京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『キングダム』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年4月25日放送分
映画『キングダム』短評のDJ's カット版です。

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紀元前245年の中国大陸。世界史で習った知識を振り返ると、紀元前221年に秦が中国を統一するまで、およそ550年にわたって多くの国が覇権を巡って戦を繰り返した長い春秋戦国時代のラストにあたります。西の国「秦」で戦争孤児の奴隷として生きる青年「信」と「漂」は、それぞれに天下の大将軍になることを夢見て、ふたりで剣術の稽古に励んでいました。その様子を見かけた大臣「昌文君」は、ふたりのうち漂だけを召し上げて王宮へと連れて行きます。そのしばらく後、若き王の「贏政」(えいせい)の腹違いの弟「成蟜」(せいきょう)が、クーデターを起こし、贏政は命からがら王宮を逃れるのですが、実は贏政にそっくりだった漂は王の影武者となっていて、命を狙われてしまいます。国の内乱は果たして収まるのか。そこに奴隷の青年「信」の野望はどう関わるのか。一大歴史絵巻の幕が上がります。 

キングダム 1 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL) キングダム 54 (ヤングジャンプコミックス)

週刊ヤングジャンプで2006年に連載が始まり、手塚治虫文化賞も受賞した原泰久の原作漫画は、まだ話が終わっておらず、現在54巻まで刊行されています。この人気作が、2011年のゲーム化、アニメ化に続いて、実写映画化されました。ちなみに、原泰久は脚本にも参加していますね。監督は、『GANTZ』『図書館戦争』『アイアムアヒーロー』で知られる佐藤信介。主人公の信を山崎賢人、王の贏政と漂の二役を吉沢亮が演じる他、長澤まさみ、橋本環奈、高嶋政宏宇梶剛士加藤雅也石橋蓮司大沢たかおら、豪華キャストが集いました。

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春秋戦国時代の宮殿のオープンセットを活用し、100頭の馬を動員。20日間にわたる中国ロケが行われました。スタッフだけで700人ほど。エキストラはのべ1万人ということですから、日本映画では稀にみる大規模作品と言えます。それだけに期待がかかるわけですが、果たして原作漫画の知識ほぼゼロという丸腰の僕がどう観たのか。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

中国を舞台にした歴史もので思い出すのは、最近だと『空海 -KU-KAI- 美しき王妃の謎』。時代もモチーフもまったく違うってことは承知で言いますが、あちらはほとんど超能力とか神秘が当たり前に起こる世にも奇妙な物語だったからCG使いまくりだったのに対し、『キングダム』は僕の予想を気持ちよく裏切って、本当に人間がやってるっていう迫力を重視する絵作りで、鑑賞していて血湧き肉躍りました。
 
これは、そもそもの原作の時代設定が絶妙だと思います。紀元前、つまりキリストが生まれる前の話なんで、ある程度の史実ってのははっきりしているにせよ、時代が古すぎて想像力をたくましくする余地が存分にあるんですよね。ある程度ファンタジックな部分というか、時代考証に過度に囚われることなく創作活動ができるわけです。これが中世とか近代の物語だったとしたら、そうはいかないですもん。
 
なので、いかにも漫画っぽいアクションやキャラ造形も、この時代だったら、もう伝説とか神話に近いものとして、それもありだよなって思えます。しかも、さっき言ったように、実写本来の魅力、つまり、そこには本物の風景あって建物があって、本物の人がうごめいているっていう前提がスクリーンに大写しになるので、多少の飛躍もなんのその、僕はむしろ面白く観られました。

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もちろんね、大沢たかお演じる大将軍の王騎がナタを振り回しただけで一陣の風が吹くとか、信の尋常ならざるジャンプ力はどうなっとるんだとか、なぜこいつらは攻撃を受けて吹っ飛ぶ時に何かに引っ張られるように直線的なんだとか、こうした漫画的表現に違和感を覚える人がいても不思議はないです。でも、僕に言わせれば、そうした演出はちょいとふりかけた化学調味料みたいなもんで、量はあくまで限定的なので、この料理はジャンクだと決めつけるほどではないです。
 
それより何より、国の内乱における権力構造、影武者、異民族とのこれまでの関係と共有するビジョンなど、登場人物の相関図を作れと言われても僕なら断りたくなるようなこの複雑な話を、初心者にも極めて飲み込みやすく整理して描いてみせたのは、脚本段階の大手柄だと言えるんじゃないでしょうか。原作者も巻き込んでるし、相当練って再構成してあります。言っても2時間14分。鮮やかです。
 
王宮でのクライマックスも、兵士の数が圧倒的に少ない贏政たちの軍勢がいかにして玉座を奪還するのか、その策略の説明の仕方、そして「こりゃもうダメだ」と思わせる絶望的な状況の見せ方も、セットの構造をうまく使いながら、ちゃんと絵として分からせる手際は良かったです。
 
言ってみれば、策略と戦いの連続なんだけど、戦いの背景となる自然がバラエティーに富んでいるので、エピソードが後から振り返っても区別しやすいし、ある程度似たようなアクションでも観ていて飽きないですよね。

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あとは衣装! 特に山の民の「もののけ姫」っぽくもあるけど、どこの何ともつかない感じがいいです。しかも、そこに長澤まさみが登場。彼女だけ「ワンダーウーマン」なのはどうかと思ったけど、そこは長澤まさみの身体特性を最大限に発揮した演出と、 無駄口を叩かないことによって醸し出されるミステリアスな魅力が炸裂していました。
 
