京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『本能寺ホテル』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月20日放送分
『本能寺ホテル』短評のDJ's カット版です。

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人生の舵取りを自分でせずに、何となくレールに乗って生きてきた繭子。務めていた会社が倒産。仕事を探そうにもやりたいことが特にない。そんな折、付き合って半年の彼氏吉岡からプロポーズをされます。彼の実家のある京都へ向かい、ひょんなことから古めかしい本能寺ホテルに宿泊することに。そこで繭子がエレベーターに乗ると、なぜが1582年の本能寺へとたどり着く。彼女は現在と1582年のある1日を行き来しながら、織田信長森蘭丸と接触する。彼女は予告通り、歴史を変えることになるのか?
 
監督はフジテレビ所属の鈴木雅之。脚本は相沢友子。繭子を綾瀬はるか。信長を堤真一が演じる。となると、あの『プリンセス・トヨトミ』の続編か、原作は万城目学か、と早合点してしまいそうになるし、企画から公開までの流れにおけるスッタモンダがあったとも噂されていますが、続編ではないし、万城目学の名前はどこにもクレジットされていません。
 
本能寺の変の舞台、旧本能寺の程近くに住んでいる僕ですが、ちょうど鑑賞した日に、ロケ地のひとつ、鮒鶴鴨川リゾートを訪れて、意図せずして聖地巡礼をしてしまいました。12時台にお話したイベント京ショコラあそびの会場になってたんですけど、日本で2番目に古いエレベーターが現役で動いてるところですからね、これは確実にタイムスリップできそうだと思いましたが、乗るのはやめておきました。
 
さて、そんな映画と微妙にリンクする1日を過ごした僕が作品をどう観たのか、3分間で短評します。スタート!

誰でもそうだと思うんですけど、自分の住んでる街、行ったことのある場所がスクリーンに映ったらテンション上がるわけですよ。うわあ、四条大橋西詰の河原て僕もちょうど先週ここに座ってたとか。それがご当地映画、観光映画の大きな魅力のひとつ。なんですが! なまじ観客に土地勘があると、いやいや、嵐山と祇園はそんなに近くないから、とか、本能寺ホテルの場所って、なんで旧本能寺とも今の本能寺とも離れてるんだろう、とか、重箱の隅をつつかれがちというのも観光映画「あるある」でしょう。どうしても、絵になるスポットをツギハギしてしまうんでね。そのあたりの話はキリがないので端折ります。基本的に本質とは関係ないし、多少の地理的なご都合主義はどうでもいいんですから。
 
それにしても、綾瀬はるか、かわいいねぇ。場面がくるくる変わってあちこち名所も見せてくれる。歴史パートもロケ地がいいし、絵的な素材の魅力がいっぱいの映画ではありますけど、煮詰めきれないまま作ってしまった印象は否めないと思ってます。そこで、地元でロケした作品だと少し贔屓しても見過ごせないお話や映像の隙について触れておきます。
 
繭子が2度もホテルマンに尋ねているにも関わらず、彼はなぜ本能寺ホテルという名前の由来について答えてくれないんでしょうか。
 
靴や金平糖、胃薬は大事なモチーフとして登場します。繭子と共に、タイムスリップしますから。だったら、ガラガラずっと引きずっていたスーツケースはなぜ時間を越えなかったんでしょうか。
 
繭子が時をかける女性であることは周りの人にはわからないとしても、さすがにクライマックス、あのホテルのバーでふたりきりになった時、彼氏はなぜ彼女の異変に気づかないんでしょうか。
 
そもそもですけど、なぜタイムスリップしてしまうのか。戦国時代から伝わるというオルゴール、金平糖、呼び鈴、エレベーターという条件はわかるけど、結局どの組み合わせだとタイムスリップするのかうやむやだし、百歩譲ってオルゴールや金平糖は信長につながるからいいとして、なぜ呼び鈴なんですか。少なくとも、繭子は呼び鈴が条件のひとつであることに気づいていないでしょ? なのに、後半とかよく自分の意志で過去へ行くな、と。だって、戻る時に自分でコントロールできてないわけだし。
 
そこもさらに百歩譲って飲み込むとしても、せっかく現在と過去を行き来するってのに、映画的な見せ方の工夫が特になかったのは残念です。だって、そこは監督の腕の見せどころだし、劇的な場面転換っていうのは、映画ならではの見せ場になる。たとえば同じフジテレビ製作で言うなら、『テルマエ・ロマエ』だったら、時空を越える時に急にテノール歌手が雄大な自然をバックに歌い出す。ただのギャグなんだけど、そのたびに笑いが起きる。ところが、この作品だと、急にCGで金平糖が割れる様子がドンと大写しになる。うん、金平糖を食べたからね。って、それだけか〜い。ツッコミたくもなりますよ。

テルマエ・ロマエ テルマエ・ロマエ?

