京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

色に隠された物語

 イタリア語で「一文無し」を意味する「緑になる」(essere al verde)という慣用句。これは17世紀、競売で用いられていたろうそくの根元が、緑色に塗られていたことに由来する。ろうそくが溶けて緑色の部分にまで達したら、競売は終了。合図の代わりにろうそくを用いていたというわけだ。

 イタリア語には色を用いた表現がたくさんある。ときには、「緑になる」のように、日本人が一般的に持ち合わせている感覚からすると不思議でたまらない色と意味の組み合わせにお目にかかる。そして、そういう表現には、得てしてそれが生まれるきっかけとなった物語が隠されている。

 例えば、「貴族の血統」のことを「青い血」(sangue blu)という。銀食器を使っていた貴族が銀毒症を患い、皮膚の色が青白かったため出来上がった言い回しらしい。これらの表現が面白いのは、色から想起するイメージではなく、歴史的事実や固有の文化によって生まれたというところだ。そこでもう一つ紹介したい表現が、「ミステリー」を表す「黄色」(giallo)というもの。新聞やテレビにも登場し、「奇怪なこと」、「謎」という意味で広く現代のイタリアに浸透している。この表現の裏にも、実に興味深い物語が隠されていた。

 ことの発端は1929年。大手出版社モンダドーリ(Mondadori)が、「黄色い本コレクション」と題した海外ミステリー小説をシリーズで刊行しはじめた。このシリーズを監修したのがロレンツォ・モンターノ(Lorenzo Montano)という小説家。第1弾として刊行した4作品は、翻訳がいまいちだったため、モンターノ自らが手直しを施し、読みやすいイタリア語に改良した。これがまず、今までイタリアに浸透していなかったミステリー小説というジャンルを定着させるきっかかけとなった。このときシリーズ名に採用された黄色を基調にした本の装丁は、目立ちやすいからという単純な着想によるものだった。ちなみに同社からは、同時期に歴史書などを扱う「青い本」、大衆小説を扱う「緑の本」など、色を冠にした他シリーズも刊行されている。

 さらに1932年、初期の勢いを失いつつあった「黄色い本」を、モンターノが再び奮い立たせる。コストを抑えた「格安黄色い本」を月刊でスタートさせる。ここで彼が起用したのは、お色気要素が足りないとして、当時の「黄色い本」シリーズでは敬遠されていたベルギー人推理小説ジョルジュ・シムノン(Georges Simenon)。彼の作品が大ヒットとなり、「黄色い本」は不動の地位を手に入れる。こうして「黄色」は「ミステリー」を表す一般的な表現となった。

 「黄色」が定着するまでには、モンターノの戦略があった。現在では、他社も台頭しているので、ミステリー小説が何から何まで黄色い表紙をしているというわけではない。それでも、アガサ・クリスティ(Agatha Cristie)やエラリー・クイーン(Ellery Queen)など、ミステリーの古典とも言える作家たちは、モンダドーリが版権を持っており、いまだに黄色い装丁で刊行されている。作家別に並べられた本屋の棚では、人気作家アガサ・クリスティの小説がある“K”の段に、黄色い背表紙の連なりができる。それは、イタリア語でもっとも頻繁に使われる表現の一つをつくり出したモンターノを称えているようでもある。