京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

世界のシネマテークにしねまっていこ その3(前編)

パリ、7月のある雨の朝。「またパリか…」。初めて訪れた街であるにもかかわらず、そんな言葉が男の口をつく。エクトプラズムの形をした冗談が、煙草のけむりのように行き場を失う。男はカフェでパリ的なカップをひとり傾けているが、それでも世迷言を口走り、心持ちを一向に落ち着かせることができないのは、生まれつき苦手なフランス語でコーヒーの注文を見事成立させた興奮からではなく、ましてそのコーヒーが、男の不吉な予感に反して極々自然に運ばれてきてしまったという逆説的な驚きからでもない。男は今、その素朴な人生にいくつかあるであろう多くはない山場のいずれかを迎えようとしているのだ。

それは男にとって、エッフェル塔に比して遥かに高く、セーヌの川底に比してどこまでも深く、あるいは凱旋門よりも巨大で、オペラ・ガルニエより華々しかった。果てしなく思われたシャンゼリゼの通りはそれの前では小道に過ぎず、ルーブルの美術品は修復不可能なまでに劣化した。あらゆるクロワッサンの香りをそれは切り裂き、そこから巻き起こる竜巻がカルティエ・ラタンに散らばるすべての知識を吹き飛ばした。凡百のワインボトルは残らず砕け散り、ノートルダム寺院のステンドグラスは最後の一枚まで色彩を失った。その輝きの前では老若男女のパリっ子たちが無味乾燥のマネキンと化し、街を賑わす数多の亡霊たちは永久に昇天した。それが持つ怒涛の存在感によって、男の生来の旺盛な食欲は食わずして満たされ、起き抜けの肉体の渇きは潤った。言うまでもなく、男にとってそれは、パリにおけるすべてを凌駕していた。やつ自体が俺のパリなんだ、男はそうも考える。そんな圧倒的な存在を目前にして、この慎ましい男に落ち着けとは酷な話である。

 香らないコーヒーを出すとは何たる店か! 理不尽な悪態を付くことによって、男の嗅覚までも奪ってしまったそれに対する過剰な感興を置き去りにして、男は再び雨下に傘を広げる。雨脚は依然として衰えることを知らないそぶりを見せている。にもかかわらず結局は、男の心は晴れやかだった。降りながら乾く不思議な雨後のように。それはもう目の前なのだ。

エンリーコ・デットイルドラーゴ著
シネマテーク・フランセーズ、あるいは映画の間』
憧夏映画出版、2007年、24頁より*1 

 オランダのアムステルダム、ドイツのフランクフルトと続いた今回のシネマテークを巡る旅は、世界でもっとも有名なシネマテーク、フランスはパリにあるシネマテーク・フランセーズ(Cinémathèque française)をひとまずの終着点としております。

 フランクフルトから夜行バスに揺られやってきたパリは、生憎の雨でしたが、僕の心は見事に晴れ渡っておりました。朝食を摂ろうと入ったカフェであれやこれやと思いをめぐらせます。7時38分に取ったメモは、荷物を預けたホテルからそのカフェに入るまでに、すでに2つの映画館を見たと記しています。「さすがパリ!」と書いた直後に、過剰に興奮している自らをたしなめるように、「パリパリ言うな!!」と追加している点は、我ながらなかなか愛嬌のあるやつだなあと思ったりもします。

 頭の中をすでにシネマテーク・フランセーズでいっぱいにしていたせいか、食べたクロワッサンも飲んだコーヒーも味を覚えていません。美味しくなかったことはないはずですが、それより優先するものが目の前に迫っているのです。余韻に浸るのもそこそこに、カフェを出ます。いつもであれば出不精の僕のやる気を挫く雨も、この日ばかりはモノともせずに館を目指しました。

 右岸からシテ島に渡り、ノートルダム大聖堂を冷やかし、再び右岸に戻り、散歩するには魅力的とは言いがたい、朝のラッシュのセーヌ川岸を歩いて、シネマテークのあるベルシー地区(12区)に着きました。大蔵省の巨大な建物が見えてきたら、物理的な大きさでは劣りながら存在感で勝るシネマテークはもうすぐそこです。地区で一番美味しい(に違いない)パン屋で焼きたてのクロワッサンをまた買って食べました。幸先の良いスタートを思わせる美味だったことまでは覚えてますが、繰り返しますが、頭はシネマテーク・フランセーズにやってきたことで満たされています。その味を記憶する余地は、僕の貧弱な脳には残されていませんでした。

