京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『Diner ダイナー』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月11日放送分
映画『Diner ダイナー』短評のDJ's カット版です。

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舞台は殺し屋専用のダイナーです。オーナーはエリアを牛耳る殺し屋たちの長。料理の腕を振るうのは、やはり元殺し屋の天才シェフ、ボンベロ。そこでウェイトレスとして働くことになったのは、破格の給料に惹かれて手を出した怪しいアルバイトの最中に身売りされてしまったオオバカナコという20代の孤独な女性。組織内の殺し屋の権力闘争もくすぶり始める中、一筋縄ではいかない、クセの強い殺し屋たちを、ボンベロとカナコはもてなすことはできるのか。
原作は、ホラー作家平山夢明が2009年にポプラ社から出版した同名小説です。監督は、写真家の蜷川実花。映画は『さくらん』『ヘルタースケルター』以来ですから、久しぶりなんですが、9月にはもう新作『人間失格 太宰治と3人の女たち』を控えています。旺盛ですね。
 
キャストは、オオバカナコを玉城ティナ、ボンベロを藤原竜也が演じています。ダイナーにやって来る殺し屋たちに扮するのは、窪田正孝本郷奏多(かなた)、武田真治。他にも、各エリアのボスたちとして、土屋アンナ小栗旬、真矢ミキ、奥田瑛二が配役されつつ、有名人があちこちに顔を出しています。斎藤工佐藤江梨子川栄李奈コムアイ板野友美木村佳乃、そして3年前に他界された監督のお父さん、蜷川幸雄など。
 
それでは、制限時間3分、感想ひとつで消されることを覚悟の映画短評、そろそろいってみよう!

「俺はここの王だ。砂糖の一粒まで俺に従う」というシェフ「ボンベロ」の台詞が予告編から印象的だったこの作品。最もこのスピリットを実践しているのは、ボンベロというよりも蜷川実花、監督だったと思います。画面に映るすべての要素をコントロールして自分の美意識を具現化したいっていうことですよ。写真ならいざしらず、映画でそれをするのは、しかも実写においてはかなり大変ですけど、とにかくスクリーンを蜷川実花ワールドに染め上げたい。そんな欲望が何よりも優先された作品です。
 
冒頭、かなこのモノローグ、主観的なひとり語りがありました。いかに疎外感を抱えてひとりぼっちで生きてきたのか。彼女は語り手として登場するわけですが、その後、ダイナーに入ってからは、メイドの格好でひたすら理不尽な目に遭い続け、ナレーターとしての機能はほぼ失う。今度は蜷川実花のカメラワークがその役割を担います。そこでのポイントは、監督の世界観が物語にすら優先されるということです。ほぼ密室劇の全編セットだってのも、そのためでしょう。

 

物語が始まる時には、そこでの約束事というのが前半で示されることが多いですね。この作品でも、ありました。たとえば、店には扉が3つあり、そのひとつひとつに据えられた監視カメラで、ボンベロは店にそぐわない人物がやってこないか、客を選別するというもの。その後、物語であのシステムは活用されましたっけ? むしろ、困った客に苦労させられてませんでした? 扉、開けなきゃ良いのに。

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まあ、でも、別に僕はそれで構わないとも思うんです。そういうタイプの監督はもちろんいるし、それ自体決して悪いことではない。ただ、これは2時間の娯楽劇映画であって、写真やMVではない。だとすれば、原作のある物語を隠れ蓑にするにしたって、もう少しくらいは物語然とできないものでしょうか。だって、カナコがなぜ母親からネグレクトされていたのか。僕はうまく説明できないんですよ。幼稚園のお遊戯会や演劇を導入する演出は覚えてるのに。
 
東西南北の殺し屋たちの権力闘争と、亡くなったボスの死の真相についても、クライマックスでの花びらいっぱい、色いっぱい、スローモーションいっぱいの演出は覚えてるけど、結局なんだったんだっけ? やはりピンとこない。
 
挙句の果てには、肝心の料理も色に埋もれておいしそうに見えない。それは別にいいとしても、ボンベロの料理がどうすごいのか、その技を見せるショットがひとつもない。

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これ、全体のテーマとしては、自分の存在価値をどう扱うのかだと思うんだけど、今挙げたような物語的な悪条件が重なった結果、テーマとリンクするいい感じの台詞が出てきても、その時はなるほどと思っても、いつも刹那的にしか響かないんです。それぞれのシーンが前後とうまく連なってないからですね。
 
蜷川実花のビジョン、世界観をとやかく言うつもりは僕には毛頭ありません。それは好みの問題です。演出に映画的なブランニューワンが欲しかった。あのスローは新しくないし、他は主に演劇的、写真的、漫画的、絵画的でしたから。せっかく映画というメディアを使うならこんなことをやってみるというアイデアと、形だけでも隠れ蓑でも良いから連続性をもった物語にしていれば、「愛でる作品」にとどまらず、「愛せる作品」と捉える人がもっと増える気がします。

 主題歌は曲としてはとても良いと思うんですが、『千客万来』とはとても言い難い、むしろ会員制のダイナーが舞台なんだけど、これいかに…


さ〜て、次回、2019年7月18日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『トイ・ストーリー4』です。先日、1を見直そうとアマゾン・プライムでレンタルしようとリモコンを操作したら、誤って購入してしまいました。198円のつもりが、2000円の出費です。面白くない状況ですが、4も間違いなく面白いことでしょう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

