京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『虹色デイズ』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月12日放送分
映画『虹色デイズ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180712174424j:plain

地方都市の高校を舞台に、性格も趣味もバラバラな男子高校生4人の恋愛と友情を描く青春もの。元気だけれど、ピュアすぎてまったくすれていないなっちゃん。チャラくて女好きなまっつん。物静かなコスプレ好きオタクの秀才つよぽん。笑顔とは裏腹にサディスティックな側面のある恵ちゃん。いつもこの4人でつるんでいたところへ、恋に奥手ななっちゃんが違うクラスの杏奈に片思いしたことから、彼らの日常がざわざわと動き出します。
 
別冊マーガレット」で連載されていた水野美波の大人気少女コミックを実写映画化。男子高校生4人組を、佐野玲於中川大志高杉真宙横浜流星が演じる他、なっちゃんが恋するヒロイン杏奈に吉川愛が扮しています。監督・脚本は、僕と同学年で現在39歳にして、既にキャリアは15年クラスという飯塚健。『荒川アンダーザブリッジTHE MOVIE』『大人ドロップ』あたりが代表作。小説も書けるし、芝居の演出もやるし、MVも結構撮ってます。OKAMOTO’S、NICO Touches the Walls、アジカンチャラン・ポ・ランタンと、802ゆかりのミュージシャンもよく一緒に仕事している方ですね。
 
それでは、原作の1巻を買って読んでみて、久々の少女漫画のコマ割りと文字情報の多さに面食らったマチャオが、これまた久々のキラキラ映画をどう観たのか、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

まず製作の背景をお伝えすると… 飯塚監督は、当初この企画をプロデューサーから頼まれた時に、かなり難色を示したようです。少女漫画か… 壁ドンとか、自分には到底できないぞ、と。ところが、漫画を読んでみて、これなら自分にも面白いものが作れるという勝算が持てるなと引き受けた。確かに、少女漫画で男子高校生目線のわちゃわちゃした群像劇というのは珍しいですね。

虹色デイズ 15 (マーガレットコミックス)

一方、原作者は「二次元色の強い作品だと思っていたので、まさか実写のお話をいただけるとは想像もしておらず」驚いたと発言しています。実際、僕も漫画を少し読んでみて、たとえばSキャラの恵ちゃんなんかはムチをいつも携帯していたりっていう、非現実的でどうかしている漫画っぽい設定は実写にはそぐわないなと思ったし、実は漫画だと映画ほどピュアじゃなくて、イヤな女とか普通に出てくるし、必ずしもこんなに眩しくないんですよね。
 
原作は全15巻でもう完結してますが、脚本が動き出したのは単行本で8巻が出たくらいの頃。そこで、監督は映画独自のストーリー展開をするべく、脚本の構成を練りました。まず、全編にわたって4人の男子にフォーカス。もちろん、女の子たちは大事だけれど、彼女たちの心理をそれぞれに深く追うことはせずに、あくまで4人との関係性の中で描いていく。だから、親も出ないし、友達もその他大勢としてしか出てこない。先生もひとりだけ。部活描写なし。なんなら、4人が自分の部屋にひとりでいる場面もなし。そして、トピックは潔く恋愛と進路、このふたつに限定しました。かなり大胆な脚色方針だけど、2時間以内にまとめるには必要な方法論でしょう。監督が目指したのは、この場合だと女子高生向け、みたいな狭いターゲットに絞った作品ではなく、青春が過ぎ去った人たちの方が面白く見てもらえるもの。いい志ですね。
 
ただ、その結果は、必ずしも、いや、かなり、伴っていないと言わざるをえません。
 
4人それぞれにはっきりしたキャラ付けがなされているわけですが、なぜそういう性格になったのかという背景描写がないため、ドラマを動かすはずの葛藤が臨場感をもって伝わらないんです。なっちゃんもそうだし、彼が恋する杏奈も、どうして本好きで社交性に乏しいのか、理由がわからないから説得力がない。読んでる本が、それこそ少女漫画じゃなくて中島らもだとか、小道具で何とかわからせようという努力はしているんだけど、それだけではさすがに伝わりません。むしろ、謎めいてしまうばかり。

f:id:djmasao:20180712181107j:plain

人格形成の背景で突っ込んで描写するのは、なぜか、杏奈の親友にして極度の男嫌いである、まりなんです。当然、僕は彼女をかなり興味深く見ていました。彼女だけ、家族がはっきり出てくるんですよね。建設現場で働いているお兄ちゃんがいる。そして、とにかく杏奈に固執している。レズビアンを匂わせる描写もあるし、彼女の葛藤は群を抜いて、というより唯一ヒリヒリしていたんですが、蓋を開けたら、「え? それだけの理由なの? 嘘でしょ?」ってくらいに拍子抜けしました。
 
登場人物たちは時間とともに変化はするんですが、いかんせん、心理的な描写が浅いために、どういう理由があって葛藤を乗り越えるのか、ピンときません。ちょっとした会話そのものは面白くても、それらが有機的に繋がっていなくて、そのために全体が恋愛ゲームみたいになってるんですね。高校生なんだから、そういうゲーム性があっても僕はいいと思うんだけど、問題は狙ってそうなっているんじゃないってことです。特に後半、すれ違い、行き違い、勘違いの類がいっぱい出てくるんですが、もうそれはドラマを生み出すための設定にしか見えないんですよ。キャラが勝手に動き出す話じゃなくて、キャラを動かしているのが見えちゃうんですね。
 
プールへの飛び込みや、夏祭り、クリスマス、文化祭という、あるあるなハイライトも、どこかで見た以上の演出はないです。むしろ、思っていることは、どれもセリフで説明するし、ここ大事ですよっていうところは、これ見よがしに背景の音が小さくなったり、お芝居みたいにスポットライトが当たったりする、作り物感。花火だって虹だって、そのまま見せてしまうし、それがどう見てもCGだったりするから、フェイクであることが際立ちます。誰だって覚えてるよっていう場面を回想で見せるのも、スマートとは言い難い。少なくとも、虹色デイズなんだから、それはあくまでたとえとして、彼ら彼女らの日々が虹色だってことでいいんじゃないでしょうか。
 
