京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『カメラを止めるな!』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月30日放送分
映画『カメラを止めるな!』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180830182501p:plain

日本映画界随一のシンデレラ・ストーリーと言われるくらいに、この映画そのものの行方が、誰も予想できない展開を見せました。ENBUゼミナールという映画と演劇の学校が製作する「シネマプロジェクト」第7弾としてできあがったもので、公開当初はその専門学校が配給をしていたので、当初かかっていたのはたった2館。それが現在ではアスミック・エースと手を組み、これからの予定を含めて200館を超える規模に上映拡大。インディーズのゾンビ映画が劇場でパンデミックを起こした格好で、その波は109シネマズにも及び、ついにこのコーナーでも扱うこととなりました。実は、世界で最も初期に評価した映画祭が、今年で20回目を迎えたイタリアのウディネという街の極東映画祭だったことも、イタリア出身の僕としては付け加えておきます。見る目あるぜ!
 
監督・脚本・編集はこれが劇場長編作初メガホンとなる、滋賀県長浜市出身の上田慎一郎、34歳。叩き上げでここまでやって来た人物です。
 
さて、いつもならここでざっとあらすじを僕なりにまとめて、それから短評をスタートするのですが、今日はここでひとつ注意とお願いです。既に観ている方はいいとして、観ていない方にお伝えします。これがネタバレ厳禁の映画だという噂は耳にしていると思います。もう観に行くことは決めていて、事前の知識はゼロにしておきたいという場合。これね、放送自体は止められないんですよ。なので、あなたがラジオを止めるか、ボリュームを下げるか、すみませんがしていただけますかね。10分もすればもう大丈夫ですんで。そして、そうは言っても短評を聞きたいという方、一応今回のネタバレのリミットは公式のポスター(↓)と、たぶんそこまで触れないけど、予告編までとさせてください。

f:id:djmasao:20180830182910j:plain

とある自主映画のクルーが、山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影を進めていました。「もっと恐怖に怯えた表情を出せ」と主演女優の演技に納得がいかず、あるショットになかなかOKテイクを出さない監督。テイクは既に42を数えていました。一度気分を入れ替えるべきだと休憩時間に入った彼らのもとに、本物のゾンビが襲いかかります。現場は混乱。動揺する役者とスタッフ。ひとり嬉々としてカメラを回す監督。こうした様子が、37分に及ぶワンシーン・ワンカット長回しで描かれるノンストップ・ゾンビサバイバル…… キャッチコピーは「この映画は二度はじまる」です。
 
それでは、映画の女神様からのお告げaka挑戦状、できれば今すぐ現場を離れたい、家に帰りたいけれど、「生放送を止めるな!」のスピリットで臨む、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!
 
 
客観的なデータをまず出しましょう。上映時間は、96分なんです。で、頭から、さっき言った37分の長回しがあるわけですよ。計算が合わないですよね。残り1時間は何があるんだと。120年を超える映画の歴史の中で、長回しに挑戦する作品はいくつもありました。ただ、この作品に関しては長回しそのもの、つまり最初の37分それ自体が売りではないんです。観客の多くが感心して舌を巻いてしまうのは、言わば2カット目から。そこで、キャッチコピーの「この映画は二度はじまる」なんですが、僕はもうちょっと細かく分けると、数え方によるけど、三度、いや、四度はじまると見ています。僕の勘定での「二度目のはじまり」はね、言っていいと思う。だって、上映開始早々だから。
 
血まみれの若い男女。男性はどうやら既にゾンビ化していて、恋人だったのだろう女性に襲いかからんとしている。やめて。叫ぶ彼女。斧を持ってはいても、いくらゾンビ化したとは言え、恋人を斬り捨てるなんて… いきなりゾンビものでよくある展開ですよ。そこに「カット」がかかって、カメラを振ると、そこに監督の姿。これが二度目のはじまり。ここでまずフィクションとリアリティの線引きが曖昧になる。別の言い方をすれば、ゾンビものというジャンルに、バックステージものというジャンルが掛け合わされるわけです。普段なら観客は観ることのできない、隠された文字通り舞台裏を見せるジャンルです。
 
だけども、普通ならそこでカメラはカット割りされて、一般的な映画編集法になるはずなのに、不思議なことに、カメラは止まらないんです。あろうことか、途中で監督が別のカメラを回してる姿が写り込んだりもする。おやおやおや? これ、なんだ? ドキュメンタリーをフィクションでやるモキュメンタリー的な雰囲気が出てるぞ。となると、僕らが観ているこの映像を撮っているカメラは誰の目線なんだ? こうした違和感もろとも、とにかく37分間、確かにカメラは回りっぱなしなんです。

f:id:djmasao:20180830203357j:plain

で、僕の勘定での三度目のはじまりで、なるほどそういうことかと映画全体の構造が明らかになってくる。視点がひとつだったものが、ふたつ、みっつ、それ以上へとだんだん視点が増えるんです。要はより映画っぽくなるんです。そこからコメディーと群像劇の醍醐味が加わって本当の面白さが始まるんだけど、よく聞かれるのは伏線回収の見事さです。確かにすごい。でもね、その脚本力とワークショップを経たアテ書き前提のキャスティングの妙ってところに僕は異論は挟まないけど、伏線回収をウリにしてるだけの映画とはまったく違うレベルに到達してるってところが肝なんですよ。脚本のパズルがうまいだけの鼻につく伏線回収ものと違って、この映画が本当に目指していたテーマを補強する材料として伏線が機能しているのが良いんです。
 
では、そのテーマとは何か? 知恵と工夫で力を合わせて乗り越えていく集団作業の喜びでしょう。水面を優雅に進む水鳥が、水面下では足をばたつかせている。その騒ぎを見せないのがプロであるなんて言われますけど、「カメラを止めるな」と言うのは「ショー・マスト・ゴー・オン」です。こうしたラジオだってそう。バックグラウンドの違う人たちが、それぞれの事情とやる気とコンディションで、とにかくやらないといけない。何のためにやってんだ、これは。でも、好きだからじゃないのか。誰かに何かを見せるためにやってるんじゃないのか。そんなテーマがモチーフだけじゃなく手法とも一致しているのが本当にすごいんです。
 
