京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

三度目の正直 〜その弐〜

漢字だらけの免許証なんて、ここイタリアでは役に立たないのだ。
どうしたものかとうろたえるばかりの私に、
「免許証のほかに、パスポートとか持ってないの?」と再び、警備員。

しまった、パスポートか…
そんなものは持ってない。
正確に言えば、持ってるんだけれども、持ち合わせていない。
昔、トリノの駅でパスポートを盗られたことがあった。
それ以来、パスポートは予め必要だとわかっているとき以外は、
持ち歩かないようにしていたのだ。
その代わりに、コピーはちゃんと持っている。
コピーなら、万一盗まれても再発行などで手間取ることがないというわけだ。

私はおずおずと尋ねてみた。「コピーでもいいですか?」

「う〜ん、コピーじゃあねぇ…」と警備員。

尻込みする彼に、私はコピーをむんずと押し付けた。
財布に入れ続けていたその紙片は、つぶれてくしゃくしゃになっていた。
おまけにコピー代を節約してモノクロでコピーしていたので、
私の顔は自分でも判別しがたいものと化していた。
大丈夫だろうか?
私は困惑した顔を警備員に向けてみた。

彼は明らかに迷っていた。
この日本の生娘を入れてもよいのだろうか?
彼の眼球はパスポートのコピーと私の顔との間を何度も往復する。
私の眼球もそれに合わせて行ったり来たり。
ローマ郊外の映画の都で、4つの眼球が振り子運動を続けていた。

詰所の脇には松の木がそびえている。
終わりかけた夏を惜しむかのように、
一匹の蝉が力を込めて鳴いていた。
私のこめかみからは一筋の汗が流れた。

今入れなかったら、もう二度と入れない。そんな気がした。

ふと、警備員の目の動きが止まった。
決意したのだろうか?
私は私で決意していた。
自らの退路を絶ったのだ。今日は何が何でも中へ入る。
退却は許されない。
彼はゆっくりとその顔を上げる。
私もそれに応じる。
ただし、私の目からは戸惑いが消え、みなぎる決心がそこに2つの炎を灯していた。
その燃えさかる「ほむら」を眼にした警備員が、一瞬ひるんだ。
私はその間隙を縫ってすかさず、はっきりとしたイタリア語で力強く問いただした。
「入れますよね?」
彼の手は迷いなく立ち入り許可証にのびていった。
もはや彼の返事は必要ない。
私は勝利したのだ。

2分の後。
「入れたわ!」
私の眼はいたいけな少女のそれに変わっていた。
6年越し、3度目の挑戦にして、私はやっとその想いを果たすことができたのだ。
蝉の鳴き声も感極まったファンファーレとなって私の耳に響いていた。
チネチッタのメインストリート
気がつくと、私は走り出していた。
なんて広いの?

スタジオ内を知り尽くした今でこそ、その広さもしっかりと把握しているけれど、何せそのときの私は舞い上がっていた。
放っておいたら地平線までも駆けていきそうな勢いだったのだ。

ポンデ雅夫に仕組まれたチネチッタ潜入作戦のはずだったのに…
青写真の即時返還を青筋を立てて求めていたはずなのに…
いつの間にか完全に乗り気になっている私がそこにいた。
何だかよくわからないけれど、嬉しかった。

そんな私は、不安だらけだった面接も難なく乗り切ってしまった。
まったくもって人は気の持ちようによって変わるものだ。
入学はその場であっさり認められた。

映画のイロハも知らない、イタリア語もろくに話せないこの私が、チネチッタの学校に通うことになったのだ。
大丈夫だろうか?
大変なのは、これからだ。

2005年9月24日土曜日、イタリア標準時間午前10時27分。
ファンシーゆず、27歳。
脱線。