京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『インフェルノ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年11月4日放送分
『インフェルノ』短評のDJ's カット版です。

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ダン・ブラウンの原作を映画化した2006年の『ダ・ヴィンチ・コード』、2009年の『天使と悪魔』に続く、壇蜜が定義するところの「インテリ版ダイ・ハード」、トム・ハンクス演じるラングドン教授シリーズの第3弾。ラングドンは、アメリカの大富豪にして生化学者のゾブリストから挑戦状を突きつけられます。地球規模の人口増加問題を解決する手段として彼が生み出した人口を半減させるウィルス。そのありかが、イタリアの詩人ダンテの叙事詩『新曲』地獄篇インフェルノをモチーフにしたボッティチェリの絵画に隠された暗号によって示される。フィレンツェヴェネツィアイスタンブールの3都市を巡るうち、ラングドン教授は予想だにしない真実を知ることになる。

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監督はいつものロン・ハワード。ラングドンと冒険を共にする美しき相棒シエーナを、僕もぞっこんフェリシティ・ジョーンズが演じています。
 
この作品、先日、109シネマズ大阪エキスポシティのIMAXで番組主催の試写会を実施しまして、僕もそこで思う存分堪能しました。予告にも出てくるゾブリストがフィレンツェの塔から飛び降りる場面なんて、IMAXのあまりの迫力に、座ってるのに僕も足元がすくみましたよ。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

一応、前2作は観ているものの、僕はダン・ブラウンの原作は読んでいません。それでもわかるのは、このシリーズはまず脚本が超大事ってことです。だって、『インフェルノ』も原作は文庫にして上中下巻、計1000ページです。ストーリーの枝葉を刈り込み、映画向きのエピソードとそうでないものを取捨選択し、生まれた「ほつれ」を映画オリジナルのキャラクターや展開で整えないといけない。至難の業です。実際のところ、原作ではひとつ前の物語『ロスト・シンボル』は映画化が脚本の問題で座礁に乗り上げてますから。

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その意味で、今回脚本がうまく機能しているなと思ったのは序盤のフィレンツェです。ラングドン教授、いきなり病室にいるんですよね。ここはどこ? 私は誰? 短期記憶がスコッと抜けた状態。しかも、現代の僕らも知るキリスト教の地獄を克明に表現したダンテの神曲地獄篇さながらの幻覚を見る。まるでホラー映画です。会う人会う人、誰が敵で誰が味方かよくわからない。しかも、冒頭で追われて塔から飛び降りたゾブリストの人口抑制対策の必要性を説く過激なプレゼンをネット映像で見る。そうこうしている間にも、あちこちから追っ手がラングドンに迫る。何だかよくわからないままに逃げながらも謎を解かないといけない。とりあえず信じられそうなのは、病院から辛くも助け出してくれた女医のシエナのみ。
 
とにかくこの序盤の作り込みが凄い。3つの組織の思惑と、絶えず変化するその三角形の力学の中で右往左往するラングドン。中盤以降のどんでん返しへの布石をすべてぶちこんであって、とんでもないスピードで話が進む。ポイントはゾブリストの主張というか、そのプレゼンです。うますぎて、それなりに説得力があるせいで、殺人ウィルスという絶対ダメな解決方法とは言え、絶対的な悪だと思えない。こういう観客のミスリードがあちこちに仕掛けてあるし、ラングドンも記憶障害のせいで「おいおい大丈夫か」と言いたくなるし、他の組織も正義なのか悪なのかグレーだしってことで、謎が謎を呼び絡まりあって進んでいくから、シリーズ最高レベルにハラハラします。
 
そして、これまでと大きく違うのは、キリスト教の歴史のダークサイドに光を当てるんではなく、キリスト教的な価値観と文化はあくまで謎解きというか、簡単に言えば宝探しゲームのモチーフにしているだけで、あくまでテーマは人口増加問題という人類の来し方行く末なんで、日本に住む僕らにとっても身近に感じられるんです。だから、なおのこと、シリーズでは最も入り込みやすい。
 
ただし、観終わってみると、ゾブリストはなぜこんな面倒くさい方法でウィルスをばらまく必要があるんだという謎は残ってしまうんですよね。僕だけかな。脚本がうまいから、とりあえず始まったら終わりまでブレーキがかかることなく進むし、極端な話、追いかけているものが別にウィルスでなくても成立するような、映画の神様ヒッチコックが言うところの「マクガフィン」のような「映画の中ではとても重要なものだけれど、別にそれは何でもいい」みたいなものなんで、いいっちゃいいんだけど。冷静になると、ゾブリストの思惑がよくわからなくなる。
 
で、原作ですよ。どうやら、ウィルスそのものの設定が映画では改変されてる。だから、エンディングも違う。シエナの役柄も他の登場人物との関係性も結構違う。ただ、それをそのまま映画にすると、どうしても2時間では収まらないし、映画的カタルシスに欠ける展開になってしまうということでしょう。
 
結果として、ポップコーンの似合うハリウッド大作としては正解のエンターテイメントなんだけど、物語的深みはやはり原作のほうが遥かにありそうで、ああ、原作をどっぷり味わいたい欲求が抑えきれなくなっています。それも含めて、映画化としては成功なのかもしれないですけどね。
 
☆☆☆
 
それにしても、ドローンって、あんなに早く飛べるんですか!? ボーボリ庭園でのドローンとの追いつ追われつは、たまらなく怖かったです。あれに銃器積まれた日にゃあ、あなた…
 