なんて話をすると、華やかな世界の内幕に限った話って思われるかもしれないけど、そうじゃない。文化祭を止めるな! インターハイを止めるな! プレゼンを止めるな! 盆踊りを止めるな! などなど、きっとあなたにとっての「カメラを止めるな!」体験がある。だから、みんな笑って涙するんです。これは、ものすごく小さな映像作品をモチーフにした専門的な話でありながら、ものすごく広い範囲の人が「わかる」と共感できる普遍的な映画です。共同でひとつの映像を観る映画館という装置がよく似合う傑作です。

この主題歌の『Keep Rolling』がまた歌詞もリンクして良かったですねと、オンエアしました。そして、短評を用意し終えてふと思い出したのが、チャップリンの有名な言葉。

 

「人生はクローズアップ(近く)で見れば悲劇。ロングショット(遠く)で見れば喜劇」
 
この言葉を地で行く作品だなと思ったりもしましたが、さて「カメ止め」のパンデミックならぬ「ポン」デミックはこれからも続きそうですね。上田監督の次回作も楽しみにしましょう。

さ〜て、次回、9月6日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『マンマ・ミーア! ヒア・ウィー・ゴー』です。僕の回りでも評判が高いんですが、さて僕はこのノリについていけるのだろうか… 鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

映画『ペンギン・ハイウェイ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月23日放送分
映画『ペンギン・ハイウェイ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180823175939p:plain

毎日必ず何かを学び、その成果をノートに記録している勉強家の小学4年生アオヤマ君。彼にとって何よりも興味深いのは、通っている歯医者のお姉さん。チェス仲間でもあるお姉さんをめぐる研究も、日々欠かさず真面目に続けていました。そしてお姉さんも、小生意気で大人びたアオヤマ君をかわいがっていました。ある日、彼らの暮らす街に突然ペンギンが現れる。海もない郊外のニュータウンに、なぜペンギンが? アオヤマ君はその謎を解くべく研究を始めたところ、お姉さんが投げ捨てたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃します。ポカンとするアオヤマ君に、お姉さんは笑顔でこう言います。「この謎を解いてごらん。どうだ、君にはできるか?」。少年たちの一夏の冒険と成長を描くファンタジーです。

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

原作は人気作家、森見登美彦が2010年に出した同名小説で、その年の日本SF大賞を獲得しています。脚本は、森見作品の映像化に何度も関わってきたヨーロッパ企画上田誠。そして、監督は京都精華大学マンガ学部で学んだ石田祐康(ひろやす)。3人の共通点は、大学時代を京都で過ごして創作活動を始めたということですね。ただ、石田監督はまだ30歳。これが長編初監督となります。所属するスタジオ・コロリドには、ジブリ出身の新井陽次郎もいて、彼は今回はキャラクターデザインを担当しています。
 
アオヤマ君の声を演じるのは、若手女優の北香那。他に、お姉さんを蒼井優、アオヤマ君のお父さんを西島秀俊、アオヤマ君のクラスメイトで聡明な女の子ハマモトさんを声優の潘(はん)めぐみが、それぞれ声をあてています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

結論を先に言います。原作の文学的な魅力を映画的なものへと見事に変身させた、たいへん優れたアニメ映画です。
 
今週月曜日、フジテレビプロデューサーの松尾さんに話をうかがいましたが、彼は石田監督を世に送り出す使命感に燃えていたのが僕の印象に残ったのですが、成功の要因は脚本を上田誠さんに依頼したことです。監督も大学時代に森見作品を読み漁ったクチだからこそ、原作の膨大な情報量を前に映像化の難しさを感じていたそうです。夏目漱石坊っちゃん』に通じる語彙を駆使した知的なユーモアとバカバカしい跳躍力、そしてこの作品であれば「人は何のために生きているのか」という哲学的な命題とあどけなさと切なさと。ハードカバーで350ページ分の魅力を2時間に凝縮するのは至難の業です。そこで、製作陣は上田誠という森見作品の代弁者であり映像翻訳者でもある実力者に参加してもらうことで、監督の負担と作品の質を担保したわけです。上田さんは石田監督の意見や要望をきっちり取り入れながら、見事な脚本に仕立てました。
 
何が見事って、原作の日記形式を解体して、モノローグ中心、つまり言葉中心の語りから、アオヤマ君の瞳というレンズを通した視覚的な、つまり映像的な語りへと変身させたことです。実際、アオヤマ君の眼というのは、僕らが一目見ただけで、聡明さとあどけなさが同居する様子がわかる見事な造形になっています。実は森見さんは最初に提出されたアオヤマ君のデザインを見た段階では映像化を断っているんです。それだけに、アオヤマ君の表情、いや、眼差しはこの映画の肝なんですね。こうした文字から映像への翻訳と同時に、テーマをくっきりさせてあります。お姉さんへの恋心を経糸に、そしてクラスメイトたちとの友情やハマモトさんとの三角関係を緯糸にして物語を編み直してあるんですね。

f:id:djmasao:20180823182259j:plain

でも、原作を読めばわかる通り、アオヤマ君の研究記録はとても大事な要素なんです。そこは、できれば活かしたい。僕が感心したのは、監督がアオヤマ君のノート、そのマス目ひとつひとつを彼にとっての世界を測る尺度だと捉えたことです。『四畳半神話大系』の腐れ大学生にとっての世界の尺度が四畳半だったように、アオヤマ君にとってのそれは、ノートのマス目なんだと。だから、彼がそこに書く文字の筆跡とサイズを緻密に描きこんだ。アニメ表現としてのハードルの高さはとんでもないけれど、きっちり乗り越えてます。ソフト化されたら、僕はノートが出てくるところ、ストップして観察したいくらいです。本当に細かい。主人公が分析できている事象は、マス目に文字が入るんだけど、そうでないものはマス目に収まらなかったりする。つまり、まだ謎なものですね。その象徴が、お姉さんへの自分の想いです。だって、おっぱいに心惹かれてはいるものの、まだ恋心が何なのか、わかっていないわけだから。
 
