京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『メリー・ポピンズ リターンズ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月7日放送分
映画『メリー・ポピンズ リターンズ』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20190207165259j:plain

1930年頃、第一次大戦と第二次大戦の間、前作から20年後、大恐慌時代のロンドン。前作で少年だったバンクス家のマイケルは、今や3児の父。祖父の代から代々務めているフィデリティ銀行の臨時職員として働いています。ただ、時代の重い空気は桜通り17番地の彼らの家にも垂れ込んでいて、かつてのような経済的余裕はない上、マイケルの妻が1年前に亡くなったばかり。そんなタイミングで、彼が受けていた融資の返済期限が切れてしまい、自宅が差し押さえられるまでもう少し。バンクス家の一大事に、かつてマイケルを世話した教育係ナニーの魔法使いメリー・ポピンズが、20年前のように舞い降ります。
 
1964年に製作され、翌年のアカデミーでは、作品賞を含むその年の最多ノミネート。そして、ジュリー・アンドリュースの主演女優賞、作曲、歌曲賞、そして、今日はこの話も出しますが、特殊視覚効果賞などを受賞しています。ウォルト・ディズニー肝いりで作られた、実写とアニメを融合したこの名作ミュージカルを、なんとまあ、半世紀以上の時を経て、リメイクではなく、続編を作ったのが今作です。
監督はブロードウェイでの舞台振り付け師としてキャリアをスタートしたロブ・マーシャル。『シカゴ』『SAYURI』『NINE』など、踊りなどの身体表現が軸となる映画で監督をしている他、パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉でもメガホンを取っています。メリー・ポピンズを演じたのはエミリー・ブラント。マイケル・バンクスをベン・ウィショーが演じる他、コリン・ファースメリル・ストリープも印象的な役で登場します。そして、なんといっても驚かされるのは、前作で大道芸人や煙突掃除屋さんとして狂言回し的な立ち位置にあったバートというキャラクターを演じていたディック・ヴァン・ダイク、御年93歳が、またある役柄でスクリーンに元気な姿を見せることです。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

洋画も邦画も、シリーズだユニバースだリメイクだリブートだと、とにかくヒットしたキャラクターや設定を使い回す、興行的に安全第一な作品作りが多すぎる。そんな批判も業界全体に向けられているところではありますが、この作品については、かなり特殊なケースですよね。間違いなく続編ではあるんだけど、55年も経っているわけで、リアルタイムで前作を観た人よりも、これで初めてメリー・ポピンズに接する人の方が多いわけです。少なくとも、スクリーンでは。その意味で、僕に言わせれば、これは続編でありながらリメイクにもなっている作品です。
 
というのも、基本的な構造は同じなんです。バンクス家に何らかのトラブル発生。メリー・ポピンズ、空から登場。子どもたちに魔法の数々を披露。想像力を養っていくうち、やがては子どももそうなんだけど、むしろ大人が失いかけている無邪気な心を取り戻して夢と希望を抱かせ、問題解決の触媒となった彼女はまた空へ去っていく。そんな話です。前作から時間が相当経っていることを踏まえ、その型はあえてしっかり維持しながら語り直そうという判断だったのだと思います。

f:id:djmasao:20190207181649j:plain

時間に厳しい大人の社会。メリーの不思議な鞄。鏡。空に舞う凧。階段の手すり。絵の中に広がる別世界、銀行とのお金をめぐるトラブルなどなど、前作のモチーフをなぞりながら、続編なんで違いも出していくわけだけど、その違いを控えめにしている。
 
そんな中、僕がとても気に入った今作ならではの設定は、前回煙突掃除夫だったバートという狂言回しが、今回は街灯、当時はガス灯の管理をするジャックという人物に変わっていることです。ロンドンは世界で初めてガス灯を街灯として設置した街であって、街並みのシンボルでもあるわけです。
 
オープニングが見事でした。あれから20年経って、大恐慌に見舞われているロンドンの煤けたような街と、それでもそこにたくましく生きる労働者や子どもたちなど、市井の人々を、今の技術だからできるダイナミックなカメラワークで見せていく。わくわくします。ポイントは、時間が早朝で、ジャックは街灯を灯すのではなく、消して回っていること。実は今回の大事なモチーフは灯りなんですね。どれほどの暗闇であっても、小さな光を探すんだという、それ自体は抽象的なメッセージを映像として物語として見せていくにあたり、灯を消すところから始めるというのは、よくできてるなと感心しました。

f:id:djmasao:20190207181737j:plain

一方、本作への批判は、脚本に集中しています。尺が長いとか、サブエピソードが肥大化しすぎていて本筋がぼやけてしまっているとか。それは僕も否定しません。ただ、それははっきり言って、前作もそうだったじゃないですか。でも、前作を思い出してみても、やっぱり多くの人の心に残っているのはどこって、サブエピソードでの想像力と実験精神あふれる、まさに魔法がかけられたような、楽しくてしょうがない展開だったと思うんです。アニメと実写を融合させて、今見ても「これはどうやって撮影したんだ?」って目を丸くするようなマジカルな遊びをしていました。技術の最先端を駆使したわけです。
 
今回は逆ですね。ディズニーはとっくの昔に手描きアニメからCGへ完全移行。だから、今回ディズニーは当初難色を示したようですが、監督の強い意向で手描きのできるスタッフを呼び戻して、温故知新をやってのけた。手描きアニメのルネサンスですよ。ついでに強く要望しておきますけど、ディズニーみたいな映画界の横綱こそ、古い技術を守るためにも、こうした手書きの復興はもっと頻度を上げて、少なくとも数年に一度くらいはやるべきだと僕は思っています。
 
さておき、そうした、それこそ子どもが遊びに夢中になって家に帰るのを忘れてしまうような、そういう本筋からの脱線とか、語りのマトリョーシカ構造部分にこそ、僕は最大の魅力があるんだと理解しているので、別にいいじゃんって思っちゃうんですよ。ちゃんとセットで作り上げた、上下逆さまの家とか、理屈抜きに楽しいもの。

f:id:djmasao:20190207183106j:plain

ただ、そうは言っても、冷静に振り返れば、ご都合主義としか言いようのない展開が目に余るのも事実です。特にラストの時間とお金を巡る一連のサスペンス展開と解決法については、なんだかな~って首を傾げたし、悪役のバンクス家へのこだわりも説得力に欠けるものがありました。
 