ただ、気になる点もいくつか絞って挙げておきます。
 
物語が進むに連れ、ボスキャラが何人か出てくるんだけど、最後を除いて、あとは誰もがモンスター的な風貌で、大男だったりするわけ。でも、この話って、成蟜のような血統・エリート主義に、遊女の血が混じる贏政や奴隷の信、そして山の民みたいな得体の知れない辺境の異民族が手を組んで対抗するって話なわけですよ。それを踏まえると、ボスキャラを化物にしちゃったら、対立の価値観がブレちゃうんです。強い敵にも奥行きなり背景が欲しかった。
 
そこへいくと、主人公の信もね、いくらなんでももうちょい背景がほしい。大将軍になるんだって夢を繰り返し語られても、その根拠や動機がはっきり見えないから、彼の夢に現時点ではあまり共感できないんです。その理由は、奴隷時代を過酷に描かなかったからですね。なんか、剣術の稽古の場面ばっかりだから、下手すりゃ、爽やかな青春時代にすら見えちゃってるのは問題です。
 
でも、トータルで言えば、満足度はかなり高いです。これはまだ原作だと5巻ですからね。うまくすれば、アジア各国でもヒットするようなスペクタクル・シリーズになる可能性を秘めていると思います。


主題歌のWasted Nights / ONE OK ROCKは、物語の壮大さ、景色のダイナミックさに合うサウンドでございました。


さ〜て、次回、2019年5月2日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『バースデー・ワンダーランド』です。ラジオでこのスタイルの短評を始めて6年目に入っていますが、実は原恵一監督作を扱うのは、これが初めて。今回はどんなんかな〜。とにかく色が鮮やかそう。ってなぼんやりした印象しかまだないんですが、しっかり観てきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『ビューティフル・ボーイ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年4月18日放送分
映画『ビューティフル・ボーイ』短評のDJ's カット版です。

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フリーライターとして活躍しているデヴィッド・シェフは、サンフランシスコ郊外の自然豊かな場所で家族と暮らしています。別れた妻との間の息子ニック。画家で現在の妻。そして、その妻との間のまだ幼いふたりの息子たち。成績優秀で、家族とも仲睦まじかったニックですが、ふとしたきっかけでドラッグにのめり込んでしまい、リハビリ施設に入ることに。ただ、治療は必ずしもスムーズには運ばず、ニックは再発と治療を繰り返す青年時代を過ごすことに。この作品では、そんなニックと、彼を大きな愛で包もうと辛抱強く立ち回る父デヴィッドの関係を中心に、この家族に起こる8年ほどの出来事を描きます。
 
珍しいケースですが、原作は2冊のノンフィクションです。父デヴィッドと息子ニックがそれぞれに出版した本をひとつの脚本に落とし込む形で映画化されました。監督は、ベルギー出身で、これが英語初演出となるフェリックス・ヴァン・ヒュルーニンゲン。家庭を舞台に、相互理解の難しさや、人間関係の時の流れを巧みに見せる手腕を買われての抜擢でしょう。ニックを演じるのは、『君の名前で僕を呼んで』を機に、若手再注目株となっているティモシー・シャラメ。父デヴィッドは、スティーヴ・カレルが担当。そして、先週の『バイス』に続き、ブラッド・ピット率いるプランBエンターテインメントです。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

映画の冒頭で、はっきりテーマが語られていました。デヴィッドが、ドラッグに詳しい専門家のもとへ相談に行き、事情を話すシーン。「息子とは仲良くやっていたし、彼のことは深く理解していると思っていたんだが」と切り出します。もちろん、これはドラッグの毒牙にかかって依存症となり、生き地獄を味わう青年とその父の物語なんだけど、もうちょい俯瞰して見れば、監督の興味の本丸である、人間の相互理解の絶望的な難しさがテーマなんだという振りになっている場面です。
 
僕が意外と重要だなと思ったのは、ふたりの女性、つまりニックの実の母ヴィキと継母のカレンについても丁寧にその心理を描いていたことです。それがどう変化していくのか。監督はさり気なくも細やかに、登場人物の関係性をあぶり出していきます。

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先週の『バイス』に続いて、これは広い意味で編集が肝の作品です。広い意味ってのは、つまり、ひとつひとつの映像の組み合わせというより、8年間に起きた様々な出来事をどの順番に並べるのかという、シーンの組み合わせが大事ということ。観ればすぐに分かりますが、時系列はかなりややこしくなってます。全体としては過去から未来へ緩やかに進むんですが、3歩進んで2歩下がる、時には10歩20歩下がるって感じで、結構行ったり来たりします。
 
表面的には、ドラッグに溺れたニックの断片的な記憶の再現ということもできますが、それ以上に、この編集に僕が感じたねらいはこういうことです。人間同士の関係が変化するきっかけを不意にフラッシュバックさせることで、あの時、自分は頓着していなかったけれど、相手にとっては大きな試練だったかもしれないといった「気づき」を観客にも追体験させること。これはうまく行っていたと思うし、逆に時系列でそのまま構成したら、これは想像以上に退屈でただただしんどい作品になっていたでしょう。今の構成にしてあるからこそ、ドラマに起伏と深みが生まれている。
 
とはいえ、登場人物も舞台も出来事もバラエティーに富んでいるわけではないので、ぼんやり観ていると大切なことを見落としてしまう種類の作品なので、人によっては、そして体調によっては、退屈に感じることもあるやも。ただ、身を乗り出して観れば、たとえば親子の合言葉「Everything」の意味とか、庭のスプリンクラーに人がいる時いない時の印象の違いとか、些細なことにいちいち感じ入ってしまいます。

