さ〜て、次回、2020年2月11日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』となりました。『スター・ウォーズ 最後のジェダイ』ではちとかわいそうな役回りになってしまったライアン・ジョンソン監督が満を持して手掛ける、アガサ・クリスティに捧げるミステリー。前評判は上々ですね。「007」最新作の前に、ダニエル・クレイグのひと味違った勇姿を楽しみましょう。鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『フォード vs フェラーリ』短評
その2。映画館の大画面に映える画面づくりと音の設計がなされている。映画を観る喜びっていうのはいくつもある中で、そのうちの大きなものに、普通に生きてたんじゃ味わえないことを擬似体験できるってのがあると思うんです。これは、完全にそれです。直線コースでは300キロを超えるスピードを出すスポーツカーの、しかもコンピュータ制御される前の手作り感あふれる運転席からの眺めと、まるで助手席に同乗しているかのようなマイルズの表情をつぶさに見ることができるんです。そのために、クロースアップが実に効果的に使われていて、画面が引き締まっています。なおかつ、地面スレスレのところにカメラを設置したりするから、もう映画の半ばでそれこそ助手席に乗ったあのおっさんよろしく、僕ら観客もしょっちゅうのけぞりそうになるほど興奮します。音も同様。家では味わえません。あと、工場見学の興味深さもありますよね。フェラーリの手仕事っぷり。フォードの量産体制と、シェルビーやマイルズたちの試行錯誤の様子。そして、車好きでなくとも惚れ惚れするような名車の数々の美しさ。
その3。友情・努力・勝利のジャンプ的なカタルシスがある。冒頭で出てきますが、シェルビーは心臓に持病を抱えていて、もう自分ではレースはできないんです。だからこそ、マイルズに勝利を託す。ふたりのバディーが形成されていくプロセスがまず楽しい。いずれも、レースの世界でははっきり言って落伍者になりかかってるんですよね。人生の起死回生、一発逆転を狙ってる。でも、王者フェラーリが相手じゃ、どだい無理だろうっていうところを、フォードの資金力+知恵と工夫と技術で挑み、その苦労が実を結んでいく。じゃあ、フォードは一枚岩かっていうと、そうでもなくて、古今東西どこの組織にもあるスーツ組と現場の齟齬、軋轢があって、ふたりはそこでも戦わないといけないから、小さなドラマが積み上がるんです。さらに、マイルズ一家のハートウォーミングな話まで付いてきます。肝っ玉の座った美しいパートナー、モリーに僕はぞっこんです。彼女がハンドルを握るシーンの迫力ときたら! そして、父に憧れ倒している息子のかわいさたるや! マイルズというあばれ馬が、彼らとぶつかったり調和したりしながらフェラーリという跳ね馬に挑む様子は、誰でも興奮するはずです。
その4。実話ベースだからこその感動・感慨が押し寄せてくる。よくある演出で、当時の記録映像を挟むってのがあるじゃないですか。僕がうまいなと思ったのは、特にマイルズ一家が海の向こうのレースを追う時に出てくる、テレビじゃなくて、ラジオの音声なんですよ。ある理由から、レースに参加できなかったマイルズが、ガレージでラジオに耳をそばだてている様子がすごくいいです。こういう見せる、見せないの選択も監督はうまくやってるなと思いました。そして、エピローグでの実在したふたりの様子も、すべて映像化せずに、文字で済ませるところは端折ることで、より感慨深くなる。
『パラサイト 半地下の家族』短評
監督・脚本は『スノーピアサー』などで知られるポン・ジュノ。キャストは… 半地下家族の父を『タクシー運転手 約束は海を越えて』のソン・ガンホ。息子のギウは、『新感染 ファイナル・エクスプレス』のチェ・ウシク。あとは、僕もすっかりぞっこんになってしまったこの方に触れておかねば。あの豪邸に住むIT社長の妻を、チョ・ヨジョンがそれぞれ演じています。
感心させられるポイントはいくつもありますが、ふたつの家族を象徴する建築物とその空間の見せ方がすばらしいです。半地下物件のせせこましさ、トイレの位置など間取りのいびつさ、そして当然窓からの目線の低さ。昼間でも電気は必須のじめじめした空気までを画面に映していました。一方、庶民を見下ろす山の手にある金持ち一家の大豪邸。広々。洗練。リビングからは広大な庭。窓も大きく光はたっぷり。そう、光と言えば、照明もすごい。ガレージ、リビング、キッチン、子供部屋、倉庫、そして後半大事になるあの場所と、光の当て方が一様じゃない。闇と薄明かりも効果的でした。「だるまさんが転んだ」みたいなシーンがありましたけど、あそこの照明なんて繊細ですよ。ブラックユーモアが過ぎますけどね(笑)
それにしても、実に寄生しがいのある家ですよね。序盤、半地下家族が続々とまんまと乗り込んでいくのが痛快ではあります。彼らって、それぞれに実は高い能力を持っているんですよね。だのに、社会からは弾かれてしまっていて、その能力を発揮できない。すごい設定だけど、あのお母さんなんて、ハンマー投げの元韓国代表、オリンピック選手なんですよ。今や近所のガラスを割るくらいにしか活かせてませんけど。でも、料理も家事もやればきっちりできちゃう。にも関わらず、経済的な余裕の無さが彼らの粗雑さ、がめつさを増幅しているのも伝わります。
それから、匂いと水の表現。ここにも格差が出ていましたね。当然、金持ちは無臭です。半地下家族は食べているものやジメッとしたあの地下の匂いをまとっている。物語の潮目が変わる強い雨が出てきます。社長一家の被害と、半地下家族の受ける被害の差。水は高いところから低いところへ流れる。金もそうかも知れません。そっからの、映画の逆噴射っぷりよ! 水をきっかけにうまく可視化してみせていました。あの撮影は大変ですよ。セットなんですってね。ちょっとしたハリウッド作品ばりの予算力にも恐れ入りました。
『男はつらいよ お帰り 寅さん』短評
さ〜て、次回、2020年1月21日(火)に扱う作品は、スタジオの映画神社でおみくじを引いた結果、『パラサイト 半地下の家族』となりました。アカデミー賞ノミネートが発表され、作品賞とポン・ジュノが監督賞にノミネートという快挙を果たした翌朝に、まちゃお、当てました! やりました! 鑑賞したら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!