それから、前作の名曲を使わずに徹底してオリジナルにした音楽も、気に入ったのはいくつもあるんだけど、終わってから口ずさめるかって考えると、前作には一歩二歩及ばなかったかなとも思います。
 
と、四の五の言ってきましたが、今の主流である「リアルな描写」でなく、ファンタジーなんだからと、あえて古い技術を大胆に導入したのは逆に新しかったし、夢と希望を風船に託したエピローグも素敵でした。そして、お隣さんのブーム海軍大将を筆頭に、「世の中変わった人がいてもいいんだ」っていうメッセージが前作以上に前に出ていたことも含め、大いに楽しめる1本でした。原作のエピソードもまだまだ残っていることだし、また近い内に続編を作って、今度はさらなる違いで僕らを魅了してほしいなと願っています。

さ〜て、次回、2019年2月14日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ファースト・マン』です。来てしまいました。デイミアン・チャゼルライアン・ゴズリングの『ラ・ラ・ランド』コンビ再び! こりゃ、IMAXで観たい! 僕、アームストロング船長の私生活やキャリアについて調べたことないんですけど、ここはあえてそのままの状態で、劇場というロケットに乗り込みます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

 

イタリア映画『愛と銃弾』公開記念レビュー

どうも、僕です。ポンデ雅夫こと、野村雅夫です。僕たち京都ドーナッツクラブが字幕制作を担当したイタリア映画『愛と銃弾』が、現在、全国で順次公開されています。大阪は2月1日からシネ・リーブル梅田、そして京都は2月9日から京都シネマでの上映がスタートします。僕たちもそれなりの数の字幕を翻訳してきましたが、実は全国で一般公開されるのは、この作品が初めて。しかも、監督の前作を買い付けてイベントで上映していたのも弊社でございまして、感慨もひとしおですし、何よりも作品に惚れ込んでいます。

 

そこで今回は… 東京での公開に先駆けて、僕がTBSラジオ「アフター6ジャンクション」に電話出演して宇多丸さんにご指南した内容をまず改めて記載しつつ、メンバーのチョコチップゆうこによるレビューをお届けします。どうか、この作品が多くの方の耳目を集めますように!

舞台は、イタリアを代表する大都市、ナポリ。街を牛耳る裏社会のボスのヴィンチェンツォが、敵対するファミリーに襲われるんですが、何とか一命を取りとめます。ただ、彼はもうマフィア(ナポリのこうした反社会的組織はカモッラと呼びます)の大物であることに疲れているんですね。そこへ、映画マニアの妻がこう持ちかけます。『007は二度死ぬ』みたいにしようよ。つまり、表向きは死んじゃったことにしてしまって、葬儀も盛大にやって、その後でひっそりと海外へ逃亡しようと。それぐらいの資金もあるし。この計画を知るのは、ファミリーの腹心数名だけ。すべてを秘密裏に運ばないといけない。ところが、ひっそりとヴィンチェンツォを運び込んだ病院で、女性看護師に姿を見られてしまうんですね。あのオンナを消せ。そう指示された腹心のひとり、ヒットマンのチーロが彼女を見つけ出した時に、気づくんです。この女、俺の元カノじゃないか。そこで、なぜチーロが裏社会に足を踏み入れたのかなど、苦々しい記憶が、彼女との甘い思い出と共にフラッシュバック。チーロは彼女を殺すなんてできずに、バイクで彼女と現場を逃走。ヴィンチェンツォ一家、敵対するファミリー、そしてはぐれたチーロと彼女。それぞれの運命やいかに…

f:id:djmasao:20190131235113j:plain

監督は、兄弟監督の「マネッティ・ブラザーズ」。日本ではDVDストレートとなっていました『宇宙人王さんとの遭遇』。そして、僕たち京都ドーナッツクラブがイタリア映画特集上映イベントで紹介した2013年の作品『僕はナポリタン』(下のポスター)が出世作。『愛と銃弾』が長編では7本目かな。これで一気に第一線に躍り出た人たちです。ホラー、サスペンス、アクション、警察モノといったジャンル映画を偏愛している監督なので、大衆娯楽作へのオマージュが多いです。今回も、『マトリックス』『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、アメリカの青春映画『フラッシュダンス』(What a Feeling)も出てきます。デヴィッド・フィンチャーパニック・ルーム』、ミュージカルでは78年の『グリース』。果ては、マイケル・ジャクソンの『スリラー』まで。

f:id:djmasao:20190131235012j:plain

いわゆるノワールなテイストのマフィアものなんですが、そこにミュージカルをかけ合わせたコメディーでして、劇中に登場する歌詞がストーリーを引っ張っていく、『ラ・ラ・ランド』へのイタリアからのアンサー・フィルムとも言えるような1本。イタリア・アカデミーでは、主題歌、サントラ、衣装、作品賞など5部門受賞。ヴェネツィア映画祭では金獅子を『シェイプ・オブ・ウォーター』と争い、最優秀キャスト賞 など3部門を受賞しています。 

宇宙人王さんとの遭遇 [DVD]

 ゴモラ [DVD]

ナポリが舞台というと、ドキュメンタリーとフィクションのあわいで、暗黒都市としてあの街を描いた『ゴモラ』という傑作が10年ほど前にありました。一方、こちらはそういう息苦しいイメージを逆手に取り、笑いでくるんでスタイリッシュかつコミカルに撃ち抜いてみせています。だって、カモッラに歌って踊らせるんですもん。それもこれも、そもそもナポリには音楽劇の伝統があってのことなんですが、何もかもがとにかくごった煮。その複雑にして意外にもシンプルに楽しいテイストを、あなたもご賞味ください。
 
それでは、ここからが、チョコチップゆうこによるレビューです。どうぞ!

f:id:djmasao:20190131234855j:plain

京都ドーナッツクラブの拠点である関西を離れて1年、イタリア好きに囲まれていた生活から飛び出してみると「イタリア映画を観たことがない」という話を聞く頻度が多くなった。そうか日本ではまだまだイタリア映画はマイナーなのかも知れないと思い知った。

 

ではイタリア映画のイメージはと聞くと、「ヨーロッパの映画って暗そう」「戦時中の話が多い気がする」「やっぱりマフィアかな」というコメントが返ってきた。陽気な国、太陽の国、などとよく言われているイタリアという国のイメージと違ってなんだか重々しい。