イタリア映画『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』レビュー

ガブリエーレ・ムッチーノ監督が12年ぶりに活動拠点をイタリアへ戻した。
 
僕が彼の名前を知ったのは、『最後のキス』(L’ultimo bacio、2001年)だった。30がらみの男性たちのピーターパン・シンドロームをえぐるように描いたこの作品は、その年のイタリアの映画賞を総なめし、2006年にはアメリカでリメイクされるほど、興行的にも批評的にも大成功した。ステファノ・アッコルシ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ジョルジョ・パソッティ、クラウディオ・サンタマリアなど、当時まさに30前後で勢いに乗っていて、その後イタリア映画界を代表する存在となった俳優陣がたくさん出ていた他、僕の愛する往年の名女優ステファニア・サンドレッリの御姿も拝めるとあって、大興奮で鑑賞したことをよく覚えている。

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思えば、ムッチーノ監督は当時30代半ば。早熟である。その能力をイタリア半島という長靴の中に押し込めておくのはもったいないと、彼が自分で思ったのか、周囲がそう思ったのか、あるいはその両方だったのか、とにかく彼はハリウッドに活動の場を移した。ウィル・スミスを主演に迎えた『幸せのちから』や『7つの贈り物』を観たことがあるという人も多いだろう。何度かイタリアへ戻って撮影することはあったものの、この12年間、基本はアメリカの映画人としてロサンゼルスに暮らしていた。現在52歳。そこそこの成功を収め、失敗もあった。そんなムッチーノがキャリア後半の舞台をイタリアに戻してくれたことを、僕としては歓迎したい。

幸せのちから (字幕版) 7つの贈り物 (字幕版)

彼の原点は、50年代〜60年代のイタリア式喜劇にある。凝った映像的仕掛けで観客を魅了するというよりは、市井の人々の喜怒哀楽をあくまで役者のイキイキした演技から浮かび上がらせることを得意とするタイプだと僕はみている。登場人物たちは饒舌な台詞を発しながら、全身でその感情を表現するのだ。往々にして、手前勝手に、そして懸命に。そうした手法には、イタリアの役者がよく似合う。その意味で、今作『家族にサルーテ!イスキア島は大騒動』を観ながら、僕は待ってましたと頬を緩めた。あらすじを公式サイトから引用しておこう。
 
世界屈指の美しさを誇るイスキア島に暮らすピエトロ&アルバ夫妻の結婚50周年を祝うために、親戚一同19名が集まった。教会で金婚式を挙げ、自宅の屋敷でパーティも開催される。久しぶりに再会したファミリーの楽しい宴もお開きとなる頃、天候不良でフェリーが欠航に!思いがけず、二晩を同じ屋根の下で過ごさなければならなくなった、それぞれの家族たち。今まで抑えていた本音が見え隠れし始め、次々と秘密が暴露されてゆく――果たして、この嵐の結末は?
浮気、借金、嫉妬・・・ワケありの大人たち。家族だからこそのストレートな感情をぶつけ合う姿に「私の親戚にもいる!」と、誰もが笑って泣いて共感せずにはいられない人間賛歌!

 

今作にも、『最後のキス』の役者たちが何人か登場する。ステファノ・アッコルシ、ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ、ステファニア・サンドレッリ。やはりみんな手前勝手だ。間違っても巻き込まれたくない。原題は“A casa tutti bene”。直訳すれば、「家ではみんないい感じ」。このタイトルがあくまで表面的なものであるのは、イスキア島の天気が急変するところから僕らはわかり始めることになる。いや、正確に言えば、その以前から、つまり一同が船に乗り込むところから、あるいはイスキア島に親戚を迎え入れるところから、雲行きは怪しかった。つまり、天候は急変するべくして崩れたのだとも言える。

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そこで幕が上がるのは、激情の劇場だ。表面張力いっぱいでこぼれ出さないようにしていた欲望、羨望、渇望、嘱望が雨後の筍のようにニョキニョキと顔を出す。彼らは時に自らの、時に誰かの化けの皮を剥がし、その下の顔を見ては驚き、笑い、涙する。まさに「大騒動」である。家族とは憩いの場であると同時に個人を幽閉する檻でもある。のびのびもできるが、窮屈でもある。そう、あの風光明媚なイスキア島のように。

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乾杯は麗しいものだが、あたりが強ければグラスは割れる。その表裏どちらをも描くのがムッチーノだ。役者たちの演技合戦のお膳立てが実にうまい。なにしろ、登場人物は19人。この相関図を見るだけでややこしくてクラクラしてしまうが、鑑賞にあたっての心配は御無用。交通整理はきっちりしてあって、混乱させられることはない。
 
はてさて、笑って鑑賞したのはいいが、家路につきながら考える。自分の親族は果たしてどうか。その余韻がまたビタースイートでやめられない。ムッチーノ、よくぞイタリアへ戻ってくれた。Ben tornato in Italia.
 
