ロッジ家の主ガードナーを演じるのは、マット・デイモン。妻とその姉(一人二役)には、『キングスマン・ゴールデン・サークル』で最高に悪趣味なヒールを熱演したジュリアン・ムーアが扮している他、妻にかけられていた生命保険の調査員として、『スター・ウォーズ』シリーズここ2作の人気キャラ「ポー・ダメロン」の記憶も新しいオスカー・アイザックが出演しています。
この種のテーマは僕は大好物なんですよ。サバービコンは理想を絵に描いた書き割りのような街。極めて人工的、画一的。白人だけが住んでいるわけだけど、人間の欲望も漂白されていて、逆に異様なんです。そこで突如起きる強盗殺人。しかし、犯人たちは金目のものを盗まなかった。それはなぜか。裏で誰かが糸を引いているのではないか。一皮むけば邪(よこしま)で欲にまみれた大人たちの手前勝手な行動を、一人息子のニッキーがじっと観察する。コーエン兄弟の『ファーゴ』にもあった「やむにやまれぬ殺人」というモチーフも登場するんですが、クルーニー監督にしてみれば、それをサスペンスの神様ヒッチコック風に描いてみようという意図が透けて見えます。
光と影の強調、ナイフの使い方もそれっぽいし、やがて誰かが口にすることになる毒入りのミルクなんて、まんま『断崖』という映画です。そして、死体の始末をするところに笑いを盛り込んでくるあたりは『ハリーの災難』も思い出します。マット・デイモンが身体のサイズとまったく合わない小さな自転車を必死でこぐところとか噴飯物でした。まとめると、ひねりのあるコーエン兄弟の物語をヒッチコック的様式でくるんだ、ブラック・コメディー+サスペンス・スリラーでロッジ家の地獄、欲望の成れの果てを社会風刺として描く映画を目指した、と。
好みは別として、僕はそこまではある程度はうまくいっていると思うんです。僕の大好きな「人は見かけによらない」というテーマもうまくハマっていました。ただ、リベラルな運動家としても知られるクルーニーですから、それだけでは物足りないし、自分がやる意味がないとでも思ったのでしょう。このコーナーでも最近よく扱う黒人差別(しかも実話ベース)の要素を付け加えて、自分のスタンスを表明しながら、分断されたアメリカへの批判も盛り込むことで、20年ほど前の脚本を今映画化する意味を見出した。その意図は分かります。見上げたことです。