 

もちろんある国の映画を一括りに語ることはできないが、改めて「ジャンルなんて関係ないよね」と思わせてくれたのがこの『愛と銃弾』だ。

 

物語の舞台はナポリ。主人公のチーロは、魚介王ヴィンチェンツォ率いるマフィアの一員で殺し屋として暗躍している。その魚介王の秘密を目撃した女性を殺害する命を受けるが、その目撃者が今なお愛する元恋人だったと知り二人で逃亡を図るところから物語は動き出す。

f:id:djmasao:20190201000528j:plain

そんなあらすじを聞くとマフィア映画かアクションもの、またはラブロマンスかと予想されるが、開始数分でその予想は揺らぐ。死体が歌いだすのだ。声高らかに。そこから始まる怒涛の歌にダンス。あれ、これミュージカルだったかなと混乱し始めた頭にはマフィアの抗争で乱れ飛ぶ銃弾の音が響く。いったいこの映画は何なんだ、次は何が飛び出すんだ、そんな期待と共に物語は進んでいく。

 

本作の至る所に散りばめられているのは、イタリア国内外の数多くの映画へのオマージュだ。映画好きの人がにやりとしてしまうシーンがたくさんある。元ネタのいくつかは登場人物がご丁寧に説明してくれるのだが、私がくすりと笑ってしまったのは自他共に認める映画好きである魚介王の妻マリアのワンシーンだ。DVD鑑賞中に涙しながら登場人物になりきって暗記している台詞を口にする彼女の姿を見て、イタリアの名作ニューシネマパラダイスの一場面、映画館で観客が台詞を次々に口にするシーンを思い出した。その映画が大好きなのよね、と映画への愛を感じて微笑ましい。彼女はマフィアのボスの妻らしく肝の据わった悪女だが、時折見せる映画愛が彼女をただの悪役に留まらせずコミカルさと愛らしさのあるキャラクターに仕上げている。特に逃亡のために彼女が考えた偽名には思わず吹き出してしまい、心のなかで「よ!大女優!」とツッコミを入れてしまった。

f:id:djmasao:20190201000443j:plain
この作品にはそんな思わず笑ってしまうシーンや大笑いしてしまう台詞が多くあり、そうかこれはコメディでもあったのかと気づく。アクションもミュージカルもロマンスもコメディも、あらゆる要素が含まれていてとても一言では形容できない映画だ。登場人物が歌うのも、ポップなものからナポリ民謡風、ラップと多種多様だ。時折「これは演歌?歌謡曲?」と思うコテコテ具合にナポリらしさも感じる。もちろん台詞は翻訳者泣かせのナポリ弁だ(原題の“Ammore e Malavita”の”Ammore”もナポリ弁の”愛”)。

 

そんなふうに「エンタメ要素全部盛り!味付けはこってりで!」と掛け声をあげたくなる具合で、観終わった時には「あーお腹いっぱい、面白かった」と思わせてくれた。

 

イタリア映画を観たことがある人もない人も、好きなジャンルに関わらずぜひ一度リラックスして観てほしい作品だ。国もジャンルも関係なく、楽しいものは楽しいと素直に感じさせてくれるだろう。

映画『十二人の死にたい子どもたち』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月31日放送分
映画『十二人の死にたい子どもたち』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20190131183919j:plain

インターネットの交流サイトで知り合った、未成年の男女12人。ある日、使われなくなって廃墟となっている総合病院の一室に、彼らは集います。目的は安楽死集団自殺です。約束の時間、揃ってみると、そこにはいるはずのない13人目の男性が、まだ生暖かい死体となってベッドに横たわっていました。秘密裏に集まったはずなのに、情報が漏洩していたのか。戸惑う彼らが死体を検証すると、他殺の可能性が浮かび上がります。ということは、この中にその犯人がいるのでは? それぞれの死にたい理由を抱えたまま、12人は事件の真相を追求していきます。

十二人の死にたい子どもたち (文春文庫)

原作は冲方丁(うぶかたとう)の同名小説。この作品は直木賞候補となりました。監督はご存知、堤幸彦。当コーナーでは、昨年11月22日に『人魚の眠る家』を扱ったばかりですから、あいかわらずの引っ張りだこっぷりがうかがえますが、僕の評価は作品によって乱高下していまして、今回はいかに、ってところです。
 
キャストには実年齢が二十歳前後の売れっ子が揃っています。杉咲花新田真剣佑北村匠海高杉真宙黒島結菜、橋本環奈、吉川愛など。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

 

堤幸彦は、前作『人魚の眠る家』では、延命治療とロボット工学を掛け合わせながら命の価値を問うてみせました。今回は自ら命を絶とうというところまで追い込まれた若者たちを通して、同様のテーマを扱うわけですが、ジャンルでいうと前作がホラーのテイストだったのに対し、今回ははっきり謎解きのあるミステリーですね。12人の中には、新田真剣佑演じる警察夫婦の子どもがいて、彼は重い病を抱えていたことから、薬学の知識があり、推理好きだってことで、途中から探偵のように謎解きを引っ張っていきます。
 
形式としては、先週扱った『マスカレード・ホテル』同様、ほぼ病院から出ない密室劇であることに加え、11時のドアオープンから、12時の開演、そして死体を巡るドタバタがあってという、たった数時間の出来事を描いているので、演劇的なサスペンス・ミステリーと言えます。

十二人の怒れる男 (コレクターズ・エディション) [AmazonDVDコレクション] 12人の優しい日本人【HDリマスター版】 [DVD]

 それは考えてみれば当然のことで、そもそも「十二人の〇〇」っていうのは元ネタがあるわけです。まずは、1957年にシドニー・ルメットが監督してベルリン映画祭近熊賞を獲得、そしてアカデミーにもノミネートされた陪審員たちの傑作会話劇『十二人の怒れる男』。そして、日本では筒井康隆がパロディーとして書いた戯曲『12人の浮かれる男』、そして三谷幸喜初期のヒット戯曲で映画化もされた『12人のやさしい日本人』があります。さらに言えば、この12という数字はキリストの弟子である使徒の数。ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』でも描かれている通り。そして、そこには裏切り者とされるユダがいる。それに倣うように、『十二人の怒れる男』では、父殺しの罪に問われた少年の裁判で、陪審員全員が少年の有罪を認めるだろうという予測の中、ひとりが無罪を主張。さあ、どうなるっていう展開。

f:id:djmasao:20190131231400j:plain

この作品でも、12人が集まって、ひとりの死体を前に、それでも計画通り集団自殺を決行するかどうか、全員一致が前提で決を取ると、ひとりだけ、空気の読めない兄ちゃんが「ちょっと待て」と言い始めることで、議論と推理が始まります。同じ構図なんですね。
 