だいたいあのホテル、宿が取れない京都で飛び込みで取れちゃったわけですよ。しかも、祇園の裏通り、路地とは言え、中心部。僕は「はは〜ん、なんかこのホテルマンが隠してる、人が寄り付かない歴史的な不穏な理由や噂があるな」と想像したのに、そういうのも皆無でしたよね。じゃ、なぜ部屋が空いてるのよ。
 
ポスターの文言にもあるように、タイムスリップした先は信長最後の日なんですけど、現在パートも1日の出来事ということになってるんですね。もう繭子どんだけ忙しいねんって思うし、さらにタイムスリップして、彼女はよく正気でいられるなと心配になるんですけど、そこも百歩譲って飲み込むとして、僕はもっと日にちや時間をシンクロさせて、サスペンス要素を入れたりしたほうが盛り上がると思うんですけど、それもしないんだよなぁ。
 
それはたぶん、あくまでこの映画の最重要テーマが主人公繭子の成長にあるから、他の余計なサスペンス要素は省いたってことだと推測できます。信長からも、そして現在でもある人物から人生の教えをもらって、それによって彼女は葛藤を乗り越えていく。人生に主体的に向き合うようになる。ねらいはわかります。
 
でも、だったらね、もっと彼女の心理を掘り下げておかないとカタルシスが生まれないでしょ。のほほんとしてたり、タイムスリップ先で急に強心臓ぶりを見せつけてみたり、キャラクター演出が行き当たりばったりに見えてしょうがないですよ。制作陣が目指していたことを実現するなら、すべての行動に登場人物の心理的裏付けを与えるような演出でないといけなかったのではないでしょうか。
 
こういうことを言うと、そこはご愛嬌でしょって人がいるかもしれないけど、いやぁ、さすがに無理がありました。明らかにあちこちネジが緩んでるは釘が抜けてるわで、『本能寺ホテル』、かなり立て付けが悪いなという印象を拭えない結果となってしまいました…


さ〜て、次回、1月27日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『沈黙-サイレンス-』です。原作は高校生の頃に読み、長崎の遠藤周作文学館や教会巡りをしたこともある僕。マーティン・スコセッシが原作と出会ってから28年。かねてより映画化のアナウンスが何度も聞こえていたこの作品をいよいよ観ることができるとあって、僕もかなり気合いを入れる162分になりそうです。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『この世界の片隅に』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月13日放送分
『この世界の片隅に』短評のDJ's カット版です。

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10年前、2007年1月からちょうど2年にわたって「漫画アクション」に連載され、その後単行本化された、こうの史代の同じタイトルの漫画を原作とし、監督は片渕須直。もともとは宮崎駿とも『魔女の宅急便』とかアニメ『名探偵ホームズ』で共に仕事をした人で、TVアニメ『名犬ラッシー』や長編アニメ『マイマイ新子と千年の魔法』で知られています。

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日本有数の軍港だった広島県呉市が主な舞台。ヌボーッとしていて、絵を描くことが得意な20歳そこそこの女性すずが、次第に悪化していく戦況の中、よく知らぬ嫁ぎ先で懸命に生きていく姿、その家族との交流が描かれます。
 
すずの声を演じたのは、能年玲奈からの改名後初の仕事となる「のん」。サウンドトラックは、KIRINJIのメンバーでもあるシンガーソングライターのコトリンゴが担当しています。

劇場アニメ「この世界の片隅に」オリジナルサウンドトラック

製作費をクラウドファンディングで補って完成させたこの作品は、昨年11月12日、いわゆる単館系として全国63スクリーンで封切られましたが、作品の出来栄えが評判を呼んで、上映スクリーン数が3倍以上に拡大。今年に入り、観客動員数が75万人を突破したのは最近の報道にもある通りです。予告編にはあったあの桜のシーンも含め、このままいけば幻の30分拡大版が製作されるかもしれないということも期待されています。そして、今週、権威ある映画誌キネマ旬報の2016年ベストテン日本映画作品賞を獲得しました。1位だと。
 
もう先に言いますけど、日本映画史に残る傑作のひとつという評論家達の評価を僕は後追いするしかないです。こんな豊かで多面的な味わいを含んだ作品を3分間で話すのは、はっきり言って端から無理があるんだけど、現時点での僕なりのまとめ方でトライしてみます。では、行ってみよう!

めったに言わないことですけど、原理原則をお伝えしておこうと思います。まず、アニメーションという言葉。どういう意味かご存知でしょうか。anima魂、霊魂というラテン語に由来していて、1枚1枚では動かない絵を連続して見せることで、そこに動きと時間という魂を注入するという意味。それがアニメーションです。
 
僕はこの作品を初めて観た時に、アニメーションならではの物語世界への「魂の入れ方」を今目撃しているという興奮に身震いしました。決して写実に徹したいわゆるリアルな絵のタッチじゃないのにも関わらず、恐らくは端折った線と残した線のバランスが生み出す動きと構図により、すずのような人物はもちろんのこと、動植物にいたるまで、すごく生き生きと、いや、スクリーンの中に生き物が息づいています。こうの史代片渕須直両氏の徹底したリサーチの努力に基づいた映画製作スタッフの努力の結晶の結果、ああ、言葉で言うと軽いなあ、戦時中の日常が、名もなき女性の人生がスクリーンに映し出されます。
 