劇中でキーワードのひとつとなる、チェルカ・トローヴァ、英語にするとSeek and find.で、確か「探し求めよ」みたいに訳されてたように思うんですが、現在のイタリア語だと、頭にwhoにあたる言葉をひっつけて、Chi cerca trova.(キ・チェルカ・トローヴァ)と諺っぽく使われることが多いです。直訳すれば「探す者は見つける」で、「努力すれば報いられる」というニュアンスになります。よく忘れ物をして探しものをしていた僕に、イタリア人の母がむしろ文字通りの意味で「探さないと見つからないわよ」とこの言葉を言い放っていた記憶があります。

さ〜て、次回、11月11日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『ボクの妻と結婚してください』です。好みからすればまず観に行かない作品ですが、そんな僕がどう批評するのか。鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『スター・トレック BEYOND』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年10月28日放送分
『スター・トレック BEYOND』短評のDJ's カット版です。

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シリーズ誕生から今年で50年。2009年にJ.J.エイブラムス監督がスタートさせたリブート(仕切り直し)の3作目。23世紀の宇宙を舞台に、地球を含めた平和な惑星連邦から飛び立った宇宙探査船U.S.S.エンタープライズの冒険を描いています。今回は、未知の星に不時着した宇宙船を救出するミッションに出たところで、謎の異星人クラールが率いる無数の飛行物体に襲われ、エンタープライズ号が大破。仲間が散り散りになってしまいます。

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J.J.エイブラムスは『スター・ウォーズ フォースの覚醒』で忙しかったということで、今回からは「ワイルド・スピード」を手がける香港出身のジャスティン・リンが監督をすることに。

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僕は熱心なトレッカーでも何でもないんですが、今回のリブート版『スター・トレック』を観直し、観落としていた『スター・トレック イントゥ・ダークネス』を観てから、109シネマズ大阪エキスポシティのIMAX 3Dで鑑賞してきました。エンタープライズ号が実物大に感じられるスクリーンのサイズ感はたまらないものがありましたが、109シネマズ大阪エキスポシティは4DXも対応してるので、今回のBEYONDはそちらでの鑑賞もいいでしょうね。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

テレビドラマ版が計5つ、28シーズン、テレビアニメ版、劇場版が今回で13本あるわけですよ。あまりにも膨大だし、トレッキーとかトレッカーとか言われるマニアもいるもんだから、おいそれとは入り難いというか、敷居が高いのは間違いないですよね。僕もTVシリーズなんて、たまたまやってるのをチラッと観たことがあるくらいで、そもそも日本では視聴環境がアメリカほど整ってなかったので、今回お告げが下るまでは、ほとんど門外漢だったんですが、この1週間ですっかりファンになってしまいました。『スター・ウォーズ』よりもハマってるかも。

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簡単に言うと、異文化交流なんですよ。僕らの想像を超えるような、僕らの価値観からすれば変な生き物が出てくる未来の話なんだけど、オリジネータージーン・ロッデンベリーさんの思惑通り、そのカルチャーギャップによる摩擦や交流には、現代の地球が抱えている様々な問題が投影されているので、僕らはそのドラマを自分たちのものとして観ることができる。考えることができる。すごく進歩的で、なおかつ、すごく現代的。僕らの未来のある種の理想像を提示してくれている。だから、本来は細部まで含め、ドラマでゆっくり、一話簡潔で観続けるのがいいんです。そんなとっつきにくいスタートレックをJ.J.はどうしたかって言うと、語弊を恐れずに言えば『スター・ウォーズ』化してるんだと思います。ドラマよりもアクション。スピーディーな娯楽活劇になってる。もちろん、スタートレック本来のテーマにも目配せはしてあるから、スタートレックという宇宙への入門としては、2016年現在はやはりここっていう感じ。
 
前置きが長くなりました。そんなリブート3作目の一番の特徴は、クルーたちのキャラクターを引き立たせたこと。これまでの2作は、やっぱりカークとスポックのバディーものの側面が強かったんだけれど、なにせエンタープライズ号がコウモリ、あるいはイナゴみたいな小型宇宙船の大群に撃破されて、クルーが散り散りになるので、知らない星でまた皆ひとつのチームに集まらないといけないわけです。そこで、これまでにはなかった意外な組み合わせを実現させることで、キャラクターをより立体的に見せている。たとえば、スポックとマッコイ医師の掛け合いは漫才みたいでしたね。新キャラの異星人ジェイラも加わり、拠り所であるエンタープライズを失ったからこそ試されたクルーの絆が、また強くなっていく友情物語という、鉄板、王道な展開。敵であるクラールが抱える悲しみも含め、間違いないっていう感じ。
 
ジャスティン・リン監督は、ファンだったスター・トレック初参加でプレッシャーもかなりあったようですが、手堅くまとめていました。予算もこの手の作品にしてはそう多くなかったらしいので、知恵を絞ったようです。もしかすると、脚本にスコッティ役のサイモン・ペッグが参加しているのが大きいのかなとも思うんですが、敵を撹乱させるために使う道具がとてもアナログで笑いましたね。意外だし、いいバランスだったと思います。ラジオは、僕は当然アガりました。選曲もグッド。
 
ただ、全体としてはあまりにも王道・直球だったので、スター・トレックシリーズのデザイン性の弱さは浮き彫りになっちゃったかな。まあ、これはこのリブート全体に言えることだけど。
 