でも、そこにこの作品がかけ合わせたのは、『霧島、部活やめるってよ』で見られた、時間を切り分けて意図的に観客を混乱させるストーリーテリングです。それ自体はある程度うまく行っていたと思います。

桐島、部活やめるってよ

なにせ12人も登場人物がいるので、描き分けが難しいんですが、そこはキャスティングやキャラ付けも機能していたので、名前までは覚えられずとも、こちらもうまくいっていたと思います。ただ、正直なところ、ミステリーの方に軸足を置きすぎていて、ひとりひとりの背景の掘り下げは浅めです。それぞれが死を決断した理由ですね。病気。有名人の後追い。いじめ。ろくでもない親との関係性のこじれ。他にも、意表を突く理由が中盤以降で明らかになる展開もありましたが、どれをとっても、予想の範疇に収まるし、密室劇にしたことで、病院の外へ唐突にカメラを持ち出すわけにもいかず、そのせいでセリフに頼ることになるから、どうも生きるか死ぬかという重い決断への踏み込みが弱いんです。そして、僕にとって一番不満だったのは、なぜ集団自殺を選んだのかという理由がいくつかの例外を除いて見当たらないってことです。

f:id:djmasao:20190131231545j:plain

そのままストーリーは謎解きばかりにこちらの興味を差し向けるので、肝心の集団自殺を決行するか否かの議論がどうも深まらない。というか、議論というわりにはみんな礼儀正しく他人の発言は遮らないし、掛け合いが少ないもんだから、どうもグルーヴが弱いんです。だから、謎が曲がりなりにも解明し、サスペンス、つまり宙吊りになっていた自殺するかどうかの最後の決を取る時のそれぞれの判断がですね、どうにもこうにも、あれじゃただの同調圧力じゃねえかっていう感じが否めない。それはそれで日本的なんだけど、なんかもやもやさせるものがありました。
 
堤監督のクセの強いカメラ移動やエフェクト使いは、前作の『人魚の眠る家』同様、抑制されているので、良かったんだけれど、どうも話がとんとん進んでいくばかりで、結果的に、観ている時は興味が持続して面白いんだけど、余韻はかなり薄いと言わざるを得ない。もったいない。
 
ただ、これからの日本映画界を背負って立つだろう世代の花形が揃ったという意味では、その演技合戦を見逃す手はない、少なくとも見ている間は釘付けになる作品です。

 この手の邦画では珍しく、既存の洋楽ポップスを主題歌にしていました。We are young♪ なんてフレーズと、自分たちの道を行くという若者の声の代弁という感じでしょうか。

 

リスナーからの意見として、「役者たちが10代に見えない」というものがあって、ディレクターとも打合せで話が盛り上がったのは、衣装のこと。確かにみんなバラバラで、それぞれに個性を出したかったというのはあるんでしょうけど、そこは制服でも良かったんじゃないでしょうかね。私服にすることで、むしろ大人びて見えちゃうという逆効果があった気がします。彼らには到着順に番号が付いてるけど、その匿名性から少しずつ人間性の違いが浮かび上がるっていうお話なら、匿名的な服装でいいと思うんです。制服にも色々あるし、着こなしで人となりは出せるわけだから。そうしていれば、数日前に番組で盛り上がった、「北村匠海くんの衣装の薄手の白シャツから下のランニングが透けていて気になる問題」も生まれずに済んだわけだし(笑)

さ〜て、次回、2019年2月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『メリー・ポピンズ リターンズ』です。もうディズニーの釣瓶打ちです。しかし、なぜ今メリー・ポピンズなんでしょうか。気になる。僕はまだ今回の続編への知識がまっさらな状態ですが、あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

映画『マスカレード・ホテル』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月24日放送分
映画『マスカレード・ホテル』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20190124201637j:plain

東京で起きた3件の殺人。殺害方法はバラバラで、被害者同士の関係も見当たらないものの、現場に数字の暗号が残されていたことだけが共通していました。それを解読し、これは連続殺人事件だと推理したのは、警視庁捜査一課の刑事、新田浩介。どうやら、その数字は次の殺人場所を予告しているらしいのです。かくして導き出された第4の場所は、ラグジュアリーなホテル・コルテシア東京。捜査一課はホテル側の協力を得て、潜入捜査を始めることに。新田はフロントクラークに扮して犯人逮捕を目指しますが、従業員の最前線で利用客をもてなす本職のフロントクラーク山岸尚美とことあるごとに衝突してしまいます。次々と現れる素性の知れない客の中から、新田たちは犯人を見抜けるのか。狙われているのは誰なのか。そして、殺人は未然に防げるのか。 

マスカレード・ホテル (集英社文庫) マスカレード・イブ (集英社文庫) マスカレード・ナイト 

原作は、集英社文庫から出ている東野圭吾の同名小説。これは「マスカレード・シリーズ」になっていて、今のところ3作出ています。今回はその1作目の映画化。登場人物がとても多いわけですが、豪華キャストが目白押し。刑事新田を木村拓哉、ホテル従業員山岸を長澤まさみがW主演で担当する他にも、渡部篤郎小日向文世篠井英介生瀬勝久前田敦子濱田岳松たか子菜々緒石橋凌梶原善鶴見辰吾笹野高史宇梶剛士、橋本マナミなどなど、とにかくすごい。
 
監督は、鈴木雅之。フジテレビ所属の演出家で、『王様のレストラン』『ショムニ』『HERO』など、数多くのドラマでチーフディレクターを務ている他、映画でもフジテレビ製作のものを手がけています。『GTO』『HERO』『プリンセス・トヨトミ』『本能寺ホテル』といったところですね。
 
平成が生んだ大スター木村拓哉の人気はまだまだ健在とばかりに、観客動員はもちろん1位の独壇場。先週金曜の公開から金土日の3日間で61万人を動員していますが、その内容はどうなのか。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