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愛することのすばらしさと裏返しの難しさ。そして、ドラッグ依存ははっきり病気ですから、その治療には愛だけでは片づかない側面があること。ニックがその落とし穴にはまったきっかけは実は推測するしかないのですが、誰にも起こりうる身近な闇であること。本人が悪い、親が悪いと、簡単に割り切れないことがしっかり伝わるのもすばらしいです。
 
さらに言えば、これは介護、障害、病気といった、僕らが生きていくうえで避けがたい試練の物語としても観ることができて、その意味でかなり普遍的な内容です。
 
そして、最後にもうひとつ。原作はふたりの本なわけですが、出来事や感情を言葉などで表現することが自分の傷を癒やすばかりか、苦しむ誰かに手を差し伸べるんだという大切なことも教えてくれる作品でした。

ニルヴァーナニール・ヤングシガー・ロスなど、既存曲を多く採用したサントラも、そのチョイスは芸が細かったです。分けても、やはりこの曲でしょう。不意にデヴィッドが口ずさみ、ジョン・レノンの録音にスライドする場面は鳥肌モノでした。


さ〜て、次回、2019年4月25日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『キングダム』です。マズい。原作未読。中国史疎い。そんな僕でも大丈夫なのか? ただ、802映画好きスタッフによれば、近年の漫画原作の中でも屈指の良い出来栄えなんて話も。飛び込んで確かめてきます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『バイス』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年4月11日放送分
映画『バイス』短評のDJ's カット版です。

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今回はあえてあらすじを公式サイトから引用します。その理由は評の中で言いますね。物語はこんな感じ。
 
1960年代半ば、酒癖の悪い青年チェイニーが、のちに妻となるリンに尻を叩かれ、政界への道を志す。型破りな下院議員ドナルド・ラムズフェルドのもとで政治の表と裏を学んだチェイニーは、しだいに魔力的な権力の虜になっていく。大統領首席補佐官、国務長官の職を経て、ジョージ・W・ブッシュ政権の副大統領に就任した彼は、いよいよ入念な準備のもとに「影の大統領」として振る舞い始める。2001年9月11日の同時多発テロ事件ではブッシュを差し置いて危機対応にあたり、あの悪名高きイラク戦争へと国を導いていく。法をねじ曲げることも、国民への情報操作もすべて意のままに。こうしてチェイニーは幽霊のように自らの存在感を消したまま、その後のアメリカと世界の歴史を根こそぎ塗り替えてしまった。

マネー・ショート華麗なる大逆転 (字幕版)

ディック・チェイニーは、現在78歳。実在の、しかもまだ記憶に新しい時代の副大統領の伝記映画を作るという、かなり珍しい企画ですね。監督・脚本・製作は、リーマン・ショックの裏側を暴いてアカデミー脚色賞を受賞した『マネー・ショート 華麗なる大逆転』のアダム・マッケイ。主演は、クリスチャン・ベール。妻のリンを演じるのは、『アメリカン・ハッスル』でもベールと共演したエイミー・アダムス。他に、スティーヴ・カレルサム・ロックウェルナオミ・ワッツなどが出演しています。製作には、ブラッド・ピットが所有する制作会社プランBが関わっていて、ブラピもプロデューサーのひとりとして名を連ねています。
 
今回のアカデミー賞では、受賞こそメイクアップ&ヘアスタイリング部門にとどまったものの、作品賞、監督賞、脚本賞、主演男優賞、助演男優賞助演女優賞編集賞にノミネートしました。すごいことです。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

いの一番に言っておこう。『バイス』は観客に強烈なインパクトを残す傑作です。今マサデミー賞を選ぶ段階なら、興奮してババっと賞をあげたくなるくらい。僕は特に編集には舌を巻きました。
 
ディック・チェイニーは人前で話す、スピーチの類は苦手な人で、口が堅く極端な秘密主義。マッケイはいつも以上に丹念なリサーチをしています。いわゆるドキュメンタリーではないが、出来事はすべて事実に基づいている。その上で、何がすごいって、話の構築力です。広い意味での、ストーリーテリングのうまさですね。
 
さっきあらすじをあえて公式サイトからそっくり引用しましたが、実際のところ、映画は必ずしも時間軸に沿っては進みません。60年代のシーンがあったかと思えば、いきなり911のテロに飛んだりする。ひとりのナレーターがいて、その姿も映るんだけど、彼が誰なのかは終盤まで伏せられたまま。古今東西の記録映像も挟まるし、役者たちもリアリスティックな演技をしたかと思えば、突然シェイクスピア調の大げさな台詞回しをしてみせたり。果ては、途中で明らかに偽のエンドクレジットを流して映画を途中で終わらせようとしたりもするし、チェイニーが不意にカメラに、僕ら観客に向かって話しかけたり。はっきり言って、劇映画が破綻するよっていうギリギリまで、語りのフォーマットをグシャグシャにしてます。

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アダム・マッケイは、もともとコメディ集団のメンバーで、アメリカの長寿コメディ・バラエティ番組「サタデー・ナイト・クラブ」で脚本を書いていた人です。笑いのセンスは一級品。政治劇というと難しいと思うかもしれないけど、そんなことはまったくない。僕も何度もゲラゲラ笑いました。そりゃ情報量は多いし、時間も場所もあちゃこちゃ目まぐるしいんだけど、交通整理がうまいのでスッと入ってくるし、2時間12分を最後までまったく飽きさせません。

 
ひとつひとつのショットはかなり短いものが多いんですけど、観終わった時に、難解なジグソーパズルを完成させたようなカタルシスがあるんです。そして、そこに浮かび上がる現代の権力構造の危うさと、アメリカ市民・国民の分断の様子に戦慄させられる。
 
