまうような愛らしくてたまらない犬の新商品を発売するらしく、ボス・ベイビーはその情報を事前に仕入れるための産業スパイとして送り込まれてきた… なんじゃ、その飲み込みにくい設定は!

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ビジネスマンでゴリゴリの合理主義者たるボス・ベイビーは、愛情なんてものに興味はなく、考えているのは出世です。なんなら社畜です。僕も含め、映画館へ行っている人は、赤ん坊なのにスーツという外見のギャップに興味を惹かれているわけで、そのバリエーションとして、赤ん坊なのに社畜っていう内面のギャップでも楽しませてくれる。でもね、その一点張りのゴリ押しかとも観ながら思ってしまったのも事実です。やっぱり設定が突飛すぎるよって思ったし、その割に、お母さんの妊娠の件はどうなってるのかなとか、説明不足が気になって途中で興味がそがれそうにもなっていたんです。だいたい、画作りにしたって、今動員を争っている『リメンバー・ミー』と比べたらかなわないっていうか、同じ土俵ですらない気もします。
 
ところが、ですよ! まさかの逆転満塁ホームランに、油断していた僕の涙腺は久々に決壊しましたね。これはさすがに口が裂けても言えないけど、終盤でそれまでの物語を大きく括弧でくくるような展開が不意にやって来るんです。そこで明らかになるのは、この作品が実はワーク・ライフ・バランスと兄弟を持つ喜びを大真面目にテーマにしたものだということ。実際に兄がいる監督は、「50年分の僕から兄へのラブレター」だと、この作品に個人的な想いを込めたことを明かしてもいるんですね。
 
さんざっぱら、兄弟なんていない方がいいとばかりの流れからのっていう脚本の構成に参ってしまいました。と同時に、これは大人向けだと確信しました。連れてった子供には、表面的なギャップの部分で通り一遍に笑わせておいてください。で、大人はその笑いの後に、本気でジンと来てください。
 
技術的、そして多少の脚本のアラは置いておいて… 愛情は相対的なものではないということ、そして他者を受け入れることで未知の扉が開くこと、さらにはワーク・ライフ・バランスの問題も含め、アメリカもそうですけど、今の日本でも絶対に観られるべきテーマを扱った作品だという意味で、結果的に、僕は強くオススメしたい1本となりました。僕は一人っ子で、何度か兄弟がほしいと思ったことはあるけど、この映画を観て、やっぱりいいもんだなって思えました。

これまで5年間、毎週金曜午後にお送りしてきたFM802 Ciao! MUSICA。枠組みを多少変えながらも、ずっと続けてきた3分間の映画短評におつきあいいただき、ありがとうございました。

 

僕が担当する新番組FM802 Ciao Amici!(月ー木、17ー19時)でも、この短評は継続します。皆さんのおかげです。これからは毎週木曜日17時台、109シネマズDolce Vitaとしてリニューアルはしますが、システムは基本的に同じ。「映画の女神様からのお告げ」も続きますよ。初回4月5日(木)に扱うのは、『ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル』。まだ先行上映中ということで、少し観るチャンスを選ばせる格好で申し訳ないですが、鑑賞したら、新しくなったハッシュタグ #まちゃお802を付けてのTweetをよろしく!

 
 

『リメンバー・ミー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月23日放送分
『リメンバー・ミー』短評のDJ's カット版です。

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メキシコの田舎町で代々続く靴職人の大家族と暮らす12歳の少年、ミゲル。ミュージシャンになることを夢見る彼には、大きな悩みがあった。それは、ひいひいおばあさんの代から、この家では音楽を聴くのも演奏するのも厳しく禁じられていること。先祖を偲ぶ祭日である死者の日、コンテストにこっそり出場しようとしたミゲルは、尊敬する音楽家ロドリゲスの霊廟に忍び込み、飾られたギターを拝借して弾いた途端、死者の国へとワープしてしまう。元の世界に戻るには時間の制限があることを知ったミゲルは、家族に再開するため、そして夢を追うために、偶然知り合った陽気な骸骨ヘクターに助けを求める。

トイ・ストーリー3 (字幕版) アナと雪の女王 (字幕版)

