京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『わたくしどもは。』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月11日放送分
映画『わたくしどもは。』短評のDJ'sカット版です。

名前も過去も記憶がない女が目を覚まします。そこは新潟の佐渡。鉱山で清掃の仕事をする女性キイに見つけられた彼女は、キイの家に連れて行ってもらい、そこで暮らす少女たちにミドリと名付けられます。そのミドリも鉱山の館長から清掃の仕事をさせてもらえるようになり働いていると、アオという青年と出会うのですが、彼もまた記憶がないというのです…  
 
監督・脚本・編集は、北海道釧路生まれで映画はロンドン・フィルム・スクールで学んだ富名哲也。これが長編2作目となります。ヴェネツィア国際映画祭が新鋭監督を支援するプロジェクトによって製作され、去年の東京国際映画祭でワールドプレミアを迎えました。ミドリを小松菜奈、アオを松田龍平が演じた他、片岡千之助石橋静河内田也哉子森山開次田中泯大竹しのぶなどが出演しています。音楽は野田洋次郎が手掛けました。
 
僕は先週木曜日の午後にアップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

このコーナーでは、ここしばらく『猿の惑星』『悪は存在しない』『帰ってきた あぶない刑事』とまさに映画神社のおみくじによるご託宣というのを地で行くランダム性を発揮しておりますね。幅が広い。今作『わたくしどもは。』については、現在大ヒット中の『マッドマックス フュリオサ』の対局にあるような、はっきりとアート映画に振っている印象です。というのも、わかりやすいストーリーラインの起伏が展開していくタイプの作品ではないので、人によってはかなり戸惑うんじゃないでしょうか。僕なんかも、記憶を無くした男女の物語で舞台は佐渡っていう知識だけで観たもので、「こういう感じなんだ」と結構びっくりしました。かと言って、つまんね〜と突き放すようなものではまったくなくて、僕たち観客の興味をスクリーンに集める画面の強度があるので、やっぱりしっかり観ちゃうんですよね。正直なところ、静かなシーンなんかでは編集がガチャガチャしていないこともあって眠気を催す人がいてもおかしくないし、睡眠不足だと危ないところはありますが、観ていて心地よいし美しい映像が続きます。僕としては、なんか懐かしい感覚すらあったんですが、思い出したのは、タルコフスキー監督のフィルモグラフィーですね。画面に映っているものは現実のこの場合は佐渡の風景だし有名な俳優たちばかりなのに、映画としては現実から遊離したようなSFに近い味わいで、とにかくハッとさせる画作りというか息を呑む映像でこの世ならぬところや感覚に導かれていく感じ。

©2023 テツヤトミナフィルム
それもそのはずというか、四十九日というワードが出てくることで示唆されるように、今作はどうやら死後の世界を舞台にしているようだってことがだんだんわかる仕掛けになっているんですね。この「だんだんわかる」って感じが肝でして、主人公の「ミドリ」と名付けられる小松菜奈演じる女性にしても、目が覚めたときに、なぜ自分がここにいるのか、自分は誰なのかわからないところから始まるわけで、観客も作り手からこうこうこういう場所でって説明を受けていないので、ミドリの感覚に近いわけです。まさに、「ここはどこ? 私は誰?」なんですよ。現実の世界なんだけど、なんだか奇妙。そこにいる人も現実離れしているし、交わされる会話も曖昧で断片的。キャラクターも色の名前が付けられているか、館長みたいな役職で呼ばれている。服装も言わば、高度に抽象化された時空間において、「私はだれ?」「この人はだれ?」という問いが観客の中で「人間ってなに?」という普遍的な質問へと色彩を変えていくんですね。

©2023 テツヤトミナフィルム
インタビューによれば、富名監督は佐渡金山を訪問した際、無宿人と呼ばれた人たちの墓を目にしたところから構想を練り始めたようです。かつて、名前や戸籍、社会的な役割を剥ぎ取られて金山に連行された人たちがいた。そして、佐渡には江戸時代、心中事件が頻発することがあったということも着想の源になったようです。小松菜奈のミドリと松田龍平のアオは、冒頭から心中を匂わせるシーンがありましたね。なんか、おなじく心中や浄瑠璃を踏まえた北野武の『Dolls』を思い出してしまうところです。この世とあの世の間とも言うべき場所が舞台なら、大島優子門脇麦、のんが出ていた『天間荘の三姉妹』も浮かびます。ただ、あれはこの世とあの世の端境をものすごくこの世に寄せて具体的に描いていたのに対し、今作はその具体性や輪郭のはっきりした物語性を削ぐことで抽象化した寓話に仕立てています。そうすると、人間の愛情、嫉妬、いじめ、仕事、家族といったような人間を人間たらしめる要素がボワンと観客の胸の中に浮かんでくることを狙っているんじゃないでしょうかね。

©2023 テツヤトミナフィルム
ラスト付近、ふたりがバイクに二人乗りしてトンネルに消えていったところからの一連のシーンなんてとても良かったです。トンネルというのも、この手の物語のお約束モチーフではありますが、ひねりが聞いていたし、愛の不思議とか人間の感情の不思議さについて思うところもありました。ちょっと投げっぱなしのキャラクターが気になるところではありますが、僕という人間を僕たらしめている要素ってなんだろうなんて思いながら劇場を後にする、久しぶりのアート映画ならではの味わいを噛み締めた鑑賞体験でした。
この作品で音楽を担当した野田洋次郎の声を届け王と、SOIL&”PIMP”SESSIONSにフィーチャーされたこの曲をお送りしました。此岸と彼岸をモチーフにしたという意味で通じるところもあるかも知れない『君の名は。』のサントラを担当した翌年でした。

さ〜て、次回2024年6月18日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』です。原作本は世界各国で翻訳されていて、日本でも本屋大賞翻訳部門の2位になりました。イギリス本国では、初登場1位を記録したというロード・ムービーですが、定年を迎えて穏やかに暮らしていたという彼が、長い長い旅に出た理由とは? ワンダーフォーゲル部出身の僕としても、これは期待が高まる! さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!