FM COCOLO CIAO 765 毎週月曜、11時台半ばのCIAO CINEMA 7月28日放送分
映画『F1®/エフワン』短評のDJ'sカット版です。
90年代にF1でセナやプロストと競い合ったというベテランドライバーのアメリカ人、ソニー・ヘイズ。将来を嘱望されていたF1の道を事故による怪我で諦めて以来、ギャンブル依存症になり、職を転々とし、今では一台のバンに寝泊まりしながら各種レースの賞金稼ぎとして生きています。ある時、ソニーの前に現れたのは、かつてのチームメイトにして、現在は弱小F1チームの代表であるルーベン。彼に口説かれたソニーは、F1の世界へ現役復帰を果たすのですが、相棒となる若手ドライバーのジョシュアやマシン開発を行うテクニカル・ディレクターのケイトをはじめ、すんなりとはチームに溶け込めません。
監督はジョセフ・コシンスキー。プロデューサーはジェリー・ブラッカイマー。脚本はアーレン・クルーガー。撮影監督はクラウディオ・ミランダ。劇伴はハンス・ジマー。以上、主要スタッフ5名は、すべて『トップガン マーヴェリック』と重なっています。ソニー・ヘイズを演じたのは、ブラッド・ピット。ルーベンをハビエル・バルデムが担当したほか、ジョシュアにダムソン・イドリス、ケイトにケリー・コンドンが扮しました。他にも、マックス・フェルスタッペンやルイス・ハミルトン、角田裕毅など、多くのレーサーが実名で出演しています。
僕は先週金曜日の午前中、Tジョイ京都で鑑賞してきましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
製作の布陣だけでなく、テーマ的にも地上版『トップガン マーヴェリック』とも言えるこの作品なので、重なるところはたくさんあります。ロートルがその分野の最前線に復帰し、あまりのゴーイングマイウェイっぷりで周囲と衝突しながらも、チームをまとめ上げていく物語は、もはや古典的ですしね。ただ、そこではっきり違いが出てくるのは、トム・クルーズとブラッド・ピットという主演スターの特性です。トム・クルーズのみんなが口をあんぐりしてしまう人間離れした完璧な雰囲気に対して、ブラッド・ピットの方はやっていることは同じく超人的ではあるんですが、過去の失敗や葛藤を内側に秘めた一匹狼的な魅力があるんですよね。今作はそのブラッド・ピットのオーラを映画そのものにまとわせることに成功しています。
そもそもがソニーは定職についていません。13歳で死んでしまった父親のことを思いながら、ギャンブル依存だったことを匂わせるようにトランプを手放さず、賞金稼ぎをしていろんなカーレースに挑んでいる。金は必要だが金持ちになりたいわけでは決してなく、優勝してもカップになんて興味もさらさらない。徹底してさすらい人であり、根無し草なんですよね。さながら西部劇で荒野を行くガンマンですよ。あるいは、劇中でも揶揄されているようにカウボーイみたいなアメリカっぽさを体現しています。そんな男がヨーロッパ的な金持ち文化の結晶とも言えるF1の最前線に出ていくわけですから、そりゃオールド・マンにとどまらず、チャック・ノリスみたいなおっさんって言われちゃうわけですよ。ただ、ソニーはウィットに富んだ皮肉やリアクションは取るものの、何を言われようと何をされようと、だいたいは含み笑いで華麗にスルーしていきます。そして、実力でねじ伏せることもあるものの、反則スレスレの姑息な手段もまったく厭わず実践します。自分の手柄を声高に主張することはなく、むしろそれを誰かに譲ったり、わざと隠す。反権威主義で、人間臭く、女性を丁重に扱い、時には自分ができた人間ではないことを吐露する。そんな美学が徹頭徹尾、文字通り最初から最後までブラピによって体現されているので、当初こそギクシャクしたりいがみ合ったり反発していたキャラクターも、オセロがどんどんひっくり返るようにしてソニーの魅力になぎ倒されていきます。もちろん、観客もそうです。そんなキャラクターを演じられるのは、ブラッド・ピットしか今はいないでしょう。