いわゆる銃後の現実を描いた映画、たとえば息子を戦場に送り出す母みたいな作品はこれまでもありましたけど、まずもって驚いたのは、きっちり笑えるコメディーでもあることですね。笑いの裏に涙があって、涙を必ず笑いが追っていくんです。戦時中の悲壮な話と思って敬遠しないでください。ジブリで言えば、『火垂るの墓』よりも、奇しくもキネマ旬報ベストテンでこの作品の他に唯一1位を獲った、なおかつ1988年に同時公開された『となりのトトロ』に近いかもしれない。でも、どちらにもない要素として、生活があるということは、そこに性生活もあるということで、ほのめかしも含め、人間の性の営みもしっかり描いている大人の映画でもある。結婚初夜のエピソードもあるし、遊女も極めて重要なキャラクターりんさんとして登場します。

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とはいえ、さっきも言ったように写実や自然主義とも違うわけで、すずの目を通した「リアル」と、作者の目線が絶妙に入り混じったリアルがそこにある。たとえば、終戦の日にすずが「まだやれる」と悔し泣きする一方で、太極旗(韓国の国旗ですね)が掲げられている様子がさりげなく描写されるあたり、見事なバランスだったと思います。イデオロギーを押し出さず、賛成とも反対とも声高に主張せず、ただそこに生きた人々の様子を見せる。プロパガンダ的な押しつけがないんです。
 
でも、さりげないと言ったって、「素朴」で済まされるものではまったくない。むしろ実験的ですらあるんです。すずの描いた絵が動き出すとか、ある事情でタッチが急に変わるとか、視覚的な情報、画面構成そのものの変化が作品の内容と一致するという、とても挑戦的な作風でもあります。原作よりはまだわかりやすいところに落ち着いていたかもしれないけど、『君の名は。』的なエモい描写はほぼないのに、映画を観終わってからもずっと彼らのことが気がかりなくらいにエモさが持続する。神業です。あっさりあっさりあっさり、観終わってどすんみたいな。
 
名もなき、まさに「この世界の片隅に」生きるすず。どんな映画に出てきても僕が大好きな要素ですけど、モノや人が足りなくても、自分で修繕したり、知恵を絞ってその場にあるものを寄せ集めて何とかやりくりするっていう、フランス語でブリコラージュっていうんですけど、戦時中ってもうこのブリコラージュそのものなわけで、語弊を恐れずに言えば、その「営みと知恵の面白み」を描ききっている点で僕は惚れ惚れしました。
 
こんなことめったに言わないけど、芸術の価値の柱のひとつは、それを鑑賞する人間に、「生きるとは?」という哲学的な問いを与えること。生き残った自分が「笑顔の入れ物」になるというセリフや、すずがあるものを失ったからこそ巡り合うラストのあの人との交流などなどを見るにつけ、僕も僕なりに生きるってことについて考えさせられました。
 
情報量が多くてテンポも早いし、素朴なフリして描きこまれたアニメです。僕の短評なんて取るに足らない。とにかく、四の五の言わずにぜひご覧になって、皆さんで語り合ってください。僕もこれから何度も見返して、語り続けていきたいと思います。
 
☆☆☆
 
コトリンゴのサウンドトラック(歌声も含め)は絵のタッチにも似て素晴らしかった。そして、ブリコラージュ的な内容は、クラウドファンディングによって完成されたこの映画の成り立ちともリンクしますね。


さ〜て、次回、1月20日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『本能寺ホテル』です。僕は京都市内、現在の本能寺にも近いし、もっと言うと当時の本能寺により近いエリアに住んでいるので、これは気になる。あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

『土竜の唄 香港狂騒曲』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2017年1月6日放送分
『土竜の唄 香港狂騒曲』短評のDJ's カット版です。

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高橋のぼるの人気コミック実写映画化第2弾。監督三池崇史、脚本宮藤官九郎、主演生田斗真という豪華なトリオと、仲里依紗遠藤憲一堤真一岩城滉一といったメインキャストはそのままに、今回は瑛太、本田翼、古田新太菜々緒など、これまたパワフルなキャスティングが実現。
 
潜入捜査官「モグラ」として、凶悪なヤクザ組織数寄矢会に潜り込んだ主人公菊川玲二。思いがけず日浦組の若頭に就任した彼は、捜査のターゲットである会長の轟周宝から、自分のボディーガードとチャイニーズマフィア仙骨竜の撲滅を命じられる。その頃、エリート警察官の兜真矢が若くして組織犯罪対策部課長に就任し、警察とヤクザの癒着を断ち切るべく玲二の逮捕に向けて動き出す。
 
年末、仕事納めしてから、何だかお気楽な気持ちで観に行ったので、その僕ののほほんとしたテンションが今回は短評に影響するような気がするんですが、とにかく今年も3分間でまとめます。いってみよう!

