京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『WAVES ウェイブス』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 8月4日放送分
映画『WAVES/ウェイブス』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

フロリダに暮らすアフリカ系4人家族の物語です。高校生の長男タイラーは、成績優秀で、レスリング部ではスター選手として活躍する文武両道、自慢の息子。厳格な父親を疎ましく思いながらも、リスペクトもしていて、かわゆいガールフレンドに癒やされる日々です。しかし、肩に重い怪我を負ったところから、彼の人生には暗雲が垂れ込めるようになります。ある悲劇を境にもろくも壊れゆく家族。その心の再生が、後半は妹のエミリーを中心に描かれます。

 
監督、脚本、共同編集を手掛けるのは、現在まだ31歳という俊英のトレイ・エドワード・シュルツ。タイラーをケルヴィン・ハリソン・Jr、妹のエミリーをテイラー・ラッセルが演じましたが、今後このふたりは要注目ですね。
あと、基礎情報として外せないのは、制作したのがA24というスタジオであることですね。『ムーンライト』『レディ・バード』『へレディタリー/継承』など、低予算ながらも質の高い作品、そして優れた才能の若手を輩出する制作会社として、新作を出すたびに注目を集めている映画制作会社です。
 
僕は先週火曜日の昼、109シネマズ大阪エキスポシティで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

 

監督のトレイ・エドワード・シュルツは、作品の中に自伝的な要素を色濃く反映させる作風のようで、今回も自分の経験したことに関しては、ちょっとどうかと思うレベルで再現したり、演技指導に織り込んだと聞いています。が、物語としては、そんな突拍子もないことって起こらないんですよ。最悪な事態は到来するし、心温まるシーンの素敵さも忘れがたいんですが、クールに出来事レベルでまとめると、まぁ、ドロドロの昼ドラとか、中学生日記にもありそうなホームドラマです。家族の軋み、恋愛、スポーツ、性、怪我、病気など、その多くは誰もが程度の差こそあれ経験するようなもの。なのに、シュルツ監督の確固たるビジョンで演出すると、なるほどこれは確かに、アッと驚くし、すごく今っぽくて新鮮な作品だと感心させられるんだから、その手際は見事だと言わざるを得ません。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

技術的な特徴として、まずカメラを挙げましょう。かなりよく動きます。特に前半、いきなり車の中で360度水平に回ってみせるのが象徴的でしょう。もちろん登場人物も持っていますが、スマホで動画を撮影したり投稿したりという、あの忙しない感じがスクリーンに展開されていて、それがそのまま兄タイラーのリア充極まりない日常を描くスタイルとしてマッチしているんです。ポスターにもなっている、赤と青を基調とした鮮やかな色使い、そのコントラストもすごい。ちょい久々に会ったガールフレンドと夕焼けの海で抱き合う時の、彼女のマニキュアの蛍光っぽいあのオレンジとか、徹底してんなぁって思いました。で、一転して、後半ではカメラはおとなしくなります。動から静へ、視点も兄から妹へスイッチ。どんよりした彼女の心に、事あるごとに押し寄せる、無力感や後悔、罪悪感。飲まれそうになったり押し流されそうになる、そんな感情の浮沈から、少しずつ立ち直ろうとする様子が、丁寧で静かなカメラワークと音楽、柔らかい色使いで表現されます。で、実は画面の縦横比、アスペクト比も変化します。1.85:1のビスタ、より横に長いシネマスコープ、さらに横に伸びたり、今度はスタンダードになったりと、複数の画面サイズをシーンによって使い分けているんです。グザヴィエ・ドランもそういうことをしますけど、スマホならそんなのちょいのちょいだし、色んな画面サイズを日頃から使ってきた世代の監督ならではだなと思いますね。もちろん、そのサイズが寄せては返すキャラクターの感情をある程度示してもいます。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.
こうしたいくつもの仕掛けを語っても、まだ大事な要素が抜けてます。音楽ですね。シュルツ監督は、31もの既存曲を台本の時点で添えてあって、関係者がオンラインで参照できるようになっていた台本には、シーンごとに該当曲を鳴らせるようにしてあったという念の入れようです。だから、字幕では限度もありますが、歌詞やサウンドがかなりシチュエーションや感情とリンクさせてあるわけです。

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(C)2019 A24 Distribution, LLC. All rights reserved.

何代も苦労を重ねた末の、アフリカ系ファミリーの経済的に安定した暮らし。成功したからこそ、努力はすれば必ずかなうんだというマッチョな思い込みもあって、宗教的にも敬虔で、善良であるがゆえに、家族4人それぞれが「らしさ」と役割から逃げられなくなっているし、互いに無意識に押し付けあっているんですね。だから、ひとつボタンを掛け違えると、あっという間に瓦解する。あの家は、そんな砂上の楼閣です。波が来れば、砂の城はもろいです。でも、形を変えて、既成の家族像ではないものを、もう一度構築できはしないか。そんな再生の物語を、シュルツ監督は、工夫をこらして映画にまとめました。トピックも、技術も、音楽も、ひとつひとつはありものなんだけれど、監督の手にかかれば、経験したことのない映画的語り口になっています。
 
観ていてモヤッとはするし、130分を長く感じる人もいるだろうけど、それはこの映画が誰かを裁くことではなく、許しにベクトルを向けているからです。許すのには時間が必要。それを音楽などありものを梃子にして描き切りました。好き嫌いは別として、彼のセンスを映画館の良質な視聴空間で浴びるように受け止める作品でした。
たくさん流れる既存曲の中でも、59年のこの曲は大事なところで2度使われます。流れる時の違いにも否応なしに気づかされます。 

