京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

反ファシズムの老衰 〜対立項の喪失が意味するもの〜 

 日本ではあまり話題になりませんが、2008年1月、ロマーノ・プローディ(Romano Prodi)政権が崩壊し、シルヴィオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)が再び政権を握ることになりました。日本にいる僕には、「あっ、そうなんだ」というくらいの反応でしかないのですが、イタリア国内にはこのベルルスコーニの返り咲きを、好ましくは思わない人がいるようです(当然ですが…)。

 イタリアという国は、「ファシズム」(fascismo)という拭い去ることのできない歴史をもっています。戦後、共和制に移行して60年以上が経った今でも、「ファシズム」という思想をどう捉えるか、というのは重要な論点でありつづけています。

 というのは、1990年代以降、ファシズムは「ネオファシズム」という新たな形で、再び政治の表舞台に現れ始めたからです。たとえば、1994年、ジャンフランコ・フィーニ(Gianfranco Fini)は、サロ共和国*1の活動を継承して結成されたファシスト政党「イタリア社会運動」(Movimento Sociale Italiano)を母体として、政党「国民同盟」(Alleanza Nazionale)を組織し、エルサレムでユダヤ人の犠牲者を追悼するなど、路線を修正することで、スキャンダルにもならず、政府の要人として、イタリアの政治に関与するようになります。また、アレッサンドラ・ムッソリーニ(Alessandra Mussolini、ベニート・ムッソリーニの孫)が、フィーニの「国民同盟」から脱退し、政党連合「社会的代案」(Alternativa Sociale)を結成しても、イタリアの世論は極右勢力の活性化を恐れるよりも、政界の些細な出来事として、済まされてしまったようです。これには、さまざまな日刊紙・週刊誌(『ボルゲーゼ』誌など)やテレビのトークショーにおいて、ファシズム支配の20年の歴史が、意図的に歪曲・通俗化されて、読者や視聴者へと流されたという背景も無視できません。

 こうした、ファシズムに関する歪んだ情報や知識の低下、または反ファシズム意識の低下に危機感を募らせている歴史家は多いようで、セルジョ・ルッツァット(Sergio Luzzatto)もその一人です。彼の著書『反ファシズムの危機―現代イタリアの修正主義』では、現在のイタリア社会では、反ファシズムの精神が老衰し、死にかけていると警告し、反ファシズム的視点の復興を唱えています。

 彼は、特にイタリア主要メディアを牛耳るベルルスコーニを取り上げ、「イタリアは、ホモ・ヴィーデンス(見る人)、つまりテレビ有権者と化した現在の市民が、公共テレビの情報・娯楽チャンネルを管理するだけではなく、民間テレビの情報・娯楽チャンネルを所有する首相のメディア帝国に従属させられる、西洋で唯一の国である」と言います。さらに、このベルルスコーニのメディア支配を、1920年代、ムッソリーニにより設立された教育映画連盟(L’Unione Cinematografica Educativa = LUCE)が、映画と政治的プロパガンダを結びつけ、「同意の工場」を作り出したことと比較し、ベルルスコーニ政権にファシズム的体制の影を見ています。

 ルッツァットの主張は一貫しており、それは「反ファシズムの精神の衰え」を自覚し、これを回復させるべきだ、というものです。イタリアの歴史修正主義は、ファシズムと反ファシズムの対立関係を無意味化・相対化することで、反ファシズムの存在を希薄化させようとしているとし、ファシズム支配が終わり、60年以上経った今、ファシズムと対立関係にあった共産主義がその終焉を迎えると同時に「反ファシズム」も墓に引きずりこまれようとしていると指摘します。

 つまり、両者の対立関係という事実を解体することで、反ファシズムという精神が薄められているというわけで、「21世紀の歴史を、白も黒も区別しない曖昧な海の中で溺れさせない」ことが肝心になってくるのです。

 この対立項の消滅という点で、ルッツァットは面白いことを言っています。それは、「ピエル・パオロ・パゾリーニファシストの消滅を嘆き悲しんだ」というものです。共産主義に傾倒していたパゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)がファシストの消滅を嘆くという、なんとも逆説的な話は対立関係の役割を考えれば納得がいきます。パゾリーニは「敵の不在が反ファシズムの救世主的な意義を消耗させかねないことを恐れた」のです。実際、パゾリーニは、キリスト教民主党の総裁アルド・モーロ(Aldo Moro)を「ファシスト党幹部」であると名指しで批判することで、対立する思想(ファシズム)に宣戦布告をしており、「赤い旅団のテロリストたちがその残忍な仕事をほどなく実行に移す前から、パゾリーニはそれをメタファーのレヴェルで行なっていた」とのことです。

 詰まるところ、なにか特定の思想を糾弾していくには、その思想と対立関係にある思想を持ち出し、自分たちの「敵」を明確化・可視化していく必要があるようです。イタリアの各種メディアには、ファシズムに歪められた仮面をかぶせたり、「ファシズム」対「反ファシズム」という対立関係をぼやけさせ、「反ファシズム」を無力化しようとする意図が潜んでいるようで、ともすれば、「過去」であったはずのファシズムが、その形を変えて再び不幸を生む、という「未来」のシナリオも、あながち有り得ないこととはいえないようです。  

*1: Repubblica di Salò  ムッソリーニがドイツ軍の援助を得てイタリア北中部に建設したファシスト国家で、正式名称は、イタリア社会共和国(Repubblica Sociale Italiana)。ガルダ湖畔のサロを首都としたことからこう呼ばれている。