絵は全体的にツルリとした質感で、ハイトーンな明るさが印象的でした。リアリズムというよりは、匿名的でどこか浮世離れした画作りで、それも物語性とマッチしています。そして、何より大事なのは、ペンギンの造形、もっと言えば変身シーンですね。これがもうアニメ的快楽に満ちていて、楽しかった! 

f:id:djmasao:20180823183346j:plain

さらには、クライマックスのペンギン・パレードの圧巻さときたら! 原作では当たり前ですがすべて文字で表現されていたところ、その独特な筆致のニュアンスを壊すことなく、あくまで動きに置き換えて映画的なダイナミズムへとスルリと変身させたその技に僕はブラボーと言いたいです。森見的表現を使うなら「なんじゃこりゃあ」という驚き。
 
そして、エピローグでの切なくも人が成長することの意味を教えてくれる余韻まで含め、些細なところや声の好みなどは別として、大きな問題点をひとつも見つけることができませんでした。
 
与えられた課題をこなすことだけで人は成長するのではないわけです。世界を観察して謎=ワンダーをそこに見出し、それが一体何なのかと自分なりに分析して解明していくこと。もし解明できずとも、へこたれることなく、その割り切れないものにまた魅了されては違う角度から観察し直してみること。謎の解明は、時に切なくも悲しくもあること。僕はアオヤマ君に生きる楽しさをまた教えてもらいました。
 
まさか10歳の男の子の物語から人生の歓びを教えてもらうとは! なんて野村雅夫39歳の夏です。

 宇多田ヒカルの『Good Night』は、彼女のディスコグラフィーの中でもかなり言葉数が少なく、選びに選んだ(だろう)両義的な言葉で切々とアオヤマ君の未来が続いていく様子を予感させる主題歌でした。

 

 さ〜て、次回、8月30日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『カメラを止めるな!』です。ついに来てしまいました… 各地で絶賛の声が相次ぎ、上映館が拡大する中、その波が当番組にも到来。お告げが下ったそばから、アミーチたちの「あれをネタバレ無しに短評するのは無理だろ」の声が多数押し寄せてきました。不安しかないのが正直なところではあるけれど、「放送は止めない! オンエアは続ける!」。はぁ… とのかく、既に観たあなたも、まだという方も鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

 

『オーシャンズ8』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月16日放送分
映画『オーシャンズ8』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180816183319j:plain

スティーヴン・ソダーバーグが監督を務め、主人公ダニー・オーシャン役のジョージ・クルーニーを筆頭に、豪華キャストが集って人気を博したクライム・アクション「オーシャンズ」シリーズ。11、12、13と3本作られましたが、今回は女性キャストのみで犯罪者集団を構成してのスピンオフであり、リブートであり、時系列上は続編でもあります。
 
刑務所に収容されて5年。模範囚としてようやく仮出所を勝ち取ったのは、あのダニー・オーシャンの妹デビー・オーシャン。彼女は収監中に練りに練った犯罪計画を実行に移すべく、かつての相棒ルーと共に仲間をハントします。そうして集まったハッカー、スリ師、盗品ディーラー、ファッションデザイナー、ジュエリーの職人と共に新生オーシャンズを結成。そのターゲットは、ニューヨーク・メトロポリタン美術館で開催される世界最大のファッションの祭典メット・ガラで、ハリウッドのトップスター女優が身につける1億5000万ドルのネックレス。彼女たちは厳重極まりない警備体制を突破できるのか。
今回ソダーバーグは製作に周り、『ハンガー・ゲーム』のゲイリー・ロスが脚本を書き、メガホンも取りました。そして、オーシャンズと言えば、キャストが大事なわけですが… 今回もすごい。デビー・オーシャンをサンドラ・ブロック。その右腕ルーをケイト・ブランシェット。ターゲットとなるハリウッド女優のダフネをアン・ハサウェイハッカーナインボールをリアーナ。ファッション・デザイナーのローズを、ヘレナ・ボナム=カーターがそれぞれ演じています。
 
今回の日本統一ポスターのキャッチコピーは「ターゲットも、ダマしも、史上最強。目撃者は、全世界」なんですが、大阪メトロの駅構内で僕が見かけたポスターは「大阪の夏は、ターゲットも、ダマしも、バリ最強のウチらが盗むで!」だったことも、特に意味はないですが付け加えておきます。
 
それでは、タイムリミット3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

オーシャンズはジャンルで言えば犯罪アクションなんですが、もう少し細かく言うと、英語で「組織強盗」を意味する「ケイパーもの(caper film)」というサブジャンルに当てはまります。視点が警察や探偵ではなく犯罪者の側にあって、主人公は計画を練り、資金と仲間を集め、ターゲットを強奪する。それが成功するのか失敗するのか、サスペンス要素も入って手に汗握るというのが、このジャンルの特徴です。
 
加えて「オーシャンズ」シリーズの場合は、アクションの派手な要素である銃撃やカーチェイスなどを売りにせず、むしろ計画の緻密さ、何かトラブルがあってもそれらを構成員ひとりひとりの特殊能力とチームワークで乗り越えていく頭脳戦で楽しませるという特徴がありました。
 
3本撮られていたこのシリーズは、主要キャストのバーニー・マックが2008年に亡くなり、ソダーバーグ監督は「オーシャンズ14」は作らないと宣言していましたが、結果として、「数字を減らしてしまえばいいじゃないか」という裏技を使って11年ぶりに復活しました。
 