たとえば、今回も敵があまりにも敵っぽいんだよな。冒頭の和平協定を結ぶ時、化物みたいな異星人、カメラを引いたら、すげぇちっちゃい、みたいな、ああいう意外性、面白みをもう少し全体に散りばめて欲しかった。
 
とはいえ、今回はクルーの絆がメインテーマ。そこはきっちり表現されたアクション娯楽大作王道として、間違いなくのんきに楽しめる1本です。
 
良質なSF、あるいは宇宙という舞台で展開される知的生命体の理想を目指すドラマ、実は人間の本質を語っている金字塔スタートレックは、ONE PIECEが好きな人とか間違いなくハマると思います。これをきっかけに触れてみては? 僕はとりあえず、最初のシリーズ「宇宙大作戦」のDVDをポチッと買ってしまいましたよ。
 
☆☆☆
 
ロシア訛りの英語を喋る操縦士チェコフを演じるアントン・イェルチンが、事故で27歳の若さで亡くなったんですよね。撮影後ですけど。カークとマッコイが、チェコフが隠し持っていたお酒を飲むシーンありましたね。あれは、追加で撮影されたようです。イェルチンを思っての、映画クルーの弔いと考えれば、今回のテーマと合わせてグッと来ますね。

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さ〜て、次回、11月4日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『インフェルノです。番組ではIMAXでの試写会も実施しましたが、鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

『何者』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年10月21日放送分
『何者』短評のDJ's カット版です。

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近年の日本映画の傑作『桐島、部活やめるってよ』の原作者、朝井リョウ直木賞受賞作を、『愛の渦』で人間関係の変化を活写した劇団ポツドール三浦大輔監督が映画化。企画・プロデュースは、今や日本映画の屋台骨、川村元気。今年だけでも、『世界から猫が消えたなら』『君の名は。』『怒り』『何者』、これ全部川村元気の手掛けた作品ですよ。すげー。まんまと全部観てる…

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キャストには、若手実力派が揃いました。佐藤健有村架純菅田将暉二階堂ふみ岡田将生。22才の5人が同じ部屋に集い、そこを就活対策本部として情報交換していくのだが、それぞれのスタンスの違いがだんだん露呈してきて、やがて内定を手にする者が出始めると、関係性がギクシャクしてくる。就活というダンジョンを彼らは抜けることができるのか。
 
それでは、佐藤健演じる主人公拓人ばりに映画を観察・分析している男、野村雅夫が3分間で『何者』を短評。いってみよう!
 
☆☆☆
 
あらすじを読んだときから気になっていたんですけど、5人とも22歳という設定が絶妙です。つまり、留学やサークル活動で、みんな1年は寄り道をしてるんですよ。ストレートじゃない。だから、余計に就活に対して構えてるし、考える時間があった分、見事にこじらせてる。そういう背景がキャラ造形に映えていました。お話のメインとしては、主人公の拓人が他の4人を分析する様子が大事になってくるんですが、実は拓人にとって大事な登場人物が他にふたりいて、映画全体ではそのふたりが鍵になっていると僕は見ています。
 
拓人はこれまで演劇に打ち込んでいて、烏丸ギンジという、作・演出のパートナーがいたんですね。でも、烏丸は就活はせずに新しい劇団を旗揚げして、どんどん公演を打っている。そんな烏丸のことを、拓人は就活の合間に、ずっとネットで追い続けるんです。芝居にも未練がある拓人は、烏丸を妬む一方、アマチュア演劇の掲示板で烏丸の芝居がこき下ろされているのを見ては「やっぱりな」と見下してみたり。自意識を制御できずにぐらんぐらんな状態なんですね。
 
もうひとり、拓人にとって大事なのは、唯一「年上の人」である、演劇の先輩、理系の大学院生、山田孝之演じるサワさん。彼の大学院生っぷりったら、元腐れ大学院生の僕が首が痛いほどうなずける「こういう人いるわ〜」っていうリアルな存在感だったんですが、それは置いといて、そんなサワさんを慕っている拓人が、サワさんに何度か打ちのめされるんです。本質を言い当てられるというか。それでまた余計にぐらんぐらんですよ。就活対策本部のみんなといる時には、「拓人やっぱりデキる男だよな」と既に「何者かになりかけている男」として見られているし、拓人もそれを良しとしているだけれど、その輪の外のふたりによって、実は拓人は他人のことばかりを気にしている「まったく何者にもなりきれていないモラトリアム男」であることが僕ら観客に提示される。
 
と、この辺りのことは、原作小説でも共通していることでしょうけど、クライマックスの一連の展開は、もう映画ならではでして、朝井リョウ原作の映画化として、演劇畑の三浦大輔を監督に迎えて大正解だと唸るところ。「実はあの時こうでした」的な、Twitterのつぶやきを軸にしたフラッシュバックが不意に始まるんですね。こうした時間の操作がもう桐島っぽいんだけど、今回は映画じゃなくて演劇モチーフでしょ。フラッシュバックという映画技法を、演劇的な、つまり同じ空間で見せていき、なおかつカメラを引いていくと、5人がいつの間にか芝居の舞台にいたっていう、とてもダイナミックな畳み掛け(映画演劇リミックス)みたいな、実にスリリングな演出なんです。まいりました。就活においては、誰もが自分を演じているんだってこと、そしてそのひとり拓人の芝居を僕らは観ているんだってことをこの上ないほど端的に表現していました。
 
