京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『メリー・ポピンズ リターンズ』短評

FM802 Ciao Amici!109シネマズDolce Vita 2019年2月7日放送分
映画『メリー・ポピンズ リターンズ』短評のDJ's カット版です。

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1930年頃、第一次大戦と第二次大戦の間、前作から20年後、大恐慌時代のロンドン。前作で少年だったバンクス家のマイケルは、今や3児の父。祖父の代から代々務めているフィデリティ銀行の臨時職員として働いています。ただ、時代の重い空気は桜通り17番地の彼らの家にも垂れ込んでいて、かつてのような経済的余裕はない上、マイケルの妻が1年前に亡くなったばかり。そんなタイミングで、彼が受けていた融資の返済期限が切れてしまい、自宅が差し押さえられるまでもう少し。バンクス家の一大事に、かつてマイケルを世話した教育係ナニーの魔法使いメリー・ポピンズが、20年前のように舞い降ります。
 
1964年に製作され、翌年のアカデミーでは、作品賞を含むその年の最多ノミネート。そして、ジュリー・アンドリュースの主演女優賞、作曲、歌曲賞、そして、今日はこの話も出しますが、特殊視覚効果賞などを受賞しています。ウォルト・ディズニー肝いりで作られた、実写とアニメを融合したこの名作ミュージカルを、なんとまあ、半世紀以上の時を経て、リメイクではなく、続編を作ったのが今作です。
監督はブロードウェイでの舞台振り付け師としてキャリアをスタートしたロブ・マーシャル。『シカゴ』『SAYURI』『NINE』など、踊りなどの身体表現が軸となる映画で監督をしている他、パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉でもメガホンを取っています。メリー・ポピンズを演じたのはエミリー・ブラント。マイケル・バンクスをベン・ウィショーが演じる他、コリン・ファースメリル・ストリープも印象的な役で登場します。そして、なんといっても驚かされるのは、前作で大道芸人や煙突掃除屋さんとして狂言回し的な立ち位置にあったバートというキャラクターを演じていたディック・ヴァン・ダイク、御年93歳が、またある役柄でスクリーンに元気な姿を見せることです。
 
それでは、制限時間3分の映画短評、そろそろいってみよう!

洋画も邦画も、シリーズだユニバースだリメイクだリブートだと、とにかくヒットしたキャラクターや設定を使い回す、興行的に安全第一な作品作りが多すぎる。そんな批判も業界全体に向けられているところではありますが、この作品については、かなり特殊なケースですよね。間違いなく続編ではあるんだけど、55年も経っているわけで、リアルタイムで前作を観た人よりも、これで初めてメリー・ポピンズに接する人の方が多いわけです。少なくとも、スクリーンでは。その意味で、僕に言わせれば、これは続編でありながらリメイクにもなっている作品です。
 
というのも、基本的な構造は同じなんです。バンクス家に何らかのトラブル発生。メリー・ポピンズ、空から登場。子どもたちに魔法の数々を披露。想像力を養っていくうち、やがては子どももそうなんだけど、むしろ大人が失いかけている無邪気な心を取り戻して夢と希望を抱かせ、問題解決の触媒となった彼女はまた空へ去っていく。そんな話です。前作から時間が相当経っていることを踏まえ、その型はあえてしっかり維持しながら語り直そうという判断だったのだと思います。

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時間に厳しい大人の社会。メリーの不思議な鞄。鏡。空に舞う凧。階段の手すり。絵の中に広がる別世界、銀行とのお金をめぐるトラブルなどなど、前作のモチーフをなぞりながら、続編なんで違いも出していくわけだけど、その違いを控えめにしている。
 
そんな中、僕がとても気に入った今作ならではの設定は、前回煙突掃除夫だったバートという狂言回しが、今回は街灯、当時はガス灯の管理をするジャックという人物に変わっていることです。ロンドンは世界で初めてガス灯を街灯として設置した街であって、街並みのシンボルでもあるわけです。
 