バイスという言葉には、副大統領の「副」「代理」って意味と、「邪悪」「悪徳」といったようなふたつの意味があって、確かにチェイニーはその両方を地で行ったということがわかるし、興味深い人物ではあります。が、まだ観ていない人にしてみれば、当然の疑問として、いくら記憶に新しい現代とはいえ、なぜ今彼を映画化したのかと思いますよね。これも鑑賞後にはしっかりわかることですが、今世紀に入ってからの、息子ブッシュオバマ、トランプという大統領の系譜がなぜ生まれたのか、その源泉がチェイニーという男にある。つまりは、チェイニー夫妻の所業を理解すれば、今のアメリカの政治状況、その枠組が見えてくるということなんです。
 
無数の映像がひしめき合うこの映画の中で、繰り返し登場するイメージがあります。実際にチェイニーが持病として抱えていた心臓。常に死と隣り合わせとも言える彼の生存本能と、自分こそが組織・国・世界において血液と酸素を供給する中枢なんだということを表しています。
 
続いては、生涯の趣味である釣り・フィッシングですね。もっと言えば、生き餌や疑似餌の先に針があって獲物を仕留めるという、その「仕掛け」を何度も画面に出すことで、彼が要所要所でいかにして策略を練ったのかを示している。さらに加えて、イデオロギーや理念などない、まるでスポーツのように政治ゲームにのめり込んでいく様子が伝わってきます。

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他にも、コーヒーカップとソーサーが積み上げられた塔のイメージと911で崩れ去るワールド・トレード・センター・ビルの映像。さらには、イラク戦争開戦を国民に伝えるブッシュ大統領の貧乏ゆすりと、民家で空爆に晒されるイラク人の足の震えが重ねられたり。映画ならではの発想がてんこ盛り。とにかく、ひとつひとつの映像さばきがシャープで効果的だし、実力豊かな役者陣がそっくりにもほどがあるだろっていう役作りとメイキャップで暴れまわってるし、今僕は映画を観ているんだという快感に浸ることができます。
 
しかし、いくらハリウッド周辺にリベラル寄りの人が多いとはいえ、本当によく撮ったよ、こんなの。日本でこんな風刺劇が果たして封切られるかっていったら、まず無理でしょうね。お金も集まらないだろうし。それも踏まえて、アメリカの底力を感じます。
 
監視できなくなった権力がいかに暴走するのか。権力に抱えられたメディアが流す情報を摂取し、低賃金で長時間労働を強いられる何かと余裕のない市民が、いかにして政治に無頓着になるのか。日本でも今観ておくべき強烈なエンタメ娯楽作として、僕は『バイス』を強く支持します。無論、チェイニーは支持しないけどね。
 
こちらは予告編で使われていた、The KillersのThe Man。なんでこの曲なんだろうと思って歌詞を調べてみたら… なるほどね。かなりマッチョな、俺は男だぜっていうか、漢だぜって内容なんで、よろしければ参照してみてください。
 
全体として褒めまくったけど、彼が権力から転げ落ちていくパートについては、そのきっかけが今ひとつ掴みにくいというか、わかるんだけど、映像的な説得力には欠けるものがあったかなと、冷静に考えれば思います。


さ〜て、次回、2019年4月18日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ビューティフル・ボーイ』です。優等生だったのにふとしたきっかけでドラッグに手を出して依存症になってしまった息子と、彼を深く愛する父。どうやら、それぞれの視点の回顧録が2冊出てそれぞれにベストセラーになっていたものを映画化したっていうことらしいんですよ。おもしろそうじゃないですか。これまたブラッド・ピットが製作に加わっていますよ。すごいね、ブラピは。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

映画『ザ・プレイス 運命の交差点』レビュー

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花粉症がヤバい季節になってきたね。マスクは花粉症からの有効な防御アイテムだけど、昨今は、ファッションアイテムとしての位置を完全に確立させてもいる。マスクイケメン、マスク美女なんて言葉もあるくらいだからね。

 

マスクには小顔効果や肌年齢を隠すなどの効果もあるけど、一番大きいのは空間補完効果だ。見えない部分を見えているつもりで想像し、イメージを補うという脳の機能。過去の経験や好きな芸能人などから、自分の好きな唇や鼻の形を勝手にあてはめて、自分の中に理想のビジュアルを作り出してるわけだね。

 

だから、マスクを取ったら途端にがっかりされたり、極端なのになると「マスクをしている彼が好き! マスクを取ったら別に好きじゃない」なんて困った女の子もいたり。

 

そういう効果を狙ってか、婚活業界では仮面をして男女が出会う「仮面街コン」なんてのがあったり、一歩進んだ「暗闇コン」ってのもある。真っ暗な部屋に男女が集まり、目かくしをした状態で会話したりゲームしたりする。人は見た目が九割なんて言われるけど、見た目に惑わされないことで、相手の人間性を純粋に評価できるし、暗闇と目かくしという非日常体験を共有してるっていうドキドキもあるわけだ。なかなか楽しそうじゃないか。えーと、来月の暗闇コンの開催日はいつかな? ……なるほどなるほど……。

 


The place - Trailer ufficiale

 

そんなことはさておき、映画『ザ・プレイス 運命の交差点』が、関西でも公開されたね。アメリカの大ヒットドラマ『The Booth ~欲望を喰う男』を原作として、イタリアの豪華アンサンブルでリメイクしたという本作。監督は『おとなの事情』のパオロ・ジェノヴェーゼだ。

 

カフェ「ザ・プレイス」に昼も夜も座っている謎の男の元に、欲望を抱えた9人の男女が相談にやってくる。彼らが自らの願いをかなえるためには、男が告げる行為を行わなくてはならない。相談者たちそれぞれが、男の言葉にしたがって行動していくうちに、お互いの思惑が知らず知らず絡み合い、物語はうねりを見せていく……。成功の陰には犠牲がつきもので、誰かが笑えば誰かが泣くのが人生だ。