日本型、テレビ局主導の映画製作。十把一絡げにするのは良くないですけど、ドラマからの流れで、その延長としか言いようのない、THE MOVIE的な映画作りがあって、その代表格がフジテレビですよ。今回も、特に宣伝では明らかに成功作『HERO』に寄りかかったような感じじゃないですか。テレビのファンじゃなくて、映画ファンである僕としては、劇場へ向かう足取りが軽くなかったのも事実です。
 
ところが、実際に観てみると、日本版『オリエント急行殺人事件』的なキャスティングの魅力に、思いもよらず楽しむことになったんです。オリエント急行的というのは、要するに、出てくる登場人物ひとりひとりの役者に、いずれも知名度と存在感があって、スクリーンが華やぐだけでなく、誰もが犯人に見えてくる、先が読めなくなる効果もあるってことです。
 
木村拓哉小日向文世松たか子と来ると、『HERO』を思い浮かべるわけだけど、僕がこのキャスティングと物語の設定で思い出したのは、やはりフジのドラマで三谷幸喜出世作王様のレストラン』ですね。演出の鈴木雅之、出演の梶原善(かじはらぜん)、田口浩正が共通する他、松たか子のお父さん松本幸四郎も大事な役で出ていました。サービス業の表と裏、本音と建前、それぞれの役割と立場を活かした人間模様をコミカルに描くこと、そして何より物語を密室劇にすることで求心力を保つこと。今回、鈴木監督はあのドラマで培った演出術を遺憾なく発揮していました。

王様のレストラン Blu-ray BOX 

映像的な見せ場として、僕の目を引いたところを一箇所挙げます。前田敦子演じる新婦が、結婚式場から披露宴会場へと移動するシーン。何か起きるんじゃないかと緊迫している場面。彼女を含む3人の人物の距離がだんだん近づいて、さあどうなるってタイミングで、現場に配置された何枚もの鏡を使って、その距離を混乱させるような見せ方をすると共に、鏡という虚像が蠢いて交錯するという画作りは映画全体のテーマとも一致していますよね。
 
一方、これは演劇的かつテレビドラマ的だぞと白けちゃったのは、生瀬勝久演じる客がロビーで新田に食ってかかるところ。大声を出すもんだから、その場にいる人がみんな固まるのはわかるんだけど、それからしばらくの間、みんな固唾をのんで棒立ちでふたりの芝居を見続けるという。あれはいただけないです。日本のドラマでよく見る構図ですよ。もっと工夫できる。あと、別れようとしたところで、まだ言葉をつないで、相手を振り返らせる構図も繰り返しすぎ。これもドラマっぽい。そして、無闇にカメラをくるくる回しすぎ、とかね。
 f:id:djmasao:20190125120731j:plain
でも、とりあえずそういう弱点は置いておこうって思えたのは、はやり木村拓哉長澤まさみの放つ存在感でした。人を疑う刑事と、人を信じるホテルスタッフ。水と油のふたりですよ。ところが、登場する宿泊客たちが巻き起こす騒動をひとつひとつやり過ごしていくうちに、木村拓哉はだんだんホテル従業員らしくなり、長澤まさみは推理を働かせるようになる。水と油が乳化して強力なバディーになる。そのプロセスを愛でる映画と言っていいでしょう。
 
第4の殺人事件が動き出すまでの時間が長いんですよ。次こそか、いや、まだだったか。その繰り返しの中でバディーが構築され、一般人の知らないホテルの裏事情も知れ、知らぬ間に伏線も敷かれていく。僕に言わせれば、伏線の回収やトリックが鮮やかな物語ではないです。むしろ、そこまでが楽しいって感じかな。
 
事前放送のドラマに頼らず、主題歌も取ってつけず、フジの強みであるキャスティングでちゃんと映画を作ろうとした『マスカレード・ホテル』。お客様が詰めかけるのも納得の出来栄えでした。

f:id:djmasao:20190125120953j:plain

リスナーからも届いた指摘でしたが、僕も思っていたこと。ホテルが舞台なのに、高嶋政伸(弟)を使わず、高嶋政宏(兄)をキャスティングするんだ! それは何か、ドラマの「HOTEL」がTBSだからなのか。勘ぐりすぎか。とにもかくにも、僕としては、これは「姉さん、事件です」と言いたくなる案件でした。

あと、オリジナルのサントラが、ところどころ「古畑任三郎」っぽく聞こえたのは苦笑しました。古畑もフジテレビだし、SMAPも一度出てるし、鈴木監督も何話か演出していたし、それはあまりにもだぜって。でも、どうして似てると思えたのかな。たぶん、コード進行だとは思うのですが…

さ〜て、次回、2019年1月31日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『十二人の死にたい子どもたち』です。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『クリード 炎の宿敵』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月17日放送分
映画『クリード 炎の宿敵』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20190117212416j:plain

あの「ロッキー」シリーズを継承してみせた2015年の傑作『クリード チャンプを継ぐ男』の続編です。
 
かつてロッキーのライバルにして盟友だった男アポロ・クリードが愛人との間に設けていた息子アドニスクリード1では、彼がボクシングへの情熱をたぎらせ、ロッキーに師事して身体を鍛えながら、フィラデルフィアで歌手のビアンカと恋に落ち、迷いながらも自分のアイデンティティを確立し、チャンピオンのコンランに挑むまでを描きました。

f:id:djmasao:20190117213335j:plain

今回、ボクサーとして順調にキャリアを重ねるアドニスのもとに、かつて『ロッキー4/炎の友情』で父アポロをリングの上で殴り殺したソ連の殺人マシーンことイワン・ドラゴの息子ヴィクターからの挑戦を受けることに。父のかたきを討つことになるアドニスですが、ロッキーへの憎悪の念に駆られて訓練を積んできたドラゴ親子の気迫と執念を前に、ロッキーは試合そのものに反対し、セコンドを下りてしまいます。ガールフレンドの歌手ビアンカとの結婚と出産、ドラゴ親子が抱えてきた葛藤、そして前作から病を抱えるロッキーの人生と家族への想いを巻き込み、アドニスとヴィクターはリングへと上がります。

ロッキー4 (字幕版)