これはかなり好き嫌いが別れる作品でしょうね。ノレるノレないの分かれ目は2つあると思います。ひとつは、下ネタのテイスト。もうひとつは、原作マンガからのアレンジ。
 
順に話してみると、まずは下ネタ。予告にもある通り、いきなり大阪で全裸の空中飛行があり、股間を通天閣のさきっぽにチーンとぶつけるわけです。玲二はヘリからぶら下がってふるい落とされまいとしがみついて大阪を浮遊するわけですけど、まさにここでしがみついていられる人と、ふるい落とされる人が出て来るのは致し方ないでしょう。小学生レベルの下ネタがあちこちで炸裂するので、苦痛だと感じるかもしれません。
 
生田斗真の素敵な裸体に見惚れる女性方も、どこまでついていけるのか。そして、股間がフィーチャーされるのは、生田斗真のような男性だけではありません。菜々緒仲里依紗も下着丸出し、しかも股間にピントが合う状態がそれぞれあって、これはこれで鼻の下を伸ばしていた男性方も、エッチを越えてトゥーマッチだとしんどくなるかもしれません。

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続いて、原作マンガからのアレンジについてですが、明らかに違うのは、シリアスな要素を完全に排除していること。恐らくは、原作ファンほど、笑いに特化したこの映画化はいかがなものかとノリきれないんじゃないでしょうか。
 
豪華キャストが揃って、一応大作お正月映画という体はとってるんだけど、その実、よくR指定付かなかったなってくらいにエロくておバカに振り切った映画なので、裾野広く受け入れられるようなものでないのは明らかです。いわゆる「メッセージ」も皆無ですしね。
 
で、僕はノレたのかってことですけど、ばっちりノレました。のほほんと劇場へ出かけた、こちらのテンションもマッチしたんだと思いますが、下ネタも過剰な笑いも受け入れられたんです。何度か声に出して笑いました。玲二が欲情すると、リコーダーが鳴る演出で、ご丁寧に小学生が笛を吹く姿を一回挟むところとか、轟夫人て初めて会っ気がついたら全裸になってるところとか、車での本田翼との無茶苦茶なロジックのエロトークとか、仲里依紗とか仲里依紗とか仲里依紗とかのムンムンな色気とか。あの虎とのラストもバカバカしすぎて、失笑するつもりがはっきり笑っちゃう。
 
でも、映画としてデキがいいかと聞かれると、むしろその逆と言わざるをえません。漫画の映画化なのに、漫画のままっで感じで、全体のバランスと話運びはかなりイビツです。「この絵が撮りたかったんだろうな」っていうオモシロがあちこちにあって、そこから逆算してシーンが組み立てられてるもんだから、展開が無理矢理だし、シーン同士のつなぎもとりあえずボンドでくっつけたような乱暴さが目立つ。CGを使いまくってるし、香港狂騒曲なのに香港ロケしてないし、チャイニーズマフィアがモチーフだってのに中国人が出てこなさすぎるし。笑いに寄りすぎてヤクザたちの迫力が完全に殺がれてるし、まあリアリティはほぼなしです。
 
ただ、ここが難しいんだけど、三池崇史宮藤官九郎も、そこは承知して振り切ってるんだろうと思うんです。今並べ立てた僕のツッコミなんて想定内だろうし。パトロクルスさんが先週つぶやいていた通り、ほぼ全編顔芸の生田斗真を始め、役者陣は相当攻めてるし、もうこれはこれでいいんじゃないかという気がしてくるんですよね。だから、評論としては歯切れ悪いけれど、あばたもえくぼでニンマリぼんやりのほほんと観る作品だというのが僕の結論です〜。
 
原作はまだまだ続いているし、次はシチリアマフィア編となるのか、そうなると、シチリアロケはあるのか? 楽しみです(笑)


さ〜て、次回、1月13日(金)109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、ついに来ました『この世界の片隅に』です。僕は3度目の鑑賞に向かいますが、あなたも観たら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『バイオハザード:ザ・ファイナル』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月30日放送分
『バイオハザード:ザ・ファイナル』短評のDJ's カット版です。

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日本のゲームメーカー「カプコン」のゲームをベースにしたシリーズ一応の完結編。一応というのは、ミラ・ジョヴォヴィッチがアリス役、つまり主演をするのはこれが最後という意味で、別の形でシリーズが続く可能性はまったく否定できない、やりかねんということです。
 
監督は、何らかの形でシリーズすべてに関わっているポール・アンダーソン。ミラ・ジョヴォヴィッチの夫ですね。今回は娘のエヴァ人工知能レッドクイーン役で出演してます。ローラもちょっと出てます。シリーズを彩ってきた敵味方たちもだいたい出てきます。
 
おびただしい数のアンデッド(ゾンビのこと)が地上を埋め尽くす。生き残った人類はもう数少ない。48時間以内にウィルスに対抗する空気感染のワクチンを散布せねば! 例によってアリスが奮闘する中で、これだけのアンデッドを生み出したアンブレラ社と戦い、そこでアリス自身の秘密も明らかになっていきます。
 
