京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『マンハント』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年2月16日放送分
『マンハント』短評のDJ's カット版です。

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男たちの挽歌」シリーズや『ミッション・インポッシブル2』などで知られる香港アクション映画界のの巨匠ジョン・ウーが、1975年に高倉健主演の映画化で中国でも大ヒットした西村寿行原作『君よ憤怒の河を渉れ』を再度映画化。

君よ憤怒の河を渉れ 男たちの挽歌(字幕版)

大阪に本社を置く巨大企業天神製薬の顧問弁護士として、国際的に活動する中国人ドゥ・チウ。社長の代替わりを祝うパーティーの翌朝、自宅ベッドには美人社長秘書の死体が転がっていた。身に覚えがない彼は、駆けつけた警察に逮捕されそうになったところを逃走。大阪府警の敏腕刑事、矢村は部下の百田とドゥ・チウを追うものの、事件の全体像に疑問を抱き始める。追いつ追われつだったドゥ・チウと矢村は、女殺し屋たちに横槍を入れられるうち、次第に力を合わせて事の真相を探るようになり、いつしかそこには奇妙な絆が芽生える。
 
矢村刑事役の福山雅治、ドゥ・チウ役の中国人俳優チャン・ハンユーというふたりの主役とともに、中国のチー・ウェイ、韓国のハ・ジウォン、日本からは桜庭ななみ池内博之竹中直人、そして監督とかつて共に仕事をした國村隼や監督の娘アンジェルス・ウーも出演。東アジアの豪華キャストが揃いました。
 
それでは、意見が面白いほど割れているこの作品を僕がどう観たのか。3分間での映画短評、今週もいってみよう!
 

試写を観たメディア関係者の前評判が、実は僕の耳にもいくつか入っておりました。たとえば「あの日本描写はさすがにどうだろうか」とか、「いくらなんでも脚本が…」とか。まあね、確かに予告を観ていても、なんかどっかで観たことある感じ、しかないよなぁ。でも、大阪舞台だし、市営地下鉄とか中央公会堂前での水上バイクとか、よく知ってる場所でどんな痛快アクションが観られるのか、それをメインで楽しむとするか。僕の期待はこんな感じでした。そんな僕の決して高くはない期待を、ジョン・ウーは高らかな、あまりに高らかな跳躍力で越えてきました。もうはっきり言ってしまいますが、僕はかなり「好き」な1本です。

 

そりゃね、なんじゃそりゃっていうところだらけです。たとえばですね…って、いっぱいあるんで、箇条書きにしますか。

 

刑事の矢村はともかく、ドゥ・チウは弁護士を廃業してもスタントマンとしてやっていけますってくらいに身体能力が高すぎます。

 

登場人物はみんなテレポーテーションできるんですよ。堂島川で盗んだ水上バイクでブンブン言わしてたと思ったら、その直後には大阪駅、そしてカットが変わったらもう新大阪から新幹線に乗ってます。財布もないのにどうやって移動したんだろう…

 

突然始まったあのだんじりみたいな祭りはいったいなんなんだ。

 

ノンストップすぎて、これは事件の勃発から何日目で、特に後半、ここはどこなのかすらよくわかりません。

 

女殺し屋コンビが英語で会話をしているのがなぜなのか、よくわかりません。そして、組織にどれくらいメンバーがいるのかもさっぱりわかりません。

 

桜庭ななみ演じる新米百田の到着がいつも遅すぎる。

 

クライマックスへと進む一連のシーンで、聞いてた設定を、というか、人間の能力を完全に凌駕する怪物が出てきて唖然とする。

 

あと、技術的なところで、特に日本の観客に違和感があるだろうってのは、あちこちで現地録音じゃないアフレコを採用してまして、ちょいちょいリップシンクロができてない。

 

チー・ウェイ演じるヒロインの真由美が、日本と中国のダブルという設定なんだけど、あれたぶん、彼女のネイティブじゃない日本語を話す時には、声優を使ってると思うんですね。同じ人に思えないし、セリフも何か必要以上に押しの強い感じで、なんかおかしいです。

 

まだあるけど、この辺にしときます。でもね、こうした普通の映画と比べたら、余りある粗も、語弊を恐れずに言えば、むしろ魅力なんではないか。そう思えてきたんです。さらに言えば、こうした粗はウー監督、百も承知じゃないのかと。

 

監督はインタビューでこう語っています。「ロマンチックで漫画的なところも要所に盛り込みました。リアリティを追求するよりも絆を感じてもらうことに重点を置いた」。

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そう、リアリティじゃないんですよ。ジョン・ウーのサインとも言える鳩、二丁拳銃、乗り物アクション、スローモーション、ストップモーションなど、そうした要素ももちろん随所にありまくって、しかも一工夫加えてバージョンアップしてあるんですが、そこは今はとりあえず触れずにおくとして、とにかく驚くのはスピードです。ワンショット内のカメラワークも、ショットごとの編集も、場面転換も、すべてが早い! はっきり言って話はどっかで聞いたことのある感じですよ。だからでしょうね。説明とかいちいちしません。ここで目があったら、惚れるでしょ、そりゃ。こいつはここで、逃げないとダメでしょ、みたいな。観客の理解にギリギリ追いつかれないように、映画自体がドゥ・チウのように逃走するんです。映画というメディアにできるありとあらゆるテクニックの合わせ技で。

 

今回色んなレビューを読む中で、うまいこと言うなぁと思ったのは、福山幸司さんという方の「いかなる映画にも似ていて、いかなる映画にも似ていない」という表現。そうなんです。ひとつひとつの要素に目新しさはないのに、組み合わせると、見たこともないものになる。

 