良かったところもあるんですよ。滝藤賢一演じる、パンチパーマにサングラス、強面だけど生徒想いの先生。地方都市のロケーション。駅と坂道の空間配置。歩道橋のところとか、時折差し挟まれる、コントラストの強い画面づくりなど。あとは、吉川愛のかわいさとか、コンタクトレンズが見えてしまうレベルに寄った吉川愛の顔とか。
 
今をときめくキャストの魅力が伝わるアイドル映画的側面は僕は評価しないわけじゃないけど、逆に美男美女の出演で一定の需要を満たせているからこそ、監督には冒険が必要なんです。結果として、リアリティー方向にもファンタジー方向にも飛躍できなかったのは残念でした。

音楽を過去作でも多用してきた監督だけあって、挿入歌の選曲はどれも良かったと思います。ただ、邦楽なので台詞と歌詞がかち合ってしまうのを避けるため、会話がないところでたくさんの曲が流れてきます。なるほど確かに、歌詞が状況を補足するような組み合わせにはなっているんですが、その分、この演出を何度か繰り返していると、映画というよりMVが挟まっている印象になってしまうのも、もうちょっと工夫が必要でしょうね。

 さ〜て、次回、7月19日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ジュラシック・ワールド 炎の王国』です。今週はかなり吠えてもうたからなぁ。次は恐竜の咆哮を浴びることにしよっと。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年7月5日放送分

f:id:djmasao:20180705172020j:plain

スター・ウォーズ」シリーズ屈指の人気を誇る愛すべき悪党ハン・ソロ。エピソード4「新たなる希望」で初登場した彼が、いかにして銀河一のパイロットを目指すことになったのかを描く、エピソード4の10年前を描く外伝です。銀河帝国が支配する暗黒の時代。辺境の惑星コレリアで自由を夢見るハンと幼馴染の恋人キーラ。ふたりは星からの脱出を試みるものの、キーラは捉えられました。ハンは彼女との再会を胸に誓いながら、帝国航空学校で飛行機の操縦を学びます。やがて彼は腕を上げ、コレリアへ彼女を連れ戻しに行こうと目論んでいた矢先、思いもよらない形でキーラにめぐり逢います。
 
監督は『ダ・ヴィンチ・コード』『バック・ドラフト』などのロン・ハワード。「スター・ウォーズ」のオリジネーターであるジョージ・ルーカスと長年の親交があるベテランですね。ハリソン・フォードの当たり役ハン・ソロの若き日々を演じたのは、オールデン・エアエンライク。キーラには、エミリア・クラークが扮しました。どちらも名前と顔がまだそこまでは売れていない期待の新人です。他に、ハン・ソロの師匠のような役割として登場するベケットを、『スリー・ビルボード』で地元警察の署長だったウディ・ハレルソンが担当しています。

f:id:djmasao:20180705185407j:plain

先に公開された本国アメリカで動員が奮わないという知らせも届いてはいますが、『スター・ウォーズ』マニアでない僕は、あくまでフラットに鑑賞してきました。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

報じられている通り、当初は『LEGO ムービー』のフィル・ロード&クリス・ミラーという40代前半で実験精神に富んだ若手コンビがメガホンを取る予定だったんですが、結果としてふたりは製作総指揮に回り、60代の名匠ロン・ハワードへと監督が交代となりました。僕はここに、ルーカスフィルムの社長にして今回のプロデューサーであるキャスリーン・ケネディの意図が透けて見えると考えています。つまり、お話こそ若きハンの冒険活劇ではあるものの、作品として冒険したいわけではなく、むしろ手堅くまとめたいということですね。

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー (字幕版)

同じディズニーが配給しているアベンジャーズと比較してしまうんですが、あちらはキャラクターごとにそもそも作品があって、それらがひとつのユニバースに属しているのに対し、スター・ウォーズは基本的にはスカイウォーカー家のひとつの遠大な物語です。そこに、『ローグ・ワン』とか、『ハン・ソロ』とか、サイドストーリーを今接ぎ木していっている状態。特殊能力フォースを持たないキャラクター達にもスポットを当てて、ディズニーはスター・ウォーズもユニバース化しようとしているのだと見て取れます。ただ、ディズニーがルーカスフィルムを買収して以来、毎年のように新作が公開されて、みんな疲れてきているわけです。さらに、作品が増えすぎて、新参者にはどんどん敷居が高く感じられている。そこで、マーベル・シネマティック・ユニバース作品のように、単体で楽しめるものにしたい。でも、スター・ウォーズ・ファンも満足できるお約束、サービスもしっかり入れないと、彼らにそっぽを向かれてしまう。総合すると、作品としては冒険できなくなるわけです。

f:id:djmasao:20180705190046j:plain

ストーリーはいたってシンプル。愛するキーラとの自由な暮らしを追い求めながらも、それがなかなか敵わないという太い軸があります。キーラを取り戻すため、銀河系でタフに生き抜くため、帝国の支配の下で暗躍するシンジケートに身を投じ、そこで出会ったベケットというメンターから処世術を学ぶ。その過程でさんざん泥水を飲んでは成長していく。ルーカスは、ハン・ソロのキャラクターをこんな言葉で描写しています。「グループの一員であること、公益のために尽くすことの重要性を理解している一匹狼」。これはきっちり描けていました。一匹狼とはいえ、本当はキーラとの愛に生きたいと願っていること。色々あって、横にいるのは、美女じゃなく、毛むくじゃらのチューバッカであること。悪党なのに憎めないという彼の特徴は、生き馬の目を抜く銀河系で、他者を信じるという信念を獲得したからだということ。よくわかりました。悪党というわりには、いい子ちゃんで物足りないという不満の声もあって、それも理解できるけど、ずる賢さよりも青臭さを優先することで、ハンの青春を表現するという選択は妥当でしょう。
 
