京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月18日放送分
映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』短評のDJ'sカット版です。

イギリスの南の端にある小さな町で、定年退職後、妻のモーリーンと静かに暮らすハロルド・フライ。ある朝、イギリスの北部、スコットランドから一通の手紙が届きます。差出人は、かつて彼がビール工場に勤務していた頃の同僚クイーニー。彼女はホスピスに入っていて、余命はあまりないとのこと。すぐに返事をしようとしたハロルドですが、結局手紙を投函できず、ふとした思いつきでホスピスまでの道のり800キロを徒歩で移動し、クイーニーに直接会いに行こうとするのですが… 

ハロルド・フライのまさかの旅立ち (講談社文庫)

原作は世界での累計発行部数が600万部という同名ベストセラー小説。日本でも翻訳が出た2014年には本屋大賞翻訳小説部門で2位になりました。監督はTVシリーズの演出をメインに活躍するヘティ・マクドナルド。脚本は原作者のレイチェル・ジョイスが務めました。ハロルド・フライを演じたのは、『ハリー・ポッター』シリーズや『パディントン』シリーズで知られるジム・ブロードベント。妻のモーリーンには、ペネロープ・ウィルトンが扮しました。
 
僕は先週木曜日の午後になんばパークスシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は原作を読んでいないので、おおよその設定だけを頭に入れた状態で映画館に行ってきました。先に結論を言っておくと、傑作とまで持ち上げることはしないが、僕はかなりの佳作だと認識しています。うまく行っている理由はいくつも考えられる、あるいは推察されます。まず挙げておきたいのは、結構な長さの物語を映画台本に脚色したのが、原作者レイチェル・ジョイスその人であることです。彼女はこのベストセラーを出した後に、続編というか三部作というか、妻モーリーンを主人公にしたものと、ハロルドが会いに行く元同僚のクイーニーを主人公にしたもの、つまりはこの物語のメインキャラクター3名それぞれを主軸にした小説を発表しているんです。スピンオフと言えばそうなんだけど、それにしたってあまりないパターンですよね。それほどに、ジョイスさんはこの設定で登場人物の心理を掘り下げて多方面から核心に迫ることをしてきた。だからこそ、2時間弱の尺にするなら何が必要で何が不要かの取捨選択がうまくできているんですね。

(C)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022
たとえば導入部。ハロルドの家にクイーニーからの手紙が届いてから勢いでそのまま旅に出てしまうまでの流れの無駄のなさよ。びっくりしました。本当にトントン拍子なんです。原作だと、たとえば返事の手紙を投函しようとポストに来たけれどなかなか決心がつかず、立ち寄ったガソリンスタンドで軽食を取る時に若い店員と話をしたことで、800km歩く決意を固めるんですが、映画版では食事はしなくて牛乳を買う時のレジでの会話にとどめています。こうした贅肉のないイントロのおかげで、あれよあれよと旅に「出てしまった」という、邦題の「まさか」がそういうものだとすんなり見せてくれる巧さが極まっています。なおかつ、ここが重要ですが、小説とは違って映像で見せるわけだからと、ジョイスさんが脚本家としてわきまえていて、イギリスの多様な風景にキャラクターの心理描写を重ねる姿勢を見せていること。これはつまり、監督に思い切って委ねているところでもあるはずなんですね。それはイギリスならではの丘陵地帯に降り注ぐ光であり、雨であり。あちらの天気の変わりやすさを、物語に深みをもたらす道具としてあくまで映像的に活用する素地をジョイスさんが提供しているんだと思います。

(C)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022
この物語はアメリカ大陸などに舞台を移しても成立するものだとは思いますが、味わいはまたずいぶん違ったものになるんじゃないでしょうか。風景もそうですが、人もね、イギリスがぴたりハマっている気がします。それはイギリス人独特のウィットやすぐには本音を言わない気質をうまく反映してあるから。たとえば、途中でハロルドが出会う移民の女性。あるいは、さっき触れたガソリンスタンドの青い髪をした若い女性。妻のモーリーンも、なんならハロルドにしたって、はっきり嘘をついたり、嘘ではなくとも本当のことは伏せていたりってことがその後明らかになる展開が散見されます。これは、自分の気持ちをうまくまっすぐに表現できなかったり、それによって人間関係にヒビが入ったり壊れたりしてしまうことにもつながるんですよね。そこはもしかすると日本社会にも通じるところかも知れない。言いたいことや言うべきことを言わないのはポイズンなんですよね。特に、人生を左右するような局面で黙っているのは、心身に毒。もちろん、だからと言ってなんでも言えばいいもんじゃないし、何でもすればいいってわけじゃないのはわかるけれど、結局言えなかった、できなかった、タイミングを間違えて後悔したことって誰でもありますよね。もはや取り返しのつかない過去に蓋をして生きては来たけれど、ある時に不意にその蓋がぱっくり開いてしまうことだってある。それがハロルドの旅なんですよ。そこには、過去の投影がある。未知なる出会いがある。思わぬ広がりがある。800kmの道のりにおいて、ただ前を進んでいるようで、時間や人のつながりという意味では、実は縦横無尽なんですね。そこが、甘くて苦くて愛おしい。

(C)Pilgrimage Films Limited and The British Film Institute 2022
強烈なカタルシスは正直ない映画だし、鑑賞後の感情もハッピーともサッドともスイートともビターとも言い切れない複雑な味わいなので、それをスッキリしないと捉える人がいるのはよくわかりますが、僕はあの重要な小道具クリスタルのペンダントのきらめきそのものだと感じたんです。宝石ではないガラスだし、それ自体が光るわけではないんだけれど、ハロルドが出会った人たちが日常の中で些細だけれど確実に現れた光に気づいていくのが愛おしい。僕たちの人生や暮らしというのは、そのほとんどがたいして意味はないし、何の変哲もない。やがてはあの光のように消えていくものなのだろうけれど、その光に気づくことには価値があるはずなんですよね。クリスタルはガラスがカットされることで反射してきらめくわけですけど、誰かとの出会いや過去の言動が人生というガラス玉を複雑にカットしていくもの。僕にとってそうだったように、この映画、この物語が鑑賞者の人生にとっての新たなカットになるかもしれない。そんな切れ味も確かに備えた佳作だと思います。僕が観た限りでは、初めて夫婦が並んで座る上のカット、味わい深かったなぁ。なんて具合に、演出も結構芸が細かいです。
この映画では、音楽はイギリス現代の吟遊詩人と呼びたくなるようなフォークシンガーSam Leeが手掛けています。彼も映画にちらり登場しますが、劇中で使われている曲にもほぼすべて字幕が付くくらい、物語にフィットしているんですね。そちらは映画館で楽しんでいただくことにして、今日はSam Leeを僕が知るきっかけになった10年ほど前のすばらしい曲をオンエアしました。


さ〜て、次回2024年6月25日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『マッドマックス:フュリオサ』です。公開から候補に入れていたものの、これは当たらへんパターンかなと思いつつ、今日はコーナー直後にTina Turnerによる『マッドマックス サンダードーム』の主題歌を選曲しておいたのが功を奏したのかどうなのか。とにかく、当たりました! よっしゃぁ! なんだか観る前から高揚してしまっていますが、気持ちを落ち着けてしっかり観てきます。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!