それにしても、イタリア映画の新作と言えば、全国公開されるものはゴールデンウィークのイタリア映画祭を経由するものがほとんどだったが、近年は配給会社の事情も変わってきたようで例外も多い。最近だと『幸福なラザロ』もそうだった。つまりは観られる本数が増えているとも言えるのだが、うっかりすると見落としかねないので注意が必要だ。自戒を込めてということだが。
 
<文:野村雅夫>

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年7月4日放送分

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スパイダーマンを主人公にした実写映画としては、2017年に公開された『スパイダーマン:ホームカミング』の続編です。そして、「マーベル・コミック」のヒーローたちが同じ物語世界の中で同居・クロスオーバーするMCUマーベル・シネマティック・ユニバースとしては、『アベンジャーズ/エンドゲーム』の続編にして、フェイズ3のラストを飾る23作目となります。

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これは「エンドゲーム」からまだそう時間が経っていない頃の物語です。自分の高校生活に戻った主人公ピーター・パーカーは、夏休みを利用して、学力コンテストの仲間や先生たちとヨーロッパへ研修旅行に出かけます。目下のミッションは、大好きな女の子MJに告白すること。親友のネッドにその計画を打ち明けながら、ヒーローであることから離れ、バカンスとしゃれこもうとしているところへ、元SHIELD長官であるニック・フューリーから携帯への着信が。あろうことか、ピーターはその連絡をスルーして、そのまま最初の目的地ヴェネツィアへ。ところが、そこに現れたのは得体の知れない水の化物エレメンタルズ。ピーターがスパイダースーツなしで対抗を目論むも苦戦を強いられているところへ颯爽と舞い降りて敵を撃退したのが、異世界からやって来た新たなヒーロー、ミステリオ。ピーターは、地球の新たな脅威に立ち向かえるのか。研修旅行は続行できるのか。そして、何よりMJに告白できるのか?

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監督は前作「ホームカミング」から続投して、まだ38歳と若いジョン・ワッツが担当。脚本家たちもそのまま続投。キャストもそうですね。ピーター・パーカー/スパイダーマントム・ホランド、ニック・フューリーをサミュエル・L・ジャクソン、MJをゼンデイヤ、親友ネッドをジェイコブ・バタロン、メイおばさんをマリサ・トメイ、ピーターのサポートとなる元トニー・スタークの運転手ハッピーをジョン・ファブローが演じている他、新キャラのミステリオにはジェイク・ギレンホールが抜擢されています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

「ホームカミング」の短評の時に僕が強調した良い意味での軽さを今回も踏襲しているんですけど、これってすごいことですよ。だって、この前が「エンドゲーム」ですよ。シリアス。重厚。深刻。その直後だってのに、今作の軽妙さは前作を上回ってます。話の前提となる空白の5年間問題なんかも冒頭で手際よく説明されるんですが、そこにいちいち細かい笑いを入れていくんですよね。たとえば、人類の危機に乗じて不倫・駆け落ちした女がいたとかみたいな小ネタ。それが、ヨーロッパ行きの飛行機の中で何とかMJの隣に座ろうと画策して失敗するピーターっていう、これまた細かすぎるラブコメ要素に重ねられるわけです。ラブコメと言えば、他のクラスメートたちも旅行に乗じていちゃつくし、メイおばさんも何やら浮かれていて、映画全体も軽いどころか浮ついてます。
 
そんな浮かれたピーターをヴェネツィアまで追いかけてきたニック・フューリーが出てくるところで雰囲気が一変するのかと思いきや、そんなことはないんですね。ニックが深刻な事態を説明する最中にも、これまたどうでもいいとしか言いようのない横やりが入るっていう古典的なギャグを天丼で展開します。しかも、ピーターときたら、僕には荷が重いんで、親愛なる隣人のままでいたいんでとか言って、化物征伐の戦いへの参加を断るんだけど、その時のニックの解決法、譲歩の仕方がまたコミカル。
 
この話、要するに、16歳の高校生の成長を見守るってことなんだけど、中盤以降、「え!?」っていうどんでん返しを用意しつつ、彼の内面の弱さをヴィランが指摘し、そのヴィランを攻略することで、ピーターが一皮むけていく。そういう流れになっています。

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ここで発揮されるのが、ジョン・ワッツ監督の作家性です。過去作に見られた「常軌を逸した大人に翻弄される子どもたち」というモチーフが今作でも見受けられます。もちろん、ヴィランとの対決もそうなんですけど、僕に言わせれば、最高のヒーローにしてアクの強すぎる金持ちトニー・スタークも、常軌を逸した大人に相当します。ヒーローとしてのスピリットを託せばいいのに、ハイテク満載のメガネまで託すもんだから、大変なことに。そして、トニー・スタークの過去の尊大な態度がまた時を経てぶり返すってのは、迷惑以外の何物でもないですもん。でも、こういうシリーズファンへのサービス精神と個人の作家性を無理なく結びつけていく手腕はさすがだなと舌を巻きました。
 
さらには、メディア批評的な側面も盛り込んでましたね。どこもかしこも映像で溢れ、リアルとフェイク、フィクションとファクトの区別がつかなくなっている現実の世の中を踏まえてました。お話全体もそうだし、最初から最後まで、スクリーンの中に大小のモニターやプロジェクションだらけでしたもんね。そこに翻弄される様子は、僕らもよくわかるってところじゃないでしょうか。