物語としては、ある種のオープンエンディングです。それぞれ内定が出たか出てないかが明らかになる着地ではない。だけど、最後の最後、拓人の顔が清々しいというか、凛々しいというか、何者かになったわけじゃないけど、一皮むけた顔をしてるんですよね。ずっと「受け」だった彼が「攻める」顔になってる。佐藤健あっぱれですよ。
 
つまり、こういうことです。受験にしろ、就活にしろ、なんなら結婚にしろ、僕らはそれによって「何者になるか」が決まると思い込んでいるけれど、実はそうじゃない。特に日本は職業で何から何まで規定しようとする傾向が強いけれど、人間ってのは就職面接の1分間で表現できるほど一面的なものじゃないし、そもそも仕事だけが人生じゃない。それがわかるってのが一皮むけるってことでしょう。人間のドロドロした内面が3Dのようにこちらに吹き出してくる映画でしたが、鑑賞後に爽やかな気持ちになれたのは、そういうメッセージを受け取れたからだと僕は思います。
 
☆☆☆
 
NANIMONOの歌詞は米津玄師が書いてるわけですけど、それこそ前前前世ばりに映画を言い表してると思いましたよ。

最後まで烏丸ギンジの顔を映さないという演出上の選択は、「桐島」の桐島とも共通するところでした。そっくり同じ効果とは言わないけど、面白い類似点なので、誰か考えて〜(苦笑)
 
関東と関西という違いはあれど、僕も学生時代から小演劇に携わる友だちがいるのでそれなりにわかるんだけど、ドキュメンタリー風に揺れるカメラとクロースアップで映し出される劇団の様子(役者たちの振る舞いや、あの規模の演劇にありそうな舞台装置や演出技法)は、それはもう「リアル」でした。
 
一方で、演劇も映画も演出していて「間」のことも熟知しているであろう三浦大輔にしては、「はて?」と首をひねってしまう、文字通り「間の抜けた」場面に何度か出くわしてしまったことも記しておきます。居心地の悪い間を演出しようとしているのではなく、ただ単に妙な間になっていたような… ついでながら、時にセリフ先行が耳についてしまうことや、見せ場のための見せ場のような場面も、特に後半見受けられて、あの凄まじいクライマックスがあるだけに、ちょっとチグハグにも感じられました。
 
とはいえ、ラジオで3分間で話すなら、こんなの端折っていいレベルだと僕は判断したので、こうしてDJ'カット版のブログだけに書くというやり口は主人公の拓人っぽいですかね(笑)
 
最後に、放送でもチラッと触れましたが、常連リスナーのつぶやきにこういうのがありました。
 
「一向に広がっていかない映画の世界観には共感出来ませんでした。あの描き方だと現実と理想の両方をバカにしているようにしか思えません」
 
言わんとすることはよくわかるのですが、「一向に広がっていかない世界観」こそ、少なくとも映画に出てくる彼ら若者のビジョンなんじゃないでしょうか。慣れないスーツを着て、一見すると広がっていきそうだけれど、その実、相変わらず窮屈な世界で彼らは自意識とばかりやり合ってる。それが「これは本当に広がりそうだ」と感じられるラストが僕は好きでした。

さ〜て、次回、10月28日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『スタートレック BEYOND』です。鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく! ああ、早く宇宙へ飛び立たなくっちゃいけないのに、朝井リョウの『何様』が気になってkindleで買ってしまった僕です。もう!!

何様

『ジェイソン・ボーン』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年10月14日放送分
『ジェイソン・ボーン』短評のDJ's カット版です。

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2002年にスタートした、スパイシリーズ。ロバート・ラドラムの『暗殺者』を原作とし、マット・デイモンを主役のボーンに迎え、これまで3本作られました。2012年の『ボーン・レガシー』は、スピンオフ的なサイドストーリーなので、文字通り脇へ置くとして、ボーンを主人公とした作品としては、これが4作目。前作の『ボーン・アルティメイタム』から9年を経てのシリーズ再開です。監督は、過去このシリーズで2本担当したポール・グリーングラス。今回も、記憶障害に悩む元CIAの殺し屋ボーンが、自分の過去を突き止めようとしながら、自分を裏切ったCIAと孤独な戦いに挑む様子を描いています。

ボーン・アイデンティティー (字幕版) ボーン・スプレマシー (字幕版) ボーン・アルティメイタム (字幕版)

今回は109シネマズ エキスポシティのIMAX次世代レーザーで鑑賞しました。でかいスクリーンでのアクション映画はやっぱり最高でした。
 
それでは、僕もボーンばりに記憶をたぐりながら、3分間の短評いってみよう!
 
☆☆☆
 
ファーストカットから、「ああ、ボーンシリーズの新作を今僕は観ている」と強く意識させられる、「よ、待ってました!」なボーン印満載の内容になっていると思います。というのも、このシリーズって、たとえば007やミッション・インポッシブルなど同じスパイ映画と比較しても、よりハッキリした特徴・スタイルを備えているんですね。
 