時系列的には続編とはいえ、キャストもキャラクターも一新したリブートですから、ダニー・オーシャンを兄に持つデビー・オーシャンがいかにデキる女かということをまず見せないと始まりません。その点で、模範囚のフリをしたこと、出所して早々の華麗な化粧品の窃盗と高級ホテルにタダで宿泊するくだりをうまく見せた時点で、今回のゲイリー・ロス監督は見事に狼煙を上げたと言えます。

f:id:djmasao:20180816192144j:plain

その後も、才能あふれるキャラクターたちがいかに冴えない日々を過ごしているのか(これはケイト・ブランシェット演じるルーがウォッカを水で薄めて客に出して日銭を稼いでいるという設定に象徴されます。みみっちいなぁっていう)を見せて、そんな彼女たちをうまく乗せて、女性たちならではの能力(腕力ではない)を最大限に活かした計画を実行させ、それぞれのちょっとした後日譚まで用意するという、ケイパーものというジャンルとオーシャンズシリーズの醍醐味をどちらも兼ね備えた作品に仕立てた手腕は見事でした。
 
「痛快ではあるが、ガッツポーズしたくなるようなカタルシスには欠ける」とか、「もっとトラブルや葛藤があっても良かったのでは」とかいった意見が出てくるのはよくわかるんですが、これをあくまでリブートの1作目だとするなら、僕はこれくらいのバランスがちょうど良い加減だと思います。確かに、物語終盤の「ひねり」として機能する、オーシャンズ「7」ではなく「8」の意味がわかるところはある程度予想がつくけれど、僕は「意外性」に重きを置かずして観たので、がっかりなんてまるでしませんでした。
 
今作の肝は、あの宝石すら敵わないような華麗さにあるんです。それはキャストが身につけるお色直しいっぱいの装いしかり。構想5年というデビー・オーシャンの奇想天外なアイデアしかり。そして、この時代にフィットする要素ですが、人種的多様性を意識したキャスティングの女性たちがほぼ自力でデカイことを成し遂げるという設定しかり。だから、裏切りやら不測の事態で彼女たちが窮地に陥ったりするのは、次作以降のお楽しみなんですよ。
 
敢えて言うなら、その手で見せるかっていう、映画的な仕掛けももう少しあるとベストでしたが、それは贅沢というものかもしれません。
 
結論としては、新シリーズのお膳立てとして、船出として、次なる「オーシャンズ9」を観たくなるフリとして、申し分ない1本だと言えます。ま、次作の製作はまだ発表されていないわけですけど、観たいんですよ、ぼかぁ!

もともとこのシリーズはリメイクなんですね。1960年にフランク・シナトラがリアルな自分の仲間たちと一緒に出演した『オーシャンと十一人の仲間』がオリジナルでした。今回はそのシナトラの娘ナンシー・シナトラが歌う『にくい貴方』(These Boots are Made For Walkin’)が「ここ!」っていう場所で使われていますが、それこそ「にくい演出」で、女性にバトンパスして新シリーズはスタートさせてもらいますよっていうことがサントラでも表明されている格好です。

さ〜て、次回、8月23日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ペンギン・ハイウェイ』です。僕もファンの作家森見登美彦原作がまた映画になりました。湯浅政明監督で鳴り物入りだった『夜は短し歩けよ乙女』とは対称的に、こちらはこれが長編初監督の石田祐康。さて、出来栄えは。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月9日放送分

f:id:djmasao:20180809200705j:plain

60年代半ばから70年代前半にかけて、日本でも放送された人気テレビドラマシリーズ『スパイ大作戦』を映画化したもので、CIAのスパイ組織、Impossible Mission Force(IMF)に所属するエージェント、イーサン・ハントの活躍を描くシリーズ第6作。

スパイ大作戦 シーズン1<トク選BOX> [DVD]

盗まれた3つのプルトニウムを回収するミッションの途中で、何者かに強奪されてしまったイーサンたちIMFチーム。世界の3つの都市を標的とした同時核爆発テロを未然に防げとの新たなミッションを命じられます。どうやら、秘密組織シンジケートの残党が結成したアポストルというグループが関与しているらしいものの、手がかりはジョン・ラークという男の名前のみ。まずは、そのラークが接触するという謎の女ホワイト・ウィドウに、ラークになりすまして近づこうとするイーサンたちですが、CIAがイーサンの動きに不信感を抱き、監視役として敏腕エージェントのウォーカーを送り込みます。常に疑いの目を向けられながら任務を遂行するイーサン。核爆発までの猶予は72時間。この危機を乗り越えることはできるのか。

ミッション:インポッシブル [DVD] M:I-2 (字幕版) M:i:III (字幕版)

ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル [DVD] ミッション:インポッシブル/ ローグネイション (字幕版) 

主役の我らがトム・クルーズは、このシリーズを通して製作も手がけております。監督はこれまで、ブライアン・デ・パルマジョン・ウー、J.J.エイブラムス、ブラッド・バードクリストファー・マッカリーと1作ごとに交代してきましたが、今回は初めてマッカリーが続投となりました。『ユージュアル・サスペクツ』の脚本家で、他にもトムの出演作『オール・ユー・ニード・イズ・キル』『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』、そして監督としては、同じくトムと組んだ『アウトロー』など、とにかく最近はトムの相棒として知られる人です。
 
イーサン・ハントと行動を共にするエージェントでガジェット担当のベンジーサイモン・ペッグ、メカニック担当のルーサーをヴィング・レイムスが演じる他、前作から登場する謎の女としてレベッカ・ファーガソン、そしてイーサンを監視するウォーカーとして『マン・オブ・スティール』要はスーパーマンのヘンリー・カビルが参加しています。
 
それでは、こちらはタイムリミット3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!
 
