漢字だらけの免許証なんて、ここイタリアでは役に立たないのだ。
どうしたものかとうろたえるばかりの私に、
「免許証のほかに、パスポートとか持ってないの?」と再び、警備員。
しまった、パスポートか…
そんなものは持ってない。
正確に言えば、持ってるんだけれども、持ち合わせていない。
昔、トリノの駅でパスポートを盗られたことがあった。
それ以来、パスポートは予め必要だとわかっているとき以外は、
持ち歩かないようにしていたのだ。
その代わりに、コピーはちゃんと持っている。
コピーなら、万一盗まれても再発行などで手間取ることがないというわけだ。
私はおずおずと尋ねてみた。「コピーでもいいですか?」
「う〜ん、コピーじゃあねぇ…」と警備員。
尻込みする彼に、私はコピーをむんずと押し付けた。
財布に入れ続けていたその紙片は、つぶれてくしゃくしゃになっていた。
おまけにコピー代を節約してモノクロでコピーしていたので、
私の顔は自分でも判別しがたいものと化していた。
大丈夫だろうか?
私は困惑した顔を警備員に向けてみた。
彼は明らかに迷っていた。
この日本の生娘を入れてもよいのだろうか?
彼の眼球はパスポートのコピーと私の顔との間を何度も往復する。
私の眼球もそれに合わせて行ったり来たり。
ローマ郊外の映画の都で、4つの眼球が振り子運動を続けていた。
詰所の脇には松の木がそびえている。
終わりかけた夏を惜しむかのように、
一匹の蝉が力を込めて鳴いていた。
私のこめかみからは一筋の汗が流れた。
今入れなかったら、もう二度と入れない。そんな気がした。
ふと、警備員の目の動きが止まった。
決意したのだろうか?
私は私で決意していた。
自らの退路を絶ったのだ。今日は何が何でも中へ入る。
退却は許されない。
彼はゆっくりとその顔を上げる。
私もそれに応じる。
ただし、私の目からは戸惑いが消え、みなぎる決心がそこに2つの炎を灯していた。
その燃えさかる「ほむら」を眼にした警備員が、一瞬ひるんだ。
私はその間隙を縫ってすかさず、はっきりとしたイタリア語で力強く問いただした。
「入れますよね?」
彼の手は迷いなく立ち入り許可証にのびていった。
もはや彼の返事は必要ない。
私は勝利したのだ。
2分の後。
「入れたわ!」
私の眼はいたいけな少女のそれに変わっていた。
6年越し、3度目の挑戦にして、私はやっとその想いを果たすことができたのだ。
蝉の鳴き声も感極まったファンファーレとなって私の耳に響いていた。
チネチッタのメインストリート
気がつくと、私は走り出していた。
なんて広いの?
スタジオ内を知り尽くした今でこそ、その広さもしっかりと把握しているけれど、何せそのときの私は舞い上がっていた。
放っておいたら地平線までも駆けていきそうな勢いだったのだ。
ポンデ雅夫に仕組まれたチネチッタ潜入作戦のはずだったのに…
青写真の即時返還を青筋を立てて求めていたはずなのに…
いつの間にか完全に乗り気になっている私がそこにいた。
何だかよくわからないけれど、嬉しかった。
そんな私は、不安だらけだった面接も難なく乗り切ってしまった。
まったくもって人は気の持ちようによって変わるものだ。
入学はその場であっさり認められた。
映画のイロハも知らない、イタリア語もろくに話せないこの私が、チネチッタの学校に通うことになったのだ。
大丈夫だろうか?
大変なのは、これからだ。
2005年9月24日土曜日、イタリア標準時間午前10時27分。
ファンシーゆず、27歳。
脱線。