まずは見てください。この脅威の映像を。潤沢な予算で撮影された、見たことのない大阪を。見たことのない福山雅治を。僕はアドレナリンが吹き出しましたし、これが大阪で撮影されたこと、誇りには思わないけど、嬉しくてたまらないです。ありがとう、ジョン・ウー

さ〜て、次回、2月23日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『グレイテスト・ショーマン』。いよいよやってまいりました! なんだけど、アカデミーには絡んでないし、評判も悪くはないとはいえ… どうなんでしょうね。ま、フラットに観てまいります。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

『スリー・ビルボード』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年2月9日放送分
『スリー・ビルボード』短評のDJ's カット版です。

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第90回アカデミー賞では、作品賞、脚本賞、主演女優賞など、6部門7ノミネートの話題作。
 
原題はThree Billboards Outside Ebbing, Missouri。アメリカ中部、わりとど真ん中にあるミズーリ州。エビングという架空の田舎町のさらにまた外れ。幹線道路からもそれた道路沿いで放置された3枚の看板に、ある日シンプルな言葉が掲げられます。「レイプされて殺された」「犯人逮捕はまだ?」「なぜ ウィロビー署長?」何者かに娘を殺害された母ミルドレッドが、事件を解決できない地元警察への抗議を表明したものでした。これを快く思わない警察、住民、そして広告会社の間に軋轢が生まれ、事態は予想もつかない展開を見せていく。
 
監督・脚本・製作を手がけるのは、マーティン・マクドナー。日本ではまだあまり知られていない人ですが、実はイギリスとアイルランドの国籍を持つ劇作家。あちらでは現代の最重要演劇人として認識されている人でして、映画はこれが長編3本目。昨年夏のヴェネツィア映画祭では脚本賞も受賞しました。

ファーゴ (字幕版) 猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー) (字幕版)

復讐心に燃える母ミルドレッドを演じるのは、『ファーゴ』でアカデミー主演女優賞を獲得したフランシス・マクドーマンド。そのミルドレッドに名指しで批判されたウィロビー署長を、昨年の『猿の惑星:聖戦記』で大佐だったウディ・ハレルソンが演じます。さらに、その部下の「困った警官」ディクソンには、『グリーンマイル』や『チャーリーズ・エンジェル』のサム・ロックウェルが扮しています。
 
それでは、先週の『デトロイト』と似通ったテーマもありつつ、3という数字が鍵となるのも似ている作品の3分間映画短評、今週もいってみよう!

もう結論から言いますが、恐ろしくよくできた映画です。先週の『デトロイト』で話した、「こういう人種差別は50年前から変わってない」という警察の性質もそうだし、戦争からの帰還兵の問題、DV、宗教、ジェンダー、メディア、復讐、罪、許し、尊厳など、重い内容をすべて入れ込んでいるにも関わらず、ほのかなユーモアをまぶしたエンターテイメントとして成立させています。結局犯人は誰なんだというミステリー的な軸を据えて、先の読めない脚本で観客の興味をグイグイ引っ張るんですけど、思い返せば、あそことここが繋がっているじゃないかという、映像面、小道具、台詞回しのレイヤーの重ね方があってのことなんですよね。

 

具体的に話したいんだけど、これが難しくて、芋づる式に話が転がっていくんで、ネタバレを考慮すると控えないといけないのがもどかしい。なので、ここを観ると面白いんじゃないかというポイントをいくつか。

 

まずは、色です。3枚の看板は、濃い赤地に黒い文字でした。ミルドレッドも、赤い服をみにまとう。彼女が活ける花も赤。そして、人の名前。これは怒りを暗示するし、血や炎といった物語上のモチーフとも重なります。この赤色に、当然ながら陰影が加わりますから注目ください。

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そして、物語的なポイントは、怒りの矛先のズレです。登場人物は総じて、不満や不安を抱えていて、意識的であれ、無意識的であれ、そのフラストレーションに突き動かされて、理性的とは言い難いアクションを起こします。何か突飛な行動が起こった時に、その原因となる気持ちがどこに向かっているものなのか。その因果関係がたいがいねじれてるんです。そのズレに着目すると、この作品が訴えようとしていることがより顕になる気がします。

 

確かに人間は人種や育った環境などによって、映画的に言えばキャラ分けされます。僕らも「あの人はああいう人だから」と決めてかかること多いですよね。けれど、当たり前ながら、人間には様々な事情があって、そんな簡単に色分けなんてできない。平たく言うと、人間はそう単純じゃないってことです。

 

さっき言ったひとつひとつのアクションの矛先のズレが、各キャラクターの裏表、だけじゃない、幅と変化・成長の兆しを導き出していくことになる。相当高度な脚本でした。

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もうひとつ付け加えると、宗教的なモチーフとも絡んで、3という数字は大事でした。ネタバレになるから挙げられないけど、三位一体、東方の三博士など、キリスト教を連想させるし、そう考えるとウィロビーがある行動を取る場所も明らかに宗教的なことを踏まえています。それも踏まえて、登場人物たちは、大なり小なり、みんな何かの罪を犯しているんですよ。できた人間なんていない。

 

そんな出来損ないの僕たちが人間が群れて暮らし、怒りや復讐に燃えるばかりで、救いはないのか? この映画はしだいに「許すこと」へとテーマをスライドさせていきます。許すためには、まず冷静な心を持ち続けること。これが大事なんだ。できそうでできないことですよ。平静を保つこと。まさかこの映画にそれを説得力たっぷりに示してもらうことになるとは… ぜひ『デトロイト』とセットでご覧になって、じっくりと考えてみてください。余韻も含め、最高の映画体験を保証します。

