京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月9日放送分
映画『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20200608211742j:plain

主に広告業界で映像を撮っている演出家のトビーは、スペインでとあるCMの撮影をしているのですが、アイデアが枯渇して難航中。彼はある晩、偶然にも10年前に自分が監督した自主制作にして卒業制作映画「ドン・キホーテを殺した男」のDVDを手に入れます。懐かしくなったトビーがそこそこ近くにあるロケ地の村を訪れると、ドン・キホーテを演じてもらった靴職人のハビエルという老人が自分のことを本物の騎士だと思いこんでいたうえ、トビーは従者のサンチョ・パンサだと勘違いされてしまいます。そこからふたりの過去と現在、夢と現実を往復するような旅が始まるのですが…

ドン・キホーテ 前篇一 (岩波文庫)ドン・キホーテ 後篇一 (岩波文庫)

原作は、もちろん、スペインの誇る世界的文学、セルバンテスの『ドン・キホーテ』。監督と共同脚本は、イギリスのコメディーグループ、モンティ・パイソンのメンバー、テリー・ギリアム。『12モンキーズ』『ラスベガスをやっつけろ』『未来世紀ブラジル』の監督ですが、この企画は30年来温めていた、というか、撮影も進めてきましたが、この30年の間に、様々な要因で挫折すること9回。呪われた作品として、既に映画史に刻まれるほど有名だったんです。僕も、公開と聞いただけで、「嘘だろ!?」と思ったほど。
 
今世界で最も売れっ子となっている俳優のひとり、アダム・ドライバー。僕はかねてより似ていると言われ続けてきましたが、今作はアダム・ドライバー史上、最も僕に似ているということで、鏡を見る気分で、アマゾン・プライム・レンタルを利用して、先週土曜日に鑑賞しました。似ているかどうかは、シーンによるという、当たり前の結論が出ましたが、それは置いといて、それでは、今週の映画短評いってみよう!

僕が映画を年間100本程度意識して観るようになったのは、大学生の頃だから90年代後半なんですが、よく覚えているのは、その頃には既にこの映画の話が噂されていたことです。小説『ドン・キホーテ』は、もともとオーソン・ウェルズが50年代半ばから、あのフランク・シナトラを巻き込んで15年ほど実現に向けて動いたものの実現せず、85年に亡くなるまで、ずっと画策はしていたんです。今度はテリー・ギリアムが動いてはいたもののこれまた難航しているのだと。それをもって、これは呪われた企画なんだと言われていました。ギリアム監督の辛すぎる様子については、作品のオフィシャルサイトに、企画のヒストリーが自虐ネタのように掲載されています。さらには、僕も今回鑑賞しましたが、『ロスト・イン・ラ・マンチャ』というドキュメンタリーがあって、そこではスペインで2000年頃、ジョニー・デップジャン・ロシュフォールを主役に迎えて撮影を開始し、やがては失意のうちに企画がストップする様子がよくわかります。映画作りはかくも大変なのだと、僕なんかは涙なしには観られないですよ。あれからまた20年。辛酸を嘗めっぱなしだったギリアム監督が、ついに完成させたという、この事実だけでも、やりました! ブラヴォー! って言いたくなるし、僕は今作の試写状を今も事務所のデスク横に貼りっぱなしです。もうね、テリー・ギリアムさん、あなたが誰よりもドン・キホーテですよって言いたくなるんだけれど、これがあながち突飛な表現ではなく、テーマそのものなんじゃないかってのが、この作品の驚くべきところです。

ロスト・イン・ラ・マンチャ(字幕版)