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前回は、スパイダーマンがあまり飛んでなくて、物足りなかったなんて声もありましたけど、僕に言わせれば、ビルや木などがない、だだっ広いところでは走るしかないんだっていうことを笑いとともに見せてくれたのが忘れられないんです。あれはあれで良かった。そして、今回は飛んでるよ。ヴェネツィアで、プラハで、そしてベルリンで。『メン・イン・ブラック:インターナショナル』に続いての007化ですけど、はっきり言って、スパイダーマンの方が現地の見せ方は上手でしたね。ニューヨーク以外で飛ぶだけで、こんなにも新鮮。楽しかった。
 
あのラストですから、明らかに続編はありますね。今度は高校生活も最後になるんでしょうか。正直、ヴィランの操る技術のからくりがよくわからならいところもあったけど、そんなことはどうでもいっかって思えるほど、MCUスパイダーマンも新たなフェーズを迎えるにあたって、考えられる限り最高のフィナーレでした。

サントラから何をかけようかと思ったんですけど、AC/DCは一昨日かけたしな〜。で、思い返すと、イタリアの曲が3つも使われてるんですよ。せっかく僕がDJなんだから、ここはイタリアのでしょってことでこちらをチョイス。ヴェネツィア行きの飛行機の中で使われていたものなんですが、「星のような君よ、僕の頭上で輝いておくれ」っていう歌詞でして、何とかしてMJの隣の席をゲットしようとするピーターの内面とも一致していました。さらには、機内のトイレを使ったギャグシーンがあったんですが、そこで「シヴォラ、シヴォラ、シヴォラ、シヴォラ…」って繰り返し歌われます。これは英語のスリップとかスライドってことで、要は滑るっていう動詞。実際、ピーターの行動も滑ってたんですよ。ほんと、マーヴェルのこのあたりの細かさには驚きました。


さ〜て、次回、2019年7月11日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『Diner ダイナー』です。蜷川実花監督作品を短評するのは初めて。あの色の洪水のような世界を受け止めきれるかしら。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『きみと、波にのれたら』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年6月27日放送分
映画『きみと、波にのれたら』短評のDJ's カット版です。

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サーフィンを愛し、大学入学をきっかけに海辺の町で一人暮らしを始めたひな子。自宅マンションが火事になったことをきっかけに消防士の港と知り合い、ふたりは恋に落ちます。おっちょこちょいのひな子としっかり者の港。ふたりはサーフィン、キャンプ、料理、音楽を通してその絆を深めていくのですが、冬のある日、ひとりでサーフィンをしようと海へと向かった港が、溺れた人を救おうとして命を落とします。大好きな海を見ることすらできなくなるほどショックを受けたひな子。しばらくすると、ふたりの思い出の歌を口ずさめば、水の中に港の姿が現れることに気づくのですが…

夜は短し歩けよ乙女 夜明け告げるルーのうた

監督は湯浅政明長編映画だと『マインド・ゲーム』『夜は短し歩けよ乙女』『夜明け告げるルーのうた』で知られる他、Netflixオリジナルの『DEVILMAN crybaby』でも世界的な注目を集めたことが記憶に新しい方ですね。脚本は『夜明け告げるルーのうた』でもコンビを組んだ吉田玲子。
 
キャストも紹介しておきましょう。サーフィン好きの向水ひな子を川栄李奈(かわえいりな)、消防士の雛罌粟港(ひなげし)をGENERATIONS from EXILE TRIBE片寄涼太、港の妹洋子を松本穂香(ほのか)、港の後輩消防士である山葵を伊藤健太郎がそれぞれ演じています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

湯浅作品を見慣れている人ほど、特に前半、港が亡くなってしまうまでの演出には違和感を覚えると思います。人物や物体が平面的で、輪郭が平気でグニャグニャ歪んだりするような、アニメならではの動き、現実からの飛躍を特徴としている作家なわけですけど、今作はかなり写実的なんですね。
 
湯浅作品に縁がなかった人にとっても、最近の日本のアニメではまずお目にかからないと言えるほど、とにかくふたりがラブラブな前半のストーリーラインには違和感を覚えると思います。ひな子の友達がちゃんと代弁してました。「リア充爆発しろ」ってね。
 
画作りも物語も、この作品は大丈夫なのか。どっこい、どちらの違和感も後半するする解消され、クライマックス前後ではしっかり泣かされている僕がいました。

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カップル的な描写について、まず話します。これはかつてのトレンディードラマ的なジャンルの「ベタ」なんですよ。GENERATIONSの曲も90年代感ありますよね。かつて流行ったJ-pop感というか。湯浅監督はまっすぐなラブストーリーをこれまでやってなかった人なんで、ジャンルとしてのお約束を踏襲しつつ、先祖返り的にあえて記号的に一旦振り切ったわけです。その分、後半港が死んでショックを受けてからのひな子の幻影・幻覚が活きてくる。これもセリフではっきり出ます。「洋式便器に向かってブツブツ言ってる変な人」に見えるようなぶっ飛びも、前半があればこそなんですね。主要登場人物が4人であるとか、死んだ人間の幻影が出てくるってことで、90年のヒット作『ゴースト/ニューヨークの幻』を実際に参考にしたと言われていますが、恋愛の四角関係が展開するのが港の死後だってことや、こいつとこいつがくっつくんだろうなっていう、それこそラブロマンスもののお約束をわりとサラリと裏切ったりと、後半を際だたせるための前半のストレートな振り切りだとだんだんわかってくる構成になってます。

ゴースト/ニューヨークの幻 (字幕版) 