記憶障害を抱えているというボーンのキャラクターが要請するものでもあるんだけど、まずはざらついた映像のフラッシュバックがとても短く挿入される。それに呼応するように、ワンショットがかなり短い。いわゆる長回しとは対極にあって、印象としては平均数秒でカットが変わる。それが全体のスピード感につながる。とにかくシリアスに重たいトーンで進むので、ボーンを始め、役者が笑うことはまずない。で、派手な顔の人が登場しない。みんな地味。毎回女性は出てくるけど、色気はなし。ポップな音楽もまず使わない。連発される迫力のファイトシーンは、CGよりもマット・デイモンやスタントによる本物のアクションにこだわる。こちらも毎度見せ場になるカー・チェイスでは、必ず道路を逆走する。ヨーロッパを中心に、あちこちの街を観光映画的にいつも移動している。ボーンは常に逃げていて、CIA本部から、その時々の権力者がその時々のハイテクを駆使して指示した現地の刺客とやり合い、CIAはいつも自信満々なんだけど、いつもまんまとしてやられる。
 
これがおおよそのシリーズの特徴で、そのまんま今作『ジェイソン・ボーン』の特徴でもあります。とにかく、「待ってました」のオンパレードなので、ファンにとってたまらなくもあるんだけど、さすがにデジャヴというか、それこそボーンばりに僕らも、「ああ、確かこんなことが前にもあったような気がする」と記憶がフラッシュバックしてしまう。その意味で新鮮味が薄い、置きにいった感じは否めないです。
 
たとえば、これまでの3作にすべて出ていたニッキー・パーソンという女性キャラが、今回も頭から登場するんだけど、彼女の辿る道のりが、もう完全に2作目『ボーン・スプレマシー』と同じやん、とかね。CIAの内部分裂、権力闘争も同じ枠組みだし、こうすれば盛り上がるという方程式をそのまま脚本に当てはめているんで、ボーンの父の死の新たな真相って言われても、結局はすべての発端となるトレッド・ストーン作戦に戻っちゃうんです。「もう蒸し返さんといたって!」って言いたくなりますけどね。
 
その分、アクションシーンにはこれまでと違う工夫を見せようという意気込みは伝わりました。こちらもボーン印ではあるけど、一般人でごった返す場所での逃走劇ね。冒頭のギリシャのデモなんて、時事ネタも入ってるし、なかなか良かったです。乗り物もバイクにしていて、しかも白バイですよ。面白い。で、何と言っても、今回はベガスで派手なの用意してますよ、逆走込みのカーチェイス。ただね、敵がよりによって装甲車に乗っちゃったんですよ。とにかく今回は警察の乗り物がよく盗まれる。しっかり防犯して! 装甲車なんて無敵の車でしょ。だから、簡単に言うと、大味です。凄いんだけど、大味です。カー・チェイスをする流れも、無理やり持っていった感じがして、大味です。
 
プラス、これはアクション全体について言えることなんだけど、マット・デイモン46歳、少し身体のキレに陰りがあるのか、これまで以上に細かくカットを割ってるんです。その結果、こちらの瞬きすら考慮に入れてくれないような急ぎっぷりで、正直なところやり過ぎだと思いました。ベガスのシーンも、目先の派手さを優先するあまり、マイケル・ベイばりに空間構成の説明不足な、破壊のための破壊シーンになっちゃってるのが残念でした。
 
と、文句ばっかり言ってるようですが、実は悪い印象はそうないです。なぜなら、僕はスタイリッシュなマンネリはわりと好きなんですよ。待ってましたって言いたいタイプ。で、もちろん一定以上の面白さはあるわけだから、安心して楽しめました。ただ、さすがに次もこの感じで行くと、そろそろいよいよ飽きられるぞという警告メインの短評となりました。

シリーズ通しての主題歌は、Extreme Ways / Moby
文句なくいいんだけど、このチャプターからは別のバンドを起用するとか、Mobyでも別の曲を書き下ろしてもらうとか、しないかぁ…

さ〜て、次回、10月21日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『何者』です。鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『アングリー・バード』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年10月7日放送分
『アングリー・バード』短評のDJ's カット版です。

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外敵もおらず、飛べない鳥たちが平和に暮らすバードアイランド。怒りん坊のレッドは鳥だけど一匹狼。ある日、表向きは友好的な豚のピッグ軍団がやって来て、まんまと島から鳥たちの宝物である卵を奪い去ってしまう。ピッグ軍団の悪巧みに腹を立てたレッドは、せっかちなチャックやびっくりすると爆発するボムら出来そこないたちと共に、ピッグ軍団から卵を取り返そうと奮闘する。

怪盗グルーの月泥棒 [DVD] ミニオンズ [DVD]

怪盗グルーやミニオンなどを手がけるジョン・コーエンが製作。僕も観た吹替版では、坂上忍がレッドの声を担当している。
 
この番組の映画短評でゲーム原作ものを扱うのは初めてじゃないでしょうか。ディズニーでもピクサーでもなく、ジブリ配給でもなく、アメコミでもない。怪盗グルーやミニオンズの流れとはいえ、「こいつらは何なんだ」と思った人もいるでしょう。日本での観客動員は初週10位というのも仕方のない、伏兵感が否めないですよね。ただ、2009年にフィンランドで開発された、このiPhone向けゲームアプリは、全世界で30億ダウンロードを記録という大ヒット。ポケモンGOでも、まだ10億届かないんじゃなかったっけ。それを考えれば、映画化しない手はないというのもうなずけるところ。プロデューサーのコーエンは、鳥なのに飛べないこと、それぞれにある個性的な能力、敵との戦いにパチンコを使うこと。この3点以外、特に制約がないから、自由に製作することができたと語っています。
 
以上の前提を理解いただいたところで、3分間の怒りの短評、行ってみよう(いや、怒ってねーし!)
 