というのも、これは、マトリョーシカ的に、現実とフィクションがいくつも重なり合う入れ子構造の作品なんです。メタフィクションと言われるやつです。まず原作そのものが、中世の失われた騎士道精神を崇拝するあまり、自分が騎士だと思いこんでしまう老人の話であって、しかも、小説の後半はその小説自体が世に出て売れた後という設定になっています。小説の段階で、既に虚実が入れ子になっている。それをさらに映画化するにあたり、そのドン・キホーテをかつて自主制作映画で撮影した監督を主人公にしていて、そこに出演していた素人役者やその家族の人生を予期せぬ方向に導いた張本人であると。だって、靴屋のハビエルは映画で演じたドン・キホーテになりきってしまい、現実に戻ってこれなくなっているし、居酒屋の娘アンジェリカは女優への道を夢見たものの、その半ばでくすぶってしまっている。こういう話そのものがドン・キホーテ的なる設定です。こうした事実に行き当たり、トビーは過去と現在、現実と夢や虚構を行ったり来たりすることになります。おまけに、僕たちは作品外の情報として、テリー・ギリアム本人がこの映画を撮ろうとして四苦八苦を続けてきたということを知っているがために、さらにもう1枚、虚実のレイヤーがかかるという、何重もの入れ子、夢のまた夢のまた夢みたいなメタメタフィクションを目の前にするので、はっきり言って混乱するわけです。

f:id:djmasao:20200608212111j:plain

(C)2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mat o a Don Quijote A .I.E., Tornasol SLU
そのラビリンスそのものを楽しめるか。はたまた、なんじゃこりゃ意味わからん、となるか。観客は概ねそうして二分されるだろうとは思います。僕はと言えば、ここまでのテンションでお分かりいただける通り、こんなのは好物です。そりゃ、確かにわけわからんくなってきたって混乱もしますよ。あれはなんだったんだと未だによくわからん部分もあるけれど、映画がすべてハリウッド式の文法にのっとった、みんな似たりよったりな解釈をするものであっては面白くないわけで、人間の非合理で腑分けできない心理すら映像にできるメディアだってことを再認識できて愉快愉快と興奮しました。フェリーニの『8 1/2』であるとか、そういう映画監督の頭の中を覗き込むタイプの名作も思い出したし、それこそオーソン・ウェルズも見たくなる。トビーが引き受けることになる理不尽や不運の数々に思わず笑ってしまいながらも、ものを作る人間の夢追いのロマンと、関係者の人生を左右してしまう業のようなものも突きつけられました。そう考えると、トビー自身が辿ることになる道筋、つまり、ドン・キホーテの物語を撮っていたはずが、いつの間にかサンチョ・パンサになり、やがてはドン・キホーテに同化するというのも興味深い。だって、彼は自分でもしょうもないと考えているCMをディレクションして何とか映像業界にしがみついているような男だったわけです。それがものづくりの原点に立ち返ることになり、過去の自分の生み出したものに引っ張られ、やがては巨大な映画業界にまた槍一本で立ち向かうにしても、それはたやすいことではなく… 

f:id:djmasao:20200608212203j:plain

(C)2017 Tornasol Films, Carisco Producciones AIE, Kinology, Entre Chien et Loup, Ukbar Filmes, El Hombre Que Mat o a Don Quijote A .I.E., Tornasol SLU
テリー・ギリアムが30年前に構想した規模の映画にはおそらく程遠いものになってしまったとは思いますが、それでも映画は作られなければならない。頭に描いたものを、金を集めて、とにかく映像に落とし込まなければならない。その意味で、ギリアムは呪いから解かれ、またドン・キホーテとして立ち上がったんだと思います。そう考えると、僕はまたこの映画を見直したくなる。そんな危うい普遍的な魅力をはらんだ作品に触れられたことを、こうして短評できた喜びをかみしめています。
お送りしたのは、ニック・カーショウです。彼はシンガーとしては84年のアルバムThe Riddleが代表作でしょうが、その中には、表題曲以外にも、こんなヒットが入っていました。そう、『ドン・キホーテ』。
 

 

さ〜て、次回、2020年6月16日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『デッド・ドント・ダイ』でした。コロナの影響で公開延期になっていたものが、先週ようやく封切られましたんで、僕も久々の映画館です。敬愛するジム・ジャームッシュ監督の新作にして、初のゾンビ映画。そして、2週連続アダム・ドライバーなど、気分は高揚しっぱなしですが、ひとつ気を落ち着けて観てきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!