サントラも良かったんですが、僕がこの映画から受け取った「落ち着いて判断しろ」というメッセージを受けて、こんな曲をオンエアしました。

 

まあ、自分で言うのもなんですが、今回の短評はちょいと「逃げて」ますね。ラジオでのネタバレが怖くて。未見のリスナーにも振り回されてほしくて。なんですが、僕もまだまだ。いっそう精進します。

 

さ〜て、次回、2月16日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『マンハント』ジョン・ウー監督で福山雅治。さらには、大阪ロケ。正直、期待と不安が交錯してドギマギしております。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 

『デトロイト』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年2月2日放送分
『デトロイト』短評のDJ's カット版です。

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1967年夏。アメリカのデトロイトで黒人たちの大暴動が発生。略奪や放火が相次き非常事態が宣言された騒乱2日目の夜、銃声を聞きつけたデトロイト市警は、ミシガン州警察、ミシガン州兵、民間警備員とともに、音の発生源だとされるアルジェ・モーテル別館を強制捜査。警官数名がモーテルの宿泊客を拘束し、手順と人権を無視した暴力的な尋問が始まってしまう。

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地元の民間警備員に扮するのは『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』でもおなじみ、ジョン・ボイエガ、要するにフィンです。そして、尋問をエスカレートさせてしまうデトロイト市警の白人警官を演じるのは、『レヴェナント 蘇えりし者』でひとり若かかったあいつ、ウィル・ポールター。
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監督は『ハート・ロッカー』や『ゼロ・ダーク・サーティ』を手がけた女性のキャスリン・ビグロー。脚本は、その2本でもペンを握ったマーク・ボールが担当しています。
 
アカデミー賞のノミネートが発表されるまでは、受賞最有力と言われていたこの作品。蓋を開けてみると、主要な賞どころか、テクニカルな部門を含め、ノミネートひとつもなし。アカデミーにかすりもしなかったという驚きの結果となりました。そんな中、拍子抜けだなと思いながらの鑑賞でしたが、さすがにビクロー監督最新作とあってか、劇場はかなりの映画ファンが詰めかけていましたよ。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!
 

映画は概ね3幕構成で進みます。プロローグでアニメーションとナレーションを使って60年代に至るまでのアメリカにおける黒人迫害、搾取の経緯を簡潔に見せておいてから、暴動が何を引き金に起きたのかを見せる1幕。メインとなる2幕は、アルジェ・モーテルでの警察の暴走。そして、警官たちがいかにしてその後裁かれたのかを見せる法廷劇を中心にした後日譚が3幕です。お話の構成はこのようにオーソドックスなんですけど、語りの視点は結構複雑でして、主人公は誰だって聞かれると答えづらいんです。挙げるとするなら、こちらも数字は3。モーテルにたまたま居合わせてしまった面々を代表して、実在するボーカル・グループ、ザ・ドラマティックスのボーカル、ラリー。そのラリーを含む宿泊客たちの中に警官隊を狙うスナイパーがいるはずだと見込みで尋問を開始する警察官クラウス。そして、同じくモーテルに居合わせる黒人なんだけど、民間の警備員という立場なので、白人と黒人のパイプ役、調整役を買って出る男、ジョン・ボイエガ演じるディスミュークス。

 

こういう風に立場の異なる人物たちを効果的に配置し、巧みな編集によって、実は今も真実は藪の中というこの事件を極力客観的に検証しようというビクロー監督の意志の表れでしょう。

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彼女の作家性とも言えるテーマは今作でも発揮されていて、それは僕に言わせれば、何らかの権力を持つ人間がひょんなことから狂気をみなぎらせてしまうことでしょう。今回は白人警官のクラウスですね。彼も警察という公権力を笠に着て一線を越えてしまう。あれよあれよという間に。ビグロー監督が得意なのは、手持ちのカメラを駆使して、さも現場に立ち会っているかのような感覚を観客に味わわせることです。と、ここまでなら、これまでの彼女の作品にも共通しているのですが、一歩進めてきたなと感心したのは、クラウスの狂気のみに集中せず、言わば巻き込まれた被害者のラリー、そして恐らく監督の立場に近いだろう警備員ディスミュークスの冷静さを交えることで、なぜ歯止めがかからなかったのか、なぜあれよあれよという間にどえらいことになったのか、そのプロセスとなる事情までをも示していることです。

 

たとえば、州の警察が人権無視の暴力に気づく場面。結局は、自分に火の粉が降りかかるのが嫌で臭いものには蓋をしてしまいます。そういう縦割り事なかれな権力組織の構造だったり、良心的な人物がいようとも組織の体面が優先されて事件のもみ消しが行われる様子だったり。それを目の当たりにした時の僕らの無力感ときたら…。ともすると、この『デトロイト』は、海の向こうの、しかも50年前の、つまり僕ら日本の観客からは遠い話に思えるかもしれないけれど、こういう見て見ぬふりや組織ぐるみの保身というのは、いじめ問題や警察、そして会社などの汚職問題とそっくりなんですよ。異分子排除のためなら、でっち上げだろうと何だろうとやみくもに実行してしまう様子は、日本も含めて戦時中に行われた諸々の弾圧も思い浮かべてしまいました。それぐらいに、普遍的な話でもある。

 

実際の事件を検証しているし、過度に黒人側に肩入れすることなく、好感のもてるバランス感覚で多面的に話を進めているし、映画を作る上での技術も、俳優たちの演技も、間違いなく一級品です。悪役クラウスを演じたウィル・ポールターについては、それこそアカデミー賞ものです。アカデミーが無視するなら、マサデミー賞で讃えたいですよ。

 

