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京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝紹介グループ「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM802で行っている映画短評について綴ります。

「白髪のボローニャ」が敢行する「ちょっとした改革」  (旧ウェブサイトコラム『ボローニャ新聞 大阪支局』)

 ボローニャの「へそ」とも言えるマッジョーレ広場(Piazza Maggiore)、その西側にパラッツォ・ダックルスィオ(Palazzo d’Accursio:アックルスィオ宮)がある。現在、大方は市役所として機能しているのだけれども、広場に面した1階部分には無料インターネット場兼案内所があるし、その隣には夜でも開いてる薬局があって、いずれも場合によってはお世話になることもあるかも知れないことを考えれば、僕たち外国人や観光客がこの建物に用事がないとは言い切れない。とにかく市庁舎という建物の性格上、比較的市民生活に近いところにある施設である。

 建物の大きな門(市庁舎なので警官や警備員がいる)をくぐると、仮設ブースなんかを置いてラジオの生放送をしていたり、写真展や啓蒙イベントなどをやったりしている中庭みたいな空間(cortile、画像右)があって、先のネット場からこぼれる無線LANを拾おうとする輩や、隣接する図書館(Sala Borsa)から借りたばかりの本を開く学生の姿もチラホラ見える。さらに進めばパトカーやら自転車やらが停まっている駐車場に出るのだが、そこにある井戸の周りには年中花が咲いていて、モッツァレッラとトマトとルーコラをはさんだパンを齧りながら過ごした気分の良い5月の午後を覚えている。

 このアックルスィオ宮のハイライトは、何と言ってもボローニャ出身の画家ジョルジョ・モランディ(Giorgio Morandi)の美術館で、こいつを見逃す手はない。トーンを抑えた静物画や、何気ない街角の景色を切り取ったかのような風景画を得意とした画家の、世界で最高唯一の作品群を間近で楽しむことができる。テレビが普及する1950年代に繰り返し描かれたアトリエからの風景は、同じ眺めでもキャンバスによってはアンテナがあったりなかったりで、今とほとんど変わりのない風景の中にわずかな「時代の残り香」や連作の意図が感じられたりして、僕はこの画家をいっぺんで気に入ってしまった。しかも個人での鑑賞は無料というから、ボローニャという街の底力を感じないわけにはいかない(予約すれば3ユーロでガイドを頼むこともできる)。館内を周ったあとで階下のファルネーゼ広間(Sala Farnese)に設置されている「皮製のフカフカ柔らかなソファ」に身をゆだね、鑑賞の後味をしばし堪能したものだ。

  そんなアックルスィオ宮で先日、ひとつの「ちょっとした改革」が実施された。9月5日のイル・レスト・デル・カルリーノ(il Resto del Carlino 以下、カ紙)が伝えている。

 Spariscono i divani dalla sala Farnese di Palazzo D'Accursio, sostituiti con nuovissime panche anti-bivacco. La piccola 'rivoluzione' è avvenuta in sordina nelle lunghe giornate estive, a quanto spiegano al Comune di Bologna, proprio per l'abitudine presa da alcuni clochard di andare a dormire nell'antica sala del municipio.

 アックルシィオ宮ファルネーゼ広間にあるソファが撤去され、ベンチが新しく設置された。ボローニャ市の説明によるとこの「小さな改革」は、市庁舎内に保存される広間でのビバーク的仮眠を習慣とするクロシャールに対抗するためで、夏の日長の午後、ひと気のない静けさの中で敢行された。(訳は筆者)

 聞き慣れぬ単語がふたつ。ビバークとクロシャールだ。山登りが好きな人はビバークが緊急避難や不時の野営を意味することは知っているだろう。問題はクロシャール(clochard)である。伊和辞典には載っていない(明らかにイタリア語ではない)。ズィンガレッリ(Zingarelli:イタリア語辞書)を開くと、“Vagabondo senza un domicilio fisso, barbone”とある。つまりは「宿無し、乞食、浮浪者」である。どうやらフランス語のようだ。なるほど、立派なソファに身を沈め無料で休憩(というよりはほとんど「長すぎるビバーク」)できるファルネーゼ広間に浮浪者数人が憩いを求めて集まり、それを苦慮した市の対応が、「柔らかいソファの撤去 → 固いベンチの新設」というわけだ(右の画像は新設されたカッチカチのベンチ)。

 カ紙によれば、アックルスィオ宮には、ルネッサンス期に作られたファルネーゼ広間や我が思い出のモランディ美術館だけでなく、皇帝カルロ5世が戴冠したといわれるファルネーゼ礼拝堂(Cappella Farnese)があり、ボローニャの中でもっとも観光客が立ち寄る名所のひとつになっている。そこを訪れる者が必ず通るファルネーゼ広間に、真昼間から浮浪者が居座るのみならず、あまつさえぐうぐうといびきなんかかいて眠っていたら、それこそ「けっして褒められた光景ではない(uno spettacolo non proprio decoroso、行政関係者の弁)」のである。

 そういえば、先に書いた図書館に備え付けてある割と座り心地の良いソファも、日の高いうちから、どう見ても働き盛りだろうというおじさんたちで占拠されている光景をよく目にしたものだ。彼らの多くはマンガ本を腿に乗せ、大きな口を開けて眠りこけていた。確かに、見ていて気分が晴れるという類の眺めではない。もしかしたら、気品のあるファルネーゼ広間のホームレスは身分が高くて、市民で賑わう図書館のホームレスは庶民的なのかも知れないし、何らか知らんの序列や権力・縄張り争いがあるのかなあなどと考えながら、彼らの隣に腰を下ろしひと時を過ごしたものである。