まずは、トムの常軌を逸したアクションへのこだわりについて言及せざるをえません。今回もスタント無し! もはやジャッキー・チェンも真っ青じゃないでしょうか。
 
fall outという英語表現にはいくつかの意味があるんですが、第一にそのまま「外側へ落ちる」ということ。イーサンがパリ上空、成層圏の高さを飛ぶ飛行機からスカイダイビングして最短距離で謎の女ウィドウに会いに行くところ。しかも、途中で失神した監視役のウォーカーを救出するという時速320キロで落下しながらの演技。続いて、パリの街路を逆走しながらの猛スピードでのバイクチェイス。しかも、ノーヘル。そりゃ、サドルから吹っ飛びます。敵を追いかける途中での、ビルからビルへの飛び移り。リアルに足首を骨折。そして、離陸するヘリに飛び乗ってから、ぶら下がっている荷物への落下。そして、ヘリを奪って自ら操縦しつつの渦巻き急降下。もう、開いた口が塞がりません。手に汗握りしめまくりの、口の中カラカラです。
 
今挙げた例は、もちろんダイジェストで、他にも普通なら売りにするようなアクションシーンが、この作品ではそこかしこに点在しています。トムのクレイジーさもさることながら、そのアクションや表情を的確に捉えるカメラワークも超一流。付き合わされるスタッフもたまったもんじゃないですよね。一緒に乗り物に乗ったり飛び降りたり。身体を張るだけでなく、その撮影に耐えうる技術を開発しないといけないわけです。頭が下がります。
 
そうやってチーム一丸となって取り組んだ甲斐あって、映像の迫力と美しさには目を見張ります。特に僕が素晴らしいと思ったのは、動きのスピード感を増す表現として使われる、被写体の前を横切るアイテムの見せ方です。カメラと役者の間を車やら柱やらがビュンビュン通り過ぎることで、役者の動きがよりシャープに見せるよくある手法ではありますが、見たことないハイクオリティに達していました。こうした演出技術もさることながら、ロケハンが絶妙で、あれだけ動きがあるのに、そのままポスターになるっていうような決めの画面がいくつもあるのもまいりました。

f:id:djmasao:20180809200519j:plain

fall outには他の意味もあります。「放射性物質が流出する」。そして「隊列を離れる」。実際にプルトニウムの流出が発端となる物語であり、これまでのシリーズからの流れを考えてみても、組織を誰が離れるのか、離れさせられるのか、そのあたりが物語の分岐点となってきました。
 
脚本家として映画界にやって来たマッカリー監督です。複雑な脚本を書くのが得意な人で、なおかつ古き良き技術や映画への強いリスペクトをトムと共有もしています。冒頭、ミッションが告げられるくだりの小道具や、映像を粗めにざらつかせるセンスにも、シリーズの原点への目配せと、シンプルにトムとマッカリーの趣味が反映されていました。そして、脚本です。世界屈指のエージェントたちが敵を欺いて罠にはめていく痛快さが前作の特徴でもありましたが、今回は騙し合い。IMFが仕掛けた罠には、僕はまんまと騙されました。お見事。ただ、その騙し合いをより複雑にするために、今回は大きく3つの立場がある他、それぞれの中でもまたスタンスが枝分かれしていたりするので、正直わかりにくいところも多々ありました。そこに、タイムリミット・サスペンスもいくつも組み合わせてあるということで、展開が唐突に感じられること、そしてイーサンたちが基本的に場当たり的になってしまう印象は否めないです。
 
「どうする?」
「今考える。どうにかする」
 
ってのが多いんですよね。現場主義は一見かっこいいけど、世界の未来がかかってるんで、そこんとこはもうちょっと事前準備をしてもらっていいですかっていうのはありますね。ま、トムの骨折などいろいろあったために、撮影現場が実際に「今考える。どうにかする」っていう状況だったようなので、それを踏まえると、よくまとめられたよ、とも言いたくはなりますが。

f:id:djmasao:20180809200919j:plain

僕が感じた唯一大きな不満は、復讐だなんだと、個人の因縁・怨念めいたものを敵側の動機として前面に出すことで、シリーズのつながりは出るものの、スケールが小さく感じられるのと、娯楽作としては心理的に鈍重になることです。007のスペクターのように、宿敵ってのは大事ではありますが、なぜこんな面倒な方法でのリベンジでないとダメなのか、そこを見せないと、こちらはポカンとするし、辛気臭くなるかなと思います。
 
ともかく、設定やお話の筋は基本的にはよくあるものです。だからこそ、トムやマッカリーがスタッフが、それぞれにやり過ぎなくらいにサービス精神と工夫を凝らすことで、そんじょそこらのドラマや映画には決して真似できない映像体験を僕らに提供してくれる、先週も似たようなこと言ったけど、この夏大本命の1本ができあがっています。

さ〜て、次回、8月16日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『オーシャンズ8』です。来たよ来たよ〜。我らがオーシャンズが帰ってきたよ〜! これで出来栄えがよかったら、3週連続で「この夏の大本命」って言う羽目になりそうです。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

 
 

『インクレディブル・ファミリー』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年8月2日放送分
映画『インクレディブル・ファミリー』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180802175655j:plain

アカデミー長編アニメ映画賞を獲得した『Mr.インクレディブル』のなんと14年ぶりの続編にして、ピクサー20本目という節目の作品です。キャッチコピーが端的でいいですね。家事、育児、世界の危機!
 
