京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

自分の居場所 『水おとこのいるところ』

『水おとこのいるところ』 (L'uomo d'acqua e la sua fontana、2008)
イーヴォ・ロザーティ著 ガブリエル・パチェコ

 ひらいたままの蛇口から生まれた、水おとこ。

 そんな水おとこに対して人々は、騒ぎ立て、捕らえようと追い回し・・・。

 異世界に生れ落ちた男は、人とは違うというだけで誤解され、肩身の狭い思いを強いられます。

 そんな中、自らの身を守りながらも、花に水をあげたり、おいしい水を差し出したりと、自分ができることを静かに行う水おとこに、人々は少しずつ心を開いていくのでした。

 そして最後に水おとこを待っていた彼の居場所とは・・・。


 水のように静かに読者の心にしみる物語を紡ぎだした作者は、イタリア、レッジョ・エミーリア州生まれのイーヴォ・ロザーティ(Ivo Rosati)。コピーライターをから作家へ転身し執筆活動に勤しむ。本作がイタリア・アンデルセン賞最終選考にノミネート。

 そして、溜息が出るほどに美しい絵を描いたのが、メキシコシティー生まれのガブリエル・パチェコ(Gabriel Pacheco)。ボローニャ国際絵本原画展をはじめ、多くの国際コンクールでその名に出会える、今注目のアーティスト。
水おとこのいるところ
 偶然にも人間の世界に生まれでてしまった水おとこ。

 普段見慣れていて身近な物質である水も、それがいきなり人体という形を持ち動き始めると、人々はそれを異物とみなし、排除しようとしてしまう。そんな人間の世界で生活していくのは、男にとっては厳しいものなのだけれど、決して荒々しくは描かれていない。人から悪く言われても、追い回されても、そっと、静かに、身を守る水おとこは、決して声を荒げたり、人に挑んでいったりはしない。与えられた環境で、自身ができることを、そっと行う。それはとても自然で押し付けがましくなく、読み手を穏やかな気持ちにさせてくれる。

 居場所のない水おとこは、お話の中で水の中へ帰ろうとしたり、追いかけてくる人々から逃げるために様々な液体の中へと身を溶け込ませたりする。しかし、その液体は一時的なシェルターでしかなく、すぐにもとの水おとこの姿にもどってしまう。そこは彼の居場所ではない、ということ。

 水おとこが人間の世界に生まれてきたのはこのためだったのか、と思わせてくれる最後は読み手を幸福な気持ちで満たしてくれるのではないだろうか。

 水おとこほどではなくても、程度の差はあっても、人は誰もが異世界へ旅立つ時がある。保育園に上がったとき、生まれ育った土地を離れて暮らし始めたとき、海外で過ごしたとき、社会人となったとき・・・。その時その時に感じる不安や葛藤、ホームシックや後ろ向きな想い。それでも自分ができることをその場でコツリコツリとやっていくことで認められていく感じ。ここに自分がやってきたのは、ここにいるのは、このためだったのだと、ふと思える瞬間がやってきたなら、こんなに幸せなことはないだろう。

 『水おとこのいるところ』は、私の居場所について、そんな幸せについて考えさせてくれた作品だ。あの時、あの場所にいることができた意味、そこで得られたもの。今ここにいることができる幸せ。

 冒険もののようなワクワク感があるわけではない。でも、決して淡々としたストーリーではない。物語全体が穏やかで楽しい内容だけで満ちているわけではなく、ページをめくる度に笑みがこぼれてしまう可愛らしい絵本とも少し違う。しかし、生まれてきた意味、なんて大きなことではないんだけれど、ここにいる意味が自分にもあるんだろうな、あればいいなと、しっとりと感じさせてくれる心にしみる作品といえるのではないだろうか。青く美しい絵本の最後のページを閉じた時、皆様の心に水おとこの幸せが伝染しますように。そしてキラリと光る希望とささやかな幸福感が訪れることを祈って。