27日火曜日の夜、FM802 RADIO CRAZY初日終わりに109シネマズ大阪エキスポシティへと車で駆けつけまして、4DX3D、足して7Dという強烈に刺激的な環境で観てきましたよ。今日は番組でのっけから4DXが聞きしに勝るもんだと吠えた僕ですが、あくまで、映画そのものの評価はクールに分けて考えます。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

4DX3Dで観るのに最適と僕が言ったのには理由がありまして、一定以上ややこしい話だと、4DXみたいなアトラクションに乗りながら追っていくのはかなり困難だからです。ジェットコースターに乗りながら、日本の安全保障について考えるのは無理でしょう。気になる女の子を口説く方法ですら難しいかもしれません。その点、バイオハザードなら問題ありません。ナレーションがちょこちょこ入るくらいで、あとはアクションの釣瓶撃ちなので、観ていればわかります。そして、驚くべきことに、過去作を観ていなくても、ほぼわかります。僕がそうでしたからね。
 
映画シリーズのねらいについて、アンダーソン監督はインタビューでこう語ってます。主人公アリスは「記憶を喪失した状態で始まるから、観客と知識の差異がない。原作ゲームの知識がなくても、置いてけぼりになることがない」。いや〜、徹底してますね。原作どころか、シリーズ過去作の知識がなくても、一応ついていけましたから。ってくらいに、シンプルでありふれた話なわけです。監督はこう続けます。「1はお化け屋敷っぽい密室劇。2は町中アンデッドだらけの壮大なアクション。3はクレアという相棒が登場して『マッドマックス』的な黙示録展開になる。4は皆が囚われの身になり、5はアリスが追いかけられるチェイス映画」であると。そして、今回は舞台のラクーンシティーもそうですが、原点に立ち返ってサバイバルアクションホラーになってます。要するに、これはもう作家性と言っていいと思いますが、アンダーソン監督はアクションとその構図こそが映画であって、ストーリーはあくまでアクションのきっかけである。もっと平たく言うなら、かっこいい絵をバンバン撮りたいから、話は二の次三の次だってことでいいでしょう。そんなアンダーソン監督がやりたいように振り切ってやっている印象なので、僕はもうスカッとしましたね。
 
なぜこんなところに武器やバイクが都合良く転がっているんだとか、アリスはもはや不死身だよねとか、そういうツッコミはもういいんです。脚本のあらゆる箇所に、ご都合主義というウィルスが感染してしまっていますが、それで上等なんでしょう。
 
代わりに、ファイト一発的な見せ場がどっさり。監督自身もミラ・ジョヴォヴィッチも原作ゲームが好きということですけど、全体的にゲームっぽい作りになってます。見せ場が作れるシーンがあって、セリフやナレーションで強引にでもつないで、次にまた見せ場を置く。一面をクリアしたら、次の面があって、シチュエーションとミッションを変えてという流れ。だから、仲間が死のうが何しようが、感傷にふけってる時間はないのです。一難去ってまた一難なんです。さながら、風雲たけし城やSASUKE。恒例のレーザートラップもバッチリ出てきます。
 
でも、107分という尺もしっかりあっさりしていて、長くなりがちなこの手の映画の中ではコンパクトな方ですね。シリーズの色んな要素もできる限りぶっこまれてますから、刺激いっぱいお腹いっぱい、設定そのものには疑問いっぱいのまま、とりあえず終わっていきます。
 
深刻な話だし本人たちは大真面目なのに、どうしたって笑っちゃうところもいっぱいあります。でも、ゲームを土台に映画としてオリジナルにどこまで展開できるのかというゲームと映画の関係性においては突出したシリーズだったわけです。観ながら、僕は『ハンガー・ゲーム』とか『メイズランナー』のことを思い出してました。最近のYA映画化作品群に影響を与えていることは間違いないと思います。ゲーム要素については、そもそも『不思議の国のアリス』から受けた影響(というか引用?)もありましたね。
 
僕はこのザ・ファイナルもなんだかんだ嫌いにはなれない。ミラ・ジョヴォヴィッチの露出度高めのアクションがかっこよく見えて、アンデッドやら妙なクリーチャーやらが気持ち悪くて、お化け屋敷的に驚かされて、アリスの秘密を知ることでまた1に戻りたくなるようなこの作品。これだけクリアしてたら、もう十分です。
 
僕はこの手の映画を敬遠してる人ほど、4DXで一度観てみるといいかなと。

さ〜て、次回、1月6日(金)、新年一発目の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『土竜の唄 香港狂騒曲』です。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月23日放送分

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遠い昔、遥か彼方の銀河系で…
 
1978年に日本公開された「スター・ウォーズ」第1作、エピソード4のちょい前、40年間、あのオープニングの文字情報だけで簡潔にまとめられていた物語。
ディズニーが関与するようになって2作目。いわゆるスピンオフとしては初めての作品となります。
 