作画についての違和感はどうか。湯浅作品にしては珍しく写実的だぞって部分。こちらもメリハリがあると言うべきか、彼の特徴は今回は水に注ぎ込まれています。アニメ表現の難関のひとつである水に豊かなバリエーションがある。陽光を反射するきらめく水。愛する人を飲み込んでしまう脅威としての水。さらには、愛する人をくるむ水であり、火を消す水であり… 迎えるクライマックスでは、ひな子の幻影かゴーストかという微妙なリアリティーラインを高々と飛び越える、これぞ湯浅政明という跳躍が文字通り映像通りそびえ立って燃え盛ります。そのシーンには、「きみと、波にのれたら」というお話のテーマである自立と再生がこれでもかと込められていて、ただただ口を開けて事態を見つめる他ありません。
 
ちょっと安直ではあるけれど、名前がそのまま説明してます。雛罌粟港、つまり、火を消し、波から人や物を守る港、向水ひな子、つまり水に向かいながらよちよち歩きをしていた雛が成長して港を出ていくということです。サブキャラの二人が主人公たちを引き立てるスパイスとして巧妙に配置されているし、コーヒーや花火や消防士や恋人たちの聖地みたいな道具立てもよく機能しています。嫌味な言い方をすれば、とにかくベタなんだけど、そうした間口の広さ、ジャンル映画的な約束を守りながらも、そこで表現的な実験を推し進めてしまう湯浅政明。ツッコみたい部分も最終的に飲み込んでしまうパワーを備えた作品でもありました。あのクライマックスの迫力は大スクリーンでこそ!


かつて流行った曲として、劇中でひな子と港が歌い、そしてひな子がひとりになってからも何度も口ずさんだのが、これですね。さすがに口ずさみすぎなので、メロディーに飽きちゃう部分もありましたが…

さ〜て、次回、2019年7月4日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』です。「ホームカミング」と『アベンジャーズ/エンドゲーム』の続編ってことになるんですよね。あ〜、ややこしや。でも、今回はおうちから遠く離れてヴェネツィアにも行くらしいので、観光気分でも楽しめそう。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『メン・イン・ブラック:インターナショナル』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年6月20日放送分

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UFOや宇宙人などの超常現象を目にした一般市民の元を訪問し、口封じをする全身黒尽くめの男たち。この映画シリーズには、1990年に発表された同名の原作漫画があるわけですが、そのさらに元になっているのは、1950年代以来、アメリカを中心に流布している都市伝説です。珍しいケースですよね。97年、トミー・リー・ジョーンズがベテラン敏腕エージェントKを、そしてウィル・スミスが減らず口をたたく新米エージェントJを演じた1作目以来、2002年、そして2012年と、同じコンビと同じ監督、つまり『アダムス・ファミリー』のバリー・ソネンフェルド、さらにはスピルバーグが製作総指揮という座組で3本作られてきました。

メン・イン・ブラック (字幕版) メン・イン・ブラック2 (字幕版) メン・イン・ブラック 3 (字幕版) 

 今回は、スピルバーグ以外はスタッフ・キャストを一新したスピンオフ的続編です。監督は、『ストレイト・アウタ・コンプトン』や『ワイルド・スピード ICE BREAK』のフェリックス・ゲイリー・グレイです。

 
20年前、幼少期にエイリアンに遭遇しながらも、記憶消去を偶然逃れて以来、宇宙の神秘に興味を膨らませ、MIBにあこがれて成長し、ついにスカウトされるにいたった新人女性エージェントM。初のミッションは、MIBに潜入したとされるスパイを突き止めること。MIBロンドン支部へ出張したMがタッグを組むのは、イケメンだけれど軽薄で、過去の栄光にあぐらをかく先輩エージェントH。このコンビはスパイを見抜き、その野望を阻止することができるのか。
 
女性エージェントMをテッサ・トンプソン、チャラ男なエージェントHをクリス・ヘムズワースがそれぞれ演じる他、リーアム・ニーソンエマ・トンプソンレベッカ・ファーガソンなどが登場します。豪華キャストなんですけど、主演のコンビが『マイティ・ソー バトルロイヤル』のヴァルキリーとソーなもので、どうしても思い出しちゃう人がいるのはしょうがないでしょうね。
 
シリーズの人気と寄せられた期待は相当なもので、実際アメリカでも興行収入ランキングは初登場1位。日本でも『アラジン』に次いで2位と、前作には及ばないものの、決して悪くはない出だしだと思います。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

鑑賞後に首をひねっている観客が多いことは、番組に寄せられた感想やネットに上がっている声に如実に現れています。曰く、トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスのコンビニは敵わない。今回のMとHのバディが不完全燃焼。エイリアンが小奇麗。誰がスパイかすぐにわかってしまう。目新しさがない。などなど。
 
では、僕はどう感じたか。平たく言うと、こうです。
 
みんなの言いたいことはわからなくもないけど、結構楽しく観られたし、なんなら、たとえば1作目よりも僕は気に入ってるんですが、ダメですか?
 