ダイヤのネックレス、ソロという名の由来、決め台詞I have a bad feeling about this.の変化球的な出し方、ミレニアム・ファルコン号との出会い、黒幕があいつなのかというサプライズなどなど、ファンサービスに抜かりはないです。
 
ライトセーバーが登場せず、レーザー銃のブラスターをメインの武器に、西部劇を強く意識した戦闘シーン。追いつ追われつの空中戦などなど、これでもかと山場もたっぷり。
 
ハン・ソロの話なのに映画そのものが優等生的ではあるけど、ここからスター・ウォーズに入っていくことも十分可能な、このスピンオフの果たすべき役割は果たしています。一点を除いて。

f:id:djmasao:20180705185847j:plain

小さな不満は置いといて、僕が最も問題視しているのは、キーラです。
 
彼女との恋愛要素が、何より若きハンのエネルギー源なので、とても大事な存在なんですが、ひょんなことから再会しての後半、彼女が何を考えているのかよくわからないんですね。ハンと離れていた数年間に色々あったことは想像できるんだけど、そこはセリフであっさり示されるだけなのに加え、最後にまたサプライズがあってますますキーラの空白期間の謎が深まるため、ラストのモヤっと感がものすごい。
 
要は続編の可能性を残しておいたんでしょう。でも、それははっきり言って潔くないし、せっかくのスター・ウォーズ入門編的な位置づけが、ここで完結しなかったら台無しじゃないですか。きっちりこれ一本で落とし前をつけていれば、同じくエピソード4前夜を描いた『ローグ・ワン』のように、観終わったらすぐにエピソード4を見直したくなったろうに、この構成だとそうはならない。
 
結論として、普通に面白く、しっかりスター・ウォーズなのに、少なくとも現状はこれだけ宙に浮いた作品になっているのが、全体としてはどうかなというところです。

もちろん、この曲はサントラでも何でもないんですが、「ハン・ソロのソロって… こういうタイミングでこういう理由でこの人が名付けたんや!」と思って、お送りしました。

さ〜て、次回、7月12日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『虹色デイズ』です。キラキラ青春映画は久しぶりかな。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!

映画『空飛ぶタイヤ』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月28日放送分
『空飛ぶタイヤ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180628174140p:plain

走行中にタイヤが外れる事故を起こしたトレーラー。宙を舞ったタイヤは歩道を歩いていた主婦を直撃して死なせてしまいます。警察はトレーラーの所有者である赤松運送の整備不良が原因だと推測して家宅捜索。整備ではなく車両の構造に欠陥があったのではないかと考える二代目若社長の赤松は、トレーラーの製造販売元に事故原因の再調査を依頼するものの、ホープ自動車販売部の沢田はその要求をつっぱねます。その間、沢田は社内に自分も知らない極秘事項があることに気づきます。他方、同じグループ企業のホープ銀行営業部井崎も、週刊誌の記者からホープ自動車について探りを入れられ、ずさんな経営計画とある噂を耳にします。それぞれが辿りつくのは、リコール隠しという大企業の不正でした。

下町ロケット (小学館文庫) 半沢直樹 -ディレクターズカット版- Blu-ray BOX

 2002年に実際に起きたタイヤ脱輪による死亡事故と、その後に発覚した三菱自動車の不祥事を下敷きにしたこの物語。原作は、『下町ロケット』や『半沢直樹』『陸王』など、これまで何度も作品が映像化されてきた池井戸潤が2006年に発表した同名小説。2009年にはWOWOWがドラマ化もしていましたが、池井戸作品としては実は初の映画化として、『超高速!参勤交代』の本木克英がメガホンを取りました。赤松運送の社長に扮するのは長瀬智也ホープ自動車販売部課長の沢田を我らがディーン・フジオカ、そして赤松運送・ホープ自動車双方と取引のあるホープ銀行営業部の井崎を高橋一生が演じています。他にも、笹野高史深田恭子ムロツヨシ岸部一徳小池栄子など、豪華キャストが揃いました。

超高速!参勤交代

公開2週目に入ったこの作品は、『万引き家族』に次いでの観客動員数2位をキープ。既に65万人を突破するヒットとなっています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

僕も軽く驚いたのは、池井戸潤作品の映画化はこれが初めてだということ。今回ドラマ版の『空飛ぶタイヤ』を観て、その理由のひとつがわかりました。組織の力学の中で生きる個人が描かれているがために、登場人物がとても多い。積み重ねられたサイドストーリーが全体を少しずつ動かしていく群像劇です。
 
原作は文庫で900ページ。ドラマ版はトータル5時間ほど。これを2時間ほどの映画にまとめるのは至難の業で、脚本段階で相当の工夫が必要です。その点、『藁の楯』や『白ゆき姫殺人事件』で知られる脚本家、林民夫の大胆な仕事が光っていました。ドラマ版の良かった脚色も採用しながら、話の枝葉を相当刈り込んでます。自動車が万単位の部品で作られるように、この事件に関わる人物たちも大勢いるわけですが、映画版では、事件の直接的な原因となったハブのような存在として運送会社の赤松と自動車販売部の沢田を両輪に据えて、全体をトラックから軽自動車並みにシンプルな構造にしています。
 
中小企業vs大企業。直情型で泥臭い2代目社長と、旧財閥系で出世こそ生きがいのクールなエリート。とてもわかりやすい対立を最後まで真っ直ぐにぶっとく引っ張ることで、赤松の息子のいじめ、週刊誌記者の暗躍、警察の捜査などなど、刈り込まれた枝葉もイキイキと鮮やかになっています。だから、確かに2時間の映画にしてはこれでも登場人物は多めなものの、複雑でついていけないというほどではないというバランス。ただ、情報そのものはそれでも多いので、お話のテンポはかなり速い。当然、ひとつひとつのショット、シーンの持続時間も短めで、パッパと次へ次へ進みます。その分、これは尺の長いドラマ版ですらそう思ったけど、いわゆる説明ゼリフは多いです。みんなよく喋る。その意味でも、脚本の映画なんですね、これは。
 