まだ20代の時に前作の監督を務めたライアン・クーグラーは、マーベル『ブラックパンサー』の監督に大抜擢されたこともあり、手が回らなかったということでしょう。今回は製作総指揮という役回りでした。代わってメガホンを取ったのは、こちらも若き才能、現在30歳のスティーヴン・ケープル・ジュニア。シルヴェスター・スタローンは、今回脚本にも参加しています。クリードは、もちろんマイケル・B・ジョーダン。『ブラックパンサー』では、キルモンガー役でも絶賛されていましたね。ビアンカ役のテッサ・トンプソンは、今回歌唱シーンも増えて大活躍。イワン・ドラゴは、もちろん『ロッキー4』のドルフ・ラングレンが演じています。ちなみに、ドラゴの息子ヴィクターを演じたのは、ルーマニアのボクサーで映画初出演となるフロリアンムンテアヌです。
 
どなたもご承知のように、続編は難しいものです。「クリード」なんて、ロッキーシリーズという下手をすれば呪縛になりそうな存在を背負っているわけなので、なおさら。しかも、今回はスタローンが監督もするというところで企画が動き始めたものの、結局は若きスティーヴン・ケープル・ジュニアにそのメガホンが託されました。ロッキーシリーズの良さと、前作の良さ、双方を引き継いで、なおかつフレッシュに見せ、願わくば物語全体に奥行きを与えるという、これは試練ですよ。プレッシャーを想像するだけで、僕はKOされてしまいます。
 
それでは、制限時間3分、1ラウンド勝負の炎の短評、そろそろいってみよう!

前作は、シリーズ全体を踏まえてはいるものの、やはり「ロッキー1」に呼応する作品でした。何者でもなかった社会の日陰者が、無骨な恋愛をしてパートナーを得ながら、拳でのし上がっていきました。今回は、アドニスが二世ボクサーであることから、まさに宿敵であったイワン・ドラゴの息子ヴィクターを登場させて、商業的には一番の成功作でありながら内容的には散々に言われがちな「ロッキー4」と呼応させます。かつて拳を交えたロッキーとイワンがそれぞれセコンドに立つ、二世同士の宿命の対決です。はっきり言って、設定ができすぎてるだろってくらいの王道ですね。大丈夫なのか。大丈夫どころの騒ぎじゃありません。スティーヴン・ケープル・ジュニアは、ロッキーからクリードへの世代交代と継承をきっちり描くのみならず、「ロッキー4」にも落とし前をつける、グッドじゃない、グレイトな仕事をしています。

f:id:djmasao:20190117213629j:plain

今回フォーカスされるのは、守ることの難しさです。ボクシングなら、頂点を防衛する困難。人生においても、愛情、友情、そしてプライド、互いへのリスペクトといった守るべきものが、ドラマの各段階で浮かび上がるんですね。攻めではなく、守りについての映画なんですよ。アドニスビアンカは、今回関係が一歩二歩進んで、出産を経て親になっていきます。あのプロポーズシーンは、コミカルな味つけによる幸せ描写と、ビアンカ聴覚障害が進行している暗雲垂れ込め描写が表裏一体になっていて素晴らしかったなあ。そう、人生において、幸せはずっとは続かないですよね。幸せがひとつ生まれれば、それを失う不安も生まれるというもの。それは子どもを授かっても同じことが言えました。

f:id:djmasao:20190117213731j:plain

一方のドラゴ親子は、当初こそただのモンスターにしか見えなかったものの、クライマックスに向けて、加速度的に観客に肩入れさせますね。イワンにとっては、自分の復讐の道具として息子の技と肉体を研磨してきたわけですが、その心情がある人物の登場によって、次第に変化していって、最後には親子関係がまったく違ったものへと様変わりする熱い展開でした。ちなみに、あの結末は当初の脚本と違うようですが、変更して大大大正解でしたね。今振り返れば古臭くなっている旧シリーズの価値観を、ちゃんとリスペクトを持ちながら刷新しているのは、クリードという新シリーズの長所です。
 
たとえば女性の扱いについても、エイドリアンがとにかく男性を見守る存在だったのに対し、ビアンカは歌手として難聴と戦いながら、レーベルと契約し、ライブの動員も増やしていました。アドニスも子育てに奮闘するし、ビアンカは出産後も曲作りをやめない。クライマックスの試合が始まる前、僕はそんなビアンカにもっとスポットを当てろよって不満があったんです。ロッカールームでアドニスが彼女の曲を聴くとかあるじゃんかよ!ってね。そこからの決戦に向けた入場シーンの演出はもう、僕の凡百の演出を遥かに超える感動を呼びました。

f:id:djmasao:20190117213825j:plain

それぞれのキャラクターの成長と成熟を見せる必要から、尺が長くなっているも事実です。成長痛としてのそれぞれの苦悩を描くあたりに多少のダレがあるという指摘にも頷けます。ロッキーなんて、3日間列車に乗って旅情を楽しんだりするくらいだから。でも、そこから試合に向けて火が付いてからの、恒例のトレーニング・ダイジェスト・シーンがあって、一気にアクセルが踏み込まれるじゃないですか。そこは緩急だし、彼らの苦悩ひとつひとつに意義ある回答を用意してくれているので、僕にはあまり気になりませんでした。
 
まとめよう。確かに、ロッキーにまだまだ依存したクリードではありましたが、恐らくは3もあるでしょうし、彼もまだこれから人間的に大きくなるはず。ロッキーが言いますね。「お前の時代が来たな」。クリードと書かれたジャージを着てアドニスを見つめるロッキーの後ろ姿のしびれること。
 
ロッキーからアドニスへ。スタローンからライアン・クーグラとスティーヴン・ケープル・ジュニアへ。物語的にも映画史的にもこれ以上ない継承が成された『クリード/炎の宿敵』に、僕は猛烈に感動しました。

それぞれのその後を見せるエピローグにグッと来た方も多いでしょう。ロッキーも自分の人生を総括し始めていました。言わば、終活ですよ。そこで出てくるあの子! あのかわいさは完全に反則でした。


さ〜て、次回、2019年1月24日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『マスカレード・ホテル』です。キムタクが刑事で、長澤まさみがホテル勤務。そして、東野圭吾原作。ヒットが約束されたような豪華なメンツが揃っていますが、こういう時こそ冷静に評したいもの。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