にも関わらず、実は僕もどうにも痒いところに手が届かないなと観ながら思ってしまったのは、さっきと矛盾するようだけど、バランスが悪いからなんです。何のバランスって、話の配分です。いくら監督お得意の手に汗握る暴力演出ができるとはいえ、あの尋問・拷問シーンに40分は時間をかけすぎです。あの部分は半分にして、たとえばクラウスの家庭環境や黒人差別感情が芽生えた理由を描くとか、ディスミュークスがなぜあんなに理性的でいられたのかも見せるとか、ザ・ドラマティックスのラリーは比較的しっかり踏み込んでたけど、白人が牛耳るショウビズ界への黒人のあこがれをもうちょい強調しておかないと、ラリーのその後へのフリとして少し弱い。さらに、あの裁判にしたって、陪審員の議論は完全に端折ってますけど、そこは入れておいた方が説得力を増すと思うんです。

パトリオット・デイ(字幕版)

わりと最近このコーナーで扱った作品を引き合いに出すなら、お手本は『パトリオット・デイ』です。かなりの人数を登場させる群像劇の見せ方として、交通整理もできてたし、それぞれ深く掘り下げきれないにしても、観客に想像させたり考えさせたりする材料は出し切っていたと思うんでね。

 

とはいえ、『デトロイト』を今スルーするのは賢明じゃないです。僕も色々言ったけど、相当高いレベルでの話です。差別される側の無力感。組織をバックにした個人の理性のタガが外れる様子。こうしたテーマを、誤解を恐れずに言えば、面白く見せてくれる力作です。

あのファレル・ウィリアムスが在籍するN.E.R.Dとケンドリック・ラマーがコラボする“Don't Don't Do It”をオンエアしました。あのラリーも参加しているサントラからピックアップすることも考えたんですが、グラミーを席巻したケンドリック・ラマーということも念頭に入れつつ、あれから50年近く経っても、「アメリカの社会体質は変わってないんじゃないか」ということを伝えたく、こちらにしました。一昨年、またしても起きてしまった、警官による丸腰の黒人男性射殺事件を受けて作られたナンバーなんです。ここで曲の解説をする余裕はありませんが、こちらの記事などをぜひ参照ください。

さ〜て、次回、2月9日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『スリービルボード』。また重そうだぁ。でも、今度こそ、間違いなくアカデミー賞最有力!? ま、そんなことは抜きに、あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく! 既に試写会で作品を観ている局のスタッフから、ニンマリ顔で先日言われたのは、「どう喋ってもネタバレしそうやから、DJがどう紹介するのか気になるわぁ」。そうか。そうなのか! 不安が募るぜ。

 
 

映画『嘘を愛する女』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年1月26日放送分
『嘘を愛する女』短評のDJ's カット版です。

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食品メーカーに勤務するバリバリのキャリアウーマン川原由加利は、東日本大震災の日に都内で知り合った研修医の恋人小出桔平と同棲5年目。そろそろ結婚も視野に入ってきたある日、小出がくも膜下出血で意識不明に。病院に駆けつけた由加利が警察から知らされたのは、小出桔平という名前が住民票に見当たらず、彼が何者なのかわからないという事実。小出がベッドで眠り続ける中、やり場のない怒りと疑問に突き動かされた由加利は、探偵の海原と彼の身元調査を始める。
 
この作品は、TSUTAYA CREATOR’S PROGRAMという2015年第1回の映画企画発掘プロジェクトでグランプリに選ばれた中江和仁(かずひと)監督の原案を映画化したもの。岡部えつのペンによる小説版が徳間書店から先に世に出ていました。中江監督はこれが長編初メガホン。1981年生まれで、僕と同じ滋賀県出身。これまでは、ゆうちょ銀行やローソン、サントリーなど、大手企業のCMを手がけたり、ハンバートハンバートなどのMVを手がけ、高く評価されてきたところで、満を持しての映画デビューとなります。
 

川原由加利を長澤まさみ、小出桔平を高橋一生が演じるほか、探偵には吉田鋼太郎が扮しています。他に、TSUTAYA CREATOR’S PROGRAM審査員だった黒木瞳やDAIGO、そして川栄李奈らが印象的な役柄で登場します。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!

予告編を観ると、ミステリー色が強い印象を受けると思うんですが、「思ってたのと違う」作品でした。良くも悪くも。いや、「悪くも」成分がちょい多めって感じかな。もちろん、「この男の正体は?」という謎解きの軸はあるんだけど、思った以上に探偵と由加利のコミカルなバディームービー感と、後半からは瀬戸内を舞台にしたロードムービー色が強まっていく。
 
ロードムービーというのは、その旅の間に起こる登場人物の人間的な変化を描くのに適したジャンルですけど、これはその典型で、追いかけているのは恋人の過去なんだけど、その謎をガソリンとして、由加利自身の心の旅を描いています。
 
中江監督、なかなか繊細な演出ができる方だなと僕が思ったのは、必要最小限のカット数と、削ぎ落としたセリフで、かなりの情報量を詰め込んでくるんです。特に序盤、ふたりの出会いから、小出が倒れ、探偵に調査を依頼するところまでの手際が良い!
 