さ〜て、次回、2020年8月11日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当ててしまったのは、『透明人間』です。映画館で観た予告だけでも失禁寸前だった僕は、無事に最後まで目撃できるんでしょうか。こんな納涼、望んでなかった… でも、映画の神様のお告げなので、観念して行ってきます。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『パブリック 図書館の奇跡』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月28日放送分
映画『パブリック 図書館の奇跡』短評のDJ'sカット版です。

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アメリカ、オハイオ州の街、シンシナティ。記録的な寒波に見舞われていた冬、中央図書館で司書として働くスチュワートは、常連の利用者であるホームレスから、思いもかけないことを言われます。「今夜、俺たちは帰らずに、この図書館を占拠する」。市のシェルターが収容能力を超えている中、このまま路上へ出れば、凍死してしまうと、70人ほどのホームレスたちが、閉館時間を過ぎても居残りを決め込んでいます。さぁ、スチュワートはどうする。図書館長、他の司書、検察、警察、メディア、市民を巻き込んだ、長い夜が始まります。

星の旅人たち (字幕版)

製作・監督・脚本、さらには主演まで務めたのが、エミリオ・エステベスチャーリー・シーンのお兄さんです。『セント・エルモス・ファイアー』『ブレックファスト・クラブ』など、80年代青春映画にどんどん出演する一方、23歳で監督デビュー。ケネディ暗殺事件を描いた『ボビー』や聖地巡礼ロードムービー『星の旅人たち』など、着実に監督としてのキャリアも重ねていて、今作が7本目です。
 
僕は先週木曜日の夕方、なんばパークスシネマで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

図書館っていうと、ただで本を貸してくれる公共の施設。その定義は間違ってはいないんですが、あの静かな空間で行われていることは、実はもっと多義的です。大学院の修士課程に入った頃だったかな、僕は大学図書館の活用法についてレクチャーを受けたんです。そんなもの、教えてもらわなくったって知ってら〜って、半ば義務的に参加したんですが、なるほど開架されているものだけでなく、書庫にはそれこそ膨大な書物、資料が眠っていて、普通だったら、中には司書でないと入れないのだけれど、院生なら中に入れますよって。無敵か!と思いました。野村さんは映画の研究をなさるんだったら、この棚には国内の映画雑誌、海外のメジャーなものならバックナンバーがありますんで、なんて司書の方に教えてもらいました。宝の山だと思うと同時に、これだけの情報、知識にアクセスするための案内役となる司書の仕事に関心したこと、覚えています。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
タイトルにもなっているパブリック。「公の」ってことですね。映画の舞台もそうですけど、図書館というのはそのほとんどが公立で、基本的には誰にでも開かれているわけです。借りるのは市民である必要があるでしょうが、少なくも立ち入って閲覧するのは誰でもできる。何か調べ物をする、知的好奇心を満たすために参考書となるような文献について、司書に質問することができる。この誰にでもってことが、とても大切で、そこがまさにパブリックってことですよね。知識・情報へのアクセスを制限することなく、どんな状況の人にも等しくサービスを提供する。のは、原理原則であって、理想であって、それはなかなか難しいことでもある。だって、図書館のあの静謐な環境ではありますが、実は司書の仕事って心穏やかノンストレスではないんですよね、映画の前半で早速示されるように。素っ頓狂な質問をぶつけてくる人も結構な数いて、もちろん、本の管理もあるのだけれど、トイレではホームレスが身体を洗っていたりするので、それ以上の問題がないか見に行って、少し会話につきあう。根気と寛大さ、そして人に迷惑をかける利用者がいれば、時には苦渋の選択として、退去を願い出る主人公スチュワート。一度あったらしい事例の理由は体臭。匂い。申し訳ないが、出直してくれないかと。すると、彼は訴えられて被告の身に… 建前論でガンガン攻め立てる検察。部下を守りきれなくとも止むなしといった雰囲気の館長。などなど、訴訟に対してそれぞれのスタンスで保身めいた行動を取る関係者たち。この前フリがポイントです。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
その後、問題の占拠事件が起こる。内部は実はいたって平和なデモンストレーション。要求もシンプル。何も悪さをするつもりはない。外の寒さでは生き残れない。せめて今夜、私たちに屋根を。ぬくもりを。そこで、渦中のスチュワートが、さらにまた厄介ごとの中心に。要は人質状態になるわけです。さっき話したフリで登場した人物たちも、皆当然解決にあたろうとはするのですが、そこで露呈するのは、要は本音ですよ。みんな多かれ少なかれ、馬脚をあらわしたり、腹をくくったり、目覚めたりと、変化します。ホームレスの問題もさることながら、Black Lives Matterのこともさることながら、僕はこうしたキャラクターの言動の変化を観察する作品として魅力を感じました。ひとつの事件に対して、いろんな視点が提示されるというより、それらがどう変化するかを観るのが興味深いんです。
 
どうやら過去の失敗を乗り越えて今があるらしいスチュワートは、誰にでも開かれた民主主義の砦である図書館で、ひょんなことから出ることになったテレビに向けて、不器用だけれど思いつきで、だけれども図書館司書らしい、教養の力を信じる引用をします。日米ともに反知性主義がはびこると言われる中、あの言葉には力があったし、もうひとつ、歌にも力がありました。文脈を変える、コンテクストを変えると、音楽は言葉はまた生き生きと新しい意味をまとうことを表すいい場面だったと思います。

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© EL CAMINO LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
最後にはきっと、あなたも変化していることと思います。冒頭で出てきた利用者からの困った素っ頓狂な質問の数々が、また耳に聞こえてきた時。面倒くさいなってものも、愛おしくなってくると言うべきか、この場所が無くなってはいけないって、僕は思えました。誰にでも開かれたパブリックなものでなくてはならない。そう、民主主義って、だいたい面倒くさいんだって思い出しました。
番組では、劇中で大事な役割を果たすこの曲をオンエアしました。あと、放送ではネタバレかなと触れませんでしたが、スタインベック怒りの葡萄』が引用されるくだりは、そりゃ印象に残ります。
 
そして、パンフレットはおすすめ。武田砂鉄氏のコラムによれば、昨秋、台風19号の折、台東区が避難所へのホームレスの受け入れを拒んでいたことを知りました。なんたる!!!!

