京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

映画『いのちの停車場』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月29日放送分
『いのちの停車場』短評のDJ'sカット版です。

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救急医療の最前線で働く医師、白石咲和子。彼女は病院でのトラブルをきっかけに故郷の金沢へ戻り、在宅医療を行う小さな診療所に務めるようになります。怪我で車椅子生活の院長仙川徹、看護師の星野麻世、咲和子を慕い、大病院の事務職を捨てて金沢へ追いかけてきた青年の野呂聖二。4人はチームとなって、金沢で生活を営む様々な患者たちの人生、命のあり方に向き合っていきます。
 
原作は、現役の医師でもある作家、南杏子の同名小説。山田洋次作品で数多く脚本を執筆してきた平松恵美子。監督は、『八日目の蝉』や『ソロモンの偽証』の成島出です。

いのちの停車場 (幻冬舎文庫)

主演は吉永小百合で、白石咲和子を演じます。仙川院長を西田敏行、野呂青年を松坂桃李(まつざか)、看護師の星野麻世(まよ)を広瀬すずが担当した他、南野陽子柳葉敏郎小池栄子田中泯泉谷しげるみなみらんぼうなどが、それぞれ印象的な役柄で出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。僕の行った回は、僕が最年少くらいだったかな。男女問わず、サユリストだろう方々が詰めかけたっていうのはあるでしょう。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

吉永小百合という稀代のスター俳優は、思い浮かべる出演作によって、世代によって、多少はイメージが変わるかも知れませんが、やさしく品のある柔らかい物腰でいて、どこかに少女のような初々しさも漂わせながら、それでも言うべきことは物怖じせずに言う、というところから概ねズレないだろう思います。そして、今回彼女が演じた咲和子という役柄も、そのパブリック・イメージに重なっていました。
 
大きな病院で毎日てんやわんやの救急医療の現場にいても、的確に指示を出し、患者にはやさしく声をかけ、戸惑うことはあっても、責任者として、そこで起きたことには腹をくくる。まさに吉永小百合的な医師の咲和子が、彼女にとっては懐かしの金沢へ、だけれど勤務環境としては大きな組織とは対極の「吹けば飛ぶような」診療所という新しい環境へ身を置くという一大決心をするわけですが、そこで仙川院長と出会うまでの物語のセットアップが的確で迅速でした。無駄がない。少ないシーンと短いセリフで、咲和子の置かれた状況と、そんな彼女の誠実さと潔さに惚れ込んで金沢へ移り住んでくる前のめりな熱血漢、野呂青年のことがよくわかるんです。少し類型的と言えなくもないけれど、説明臭くはないし、すいすい映画的に進むこうした手際の良さは、脚本の平松恵美子、そして成島出監督の手腕にほれぼれします。野呂青年についても、観客にはまだまだ未知の存在ながら、高級車に乗って仕事を放り出す経済的余裕はあるらしいが、自分の将来像はまだ描ききれていない20代というような、この時点での必要にして十分な情報が過不足なく提示されます。同様のことが、看護師の麻世や院長の仙川にも言えます。まだ互いにわからない探り探りのところもあるけれど、互いに支え合いながら地域の患者を一緒に診ていこうという4人の関係の中に、僕たち観客もスッと入っていけるんです。

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©2021「いのちの停車場」製作委員会

年齢も性別も境遇も様々なキャラクターたちそれぞれが、自分のいのちと自分たちなりに向き合っていくわけですが、この作品でスポットがあたるのは、人と人のつながりです。診療所の4人は疑似家族的な様相を呈していくし、患者たちひとりひとりも、家族や属しているコミュニティーの誰かとのつながりの中で、命のありようと、ピリオドの打ち方に思いを巡らせていきます。そのひとつひとつのエピソードが示唆に富んでいるし、僕たち観客も自分や誰か身近な人のことを自然と考えるはずです。正直、なかなかタフですよ。でも、しんどくなるギリギリ手前のところで踏みとどまりながら、次へ次へ。若い二人のキャストが溌剌としたハリのようなものをもたらしているし、どの挿話も描き切らないのがいいと僕は考えます。それがオムニバスの良さだし、バリエーションを見せることのほうがこの場合は大切ですから。南野陽子にしても、柳葉敏郎にしても、泉谷しげる小池栄子伊勢谷友介も、短い出番でしっかり印象を残していて、その力量に演出陣も助けられていますが、監督も金沢の季節の移ろいを示す短いショットは丁寧に撮影していたし、要所要所でハッとする決めの画面を見せて全体を引き締めていました。特に、院長と咲和子が抱き合う場面は、お見事。そして、これは在宅医療、訪問看護の話なので、殺風景な病院ではなく、それぞれの家の様子がキャラクター造形を補強するわけですが、この仕事もとても丁寧だったことを付け加えておきます。こうした細部が大切だと、成島組はおろそかにしていません。

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©2021「いのちの停車場」製作委員会

自分の命にどうピリオドを打つか。最終的には、どうしたって咲和子と、田中泯演じる父の話になります。そもそも、咲和子は一人暮らしの父のことをおもんぱかって金沢へ戻った部分もあるんでね。医師として、家族の命にどう対応するのか。ここで、倫理的にかなり踏み込んだ問いかけがあります。ちと、色々描きすぎて咲和子の影が薄くなっていて、彼女が在宅医療の経験で感じた医師としての倫理観の変化が描ききれていないのが玉に瑕ではありますが、それはともかく、小説と映画ではピリオドの打ち方がそれこそ違っていて、この映画の流れだと、僕は今の着地、吉永小百合がこだわったという着地で良かったと思います。泣けるだの、感動巨編だのといった、紋切り型の宣伝キャッチフレーズからはかなり距離のある、思いのほかヘビーなところへサスペンスフルに連れていかれます。なかなか鋭い、メスのような切れ味のラストでした。その余韻が、吉永小百合の俳優イメージとも重なるように僕には思えるわけです。

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©2021「いのちの停車場」製作委員会

全体として古風な味わいの日本映画ですが、医療ものやホームドラマのポイントは随所で押さえつつ、安易に命をエンタメとして消費しない気概も感じる作品でしたよ。最後に、僕の評価が多少甘くなっているとするなら、それは広瀬すずの眩しさに目がくらんでのことだとご理解いただいて結構です。
この曲は、映画全体のイメージソングになっています。


さ〜て、次回、2021年7月6日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『5月の花嫁学校』となりました。ジュリエット・ビノシュが主演のフレンチ・コメディとのことですが、60年代を舞台にしながらも、「花嫁学校」でありながらも、わきまえない、自由な妻のあり様を示してくれるとのこと、楽しみです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!