☆☆☆
 
僕の評価を先に言いましょう。メッセージも真っ当だし、「怪盗グルー」譲りで大人向けのギャグも冴えてるし、物語のテンポも悪くない。でも、淡白、でした。
 
メッセージは、こういうことです。社会的に欠点とされていることも、その人の長所となる可能性がある。怒りっぽいレッドも、そのフラストレーションを勇気に変えてコントロールすれば、みんなのヒーローになれると。怒りっぽいだけでなくて理屈っぽくもあって、頭の回転が速いので、豚と戦う際、それまで個人的な憂さ晴らしでしかなかった怒りと悪知恵を、共同体としてのリベンジに活かし、『アルマゲドン』的な自己犠牲に転化することができたわけです。他のキャラも同様でした。ただ、あのボムは一体何なの? 怒り爆発を文字通り体現してるんだろうけど、クライマックスあたりで、「自分で自分を爆発させることができるかどうか」って、それはコントロールしてることになるのか、納得しづらいものがありました。ともかく、メッセージは一応いい。
 
物語のテンポも良かったですね。バードアイランドを、鳥瞰、つまり鳥視点で見せるファーストカットなんていいですよ。飛べない鳥たちの島を鳥瞰する。そこから、レッドたちがどんな暮らしをしているのか、どんな多様な鳥たちがどのように暮らしているのか。セリフに頼りすぎず、映像と行動でちゃっちゃか見せられていました。要するに『ズートピア』的なことですよ。

ズートピア (吹替版) シャイニング (字幕版)

そこに「怪盗グルー」っぽい、毒のきいた笑いがまぶされてる。フリーハグをからかってみたり、伝説のヒーロー「マイティー・イーグル」のおじさん化とダメさ加減をおちょくったり、子どもに分かるわけがないキューブリックのホラーの名作『シャイニング』ネタを入れたり。
 
あと、音楽ネタも豊富。豚達の中にダフト・パンクが混じってました。マイティー・イーグルの部屋にはイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』が飾ってあったり。サントラも、ブラック・サバススコーピオンズ、リンプ・ビズキットといったロックから、チャーリーXCX、スティーヴ・アオキ、イマジン・ドラゴンズといった、ナウヒットまで。そして、リック・アストリー、デミ・ロヴァートといったディスコ・ミュージックですね。ディスコは、古臭いものとして笑いの対象になってましたけど、“I Will Survive”の使い方は笑えるだけでなく、何かハッピーでしたね。

こんな感じで、一事が万事、小さな笑いをきっちり積み上げていて、メッセージもちゃんとしてるんですが、全体として、やっぱり淡白な印象なんです。傑作『ズートピア』と比較するのは酷だけれど、キャラクターの多様性と擬人化、社会の縮図としてのコミュニティ構築がどれも及第点止まりだし、物語の展開も、特にクライマックスがいかにもゲームっぽくて、こちらが操作してるなら生まれるだろうカタルシスも、なんかあれよあれよという間にクリアできちゃったって感じで、今ひとつなうえに、植民地支配を彷彿とさせる豚たちが単なる悪者になってしまってることで、深み・奥行きも足りないんです。
 
テンポと笑い、キャラ造形を優先させるあまり、ストーリーそのものを練りきれていない印象です。とはいえ、何度も言ってるように、クオリティが低いわけではなく、大人も子どもも楽しめて、教育的にも悪くないので、家族で観るのにオススメです。僕は『ミニオンズ』よりよっぽど好きでした。
 
☆☆☆
 
Home Sweet HomeがHome “Tweet” Homeと文字ってあるダジャレは、鳥だけにツイート(さえずり)ってこともあって、笑いました。

さ〜て、次回、10月14日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka 「映画の女神ミホさんから授かったお告げ」は、『ジェイソン・ボーン』です。ボーンシリーズがボーンして、早くも14年。これで5作目。シリーズの振り返りもするべきか、いや、ボーン並みに「覚えてない」としてあっさり流すべきか、いずれにしても手強いぜ。鑑賞したら、あなたも #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『ある天文学者の恋文』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年9月30日放送分
『ある天文学者の恋文』短評のDJ's カット版です。

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ニュー・シネマ・パラダイス』『海の上のピアニスト』で知られるアカデミー賞監督、イタリアのジュゼッペ・トルナトーレが、名優ジェレミー・アイアンズと、007ボンド・ガールでもあったオルガ・キュリレンコを主演に迎えて描くラブストーリー。音楽はいつものタッグ、こちらもオスカー作曲家エンニオ・モリコーネ

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著名な天文学者だった恋人エドの訃報。現実を受け入れられない教え子の大学院生エイミー。彼女の元には、彼の死後も、彼からのメールやプレゼントが届き続ける。彼女がその謎を解いていく中で、彼女の秘められた過去も明らかになっていく。
 
MOVIX京都で昨日(9月29日)の朝8時40分から(早い!)観てきました。
 
☆☆☆
 
ジュゼッペ・トルナトーレ監督は基本的にオリジナルの物語を生み出す映画作家なんですが、ひとつの特徴として、特殊な職業に従事している人物を描くことがとても多い。マフィア、映写技師、映画監督、海の上のピアニスト、娼婦、オークショニストなどなど。今回の場合は、邦題通り、天文学者です。トルナトーレは、そうした職業人がその仕事ならではの哲学、人生の見方を浮かび上がらせるんです。だから、僕たちにとっては、とても新鮮でそういう見方があるのかとハッとさせられるし、引き込まれる。