大前提として身も蓋もないことを言いますけど、このシリーズにみんなが求めているものは、そんなカッチリしたできの良さなのかってことなんですよ。そもそもが都市伝説ですからね。だいたいあのエイリアンにまつわる部分だけ記憶をピカッと一瞬で消せるニューラライザーって、何よ。ご都合主義の極みじゃないですか。今回1作目を見直しましたけど、2019年の感覚だと、ギョッとするブラックジョークも散見されるし、ストーリーもそこまで感心するほど練ってあるというよりは、いい意味での雑さゆるさを楽しむものだと思います。だから、もう、トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスのコンビと、ファッションやガジェットのポップな魅力でもっていたシリーズなんですよ。

 

そういう割り切りのもとに観ると、今作は僕は十二分に合格点に達していると感じました。

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当たり前だけど、エイリアンの造形や動きはCG技術が発展した今の方がすんなり観られるし、旧ファンへのサービスも入れながら、ポーニィみたいな新しいかわいいエイリアンも登場させていますよね。ガジェットも今っぽく進化していて僕はすんなり楽しめました。ポール・スミスのスーツ、POLICEのサングラス、ハミルトンの腕時計、レクサスの車。どれもキマってました。パリ、ニューヨーク、ロンドン、マラケシュ、砂漠、ナポリと、あちこちの景色を観ることができる観光映画的魅力もありました。さらに、画面の色使いが工夫してあるので、「黒」がより映えていてかっこいい。テッサ・トンプソンを起用しているだけあって、MEN & WOMEN IN BLACKだみたいなポリコレギャグも加わっていましたね。ストーリー的にも、20年前の伏線回収だったり、ヘムズワースが大胆にもエイリアンと性的関係を持っていたりと、これまでと違ったブラックな笑いも盛り込めていたと思います。もう、僕としては、これで十分です。ビッグバジェットのB級大衆娯楽作なんだから、いいじゃないですか。

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ただ、一応、なんじゃそりゃってところにも触れておくと、そりゃ今回のバディーには難がありました。ふたりの役割が最初から最後まで基本同じなので、変化がない。これは特にウィル・スミスの変幻自在っぷりを前にすると、確かに分が悪いです。それは認める。それから、エイリアンが小奇麗すぎる。まとまりすぎてる。でも、昔みたいに体液どろどろ一辺倒なのもどうかと思っていた僕としては、別にこれで構いません。
 
舞台裏について触れると、ウィキペディアにも載ってることですけど、監督が何度も降板しようとするくらい、製作はもめて混乱したようです。どうやら、エイリアンが地球にたくさん移民しているという設定に、地球での現実の移民問題を重ねようとした当初の脚本のアイデアがボツになったようなんですけど、僕としてはキャスト一新でリスタートを切るなら、もっとエッジのきいたものも観たかったなというのが本音です。
 
とはいえ、あちこちでロケするから「インターナショナル」ってなタイトルの安直さが示すようなB級娯楽感は十分に保証された、普通にデートにオススメできるような1本でございました。


へえ、アリアナ・グランデが主題歌なんだ! っていうことではなくて、シリーズ恒例の有名人カメオ出演で、今回はアリアナの姿をチラッと拝めるぞっていうことです。

 

さ〜て、次回、2019年6月27日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『きみと、波にのれたら』です。『夜は短し歩けよ乙女』や『夜明け告げるルーのうた』など、日本を代表するアニメーション監督として最近とみに引っ張りだこになっている湯浅政明の作品ですよ。また音楽が大事な意味を持つらしいとあって、こりゃ楽しみだ。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 
 

『アラジン』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年6月13日放送分
映画『アラジン』短評のDJ's カット版です。

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舞台はアラブの港街アグラバー。貧しさ故に泥棒に身を落としてはいるものの、心やさしく機転のきく青年アラジン。彼が市場で巡り合ったのは、王宮の外に自由を求めてお忍びでやって来た王女ジャスミン。ふたりは惹かれ合うものの、アラジンは王宮に忍び込んだことがばれて捕らえられてしまいます。彼を使えると見込んだ邪悪な大臣ジャファーは、アラジンを魔法の洞窟に放り込み、ランプを手に入れさせようとするのですが… こすればランプから出てきて、願いを3つ叶えてくれる魔人ジーニーは、誰のどんな願いを聞き入れるのか。
最近のディズニーは実写化が多いですよね。『アリス・イン・ワンダーランド』『マレフィセント』『シンデレラ』『美女と野獣』『プーと大人になった僕』『ダンボ』『ライオン・キング』『ムーラン』。すごい数ですよ。そんな中、こちらは92年に公開された大人気アニメの実写リメイクです。原作はご存知『千夜一夜物語』の『アラジンと魔法のランプ』。監督は『シャーロック・ホームズ』『コードネーム U.N.C.L.E.』などのガイ・リッチー。ランプのジーニーを演じるのは、ウィル・スミス。王女ジャスミンはインド系イギリス人ナオミ・スコット。そして、アラジンを演じるのは、競争率の高いオーディションを勝ち抜いたエジプト系カナダ人のメナ・マスードです。

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事前に試写を観ていた複数の802関係者から、「マチャオ、いつの間にアラジンに出てたん?」なんて聞かれてたんですよ。僕はもうこの手のフリにはわりと慣れているので、やれ「撮影は大変やった」とか「眼の前で見るジャスミンは美しかった」とか適当なことを言ってたんです。あ〜、また僕に似てる人がいるんだなと。これまでも、ジェームズ・フランコアダム・ドライバー、大人気海外ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』のキット・ハリントン、そして眼鏡に帽子という条件付きで、ジョニー・デップなどなど。確かに、どの役者さんも映画によって役によって、僕に似てはいるんだけど、今回のメナ・マスード演じるアラジンは段違いかなと、僕も思います。僕もだんだん映画を観ていて他人事には思えなくなってくるくらいだったんですが、不思議とリスナーからは誰にも言われなかったんだよな。雅夫はアラジンなのか、マサジンなのか… 
 