さ〜て、次回、2020年8月4日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『WAVES/ウエイブス』です。劇中で31曲も流れるらしく、そりゃ興味津々です。MVみたくなっていないのか。惹句の「ミュージカルを超えたプレイリスト・ムービー」の意味がなんだかよくわからないんだけど。やたら映像はきれいらしい… なにはともあれ、百聞は一見にしかず。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『一度も撃ってません』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月21日放送分
映画『一度も撃ってません』短評のDJ'sカット版です。
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誠に売れない小説家、70代の市川進。タバコ、トレンチコート、そして黒のハットを愛する彼は、夜の街を徘徊する伝説のヒットマン。なのだが… 殺しの仕事を請け負っては本物のヒットマンに下請けさせ、自分はその現場の状況をヒアリングして小説のネタにしている。妻や編集者からは愛想を尽かされ、腐れ縁の元検事や元ミュージカル女優とバーでよろしくやっているが… ついに市川にもツケが回り、ある長い夜が始まる。そんなハードボイルド・コメディーです。
 
なんといっても、市川を演じる石橋蓮司の久しぶりの主演作として話題になりました、この作品。妻には、大楠道代、元検事に岸部一徳、元ミュージカル女優には、桃井かおりという、泣く子も黙るベテラン勢の顔ぶれ。さらには、佐藤浩市寛一郎、そして柄本明柄本佑という2組の親子共演も実現。豊川悦司江口洋介妻夫木聡井上真央など、ものすごい布陣です。

どついたるねん 団地 [Blu-ray]

 監督は、『どついたるねん』『顔』『団地』『エルネスト もう一人のゲバラ』で知られる阪本順治。公開前には、番組では監督へのインタビューを放送しました。脚本は、『野獣死すべし』『探偵物語』のベテラン、丸山昇一です。

 
僕は一度サンプルをパソコンで観ていたんですが、これではいかんと、先週木曜昼下がり、大阪ステーションシティシネマで鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
映画を鑑賞する上で、とにかくしくじりたくないという方が増えています。わざわざ金を払って映画館へ行くからには、何かスカッとしたり、教訓・メッセージの類があったり、泣けたり笑えたりというわかりやすい感動があったり。大どんでん返しの果てに、回収される伏線!  そういうもの期待している方には、正直、肩透かしかもしれません。なにしろ、主人公は一度も撃っていないって、タイトルから既にバラしてあります。じゃあ、今度こそ、鉄砲を撃つことになるのではないか。という期待、可能性のサスペンスは成立しますが、爽快なカタルシスを得るようなものでないことは、予告からもうかがえるでしょう。
 
では、何を楽しむのか。それはもう、今や時代劇ばりに数の少なくなったハードボイルドの雰囲気、そのケレン味ある監督の画作りがまずひとつ。カクテル一杯が2000円くらいする、オーセンティックなバーのカウンターの端でマッチを擦り、少し顔を傾げて、タバコに火を付ける。かと思えば、ドリンクオール500円、新宿ゴールデン街にありそうな、知性と猥雑が同居するようなバーで、ウィスキーをあおる。どれも絵になります。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

とはいえ、翌朝には、その市川が妻の作ったしじみ汁をズズズッとすすっている。なんて、老夫婦のふたり暮らしは、絵にはなりません。妻は教職をリタイアしていて、悠々自適。スマホを持って、友人のSNSにツッコミを入れています。ふたりのトイレの巡るやり取り、ゴミ出しでのご近所さんとの、害はないがかったるい会話がある。たまらず、吹き出してしまうし、劇場でも笑い声が聞こえてきました。この身も蓋もない日中の日常と、もはや時代遅れなまでにキザな夜のファンタジー。そのギャップが生み出す笑いが楽しみになってきます。
 
現実から逃避するように、市川は小説を書く。ただ、その小説には、彼の言う「リアル」が必要で、それを追求しすぎた結果、銃器にやたら詳しくなり、ヒットマンともタッグを組む。がしかし、そのこだわり、リアルは出版されることはなく、出版社の引き出しに眠り続ける。現実には日の目を見ないリアル。昭和と令和。社会の裏表。世代の新旧。生と死。虚構と現実。この作品は、こうした対立軸をどんどん放り込みながら進みます。セリフで言えば、「夜は酒が連れてくる」と、「朝はしじみが連れてくる」の対応が象徴的でしょうか。両者が互いに作用し合って、綯い交ぜになりながらも、とにかく時間は人生は進んでいく。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

そもそも、この企画は、亡くなった原田芳雄さんを慕う映画人たちの宴の席で出てきたもの。あのバーのyというのを、芳雄のyと考えれば、これまた現実と虚構がごった煮になります。そういう、資本ありき、商売っ気ありきじゃないからこそ生まれる、大人たちの本気の遊びに、僕らはつき合うわけです。キャスティングが豪華で、みんなはまり役なのは、誰もが楽しんで遊び場でキャッキャやっている。そんな場を役者たちも求めているからでしょう。キャラクターも役者のキャリアも、「連帯を求めて、孤立を恐れず」なところがあります。一癖も二癖も、いや、個性のある皆さんばかり。粋なもんです。あるいは、そこに、メッセージがどうだなんてのは、野暮でしょうよ。市川のこだわりと悪あがき、表裏一体の夢のあり様を僕たちはしばし眺めて、劇場が明るくなれば、現実に飲み込まれる。