地下鉄のホームで具合の悪くなった由加利がしゃがみ込む。彼女の低くなった視線から、雑踏の中、足を止めて、少しためらった後にこちらへ近づいてくる男性もののくたびれたスニーカー。その後、小出は由加利に靴を貸しますね。彼女はヒールの高いシャレた靴を履いてますが、それが災いして瀬戸内では靴ずれとなって裸足に… 言葉は使わず、小道具を活用するのはマジンガーZのくだりも同様でした。
 
それから、彼が小出という偽名を名乗った理由に気づくところも映像だけでポンと提示してくるし、ふたりの会話においても、由加利が仕事一筋で家事には一切気の回らない女性であることを、小出の「あ、それならシンクの下にあるから」なんて一言だけで観客に悟らせる。
 
思った以上に早く意識不明になってしまう小出ですが、影のある佇まいがはまり役の高橋一生をそのまま出さないのはもったいなさすぎますね。ご安心ください。出てきますよ。回想シーンなんだけど、これがまったく野暮ったくなくて、特にタイミング、シーンの並べ方が、由加利の脳内を映すようで、しっかり映画的でした。
 
と、この調子で進んでくれれば良かったんですけどね… 前半がソリッドな分、「なぜこうなった?」という、余計な謎が僕の中でいくつか膨らんだことも指摘しておきます。

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小出が通っていた喫茶店のゴスロリ衣装のぶっ飛んだウェイトレス心葉が登場する一連のシーン。面白いところもないとは言わないけど、最終的に彼女について触れないんであれば、丸ごと割愛すべきでしょう。
 
由加利が瀬戸内で取る突発的な行動の数々は、「ここでこう迷った方がいいよね」という、作り手のご都合をうかがわせるようなものが多いうえ、「地道な調査をしました」という聞き込みの展開にはバリエーションと物語的展開が少ないからテンポがダレてしまう。映像は美しいんだけど、瀬戸内の風光明媚さに監督がのまれていると思わざるをえない画作りが目立ちます。それこそ、CMっぽいんですよ。
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探偵の車が動かなくなる場面にいたっては、苦労してますっていうのを出しすぎていて、笑わせようとしているのか何なのか… 
 
肝心の謎が解けても、彼が何のためにあの文章を書いていたのかとか、5年という長い歳月に及ぶ同棲生活における彼の心理状況は結局ぼんやりしているので、どうにも現実味を持って迫ってこないのは決定的な問題でした。主人公が由加利だとはいえ、彼女を変えるファクターははっきりさせてもらわないと、もやもやします。
 
とはいえ、終盤でやおら立ち上がってくる労働環境の問題意識とテーマ設定は、深めきれてはいないもののアクチュアルだったし、最初に言ったように、由加利の変化、というか、あの打算的な女っぷりからの人間的成長は描けていました。
 
「思ってたのと違う」ところに観客を連れて行こうという狙いはとてもいいし、それが成功している部分もあるんですけど、その狙いに物語そのものが振り回された結果、良くも悪くもの、「悪くも」が目立ち、時にあの探偵の車同様、自損事故を起こしています。
 
この話なら、あと20分は短くして、序盤の鮮やかな映像さばきを徹底して描き込めば、またかなり違う印象になると思います。厳しく評しましたが、中江和仁という将来有望な監督のデビューを劇場で観ておく意義は大きかったです。

ここではほのめかす程度にしか描かれていませんが、日本の深刻な医師不足と、それに伴う医師(特に勤務医)の労働環境の悪さは大きな問題となっています。別に社会派の映画にしろとは思わないけれど、もう少しそこに切り込むとピリリとしたかな、とも。

さ〜て、次回、2月2日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、キャスリン・ビグロー監督の『デトロイト』です。我らが「フィン」ジョン・ボイエガの活躍やいかに! あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 

映画『悪と仮面のルール』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年1月19日放送分
『悪と仮面のルール』短評のDJ's カット版です。

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主人公の久喜文宏は、久喜財閥の当主である父から、自分が純粋な悪である「邪」となることを望まれて生まれてきたのだと伝えられる。ある日、文宏は、久喜家の養女香織が父に汚されそうになっているところを目撃。両想いだった文宏と香織。文宏は彼女を守るために父を殺害するものの、自分がだんだん父親に似てきていることにおののき、彼女と離れて暮らすことを選択。成人して整形した文宏は、新谷弘一と名乗って別人になりすまし、香織を見守り始めたところ、彼女に悪の手が及んでいることを知る。

悪と仮面のルール (講談社文庫) 

原作を読んでいる方も多いでしょう。中村文則の同名小説は、2013年にウォール・ストリート・ジャーナルのミステリーベスト10に選出されていて、海外でも人気があります。久喜文宏と新谷弘一を演じるのは、玉木宏。ヒロイン香織を新木優子。出演者は他に、吉沢亮中村達也光石研柄本明など。
 
監督は中村哲平。1979年生まれですから、映画監督としてはまだ若い。アメリカで映像演出を学んだ彼ですが、日本ではコマーシャルやMV、音楽もののドキュメンタリーを主に手がけています。わかりやすいところでは、スーパードライのCMを作ってる人ですね。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!

雰囲気のある映画でしたね。中村監督と撮影監督の鯵坂輝国さんがタッグを組んだシャープでスタイリッシュな映像感覚は、しびれるものがあるなと感心していました。鯵坂さんは最近だと『HiGH&LOW THE MOVIE』の仕事で知られる方で、「さもありなん」ていう感じがします。EXILE TRIBE浜崎あゆみMr. ChildrenなんかのMVも撮ってますから、構図がバチッとキマった画作りと、光の扱いに長けた方で、ショットが代わるごとに、見ごたえのある画面を提示してくる。目指したのは、東京を舞台にしたノワールなんだと思います。暗い画面、青白い光、退廃的なクラブなどなど、およそ人間味とか生活感からかけ離れたビジョンをキープしていました。

