京都ドーナッツクラブのブログ

イタリアの文化的お宝を紹介する会社「京都ドーナッツクラブ」の活動や、運営している多目的スペース「チルコロ京都」のイベント、代表の野村雅夫がFM COCOLOで行っている映画短評について綴ります。

『ポトフ 美食家と料理人』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月26日放送分
映画『ポトフ 美食家と料理人』短評のDJ'sカット版です。

19世紀末のフランス片田舎。森の中の美しいシャトーに暮らす美食家のドダンと、彼のアイデアを完璧に具現化する女性料理人ウージェニー。ふたりが生み出す料理はヨーロッパで広く噂になるほどです。ある日、仲間と一緒にユーラシア皇太子晩餐会に招待されたドダンはその豪華なだけの料理にうんざりし、お返しに料理の真髄を示そうと、庶民的でシンプルなポトフでもてなそうとするのですが……
 
今年のカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞し、アカデミー賞国際長編映画賞フランス代表になった本作。原作小説からの脚色・脚本・監督は、ベトナム出身のトラン・アン・ユン。料理人ウージェニーに扮したのは、ジュリエット・ビノシュ。そして、美食家のドダンを引く手あまたの名優ブノワ・マジメルが演じました。そして、料理の監修を務めたのは、ミシュラン三つ星シェフのピエール・ガニェールです。
 
僕は先週水曜日の午後にアップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

五感で楽しめる◯◯なんていう表現をちょくちょく見聞きします。人間の五感というのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですが、映画で言えば、このうち視聴覚を扱うものになるわけですね。ところが、本作は不思議と五感すべてをたとえ擬似的にであれ動員しているような錯覚を覚えるのがすごいところです。さすがは映像の名手トラン・アン・ユンだけありまして、わかりやすい例が開始30分の部分だと思いますが、ドダンとウージェニーがシャトーで朝食をとるところから、友人たちを招いての食事会へと流れていくくだりで早速その手腕が発揮されているんですね。スクリーンに映る湯気には香りも一緒に漂ってきそうだし、食材を収穫・調達してカットしたり煮込んだり焼いたりする際の音も伝わってくることから触感も刺激されます。そして、味覚は言わずもがなですよ。流れるカメラワークにはため息すら出るほど。それは眼福にして幸福、いや、口の福と書いて口福でもあります。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
しかも、トラン・アン・ユンのすごいのは、ひとつひとつのショットのカメラポジションや動きに意味とリズムがあるんです。間が持たないから、とりあえずレールに乗っけてカメラを動かしておこうか、なんて選択はまずなかったはずです。さらに、これは19世紀末ということで、主な舞台となるシャトーなんてのは、昼でも暗いところがたくさん。その陰影をうまく計算しているし、蝋燭の灯りを使った撮影は相当に難しいはずですが、どの画面もそれぞれにまるで一幅の絵画のようでした。音楽はほとんどありません。19世紀末、同時代のクラシックを使ってムードを高めることもできるんだろうけれど、トラン・アン・ユンはフランスの田舎の自然音や料理や食事中の音、そしてそこで繰り広げられる会話こそ良質なサウンドトラックだと言わんばかりの演出で、下手すりゃ退屈しそうですが、そんなことはまったくない。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
美食家と料理人なんて副題がついているから、僕はてっきり海原雄山みたいなのが出てきて蘊蓄を偉そうに語ってこちらの食欲を減退させるんじゃないかと身構えていましたけれど、このドダンという料理を芸術の域に高めた人物は大変に研究熱心であり、なおかつ知性豊かでウィットもあるイケオジでして、悲しいときにははっきりめっきり落ち込んじゃうところも含めて、もうその魅力ときたら、ブノワ・マジメルの好演も光って非の打ち所がないにも関わらず、20年来の仕事のパートナーであるウージェニーは、簡単にはドダンに身も心も委ねないのがまたピリッとしていて良いんです。仲良し夫婦でやってます、みたいなことでも良いんだろうけれど、ドダンがどれだけウージェニーに惚れ倒していても、ウージェニーはと言えば、公私混同はわきまえるべきものとして自立した女性として凛としているのがまた美しいんですね。で、これはまったくの余談だし、この品のある映画にはふさわしくないゴシップかも知れないけれど、ブノワ・マジメルジュリエット・ビノシュはかつて結婚していて、ふたりの間には娘さんもいるんですよ。もう20年くらい前に別れているとはいえ、監督もこのふたりをドダンとウージェニーにそれぞれキャスティングする勇気と、それに見事に応えるという座組がまた素晴らしいなと思いました。

