京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『5月の花嫁学校』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月6日放送分
『5月の花嫁学校』短評のDJ'sカット版です。

f:id:djmasao:20210706094910j:plain

1967年のフランス、アルザス地方。小さな村にある家政学校に18名の少女が入学します。校長のポーレットは、夫のロベールと二人三脚で学校の運営に精を出してきました。スタッフは他に、修道女とポーレットの義理の妹ジルベルト。社会変革を求める五月革命を翌年に控え、いわゆる花嫁修業を担う学校は時代遅れではないのか。生徒たちにもそんな雰囲気が漂う中、経営者の夫ロベールが急死したもんだから、さぁ大変。

f:id:djmasao:20210706101827j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA

監督と共同脚本は、マルタン・プロボ。これまで先進的な女性を映画にして、大女優たちの信頼も勝ち取ってきた人で、今回は60年代後半小学生だった彼が当時を思い出しながら物語を固めていったようです。
 
校長のポーレットをジュリエット・ビノシュ。修道女をノエミ・ルヴォウスキー、料理の先生ジルベルトを、ヨランド・モローと、フランシュを代表する女優陣が夢の共演です。フランスのアカデミー賞にあたるセザール賞では、衣装デザイン賞を獲得しました。
 
僕は今回は諸事情ありまして、マスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

僕は1978年生まれですが、この世代でも「花嫁修業」だの「花嫁学校」って言葉は、もう死にかけていたものだったと思います。小学校の頃、幼心に疑問だったのは、地元のJRの駅の近く、歓楽街にかつて存在した「花嫁学校」というキャバクラ、なのかな、ともかく夜のお店があって、バスの車窓からでかい看板を見る度に、不思議な学校だなと思ったものです。
 
で、花嫁学校って何? まずはそこから始めましょう。もともとは暮らしに余裕のある貴族などの、要は両家の娘が、社会に出るためというよりも、社交界にデビューするために必要なあれこれを実践していく場として、多くの場合、個人授業に近い形で教育が行われていたようです。それがヨーロッパでは19世紀頃までの話。やがて、近代国家が成立して、家族という単位をベースにした社会が形成される、教育制度もぼちぼち進んでくると、性別や年齢による家庭内の役割分担が制度化されていきますね。それが良妻賢母という概念を育んでいきます。女性は家の中で大黒柱の夫を支え、子どもを生み育てるべしという考え方ですね。フランスでは農家や小さな自営業者の娘なんかが、中学校を出て、2年ほど、全寮制の環境のもとで、プチブルジョワ家庭における主婦の「いろは」を叩き込まれていた。お国のためという側面もあったし、子だくさん家庭の娘が、恋愛というよりも親の都合で、自分たちよりも経済的に恵まれた家の男と結婚させられるまでの準備という側面もありました。それが、68年のパリを中心とした五月革命前後に価値観がガラッと変化してい、その変化そのものをテーマにした作品です。

f:id:djmasao:20210706101546j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA
監督のマルタン・プロボは、実家の台所の引き出しに、「若い夫婦のためのガイド」という本が入っていたことを覚えているといいます。本作でも、良妻賢母の鉄則みたいなのが出てきます。夫に付き従い、不平不満は口にせずに家事は完璧。倹約に励んで、家族の健康にも気を配る。のみならず、すごいのが、2日連続同じ服は着ずにオシャレに気を遣う。酒は飲まず、夜のお勤めも進んでこなす… お〜こわ!
 
設定の妙としては、ビノシュ演じる校長のポーレット自身が、どうやら戦時中から辛い目に散々あって、玉の輿に乗る格好で、この学校の秘書から校長になった経緯があること。世が世なら自立した才覚のある女性であったかもしれないという自覚を、彼女は無意識下で押し殺していただろうし、時代の流れとして、学生が減ってきていた、つまりは学校の未来に展望が見いだせない状況もあったところに、夫の急死。しかも、多額の借金あり。ポーレット自身の人生、そして学校の直近の未来について、大転換を迫られた格好です。そんな変化の中ですから、そりゃドタバタしますよ。生徒たち、ポーレットたちスタッフのそれぞれの変化への対応と対応しきれない様子ってのを、群像劇的に見せていくんですが、各シーンの接続が今ひとつで有機的につながっていないので、ドタバタコメディーというよりは、映画の作りが全体としてはドタバタしています。だから、抱腹絶倒というのを期待すると、物足りないでしょうね。ただ、エピソードのひとつひとつが興味深いので、退屈ではまったくないです。

f:id:djmasao:20210706101650j:plain

(C)2020 – LES FILMS DU KIOSQUE – FRANCE 3 CINEMA – ORANGE STUDIO – UMEDIA

と思っていたら、最後、映画を観た誰しもが指摘する、あのラスト10分ほどの意表を突くシーンへと突入するわけですよ。これだ、これがやりたかったんだなっていう解放感。歌とファッションと躍動する身体。さらに、美しい自然を凝縮させた一連の映像は、楽しさであっけにとられます。映画のジャンルからも解放されているようで、楽しいんですよ。ボーヴォワールやらヴァージニア・ウルフやら、唐突に連呼される女性の生き方を変革してきた偉人たちの名前を耳にしながら、この後、彼女たちは人生を謳歌する決定的な一歩を前に大きく踏み出すんだろうなと表現できていたように感じるんです。吹き始めていた追い風を、ある時、着実にキャッチしてググっと進んだ瞬間という感じ。そう考えると、全体的なぎくしゃくしたムードも意外に味わいになっています。良妻賢母より、女性がやりたいことをしてイキイキとする予感が、最後にグッと来る。終わってみれば、爽やかな気持ちになる1本でした。
劇中で女の子たちがこの歌をラジオで聞きながら、タバコを吸って踊っていました。Joe Dassinの『野ばらのひと』Siffler Sur la collineをオンエアしましたよ。

さ〜て、次回、2021年7月13日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』となりました。僕は1が公開されたタイミングで吹替版でピーターラビットを演じている千葉雄大さんにお話をうかがう機会に恵まれたこともあって、改めて原書に触れつつ、しっかり鑑賞しました。もう大好きですね、まさかの実写化における良い意味での拡大解釈と、度を越した悪戯の数々。今回はいかばかりか。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!