本木監督としては、「人間を描きたい」んだという思惑があったようですが、今言った事情から、心理描写に時間は割けない。そこで、カット割りを工夫して、人物たちをかなり寄りで撮ってます。言外の想いは顔で語ってもらおうということでしょう。長瀬智也ディーン・フジオカを大写しで堪能できるという利点もあります。会話の場面では顔の配置にもバリエーションを作って飽きさせない工夫をしていました。
そういう意味で、幅広い観客を想定するエンタメとして、そつない作品にはなってるんですが、魅力ある役者たちの演技を引き出しきれていないことは指摘しておきます。演技が悪いんじゃなくて、パターンが少ない。一度出てきたら、あとはだいたい同じようなアクションになってしまっているので、ちょっとした仕草でもいいから変化をつけて深みを出してほしかったところ。だから、笹野高史ムロツヨシといった、ほっといても上手い役者の目立つこと!
f:id:djmasao:20180628183633j:plain
もう1点。昔ある放送業界の大物から、仕事は夜に動くんだと僕は言われたことがありますけど、食事のシーンが特にホープ自動車の面々は多かったですね。ここもバリエーションが欲しいんだよな〜。食べてるもの、食べ方、飲み方、あるいは食べてなさ、などなど、設定を活かしきれていない印象でした。
 
あと、CGも必要だったのかなっていう感じだったなぁ。走る凶器と化したトレーラーの怖さは、カメラのテクニックだけで見事に出せていたから、飛ぶタイヤはCGにしなくても… あるいは、空飛ぶタイヤそのものは見せなくても…
 
とか何とか、僕がこんなビッグバジェット映画に再撮影を依頼するようなことを言ってもしょうがないんですが、全体としては僕、楽しみましたよ。
 
池井戸作品ならではの痛快な逆転劇なんだろうと高をくくっていた僕ですが、人情の中小企業と非情の大企業という色分け、コントラストにとどまらず、キャラクターそれぞれを良いところもあれば悪いところもある多義的な、要は人間らしく結果的に感じさせる話です。「立場が人を作る」って物言いがあるけれど、その悪い面ですね、つまり僕らは家族や学校・会社などの組織とその論理・力学の中で、誰もが社会の部品として機能させられている虚しさや苦さを味わわせてくる。スカッとしたようでいて、そうでもなく、という苦い余韻は、事故現場に立つ赤松と沢田の表情にも表れていました。冴え渡る晴天のもと、冴えない顔を浮かべるふたりを、ドローンかクレーンで上から見下ろす演出も良かったし。ただ、そこから主題歌へ流れこむとこのカット割りがガタガタしちゃってたのが惜しいよなぁ。

四の五の言いましたが、面白い話なのは間違いないです。桑田さんの歌詞を引けば、「しんどいね 生きていくのは」(ちなみに、「生存競争」と書いて「生きていくのは」と読ませる、桑田さんならではの言葉遊び付き)ってな重いテーマをここまでわかりやすくエンタメ化できている大衆娯楽作として、僕はこの映画の肩を持ちたいと思っています。

 さ〜て、次回、7月5日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー』です。これまた、スピンオフとはいえ、なかなかヘビーなのが来ましたぜ。マチャオ、がんばる。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!
 

『ワンダー 君は太陽』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月21日放送分
『ワンダー 君は太陽』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180621163213j:plain

スター・ウォーズ』が大好きで、将来の夢は宇宙飛行士。得意教科は理科。そんな10歳の男の子、オギーことオーガスト。どこにでもいそうな子どもだけれど、実はトリーチャー・コリンズ症候群を抱えていました。これは遺伝子の疾患によって、普通の人とは違う顔で生まれてくるというもの。オギーは、27回もの整形手術を経験しながら、ずっと自宅学習をしてきました。そんなオギーは、両親の決断によって、みんなと同じ学校へ通い始めます。これは、オギーの葛藤と成長、そして彼を取り囲む家族や友達との関係の変化を描いていきます。
監督は、スティーブン・チョボスキー、48歳。正直、あまり名前は日本では通ってないんですが、彼は作家、脚本家、映画監督と3つの仕事を横断しながら活動しています。YA、ヤングアダルト小説に分類される自分の小説を自分で脚本にしてメガホンも取ったのが、代表作『ウォールフラワー』。エマ・ワトソンが出てた青春映画で、サントラもすばらしかった。それから、脚本家としての代表作は、昨年公開の実写版『美女と野獣』ですね。
 
今回はアメリカの女性作家R.J.パラシオの原作小説をチョボスキーが脚本にして演出しました。オギーを演じるのは『ルーム』の演技もすばらしかったジェイコブ・トレンブレイくん。そのお母さんを、ジュリア・ロバーツが演じています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

「難病もの」と呼ばれるジャンルがあって、そういう作品が「泣ける」と評判になることも多いですね。この「泣ける」っていう枕詞で注意したいのは、いわゆる「感動ポルノ」と批判される「お涙ちょうだい」演出に基づいた作品が混じってくるからです。なぜ批判されるかって、それは、映画だって芸術と言えど商売でもあるわけで、要は病気や障害を表面的に利用して金儲けするなよってこと。確かに、安っぽい感動を押し売りするものも結構あって、それに辟易した結果、「難病もの」を避ける人もいます。あと、単純に観ていて辛そうだからヤダ、みたいなね。
 
