京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『翔んで埼玉』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月28日放送分
映画『翔んで埼玉』短評のDJ's カット版です。

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あくまで伝説としての話です。かつて東京都民からひどい迫害を受けていた埼玉県民。東京へ行くには通行手形を必要とし、潜伏しようものなら強制送還となる身分でした。東京都知事のひとり息子で、名門高校白鵬堂学院の生徒会長を務める壇ノ浦百美は、アメリカ帰りで容姿端麗な転校生の麻実麗(あさみれい)と出会います。当初こそ、校内にその美しさを振りまく麻実にライバル心を燃やした百美でしたが、あることをきっかけにして、彼に恋心を抱き、やがては互いに惹かれ合っていきます。ところが、麻実が埼玉県出身であることが発覚。ふたりの恋には、様々な試練が立ちはだかります。地位向上を目指し、通行手形の廃止を目論む埼玉県民。同じく虐げられながらも埼玉には負けられまいとする千葉県民。高みの見物を決め込む神奈川県民。さらにはとばっちりを受けるばかりの周辺の県を巻き込み、関東には大騒動が巻き起こります。

翔んで埼玉 テルマエ・ロマエ

原作は『パタリロ!』で知られる魔夜峰央が82年、実際に埼玉に住んでいた頃に発表した未完の同名ギャグ漫画です。監督は、『のだめカンタービレ』などフジテレビのドラマ演出から出発し、『テルマエ・ロマエ』のヒットでも知られる武内英樹。脚本は、やはりフジテレビのドラマ『電車男』で地上波デビューを果たし、映画はおよそ10年ぶりの徳永友一。二階堂ふみ東京都知事の息子、壇ノ浦百美を演じる他、埼玉のレジスタンス活動を行う麻実麗にはGACKTが扮します。他に、伊勢谷友介ブラザートム麻生久美子麿赤兒中尾彬京本政樹などが出演しています。
 
先週の公開から最も観客を集めているのは埼玉県ですが、全国レベルで見ても、先週の動員ランキング堂々の1位。ロケットスタートでぶっ翔んでいるこの作品を僕がどう観たのか。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

未完の小さな作品であったオリジナルを映画化するにあたり、キャスティングからひとつひとつの小道具まで潤沢な予算を投じ、脚本も複雑に練り込み、キャッチコピーを借りるなら、大真面目に徹底して「邦画史上最大の茶番」をやり、ごく狭い地域のトピックを扱いながら、その実きわめてグローバルな、普遍的な寓話に仕立て上げた、今年屈指のコメディーだろうと僕は受け止めています。
 
だいたい実年齢40代半ばのGACKTが高校生で、二階堂ふみが男子ですよ。普通に考えれば、無茶苦茶です。しかも、学校は制服も何もあったもんじゃない。ベルサイユのばら的な、そして要はパタリロ的な美意識を再現した衣装に身を包んでいる。GACKTがかつて属していた、そして劇中にチラリ登場するYOSHIKIのビジュアル系バンドの耽美的な世界観の源流とも言えるものですね。そして、埼玉の地位向上を狙って暗躍するレジスタンスである男と東京都知事の息子がキスをするボーイズラブでもある。なんだけど、僕らはあまりに有名な現実のふたりを知っているから、これが同性愛ではなく異性愛であることも知ってる。この恋愛は埼玉と東京、異性愛と同性愛、そしてフィクションと現実が越境した産物であるという、むちゃくちゃ複雑なものなわけです。
 
でも、これだけだと、いかにも漫画な、大量生産されている漫画実写映画化と同じレベルに留まっていたと思うんです。この作品に僕がうならされたのは、メタ的な構造を幾重にも盛り込んでお話を重層化していることです。