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謎の男はカフェを一歩も出ることはなく、そのため物語は、男とカフェを訪れるそれぞれの相談者たちとの会話によって進行していく。この構成は、三谷幸喜監督『笑の大学』を思い出させるね。舞台は昭和15年の取調室。検閲官が、喜劇劇団「笑の大学」の脚本家に難癖をつける。脚本家は腹を立てながらも要求に忠実に台本を直してくるが、要求は次第に厳しくなっていく。課題の提示→結果報告、という構成で物語は進む。『ザ・プレイス』でも同じで、相談者たちの葛藤は描かれるけど、どのようにミッションを実行したかは描かれない。そういう意味で、すごく演劇的なんだよね。

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同じく三谷幸喜監督『ラジオの時間』にこんな感じのセリフがある。「ラジオドラマには無限の可能性がある。映像なら大がかりなセットが必要な宇宙空間も、ラジオドラマでは一言『宇宙』と言えばそれで成立するんです」。

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見せないってことが想像の広がりを生む一方で、登場人物たちはみんな何かが見えていない。息子との関係に目をつぶってる男、彼氏の気持ちが見えてない女、ヒーローになりたいと盲目的に願う男。

 

敬虔な修道女キアラは神の存在を感じられなくなったと悩んでる。彼女に課されたミッションは「妊娠せよ」。ターゲットに選ぶのは、視力を取り戻したいと願う視覚障害の男だ。彼との距離が深まるにしたがって、キアラはちょっとずつオシャレになっていく。実際に男と関係を持ったあとは、完全に女の顔になっている。カフェに現れたその顔を見ただけで「こりゃ、やったな」と思わせる。演技力あってこそだけど、昨夜男と何があったのか、画面に見せないことで、その微妙な変化や細かい振る舞いにまで目がいくんだよね。だから余計に魅せられるんだろう。

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そういえば、イタリアにこんなバルゼッレッタ(ジョーク)がある。

 

パパが花に水をやっていると、男の子が慌ててやってきた。
「パパ、大変だよ! パパの車が盗まれた!」
「なんだって! 犯人の顔は見たか?」
「見てないんだ! でもナンバープレートの番号はちゃんと覚えておいたから!」

 

何を見てるのか。何が見えてないのか。ぼくらはいつも、その時にはわからないんだよね。

 

文:有北クルーラー

ティム・バートン『ダンボ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年4月4日放送分
映画『ダンボ』短評のDJ's カット版です。

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舞台は第一次世界戦後のアメリカ。全米を鉄道で巡って人気を博したメディチ・ブラザーズ・サーカスは、戦争や疫病でスター団員を失い、近代化する娯楽産業の中で、経営が行き詰まっていました。起死回生にと団長のマックス・メディチが購入したのは、妊娠したアジアゾウのジャンボ。ところが、生まれてきたのは、耳が異様に大きなダンボでした。ショーに出演しても観客からは笑いものになるばかり。ある日、世話係を任されていたかつての花形団員ホルトの子どもミリーとジョーは、一緒に遊ぶうちに、ダンボがその大きな耳を翼のようにして飛べることを発見。空を飛ぶ子象ダンボ。これは商売になると見込んだマックスや、名うての企業家ヴァンデヴァーなど、ダンボを巡って大人の欲望が渦巻く中、引き離されて囚われの身となったダンボの母を救い出すべく、ホルト一家やサーカス団員が力を合わせます。

メリーポピンズ (字幕版) ダンボ (吹替版)

 メリー・ポピンズ』に続く、ディズニー・クラシックスのリメイクという構図ですね。オリジナルは1941年。日本公開は54年なんで、リアルタイムで劇場で観たことのある人は多くないでしょうが、テレビだビデオだDVDだで家で目にしたことがあるという方は多いかもしれません。もちろん、アニメーションです。それを今回は、『シザー・ハンズ』『チャーリーとチョコレート工場』『バットマン・リターンズ』などのティム・バートン監督が実写映画化しました。アニメでは動物たちが会話をしてドラマを展開していたのが、今回はあくまで人間たちのドラマの中にダンボがいるという構図にシフトしています。戦争から戻った元花形団員のホルトをコリン・ファレルが演じる他、フランス生まれの空中ブランコ乗りコレットエヴァ・グリーン、そして拝金主義的な企業家ヴァンデヴァーをマイケル・キートンが担当しています。

チャーリーとチョコレート工場 (字幕版) トランスフォーマー/リベンジ (字幕版) 

ここでひとつ、重大な補足をしておきます。誤解を解くというべきかな。これは、はっきり言って、ティム・バートンの映画ではないです。アーレン・クルーガーの作品です。だって、企画も脚本も、そして何より製作も彼ですから。え? そのなんとかクルーガーって誰? はい。アーレンは、何を隠そう、あの「トランスフォーマー」シリーズの脚本家です。あとは、ハリウッド版「リング」ね。先週の『バンブルビー』短評で名を挙げたマイケル・ベイ監督、ベイやん一家なんです。彼が実質的に作品の中心にどっかりいるんだと見ていいでしょう。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

今回アメリカ版の英語プレスに目を通してみましたが、クルーガーはインタビューでこんな趣旨の発言をしています。「ダンボが飛ぶことそのものをシンプルに描いたオリジナルを踏襲するのではなく、本物の象がもし空を飛ぶとしたら、人々はどうリアクションするのか。それを描きたかった」んだと。なるほど。普通ではないものに接した時に、人は、社会は、どう反応するのかというのは、ここ最近の映画界のトレンドでもあるので、確かに面白そうです。
 