前作から14年も経ってるんで、ある程度独立した話かなと思いきや、前作の3ヶ月後を描いた地続きな続編です。単体としても楽しめますが、前作を復習しておくと、より入りやすいかな。

Mr.インクレディブル (字幕版)

スーパーヒーローたちの実力行使を伴う活動は危険すぎるとして法律で禁じられる中、スーパーパワーを持つボブたち「インクレディブル・ファミリー」は、一般人に紛れて日常生活を送っていました。そこへ、ヒーロー復活を願う巨大通信企業の経営者が登場。今一度、様々なメディアを駆使してヒーロー本来の意義を世間にアピールし、法律改正を目指そうじゃないかとボブたちを説得。ただ、ボブは力が大きすぎるということで、アピールのために白羽の矢が立ったのは、妻のヘレン、イラスティガール。ボブはといえば主夫として家事と育児を担当。わんぱく盛りの息子ダッシュ、思春期で難しい年頃のヴァイオレット、そして底知れない能力を秘める赤ん坊ジャック・ジャックの世話に悪戦苦闘します。
 
監督・脚本は前作に引き続き、ブラッド・バード。音楽も続投で、オスカー受賞映画音楽家マイケル・ジアッチーノが担当。僕は吹き替えで観ましたが、Mr. インクレディブルを三浦友和、イラスティガールを黒木瞳、娘のヴァイオレットを綾瀬はるかが演じています。
 
アメリカではオープニングの興行収入が、アニメ映画では歴代トップの約200億を記録するというロケットスタートとなったうえ、公開から約1ヶ月で、は5億4千万ドルなんで、約550億。5億ドルを越えたアニメは史上初です。日本では昨日公開になったばかりですが、どうなんでしょうかね。僕が観た回はかなり入ってる印象でしたよ。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

前作が、ヒーローものというジャンル自体の風刺をメインにした尖った展開で、「大人も」っていうより「大人こそ」楽しめるアニメとして高く評価されていたのに比べ、今作は特にディズニーの最近のメインテーマである女性の社会進出を前面に押し出して家庭内の描写も増やし、より広い層が楽しめる物語へと射程を広げてあります。
 
ヒーローとして全編に渡って悪と戦うのは、イラスティガール。これまでは主婦として控えめに生きていたヘレンが、よしここは私がヒロインとして出て行ったほうが、長い目で見れば社会と家族のためになるはずだと意を決してひとり出陣するところの強さにはグッと来ました。あのガジェット満載のバイクを乗りこなす様子は血湧き肉躍りました。セクシーで、知的で分別があって、いいぞイラスティガール!

f:id:djmasao:20180802185402j:plain

一方、「能ある鷹は爪を隠す」ってことが大事だと頭では分かりつつ、自己顕示欲と現実の狭間で悶々としているのがMr.インクレディブルです。ていうか、ボブです。彼が今回は家庭内でヒーローになろうとするんだけど、これがまあ大変。先週扱った『未来のミライ』でもこうした描写があったわけですが、腕白、思春期、乳幼児というバリエーションもあって、なおかつ妻への嫉妬も膨らんで、ボブがマジでやつれるんですよね。そこがいい。しかも、イラスティガールの活躍とカットバックで同時進行に見せるのが新鮮。ボブの人間としての成長と、それを見て悟った子どもたちが手に手を取る様子は、素直に家族って良いなと感じさせる効果を生んでいました。
 
一方、途中から能力者たちがわんさか出てきて、マーヴェルみたいになってくるのは楽しいっちゃ楽しいんだけど、正直なところ、もうこういう特殊能力は出尽くした感はありますよね。ただ、それは当然監督も織り込み済みで、サブキャラだってのもあるけど、彼らのかっこよくなさと未熟さを強調することで、これまたヒーロー風刺にしているのは良かったです。

f:id:djmasao:20180802184006p:plain

インクレディブル一家のスーツをデザインしている、あのちっこいエドナ。字幕版では監督自身が声をアテてることからもわかるように、デザインはこの映画の肝になっていて、60年代のスパイものを思わせるキャラクターと全体の画面作りは、今回も絶好調。キッチュとカッコ良さをすっきりした線で絶妙に同居させています。
 
実に良くできた本作ですが、脚本にはっきりとした弱点もあるので、最後に指摘しておきます。全体を覆う、ヒーローは社会に必要か不要かという議論があるんだけど、その結論が玉虫色なんですよ。今回の悪役となるスクリーンスレイバーは、テレビやらパソコンやら、僕らの身の回りのスクリーンをジャックして人々をマインドコントロールするんですが、その主張にはそれなりの妥当性があるんです。なるほど、一般人は自分で考えることをやめて、すべてを人任せ、ヒーロー任せにしてはいないか。それに対しての反論がはっきりとはないんですよ。ヒーローはこれを見ればわかるように特別な訓練を受けているわけでもないし、資格があるわけでもない。精神的にも未熟なところがある。しかも、力をコントロールしきれずに下手すりゃ被害が拡大することもある。やっぱりヒーローなんて要らないよとも思えるでしょ。敵の主張にロジカルに反論できていないから、最後まで見ても、ヒーローの行動がどうも行き当たりばったりな印象になっちゃう。次作があるなら、そのあたりはきっちりしてほしいところです。
 
ただ、やはりディズニー・ピクサーはさすがです。途中ダレたりせずに、一気に見させる群を抜いたクオリティーなのは間違いなし。この夏、幅広い観客を巻き込む大本命の堂々たる登場です。

ちょうど生放送を控えて短評を準備していたその時に、東京医科大学の入試で、女子受験生の点数を一律で減点していたという、開いた口が塞がらない報道に接しました。ディズニーは女性の社会進出を繰り返しテーマにしてるけど、やっぱりまだまだこういう作品は必要だわ! 残念ながら、そう思っちゃったしだいです。

 

で、イラスティガールの活躍を見ていると浮かんできたフレーズを歌うアリアナ・グランデ『God is a woman』をお送りしました。

さ〜て、次回、8月9日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』です。来たよ来たよ〜。我らがトムが帰ってきたよ〜! 今回のイーサン・ハントは落ちて落ちて落ちまくるそうな。4DXも楽しそう。て、考えたらインクレディブルのブラッド・バード監督は「ゴースト・プロトコル」の監督でしたね。いい繋がり。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『未来のミライ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月26日放送分
映画『未来のミライ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180726162233p:plain