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今話したこのぶっ翔んだ漫画的世界は、すべて現代日本の都市伝説であると括弧で括ってあるんですね。その伝説が語られるのが、埼玉県民がこよなく愛するFMラジオ局NACK5であるという設定。つまり、DJが喋っているんだと。その放送を車の中で聞いているのは、埼玉県民の夫婦と結婚を控えたひとり娘。「なんでNACK5聴いてんのよ。東京FMに変えてよ」なんて言っちゃう。つまり、映画はこのリアルと都市伝説を行ったり来たりするんです。「僕らの世界に似た世界の話」を「僕らの世界で聞いている人がいるって話」を、僕らは観ているという構図ですね。さらに、僕はびっくりしたのは、最後の方でNACK5のスタジオが出てくるんだけど、そのDJとディレクターの姿が映った時です。これは今明かしませんが、「どんだけこねくり回すんや!」って僕は声に出しそうになりました。
 
その狙いは何か。ふたつあると思います。僕ら観客に没入させない効果がひとつあります。「これはフィクションですよ〜 都市伝説ですよ〜」って言い聞かせるわけですから。でも、それを聞いている家族はリアル埼玉県民で、アイデンティティーをリアルにこじらせている。この入れ子構造が、現実とのちょうどいい距離感をもたらす。この距離感があるから、笑えるし、笑いながら考える余白を生む。じゃあ、何を考えるって、現実はどうだろうかってことですね。ここまで極端なことはもちろんないけど、あれ、ひょっとしたら、これまがいのことは本当にあるんじゃないかと考えてしまう。この寓話的な効果を生み出すのが、狙いのふたつめでしょう。これは映画版の功績です。

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通行手形はパスポートやビザに置き換えてください。世界には特定の国の人にそれを発行しない現実がありますよね。この映画では千葉県が東京にうまく擦り寄っていく政治的な戦略に出ていますが、これは日本とアメリカの関係に置き換えられないでしょうか。明治以降からほんの最近まで、いや、なんなら未だに、僕らは韓国や中国の人たちを意識的にせよ無意識的にせよ見下していませんでしたか? アジアナンバーワンだと思いながら、アジアをまるで見ていなかったのは、この映画の中の東京のエリートと同じではないだろうか。
 
僕は今わざと挑戦的に日本を例に挙げましたけど、同じようなことは世界中にあります。僕の生まれたイタリアにもあります。つまり、地域や国のアイデンティティーやプライドは、その周辺をないがしろにして育つと醜いことになってしまうという教訓を、すべて笑いという糖衣でくるんで飲みやすく摂取させてくれるのが、この映画だと思うんです。
 
原作は未完なんで、映画をどう終わらせるかも見どころになるわけですが、埼玉の逆襲とも言える内容になっていましたね。でも、そのどれもが、ショッピングモール、コンビニ、ファストファッション、安いアイスなど、要するに画一的で均一的な、つまりは埼玉らしさのないものだっていう皮肉を見せたのも僕には面白かった。個性がないから生まれたものが、今や日本全体に浸透しているという現実の深みのなさも見せつけられてしまう。
 
なんて真面目に語ってしまいましたが、こうしたことを笑いの畳み掛けで用意周到に描いてみせた本作。僕はひれ伏しました。

ラジオでは埼玉県蕨(わらび)市出身、星野源の『ばらばら』をオンエアしましたが、映画主題歌はこちらです。またよくできてる! はなわディスコグラフィーでも抜きん出た傑作かも。

 

小ネタに関しては、もう語りだしたらキリがないので触れませんでした。ドライヤー銃、草加せんべいの踏み絵、埼玉県民ほいほい、千葉の海女が使うさざえのトランシーバー、さいたマラリアなどなど。こればかりは実際に観て笑ってもらうしかありません。

さ〜て、次回、2019年3月7日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『グリーンブック』です。ちなみに、来週は火水木と休暇を取らせてもらうんですが、映画評に関しては事前収録でちゃんとやりますよ。しかし、これはアカデミー作品賞も獲ったしねぇ。僕はもう観てますけど、「いい話」です。以上。ってわけにもいかないか。映画ファンならずとも、これは観ておいていただきたいって作品です。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!