エピソード4で、レイア姫R2-D2に託した帝国軍の兵器デス・スターの設計図。それがどうやって帝国軍から反乱軍の手に渡ったのかが明らかになります。主人公は一匹狼のヒロイン、ジン・アーソ。彼女が反乱軍の仲間とともにミッションに挑みます。
 
ジン・アーソを演じたのは、このコーナーで最近扱った『インフェルノ』のヒロイン、フェリシティ・ジョーンズ。監督は2014年ハリウッド版『GODZILLAゴジラ』のギャレス・エドワーズです。
 
109シネマズ大阪エキスポシティ。火曜日朝イチにもかかわらず、IMAX 3Dは結構盛況。ローグ・ワン専用のグッズ売り場もできていて、盛り上がりが感じられました。IMAXで観る価値大アリ! 特に広い絵面のショットは極力大きなスクリーンで。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

僕は熱心な「スター・ウォーズ」ファンではないので、『ローグ・ワン』の公開は楽しみにはしていましたけど、自分から事前に情報を取りに行くようなことはしてなかったんですね。で、先週、「映画の女神様からのお告げ」が下った時に、初めて副題が「スター・ウォーズ・ストーリー」だってことに気づいたくらい。その時の僕の心の声を再現すると、「芸がないなぁ」でした。でもね、作品を観て「なるほど」と思ったのは、本当は“A Star Wars Story”なんです。この『ローグ・ワン』が直結するエピソード4の副題は、”A New Hope”。邦題は『新たなる希望』です。それに即して訳せば、『ローグ・ワン/新たなるスター・ウォーズの物語』となります。細かいところに着目して申し訳ないけど、タイトルって大事でね。このAが大事なの。
 
ふたつの意味があると思います。ひとつは、みんなが知ってるスター・ウォーズとは違う、あるいはその裏側の、スカイウォーカー家とはまた別の、もうひとつのスター・ウォーズですよという、スピンオフ1作目としての宣言。
 
ふたつ目は、定冠詞になる前の、まだ不定冠詞の、つまり、まだ知られていない、名前のない物語であるという意味。
 
それを踏まえ、僕は『ローグ・ワン』は基本的にバッチリだったと思います。主人公、ジン・アーソの幼い頃のいきなり劇的なエピソード。彼女のお父さんゲイレン・アーソがあのデス・スターの設計に噛んでいる科学者だったという開始数分でわかる設定。アーソ家の物語を軸に据えたところがもうスター・ウォーズらしいし、そっから異形の仲間が集っていってチームを作るのも「らしい」。ミッションそのものも建物の構造も『スター・ウォーズ』そのもの。
 
そこに、これまでのどのエピソードをも超えるような迫力の戦闘シーン(基本的にゲリラ戦争の映画ですから、今回は)とデス・スターの想像を絶する威力をまざまざと見せつける映像を実現した。かねてから批判されてきたアジア人キャストの不在も、座頭市を彷彿とさせる強烈なキャラクター、チアルートで一気に挽回しました。あと、比較的、善悪のはっきりしがちなスター・ウォーズ物語世界において、反乱軍の闇もある程度見せていたのは新鮮でした。
 
で、ですよ。観終わったら、エピソード4が観たくなるようにできてるし、まんまと観たら感慨が増すという。最強の兵器デス・スターの弱点がなんであんなに簡単にわかったんだっていうエピソード4の謎も解明される。どころか、その謎が解明したおかげで、また感動が増すという。ここまでできただけでも、もうそれだけでバッチリですよ。
 
確かに、多くの人が指摘するように、クライマックスまでの話運びが決して「うまくない」し、セリフと映像の関係もうまく機能していないところもあるでしょう。ジン・アーソを含め、キャラクターが弱いとか、反乱軍がひとつにまとまる動機が見えにくいとか、難点はあります。でもね、まだ1回観ただけだからってのもあるし、僕がマニアじゃないからってのもあると思います。普通に面白かったんですよ、これが。期待値とハードルが高すぎるシリーズゆえにツッコミが鋭くなりすぎる人がいるってだけの話で、基本的にハイレベルの映画作りなんで、酷評とかけなし系のレビューに触れて観に行かないという選択はアホらしい。
 
ジェダイはいません。地味な人たちです。最初っからストーリーの結末はわかってます。引き立て役の隠し味的ストーリーです。でも、彼らがいなければ、スター・ウォーズは始まらなかったと思える、いや、映画を観たら確信してしまう。スピンオフ第1作、十分に合格以上と評価していいと僕は思います。
 
日本では今軍事研究に政府が税金をじゃぶじゃぶ投入してますけど、関係者は『ローグ・ワン』を観てほしいね。ゲイレンの想いを知ってほしいね、なんてことは放送では言わなかったですけど。

バイオハザードI~V Blu-rayスーパーバリューパック 『バイオハザード:ザ・ファイナル』公開記念スペシャル・パッケージ

さ〜て、次回、12月30日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『バイオハザード:ザ・ファイナル』です。4DXチェリーボーイの僕なんですが、その初体験の模様もお話します。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!