横浜近郊を思わせる港湾都市、閑静な高級住宅街に一軒家を構える家族がいます。30代前半から半ばくらいのカップルである建築家の父と、子どもが生まれても仕事はやめず出版社に務める母。そして、4歳の男の子くんちゃんと、オスの犬1匹。そこに、ミライちゃんという女の子が生まれると、家庭内のバランスが変化していきます。両親の愛情を奪われたと感じてダダをこねてばかりのくんちゃんのもとに、ある日、セーラー服を来た自分の妹、つまり未来のミライちゃんなどが姿を現し、くんちゃんは彼らとの交流を通じて少しずつ成長していきます。
 
ポスト・スタジオ・ジブリ時代に入った日本アニメーションの中で将来を嘱望されているスタジオ地図を率いる細田守監督のオリジナル長編。声優陣は、くんちゃんを上白石萌歌、ミライちゃんを黒木華、お父さんを星野源、お母さんを麻生久美子がそれぞれ演じる他、宮崎美子役所広司福山雅治なども参加しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この映画には、作品そのものというより、作品を巡る外側の部分に齟齬・ミスマッチがあって、不幸な目に遭っているなと僕は感じています。中でも最大のものは、予告編から受ける、時空を超えた4歳のくんちゃんと未来のみらいちゃんが手に手を携える大冒険活劇という印象と、実際の内容との決定的な違い。これは、ひとつの小さな家族の、言わばどこにでもある、小さいけれど本人たちにとってはとても大きな変化のプロセスを、劇的にというよりは、丹念に少しずつ見せていく育児ものです。もっと言うと、育児あるあるです。その証拠に、舞台はほぼ家の中だけですからね。基本はミニマル。観客としては、期待していたものと違うものを見せられる格好になるから、「期待外れ」と思ってしまうんです。予告が誇大広告になってしまっているんですね。

サマーウォーズ 期間限定スペシャルプライス版DVD リメンバー・ミー (字幕版)

もうひとつのミスマッチ、こちらの期待との違いを挙げると、今作が細田監督の集大成ではないかという、過度な期待です。確かにそういう側面はあります。『時をかける少女』にあった時間。『おおかみこどもの雨と雪』にあった母と子の関係。『バケモノの子』にあった父(あるいは父的なメンター)と子の関係。『サマーウォーズ』にあった一族の広がりある繋がり。こうした要素がそれぞれ入ってます。さらに、『リメンバー・ミー』や、こちらは実写ですが『ファミリー・ツリー』のような、TV番組だとNHKの『ファミリー・ヒストリー』のような、連綿と続く一族の過去からのつながりの要素も取り入れています。ほら、どうしたって、スケールの大きなものを想像するでしょ? でも、この作品ではあくまでミニマルなんです。それは結局、子育てを体験した細田監督の物語の着想と、最終的な着地が、「子育てって大変だけど愛おしいよね。子どもが生まれると、自分のルーツにも思いを馳せるし、自分がここに今生きているのって不思議だよね」っていう小さな感慨だからなんですよ。
 
さらにもうひとつ。タイトルのミスマッチ。これは「未来のミライ」の話じゃないんだよ! ミライちゃんはそんなに出てこないもの。どっちかっていうと、「くんちゃんの妄想日記」ですよ。どのエピソードも一話完結的な、オムニバスに近い構成で、シーンの切れ目はほとんど黒画面ですからね。テレビで放映するなら、CMも入れやすかろうっていう。
 
ただ、最初に言ったように、僕はこうしたミスマッチが不幸だと感じているんです。映画そのものは興味深かったし、結構楽しんだから。そりゃ、問題も感じてますよ。ジェンダー的に古いだろっていうセリフ回し。結局、不思議体験が何なのか、辻褄が合わない。各エピソードのつながりが有機的に繋がりきってないから求心力がない、などなど。それでも、やっぱり細かい演出や作画の高度さ、空間の作り方は目を見張ります。決して悪くない地味だけど意欲作でもあるんです。これから観る方は、予告とかもう観なくていいから(と書きつつ、上に付けてるけど…)、フラットに鑑賞して、自分の子ども時代を思い出し、叶うならば親と自分の幼少期について話してみてください。

達郎さんの曲は、オープニングもエンディングも、それはそれはすばらしいんですが、やっぱり誰だって『サマーウォーズ』のイメージが強くあるから、これまた「一大スペクタクルなのではないか?」という期待を煽ってしまっていることも否めないと思います。

 

あと、細田守監督は、僕はやはり脚本を、かつてタッグを組んでいた奥寺佐渡子でないとしても、誰かと共作するスタイルに戻した方が良いような気が僕はしています。物語のアイデアとかそういうことよりも、ブラッシュアップのところで、誰か対等な人とやり取りしながら、それこそ『未来のミライ』のお父さんとお母さんのように、「この子がいつの間にかこうなるなんてね」っていうところに作品が到達すると思うんですよね。余計なお世話だろうけど。

さ〜て、次回、8月2日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『インクレディブル・ファミリー』です。こちらは映画の日8月1日(水)公開なんで、かなりタイトなスケジュールにはなりますが、先週に続いての家族もの、子育て要素の強いアニメってことで、並べて観ると面白そう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月19日放送分
映画『ジュラシック・ワールド/炎の王国』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180719183559j:plain

マイケル・クライトンによる原作小説を、スティーヴン・スピルバーグ監督が93年に映画化したご存知『ジュラシック・パーク』。シリーズとして3本作られましたが、2015年、かつての惨劇から22年後を描く『ジュラシック・ワールド』としてリブート的に復活。今回はその新三部作の2本目にあたります。
 
