FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月16日放送分
映画『潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断』短評のDJ'sカット版です。
第2次世界大戦中の1940年10月、イタリア海軍の潜水艦コマンダンテ・カッペッリーニは、イギリス軍への物資の供給を断つことを目的に出航。地中海からジブラルタル海峡を抜けて大西洋へと向かいます。作戦の途中で見かけたのは、どこの国のものかわからない貨物船。ただし、甲板には艦砲を装備し、攻撃を避けるように灯火管制をしていたため、コマンダンテ・カッペッリーニは戦闘を開始して撃沈。艦長であるサルヴァトーレ・トーダロは、「敵の船は容赦なく沈めるが、人間は助ける」として、海に投げ出された乗組員たちを救助するのですが…
監督・脚本・原案は、僕と同い年、78年生まれのエドアルド・デ・アンジェリス。ヴェネツィア国際映画祭の常連として、高く評価されている人です。それから、共同脚本として、作家として日本でも小説が訳されているサンドロ・ヴェロネージが参加しました。音楽は、マッシブ・アタックの創設メンバーにして、3Dという名称で知られるロバート・デル・ナジャが担当。彼はバンクシーの正体なのでは?と噂されるひとりでもあります。そして、主演として、潜水艦コマンダンテ・カッペッリーニ号の艦長を、イタリアを代表する俳優として国際的にも大活躍のピエルフランチェスコ・ファヴィーノが演じました。
僕はイタリア映画祭2024の関係者向け試写で一度観ていましたが、改めて先週金曜日の朝、京都シネマで鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
日本だと戦艦大和ほどではないかもしれないけれど、イタリア海軍がかつて誇った潜水艦コマンダンテ・カッペッリーニ。もちろん、実在したものなんですが、こんなエピソードがあったことは知らなかったという実話ベースの物語になります。コマンダンテ・カッペッリーニというのは、19世紀半ばに活躍した海軍将校の名前でして、それを潜水艦の名前にしたんですね。だから、映画のタイトルは潜水艦そのものを指すんですが、観ればわかるように、主人公のトーダロ艦長のことを乗組員誰もがコマンダンテと呼んでいるんですね。これはイタリア語で指揮官という肩書のこと。ややこしいんですが、このタイトルは、カッペッリーニ号という潜水艦そのものと、その指揮官である艦長のどちらにも取れるようなところがあります。
トーダロ艦長は、映画冒頭にあるように、25歳の頃に水上飛行機の訓練をしていて脊椎を損傷します。普通なら傷痍年金を受け取って引退するようなレベルの怪我だったんですが、彼はその脊椎を固定するコルセットを四六時中身につけつつ、作戦に従事していきます。彼ら軍人を送り出す女性たちのモノローグが何度か挟まっていましたね。彼らが帰ってこないことを知っている。たとえ、帰ってきたとしても、その次には帰らないことを知っている。戦況が悪化してくる中で、作戦の度にそれほど強く死を意識せざるを得ない。トーダロは、そもそも事故で一度は死んだ身だとの想いがあります。自己犠牲の精神もありながら、モルヒネが処方されるほどの痛みを抱えつつ、彼はヨガに取り組んだり神通力の専門書を読みふけったりして、時にとんでもない洞察力を発揮したことから魔術師とも呼ばれていました。
劇中、まず前半のハイライトとなるジブラルタル海峡の突破にしたって、狭い海峡で敵船がうようよいて機雷だってそこかしこにプカプカしてるようなところを越えていくのは捨て身の作戦ですよ。「海のドンキホーテ」というニックネームもあったといいます。だけれども、トーダロは艦長として乗組員を守るために、それこそ乗り込む際には部下の病気を見抜いて陸に残るように命令していました。その後、彼は実際に病気が発覚して手術を受けたという連絡が入っていましたね。他にも何名か乗組員を失いはしますが、なんとか最小限にとどめ、潜水艦も守り抜きます。これはまぁ、軍人として立派な成果ではあるものの、当たり前の態度かも知れません。ただし、自分たちを攻撃してきた船の面々を救助するとなると話は別でしょう。トーダロは自分たちの部下にきっぱりと言います。「軍規違反になるやもしれぬが、全責任は自分が取る」。これは軍人である前に、我ら船乗り、潜水艦乗りは、海の男ではないかということですよ。シーマンシップに則るなら、軍人として敵の船は容赦なく攻撃しても、ひとりひとりの人間、ましてや海で溺れんとしている人を救うのが務めだ。実にヒューマンで崇高な考え方です。
「潜水艦映画にはずれなし」なんて言葉があります。実際に面白いもの、出来の良い作品がいくつも浮かんできます。同じ時期の物語で、イタリア、日本と同盟関係にあったドイツの潜水艦を扱った81年の名作『Uボート』と見比べてみると面白いかも知れないのは、同じくジブラルタル海峡を突破するシーンがあることと、食事への熱の入れ方の違いではないでしょうか。潜水艦の食事なんて、ミッションが長くなればなるほどジリ貧で味気ないものになりがちな中、艦長は料理長にイタリア全土の料理の名前をそらんじさせるんですよね。乗組員にはいろんな地方の出身者がいて、それぞれの故郷の味がある。イタリアは個性豊かな地方の集まりなんだ、それこそがイタリアという国の強みなんだと言わんばかりのメニューのオンパレード。ひもじさも切なさも料理文化の豊かさで心強さに変わってく。さらに、料理と言えば、外国の文化へのリスペクトもとってもコミカルな場面でうまく表現されていて最高でした。戦争映画としての迫力や臨場感。潜水艦映画特有の緊張感。エロスとタナトス、つまり生きることに「りっしんべんの性」に死が交錯するポエティックな深海の表現。見事に詰め込まれた、新たな潜水艦映画の傑作です。特に2度目に気づいたんですが、トーダロ艦長のかつての事故と亡くなった仲間を弔う場面のクロスさせるような編集もよくできていました。それもこれも、なんと80メートル近い潜水艦を港にそっくり再現した美術部の仕事が支えています。圧巻です。
戦争のさなかにあっても発動される、イデオロギーや国の命令のもっと前にあるべき人の道、海の掟を描いたこの作品。監督と脚本家は、地中海を越えてヨーロッパへ渡ってくる移民たちの事故や受け入れのあり方に胸を痛めたことが創作の動機となっています。ちなみに、トーダロ艦長の名前は、サルヴァトーレ。救世主という意味です。さらにちなみに、コマンダンテ・カッペッリーニ号ですが、本作で描かれた作戦の後、実は日本へとやって来まして、現在は存在しません。和歌山沖、紀伊水道の海の底に沈んでいることは、日本でもイタリアでもそう知られていません。このあたりは、公式パンフレットに詳しいですし、2年前にフジテレビ系列で放送された二宮和也主演のドラマ『潜水艦カッペリーニ号の冒険』や増山実さんの小説『風よ 僕らに海の歌を』を参照すると、カッペッリーニ号を始めとするイタリアの潜水艦の数奇な運命により多角的に思いを馳せられることでしょう。