FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月25日放送分
映画『マッドマックス:フュリオサ』短評のDJ'sカット版です。
世界が崩壊して45年。砂漠が延々と続く荒廃した土地に囲まれた「緑の地」で育った10歳の少女フュリオサは、無法者のバイク軍団に拉致され、そのトップである男ディメンタスによって、追いかけてきた母親を目の前で殺されてしまいます。その数年後、世界を牛耳るイモータン・ジョーにガスタウンの領有権を引き受ける交換条件のひとつとして、ディメンタスがフュリオサの身柄を渡します。それ以降、フュリオサは母の復讐と故郷緑の地への帰還を胸に誓って生き続けるのですが…
2015年に公開されて、翌年のアカデミー賞では作品賞を含む10部門にノミネートされて6部門を獲得した『マッドマックス 怒りのデス・ロード』において主役マックスの座を奪う勢いだったフュリオサを主人公にした前日譚です。監督、共同脚本、共同製作は、このサーガの創造主であるジョージ・ミラー、現在79歳。
「怒りのデス・ロード」でシャーリーズ・セロンが演じたフュリオサは、今作ではアニャ・テイラー=ジョイが担当。今作のヴィランとなるディメンタスをクリス・ヘムズワース、またフュリオサとタッグを組むことになる警護隊長ジャックをトム・バークがそれぞれ演じています。
僕は先週金曜日の朝一にMOVIX京都でモーニング・マッドマックスをキメてきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
マッドマックス・サーガとはっきりと文字としても冒頭に出てきますが、1作目が公開されたのが1979年。それからメル・ギブソンが主人公のマックスを演じたものが3本あって、2015年、当時27年ぶりのまさかの4本目「怒りのデス・ロード」、原題ではFury Roadが公開されるとみんな驚いたわけですね。なんだこれは、と。映画史におけるテクニックの更新を果たすような先進性と、人類の歴史や文明を普遍的に捉える批評性を備えた傑作であったというのは、もはや評価が定まっているところだと思います。加えて、これ、マッドマックスって言ってるけど、フュリオサという女性ヒーローの物語だよねという驚きもありました。マックスを観に行ったら、フュリオサに完全に惚れてしまった。となると、フュリオサという心も身体も世界最強と呼びたくなるキャラクターの出自を知りたいという声が出てくるのは当たり前でして、その期待にジョージ・ミラーは答えてくれたわけです。そして、この前日譚がまたすごかったので、僕もすっかり興奮しております。
マッドマックスというのは、ポスト・アポカリプスものなわけですね。文明が破壊されてしまった、あるいは、人類がある種自滅してしまった後の世界を舞台にしたSFアクションです。こうした近未来を描くには、そのビジョンをまずどう見せるかというのが大事なわけです。その意味で画期的だったフューリーロード。一面の砂漠。資源が枯渇する中、水、石油、武器、食料を柱とする経済システムを構築して支配するイモータン・ジョーという君主がいる。配下のウォーボーイズという兵隊たちも、子を生み乳を出す機械という扱いを受ける女性たちも、人間なんて命なんて、完全にモノとして扱われてしまっている。そこにフュリオサがシステムの内部から反逆の狼煙を上げたわけですが、どのキャラクターも乗り物も建物も、現実のこの世の中にあるものを組み合わせて生み出されていたにも関わらず、誰も見たことがなく、一度見れば決して忘れられない映像になっていたのがすごかったんですよね。マッドマックスの世界では、圧倒的にあらゆる物資が不足しているがゆえに、そこにあるものを何とか工夫して組み合わせて再利用あるいはアップサイクルせざるを得ないわけです。そういうブリコラージュの精神が映像の隅々にまで反映されていました。それが今回のフュリオサになると、マッドマックスの世界にも理想郷と呼びたくなる「緑の地」という場所があったんだと、あの荒廃したところにも人間の一握りの希望はあったのだとまず見せたわけです。そこからさらわれてしまったのがフュリオサですね。母から授かった「必ず緑の地へ帰還するのだ」という使命と植物の種=希望の種を握りしめて、フュリオサは文字通り虎視眈々とアニャ・テイラー=ジョイのあの大きな瞳で緑の地への逃走と、あの地獄のような社会との闘争、母親の仇討ちを果たすべく、15年の年月をサバイブしていくんです。それが、フューリーロードの3日ほどの短いスパンの物語にガチャコンと見事に接続していきます。
そういう前日譚なので、もちろん逆算されて作られている側面はありますが、辻褄を合わせる、パズルを組み合わせる作り手の作為が透けてみえるような杜撰さや迂闊さは皆無などころか、ディメンタスというイモータン・ジョーとはまたずいぶん毛色の違う悪役とその軍団を造形してみせたり、冒頭の緑の地のようなコミュニティを見せたりして、シリーズの中にフレッシュな要素をちゃんと持ち込んでいます。その上で、サーガ全体を補強したり奥行きを出しているんです。これは尋常ではないことですよ。フェミニズム映画として崇高な理想を掲げながらも、銃器に車にバイクにナイフに筋肉とマッチョなジャンル映画的わかりやすさを奇跡的に同居させているのは前作同様ですが、それこそ尋常ならざるアクションも健在どころか、また新しいことをして見せています。同じことはやりたくないジョージ・ミラーですから、これどうやって撮影しているのかまったくわからないんですけどっていうショット、シーンのオンパレード。このシリーズは、車を使った西部劇だなんて言われていますが、ウォー・タンクという改造タンクローリーを巡るアクションは、1903年、西部劇の元祖と言われる『大列車強盗』以来の定番である、走る列車を襲うというモチーフがタンクローリーにすり替わっているようで、あそこはもう鳥肌立ちっぱなしです。映画というメディアにまた新しいアクションを持ち込んでしまうジョージ・ミラーに感服と感謝を表明しますよ。
西部劇のようであり、ディメンタスの出で立ちや乗り物を見れば誰もが思い浮かべるようにローマ史劇のようでもあり、優れた文明批判、行き過ぎた資本主義とファシズム批判であり、人間とは何かを考察させる哲学でありながら、エンターテイメントとして誰が見ても血湧き肉躍るってなんなんですか。さらに、今回は星の数ほどある復讐劇にも新しいアイデアを提示してくれます。現実において、資本主義と新自由主義はあいも変わらず暴走し続けながら地球の資源をむさぼり、あちこちで独裁者が欲望を剥き出しにして、戦争はまったく無くならない。世界はマッドマックス・サーガを必要としているんです。まだ観ていない方は劇場へ走ってください。するとそのまま、フューリーロード、地獄のデスロードまで駆け抜けたくなること必至。格別な映画体験でした。
さ〜て、次回2024年7月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『バッドボーイズ RIDE OR DIE』です。帰ってきたウィル・スミスって感じかな。いろいろあったが、あなたがスクリーンでハッスルしている姿が観たかったのよ。勇んで映画館へ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!