『テッド・バンディ』短評
『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』短評
監督・脚本は、続三部作の陣頭指揮を執ってきたJ・J・エイブラムス。前作「最後のジェダイ」を監督したライアン・ジョンソンは、今回は結局関わりませんでした。シリーズのオリジネーターであるジョージ・ルーカスは、作品の権利を製作会社ごとディズニーに譲り渡したわけですが、新しい構想がディズニーから却下されているということで、この買収以降のエピソード7から今回の9というのは、ディズニーの上層部とJJたちの合作ということになります。もちろん、丹念なマーケティングに基づいたものです。なので、最初から3作がきっちり練られていたというよりは、毎度、作っていった感じとのことですが。
アイザックソンの『レオナルド・ダ・ヴィンチ』レビュー
どうも、僕です。野村雅夫です。
世界で最も名を知られたイタリアの人物(だろう)レオナルド・ダ・ヴィンチ。今年は没後500年にあたり、日本でもたくさんの関連本が刊行されましたが、その中でも最高峰との呼び声高いウォルター・アイザックソンのものが、文藝春秋から春に上下巻で出ていました。遅ればせながらではありますが、アニヴァーサリー・イヤーのうちに、あかりきなこがレビューを書いてくれたので、以下、どうぞご一読を。
イタリアの人たちは「レオナルド」と聞けば「レオナルド・ダ・ヴィンチ」を自然に連想するそうだ。2019年は、かのルネサンスの巨匠の没後500年であり、日本でも関連本が何冊も出版された。
ひときわ目を引かれたのが「7200ページの直筆メモ」をもとに、レオナルド・ダ・ヴィンチという「人間を」考察した本書である。
「私が伝記作家として一貫して追い求めたテーマを、彼ほど体現する人物はいない」と言うアメリカの評伝作家ウォルター・アイザックソンによって2017年に出版され、日本語版は、今年3月、土方奈美さんの訳により刊行された。私は美術作品には疎いが、多才なレオナルドの人となりにずっと関心があったので「よくぞ書いて、訳してくれました!」とすぐさま本屋に走りたい気持ちになった。
本を手に入れ、目次に初めて目を通したとき、様々なキーワードで章立てされていることに気づいた。そのとき起きた感情は、色んなレオナルドが知れそうだという「わくわく感」と、内容を自分の中で整理できるだろうかという「軽い不安」。しかし後者は杞憂であった。実際には時系列に沿って並んでいて、レオナルドの興味や作風の変化が分かりやすい構成になっている。「レオナルドの人生の詳細についてはさまざまな説がある」が「本書では最も信憑性が高いと思われる説を書き、異論・反論については注で触れている」とあるように、レオナルドの実態に極限まで迫ろうと試みたことが分かる。文章は冷静な視点を基本にしながらも、彼への敬愛が随所で感じられる。レオナルドは研究の成果を論文にまとめたいと言いながら一度もなしえなかったそうだが、他の人たちに伝えたいという彼の夢はアイザックソンによってまた新たに実現されたといえる。
特に、研究ためのスケッチの余白に書かれたメモやいたずら書きの分析が面白い。一見几帳面なレオナルドがメモの書き込み時期やテーマごとの分類にはこだわらなかったことが、現在も私たちの想像力をかき立てている。逸話と総合して筆者が記したレオナルドの日常生活や心情の推察は、動きや色を伴って私の中の薄っぺらいレオナルド像にたっぷりと肉付けをしてくれた。教科書やテレビでよく紹介される「長いひげをたくわえた老齢期の自画像」の顔になるまでに、なんと様々な経験をしたことか。知らなかったことを知ることも、自分の勝手なイメージが修正されるのを感じるのも心地よかった。
意外だったのは、筆者が冒頭からレオナルドは「ふつうの人間でもあった」と強調していたことだ。「「天才」という言葉を、安易に使うべきではない」と。筆者は下巻の第33章でその根拠と「彼に学び、少しでも近づく努力はできる」として、スティーブ・ジョブズも引き合いに出し、現代の私たちにもできることを挙げている。確かに言われてみればできそうな気もすることばかりなのである。それらに気づいた筆者の洞察力はレオナルド並にすごいと思う。私はといえば、レオナルドとは時間や地理的な要素も含め違うことが多すぎて、最初から彼を完全に自分から離れた存在としてとらえていたからだ。特に「脱線する」ことでレオナルドの知性が豊かになった、という部分には励まされる。自分の寄り道も何らかの糧になっていると信じたい。
最後に注目すべきは「訳者あとがき」にある映画化の話だろう。縁あって同じ名前をつけられたレオナルド・ディカプリオが主演という。現在の進捗状況は明らかになっていないが、制作陣がレオナルドのように未完で放り出さないよう願いながら、引き続き楽しみにニュースを待ちたい。
※出版社のサイト『文藝春秋BOOKS』では「おすすめ記事」でヤマザキマリさんも書評を書かれています。別の魅力を紹介されていますので、こちらもぜひ♪
<文:あかりきなこ>