©2023 CURIOSA FILMS- GAUMONT - FRANCE 2 CINEMA
これは僕がちょくちょく言うことですけれど、食欲と性欲というのは芸術においてはよく置き換えて表現されることがあります。ドダンとウージェニーに当てはめれば、性的な関係を匂わせたりするところはあるものの、ふたりが知恵と技術を凝らして作る料理やそれをおいしく味わう様子そのものがとても官能的でもあって、あのふたりならではの愛の形として美しい。ドダンがウージェニーのために料理を作ってあげるところにはその愛が凝縮されているし、僕にはそのシーン全体がトラン・アン・ユンならではのラブシーンだと感じました。ドダンがウージェニーのために口にする季節をモチーフにした愛の詩とそこへの返答、そしてラスト近く、シャトーの厨房でカメラが360度くるりと巡るところなんて、僕はもう卒倒しそうなほどにうっとりしまして、大人の恋愛映画としても極上だし、全体として言うなら、ふたりのもとで料理を学ぶ若い女性たちの存在も含めて、食文化の伝統と革新というものがどれほどその文化そのものを広く豊かにするものかを教えてくれる食育映画でもあるなと感じました。それをベトナム出身のトラン・アン・ユンがものにしたことに最大級の賛辞を送りたいです。あと、ポトフ、食べたい。
先述したように、ポトフでは、基本的に音楽は流れません。森の音、料理の音、ドダンの詩的な言葉などが映画の音の基調をなすわけですが、僕はあの男女二人の友情、愛情、同士としての一口に表せない関係を念頭に、放送ではこの曲を鳴らしました。リンゴとポールが共演したWALK with You。

さ〜て、次回2024年1月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウィッシュ』です。ディズニー100周年記念作品ということで、これまでのディズニー像を総括したうえで未来へと向かう作品になっているという話も聞きますよ。楽しみ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月19日放送分
映画『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』短評のDJ'sカット版です。

幼い頃から母親と一緒においしいチョコレートの店を開きたいと夢見ていたウォンカ。一流のチョコレート職人が集まるチョコの街へと向かうのですが、いきなりお金をめぐるトラブルに巻き込まれてしまいます。それでもめげないウォンカの生み出す魔法のチョコレートは見事人気を博すのですが、地元のチョコレート組合に目をつけられてしまい、あの手この手の妨害を受けることに。さらには、ウォンカを付け狙ってくる小さな紳士ウンパルンパも登場して、事態はますます大変。ウォンカはチョコレート店を作れるのか。

チョコレート工場の秘密 ロアルド・ダール コレクション パディントン2(字幕版)

ハリー・ポッター』シリーズをヒットさせた敏腕プロデューサーのデイビッド・ヘイマンが製作を手掛けていて、監督と共同脚本は『パディントン』シリーズのポール・キングが担当しました。原作はもちろんロアルド・ダールですが、出演もしているサイモン・ファーナビーと監督がオリジナルストーリーに仕立てました。ウィリー・ウォンカを演じたのはティモシー・シャラメウンパルンパにはヒュー・グラントが扮した他、ローワン・アトキンソン、オリビア・コールマン、サリー・ホーキンスなど豪華な面々が出演しています。
 
僕は先週金曜日の昼にMOVIX京都のドルビーシネマで鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

現代のレオナルド・ディカプリオ、あるいはジョニー・デップと言われることのあるティモシー・シャラメが主演するウィリー・ウォンカの若い頃の話というと、ティム・バートンが監督した『チャーリーとチョコレート工場』でジョニー・デップが演じた特徴あるウォンカ像がすぐに思い浮かんでしまうわけですが、シャラメはその強すぎるぐらいのイメージをうまく煙に巻いて、独自の夢ある青年としてのウォンカと作り上げることに成功しているし、ポール・キングも演出でそこにうまく誘っていました。それぐらいにしっかり別物だし、71年に同じダール原作として彼が脚本にも関わったカルト作『夢のチョコレート工場』ともまた違った味わいのオリジナルストーリーに見事に昇華しています。

© 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
船に乗ってチョコレートの街にウォンカがやってくるところからスタートするこの物語。ウォンカはまず1曲歌い踊りながら、映画のスタイルを観客に過不足なく提示します。そう、これは要所要所で歌が物語を引っ張るミュージカルの体裁を取っています。夢を持った若き男がやって来たのが、実は夢を持つなんてことを禁じられた街であること。だけれど、苦境に追い込まれても、お金がなくても、夢を捨てずにチョコの魔法を信じ続けるほどに、お人好しでもあるし、邪気のないウォンカ。そういう基礎的な世界観を始まってすぐに、言葉ではなく、その身のこなしと音楽の調子と歌詞、そして色の使い分けで表現してしまうセットアップがすごく巧みです。僕は決してミュージカルが好きではない、ミュージカル映画にしてみれば招かれざる客なんですが、それはなぜかと言えば、ミュージカルという硬直化したジャンルが要請する歌によって、物語が停滞するばかりか、下手をすると後退しているんじゃないかと思うことがあるんですよ。その点、本作はウォンカの夢と音楽がもたらす高揚感などの感情、そしておいしいチョコを食べた時のうっとりする感覚が手に手をたずさえて、物語をがっちり強固にしてそのアクセルを踏み込んでいるのがすばらしいです。