ディズニー・ピクサーの最新作で、監督は『トイ・ストーリー3』のリー・アンクリッチ。原題は”Coco”なんですが、邦題の由来となったテーマソング『リメンバー・ミー』は、今回短編同時上映された「アナ雪」の名曲”Let It Go”を書いたロペス夫妻が作詞・作曲を担当しています。
 
第90回アカデミー賞では、長編アニメーション賞と主題歌賞の2部門を獲得し、興行的にも大成功を収めているこの作品。
 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

まぁ、よくできてます。この春休み、たとえば家族で、あるいは恋人同士で、何か映画を1本観に行くということであれば、『リメンバー・ミー』という選択はまず間違いないです。テーマ設定の裏側をわかった風に読み解くとするなら、昨年の「モアナ」もそうでしたけど、もはや決して無視できないレベルでアメリカの人種を構成しているマイノリティーの文化にスポットを当てつつ、そしてもちろんしっかりリサーチしてリスペクトしつつ、それでもなお、宗教や価値観の違いを越えて誰しもが共感できる物語に仕立て上げる。その能力たるや、もうディズニー・ピクサーの右に出るスタジオは現状ないでしょう。
 
予算も潤沢にあるし、技術も世界トップレベルなので、これだけ引きの画が多くても、その背景までの微細な描き込みたるや唖然とします。だいたい、死者の世界の登場人物はみんな骸骨だってのに、あれだけキャラが描き分けられるってのは感服しますよ。

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モチーフにしているメキシコの死者の日は、このコーナーで扱ったもので言えば『007スペクター』のオープニング長回しでも利用していました。あちらは映画全体を支配する死のイメージを頭から印象づけようとしていたと思いますが、こちらには不気味さも厳かさも無くて、むしろラテンそのものな印象の多彩な色味とご機嫌な音楽に溢れています。これはどちらが間違っているということではなくて、どう切り取るかという問題なので、僕としてはどちらも面白かったです。メインの舞台となる死者の世界も、ああいう感じなら死んでも悪くないって思えるしね。ギャグセンスも一流でした。
 
そして、表面的なご機嫌さ、つまり、生者と死者の世界が実はそう遠くないものであって、精神的な交流は可能なのだという、日本で言えばお盆、つまり死者が戻ってくるという観念の裏にあるド級の切なさに踏み込んだのも評価に値するでしょう。冷酷な話だけど、生者に思い出してもらえない死者は、帰る意味があるのかということですね。死んでもしばらくは誰かに覚えていてもらえる。けれど、生者の誰からも思い出してもらえなくなった時、人は2度目の死を迎える。それこそ、本当の意味での消滅なんだと。
 
僕も基本的には同意できるんですが、家族の絆というテーマを重視しすぎているとも思いました。だって、前半のミゲルがまさにそうですけど、家族っていうのは押し付けがわりと当たり前のように許される牢獄でもあるわけですからね。血縁を越えた絆の価値を描くのが進歩的であるというトレンドの中で、実はかなり保守的な映画でもあるなというのが僕の見立てであり、不満な点でもあります。
 
だって、ミゲルはロドリゲスのある種「お導き」によって死者の国へ行き、そこでの大冒険を経てあのラストへと向かうわけですけど、もしこうしたことも無かったら… あの家族、かなりキツくないですか?
 
ただ、世界中どんな人間にも先祖がいるわけで、自分のアイデンティティを考える時にそこは避けては通れないわけです。折しも日本は彼岸の時期。自分という存在と家族について、つまりは人生の意味を考えるきっかけとして、この映画は万人に開かれた良作だと言って差し支えないでしょう。

さ〜て、次回、3月30日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ボス・ベイビー』。これ気になってたんだよなぁ。アニメ続きですが、ユニバーサル・スタジオxドリームワークスということで、このタッグはどうなのか。見届けましょう。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

映画『去年の冬、きみと別れ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年3月16日放送分
『去年の冬、きみと別れ』短評のDJ's カット版です。

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婚約者との結婚を間近に控えた新進気鋭のルポライター耶雲恭介。彼は盲目の女性が死亡した不可解な焼死事件と、容疑者の写真家・木原坂雄大について調べ始め、その記事の出版企画を有名出版社に持ち込みます。しかし真相を追ううちに、耶雲は木原坂や担当編集者を巻き込みながら、抜け出せない深みに飲み込まれていく。

去年の冬、きみと別れ (幻冬舎文庫) グラスホッパー スタンダード・エディション [DVD]

 原作は映画化が相次ぐ中村文則。監督は『グラスホッパー』の瀧本智行。脚本は、ドラマ「金田一少年の事件簿シリーズ」や『無限の住人』の大石哲也が担当。ルポライター耶雲を三代目J Soul Brothersの岩田剛典、写真家の木原坂を斎藤工が演じる他、耶雲の婚約者百合子には山本美月、編集者には北村一輝が扮しています。そして、RHYMESTERMummy-Dさんも出演しておりますよ〜。Dさ〜ん!!