僕はこの『ワンダー』は、そうした批判には当たらない爽やかな映画だと思う。「君は太陽」という邦題の副題に僕は実は当初警戒したんです。君は眩しい存在だよ、みたいなね。子どもや障がい者を変に美化してしまうケースもありますから。見てみると、違いました。これは太陽系の比喩なんですね。太陽の周りには、色んな惑星があって、互いに影響を与え合いながら存在している。それを、オギーとその周囲の人間関係になぞらえたセリフから取ってるんです。確かにオギーは確固たる主人公ではあるけれど、実は母、姉、友達など、それぞれの名前を付けたチャプターに映画がゆるく分かれて進行していきます。意外にも群像劇だったわけなんです。だから、オギーに対してその周囲がどんなことを考えているのか、そして彼らにも彼らの人生、悩みが当たり前にあるってことが描かれる。
 
高校に入った姉は、幼馴染の大親友の女の子が高校デビューして急に口をきいてくれなくなって戸惑っていたり、母はオギーが生まれて以来、自分の修士論文を棚上げし続けていたり。オギーを中心に据えたこの物語は、あちこちで軋轢が生まれながらも、彼らがそれぞれにそのトラブルを想像力と工夫、そしてちょっとした勇気と優しさで乗り越えていく様子を見せるうち、オギーがそれこそ太陽のように人々の心を温めてるんだと教えてくれます。チャプター分けしてあることで、ひとつの出来事を別のアングルから見直すという映画的な語り口になるのも良かったです。
 
こうした構造なので、オギーの心理を深く拾いきれていないというのは、その通りです。でも、監督の狙いはそこじゃない。あくまで、オギーのような人物がいる場と人間関係、その磁場のようなものを捉えることで、人間というのは、「近寄ってみればみんなどこかおかしい」んだと相対化してくれているんです。見た目の違いは、そりゃ大きいけど、それだけが全てじゃないってことですね。オギーみたいな障害を持つ人を、英語でフェイシャル・ディファレンスと呼ぶそうですが、レベルは違えど、僕も80年代の日本で過ごした小学生時代、似たような想いとか悩みはありました。オギーは宇宙服のヘルメットをかぶってたけど、僕は阪神帽を目深にかぶってた。そういう目に付きやすい「しるし」でなくとも、多かれ少なかれ、みんな何かのディファレンスがあるわけです。でも、うまくやれば、だんだん一緒になって豊かな人間関係を育むこともできるって教えてくれています。
 
もちろん、本当はね、ここで描かれていないような苦労とか経済的な問題とか、トリーチャー・コリンズ症候群当事者にはあるはずです。そこに冷徹に焦点を当てる、たとえばドキュメンタリーだってあるべきです。だけど、この映画はもっと大きな視点で、僕たちが周囲に対して、be kind、親切に、やさしくあろうよ、そしてユーモアを大切にしようっていうことを訴えることを目標にしているから、これはひとつの入門として十二分に意義ある素敵な作品です。

さ〜て、次回、6月28日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『空飛ぶタイヤ』です。DEAN FUJIOKAさんが、折しも来週火曜日に番組出演。なんだけど、いつものように、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての忌憚なき感想Tweetをよろしく!

 

『万引き家族』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月14日放送分
『万引き家族』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180614175245j:plain

東京の下町。高層マンションの谷間に取り残されたようにひっそりと佇む古い平屋。そこに住む老婆、初枝の年金を目当てに、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹である亜紀が身を寄せ合って暮らしていました。治、信代、亜紀はそれぞれに働く一方、日常的に万引きを繰り返しては生活費を補っています。貧困にあえぐ一家ではあるものの、家にはいつも笑い声。冬のある日、近所の集合住宅の廊下で震えていた幼い女の子を見るに見かねた治は家に連れ帰り、信代はその女の子ゆりを娘として育てることに。一家に溶け込むゆりでしたが、ある事件をきっかけに家族はバラバラとなり、彼らがそれぞれに抱いていた秘密や願いが姿を現します。

f:id:djmasao:20180614180433j:plain

オリジナル作品として製作された、この『万引き家族』。監督、脚本、編集は、是枝裕和リリー・フランキー安藤サクラ樹木希林松岡茉優らが主要キャストを固める他、高良健吾池脇千鶴池松壮亮緒形直人柄本明も、それぞれに印象的な役柄で出演しています。
 
この番組Ciao Amici!では、6月11日、今週月曜日に、およそ15分にわたる監督への僕のインタビューを放送しました。ご存知のように、97年の今村昌平監督『うなぎ』以来、日本の映画としては21年ぶりとなる、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを獲得しました。こうした話題も手伝い、先行上映からのたった5日間で、既に61万人を動員するロケットスタートとなっています。
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

月曜日に放送したインタビュー内で、是枝監督はこんな発言をしました。「観ている人が引き裂かれてほしい」。僕はこの言葉が鍵になると考えています。
 
監督がこの物語を着想したのは、2016年頃、親の死を隠してその年金を不正受給していた家族についての報道に接したことがきっかけだったようです。「他人から見たら嘘でしかない、死んだと思いたくなかったという家族の言い訳を聞いて、その言葉の背景を想像してみたくなりました」と。
 
年金不正受給、万引き、誘拐、児童虐待。僕たちは日々、こうした犯罪事件の報道を見聞きします。その度に、眉をひそめたり、憤ったり、スルーしたり。自分に余裕がなければ、「こんなやつ、一生臭い飯食ってりゃいいんだ」とか、冗談混じりに「こんな奴は死刑だ」なんて言う人もいるかもしれません。
 
もちろん、犯罪者が刑に服するというのは、法律に違反したからであって、断罪されてしかるべきです。ただ、報道やワイドショーでは、出来事だけをなぞって、「これは良くないですよね。酷いと思いませんか、視聴者の皆さん」と、大衆の不満の捌け口を提供しているという側面も否定できません。この映画は、そうした報道では掘り下げられない当事者たちの事情と心のありようをすくい取ろうとします。
 