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(C)2019「一度も撃ってません」フィルムパートナーズ

ラストショット手前、原田芳雄の文字をもとに彫ったという、バーyの看板の表裏が入れ替わります。若いスタッフを多く起用したという阪本監督。原作ありきのソロバンばかりを気にした大作ばかりじゃなくていい。って、もちろんお客さんが詰めかけるに越したことはないのですが、そんな軽妙洒脱で、盛り上がりも笑いもちょうどいい映画が受け継がれていくといいなと、僕は帰りの電車の中でふと思いました。
Yという名のあのバーで、桃井かおり演じる元ミュージカル女優が、十八番なんでしょうね、バーテンダーにシェイカーを借りて、それをマイク代わりに、こんな曲を。みんなは静かになってうっとり。今日はビリー・ホリデイの歌でお送りしました。ガーシュウィンのメロディーを歌った吹いた人、多数。ビリー・ホリデイがヒットさせて、コルトレーンマイルス・デイヴィスエラ・フィッツジェラルドビル・エヴァンスジャニス・ジョプリンのブルージーな解釈も良い。そこに、桃井かおりも日本語に独自に訳して、加わった格好です。
 
それにしても、井上真央は良かったなぁ。こいつ、人の話、まったく聞いてねぇな。あるいは、質問したくせに、本当はまったく興味ねぇな。そんな感じがびんびん伝わってきて、僕はひとりマスクの下でほくそ笑みっぱなしでした。あと、ヨーロッパ企画の諏訪雅さん、出てらっしゃったと思うんだけど、気のせい?


さ〜て、次回、2020年7月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『パブリック 図書館の奇跡』です。既に番組にもリスナーから「観に行ってきた」「良かった」と感想が届いていたので、僕も気になっていた作品です。なんか、映画館再開後、良質なミニシアター系の作品が渋滞している感がありますね。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『カセットテープ・ダイアリーズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月14日放送分
映画『カセットテープ・ダイアリーズ』短評のDJ'sカット版です。
 

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.
1987年。ロンドンから車で1時間ほどの町ルートンで暮らす、パキスタン系の移民2世である16歳のジャベド。趣味は詩を書くこと。イケてなくはないが、ちょいと根暗でぼんくら感のある彼。流行りのペット・ショップ・ボーイズを聴きながら、保守的な父に心の内では反発し、サッチャー政権下で移民排斥と差別的言動を繰り返す町の住民を見ては、こんなところ抜け出したいと願っていました。ある日、入学した高校で、ムスリムのクラスメートに借りた、ブルース・スプリングスティーンのカセットテープが、ジャベドのを覚醒させます。

ベッカムに恋して [レンタル落ち]

原作は、日本では訳が出ていませんが、作家・ジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの回顧録。つまり、この物語は実話なんですね。そのマンズールと、共同脚本、そして製作・監督を務めたのは、インド系の女性監督グリンダ・チャーダ。『ベッカムに恋して』が有名ですが、ミュージカルから大河もの、そしてドキュメンタリーまで、得意分野の広い方です。ジャベド役のヴィヴェイク・カルラや、ヒロインのネル・ウィリアムズなど、新人が活躍する他、理解ある女性教師役で、『プーと大人になった僕』でユアン・マクレガーの相手役を務めたヘイリー・アトウェルが登場します。
 
僕は先週火曜日の昼すぎ、TOHOシネマズ二条で鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

不惑を越えたからか、はたまた、コロナ禍でメンタルが弱まっているのか、理由はともあれ、最近よく映画で泣いています。中でも、今回は、涙の量という点においては、群を抜いていました。なぜ僕の頬からアゴにかけてを、マスクをすり抜けて涙が伝ったのか、その理由を考えました。ひとつは、87年のイギリスの小さな街でのジャベドの物語が、僕の物語だと思えた、つまり当事者意識をもって観ていたからだと思います。ちょうど、彼がブルース・スプリングスティーンの音楽、つまり大西洋をまたいだアメリカの地方都市で生まれた一昔前の曲に心揺さぶられたのと同じように。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

大事な要素としては、僕は3つ挙げます。それは、地域での疎外感、父親、そして音楽。
 
1つ目の「地域での疎外感」から話します。ジャベドは、親が移民なので2世。家庭内でも英語だから、ウルドゥー語は多少話せても、母語は英語。現地の学校に通っているから、自分としては中身はイギリス人なんだけど、周囲から見ればそうじゃない。仲良くしてくれる友達には幸い恵まれるし、そこそこごきげんにやっているのだけれど、ふとした瞬間に訪れる、ここが最終的な居場所ではない感じ。ここの人間ではないんじゃないかという感覚はあるものの、何をすればいいかわからない。とりあえず、文章で想いを書き留める日々。
 
2つ目は、父親について。ただでさえ、思春期なら反発がある上に、ジャベドの家の場合は、パキスタンとイギリスでそもそもずいぶん価値観が違うカルチャーギャップがあって、厳然たる家父長制の中でトップに君臨するお父さんに、唯一の息子として、従いつつも、違和感を覚えてもいます。移民排斥で矢面に立つ父には頼もしく思いつつも、とにかくいい仕事に就かせるためだけに自分の教育を捉えていることには辟易しています。女の子にうつつを抜かしてんじゃないって感じもね。結果として、やっぱり、ここではないどこかへ行くしかない。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