では、クルーガーが単独で書いた脚本が実際のところどうかというと、これが腕組みをしてしまいます。もともとメディチ・ブラザーズのサーカスそのものが、見世物小屋的な側面のある古いものであって、はみ出し者たちの集団なので、ダンボを目立たせるために、彼らの魅力をしっかり描けない。似たような題材に『グレイテスト・ショーマン』がありましたが、あの「This is me」的価値観を各キャラが体現できていないところに、両作の深みの違いがあります。代わりに、マイケル・キートン演じるヴァンデヴァーみたいな、見るからに悪役という人物たちとの対立構造を作ることで、テーマである人々のリアクションを描こうとするんですが、善悪がはっきりしすぎていて、ストーリーラインにあっと驚く展開が乏しいことは明らかです。
 
そして何より、あらすじにもある通り、わりとあっさりダンボが宙に浮いちゃうもので、映画的な見せ場、クライマックスの高揚感にどうしたって欠けてしまうのも、この企画の欠点でしょう。

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でも、ディズニーだし子ども向けなんだから、わかりやすい勧善懲悪はいいんじゃないの? それはまあそうなんですが、じゃあ、ダンボに対して人間たちがそれぞれ何をやらかし、何をしてあげたかっていうと、特に良いリアクションがね、もうひとつよくわかんないんです。一見わかりやすく見えて、よく考えるとよくわかんない。いろいろ良いこと言いたそうなんだけど、今ひとつ伝わりきらないもどかしさがあります。
 
だいたい、スタンスとしては、アンチ見世物小屋なのに、クライマックスのひとつに、象が女性を乗せて空を飛ぶってのはどうなんでしょうか。
 
このあたり、おしなべて脚本の問題ですね。では、バートンの仕事たる演出面はどうだったのか。古巣のディズニーとの舞台装置でのタッグは効果的でした。鉄道を使ったアバンタイトルの盛り上げ方、メディチ・ブラザーズのいかがわしさ込みの懐かしきサーカスのイメージ、そしてヴァンデヴァーがオープンするドリームランドのイメージ。それぞれを贅沢なセットと大量のエキストラを動員してアナログも盛大に使いながらの絵作りは楽しいです。

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猛獣たちを集めた恐怖の館みたいなアトラクションの光と影の使い方、あるいは未来の空虚なイメージを見せるパビリオンもバートンらしさを垣間見ることができました。あと、後日譚として出てくる、科学の娘ミリーがサーカスの中に映画館を作っているところなんかは、オリジナル『ダンボ』オマージュとして気が利いてました。ただ、あくまでバートン印は「垣間見える」程度といった感じで、全体としてウェルメイドに「見える」作品という印象です。この映画自体が空を飛ぶにはもう少し、脚本にも演出にも、そもそもの座組にもマジックが必要だったのではないでしょうか。
 
僕はバートン前作の『ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち』にも小首をかしげてしまった口です。彼はやっぱり自分でプロデュースする作品でこそ力を発揮できる人だと思いますねって、ここで言っても始まらないけど…
 
惜しむらくは、クルーガー以外に誰か脚本家を付けてのブラッシュアップができなかったことですね。彼が持ち込んだ企画だから仕方なかったのかもしれないし、クルーガーの人となりまでは知らないので、なんとも言えないけど、誰も何も言えなかったのかなぁ…
 
でも、最後に言いますけど、ダンボのかわいさだけは、特にあの瞳だけは、間違いなく心惹かれます。すばらしい造形でした。

僕は今回、字幕で鑑賞したもんで、今日は竹内まりやではなく、Arcade Fireのバージョンでお送りしようと思います。同じ曲なんだけど、アレンジが結構違うし、こちらはデュエットになってます。

さ〜て、次回、2019年4月11日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『バイス』です。息子ブッシュの頃の副大統領チェイニーが主人公なわけですが、まだ当の本人は存命中ですからね。どう考えても、「善き人」には描かないんだろうことを考えると、アメリカ映画の批判精神が息づいているとも言えそうですが、なんにせよ、僕はかなり楽しみにしています。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

『バンブルビー』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月28日放送分
映画『バンブルビー』短評のDJ's カット版です。

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父親を亡くした悲しみから立ち直れず、内向的になって周囲とうまく溶け込めずにいる18歳の女の子チャーリー。父が好きだった車いじりが彼女の目下の趣味です。ある日、行きつけの廃車工場で黄色いビートルを発見。これこそ初めての自分の車だと喜んで家に乗って帰ったところ、ガレージで突如トランスフォームして人型ロボットとなって仰天します。声と記憶を失い、怯えた表情を見せるロボットを匿うことに決めたチャーリーは、蜂の羽音のような音を時折聞かせるその黄色いロボットに、直訳すればブンブン蜂という意味のバンブルビーと名付けて心を通わせていくのですが、宇宙からはそのバンブルビーと敵対する追手が地球に近づいていました。
 
日本のタカラトミーが80年から売り出した変形ロボのおもちゃが、アメリカでトランスフォーマーズとして販売されて大ヒットし、また日本にも逆輸入的に人気が広がりつつ、80年代半ばから断続的にアニメシリーズが放映されていて、僕もその第一世代直撃という感じで、僕はそうでもなかったですけど、アニメを見ておもちゃで遊んでってクラスメートが結構いたことを覚えています。
ハリウッドでは、2007年にマイケル・ベイ監督が実写超大作シリーズとして鳴り物入りで映画化され、既に5本も公開されていますが、今回は舞台を1作目の20年ほど前、1987年サンフランシスコに移しつつ、人気キャラのバンブルビーを主役にしています。スピンオフとも、前日譚とも、リブート(語り直し)とも言われていて、位置づけはちょっとまだ曖昧ですね。製作総指揮陣にはこれまで通りスティーブン・スピルバーグの名前がありますが、マイケル・ベイは今回製作に回り、監督としてトラヴィス・ナイトを迎えました。この人は、現在世界のストップ・モーション・アニメーションの最高峰と言われるライカスタジオの社長にして、あの傑作『KUBOクボ 二本の弦の秘密』の監督です。これが初めての実写ですから大抜擢というか、意外というか、驚きました。
 