映画「いつだってやめられる」三部作DVD-BOX発売記念レビュー

f:id:djmasao:20190114124456j:plain

十数年前、私が大学院に進学した頃の大学には、改革の波が到達していた。イタリア関係の学術界はもともと大きくないこともあって、ある先輩は大学でイタリア語を教えたいと夢見ていたものの、諦めることにしたようだと聞いた。別のある先輩も、そこで生きていこうとしているけれど、講師を務めるあちこちの大学での授業の準備に追われて、とても研究まで手が回らないと言っていたように記憶している。教員のポストには任期制限付きのものが増えていて、大学を職場にするのも難しいものだなと思っていた。さらに近年では、京大の立て看板や吉田寮の話に聞くように、自由な空間も次々に奪われている気がしてならない。

 

「いつだってやめられる」は、そんな学術の世界に身を置いて、肩身の狭い思いをしながら生きてきたインテリたちのコメディ三部作だ。


主人公のピエトロは、研究員として稼ぐなけなしの収入を奪われることになってしまった。収入の補いに家庭教師の仕事も掛け持ちしていたため、せめて滞納中の月謝を払ってもらおうと、ある夜、教え子の少年を追う。その過程でみじめな目に遭った後、アイデアがひらめいてインテリ仲間を招集、合法ドラッグでひと儲けを企む。

 

これがシリーズ一作目、『いつだってやめられる―7人の危ない教授たち』のストーリーだ。2014年の制作ということは、私が大学を出て、5年ほど経った頃。以前から若者の失業率が問題になっていたイタリアだ。研究者も日本と同じように(もしくは、日本よりも)厳しい状況にあった。また、日本で「脱法ハーブ」という言葉がニュースをにぎわせていたのも、記憶に新しい。そんなテーマをコメディに仕立てて、劇場を笑いで沸かせた本作は大ヒットを記録した。

f:id:djmasao:20190114125021j:plain

f:id:djmasao:20190114125140j:plain

それで続編として制作されることになったのが、二作目の『いつだってやめられる―10人の怒れる教授たち』と、三作目の『いつだってやめられる―戦う名誉教授たち』だ。こちらは二作でひと続きのストーリーになっている。

 

かのインテリ・ギャング団には新しい仲間が合流し、今度は合法ドラッグの撲滅に力を貸す。任務の完了がすぐそこまで迫ったとき、ドラッグの影に隠れて別の犯罪が計画されていることに気がつき、物語はさらに展開する。

 

この続編は≪悪に立ち向かう正義≫の定型に近づいてしまうのかなと、期待しないようにしている部分もあった。でも、そう単純にはいかない。一作目のエピソードを利用して、全てがはじまる前の登場人物たちの接点が描かれるなど、心にチクリとトゲが刺さるよう な仕掛けがしてあり、鑑賞後には、鈍い痛みが余韻として残る。

 

そしてなにより、この三部作の一番の魅力は個性豊かなインテリたちだ。

f:id:djmasao:20190114143642j:plain 

副題にあるように、このシリーズにはインテリだけで7人とか、10人とかいう数の人物が登場する。人物を把握するのが苦手な私にとっては、多い。多すぎる。ところが、全員を簡単に覚えられてしまうのだ。セリフにも、ふるまいにも、それぞれの専門性が際立っていて、いちいちキャラクターが濃いので間違えようがない。

 

身を呈して資金を調達する経済学者に、どんな人物にもなりすます人類学者。ドラッグを製造する計算科学者はその使用感をどうしても正確に調査したくて、結局、自分で試してヤク中に陥る。輸送係の考古学者は車で遺跡を疾走して、古代ローマ文化財を破壊、死んで詫びると取り乱す。それはオリジナルではなく、帝政期のコピーだから気にするなと慰めるのは、ラテン語学者だ。

 

自分の興味に逆らわず生きてきた彼らは少年のようで、滑稽で、面倒くさくて、愛おしい。まっすぐな姿は笑えるし、泣ける。

 

そんな彼らが躍動する映像は、シリーズを通じて原色の強い鮮やかな色彩をしていて、この物語はフィクションだと語っているようでもある。

 

では、現実はどうだろう。大学の改革はピエトロの荒稼ぎのアイデアと同じように、「いつだってやめられる」と思ってはじまったかもしれない。その流れの先にある今、私利私欲のために、人を傷つけるために、恵まれた頭脳を使わせてしまっていないか。誰もがどこかに持ち合わせているだろう、人の役に立ちたいという思いを踏みにじっていないか。そんなことを考えさせられる。

 

文:京都ドーナッツクラブ セサミあゆみ

 

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年1月10日放送分
映画『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』短評のDJ's カット版です。

f:id:djmasao:20190110174012p:plain

1994年、札幌。筋肉がしだいに衰えていく難病の筋ジストロフィーを小学生で発症した鹿野靖明。20歳まで生きられるかどうかと言われていた彼は34歳。動かせるのは、首から上と手だけ。24時間365日、誰かの介助がないと生きられない身体なんですが、医師の反対を押し切って自宅で自立生活を送っています。助けてくれるのは、彼が自ら集めた大勢のボランティアたち。わがままで図々しく、惚れっぽくて、とにかくよく喋る。ある日、医大生のボランティア田中のガールフレンド美咲は、たまたま鹿野の家を訪れたところ、新人ボランティアだと勘違いされます。しかも、鹿野は美咲に一目惚れしてしまったから、もう大変。鹿野の常識破りな生き様と、周囲の人間模様を描いたヒューマン・ドラマです。

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち (文春文庫 わ)

「愛しき実話」という副題が付いているくらいですから、鹿野靖明さんは実在の人物。ノンフィクション作家の渡辺一史が2003年に出版し、講談社ノンフィクション賞などを獲得した『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(文春文庫)を原作に、『ブタがいた教室』の前田哲監督が映画化しました。鹿野靖明を大泉洋医大生田中を三浦春馬、その恋人の美咲を高畑充希が演じる他、ボランティアたちを萩原聖人渡辺真起子宇野祥平らが担当。他にも、竜雷太綾戸智恵原田美枝子佐藤浩市などが脇を固めています。
 
鹿野靖明が実際に暮らした団地などの札幌市内や美瑛など、オール北海道ロケとなっています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、今週もそろそろいってみよう!