この映画の設定だけを聞いて、「犯罪者の肩を持つんじゃない」という人もいるでしょう。観ればわかります。そういう単純な話じゃない。
 
たとえば、リリー・フランキー演じる治に拾われてきた未就学児童のゆり。彼女は親から虐待やネグレクトを受けている。凍えるような冬の夜にひとりで外にいたわけです。治はいたたまれなくなり、かくまってご飯を食べさせてあげる。安藤サクラ演じる信代が言います。傍から見れば「誘拐だよ」。法的に考えれば、その通りですね。しかし、信代自身が、その後やはりいたたまれなくなり、自然と母親代わりを買って出るようになります。後に、ゆりがとある事情で親元に戻った際、テレビのリポーターは、ゆりの両親にこう質問します。「ご飯はお母さんが作ってあげたんですか? 何を作ってあげたんですか?」。

f:id:djmasao:20180614180511j:plain

そして、誘拐だと捉えた公権力は信代たちにこう詰問します。「子どもは親元にいるべきだよね?」。確かに、たとえば児童相談所に届けるなどしなかったプロセスは間違っていたかもしれない。でも、僕たちはゆりの姿をずっと見ています。その笑みも悲しみも。だからこそ、メディアや権力のいわゆる正論に触れた時に、やるせなくなる。もちろん、あの万引き家族の中でずっと暮らせれば良かったとも思わない。そこで、監督の思惑通り、心が引き裂かれるんです。
 
こういう葛藤を、僕たちは作品のそこかしこで経験します。主要キャストのみならず、たとえば緒形直人が演じた一見善良そのものな人物の底知れぬ悩み。松岡茉優演じる亜紀が働く風俗店を訪れる「4番さん」なる人物だって、やってることは欲望を金で解決する、犯罪ではないが褒められた行為ではないものですよ。正論としてはね。だけど、その姿を見た時に、共感が込み上げて、ここでもやはり引き裂かれる。登場時間が短いどんな役にもこうした仕掛けが施してあって、その人生のエッセンスが伝わってくるんです。

スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし

じゃあ、さぞかししんどい映画なのか。重たい映画なのか。そうじゃないのが凄いんですよ。途中でレオ・レオニの『スイミー』がさり気なく引用されますが、この家族や周辺の人々は、みな、日本社会の底を泳ぐ小魚であるという寓話性があるんですね。小魚たちがじゃれ合う様子は実に愛おしい。みずみずしい生命力すらある。そんな様子を、細野晴臣の音楽や近藤龍人のカメラ、そして是枝演出の総合力が、切れば血が出る生々しい現実との距離感を自在に調節して導くために、僕らは目を背けることなく、そして誰かを糾弾することなく最後まで鑑賞して、日常に戻ったら、自分の価値観をもう一度考えることになる。ちょうど優れた寓話がそうであるように。
 
僕もこの短評で何度か使った言葉です。「あれは確かにこうだ。でも…」っていう、この立ち止まって考える行為。できごとの裏を想像したり調べたりする行為。その重要性をこの映画は諭してくれます。
 
結論として、僕もこう思う。「あなたにも引き裂かれてみてほしい」と。

「いつか細野晴臣さんと一緒に映画を作りたい」。そう願ってきたという是枝監督。今回その想いが通じて、見事なサントラを細野晴臣さんが手がけています。番組では、その細野さんが歌うこの曲をオンエアしました。

 

あと、この「家族」たちの名前について、時間があればもっと考えてみたいもんだなと思っています。後半で明らかになってくることなので、公開から間もない時期に放送するラジオでは触れませんでしたが…

さ〜て、次回、6月14日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ワンダー 君は太陽』です。これはまた違った角度からグッと来そうな家族ものじゃないですか。僕は簡単には泣かないからな! いつものように、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『デッドプール2』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年6月7日放送分
 デッドプール2』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180607180259j:plain

マーベル・コミックスの異端児にして、エログロ上等R指定の無責任男、異色のヒーローが帰ってきました。前作でハッピーエンドを迎えたデッドプールは、世界のあちこちで悪い奴らを叩きのめしながらも、わりとのんきに過ごしていました。そろそろ彼女のヴァネッサと子どもを作って家族になりたい。そんな彼の前に現れたのは、拳で炎を操る太っちょミュータント少年ラッセルと、そのラッセルを殺害すべく未来からやって来たロボットアーム付き機械人間「ケーブル」。恋人から心を入れ替えるよう促されたデッドプールは、ラッセルを守るべくケーブルに立ち向かうのですが、あまりの強さにたじろぎ、特殊能力の持ち主たちを集めた最強鬼ヤバチームXフォースを結成します。

アトミック・ブロンド(字幕版) ジョン・ウィック(字幕版)

2016年に公開された1のティム・ミラーから監督が代わって、今回は『アトミック・ブロンド』のデヴィッド・リーチ、そう『ジョン・ウィック』で犬を殺した監督ことデヴィッド・リーチがメガホンを取りました。デッドプールを演じるライアン・レイノルズは、今回脚本にもクレジットされています。そして、未来の機械人間ケーブルには、『アヴェンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で圧倒的なヴィランのサノスを演じていたジョシュ・ブローリンが扮しています。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

R指定のアメコミ映画というと、思い出すのは、ちょうど1年前に僕が短評した『ローガン』です。あのウルヴァリンがマジで老眼でびっくりしたとか、しょうもないことを言っておりましたが、そのウルヴァリンの最期、まさにヒロイックに死を遂げた姿が、今作ではキッチュすぎるフィギュア付きオルゴールとして冒頭に登場するんです。いきなり『ローガン』のネタバレですよ。さらに、デップーはこんな風にボヤくんです。「ローガンがハードルあげやがったからなぁ。俺ちゃんも死にたいなぁ」なんてことを、ドラム缶の上で寝っ転がりながら。で、なぜそんな発言をするのか、そっから4ヶ月前に遡るという構成を取るんですけど、オープニングクレジットでの007パロディー、そして「監督:ジョン・ウィックの犬を殺した男」みたいな小ネタが炸裂したうえ、いきなり本人誘導での回想ですからね。1に引き続き、いわゆるメタ的な構造を踏襲してきています。
 