3つ目は、音楽。ジャベドはどこへ行くにもウォークマンで、もともと音楽を聞いていたし、幼馴染のマットと音楽やりたいねと、彼は歌詞を書いている。そこへ、ハイスクールでブルースに出会うわけです。貸してくれたのは、似た境遇だけれど、もっと朗らかな男。聞いてみると、グッと来る。これは僕の言葉だし、未来を照らす懐中電灯でもある。流行の音楽、シンセの音に馴染めきれなかったところに、サウンドもフィット。そこで、彼は自分を解放できるようになるわけです。
 
いずれも、よくわかる。1と2の鬱屈があって、3が突破口になる。そこで一気に成長するんだけれど、触媒になっていたのは、あの女性の国語教師でしょう。彼女はいち早くジャベドの文章力を見抜いて、率先して褒めるし、どんどん書け、もっと書けと鼓舞する。それから、近所の強面だったり、チャラい感じのおじさんたちも、それぞれにジャベドを認めてくれました。ああいう、世代を越えた理解者が家族以外に生まれたことも、彼の精神的支えになった様子がよくわかりました。
 
で、普通なら、自信を持った彼が張り切って、自分にとっての「約束の地」へと向かいましたとさ。これで終わりなんだけど、僕が心打たれたのは、学校で行ったハイライトのスピーチです。ジャベドがすごいのは、思い切ってイギリスに移り住んだ、若い頃の父親の境遇に思いを馳せながら、ボスを聴き込んで血肉と化した彼のスピリットをもって、父や地域社会といかに融和できるか、その可能性を模索するってことです。アメリカン・ドリームを、アメリカでもない自分の街で実践することです。自分が抜け駆けをするのが目的だろうか。ボスは言う。『全員が勝たなければ、誰も勝ちにはならない』。外に出ることはあっても、僕はここを捨てたいんじゃないんだと、グンと成長して、器が一気に肥大化するんです。

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(C) 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.

それがきれいごとでもなんでもないって、本当にそう思えているんだって、わかる物語運びになっているので、涙腺が緩みます。嵐の夜に初めてボスの音楽を聞いた時の、歌詞の出し方とか、ちと長いなとか、ボスの音楽の聴かせ方のバリエーションは、もうひと工夫ほしかったですが、思春期に音楽や自分の打ち込む何かを自分のよすがにしたことのある人なら、確実に喰らうはずです。そして、僕は、まんまとボスの音楽をもっと知りたくなりました。聞き込みたくなりました。その意味で、『カセットテープ・ダイアリーズ』は大成功だと言えるでしょう。
ちなみに、『カセットテープ・ダイアリーズ』は邦題でして、原題は、この曲のタイトルでした。僕の言ったスピーチシーンでも言及があります。曲の邦題は『光で目もくらみ』。

 

さ〜て、次回、2020年7月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『一度も撃ってません』です。コロナで公開が延期されていたものが、ようやく7月3日に決まり、3月に収録していた阪本順治監督へのインタビューを、この番組でもオンエアしました。当然、既に観ていますが、改めて劇場へ行ってきます。この演技バトルを鑑賞、いや、観戦するために。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 7月7日放送分

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19世紀半ばのアメリカ。ということは、しばらく前に評した『ハリエット』と同じ時代の物語ですが、こちらは白人女性たちが女としてどう生きるかを描いています。マーチ家の4姉妹。次女のジョーは、情熱あふれる人物で、周囲とぶつかることも厭わない作家志望。他の3人にもそれぞれ才能があります。長女のメグは、演劇。でも、彼女が望むのは幸せな結婚。三女のベスはピアノ。でも、病が彼女の未来に影を落としています。そして、末っ子のエイミーは絵画。やがてパリへ留学しますが、自分の限界を知ることに… 幼少期と、青年期、ふたつの時期を交互に見せながら、映画は4人の生きざまを浮き彫りにします。

若草物語 (字幕版) 若草物語 (角川文庫)

原作は、ご存知、ルイーザ・メイ・オルコットの自伝的小説『若草物語』。これまで何度となく映像化されました。日本のアニメだけでも、シリーズ化が3回。漫画にもなっているし、ドラマ化も各国でされました。映画は1917年に始まり、今回で9度目。愛されていますね。脚本・監督は、なんとまぁ若い36歳のグレタ・ガーウィグ。3年前、『レディ・バード』で高い評価を得ました。

レディ・バード (字幕版) ミッドサマー(字幕版)

ジョーを演じたのは、『レディ・バード』でも監督とタッグを組んだシアーシャ・ローナン。末っ子のエイミーは、『ミッドサマー』のフローレンス・ピュー。長女はエマ・ワトソンが担当したほか、4姉妹の幼馴染、ローリーには、ティモシー・シャラメが扮しています。あとは、メリル・ストリープが4姉妹のおばとして強い印象を残しています。
 
アカデミー賞では、作品賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、作曲賞、衣装デザイン賞にノミネートしました。
 
僕は先週金曜日の朝一番、Tジョイ京都で鑑賞してまいりましたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この作品がアカデミー賞に多数ノミネートというニュースに接した時、『若草物語』の映画化をなぜ今さらって、まったく興味を惹かれなかった過去の僕を、今の僕はひっぱたいてやりたい気持ちです。グレタ・ガーウィグ監督はパンフレットに掲載されているインタビューで、独自の解釈がなければ、名作文学の映画化なんてやるもんじゃないと発言していますが、これははっきりと彼女が自分の色を打ち出し、なおかつ原作への最大限の賛辞を表明もするという、お見事な作品です。『ロビンソン・クルーソー』や「ズッコケ三人組」シリーズに夢中で、あんなの女の子向けだと見向きもしなかったマチャオ少年に、今なら差し出しますね。映画を観て、まんまと原作を読みたくなったし、そこから現代に通じる生き方模索の物語を僕も解釈したいと思わされました。それぐらいに、これはグレタ・ガーウィグの『若草物語』だし、メイン・キャラクターであるジョーにとっての「わたしの若草物語」になっています。
 

