FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 10月22日放送分
映画『若き見知らぬ者たち』短評のDJ'sカット版です。
死んだ父親の借金を返済し、認知機能に障害の出る難病を患う母の介護をしながら、昼は工事現場、夜は両親が開いたカラオケバーで働く風間彩人。弟の壮平も働きながら母の介護をしている他、総合格闘技の選手として将来を嘱望されつつ、大事な試合に向けて練習に励んでいます。風間家には、彩人の恋人である日向が出入りして料理などを手伝ってくれている状況です。そんなある日、彩人の親友である大和の結婚を祝うパーティーが開かれるのですが、思いも寄らぬことが起こってしまいます。
原案、脚本、監督は、自主映画の『佐々木、イン、マイマイン』が国内外で高く評価された内山拓也。これが彼の商業映画デビュー作となりますが、日本、フランス、韓国、香港による国際共同製作となりました。彩人を磯村勇斗、恋人の日向を岸井ゆきの、壮平を福山翔大(しょうだい)が演じた他、霧島れいか、染谷将太、滝藤賢一、豊原功補なども出演しています
僕は先週木曜日の午後、Tジョイ梅田で鑑賞してきました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
『佐々木、イン、マイマイン』で相当食らった僕ですから、内山拓也監督の商業映画デビューはそれはそれは嬉しいことだし、観る前から応援する気満々という濃い色眼鏡をかけてしまっていたことは認めますが、それを踏まえたとしても、良い意味で僕は非常に驚く場面が何度もあったんです。やっぱり、すごい。実は脚本レベルでは気になるところとか納得のいかないところがいろいろとあるんですが、少なくとも映像の演出とフランスに監督も出向いて行ったという編集において、それはそれは目覚ましい才能を発揮していると唸ってしまいました。そこをまずは高く評価したいです。
まずは映像の演出。具体的にはカメラの位置の決定と動き、もっと言えば空間の捉え方がすごい。不思議なアングルって要所要所に出てくるんですよね。たとえば、主人公たちが住んでいる街は典型的な郊外のニュータウンなんですけど、家から彩人が仕事に行くために自転車に乗って下っていく坂の急なこと。かなりスピードが出るもんで危なっかしいんです。帰りは帰りで登りきれないから、途中で自転車を降りることになる時にヘルメットを落としたりして、いずれも彼の暮らしぶりを表すようでした。弟の壮平も同じところを階段でロードワーク中に下りていくんだけど、それをワンカットで見せるんですよ。ずっと、彼の走りを追いかけられるようなあのカメラ位置をよく見つけたな、と。壮平は順調に遠くまで行くんですよね。あとは、壮平がいよいよ試合に向かう時の様子。あそこは彩人と壮平でまるで違う状況なんだけど、ふたりがそれぞれ横になるところや、その時に体をみっちり布で覆う様子がそっくりっていうのを、たとえば90度天地が回転した真横からのショットで比較して見せるのも驚きます。そして、カメラの動きで言えば、ワンショットで360度回転してみせたり、長い横移動で彩人の自転車を捉えつつ、その気だるさであるとか、生きている実感に乏しい様子を見せてからの、パッと顔の正面の絵に切り替えて「ドン」とショッキングなアクションを突きつけてみたり… あとは、カメラ移動の中に時間のジャンプを挟む、つまりはワンショット内で回想をそのまま挟み込む特異な演出も効果を上げていました。格闘技の試合シーンは、よくそんなことできるなという7分ノンストップの長回しでしたよね。といった調子で、内山監督は「映画は映像で語るもの」だっていう当たり前のことを、改めて相当意識したうえで、物語全体や場面ごとにカメラ位置とカメラの動きとワンショットの長さを徹底的に考え抜いています。その成果として、内山監督ならではの文体=スタイルが確実にできあがっているというのは、商業映画デビューにおいて驚異的なことで、僕はその点において『Mommy/マミー』のグザヴィエ・ドランを思い出したりもしました。
『Mommy/マミー』を想起したのは、障害を扱っているという共通点もあったからかもしれません。あれは、夫を亡くした母と障害を抱える息子の愛情と葛藤の物語でした。こちらは、夫を亡くして障害を抱えた母親と息子たちの話ですね。タイトルの『若き見知らぬ者たち』は、どこにでもあるようなニュータウンで匿名的に暮らしている報道の対象にもならないようなYoung Strangersにスポットを当てる、カメラを向けるのだという意志がうかがえます。ヤングケアラーの問題に切り込んでいったのもそういうことでしょう。自分の力ではどうにもならない両親の関係や借金や家族の障害を抱え込んで塞ぎ込んで未来を閉ざしてしまった彩人という若き見知らぬ存在。恋人の日向や親友の大和の力もあって、徐々にではあるけれど、誠実さのみを胸に彩人が前進したように見えた時、理不尽な公権力や暴力の暴走によって無抵抗なまま無惨なことになります。一方で壮平は、兄とは違うやり方で事態を打開しようと格闘技に打ち込んでいく。
組織やシステムの不正義や、自己責任の内面化を強いてくる社会の価値観、セーフティーネットの脆弱さ。こうした日本の現代社会の厳しい状況の中で蠢く若者たちの葛藤がこの映画には散らばっていて、ひとつの明確なメッセージが浮き彫りになるタイプの作品ではありません。だから、観終わって結局なんだったのって思えてしまうのも不思議はないし、誰それの行動原理がわからないという例はいくつも出てくるかもしれません。それでも、この作品が内包する独特の温度感に心の低温火傷を負うような感覚は、好き嫌い関係なくあると思うし、生きるってなんだろう、死ぬことってなんだろうと考えさせられる、忘れられない1本になるはずです。監督の身の回りで起きたできごとを映画化しているだけに迫真の内容になっている反面、説明を省きすぎてもやもやさせたり、彩人の家ばりにトピックを乱雑に入れ込みすぎたりしてしまっている不備も脚本レベルであるでしょう。ただ、僕は内山拓也監督という若き才能がこれから開花してよく知られた者になってほしいという期待を込めて、印象的なセリフを形を変えて引用すれば、人間なんて不確かで曖昧なものかもしれないが、だからこそ僕は内山監督の才能を信じたい。僕は拍手を送ります。
映画の中で不意に歌われるこの曲に、僕はしっかりグッと来てしまいました。前作でもそうでしたけど、内山監督は映画の中で鳴らす曲だけじゃなく、キャラクターに歌わせるのがうまいです。