正直、観る前はあまり心躍らなかったんです。恥ずかしながら原作も読んでいなかったし、難病ものの湿っぽい話を、大泉洋が孤軍奮闘するぼんやりしたコメディータッチで見せられるのはしんどいだろうなぁ。予告で何度も目にした、あのオセロやってるとこにバナナをドンって叩きつけられてからの「なんか、今のグッときた」が恐らくは一番面白いところなんだろうなぁ。あのポスターとか公式サイトにある夕陽バックにメインの3人がバナナの上にいるみたいな手抜き感が醸し出す教育映画感に気が重くなっていたんです(↓ これね)。

f:id:djmasao:20190110212354p:plain

ところが、この映画は僕の予想をバッチリ裏切って楽しませてくれました。考えさせてくれました。想像してたよりずっと笑えて、想像してたよりずっと湿っぽくなくて、鹿野靖明という男に想像以上に惚れることになってしまいました。
 
まずは鹿野さん登場シーンを思い出していただきたい。彼は車椅子の上ではなく、風呂に入れてもらってるんですね。しかも、女性ばかりに囲まれて体を洗ってもらっている。ボランティアのひとりが、「鹿野ハーレム」みたいなことまで言うんです。みんな楽しそうなんだけど、そこに踏み込んでしまうのが、事情のわかっていない美咲です。彼女はボーイフレンドの医大生田中があまり一緒にいてくれないから、ボランティアとかなんとか言って二股かけてるんじゃないかと偵察にやって来たところ。鹿野との出会い方としては、美咲にとっては最悪ですよね。しかも、会話で普通に下ネタ飛び交ってるし。美咲にはギョッとするんだけど、観客は爆笑する傑作な場面でした。序盤からコメディータッチで行くぜっていうことと、障害者の性の問題にもきっちり踏み込んでいくよっていう宣言になってます。で、例のオセロにバナナの場面もかなり序盤に出てくるんです。僕はついつい、こんな早くそのネタを出して大丈夫かって思うんだけど、まったく問題ないです。だって、その後もおもしろ釣瓶撃ちなんだもの。その笑いを支える大泉洋の演技がもう絶品です。だって、使える場所が顔と手とセリフに限られるわけでしょ? それなのにあの表現力ときたら。
 
僕が強く感じたのは、声の力です。鹿野はずけずけモノを言う毒舌家だけど、そこにはユーモアと深い洞察が備わっています。だからこそ、途中声が出なくなる危機に見舞われた時の絶望感が深まるし、それでも会話を模索する様子は泣けます。苦労して伝えた内容のバカバカしさも含めてね。そして、90年代半ばなんで、メールもラインもない時代だからこそ、直接的なコミュニケーションの強さもうまく浮き彫りになっていました。

f:id:djmasao:20190110212614j:plain

同時に、三浦春馬高畑充希についても、僕がこれまで観てきた作品ではベストな演技でした。三浦春馬演じる田中の、やさしいというよりは、ただ自分で決められないだけの優柔不断な偽善者すれすれの迷える若者像ははまり役。そして高畑充希演じる美咲は、感情の動きが一番大きな役で、その変化のたびに周囲の人間との関係性も変わるという難しいものだったのに、特に表情の微細な動きひとつひとつに感心しました。すごい!
 
その意味で、前田監督の演技を引き出す手腕は確かだったと思います。長回しも多かったですよね。色々あってしばらく会っていなかった田中に鹿野が大学まで突撃して、車椅子と白衣でキャンパスを歩きながら喋るところなんて、ずっとカメラが並走しての長回しでかなり印象に残りました。その分、欲を言えば、監督にはあまり奇をてらうことはせずに、役者を信じてストレートに映像を紡いでほしかったという思いがあるのも事実です。突然の雷、唐突に昇るいかにもな日の出、パーティーでの仰々しい照明の変化なんかは、演技の舞台装置の作り方として疑問を感じました。せっかく北海道オールロケで90年代感もばっちり出せているのに惜しいなと。
 
この作品への批判として、後半が結局湿っぽくてダレたっていう意見も目にしますが、僕はそうでもなかったと思う。逆に「ただただお涙頂戴一辺倒なところってありましたか」と僕は聞きたい。鹿野の病状が進んで、あわやということがあっても、必ずそこには笑いがまぶされたじゃないですか。それが鹿野イズムですよね。そう、この映画のねらいは、彼がいかに革新的な人だったかを知らしめることです。鹿野さんはどんな人間も対等だってことを身をもって証明した。医者だろうがボランティアだろうが難病患者だろうが、誰だろうがみんな対等。人間は互いに与えあえる。助け合える。そこにこそ、生きる喜びがある。

f:id:djmasao:20190110212640j:plain

難病患者だからって病院でずっと天井の穴の数を数えてなきゃいけないのか? そうじゃないだろうと。医者の言うことだけ聞いてたって、人生は謳歌できない。かといって、病院を出て社会生活を送るうえで、その支えを家族に押し付けてはいけないこともうまく描けていました。日本が美徳とする価値観のひとつに、「とにかく他人に迷惑をかけるな」ってのがあるけれど、それを突き詰めるから無関心が横行して、何かあれば自己責任論が大手を振ることになるわけですよ。「思い切って人の助けを借りる勇気も必要」なんです。家族は大事だけど、家族だけしかいなかったら、友情も恋も生まれないでしょう。病院より社会で生きることを選んだ鹿野の言葉が、やがて人を勇気づけ、人を優しくすることが、終盤示されていきます。彼は革命家ですよ。感動しました。
 
誰だっていつかは動けなくなる日が来る。そんな時に、自立はしても、孤立しない。つまらない常識に囚われて人間らしく生きられない状況のほうが、よっぽど難病かもしれないねって教えられました。勘違いしないでほしい。障害者でもがんばってるから泣けるんじゃないです。下手すりゃ感動ポルノに成り下がる可能性がある題材だから僕は心配していたわけだけど、そんな心配を笑い飛ばしてくれる痛快な1本でした。

とあるシーンで、爆弾ジョニー演じるコピーバンドがオープンスペースでこの曲を演奏。歌詞の物語へのリンクもあり、素敵にハジけた映画全体の節目を作っていました。 

さ〜て、次回、2019年1月17日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『クリード 炎の宿敵』です。ついに来てしまいました。あの『ロッキー』シリーズに連なる『クリード チャンプを継ぐ男』の続編! 前作をコーナーで扱ってなかったんですよね。心して迎え撃つとしましょう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!