 
それでは、3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!
 
誰が言ったか知らないが、中村文則の「叙述トリックを駆使した原作は映画化不可能」ということだったようです。言い換えれば、小説ならではの方法で読者をミスリード、騙していたわけだから、そのまんまなぞるように映像に置き換えられないということですね。僕が想像するに、瀧本監督の方針はこうです。「だったら、映画ならではの方法で観客を騙せばいいじゃないか。そして、原作ファンも驚かせてしまおう」。この野心込みの方針を、そこそこ高いレベルで達成できていると僕は思いました。
 
盲目の女性が点字で手紙を書き、炎に包まれる。極寒の海辺。断片的な映像が続くプロローグがあって、本編へと入っていくわけですが、そこで誰もが「あれ?」となるのは、いきなり「第二章」と画面に提示されることです。そして、「第三章」がやって来る。おいおい、じゃあ「第一章」はいつ出てくるっていうんだい。そんな疑問と戸惑いを僕らに一瞬感じさせつつも、それぞれのパートから目が離せないまま進んでいるので、基本的にはこの構成についての謎についてはずっと忘れてます。忘れさせられてます。
 
補足すると、この第○章というチャプター分けは、映画そのもののチャプターだと、僕らは思っているわけですよ。そこでもう…っていうね。映画そのものの構成は、単純化してざっくり分けると、前半と後半です。ガラッと様相が変わってしまう。僕はすっかり騙されました。思ってたのと違う時間の流れ方してるやないか〜!
 
なおかつ、原作では1人称の「僕」が語り手なんですが、映画が1人称のナレーションで進むわけでは必ずしもないため、そしてある決定的な改変があるため、原作読者も、一から十までということはないにせよ、それなりに騙されるはずです。お見事な脚色だと言っていいでしょう。
 
資産家の親子が登場し、家族内での愛憎劇があり、それが人格形成に大きく影響するという筋立てと、廃墟化した郊外の団地、高級マンションといった舞台は、同じ中村文則原作の『愛と仮面のルール』でも観たばかりなだけに、どうしても比較してしまう両者。瀧本監督にはっきり軍配が上がります。
 
振り返って僕が良いなと思ったのは、視線の演出です。誰が誰のことをどんな眼で見ているのか。それはカメラも含めてです。あの場面が実はこうだったのかと、物語的視点の変化がもたらす印象の変化が肝の作品なので、視線にこだわるのは必然だし、とても映画的です。岩田剛典は初めて映画でメガネをかけているんだそうですが、斎藤工も時にサングラスをかけてみたり。これから鑑賞する人は、そこに注目すると面白いと思いますよ。
 
といっても、すべて感心しっぱなしというわけではなく、狂気の見せ方はわりと紋切り型だなとか、結婚を控えている耶雲と百合子の描写に今思えば不自然なところがあるなとか、気になった点もいくつかありました。大きいのはこれです。トリックとしては見事な部類に入るけれど、そこに執着するあまり、登場人物たちの心の闇をえぐり切れていないのと、小説からの改変により、よりやりきれないラストになっている気が僕はしてます。「これって、お前がそもそも理性を保っていれば…」みたいなことを考えると、まあやりきれないんです。
 
いずれにせよ、役者陣もみんな好演してますし、アイドル映画的な魅力も十分。僕も山本美月に夢中でした。そして、サスペンスとしてのクオリティーは、一般的な邦画の水準を越えていることは保証できます。瀧本監督のみなぎる心意気を感じる、小説映画化のひとつのお手本とも言える作品だと言えるでしょう。

さ〜て、次回、3月23日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『リメンバー・ミー』。僕、実はアメリカ行きの飛行機の中で先に観てしまったんですが、やっぱり大スクリーンがいい! もう一度行ってきます。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!