てなことはどうでもよく、音楽には、『ラ・ラ・ランド』や『グレイテスト・ショーマン』でお馴染みのソングライターコンビ、パセク&ポールも参加して、実写版オリジナルの曲を提供しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

何度か話している通り、ディズニーは今や最強のポジションを獲得しているわけです。ピクサースター・ウォーズも取り込んだばかりか、今年は20世紀フォックスも買収しちゃいましたから。映画業界という世界でのディズニーランド、ディズニーの国の領土をぐいぐい広げているわけです。そんな中で、さっきも言ったように、名作アニメの実写化が相次いでいます。その理由は何か。ひとつは、日本での漫画実写化が多い理由と同じでしょう。興行的なリスクの低減。もともと売れてる知名度の高い物語であれば、集客にも苦労するまいという、コンテンツそのものの魅力にあやかるパターンですね。しかも、オリジナルが自分のとこのものなので、そして、もうひとつ僕が事の本質だと思っているのが、2010年代現在の価値観での語り直しです。オリジナルアニメでは「アナ雪」や『ズートピア』に象徴されるように、それぞれの役割とか「らしさ」から解放された多様なキャラクターが活躍する物語を生み出しています。そこで、90年代にディズニー復活の礎となった名作たちも、この際そういう価値観でやってみようというわけです。
 
多様性は早速キャスティングに出ていますね。黒人、アラブ系、インド系という3人がメインなわけです。ストーリーラインは大筋ではもちろん変えていないがために、違いに注意がいくように設計されているわけですが、その最大の違いはジャスミンです。「プリンセスがちょいと庶民の生活を覗いてみました」ってな『ローマの休日』的なレベルではなくて、なんと自分で王位を継ぐ気満々なんですよ。舞台がアラブだけに、その意志の驚きがさらに増します。演じたナオミ・スコットはいい女優ですね。役者の身体をのびのびと見せるガイ・リッチー演出が冴えていたアラジンとジャスミンの出会いから逃走のくだりでも、「やる時はやる」っていうジャスミンの意志の強さを匂わせていて良かったです。そして、何より『Speechless』という今回のための新曲! ナオミは歌もうまい! そして、「あたいは黙ってないわよ」っていう気持ちがちゃんと伝わってきます。

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そして、キャストと言えば、ウィル・スミスですよ。オリジナルではロビン・ウィリアムズが声を当てていて、その印象が強烈だったわけですが、それをウィル・スミスはリスペクトしながらも自分らしく更新してみせることに成功しています。なにせ実写で出るわけだから、プレッシャーも相当だったと思うんですが、まあのびのびしていること。これもやはり音楽的な効果が大きいです。『Friend Like Me』では得意のラップをさせてるし、ウィル・スミス最大のチャームである表情のバリエーションの豊かさをたくさん見せていましたね。そこからの、魔法でアリ王子になったアラジンとジーニーが率いる大名行列的なインド映画的カーニバルなんて圧巻です。はっきり言って、文化的にはもうカオスなんだけど、そこは力業でもっていってます。時に物語に暗雲が垂れこめても、ジーニーが、いや、ウィル・スミスがそれを軽やかにコミカルにしてくれることで、画面が一気に華やぎました。
 
とまあ、基本的に楽しんだ今回の実写リメイクですが、違和感もありました。これも大きなものを2点挙げます。悪役であるジャファーの心情がうまく表現しきれていなかったことで、奴がすごく小者に見えるので、ハッピーエンドへ持っていくためだけの道具に成り下がってしまっていたこと。そして、ディズニーにつきものの動物描写ですが、猿はすごくいいとしても、虎はかなり厳しい。当たり前だけど、虎がむちゃリアルなので、ジャスミンすら魔女っぽく見えるのは問題ですよ。なんなら端折っても良かったかな。実写の利点を虎についてはうまく物語に落とし込めていなかった印象ですかね。まあ、でも、こうした違和感も、主要キャスト3人と音楽と今回はやり過ぎなかったガイ・リッチー演出が織りなすハーモニーに取り込まれれば、ほんの些細なノイズに過ぎません。誰にでも勧められる楽しいリメイクだったと思います。


さ〜て、次回、2019年6月20日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『メン・イン・ブラック インターナショナル』です。お、2週連続ウィル・スミスと思いきや、今回は出演してないんですよね。前作からずいぶん空いてのシリーズ復活はどうなっているのか。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく! 