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冒頭、作家志望のジョーが、自分の娯楽小説を雑誌に掲載してほしいと、男だらけの職場、出版社へと単身乗り込んでいくところ。文字通り、未来への扉にもなるあのドアを前に、息を整え、決意を固める後ろ姿。さぁ、行ったるで! よく伝わりますね。だけど、早速、事実は隠すんですよ。これは私の作品ではなくて、私の友達のものでして… その時に、サッと短い編集で、カメラは彼女の手元を見せます。その指はインクで汚れている。女性が作家として世に出ることのまだまだ少なかった頃の話です。ジョーが勇気を振り絞りつつも、慎重にことを運んでいるのがすいすいわかりますよね。で、原稿料の話も出てきます。趣味じゃない。これは仕事。そう、ガーウィグが打ち出したのは、女性の経済力という、今も解決していない問題。本来、原作にもあった要素をブロウアップしているんです。

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考えてみたら、この物語には、すごく要素が多いんです。幼少期の家族やご近所との関係。ぼんやりと描く将来の夢。恋愛。大人になることの意味。結婚。仕事。趣味。そして、何より、女性であること。これを余すことなく、ほどよく整理して描いてあります。難しいさじ加減ですけど、この整理しきらないのが大事。だって、四人ともすごく迷っているから。
 
19世紀半ばのアメリカでは、女性である、ただそれだけの理由で諦めざるを得ないことも多かったわけです。それが、ほぼ同じ時代を描いた『ハリエット』であれば、黒人である、ただそれだけの理由で、と言い換えることもできるでしょう。生まれ持っての性質が、人生の可能性の大部分を決めるようなことがあって良いのか。これはBlack Lives MatterやらMe Tooという、ここ数年の運動を考えれば、残念ながら、今もなお有効な問いのはずです。

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原作者オルコットが実際に育った土地でのロケ撮影。美しい景色もすばらしかったし、キャスティングがどなたをとってもバッチリ。描写の量に多少の差はありますが、四姉妹も、両親も、ご近所さんも、おばさんも、みんな愛おしくなってきます。とりわけ、書くことに全身全霊を傾けるジョー。結婚はゴールにしていません。そんな彼女が、シャラメ演じる、ルキーノ・ヴィスコンティヴェニスに死す』ばりの美青年っぷりを発揮するローリーとは、付き合っていたものの、別れちゃうんです。これ、ネタバレではなくて、過去と現代を行ったり来たりで先に明かされる。では、なぜ別れたのか。もう泣ける。ジョーの言葉ひとつひとつが、迷いが、自分でも気づいている矛盾が、すべてすくい取られていて、もう大変。
 
最終的に、僕にも響きまくったわけですから、大人になることと、自立して生きていくこと、その葛藤を覚えたことのある人には、鑑賞の意義があることと信じます。あ〜、四姉妹が今も愛おしい。
劇伴は、名匠アレクサンドル・デスプラが期待通りの仕事をして、アカデミーノミネートとなりましたが、ここでは予告編で使われた、アメリカのカントリー、シンガーソングライター、ケイティー・ヘルツィヒ(Katie Herzig、ケイティーだと思うんだけど、Apple Music他、ケルティーと表示されているものも…)のWasting Timeをお送りしました。この方を知ったのも収穫でした。

さ〜て、次回、2020年7月14日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『カセットテープ・ダイアリーズ』です。今週は自分のくじ運を褒めてやりたいです。ブルース・スプリングスティーンの音楽について、そのスピリットについて、知識ではなく、もっと体感するような形で僕は学びたかったんです。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『野性の呼び声』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月30日放送分
映画『野性の呼び声』短評のDJ'sカット版です。

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カリフォルニアのとても裕福な家で飼われていた大型犬のバック。人間にとてもなついているものの、いたずら好きでしょっちゅう人を困らせています。ある日、犬を販売する業者にさらわれ、これまで接したことのない大自然の広がる、アラスカへと連れてこられます。そこは雪原の広がる厳しい世界。犬ぞりの引き手として働くことになる中で、流浪の男ソーントンと出会い、彼とバックは互いに心を許した相棒となります。一緒に旅をしてユーコン川の奥地へと赴くうちに、バックの耳には、森の中から聞こえる遠吠えが響きます。

野性の呼び声 (光文社古典新訳文庫) ヒックとドラゴン (字幕版)

 1903年ジャック・ロンドンが書いた、アメリカ文学史に残る同名小説が原作で、1908年のD.W.グリフィス監督以来、繰り返し映画化されてきました。今回の監督は、アニメ『ヒックとドラゴン』のクリス・サンダース。製作は20世紀スタジオ。ご存知20世紀フォックス映画がディズニーに買収されて最初の作品です。

 
ソーントンを演じるのは、ハリソン・フォード。他に、アラスカの犬ぞり郵便配達夫として、『最強のふたり』で名を上げたオマール・シーも出演しています。
 
日本公開は今年2月28日でしたが、そのタイミングでは映画神社のおみくじが当たらず、コロナ禍によって配信作品を候補作に入れるようになってから、先週ついに課題作となりました。僕は、アマゾンのレンタルで先週水曜日に自宅リビングで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評いってみよう!


