京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

ステレオタイプ・ハイスクール  〜ファンシーゆずの俳優体験記2〜

 紺のVネックセーター、紺のミニスカート、紺のハイソックス、紺のローファー。全身紺尽くめに合わせるシャツは藤色。日本の女子高生を意識しているとしか思えないこの取り合わせこそ、私の記念すべき35mm映画初出演(これで最後かもしれないけれど…)で着ることになった衣装だ。撮影当日、衣裳部屋で手渡された以上、もう嫌とは言えない。気づけばもはや後戻りできないところまで来てしまっていた。例のタトゥー監督シモーネが様子を見に来て、メイクさんに何やら指示を出している。鏡越しに私と目が合うと、刺青ディレクターは彼なりににっこり微笑んで、「いい具合じゃないか、イメージにぴったりだ。あとはメイクのラウラが仕上げてくれるからな。まぁ、ひとつリラックスして楽しんでくれよ」とのたまった。ラウラが早速接近してくる。彼女は私の髪の毛をむんずとつかんできゅっと持ち上げ、さっとふたつに分けて脳天割りにし、そのまま高い位置で結んでしまった。セーラームーン? これでいいのかと刺青Dに目をやると、無言でうなずいている。これでいいということなのだろう。彼はいったいどんなイメージを持っているんだ。これは本番前にしっかり確認しておかなければなるまい。早速振り返ってはみたが、刺青は既に消えていた。「ここまで来ればなるようになるわよ」と自分自身に語りかけてはみるものの、ラウラの手でみるみるアニメ化する私の顔を見るにつけ、「なるようにはなるんだろうけど、結局どうなるんだろう」と引きも切らず不安が押し寄せてくる。それにしても、どうしてアジア人の役者が必要なんだろうか? 細菌兵器で犯されていく世界を印象付けるにはさまざまな人種が出ていたほうが都合がいいということなのかもしれないし、そのイメージもなるたけステレオタイプに沿ったわかりやすいものがいいといことなのだろうが、それにしたって安直に過ぎるだろう、これは。鏡に向かって首を傾げてみるが、格好が格好だけに何となくその仕草が無意識に女子高生っぽくなってしまった。何をまんざらでもないみたいになってるんだ私は! ちゃんと気合いを入れ直さないといけないと意気込もうとした矢先に助監督から声がかかった。「ゆず、出番だ。こっちへ来ておくれ」。といっても、そこにスタジオがあるわけではない。その日はロケだったので、スタッフ集団がそれぞれに自家用車へ乗り込み、機材を運ぶトラックの後を追う。

 舞台はローマ郊外の場末感がたっぷり漂う陰気な住宅街の一角。申し遅れたが、撮影は1月に行われた。時刻は夜9時。いくら南欧といっても、真冬である。誰が何と言おうと寒いものは寒い。本当にちょい役なので、私が出演するのはわずか4カットほどということだったが、事は思ったようにはなかなか進まなかった。35mmフィルムは非常に高価で、気安く撮り直しをしたりするようなことはできない。このフィルムを手に入れるために監督コンビはどれほどの苦労を重ねたことか。入念なリハーサルが繰り返される。俳優の演技だけではない。カメラ(カメラマン、ドリーと呼ばれるカメラ用のトロッコを動かす人、ズームやピントといった光学的操作を行うスタッフ。彼らのコンビネーションも重要だ)、照明、マイクの動きなど、やることが矢継ぎ早に出てきて、監督たちがいちいちそれに命令を下していく。ただ、スタッフもみんなまだまだ駆け出しなので、いくらツーカーな仲間たちとは言え、万事快調というわけにもいかない。むしろ快調でないことのほうが多いくらいだ。「ああでもない、こうでもない」。しんしん冷え込む現場には、ピリピリした緊張感とうまくいかないイライラが満ちていた。ぼやぼやしてはいられない。手がちんちんしていたけれど、夢中でこなした演技そのものはぼちぼちうまくいったようだ。やれやれとほっと一息ついたのが午前3時半。私の吐いた白い息はしばらくその場にとどまっていた。

 基本的に彼らのストーリー展開にさほど興味を持てなかった私だが、引き受けたことはちゃんとやらなきゃならない。35mmフィルムでの撮影現場を目の当たりにできるというだけでも参加する意義があるだろうと考えていた。それは実際にその通りで、私が出演した凍える夜以外にも幾夜か撮影につきあったのだが、どでかいカメラがドリーの上で動くさまや、合成のために緑色のスクリーンをバックにして行われた宙吊り撮影も見ているだけで興奮した。主人公がかぶる細菌にやられてただれた顔のマスクも精巧に作られていたし、それを体になじませていくメイクのラウラの手仕事には目を見張るものがあった。いい体験だったと言うと実に野暮だけれど、編集という撮影後の作業を学んでいた私にとっては今もって忘れ難いイタリア滞在の収穫のひとつとなった。
   
 私が参加したこの撮影は、実は90分ほどの本編のごく一部。8分程度を撮り、それを20世紀FOXに持っていく。そこで認められれば資金がどっさり入って、残りの部分を撮影する。ダヴィデとシモーネの監督コンビは東京国際映画祭に出品したいと頬を紅潮させて夢を語っていた。けれど、夢をかなえるのは茨の道。撮影から半年ほどが経過した頃、チネチッタでタトゥー監督にばったり鉢合わせした。あれから資金が行き詰まり、8分がなかなか完成しないのだという。あと少しというところらしいのだが、財布を温めるために、スタジオで下働きをしているということだった。なかなか大変だ。なのにどうして彼の表情は朗らかだった。自信の表れだろうか。イタリアではなじみの薄いジャンルの確立に向けて、闘志冷めやらぬといったところだろうか。次は彼らに東京で会いたい。

 これまで26回にわたって書き散らしてきた『チネチッタ滞在記』ですが、大阪での暮らしが再スタートを切り、今回をもって連載を終了することになりました。来月からは隔月ペースではありますが、ファンシーゆずの『今宵はあなたとチンチン・チネマ』として装いも新たにコラムを進めてまいります。とはいっても、何かとイタリア映画について書くことに変わりはないと思います。駄文にお付き合いくださった皆さま、お目にかかる機会が少なくはなりますが、今後ともどうぞよろしくお願いします。