バンブルビーと並ぶ主役のチャーリーには、女優、モデル、そして802でもかかるような歌手としても知られるヘイリー・スタインフェルドが起用されています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

僕の観たかったトランスフォーマーに出会えた。これが率直な感想です。
 
これまではアメリカンなマッチョ感炸裂の大味路線だった本シリーズ。ケチャップやらソースやらを塗りたくったジャンクなメガ盛りハンバーガーが、いつの間にやら、有機野菜を付け合わせにした手ごねハンバーグプレートになっていました。
 
ロボットの造形がまず違いますね。これまでは巨大さが強調され、とにかくゴツゴツといかつくて、トランスフォームと言われても、どの部品がどうなったら乗り物になるのかよく分からないくらいの足し算志向でしたよね。そんなのがガチャガチャ動き回って取っ組み合うもんだから、もう画面上でどんなアクションが行われているのかも感知できない、「なんか派手」としか言えないというのが特徴。でも、それがマイケル・ベイ。ベイやんの十八番でございます。熱心なファンはいるけど、映像も大味なら物語もブルドーザー的に推し進めるものなので、シリーズそのものが作れば作るほど珍妙なものとして扱われていくようになりました。
 
そこへ来ての仕切り直しで、監督交代。トラヴィス・ナイトの登場です。でも、これ、実はベイやんが仕切ってるんですよ。僕にしてみれば「よーわかってるやん」と、むしろベイやんの采配を評価したいです。

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何といっても、バンブルビーの車種がカマロから丸いビートルに代わっています。初代アニメに戻した格好ですが、今回の設定にピッタリ。彼は序盤の戦いで声と記憶を失っていつもおどおどしているというその少年のような、あるいは捨てられた子犬のような雰囲気を出すには、やはりゴツゴツしたフォルムよりも、柔らかい方が良い。そして、誰もがキュンとくる表情。あれはあの青い目によるところが大きいですね。目で多くを語るっていうのは、ストップ・モーション・アニメーションでトラヴィス・ナイトが培ってきた人形の造形技術が活用されていたと言えるでしょう。
 
途中でバンブルビーが映画『ブレックファスト・クラブ』の拳を上げるシーンを真似るっていうくだりが出てきますが、その引用に端的に現れているように、物語は派手なだけのアクションを極力抑えつつ、スクールカーストものや青春ラブコメに『ET』をかけ合わせた感じ。スピルバーグもチームのトップにいますしね。そこも含めて、やっぱりエイティーズなんですよ。トランスフォーマーの起源でもあるわけだし、舞台設定も完璧だったと思います。声を出せなくなったバンブルビーが、カーラジオをDJよろしく操って、ヒット曲の歌詞で意思を伝えるっていうぶっ飛び設定も笑えました。

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こんな調子で、僕もはっきり言ってシリーズ最高の1本だと断言しちゃいますが、ちょいちょい雑だなっていうか、ハンバーグプレートだけど添加物は入れてあるなと感じたのは、バンブルビーの記憶システムがどう機能しているのかよく分かんないってのと、バンブルビーの無敵さ加減ですね。あれだけ攻撃されてたら、何体あっても足りねえよって思えるし、逆に言えば、叩けば治るような感じがあるでしょ? 昭和のテレビじゃないんだからさっていう。あと、家族の絆の再構築というテーマを入れるのは必然として、それならそれでもうちょい丁寧にやらないと、あれじゃまたすぐに空中分解するんじゃないかと僕はヒヤヒヤしてもいます。
 
ただ、そういったご都合主義もベイやんに比べればってレベルだし、チャーリーとバンブルビーがキャッキャやってるのを観ているだけでハッピーなんで、まあいっかと思えてしまいます。僕はこの続編が観たい。トランスフォーマーが爆発上等のブロックバスターからドラマを描く路線に見事にトランスフォーム。ホットな1本でした。

チャーリーを演じたHailee Steinfeldは、この大作の主題歌も堂々と担当しました。彼女の魅力について、評で触れませんでしたけど、ヘイリーちゃんはこの手のアメリカこじらせガールを演じたら絶品ですね。この数年後、二十歳のチャーリーたちにまた会いたいです。

さ〜て、次回、2019年4月4日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ダンボ』です。なんか、かわいいの続きになりましたね。ティム・バートンがこの愛されキャラをどう実写で料理するのか。確認しに行きましょう。ディズニー映画として順当にヒットするでしょうから、これで安心して、「耳をダンボにして」ってまた言えるようになるかしら。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!