先週火曜のエンディングでは、「ハリソン・フォードがワンコと大冒険」の映画、みたいな、強引な要約をしていた僕です。観てみると、間違いではないが、まず、それは後半の話であって、基本的にはとにかくバックの話です。序章があって、舞台が北の大地に移ってからのメインパートが前後半に分かれるという構成となっています。順を追って、ポイントを確認していきます。

 
序章では、カリフォルニアでののんきな暮らしぶりが描かれます。街の名士である判事の犬だってことで、多少行儀が悪くとも、街を勝手にひとりで、違う、一匹でうろついていようとも、多少のイタズラはおめこぼしというご身分でした。いかにバックが野性とは程遠い環境で生きてきたか、そして愛嬌のあるキャラクターを観客に植え付ける導入ということになりますが、正直に言って、僕は早速戸惑い始めました。むず痒くなってきたというか。人が動いたモーション・キャプチャーを前提としたCGではあるのですが、最新技術を駆使しているはずなのに、そこそこ画面ではそのCGっぽさが出ているんです。これは、サンダース監督がアニメ畑の人だからだと思いますが、動きがかなりコミカルに誇張されたものになっているので、技術というよりも動きで現実の犬っぽくなくなるところがあるんです。

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とまぁ、そこは何とか僕も食らいついての、メインパート。前半は、オマール・シー演じる犬ぞりの郵便屋さん、そしてソリ犬たちとの交流です。バックにとっての第二の人生、いや、ワンダフル・ライフの始まりですって言うと、別の映画になりますが。実際、犬のモノローグこそないものの、あくまでバックという一匹の犬が他の犬、狼や人間と交流するという意味では、『僕のワンダフル・ライフ』と似通っています。こちらは、バックの心身の変化を描くのが主眼であるという違いはありますけどね。身体は野性の呼び声に導かれて、大自然の中で働いてさらにたくましくなり、心もどんどんその奥行きを増していくというか、しなやかになっていきます。

僕のワンダフル・ライフ (字幕版)

ただ、犬に噛まれたことこそ何度かあっても、犬を飼ったことのない僕にしてみれば、これはずいぶんと物語的に都合の良いワンちゃんだなと思わざるを得ない場面もありました。何度かある救出劇もそうだし、バックはもう人の心も犬の心も狼の心もわかるみたいになっていって、だんだん神がかってくるわけですよ。そもそも、ちょいちょい挟まれる、彼を導く野性の象徴たる呼び声が聞こえるってんだけど、もう姿すら見えるんです。先週の『ハリエット』かと思いましたよ。犬ぞりで奴隷化されたバックを『ハリエット』が助けに来たのかと思ったくらい。そのあたり、ワンちゃん映画の達人、ラッセ・ハルストレムの方が上手だったと思います。もうナレーションを使ってもいいじゃないですか。犬は犬らしく見せて、実写っぽくしたいなら妙にキャラクター化せずに、そこは言葉でフォローしても良かったと思います。
 
だから、僕としては、だんだんユーコン川の自然や、当時の郵便事情、そして金の採掘に命をかけた開拓者たちの歴史や風俗の方に興味が移ってもいきました。その頃、バックはようやくフォードと本格的に出会って、後半の冒険へ。このあたりから、いよいよテーマ的なものが前景化します。文明ってなんだろう。金銭がもたらす幸福とは? そして、もちろん、犬にとっては… なんだと思いますが、後半はもう、誰が何をどう描きたいのか、主軸が見えなくなっているので、正直僕にはよくわかりませんでした。一貫した語り手がいないこと、人間と犬の心境の変化を同時に描こうとしたことが、少なくともこの映画化を焦点のはっきりしないものにしてしまっていると僕は見ています。楽しい場面もたくさんあるし、美しい場面も当然あるがゆえに、もうひとつ食い足りないかなと、キャンキャン吠えてしまいました。
主題歌はアメリカらしいロックバンドの音。似合います。未知なる大自然ってとこですかね。

さ〜て、次回、2020年7月7日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、リュック・ベッソンの『ANNA / アナ』だったんですが… 残念ながら京阪神の大半の劇場では今週公開が終わるということらしく… レア・ケースですがもう一度おみくじを引いた結果、『ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語』に決定しました。これは期待大! あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!

『ハリエット』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 6月23日放送分
映画『ハリエット』短評のDJ'sカット版です。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
時はまだ奴隷制度のはびこる19世紀半ばのアメリカ合衆国中部のメリーランド州。幼い頃から奴隷として白人の農園で働かされてきた小柄な女性ミンティ。近くの農園で、こちらは自由黒人として勤務する夫と、いつかは自由の身となって仲良く暮らしたいと思っていた矢先、ミンティの奴隷主が急死します。農園を継いだ息子は経済事情を立て直そうと、ミンティを売り払おうと、買い主を募り始めます。これでは愛する家族と離れ離れになってしまう。彼女は脱走を決意。奴隷制が廃止されたペンシルベニア州をひとり目指すのですが…
 
アメリカの新しい20ドル紙幣の肖像になったハリエット・タブマンの伝記映画。監督・脚本は、アフリカ系女性のケイシー・レモンズ。女優としてキャリアをスタートした彼女は、97年の『プレイヤー 死の祈り』で監督になって以来、脚本も書ける映画作家として、数は多くないですが、映画界に貢献してきました。

プレイヤー/死の祈り(字幕版) ムーンライト(字幕版)

 主人公のミンティ、後のハリエット・タブマンを演じるのは、ブロードウェイで高く高く評価されているシンシア・エリヴォ。熱演のみならず、歌声もあちこちで聴かせてくれますし、主題歌の『Stand Up』は、アカデミー歌曲賞にノミネートされました。

 
他にも、ブロードウェイからレスリー・オドム・Jr、『ムーンライト』の演技も思い出される歌手のジャネール・モネイ、そしてテイラー・スウィフトのお付き合いも長くなってきているジョー・アルウィンも出演しています。
 
僕は先週火曜日、番組が終わってすぐに京都シネマへ向かいまして、感染対策抜かりない状態で鑑賞しました。販売されている席は結構埋まっている印象でしたよ。それでは、今週の映画短評いってみよう!