オープニングが見事でした。あれから20年経って、大恐慌に見舞われているロンドンの煤けたような街と、それでもそこにたくましく生きる労働者や子どもたちなど、市井の人々を、今の技術だからできるダイナミックなカメラワークで見せていく。わくわくします。ポイントは、時間が早朝で、ジャックは街灯を灯すのではなく、消して回っていること。実は今回の大事なモチーフは灯りなんですね。どれほどの暗闇であっても、小さな光を探すんだという、それ自体は抽象的なメッセージを映像として物語として見せていくにあたり、灯を消すところから始めるというのは、よくできてるなと感心しました。

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一方、本作への批判は、脚本に集中しています。尺が長いとか、サブエピソードが肥大化しすぎていて本筋がぼやけてしまっているとか。それは僕も否定しません。ただ、それははっきり言って、前作もそうだったじゃないですか。でも、前作を思い出してみても、やっぱり多くの人の心に残っているのはどこって、サブエピソードでの想像力と実験精神あふれる、まさに魔法がかけられたような、楽しくてしょうがない展開だったと思うんです。アニメと実写を融合させて、今見ても「これはどうやって撮影したんだ?」って目を丸くするようなマジカルな遊びをしていました。技術の最先端を駆使したわけです。
 
今回は逆ですね。ディズニーはとっくの昔に手描きアニメからCGへ完全移行。だから、今回ディズニーは当初難色を示したようですが、監督の強い意向で手描きのできるスタッフを呼び戻して、温故知新をやってのけた。手描きアニメのルネサンスですよ。ついでに強く要望しておきますけど、ディズニーみたいな映画界の横綱こそ、古い技術を守るためにも、こうした手書きの復興はもっと頻度を上げて、少なくとも数年に一度くらいはやるべきだと僕は思っています。
 
さておき、そうした、それこそ子どもが遊びに夢中になって家に帰るのを忘れてしまうような、そういう本筋からの脱線とか、語りのマトリョーシカ構造部分にこそ、僕は最大の魅力があるんだと理解しているので、別にいいじゃんって思っちゃうんですよ。ちゃんとセットで作り上げた、上下逆さまの家とか、理屈抜きに楽しいもの。

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ただ、そうは言っても、冷静に振り返れば、ご都合主義としか言いようのない展開が目に余るのも事実です。特にラストの時間とお金を巡る一連のサスペンス展開と解決法については、なんだかな~って首を傾げたし、悪役のバンクス家へのこだわりも説得力に欠けるものがありました。
 
それから、前作の名曲を使わずに徹底してオリジナルにした音楽も、気に入ったのはいくつもあるんだけど、終わってから口ずさめるかって考えると、前作には一歩二歩及ばなかったかなとも思います。
 
と、四の五の言ってきましたが、今の主流である「リアルな描写」でなく、ファンタジーなんだからと、あえて古い技術を大胆に導入したのは逆に新しかったし、夢と希望を風船に託したエピローグも素敵でした。そして、お隣さんのブーム海軍大将を筆頭に、「世の中変わった人がいてもいいんだ」っていうメッセージが前作以上に前に出ていたことも含め、大いに楽しめる1本でした。原作のエピソードもまだまだ残っていることだし、また近い内に続編を作って、今度はさらなる違いで僕らを魅了してほしいなと願っています。

さ〜て、次回、2019年2月14日(木)の109シネマズ Dolce Vitaで扱う映画 aka「映画の女神様からのお告げ」は、『ファースト・マン』です。来てしまいました。デイミアン・チャゼルライアン・ゴズリングの『ラ・ラ・ランド』コンビ再び! こりゃ、IMAXで観たい! 僕、アームストロング船長の私生活やキャリアについて調べたことないんですけど、ここはあえてそのままの状態で、劇場というロケットに乗り込みます。あなたも鑑賞したら #まちゃお802 を付けての感想Tweetをよろしく!