こうしてまとめてみると、漫画的というか現実味は薄い感じがしますよね。実際のところ、F1に詳しい人たちからのツッコミがいろいろ出ています。ブラピも実際にアラ還なわけですが、そんなレーサーがF1にあっさり復帰することはないです。そりゃ、もちろんフィクションですよ。こんなことあるわけないんですが、まだご覧になっていない人もこの作品のタイトル、及び表記を思い出していただきたい。F1というシンプル極まりない表記の後ろに、®マークが付いているんですよね。これはつまり、国際自動車連盟が全面協力して公認している、なんなら、現役レーサーのルイス・ハミルトンも共同製作に名を連ねているようなプロモーション・ムービーでもあるんです。マシンをどんどんぶっ壊し、ガソリンを撒き散らし、シーズン中は大量のスタッフを抱えたチームが地球上の大移動を続ける男性中心でマッチョな世界。そんなイメージの強いF1は、ここしばらく人気が低迷していたことは事実です。特にアメリカでは他のモータースポーツと比べても、人気が落ちていたところに、NetflixオリジナルTV番組の『Formula 1:栄光のグランプリ』が大衆的な評価を獲得して風向きが変わってきました。実際、F1は環境問題への取り組みも進めているし、業界全体でモータースポーツの持続可能性を模索している中、このハリウッド超大作に出資することで、人気を底上げしたいという思惑があったわけです。その結果として、本物のレースやサーキットにおいての撮影すらも許可されているし、フッテージも使えるし、高性能カメラをあらゆるところに取り付けられるしで、およそこれまでのレース映画では味わえない映像的な説得力と迫力を獲得できているんですよ。
せっかくの映像も編集が下手くそなら台無しなんですが、そこもすごい。これはソニーがF1に復帰する前のプロローグの部分にいきなり発揮されています。レッド・ツェッペリンの『Whole Lotta Love』をなんとフル尺で流しながら、デイトナ24時間のレースでソニーが優勝するレースを見せていくところがもう完璧としか言いようのないものでして、映画の制作チームも「このレベル・クォリティで2時間半ぶっちぎりますんで、そこんところよろしく」と言わんばかりの最高のシーンになっていました。つまり、マンガみたいなフィクション性を、誰も観たことのないようなリアリティのある映像で補強しているのがミソなんです。さらにF1そのものがバックアップして打ち出しているのは、このスポーツの楽しみ方ですね。レーサーひとりのがんばりじゃない。チームにレーサーが2人いること。マシンの開発やレースごとのタイヤの選択に象徴されるような作戦の立て方。ピット・インする時のメカニックたちの動きが代表的なチームワークの妙。それから、ここはやはりブラピが出ていた映画『マネーボール』とも通じますが、チームの運営の仕方も面白い。だからこそ、今作でも出てくるように、一度も入賞すらしていないようなチームが10位になっただけでも無茶苦茶面白いという、F1の楽しみ方がしっかり伝授されるんです。女性の描き方に不満がある批判があるのも頷けるっちゃ頷けますが、テクニカル・ディレクターのポジションやピットクルーやマシン開発に女性や多様な人種を配置しているように多様性への配慮も忘れてはいません。
まとめましょう。これは、時代遅れの負け犬がもっぺんやってやんぜというカムバックものであり、老獪なベテランVS生意気なルーキーという凸凹コンビを描くバディものでもあり、わかりやすいロマンスも盛り込みつつ、ストーリーテリングや映画の技術的にもF1のマシンのように見事にチューンナップしてあって、全体として味付けはコーラみたいに誰もがごくごく飲めるものにしてあるんですが、マッチョなイメージの世界を味わう罪悪感はうまく回避している点でコカ・コーラゼロのようだというとわかりやすいでしょうか。トム・クルーズよりはブラピ派の僕はまんまと爆アガリでしたし、大ヒットの首が痛くなるほど頷ける出来栄えでした。
音の面でも、この作品は抜かりがありません。ハンス・ジマーはレーサーのルイス・ハミルトンから運転している時の感覚や心理的な状況をたくさん聞き出して危険な雰囲気とエレガントさを両立させるアイデアを音楽的に凝らしたと語っています。そして、エンディングの大いなる喜びとソニーの人生の孤高っぷり、苦みという余韻を味わいながら聞くこの曲は最高でした。ドラムにデイヴ・グロール、ギターにジョン・メイヤーを招いたEd Sheeranの書き下ろしです。
さ〜て、次回、8月4日(月)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『MELT メルト』です。少女時代のトラウマを抱える女性のはかなくも美しい復讐劇をミステリータッチで描くリベンジスリラーとのこと。正直なところ、なんだか怖そうだったのでくじ引きの候補から外そうかと思ったくらいだったんですが、そういうのに限ってすぐ当たるものですね。心して行ってまいります。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!