 撤去されたホームレス愛用の(僕も愛した)ソファは、アックルスィオ宮が巨大な博物館として開放される時まで倉庫で保管されるとカ紙は伝える。それまでは、浮浪者や失業者のビバークを不可能にする、背もたれも肘乗せもないものすごく固い簡素なベンチ(semplici panche senza spalline e braccioli: durissime)が観光客の来館を歓迎するのだ。

 だとすれば、未来の美術館来訪者たちは、今自分たちが座っているソファが、かつてホームレスたちの憩いの場であり、結果として彼らから奪い取ったものであることを知って、何を思うのだろう?

 同カ紙は8月25日、ボローニャの別の面白い傾向について言及している。曰く、ボローニャ市の住民のおよそ3分の1が65歳以上で、そのうちの3万2千人が80歳を超えているとのことだ。これは、イタリア国内においては北部のトリエステに次いで2番目に多い数らしく、しかも、2020年には80歳以上の高齢者が5万人に達するという予想をしているから驚く。ボローニャと人口がほとんど同じ38万人の大阪府豊中市はどうかというと、65歳以上の割合はおよそ20%、80歳以上の人口は1万6千人(公式HPより)だから、単純比較してもボローニャにはずいぶんお年寄りが多いことがわかる。「白髪のボローニャ(Bologna dai capelli grigi)」という表現を用いてこの記事が注意を喚起しているのは、この街がお年寄りにとって住み良い街であるという賞賛では決してなく、実のところ、不十分な生活保護や高齢者介護という街の暗部であり、しかもその未来は、さらなる高齢化によってより大きな問題を抱えることになるということである。

 街の東側、僕が暮らしたマッツィーニ地区も、近隣で最大の公園ルネッタ・ガンベリーニ(Giardino Lunetta Gamberini)はいつもお年寄りで賑わっていた。背もたれこそあれど、肘乗せはない普通の固いベンチではあるが、争奪戦や陣取りゲームの空想が容易なほどに、公園中どこを見渡してもおじいちゃんおばあちゃんによって占領されていた。記憶が正しければ、高齢者が集うセンターのようなものも公園内にはあって、ダンス・パーティや食事会が催されていた(そのメニューが数日前から張り出されるのだけれど、「〜風パスタと子羊の…ソース」なんて文字を尻目に、腹を空かせた日本人貧乏学生がヨガをしていた。僕であることは言うまでもない)。

 公園にあふれかえる、一応に元気で、一様に家族や仲間たちに囲まれたお年寄りたち。彼らが公園の中に形作っている高齢者群像の均質化の中に、マイノリティの不在の存在が炙り出されていたように今では思える。公園に集まる彼らを目にするにつけ、そういう集いやコミュニティを好まない人たち、孤独を愛すというわけではないのだけれど何らかの理由で家から出ることのできない人たち、体と心に不自由を抱える人たちが、公園という地域住民が「見えるところ」とは別のところに存在していることも否応なしに想像できる。家に閉じこもり、つけっぱなしのテレビの前で一日を過ごす、そんな話を耳にするのは何も日本に限ったことではない。彼らはいったい、どこで何をして暮らしているのだろう?

 今回取り上げたカ紙に掲載されたわずか数十行のふたつの記事は、文字としては多くを語らない。―――浮浪者が居座るソファを取り除いて、固いベンチを置いた。これで少なくとも館内の景観は守られる。―――ボローニャトリエステに次いで2番目にお年寄りが多い。その数は今後10年でさらに増えるだろう。 ―――それだけである。しかし、その文字の裏側と隙間から読む者に考える機会を与える点で、とても興味深い。そしてそこから見えてくるのは、ボローニャという、井上ひさしが『ボローニャ紀行』の中で描いた類の理想郷としての街の姿ではなく、取り組むべき問題と課題を山と抱えた、どこにでもある街の一幕である。麻薬の多量摂取で命を落とした大学生。年上の恋人とのマゾヒスティックな愛戯中に誤って絶命したゲイの少年。大学街で外国人にレイプされた少女。公園の遊具で怪我をした幼児。全焼を免れなかった歴史的建造物。三面記事というのぞき窓から見えてくるボローニャは、井上が記したような先進的で見習うべき街ではない。彼が描いたのは、さまざまに入り組んだ複雑な問題を、街に暮らす人々の力で解決・克服してきた街の今の姿である。ならば今抱える問題をボローニャはどのように乗り越えていくのか? その先にはどのような変化を遂げた街のあり方が提示されるのか? 失業問題や高齢化問題という同じ課題を負う僕たちは、ボローニャがしようとしていることから何を学べるのだろうか?

 こいつはひとつ、もうしばらく三面記事(とその後の報道)を追っかけてみる価値はありそうだ。コラムの2回目にして、このことを確認できたことを記事を読むことの収穫として、今回は結ぶことにする。  (おわり)

=参照=
“CAMBIAMENTI IN COMUNE A BOLOGNA” in Il Resto del Carlino, 05/09/2008
“BOLOGNA HA I 'CAPELLI GRIGI'” in Il Resto del Carlino, 25/08/2008