 博物館展示の開場は12時ですので、それまでの時間は付属の図書館で過ごすことにしました。受付で図書館に行きたいことを告げると、先輩(と思しき女性)が後輩(と思しき女性)に、僕を案内するよう指示を出しました。ためらいながらもその若い女の子は、僕を図書館へと導きます。どう見ても一般人用とは思えない通用口と階段を通って上の階を目指します。しかし、どうも女の子の案内にテキパキとしたものがない。行った通路をまた戻る。上った階段をまた降りる。右かと思ったら左に行く。「実は私、今日が初めてなのよね」、女の子はそう明かしてくれました。「でも、素敵だよね、シネマテーク・フランセーズで働けるなんて。僕が住んでる街にもシネマテークはあるんだけどね、ここまで立派じゃないからなあ」、と僕はイタリア語で言いました。どうせ通じないのならイタリア語もフランス語も関係ありません。すると、「あら、あなた、どこから来たの?」と女の子がイタリア語で聞き返します。「へえ、イタリア語もしゃべれるんだ。僕はボローニャという街に住んでるんだ」。「そうなの。ボローニャ…、知らないわねえ」、と彼女。「こことは比べ物にならないくらい小さいけど、それでも魅力的なシネマテークなんだ」。その時、彼女が上ろうとした階段の奥に、「図書館」の文字が見えました。「あ、図書館はこっちみたいだよ」、僕が教えます。

 結果的に、普段は見ることのできなさそうなシネマテークの非通用階段を歩いたばかりでなく、案内できない案内係の素敵な女の子と少し話ができたことで、気分も幾分リラックスしてきたようです。しかし、そのくつろいだ気分も、図書館受付の女性のまくし立てるようなフランス語で再度凍りつきました。見事に何を言っているのかわかりません。英語とイタリア語でその旨を伝えるものの、帰ってくる返事は単語を替えた相変わらずのフランス語。どうやら入場料を要求しているようですが、僕は一応学生ですので無料にならないのかと問うわけです。あるいは少なくとも割引してほしい。しかし、一向に埒が明かないので泣く泣くお金を払い、フランスでも早速挫折を味わった挙句、図書館入場は叶いました。

 これと言って探していた本はないのですが、アーカイヴ関連やイタリア映画関連のセクションに案内してもらって、いくつかの本をめくり、いくつかのタイトルをメモしました。雑誌も豊富に揃っており、中でも9.5mmという珍しいフィルムのフォーマットに特化した映画クラブの会報が存在することには大いに驚かされました。日本でも少しずつその存在が知られるようになった9.5mmフィルムですが、まさか今の世にも映画クラブを形成するほどの土壌が残されているとは知りませんでした。「さすがパリ!」という言葉はこういう時に言うものです。

 階下の書店へ向います。インターネットで世界中の書籍を思いのほか容易に購入できる昨今ですが、パリに来た記念にと何か1冊買って帰ろうという魂胆です。買いたい本はすでにあります。2006年のポルデノーネ無声映画祭で紹介されていた、フランスの若い研究者が書いた、イタリアのシネマテークについての本*2です。店員さんに聞くと、売り切れてしまったとのこと。「あ、でも、別の本屋さんにはまだ1冊残ってるようだね」と言って、パリ市内の他の書店を紹介してくれました。買う本は決めていたとは言え、いざシネマテーク・フランセーズの本屋に来てしまうと、あれやこれやと欲しいものは出てきます。繰り返しますが、フランス語はほとんどわかりません。未来への投資なのです。しかし、言葉がわからなくてもポスターなどにはどうしても手が伸びます。いやいや、貧乏旅行の身、ここは我慢です。ちょっとちょっと、でも次にいつここに来れるかわかりません。ポスターの1枚や2枚…。だめだめ、パリに来たのはシネマテークそれ自体を楽しみに来たのです、ポスターはまた今度でも買えます。あらあら、さすがにこの特集のポスターは…。ノーノー、フットワークの軽さに左右される一人旅です。って、ポスターがどんな荷物になるというのですか。しかし、こういうのが後々響くことに…。ううむ、それでも…。ノンノン。ウィウィ…。  (つづく)

*1:この物語は、実在する人物、書籍、その他諸々に一切関係ありません。なお、出版のご提案・ご要望につきましては、ことばのオフィスODCまでお問い合わせください。

*2:Marie Frappat、Cinémathèques à l’italienne: conservation et diffusion du patrimoine cinématographique en Italie、L’Harmattan、Paris、2006