無責任、不死身、エログロ、ブラックユーモアなどなど、デップーを特徴づける要素はいくつもありますが、ある種最も過激なのは、このやり過ぎなまでのメタ構造だと僕は思ってます。小説、演劇、映画で言われるメタ・フィクションってなんだと、ごく簡単に説明しましょう。メタというのは、「〜を超える」「〜より高い次元の」という意味。僕らは誰だってフィクションが作り物だと頭ではわかってるんですけど、作品に触れている間はそれを忘れますよね。それは、作品の世界に入り込んでいるからです。ところが、メタ・フィクションは「はい、これは作り物ですよ」と僕らにわざわざ知らせてくる。つまり、作品がそのフィクションの世界を越えて、現実に侵食してきたりする。その代表例が、デップー本人も何度も口にする「第4の壁」ってやつです。

f:id:djmasao:20180607185829j:plain

演劇で考えるとわかりやすい。舞台は、背景と上下、3つの壁があるけれど、観客席側の第4の壁は、無色透明な存在しないものとされている。役者も観客もそういうルールを共有していて、役者は当たり前だけど、観客には観られていないものとして演技をする。これが映画だと、第四の壁は、カメラです。突然役者がカメラ目線でこちらを見つめたり、ましてや話しかけると、びっくりしますね。だって、作品の中と現実がその瞬間にクロスしちゃうわけなんで、ルールが崩壊するわけですよ。メタ・フィクションにはたくさんの方法論があるんですけど、デップーではまず第四の壁です。
 
1では、第四の壁を破ってカメラ目線で回想シーンへ移行した後、その回想シーンの中でもまた第四の壁を破ってカメラに話しかける場面があって、そこではデップーがこう言います。「おいおい、第四の壁の中で第四の壁を破ってるから… これは第16の壁かな」なんて高度すぎるジョークを飛ばしていました。こういうアカデミックな笑いと、下品としかいいようのない笑いを、とにかく多い口数で釣瓶撃ちしてくるのが、大きな魅力なんですね。今回も、このメタ構造を使ってすごいことをやってます。a-haの『Take On Me』がかかるところ。歌詞が物語にリンクするのはもはや当たり前で、同じくメタ構造を利用した傑作MVを強く観客に意識させるという芸当をやってのける。これでよく映画が崩壊しないなと驚きますよ。

そもそもヒーロー映画っていうのは、その設定からして現実離れしているわけで、本来ならメタ構造とは相性が悪いはずなんだけど、これだけアメコミ原作ものが溢れかえるからこそ生まれてきた演出だという側面もあると僕は思っています。前作の予想を超える大ヒットの要因のひとつは、ヒーロー映画に没入できない、クールに眺めちゃう映画ファンをも、文字通り作品世界の中からこっちへ越境して巻き込んだことにあると思います。
 
残り時間で、簡単に前作との違いをまとめます。前作はデッドプール誕生の秘密、言わばキャラ紹介の顔見世興行だったこともあり、仲間はそう多くなく、基本的に独りよがりの自分勝手。それが今回は、キャッチコピーにあるように「もうボッチじゃない」んです。デップーを慕う奴まで出てくる始末だし、まさかのチームを結成するという! 名付けて、X-フォース。X-MENて何だよ、MENって言葉を使うのは差別だっていうくだり、面接シーンと、各メンバーのたどる運命、その壮大な物語的無駄には開いた口が塞がらないほどの呆れ笑いを楽しみました。
 
デヴィッド・リーチを起用したことにより、アクション演出が数段レベルアップしたうえ、これだけふざけてるのに、下手すりゃ重くなりがちなヒーローならではの苦悩にもしっかり言及。そして、デップーの言葉を借りれば、最終的には魅力的な新キャラたちとの関係性を楽しめるファミリー映画に着地させるという、実は意外とヒーロー映画のいいとこどりをした手堅いまとめ方をしてあるんです。
 
いったい何次方程式なんだよっていう、とんでもなく複雑な方程式を見事に解いてみせた結果、ローガンのハードルもきっちり越えてきた『デッドプール2』に、僕は盛大な拍手を送りたいと思います。

f:id:djmasao:20180607180750j:plain

ところで、左端のドミノさんよ特殊能力、幸運(ラッキー)ってなんだよ! 最強じゃないですか。あなたに僕はついていきたい。最高の女性です!

さ〜て、次回、6月14日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『万引き家族』です。狼、兎、犬、ミュータントと来て、お次は万引きです。

 

ちなみに、是枝裕和には僕野村雅夫、インタビューをしてまいりました。その模様は、6月11日(月)のCiao Amici!でオンエアします。こちらもぜひ参考になさってくださいませ。そして、いつものように、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

 

『犬ヶ島』短評

 FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2018年5月31日放送分
『犬ヶ島』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20180531183316j:plain

日本のような国にあるメガ崎市。今から20年後。ドッグ病が蔓延していて、人間への感染を恐れた小林市長は、すべての犬をゴミの島である「犬ヶ島」へ隔離すると宣言。市長が権力にものを言わせて率いる反犬派と、ドッグ病の血清を開発する科学者や、政権の陰謀を暴こうとする学生たちなどの愛犬派が衝突。市長の養子である12歳のアタリは、自分の番犬で親友だったスポッツを探して、単身犬ヶ島へ乗り込む。
 
監督・脚本・製作は、『ダージリン急行』や『グランド・ブダペスト・ホテル』で知られるウェス・アンダーソン、現在49歳。2009年の『ファンタスティックMr.FOX』以来となるストップ・モーション・アニメーションを採用しました。14万4000枚もの写真をコマ撮り。445日をかけて撮影され、総勢670人のスタッフが動員されたそうです。