中米コスタリカ沖に浮かぶイスラ・ヌラブル島。多数の死傷者を出した恐竜のテーマパーク「ジュラシック・ワールド」。その崩壊から3年。恐竜たちは島で自由に暮らしていましたが、島の火山活動が活発になったことで絶滅の危機に瀕します。人の手で恐竜を救い出すのか、自然に任せるのか。政府は、ジュラシック・ワールドが民間の運営であることも加味して後者を選択。一方、3年前は施設の責任者だったクレアは、恐竜の保護活動に身を投じていて、政府の決定に落胆。そこへ、かつてのジュラシック・パークの創設者ハモンドの旧友ロックウッドから連絡が入ります。豊富な資金を持つロックウッド財団の今の責任者ミルズから、独自の恐竜保護のアイデアを聞かされたクレアは協力を決め、知性の高いラプトル「ブルー」の育ての親であるオーウェンを誘って、再び島へと向かいます。

ジュラシック・ワールド (字幕版) ジュラシック・パーク(上)

 スピルバーグは前作同様、製作総指揮。前作の監督コリン・トレヴォロウは製作総指揮と脚本です。そして、今回メガホンをとったのは、ギレルモ・デル・トロを師と仰ぐ、スペインのフアン・アントニオ・バヨナ、43歳。またしても、若手をフックアップした形です。オーウェン役のクリス・プラット、クレア役のブライス・ダラス・ハワードは、もちろん続投しています。

 
恐竜たちですが、もちろんCGもたくさん使ってはいるものの、今回はアニマトロニクスと呼ばれる技術で、セットには実物のロボットがいる状態で撮影されています。これは、シリーズ1作目に立ち返る手法です。
 
それでは、劇場で何度か驚きすぎて反射的に身体をビクッと動かしてしまった、普通に怖いもの苦手なマチャオによる3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

この作品は、誰の目にも明らかなくらいに、前半と後半の2幕にはっきりと分かれています。ヌラブル島を舞台に、迫りくる噴火と溶岩の危機から逃れるべく、ノアの方舟よろしく恐竜救出を目指すのが前半。バヨナ監督の過去作には、スマトラ沖地震とその後の津波による被害の中を生き延びる親子を描いた『インポッシブル』という佳作がありましたが、この前半はディザスター・ムービーの演出をベースにしたアクションが続きます。
 
そして、ゴシック建築の館を舞台に、恐竜救出を巡る人間の欲深い思惑が浮かび上がる中、閉所での恐竜との戦いが繰り広げられるのが後半。『シャイニング』や『フランケンシュタイン』を彷彿とさせるような、様式的でタメのあるサスペンス、ホラー演出が続きます。

f:id:djmasao:20180719192833j:plain

さらに、1・2作目に登場していたあの人がとても重要としてカムバック。今回は連邦議会で意見聴取を受けている、マルコム博士。彼は複雑系理論の数学者で、自らの立場から、人間は自分の生み出した万能に見える科学技術をもってしても、自然を完全に制御することはできない。だから、あの島は、たとえ恐竜がどうなろうと、人知を超えた領域ということで放っておくべきなのだと主張するわけです。博士は言わばナレーターのように、あるいは原作者クライトンの代弁者のように、恐竜と人間のドタバタをクールに分析する立場として再登板することで、このシリーズ全体の文明批判的色付けを行っています。

f:id:djmasao:20180719192927j:plain

考えてみれば、1作目の93年当時は、クローンだとか遺伝子操作だとか言っても、一般人にはまだまだSFの世界の話だったし、まず何よりもスピルバーグはどでかい恐竜をスクリーンで思う存分動かしてみせるという、見たこともない景色を見せるところに重きを置いていました。当時はそれで良かった。ところが、遺伝子操作なんて誰でもよく耳にするようになった現在においては、つまり、クライトンの予見が現実のものとなった以上、ここは改めて文明批判的側面を強調すべきという判断でしょう。
 
僕は後半のあるポイントまで、この1本としては、前半と後半でさすがにチグハグなんじゃないかと思っていました。ところが、あるデカい秘密がそれこそヒッチコックばりのサスペンスとして明かされて、その結果として、シリーズのこれまでの作品のどれとも違うエンディングを迎えるにあたり、シリーズ全体としては、この設定自体をアクチュアルなものとして活き活きとさせるために大事なバトンパスをする1作なのかもしれないと考えを改めました。
 
だいたい、今回はこれまで以上に人間がダメなんですよね。前作の短評で僕に「なんでお前がヒロイン気取りなんだ」と言わしめたクレアなんて、恐竜を商売道具としてしか見ていなかったのが今回はコロッと恐竜保護団体を組織していたり、オーウェンも行き当たりばったりばっかり。なんだよ、こいつらって思ってたんですけど、それもそのはず。

f:id:djmasao:20180719193033j:plain

ヒロインはラプトルのブルーであり、あるいはあの女の子メイシーへと鮮やかにシフトしたんです。そうやって哲学的なテーマを帯びつつ、キャッチコピーにもなっている“The Park Is Gone.”。つまり、本当の意味で「ジュラシック・パーク以降の世界」が姿を現す。そこで、こちらはシリーズで何度か出てきたキーワード“Life Finds A Way.” つまり、「生物は自分の道を見つける」、もっと言えば、「生まれた以上は突破口を見出してしまう」、要するに「コントロールなどできないのですよ」っていう、極めてSF的で哲学的な命題がドンと重たく首をもたげて翼を広げるんです。あの翼竜プテラノドンのように。そして、観た人ならわかる「ジュラシック・ワールド」って言葉の意味が明らかに… この世界どうなるんだよ!? と、3年後公開のラストへとつながります。
 
その意味で、バヨナ監督はバトンパスの役割ながら、シリーズ全体のパラダイム・シフトとも言える大事な1作をうまく導いていましたし、彼の手腕が今後ハリウッドでまた発揮されることを願います。
 
ところで、邦題の「炎の王国」って言っちゃうと、そりゃ「前半しか反映してないよね」ってことになるし、ここは原題の“Fallen Kingdom”「落ちた王国」の方がしっくり来るよなぁ。

さ〜て、次回、7月26日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『未来のミライ』です。やってまいりました。日本の夏、細田守の夏。ってな感じになってきましたね。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!