FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月13日放送分
『ピーターラビット2/バーナバスの誘惑』短評のDJ'sカット版です。
前作から3年後、湖水地方に住む動物思いの優しい女性ビアは、隣に引っ越してきたピーターラビットたちの宿敵マグレガーさんの孫トーマスと結婚式を挙げます。動物たちと畑の作物の取り分にルールを設けたトーマスは、ピーターたちの擬似的な父親として振る舞うものの、まだまだギクシャクしていました。そんな中、ピーターはビアの絵本の打ち合わせで一緒に訪れた街で、お父さんの友達だったといううさぎ、バーナバスに巡り会うのですが、そこで悪事に手を染めるようになっていきます。
監督・脚本・プロデュースは、前作同様、ウィル・グラック。キャストも続投していまして、ビアをローズ・バーン、トーマスをドーナル・グリーソンが演じている他、ピーターの声をジェームズ・コーデン、日本語吹き替え版では千葉雄大が担当しています。
僕は今回も諸事情ありまして、日本語吹替版をマスコミ試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
改めて、1を観た僕がどんなことを言っていたのか。これは、ピーターとマグレガー、一匹のオスウサギとひとりの男による、土地と女の奪い合いの抗争だと分析。構図としては、かなり古典的な、ヤクザ映画のそれに近いって言っていました。およそ子ども向け作品の評に出てくる言葉ではないですが、いたずらなんて生易しいワードでは片付けられないレベルの度を越した仕掛けに笑いながら背筋が凍ることもある、限りなくブラックに近いユーモアが、あの湖水地方、もぐらの穴か野うさぎの巣穴かって調子でそこかしこに張り巡らされていました。
実際、原作絵本からはかなり遠いところへと僕らを連れて行く作品でして、原作ファンはかなり戸惑ったわけですが、むしろその部分にこそ面白みがあると、評論家たちからも認められていました。なので、今作でも、そのテイストは踏襲します。続編ですから。ただ、土地と女を巡る戦いは、一応休戦・停戦状態にあるんです。では、今回のテーマは何かと言えば、それは家族、しかも血縁関係にない疑似家族の絆は成立するのか、でしょう。前作では、いがみあうピーターとトーマスは、両者共に、自分とは違う相手のこと、自分の眼とは違う眼で見たら世界がどう見えるのかについて思いを馳せるにいたりました。まだ火種はくすぶっているのだけれど、理性とエンパシー、考えの違う人のことを慮る能力を発揮して踏みとどまっている状態。そのバランスが崩れると、ドラマが前進する。そういう仕組です。
ドラマを進める、バランス崩しの要因は、ふたつ。第一は、もちろん邦題にあるバーナバスです。哀川翔が声を当てているわけですから、大人は察しがつく、いや、それ以上の悪知恵と組織力を駆使してきます。タイトル通り、ピーターを引きずり込むわけですね。第二は、ビアの絵本シリーズの今後の展開をめぐる商魂たくましい出版社とのやりとりです。僕はむしろ、こちらを面白くみました。こうすれば、より売れますよ〜、読者の心をつかみますよ〜、エンディングはこうするといいですよ〜、ほんわかだけではなく、もっとうさぎたちに冒険させましょうよ〜と、こういう具合。ビア=作者のオリジナリティーが、たぶらかされてしまうのが我慢ならない。今作では、マグレガーが変わりゆくビアとピーター、そのどちらの目を覚ますべく、言わば二兎を追うような構図で奮闘するんだけど、基本ドジなんでまた笑いが巻き起こる。
ピーターやバーナバスたち動物は、スパイものやチーム強奪もののパロディーとして機能しているってのは、たとえば似た映画化の『パディントン』と似ているんですが、僕がそう来たかと感心したのは、出版社によるシリーズ改変の企みのほうです。街なかにピーターたちの看板が出ていて人気ものになってるのをピーターたちが目撃するとか、シリーズがとんでもない展開を見せていくって、この映画化2本にだってその傾向があるわけで、テーマ設定がメタ的、入れ子的なんですよね。その面白さもある。
あとはダメ押し的によくできている台詞回し。どのシーンにも必ずクスリと来るセリフやギャグがあって、字幕翻訳家として言わせてもらうなら、吹替版の出来栄えはお見事、かなり巧みに英語からの置き換えができていて、僕は嫉妬しましたよ。
前作同様、大感動するものではないけれど、サクッと観られるちょうどいい娯楽作として、間違いないです。蛇足と言われかねない続編に堕することなく、オリジナルタイトル通り、その危険からThe Runaway、脱兎のごとく逃げ出していました。よくやった!
この曲は、大事なところで2度出てきます。SupergrassのAlrightしかり、今回もポップソングをうまく取り入れていて、サントラもいい感じでした。