HiGH&LOW THE MOVIE 

構図にこだわっているからか、カメラはあまり動かさないんですよ。中村監督は自分で編集もしているので、ワンショット内での動きよりも、ショットの切り替えによって、つまりは編集でリズムを作っていくんだという意欲がうかがえます。画面内の動きで面白かったのは、新谷弘一が、雇っている探偵の車に乗って、ビルの地下駐車場をうろうろ進むところ。絶え間ないハンドルの動きと、フロントガラス越しの無機質なコンクリート、そこを照らす蛍光灯の寒々とした灯り。不穏で謎めいていて、観ているだけで困惑してしまう雰囲気をみなぎらせていました。

 

今時の映画では珍しいくらいタバコを吸う新谷弘一。邦画では踏み込んでいると言えるエロス。直接は見せられてないのに顔を背けたくなるバイオレンス。健康そうには見えないけれど、色気ある大人の魅力を醸し出す光の当て方で捉えるクロースアップ。などなど、なるほど、これは目指しているだろうノワール描写にかなりのレベルで接近しているなと、あちこちで酔いしれることができました。

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以上、一定の評価を示してきた映像スタイルの空回りこそ、僕は本作の大きな特徴だと考えています。問題は脚本と演出に別れるんですが、まずシナリオからいきましょう。サスペンスやミステリーってのは、他のジャンル以上に、ストーリーの情報の出し方を抑制するというか、情報の量と順番について吟味して、観客を操作・誘導する必要があるわけですけど、これはただ出し損ねてるだけっていうか、観客に想像させるも何も、「こっちが興味を持ち続けるのがしんどいわ」ってくらいに、あえて語ってないことが多すぎる。久喜家の家族構成、年齢、総資産。新谷弘一が刑事に容疑者とみなされている8年前の事件にいたっては、もうほとんど明かされません。

 

そして、僕が最大の失敗だとみているのは、整形で手に入れた新谷弘一という仮面の前の顔、つまり久喜文宏の顔を、少年時代しか見せていないことです。恐らくもぐりだろう医者との会話で、整形直後の戸惑いにも触れられてたから、「相当変わったんだろうな」くらいに想像して、あえて見せないんだなと、とりあえず飲み込んで観てた僕は、だんだんわからなくなりました。というのも、8年前から彼を追っている刑事は、「あなたは人相が変わった」と言いつつも、ちゃんと認識できてるんですよ。ということは、あの整形手術はいつ行われたの? って疑問が湧いてくるし、一方で、文宏と親しかった人ほど、新谷が文宏だとわからないんですよ。どっちやねん! それもこれも、前の顔が確かめられないことに原因があるわけでしょ?

この整形の件については、リスナーから後日指摘をいただきました。僕はてっきり、新谷弘一という「架空」の人物になりすましたものだと思っていたのですが、どうやら「実在した」人物になりすましたのが正解なようです。刑事が追っていたのは、文宏がなりすます前の「本物」の新谷なのだとしたら、確かにつじつまが合います。ただ… そういうややこしい設定なら、もっと誰にでもわかるようにうまく情報出してよ! 自分の映画読解力の限界を感じましたよ、まったく! (2018-01-21追記)

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あと、声はどうなのよ? 声って人を認識する大きな要素だから、声が一緒なら、親しい人は気づくでしょうよ。こういう疑問がノイズになって、もうクライマックスのあのふたりの長い会話においても、「さすがに気づくんだよね?」って思って見てしまうから全然集中できないんです。

 

それから、物語の核である「邪」という概念なのか存在なのか、とにかく邪についての説明がなさすぎるんだよなぁ。なんとなく、すごく悪い人、ぐらいなの。だから、名前と顔を変えて邪ではない自分を獲得しようとするほどの新谷弘一=久喜文宏の葛藤がこちらに迫ってこないんですね。それに、大財閥のわりには、出てくる具体的な数字が3000万円とか億止まりなんで、邪悪さのスケールも伝わらない。その辺はある人物の言葉によって補われるんだけど、それがまた言葉だけなので、いまいちピンとこない。

 

演出面の難点は、ここ一番っていう大事なシーンになると、途端に登場人物に動きがなくなることです。喋るんだけど、ずっとじっとしてる。これは映画の醍醐味の放棄としか言いようがなくて、さすがに問題です。

 

というように、脚本の練り上げ不足が演出にも波及して、せっかくのスタイリッシュな映像も上滑りしてるんですね。面白そうなんだけどっていう… 次の監督作では、中村さんがもっと登場人物を(物語的に意味のある)アクションで動かしてほしいなと期待しています。

さ〜て、次回、1月26日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『嘘を愛する女』です。邦画、原作あり、監督が30代と、今週と共通点の多い1本。またしても、まっさらな状態で観に行ってきます。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『キングスマン:ゴールデン・サークル』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年1月12日放送分

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謎の組織ゴールデン・サークルから攻撃を受け、壊滅に近い打撃を受けたイギリスの独立スパイ機関キングスマン。残ったメンバーは、前作で立派なエージェントになったエグジーと、その教官にしてガジェット担当のマーリンのみ。ふたりは提携するアメリカの機関ステイツマンに協力を依頼して事態の打開を図るのだが、そこになんと前作で死んだはずのハリーが姿を現して、さぁ、どうなる!?

キングスマン(字幕版) キック・アス (字幕版)

007やミッション・インポッシブルの新作など、スパイ映画の当たり年だった2015年に公開されて大きな話題を振りまいたスパイ・アクション『キングスマン』の続編。監督・製作・脚本すべてにクレジットされているマシュー・ヴォーンは、前作から続投。『キック・アス』の監督ですね。原作マーク・ミラーというのも、同じ。良いコンビ感が出てきたふたりって感じです。ハリーのコリン・ファース、前作の出演でブレイクしたエグジーのタロン・エガートンが続投するのはもちろんのこと、今回はゴールデン・サークルという敵対組織のボスをジュリアン・ムーア、ステイツマンのエージェント「テキーラ」をチャニング・テイタムが演じます。そして、エルトン・ジョンカメオ出演も話題となっていますね。
 
前作を番組で短評できなかったのが悔しかった僕です。映画の女神様からのお告げを手ぐすね引いて待っておりましたよ〜。
 
それでは、3分間の映画短評、今週もいってみよう!