ダージリン急行 (字幕版) グランド・ブダペスト・ホテル [AmazonDVDコレクション] 

日本からは、小林市長を担当した野村訓市が、原案や日本人のキャスティング、そして脚本にも参加するなど大きな役割を果たしています。ビル・マーレイなど、監督の作品常連のキャストが集った他、スカーレット・ヨハンソンティルダ・スウィントンオノ・ヨーコなど、豪華俳優陣、そして村上虹郎野田洋次郎など、日本人も多く参加しています。
 
昨年のベルリン国際映画祭では、銀熊賞を獲得しました。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

左右対称な構図。キャンディーカラーと言われる色彩感覚。そして、横移動するカメラ。こうした誰でも気づく特徴が、あちこちでコピー、あるいはパロディーの対象となるほどに大衆化、カルチャーアイコン化しているウェス・アンダーソンです。彼にはそういう表面的なスタイルの裏に、研究熱心な、生真面目なレベルの映画青年らしいネタを盛り込んでくるという傾向もあるんですね。
 
今回の『犬ヶ島』では、フェティッシュなレベルで彼が愛してきた日本文化をこれでもかとぶち込んでコラージュしながら、日本人にとっても初めて見るようなアンダーソン的日本像を構築するという意欲がまず彼にありました。
 
そこに、当初は考えていなかったことのようですが、現実のこの世界で起きている権力構造の変化、移民の排斥、具体的にはトランプ大統領の登場などを反映させた、ある種オピニオン映画として成立させようという意図も加わって完成しました。
 
6年前、この映画は、5匹の犬がゴミの島にいるという1枚の絵のようなイメージから始まったそうです。そこに少年が自分の犬を探しにやってくるという設定のみ。では、なぜ犬がゴミの島にいるのか。少年はどんな思いで犬を探すのか。そういう疑問を当初のイメージにぶつけながら、物語を膨らませていったと、監督はインタビューで答えています。そのせいもあるのでしょう。映画はチャプターがきっちり別れていて、キャラクター、小道具、舞台セットなど、プラモデル的にパーツを組み合わせましたという感じがします。

KUBO/クボ 二本の弦の秘密(字幕版) OH!Mikey 3rd. [DVD]

たとえば、このコーナーで昨年扱った『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』も同じストップモーションアニメでしたね。あちらは作りこそコマ撮りだけど、語り口はわりにオーソドックスなファンタジーだったため、途中からはもう作りものであることを意識せずに没入しちゃうのに対して、『犬ヶ島』はコマ撮りという画作りも、語り口そのものも、あえてこれは作り物ですよっていうことを観客に意識させる手法を採用しています。キャラクターがすべてマネキンで動かないドラマ『オー!マイキー』ってのがありますが、あの感じもちょっとあって、要するにブラックかつシュールな笑いにはとても向いているんです。
 
実は今回、あの『KUBO』を制作したコマ撮りアニメの世界最高峰スタジオライカと全面的にタッグを組んで撮影されました。それだけに、一見同じ手法でも、演出によってこれだけ趣が変わるのかということ、見比べると自ずと明らかになると思います。まあ、しかし、今回もスタジオライカはすごい。犬の毛並みとか、風に揺れる様子とか、技術の粋が尽くされてます。なんなら、更新されてます。だから、コマ撮り好きの僕なんかは、もう観ているだけで幸せ。各キャラクターに萌えまくりです。
 
この萌えの部分が、ウェス・アンダーソンの真骨頂で、北斎などの浮世絵から、俳句、相撲、定食屋、ラーメン、寿司、和太鼓、街並みなど、彼の好きなJAPANてんこ盛り。さらに、映画ですね。特に黒澤明の『七人の侍』もあるけど、どちらかというとマイナーな現代劇、たとえば『悪い奴ほどよく眠る』『どですかでん』あたりから設定や人物造形を借用してきています。

悪い奴ほどよく眠る どですかでん

その結果、僕なんかは萌え死にしました。はっきり言うと、情報量が正直多すぎます。一度観ただけではとてもじゃないけど味わい尽くせないレベル。萌えに対して不死身の精神を持っていないと大変です。例によって、セリフの量も半端なく多いですしね。なおかつ、僕は吹き替えで観たんだけど、字幕版だと、犬は英語、日本人は日本語って具合に多言語でもあって、なお大変。
 
で、そこになおかつ、権力の横暴と不正に市民、特に若者が草の根で立ち向かうという、これはこれでデカいテーマ、鋭いメッセージが込められてくる。ウェスさん、ハードル高すぎませんか。というか、僕は、彼の趣味嗜好スタイルと語るべきメッセージがすんなり溶け合うレベルには達していないと考えています。
 
その結果、観終わった時のカタルシスが弱い。なんか、終始急ぎ足で、あれもこれもとバイキング形式でつまんだ結果、お腹はいっぱいになったけど、どの順番で何を食べたんだっけという、消化不良感がつきまとって、映画一本としてのカタルシスが得られないんです。情報の洪水という意味では『レディ・プレイヤー1』が、そしてフェティッシュな魅力という意味では『シェイプ・オブ・ウォーター』が近作ではありましたが、『犬ヶ島』にはその2作に共通する情報整理のスマートさが及ばなくて、楽しいんだけど、アーティスティックで人によっては難解と思えてしまうのも仕方ないのではないでしょうか。

野田洋次郎のインタビュー記事も載っているパンフレット、オススメですよ。特殊な制作過程を踏んでいる映画だけに、その舞台裏が、か・な・り興味深いから。

そして、これからご覧になるという方にアドバイス。体調は万全の状態で! 

さ〜て、次回、6月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『デッドプール2』です。ここんとこ、狼、兎、犬と続いたこのコーナー、さすがにそろそろ人かなと思ってたら、何か変なの来ました(笑)

あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けてのTweetをよろしく!