京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『怪物』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月20日放送分
映画『怪物』短評のDJ'sカット版です。

小学5年生のひとり息子、湊を育てるシングルマザーは、最近、彼の異変を感じていました。もしかしたら、学校でいじめられているのではないか。訪ねてみると、職員たちは明らかに組織を守るために木で鼻をくくるような態度に終始します。ところが、別の視点から見ると、物事はまた違って見えてくるもので…
 
監督・編集は是枝裕和。脚本は坂元裕二。音楽は坂本龍一。企画・プロデュースは川村元気。ものすごい座組です。キャストは、シングルマザーを安藤サクラ、湊くんの担任の先生を永山瑛太、そのガールフレンドを高畑充希、小学校の校長を田中裕子が演じた他、角田晃広中村獅童なども出演しています。そして、湊くんとその同級生の依里くんには、それぞれ、黒川想矢、柊木陽太(ひなた)が扮しています。
 
そして、本作は第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で脚本賞を、そして2010年に設立したLGBTQやクィアを題材とした作品に贈られるクィアパルム賞を受賞しました。
 
僕は先週水曜日の昼にMOVIX京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

「怪物だ〜れだ」というJホラーみたいなキャッチコピー、怖いですね。これは子どもたちが劇中でも繰り返すセリフでもあって、そこでもまだ、なんでそんなことを言っているのかわからないから怖いんですが、3幕構成の3幕目で「そういうことか」とわかります。誰が何をしているかはここでは触れずにおきますが、その知的遊戯・ゲームは、断片的な情報・ヒントを頼りに、怪物の正体を突き止めるというもの。そのルールは、この映画全体の成り立ちにも通じると思うんです。大まかに言えば、この作品では3度同じ時間が流れます。ガールズバーなども入っていた大型の雑居ビルが、冒頭、火事になって燃え盛る。その火事を起点に、2幕、3幕と、その都度時間がまた火事を発火点にするかのように巻き戻り、やがて台風がやって来ます。
 
まず、湊の母を主人公にした1幕目。あのむかっ腹が立って仕方がなく、同時にクスッとさせられる瞬間もある、大人ならあのお母さん、早織さんに感情移入させられるあの1幕目が終わって、保利先生を主人公にした2幕目に入ってから、つまり視点が変わってから、気づかされるわけです。ちょっと待ってくれ。全然印象が違うじゃないか、と。保利先生と、彼を守る隠蔽体質の学校という組織こそ怪物だなと、知らず知らずのうちに決めつけて見てしまっていたけれど、今度は保利先生のプライベートも垣間見えて、やっぱりこいつ困った男だなというところもありつつも、彼は彼なりに教師という職業に向き合ってもがいていたのかもしれないと思わされるんですよね。

© 2023「怪物」製作委員会 配給:東宝 ギャガ
映画というメディアは、映像とセリフと音を切り貼りして提示することで、観客を誘導していくわけですが、今回は坂元裕二の緻密な脚本を得て、是枝作品でも類を見ないレベルで提示される情報量、言い換えればヒントが多い1本なんです。1秒たりとも油断なりません。僕たちは、そのヒントを頼りに、「怪物だ〜れだ」ってことを考えさせられるんだけれど、3幕目に入ったあたりから、誰しもが気づくことになります。怪物は、ゲームのようにその正体が当てられるものではないのだと。怪物は、あるいは怪物になってしまう可能性は、多かれ少なかれ登場人物の誰にもあるし、個人だけではなく、組織にも、メディアにも、そして、なんなら僕たちひとりひとりにもあるということです。サスペンス、あるいはミステリー的要素を含んだ構成になっていますが、たとえばアガサ・クリスティーのあの名作のように、犯人はひとりではなかったことに途中から気づいてしまいます。って、僕がネタバレをしているように聞こえるかもしれませんが、あの人物のあの言動が実はこういうことでみたいな具体的なことは言っていませんし、むしろ周到に張り巡らされた伏線に気づいてスッキリしたとか、謎が解けたとか、そういうパズル的な解釈に終始することは、この映画の良き観客とは言えないと思います。むしろ、そこかしこに浮かび上がってくる怪物像の恐ろしさと、その中で居心地が悪い思いをしているいたいけな子どもたちのために、僕たち大人はどうあるべきかと考え続けることが大事なんだと思います。

© 2023「怪物」製作委員会 配給:東宝 ギャガ
『怪物』は、それ自体がメタファーとして機能する台風というクライマックスへと、あれよあれよと向かい、生きづらい世界からのシェルターだったあの場所にも、取り返しのつかない(ように思える)事態が勃発します。僕が「ように思える」としたのは、切れ味鋭いエンディングを、僕は「希望は観客のあなたたちが作るべきだ」というメッセージだと受け取ったからです。エンディングの解釈はいろいろあるようですが、僕は「自分たちはそのままで良くて、変わるべきは大人であり、大人が形成している抑圧的な、そして怪物的な社会の方なのだ」と見ています。

© 2023「怪物」製作委員会 配給:東宝 ギャガ
食い入るようにして鑑賞したし、今も毎日思い返して考えているくらいで、すごい作品なのは間違いないのですが、一方で、坂元裕二の特性を活かそうと3幕構成となったことで、サスペンス色が強まりすぎた側面もあるなと思っていて、それは「わかりやすい面白み」につながっているんですが、扱っている題材がデリケートなものであるがゆえに、モチーフが物語のための材料に見えてしまう可能性もあります。欠点とまでは言いませんが、危うい。僕たちはこの映画を観て、そこかしこに潜む怪物たちを弱体化・無力化させようと考えて行動し、誰でもここで堂々と生きて良いんだという社会を作っていくべきである。そんな課題を突きつける作品だと僕は捉えています。
 
坂本龍一に映画音楽を依頼して、坂本さんも引き受けたわけですが、すべてを作る体力はないということで、2曲オリジナルができあがったわけですが、過去作からも自由に使って構わないという中で、是枝監督はこのaquaという曲を引っ張ってきました。すごくシンプルな構成ですが、僕はこの曲が使われた場面で果たした効果と役割は大きいと思います。僕の先ほどのエンディングの解釈にもつながりました。

 ところで、僕は今作に危ういところがあると言いました。クイア・パルム賞を獲ったことによって、奇しくもよりスポットが当たった格好ですが、この作品におけるクイアの扱いについては、僕はノベライズ版とシナリオブックという、活字メディアとして世に出ている「作品」が、下手するとノイズになってしまう可能性もあると考えています。決定稿からの変更点もあって、それはテキスト分析には貴重で興味深い資料なんですが、映画だけを観るよりも、クイアな要素が騒動の出発点であるかのような設定、短絡的にクイアが怪物、そしてエンディングの悲観的解釈を生む流れが、時代遅れでフェアではない感じる人を生む可能性を秘めていると思うのです。ちょっと僕もまだ整理できていないのですが、知人の久保豊さんがそのあたりの違和をまとめた文章のリンクを貼っておきます。

www.tokyoartbeat.com

さ〜て、次回2023年6月27日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『リトル・マーメイド』ロブ・マーシャル監督が実写映画化ということですが、打ち出しとしては、「女性が壁を壊そうとする物語」なんだとか。人魚の実写と言えば『マーメイド・イン・パリ』は面白かったなぁ。お行儀良さそうなディズニーは、果たしてどんなアプローチでしょうか。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!