『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年6月6日放送分
映画『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』短評のDJ's カット版です。

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5年前のゴジラとムートーの戦いで息子を失ってしまった動物学者マーク・ラッセルは、特務機関モナークから離脱していました。一方、中国にあるモナークの基地ではマークの元妻エマが、娘のマディソンと一緒に孵化したモスラの幼虫との交信を試みます。そこへ、環境テロリストの傭兵部隊が襲撃。ふたりは拉致され、怪獣と交信する装置オルカも強奪されてしまいます。
 
巨大怪獣の存在が公になった今、武力によって怪獣たちを制圧するべきだという世論や政府の意見に対して、ゴジラ研究の第一人者芹沢博士を擁し共存の道を探るモナークラッセル親子と交信装置オルカを救出しようとするものの、南極でモンスターゼロと呼ばれる怪獣が目覚めてしまったことで、それを察知したゴジラが南極へ向かうなど、事態は混乱します。モスララドンキングギドラといった怪獣が次々と復活する中で、モナークを始め、人間はどう対応するのか。そして、怪獣たちの戦いの行方は?
日本が世界に誇るゴジラシリーズのリブートであるハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』から5年。その続編ということになりますが、怪獣たちが地球にうごうご蘇るという、レジェンダリー・ピクチャーズ製作のモンスターユニバース構想の中では、『キングコング:髑髏島の巨神』に続いて3作目にあたります。ちなみに、モンスターユニバースの次回作も既に決まっていまして、『Godzilla vs. Kong』が2020年5月に公開予定です。
 
監督は、前回のギャレス・エドワーズからマイケル・ドハティに交代となりました。彼は『X-MEN2』や『X-MEN:アポカリプス』、それから『スーパーマン リターンズ』の脚本を手がけていますが、筋金入りのゴジラ・ファンです。芹沢博士に扮するのは、我らが渡辺謙。他に、カイル・チャンドラーヴェラ・ファーミガサリー・ホーキンスチャン・ツィイーなどが出演しています。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

いろいろと監督インタビューを漁っていた中で、面白い発言に行き当たりました。曰く、「この映画はモンスターオペラです。『スター・ウォーズ』がスペースオペラであるように」。そして、構造として『スター・ウォーズ/帝国の逆襲』に大きな影響を受けていると、映画サイトTHE RIVERでも答えているんですね。
 
前回現れたムートーをゴジラが撃退したことで、とりあえずの平穏が戻った地球でしたが、街は破壊され、多くの人命が失われたわけです。そこで、政府なんかはゴジラを含むかつての地球の支配者たち巨大怪獣たちを葬り去るべきだと主張します。つまりはこういうことです。地球の現支配者である人類が、その主導権を蘇った怪獣たちに渡すまいとする。一方、モナークは人類と怪獣の共生を模索します。ゴジラたちは生態系の一環であって、彼らの活動によって地球は再生に向かうのだから、うまくコントロールすれば、共生もできるし、地球環境も改善する。大雑把にまとめれば、こういうことだろうと思います。だからこそ、彼らはモンスターではなく、巨大生物をタイタンと呼ぶわけです。タイタンというのは、ギリシャ神話に登場する巨人族の神のことです。
 
ただ、作品を観ればわかるように、今回は人間たちは特にちっぽけな存在です。この物語における人間の役割は、だいたい何かを起動することです。もともと地球にはいなかったギドラを覚醒させる。禁断の武器をあっさり使用する。ゴジラをバックアップするためにこれまた禁断の核を使用する。などなど。あとはね、オスプレイとか乗り物に乗って、怪獣たちの戦いを眺めたり、よせばいいのに近づいてトバッチリを食らったりするばかり。はっきり言って、無力でした。人類と怪獣をそのままジェダイたち共和国とシスの帝国になぞらえるのは乱暴だけれど、確かに物語の構造としてはエピソード5帝国の逆襲に似ている展開を見せます。

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故に本作は、怪獣映画大好きで、怪獣たちの戦いにこそ楽しみを見出す観客にとっては、東宝オリジナルへのリスペクト満載で狂喜乱舞となるわけです。いいぞ、ドハティ監督、お前分かっとるなってことですよ。確かに、モスラの優美な姿や十字架と同時に画面に映るギドラの神々しさ、そしてゴジラをまさに神の中の神と位置づけるような存在感と神殿での芹沢博士とのやり取りなど、絵画的なキメの構図をうまく取り入れた画作りはすばらしかったです。これは宗教映画の変種と思わせる演出も随所にありました。キャストにも活かされていた西洋と東洋の価値観の違いも盛り込んでいて、なんかグチャグチャしてるけど、よくやったと思えます。
 
逆に、怪獣に相対する人間たちの欲望と葛藤のドラマを見たいという観客にとっては、ちと物足りなくなってきます。というか、大味に感じられるわけです。怪獣とコミュニケーションを取ろうとする様子も、自己犠牲的な研究者たちの行動も、ドラマとしてはわかるけど、なんかすごく小さいし、彼らの操ってる乗り物に比べて技術がチープに見えたり… なんか、スケールが釣り合ってないんですよね。そういうもんだと言われりゃ、それまでですけど。

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1本の映画としての完成度と、ゴジラと人間のバランス、そして現実の世界への批評と風刺という意味では、やはり『シン・ゴジラ』に軍配が上がるかな。

 
でも、不満足だなんて僕はまったく思ってなくて、むしろそりゃ興奮しました。構図としては「逆襲」したゴジラたちですが、ほとんど傍観するしかなかった地球の支配者たる人類はこれからどう知恵を絞るのか。ていうか、キングコングは今何してるんだ? どこにいるんだ? その行方と期待は来年に持ち越しです。


僕が観たのは字幕版だったのですが、吹き替え版では最後にこの曲が少し流れます。ボーカル川上洋平くんのたっての願いがかなってのゴジラ映画への参加となりました。


さ〜て、次回、2019年6月13日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『アラジン』です。僕が出ているという噂は本当なのか!? あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!