 

『海賊とよばれた男』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月16日放送分
『海賊とよばれた男』ひらパーのポスター広告的には『結局やらされた男』)短評のDJ's カット版です。
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出光興産の創業者、出光佐三をモデルにしたと言われる主人公国岡鐵造が、様々な困難を打ち破り、いかに会社を大きくしていったのか、故郷北九州門司で石油業に乗り出した1900年代から戦後までの変遷を辿りながら描く一代記です。
 
2013年に本屋大賞で第1位を獲得した百田尚樹の同名ベストセラー小説が原作で、監督は山崎貴、主演は岡田准一。今回はポスターや公式サイトで驚くほど百田尚樹の名前が小さくなっていますが、それはともかくとして、この座組、そう、『永遠の0』ですね。この番組でも僕がわりと酷評しまして、忘れもしない、一番賛否が分かれた、僕にとっては結構キツかった記憶がある作品と同じ顔合わせ。そこに、今回は山崎貴作品常連の吉岡秀隆染谷将太綾瀬はるか堤真一などなど、日本を代表するキャストがスクリーンを彩っています。
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それでは、なんだかんだ言っても『結局短評する男』マチャオはどう観たのか。『海賊とよばれた男』いつものように3分間の短評、いってみよう。

世界を動かすエネルギーが石炭から石油へと変わるのを見越した若き国岡鐵造。門司の小さな燃料販売店だった国岡商店の舵取りをしていた彼は、その後、店の規模を大きくしていくにあたって、持ち前の知恵と勇気を振り絞り、いつも既得権益に立ち向かっていきます。時に同業者間の紳士協定を破り、時に大胆な営業戦略と商品開発を実行し、時に産業スパイを活用し、時に国際紛争の間隙を縫っていく。
 
正直なところ、僕はもっと「日本人のココがスゴい」みたいな匂いがプンプンする作品かなと予想していたんですが、蓋を開けてみると、そうではなくて、国岡という男は、社員を守る大家族主義的な経営で、国家というよりも、消費者の利益が自分たちの利益に繋がり、それはやがて社会や世界を利することにもなるだろうという理念を持った自由主義経済を良しとする企業家でした。経営の出発点に取ったある手法を周囲からやっかまれて「海賊」と呼ばれた男ですから、彼は基本的に博打を打つようなワンマンカリスマ経営者なので、その都度、次はどうやってこの苦境を脱するんだろうという興味が湧いてきて、戦争映画と比べて地味なドラマながら、脚本の構成を練ることで王道の大河ドラマ的な展開になっていたと思います。これだけでも、十分に観る価値はあるんでしょうが、物足りなさを覚えたのも実は事実。
 
理由は、大きくふたつ。
 
ひとつは、映像的なリアリティの問題。今回は山崎貴監督の強みであるVFXをあくまで限定的にしか使わずにセットやロケを中心に撮影しているんですが、それぞれの時代の匂いとか息遣いが伝わってこなかったんです。限定的だからこそなのか、少し浮いて見えたVFXと同じように、国岡達のドラマがその背景の市井の人々とつながっているようにはあまり見えませんでした。これは細部の積み重ねだと思うんですけど、たとえば衣装や屋内のセットがキレイすぎるんです。わかりやすいところで言うと、社員が戦争から帰ってくるところがありますけど、戻る方も迎える方も、2・3日前に新調してきましたみたいな服装なんですよね。だから、再現ドラマ感が出ちゃう。こういう例はあちこちに見受けられました。結果として、そこに確かに人が生きているという感覚が漂白されていたように思います。
 
もうひとつは、視点が単一である問題。ひとりの革命的な企業家が時代の荒波をくぐり抜けた感動は伝わるんですけど、あまりにも視点が国岡側に寄りすぎていて、たとえば国内外の石油会社の目論見がわからないので、國村隼演じるライバルとのやり取りも、互いにいい演技してるのに、どうにも奥行きが乏しくてあっさりしちゃってます。GHQの場合は、相手方が国岡をどう観ていたのかわかって良かったんですけどね。
 
あと、ひとつ補足すると、マッチョなこの物語で唯一出てきた女性、国岡の妻、ゆき。国岡はなんでゆきに対してあの時アクションを起こさなかったのか描写しないのは、後半の展開を考えるともったいない。あそこはもう一歩感情に踏み込んでほしかった。そうじゃないと、ゆきはキツすぎます。
 
大きくふたつ弱点を指摘しましたが、特に原作を読んでない人、この物語を知らない人は、素朴に好奇心が満たされるはずです。何を隠そう、僕も胸が熱くなる場面がありました。ラストの切なさ、成功したはずなのに虚しさも漂う着地も良かったと思います。
 
僕にとっては『永遠の0』や『STAND BY MEドラえもん』よりも、よっぽど見応えのある作品となりました。

さ〜て、次回、12月23日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』です。ちなみに、23日のCiao! MUSICAは祝日編成で3時間の短縮バージョンとなるため、映画短評は14時に開始します。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!
 