Manners maketh man. 礼儀が紳士を作る。英国紳士のエレガントな身のこなし。荒唐無稽なガジェット。エキセントリックな敵。

 

前作『キングスマン』が土台としていたのは、ロジャー・ムーアがボンドを演じていた007おバカ路線。(007を監督できなかった)マシュー・ヴォーンが、古き良きお気楽B級スパイ映画を2010年代に蘇らせたわけです。ただ、ボンドとは違い、主人公のエグジーはトレインスポッティング的な労働者階級出身。そんな彼を、父親代わりのメンター、ハリーが導いて一流のエージェントに「仕立てる」『マイ・フェア・レディ』的な軸があって、そこに下品な言葉づかいや悪趣味なグロテスク描写といったブラックな笑い、そして主にアメリカの保守的な価値観への痛烈な皮肉を盛り込んでいました。つまり、自分の愛するジャンルを土台に、「今俺がやるならこうしよう」っていうアップデートがきっちりできていた上、やたらリアルだったりアート寄りだったり、良くも悪くも重厚な作品が多かった最近のスパイ映画の中にあって、とにかく目立つテイストだったということもあり、2015年を代表する作品になったわけです。

 

それがゴールデン・サークルでどうなったか。続編のマナーってのがあるわけですよ。前作で登場した人気キャラや道具を反復して出して「待ってました」とファンを喜ばせつつ、そこに差異、バリエーションを加えていく。反復と差異。リピートとバリエーション。この作品はしっかりそのマナーを守ってる。言わば、Manners maketh film. ですよ。

 

前回はエグジーがキングスマンという謎の組織にリクルートされ、観客と一緒に驚きながら成長していきましたが、今回はそれがステイツマンへにスライド。マッドなラスボスは黒人から女性へスライド。スマホを使った人類壊滅計画から、ドラッグを使ったものへとこれまたスライド。下手すると丸め込まれそうになってしまう敵の口のうまさは反復する。ハリーの復活劇と彼のアクションにも反復と差異を詰め込む。

 

まさにマナー通り、とても丁寧に作られてる。さらに、話の規模は大きくなってるし、キャラも増えてる。しかも、マシュー・ヴォーンはこの種の映画を熟知してるから、先週僕が言ったシーン同士の繋ぎにも必ず工夫があるんです。だから、話がすいすい進んで140分という尺も気にならない。さすがですよ。声を出して笑うところがかなりありました。

 

ただですね、続編マナーを徹底したがゆえの宿命的な問題点を見過ごせないことも事実でして、簡単に言うと、あれもこれもと手を出しすぎた結果、特に後半はまとまりに欠けてます。

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話を複雑にしすぎ。今回のテーマは恐らく、罪と罰なんです。罪を憎んで人を憎まずっていうことと、罪を裁くのに個人的な感情を挟むのはダメなんだと。スパイたちも、政治家も、みんな個人の事情と感情を持ち出してましたよね。報復とか復讐とか、手っ取り早く誰かを排斥するとか。フィリピンのドゥテルテとトランプをまとめて風刺するようなあのアメリカ大統領を出してましたね。そして、裏切りがあったり… 要するに悪者をあちこち増やしすぎて、倒してもカタルシスが弱いんです。テーマは面白いし、深くもできるけど、いくらなんでもこの1本でそれをすべて丁寧にやるのは風呂敷広げすぎ。いくらできる男ヴォーンでも、それは無理!

 

最初の編集では、今より1時間20分も長かったらしいんですよ。誰か彼を止めてあげて! ヴォーンにカットをかけて! 逆に1時間20分カットしてよく成立させたなった驚くわ! でも、それが故の雑に見える性急な部分ってのがあったのは残念でした。ありえないけど、ありえるかも、いや、やっぱありえない。そんな絶妙なバランスだった前作に比べ、今回は力が入りすぎたのは否めません。

 

って、色々後から考えて言ってるけど、観てる間の僕は、両手親指立てっぱなしの大興奮だったことを最後に付け加えておきます。

でも、ハリーが実は生きてましたっていう、あの説明的な部分、というか、あの熱さまシートみたいなガジェットは、僕はしらけちゃうんだよなぁ。あれがありなら、頭をぶっ飛ばさない限りは誰でも生き返るじゃないか! それに「これは映画じゃない」っていう、前作の悪役ヴァレンタインの決め台詞がひっくり返っちゃうじゃんかよ… ん? 待てよ。ひっくり返ったってことは、「これは映画だ」ってことになるから、今回のつじつま合わせを諦めたような部分も… って、考えるのはやめよう。

 

最後に、僕が今回爆笑したガジェット、ベスト3
第3位 キングスマン・タクシーの横移動機能
第2位 野球のバットが地雷探知機
第1位 コンドーム型粘膜専用GPS

 

それにしても、今回のMVPはエルトン・ジョンですね。ナイトですよ。サー・エルトン・ジョンですよ。どれだけFu○kを連呼するんですか! 現在70歳の彼の飛び蹴りは、他のどのアクションも曇るくらいに眩しかったです。

さ〜て、次回、1月19日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『悪と仮面のルール』です。原作を読んでいない僕。まっさらな状態で観に行ってきます。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 
 