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この作品はとてもシンプルだし、ありきたりかもしれない。死んでもなお、人は寄り添うことはできるのか。このテーマに、トルナトーレは、天文学者という専門職を差し挟むことにより、そこに宇宙、星々、銀河という例えを持ち込んで、僕らの生と死、そして愛を星空に映してみせた。すると、途端に物語が独創的になり、深い奥行きを持ち、輝き出す。
 
トルナトーレのアイデアが光るのは、「距離」「隔たり」というモチーフを星座のごとく散りばめたこと。思い出してみてください。愛し合う男女が同じフレーム内で同時に演技をするのは、最初のワンカットだけだってこと。それ以降のどのカットでも、ふたりは同じ時空間にいないんです。そもそも、年の差カップルであること。不倫関係であること。教授と学生。住む街。ドア、窓、パソコンモニター。そして、この世とあの世。ふたりにはあまりにもたくさんの隔たりがある。主人公のエイミーは、その隔たりを埋められないかと、物理的な移動を続ける。エディンバラへ、イタリアの湖に浮かぶ島へ。
 
一方、他界したエドは物理的な距離ではなく(当然ですね、肉体はもう無いのだから)、精神的な距離を縮めるべく、死後もメール、ビデオメッセージ、手紙といった手段で彼女に想いを届け続ける。そうして彼女の心に寄り添い、彼女を導き、彼女を愛で包み込もうとする。それは恋人への愛と擬似的な父親のような愛の混じったもので、こうして話だけ聞いてると、愛というものが陥りがちな自己中心的な欲望がそこにあるように見えるけど(簡単に言うと、死んでるのにストーカーみたいなね)、たとえば看取ったエドの友人の医者からのツッコミを入れておきながら、結局最後には、これは天文学者ならではの時間と空間を超えた愛の模索だったんだということがわかる。そこで、僕は泣いたわけです。あの瞬間は確かに永遠に限りなく近いものじゃないのか。原題はコレスポンダンス。通信とか調和という意味ですけど、ふたりは確実に想いを一致させられた。
 
僕が泣いたって言いましたけど、一番大泣きしたのは、とあることをきっかけにエイミーが見ることになる、編集前のビデオメッセージ、いわゆるNGカットの映像ですね。エイミーには見せたくない、あられもない、悲しみの化身のようなエドの姿がそこにあって、あれは僕自身がMOVIX京都の係員に「これはダメ! もう止めて!」って言いかけましたからね。
 
ただ、苦言を呈するなら、ストーリーを逆算して作っているように感じられるので、メールの届くタイミングとか、さすがにご都合主義だろってところはあります。でもね、トルナトーレの映像さばきが、もうさすがとしか言いようがないうまさなんで、そんなに気にならない。
 
どれを取っても、パシッと決まってます。窓に張り付いて震える木の葉、影を使った演劇、エイミーの色んなスタントっぷり。どれもシンボリックに物語の中で機能してるし、もちろん、エンニオ・モリコーネのサントラも、まるでふたりを見守るような叙情感がすばらしい。
 
人によってはミステリーとしてイマイチと思うかもしれないけど、これはミステリーじゃないから。彼女の視点で徹底されてるからミステリーっぽいタッチになってるだけで、いわゆるミステリーじゃないんです。謎めいたラブストーリーというくらいですかね。
 
大学院生エイミーの手がける博士論文のタイトルが『死せる星との対話』というところ、とてもロマンティックで、とても切なかったです。
 
☆☆☆
 
補足として、一応、突っ込んでおきます。演劇を鑑賞する際は、携帯電話の電源はオフにしましょうね。
 
さ〜て、次回、10月7日(金)からは、「映画館へ行こう」のコーナーがリニューアル。109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBとなります。これまで翌週の映画作品を決めてくれていた新井式廻轉抽籤器は閉店「ガラガラ」でお蔵入り。代わって、109シネマズの映画の女神様たちから僕に毎週お告げが下ることに。相変わらず、僕自身に決定権はなく、ちゃんと自腹で観ますし、作品そのものには言いたいことは言うスタイルで進めていきます。

記念すべきリニューアル初回に扱うことになったのは『アングリーバード』です。鑑賞したら、#ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 
 

『スーサイド・スクワッド』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年9月23日放送分
『スーサイド・スクワッド』短評のDJ's カット版です。

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マーヴェルではなく、バットマン、スーパーマンが「在籍」するDCコミックスの悪役(ヴィラン)たちが徒党を組んで敵と戦わされる物語。舞台はつまり、あのゴッサム・シティ。狙撃の名手デッドショットをウィル・スミス。セクシーな暴れん坊、イカれた元精神科医ハーレイ・クインを『ウルフ・オブ・ウォールストリート』でも奮闘したマーゴット・ロビーがそれぞれ演じています。バットマン最大の宿敵ジョーカーを、『ダラス・バイヤーズクラブ』でアカデミー賞を獲得したジャレッド・レトが新たに演じていて、予告編から話題になっていました。監督と脚本は『フューリー』のデヴィッド・エアー

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本国での評価が、実はすこぶる悪いです。評論家筋だけでなく、一般の観客からも不評。なのに、観客動員は3週連続1位で、アメリカだけでなく、世界中で大ヒットを記録しています。日本でも初週が2位、先週が4位ですから、悪くない。実際、火曜日のTジョイ京都レイトショーも結構入ってました。この盛り上がりと不評のバランスは何なのか、そこが実に面白いと僕は思っているので、今回の短評はその辺りが分析の対象になるかなと。
 