『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』短評

FM802 Ciao! MUSICA 2016年12月9日放送分

『マダム・フローレンス!夢見るふたり』短評のDJ's カット版です。

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ニューヨークに実在した驚くほど音痴なソプラノ歌手、フローレンス・フォスター・ジェンキンス。彼女がいかにして殿堂カーネギー・ホールでコンサートを実現するに至ったのか、音楽への情熱と夫や伴奏者の手厚いサポートを通して描き出す。
 
同じくフローレンスを題材にして昨年日本でも公開されたフランス映画『偉大なるマルグリット』とは違うアプローチで彼女を映画化した監督は、『クィーン』のスティーブン・フリアーズ。フローレンス役は、本当は歌がずば抜けて上手いのに音痴を演じきったメリル・ストリープ。夫のシンクレアをヒュー・グラント。伴奏ピアニストのコズメをサイモン・ヘルバークが担当しています。
 
それでは、いつものように3分間の短評、いってみよう。

これ、映画化の仕方、つまり、脚本や演出の持っていき方によって、たとえばフローレンスがただの困った金持ちに見えたり、芸術の評価も結局のところは金で何とかなってしまうという権威主義批判になるモチーフなんです。そして、実際のところ、さっき言った『偉大なるマルグリット』ではそうなってます。ところが、今回はですね、ちょっと大げさに言いますけど、「無償の愛と情熱の尊さを描いた、ゲラゲラ笑えて、胸が熱くなる物語」ってな打ち出し方になってるし、そう解釈している人も多いと思います。その事実を踏まえて、絶妙なバランス感覚で描いたある意味したたかな映画だと僕は思っています。

偉大なるマルグリット(字幕版)

フリアーズ監督のしたかったことは、夫や伴奏者のように彼女を持ち上げることでも、ニューヨーク・ポストのあの評論家のように彼女の歌唱力を糾弾することでもなく、音痴なのに今でもレコードが売れてしまう、彼女の多義的な魅力を多義的なまま見せるということだと僕は思います。レビューに目を通してみると、この作品が結局彼女をどう描きたいのかわからないという意見もあります。彼女は自分が音痴であることを本当に自覚していなかったのか否か。元俳優の夫の献身的な振る舞いは本物か打算か。などなど。彼女を理解する上で本質的だろう問いに決着をつけていないじゃないかと。似たような理由で食い足りなさを覚えた人もリスナーにいるかもしれません。でも、僕に言わせれば、それこそ落とし所だったんですよ。
 
歌が下手だとあざ笑うコメディーでもないわけです。だって、次第に分かってくる彼女の音楽界への貢献、少女時代からの音楽との関わり方の移り変わりを目の当たりにすると、どうしたって素朴には笑えないですから。
 
無償の愛に支えられた美しき夫婦愛というわけでもないです。あのふたりには、野心と打算と夢と諦めと情熱と割り切りと、やはり愛もあったでしょう、単純ではない心のレイヤーを共有したり隠したり、複雑な関係です。
 
そして、開始10分も経たないくらいだったと思いますが、不意に明かされるフローレンスのある事情。ある苦しみ。
 
世の中には予告を観るだけでもうだいたい分かってしまう、下手をすると、予告のほうが面白い映画ってのがありますけど、この映画は予告からは想像がつかなかった複雑な事情があったんだと引き込まれるんです。みんなそれぞれに「そりゃダメでしょ」っていう事をする一方で、愛おしくなるようなまっすぐさが眩しく見えることもあって、憎めない。
 
登場人物のあるひとつの性格をデフォルメしてわかりやすくキャラ付けするのではなしに、いくつものキャラをメインの登場人物にきっちり入れ込むことによって、フローレンスという人間の意味付け、その着地を逃げてるんじゃなくて、解釈の余地を周到に残しているんです。
 
白も黒もグレーも、人間の強さも弱さも優しさも愚かさも、清濁併せ呑んで迎えるあのラストシーンも、直接的でないからこそロマンティック。綺麗に割り切れない人間ってやつの深みに少しタッチできたような気がするんですよね。そして、フローレンスの歌が当時実は人気を博した理由が、きっと面白半分だけじゃないんだってわかる。それこそこの映画の方針であり、十分に達成していると思います。
 
☆☆☆
 
メリル・ストリープの歌声は、確かに外していて音痴なんだけど、不快に感じる瞬間はほとんど無くて、その意味で実在のフローレンスを体現できていると言えるんじゃないでしょうか。サントラを買うかどうかと言われると、それはまた別の話ですけどね。

さ〜て、次回、12月16日(金)の109シネマズ FRIDAY NEW CINEMA CLUBで扱う映画 aka「映画の女神様から授かったお告げ」は、『海賊とよばれた男』です。百田尚樹原作、山崎貴監督・脚本、岡田准一主演。おっと、この座組はそのまんま『永遠の0』ですね。あの時は厳しい評となりましたが、果たして今作はいかに!? できる限り予断を排してスクリーンと向き合うことにします。あなたも鑑賞したら #ciao802を付けてのTweetをよろしく!