 

『運び屋』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年3月21日放送分
映画『運び屋』短評のDJ's カット版です。

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主人公アール・ストーンは、80代後半の男。園芸家の彼は、メキシコ系従業員の手を借りながら、うまく咲かせるのが難しいデイリリーというユリの栽培に人生をかけてきました。全米各地の品評会を巡って成功を収める一方、家族との時間を犠牲にしてきた結果、別れた妻や娘との関係は最悪です。しかも、時代がどんどん移り変わっていく中で、アナログで保守的なアールは、商売の面でも立ち行かなくなり、自宅と農場を手放すことになります。失意の底にいたところに、ある男から「車を運転するだけの楽な仕事がある」と持ちかけられたアールは、そのまま成り行きで麻薬の運び屋になってしまいます。最初の仕事に成功した彼は、結局やめられずに何度も犯罪に手を染め、メキシコの麻薬組織の片棒をかつぐのですが、ひょんなことから、組織と麻薬取締局、双方から行方を追われるようになります。

グラン・トリノ (字幕版) 

あの『グラン・トリノ』以来、巨匠クリント・イーストウッドが10年ぶりに監督・主演をした本作。脚本も『グラン・トリノ』のニック・シェンクが担当しています。主人公アールには、レオ・シャープというモデルとなった人物がいます。ニューヨーク・タイムズ・マガジンで事件が報じられたものをイーストウッドが読み、この役は誰にも譲りたくはないと思ったそうです。といっても、既に亡くなっている実在の人物シャープの私生活は不明の点も多く、物語の大枠以外は、オリジナルのフィクションとなっています。

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アールを演じたのは、もちろんイーストウッド。アールの娘を、イーストウッドの実の娘アリソン・イーストウッドが担当しています。他に、イーストウッドの弟子的なポジションになっているブラッドリー・クーパーアンディ・ガルシアも重要な役どころでそれぞれ参加しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

「この役は誰にも譲れない」という発言や、主人公の娘役に実の娘をあてていることからも明らかなように、これはクリント・イーストウッドが実人生を重ねた、懺悔のような贖罪のような映画です。うまく咲かせるのが難しいあのデイリリーのように、映画スターとして実際に咲き誇ってきたその裏で、奔放な女性関係を謳歌し、家族との関係をうまく構築できなかったというか、ろくに考えていなかっただろう自伝的要素が反映されています。その事実を踏まえれば、仕事一筋で外面と体面ばかりを重視してきた男の末路を描くというテーマが浮かび上がります。
 
実際のところ、こんなじいちゃん、身内だったらほんと嫌ですよ〜 家族との関係を見直す、絆を取り戻すといったって、そのきっかけはあくまで仕事が行き詰まったからでしょ? しかも、これまでの人間的欠落を何で埋め合わせるって、結局は金です。それも、犯罪の片棒を担いで得た金。ろくなもんじゃないです。車はピカピカのに買い換えるし、家族を含めてほうぼうに金をばらまいては、またええかっこしようとしている。完全に調子乗りなんです。その様子は、もはやかなりコミカルで、思わず吹き出しちゃう場面もたくさんある。相変わらず女好きだし、困ってる人を見るとついつい助けちゃうし、常に度胸があって飄々と軽いところとかね。

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うまいなと思うのは、このじいちゃんの人柄を示す描写の数々。喫煙OKなホテル。薄ら寒い下品なジョークは時代遅れな頑固者だと伝える。けれど、根っからの悪い奴じゃないし、困った人には無意識レベルで手を差し伸べる様子も描かれてましたね。そういう良いことをしつつ、軽口レベルで飛び出すあっさりと人種や性的マイノリティ差別発言をしちゃうのもアールだし、それを咎められて反発しない柔軟性もアールなんだよな。あと、ちょいちょい彼が似ていると言われる俳優ジェームズ・ステュワートも、そうした古きアメリカの象徴として引き合いに出されてのことでしょう。
 
そんな彼も罪をあがなっていきます。とりあえず金を手に入れたら、やっと人生を見つめ直し、自分をアップデートしようとする。このあたり、ブラッドリー・クーパー演じる警察や、犯罪組織でしか生きていけないメキシコ系移民への助言からうかがえますね。簡単に言えば、「俺みたいになるな」っていう話。「どの口が言うとんじゃ!」っていうツッコミもできるけど、このアールならっていう妙な説得力がある。アールは「古き良き」、そして「古き悪しき」アメリカの体現でもあるので、深みが出てくるし、そんなアールはやがて当然の報いとして表舞台から退場していく。 

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そこに、安易な共感を誘わない寂しさを伴わせているのが、むしろ胸を打つ。同じく朝鮮戦争退役軍人の保守的な男が、人生の黄昏で社会再構築のためにヒロイックな行動を取った『グラン・トリノ』に対して、今作のアールは家族の再構築を目指すので、作品が内包する規模は小さくなってるし、その姿は無様で情けなくもあるんだけど、だとしても、ただそのまま老いるのではなく、悔い改めて最後に一花咲かせるというのがせめてもの救いであり希望なんですね。
 
それにしても、筋書きとしてははっきり言って予告編以上のものはないのに、1級の娯楽映画として目が離せないものに仕立ててしまうのは、相棒編集者ジョエル・コックスとの無駄のない物語運びと、サスペンス演出の巧みさの成果です。映画のひとつの教科書ですよ、これは。もはや師弟関係と言えるブラッドリー・クーパーにも、またこの作品でその演技と演出が受け継がれているでしょうから、その意味でもイーストウッドは個人的贖罪とともに映画界でまた一花咲かせる最高の仕事をしています。
アールはロングドライブの最中にしょっちゅうごきげんさんで懐かしの曲を歌います。中でも、物語と深く関わるのが、69年のこちらでした。別のバージョンだったのかなって気もするけど、ともかく元妻への贖罪ソングとしても機能していましたね。

さ〜て、次回、2019年3月28日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『バンブルビー』です。なんか凄い振れ幅だな、この1週間は(笑) 僕は正直なところトランスフォーマーに特に何の思い入れもなくって、映画も一通り観てはいるんですが、そんなに詳しくないんです。そこへのスピンオフ。これがきっかけで意外とハマったりして。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!