それでは、ハーレイ・クイン並みのフルスイング。『スーサイド・スクワッド』短評、おっぱじめよう。
 
☆☆☆
 
いきなり一言でまとめると、キャラの魅力だけで上映時間123分を乗り切ってしまった作品です。物語は、よく言えばシンプル。悪く言えば、ペラっとしてます。強引です。話としては、スーパーマン不在のゴッサム・シティに、文字通り超能力を持つ魔女が眠りから醒めて登場して街をメチャクチャに破壊する。それに人間たちが立ち向かうってことですけど、立場が4つもあるんです。まずは、悪には悪で立ち向かえばいいんじゃないかとスーサイド・スクワッド(つまり決死隊)というチームを組織して操る行政、もちろん主人公のスクワッド達、そしてどこにも与(くみ)しないジョーカー。で、敵の魔女。結構ややこしいんです。さらに、回想も含めればバットマンもちょいちょい出てきますからね。
 
登場人物もこれだけ多いからでしょう。主役のスーサイド・スクワッドには8人かな、それだけメンバーがいるのに、スポットがちゃんと当たっているのは、実質デッドショットとハーレイ・クインだけ。この2人がダブルセンターです。他のメンツには不憫なほどに光が当たらない。これはオープニングからの出囃子付きキャラ紹介の尺の違いからしてそうでした。ブーメラン使いの泥棒キャプテン・ブーメランとか、いきなり登場してびっくらこいてしまう日本刀の使い手、女版五右衛門、なんかXmas Eileen(下のジャケがそのバンド)みたいな仮面のカタナとか、もうほとんど説明すらないですから。というより、ダブルセンターの説明が長すぎるのか。

WORLD COUNTDOWN

こんな調子で、キャラが多くて立場がややこしいので、とにかくアクセルベタ踏みで話があちこち蛇行運転気味に展開します。テンポが良すぎるというのか、寄り道が多すぎるというのか、そうこうしてる間に敵の魔女とその弟があれよあれよという間に街を我が物にしていくプロセスに「え? いつの間に?」と思ったのは僕だけじゃないはずです。とにかく編集がガチャガチャしてて、何らかの軸をもって物語るというよりは、一応つじつまが合う程度にざっとツギハギしましたという感じ。
 
で、そもそも論になっちゃうんですけど、とにかくキャラの立った人達がそれぞれの能力で強大な敵に立ち向かうってんだけど、はっきり言って、パワーに差がありすぎてですね、冷静に考えたらこりゃ無理だろって思ってしまうんですよ。ハーレイ・クインの能力は、怖いもの知らずで、身体が柔らかく、俊敏。武器、バット。一方、あの魔女は人の身体に入り込んだり、他人の脳みそもコントロールできたり、何かフラダンスみたいな動きでピカピカした光の塔みたいなのを出したりと、何だか凄いことになってたよ。どう考えても、互角じゃない。
 
ああ、キリがない。とにかくスクワッドのメンバー並みに、映画の構成もタガが外れてる部分があるんですが…
 
はっきり言って、僕はまったくもって嫌いじゃないんだ、この作品。ダメなところも愛したくなる。クラシック・ロックから最新のヒップホップ、EDMまで、音楽のミックスがカッコいいし、キャラや場面ごとに音楽が映画を引っ張ってる(音楽に頼ってるという言い方もできるけど)。映像が(話が無茶苦茶なわりにという意味で)無駄にカッコいい。ギャグが思った以上に外してない。
 
そして、ここが一番のポイント。バラバラだったスクワッドがチームになるプロセスはギリギリ描けていたので、こいつら無茶苦茶だし、あの爬虫類人間なんて化物でしかないんだけど、だんだん好きになっていくことができたんです。ウィル・スミスが、「これは悪と悪との戦いじゃなくて、悪badと邪悪evilの戦いだ」ってインタビューで言ってたんですが、いくら悪くても、俺達にだって哲学があるんだ。でも、邪悪なのはダメだっていう、ふざけてるけどうなずける理屈には、不本意ながら共感してしまいました。
 
最後の戦いとか、もうバカバカしいレベルっていうか、もうアメコミ原作映画そのものをネタにしてるんでしょうね。映画の作りとしてはおよそ褒められたもんじゃないけれど、そのブッ飛びぶりが、問答無用に魅力的なキャラクターとフィットしているので、冷静に見たら酷評になるんだけど、癖になるジャンクフードとしてしっかりアガる仕上がりに強引ながら持って行けている。酷評のわりに観客を動員できている理由はそこにあると思います。

この作品にはワーナー・ブラザーズによる(が予告編のあまりの評判の良さから、その制作会社に依頼した)編集と、デヴィッド・エアーによるディレクターズ・カット版があって、世に出ているのはその折衷であるということを、昨日のタマフル宇多丸さんも語っていましたが、さすがにその痕跡が垣間見えてしまう作りになっていたのが残念です。

さ〜て、次回、9月30日(金)に扱うのは、『ある天文学者の恋文』になりました。随分毛色が変わって、久々にイタリア人監督! 僕の大好きなジュゼッペ・トルナトーレじゃないですか。音楽はもちろんエンニオ・モリコーネという、アカデミー賞コンビ。今回はどうなんでしょうかねえ。鑑賞したら、#ciao802を付けてのTweetをよろしく!