時代と土地がこの映画を理解するための重要なファクターになっています。まず、時代。1849年というのが、ミンティが脱走を図る年なんですが、アメリカで初めて奴隷制度廃止運動団体ができるのは、1775年です。クエーカー教徒たちが宗教的な違和感から作りました。その後、北部の州は1804年までにすべての州で、制度的には廃止されます。実際のところは別として。映画ではエピローグとしてでてきますが、その後、南北戦争が勃発し、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を発布するのは、1862年。つまり1849年は、長い端境期の終わりの方にあたります。
 
もうひとつは、土地。舞台はメリーランド州です。東部の大西洋岸に位置していて、ワシントンD.C.ペンシルベニア州に隣接する中部なんですね。奴隷制度を最後まで堅持して抵抗したディープサウスとは違うものの、それでもここは南北戦争が始まるまで制度がしぶとく残っていて、お隣のペンシルベニアは制度がない。つまり、ここでも「間(あいだ)」なんです。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
時代も場所もグレーゾーン。そこには混乱が生まれやすい。同じ黒人でも、奴隷もいれば自由黒人もいる。自由と言ったって差別はしっかり受けているんですが、少なくとも誰かの所有物ではない。ミンティの夫は自由。そして、お隣の州でも自由。ところが、もし南へ売られるようなことがあれば、それこそ一生戻れないかもしれない。あの時、あの場所が彼女の逃走を後押ししたことは間違いないでしょう。自由か死か。決死の思いで川へ飛び込んだ彼女は、ペンシルベニアの解放組織「地下鉄道」に潜り込んで、名前をハリエット・タブマンに変えるばかりか、自分の意志で働いてお金を稼ぎながら、メリーランドに戻るタイミングをうかがいます。なぜ、戻るのか、家族を取り戻すためです。やって来るだけでも大変だったのに、帰るなよ! 行くんです。ここから、ミンティ改めハリエットは、行って来いを繰り返すようになるんですが、この反復行為、鉄道になぞらえればスイッチバックにあたるような行為が、脚本の強固なレールです。こうした反復とそこで生まれる違いを見せるという、作劇の基本がここにも見受けられます。だから、実はオーソドックスな作り方をしてあるんですね。大きな話、そのスケール感も出しながら、実は数人の感情と行動の変化を追ってもいるという、ミクロとマクロの共存の仕方が巧みです。
 
自分ひとり生き延びるだけでも大変だったのに、家族を救う。まずは誰それ。勢いでその仲間。さらにはもう、同胞全般をと、最初は一本釣りだったものが、次第に投網になり、やがては底引き網かっていうレベルになる。かつてイエス使徒サン・ピエトロ、ペトロに、「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」と言ったと聖書にありますが、ハリエットは、奴隷解放運動における伝道師の役割を果たした人物です。少女時代に酷い扱いを受けて頭蓋骨に損傷を負った彼女は、てんかんのような症状に時折陥り、記憶が鋭くフラッシュ・バックしたり、逆に先を見通すフラッシュ・フォワードというような映像が断片的に脳裏によぎるようになります。それをもって彼女は、これはきっと神の啓示なのだ、自分の使命は奴隷を解放することなのだと、ますます利他的な行動に邁進します。最初の逃走のスタートが教会だったこともあり、ハリエットを彩る伝説的、文字通り神がかったエピソードの数々を、レモンズ監督はあえてそのまま映像化しています。合理的には片付けられない彼女の異常かつ崇高な現実の行動の裏には、そうした宗教的な信念とそれに担保された全能感があったという解釈だと僕は思います。

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(C)2019 Universal Pictures International, Focus Features LLC and Perfect Universe Investment Inc.
宗教が出てくると、歌も当然出てきます。単純労働のキツさを紛らわせる労働歌や、識字率の低かった黒人奴隷たちに聖書の内容を歌で伝えた側面もある黒人霊歌。ミュージカルではないものの、歌と声がとても大切なこの映画において、シンシア・エリヴォの才能は見事に開花しました。さらに、僕はジョー・アルウィンの演技も気に入りました。ゴリゴリの差別主義者にして奴隷主の彼は、おそらくミンティ、ハリエットにうっすら恋心を抱いていたんでしょう。プライドもあるし、自分でも認められない微妙かつ繊細な、恋とも呼べない感情と、それがあるがゆえの執着を体現していたと思います。それも踏まえてのハイライト。猛烈な憎しみを背負ったハリエットが銃を持った時の選択には、僕は心を撃ち抜かれました。
 
ご承知のように、システムとしての奴隷制や人種差別は禁止されて久しいとはいえ、形を巧妙に変えながら、いずれも現代に引き継がれている問題です。Black Lives Matter運動を考える意味でも、その原点とも言えるハリエットの生き様、の序章くらいですが、スリリングなエンタメ作品にまとめてあるこの作品をご覧になってみてください。
アカデミー賞歌曲賞に堂々ノミネートとなった主演シンシア・エリヴォの歌声をじっくりお送りしました。で、ちなみに、コーナーに入る前にかけたのは、ニール・ヤングの『Southern Man』。50年前の歌ですが、ジョージ・フロイド事件を受けて、彼は去年のライブ映像をウェブで公開しました。残念ながら、今もなお強い意味を持つ歌として、アクチュアルに響くのが虚しいところです。 
 さ〜て、次回、2020年6月30日(火)に評する作品を決めるべく。スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、現在配信中の『野性の呼び声』でした。ハリソン・フォードがワンちゃんと大冒険! って案内で良いんでしょうかね(笑) まずは僕も家のテレビを通して冒険しよう。あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、ツイッターで #まちゃお765 を付けてのツイート、お願いしますね。待ってま〜す!