『カンフー・ヨガ』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2018年1月5日放送分
『カンフー・ヨガ』短評のDJ's カット版です。

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ジャッキー・チェンが製作総指揮と主演を務め、『ポリス・ストーリー3』などジャッキーとこれまでもタッグを組んできたスタンリー・トンが監督するアクション・アドベンチャーです。
 
主人公のジャックは中国を代表する考古学者。彼は、同じく考古学者でヨガの達人でもあるインド美女のアスミタから、1000年前のインドと中国の間で起きた混乱の最中で失われてしまった財宝探しをもちかけられます。ふたりは仲間たちと一緒に旅を始め、中国、インド、ドバイ、アイスランドと世界を巡っていくことになります。
 
中国とインドの合作ということで、当然ながらインドの人気俳優であるソーヌー・スードも出演。ちょうど1年前に中国でまず封切られて、その後インドなどアジア各地、そして欧米にも公開が広がり、ジャッキー・チェン主演映画としては過去最高の興行収入を叩き出しています。
 
それでは、3分間の映画短評、精神統一して今週もいってみよう!

もともとサービス精神旺盛なジャッキーですが、「観客が喜びそうなものを全部入れてしまおう」という発想で、ただひたすら足し算をして作られた作品です。
 
タイトルからそうじゃないですか。カンフー+ヨガ。それから、人気グループEXOのメンバーもキャストに加える美男美女も足してます。男女問わず、インド人も中国人も、めっちゃきれいです。ここまできれいな人ばかり出る映画も久しぶりですね。演技力より、圧倒的な美しさ。そんなキャスティング。モチのロンで、軽〜いラブコメテイストも足しときます。

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足し算要素を、僕も足し算形式でどんどん挙げていきますよ。千年前の中国唐とインド天竺の壮大な戦闘シーンも足した〜。象とか出てきて盛り上がるでしょ? そこに、みんな大好きなゲームっぽいCGを足した〜。
 
カーチェイスももちろん足した〜。ドバイの王室が高級車とかバンバン提供してくれたんで、どんどん画面に出した〜。あと、猛獣が出てきたらさらに盛り上がるだろってことで、とりあえずライオンもジャッキーの車に乗せといた〜。動物もどんどん足していくよ。コブラにハイエナに狼。高い壁に囲まれたハイエナだらけの場所から脱出するぞ。狼が来たら、組手を見せつけて「俺たち強いんだぞ」とアピールして撃退するぞ。
 
インド映画おなじみの大人数のダンスシーンも、足さないわけがない。せっかくだから、きんきら☆きんの宮殿で踊っとこう。
 
と、まだまだあるけど、もう割愛! 映画は大衆娯楽なんだから、お客さんが好きそうなものをどんどん出してフルコース、いや、ここは中国なんだから満漢全席でもてなそうというスピリットは間違ってないんですよ。ただ、観ていてさすがに気になってきたのは、足し算の繰り返しでしかないことです。多くの観客が望んでいたのは、掛け算じゃないのかと。少なくとも僕は、カンフーとヨガを掛け合わせたものが見たかった。ジャッキーはほぼヨガしないですからね。
 
ジャッキーは元気そうだし、63歳という年齢を考えたらありえないアクションを見せてはくれます。それだけでもいいじゃないかという声を僕は否定しません。明らかに設定もインディー・ジョーンズだし、ジャッキーが「インディー・ジョーンズみたい!」って劇中で興奮して自分で言うくらいなんで、パロディーなわけです。全体的に肩の力を抜いた演出にしてあるのもわかる。そこに脚本の整合性がどうだとかツッコミを入れるのがヤボだって気持ちは僕もわかる。
 
しかし、ここまで勢いだけで撮られた映画を久しぶりに観たもんで、呆気にとられているのも事実なわけです。しかも、僕にとってのジャッキー・チェン前作が、このコーナーで評した佳作『ポリス・ストーリー/レジェンド』だっただけに余計にですよ。
ポリス・ストーリー /レジェンド(字幕版)
もっと面白くする方法はいくらでもあったと僕は思います。スタンリー・トン監督とのタッグは、まだジャッキーが若くて動きがキレキレの時だったら、成立してたんですけど、今はもう違いますよね。『ポリス・ストーリー/レジェンド』はそのあたりを踏まえて映画ができあがってました。スタンリー・トンは脚本がうまい人ではないし、少なくともひとりで書かせるんじゃなくて、共同脚本を誰か付けるべきですよ。ジャッキーのアクションシーンさえあればそれで良しとはならないからこそ、知恵を絞らないと。これまでと同じようなノリのままやってるから、安易にCGを乱用してしまうようなことになる。
 
ライオンと一緒のカーチェイスにいたっては、もうクラクラ来ましたね。なんでこんな事になってるんだと… 見せ場のための見せ場ばかりが続く上、とにかく足し算方式でできあがってるので、シーンとシーンの糊付けは甘々なんです。あちこちで剥がれかかってる。どうせなら、もっとしっかり作りましょうよ。こちらは素直に笑いたいのであって、苦笑いはしたくないんです。だって、エンドロールの途中でサントラが終わってしまって、最後の1分くらい、無音でクレジットが流れるんですよ? いつの時代やねん! 合わせようよ、そこは。
 
ジャッキー・チェン作品には思い入れのある方も多いです。僕も何本か忘れがたいものがある。だからこそ、60代のジャッキーはもっと丁寧に映画作りをしてほしいと強く願います。

さ〜て、次回、1月12日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『キングスマン:ゴールデン・サークル』です。やった〜! 前作をこのコーナーで扱えずにヤキモキしていただけに、スパイ映画好きの僕だけに、テンション最高潮です。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!