© 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
ロアルド・ダールらしい毒っ気もちゃんとあります。ガレリアの四つ角にそれぞれ店を構える3店舗がカルテルを結び、その甘い魅力でチョコの街の市民を魅惑することを完全に越えて支配しているその仕掛けなんて最高です。教会権力を抱き込み、警察権力も手なづけている。そして、完全に詐欺を働いて金と労働力を巻き上げ続けるブラックな経営者もいる。そんな悪党どもまでを、決してシリアスにではなく、楽しく戯画化して描き、そこにひとつひとつ落とし前をつけるっていうか、ギャフンと言わせるのが楽しいんですね。そこに一役買っていたのが、ウォンカのチョコレート作りに生かされるあの小さな小さな工場を始め、たくさんのバリエーションが登場する機械仕掛けの数々。下水道を駆使して警察の目を逃れながら仕事をするウォンカ一味という流れでは、街全体をひとつの魔法がかった機械に見せていたともいえるでしょう。加えて、善悪のはっきりしないウンパルンパみたいな存在も忘れないのが、世の中の大半はグレーなのだからと、あんなに奇抜だけれど妙に頷いてしまいました。多彩なチョコレートが画面に登場しましたが、複雑な味わいを見せるチョコを作るには、実は甘いだけではない材料が大事なこととか、ひとつ入れるものを間違えれば毒にもなりかねないこととか、板チョコは割って分けやすい誰かとその喜びを分かち合うものだとか、人付き合いや社会にとって大切なことのメタファーとしてチョコをうまく働かせていたのも、素敵な演出レシピといったところでしょう。

© 2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
ポール・キングは「パディントン」シリーズで培った良質なファンタジー・メイカー、大人もばっちり目を丸くして楽しめる作品の造り手としての才能を本作でも遺憾なく発揮していて、ひとつの到達点だと思いますし、スーパーヒーロー映画には出ないと決めている作品選びに慎重を期すシャラメは、その甘いマスク、目尻の少し垂れたあの瞳が失わないきらめきもウォンカにぴったりで、きっと後に代表作と言われる役柄になったと思います。これは年末に見るのにも自信を持っておすすめできる1本です。
 
いい曲がたくさんあって迷っちゃうサントラですが、やっぱり頭のところ、夢を詰め込んだハットを被ってウォンカが登場します。なけなしのお金をポッケに入れてやって来たけれど、たった4分程度のこの曲の間に無一文になってしまうという、切なくもウォンカ青年の人柄を表す内容になっているのが巧みです。

さ〜て、次回2023年12月26日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ポトフ 美食家と料理人』です。年末年始とごちそうを用意している方も多いかと思いますが、互いが互いを高め合うような関係が描かれているのかどうか、そして画面を彩る料理の美しさはどんな塩梅か。生唾ゴクリなタイミングが多そうなんで、適度に小腹に何か入れてから劇場へ行こうかしら。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

映画『怪物の木こり』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月12日放送分
映画『怪物の木こり』短評のDJ'sカット版です。

「怪物の木こり」という絵本に登場する怪物の仮面を被り、人の脳を文字通り奪い去る猟奇的な連続殺人が起こり、警察が捜査を進める中、犯人がどうやら唯一殺しそこねた男らしい謎の弁護士、二宮彰に話を聞くことになります。ただ、その二宮は二宮で、冷血非道で殺人も厭わない男でした。犯人を追う警察と、自分を殺そうとした犯人に逆襲しようと企む二宮。先に真相にたどり着くのはどちらか。

怪物の木こり (宝島社文庫)

2019年に「このミステリーがすごい!」で大賞を受賞した倉井眉介の同名小説を実写映画化した本作。監督は、三池崇史。主人公の弁護士二宮を亀梨和也、警視庁のプロファイラーを菜々緒、二宮の婚約者を吉岡里帆、二宮に協力する医師に染谷将太が演じる他、堀部圭亮、渋川清彦、中村獅童などが出演しています。
 
僕は先週木曜日の夕方にTジョイ梅田で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

この映画には、サイコパスという、用語取り扱い注意なワードが頻発するんですね。広く言えば、なにかしら精神に異常をきたした人物のことなんでしょうが、医学的あるいは脳科学的な裏付けや助言はクレジットを見ると中野信子氏が担当しているようです。あくまでフィクションの物語なのでぼんやりとはしているものの、狭い意味では、人間など命ある動物を傷つけることにまったく躊躇がないほどに冷酷かつ暴力的で、自分の利益と思えることに迷いなく手段を選ばずに突き進んでいく人間ということになるのかな。ポイントとしては、映画の冒頭で示されるように、そんなサイコパスを人為的に作り出そうとした夫婦がかつていて、子どもを対象とした脳の手術が一定数繰り返されていたこと。つまり、フランケンシュタイン的な人が生み出した怪物と、生まれながらにしてなのかは定かではないけれど手術を経ずともサイコパスである人物の2種類がいて、それぞれに何食わぬ顔で社会の中を生きているという設定なんですね。途中で、とある人物が「人が裁かれるのはその精神によってではなく、行為によってだ」という趣旨の発言をするし、また別の人物は「連続猟奇殺人事件の被害者がもしサイコパスなら、犯人を捕まえることが正しいのかどうか」みたいなことを言うゾッとするくだりもあって、倫理的に結構な綱渡りではあるけれど、人の精神をめぐるやり取りとして興味深いところはいくつかありました。僕も観終わってちょっと考え込んでしまうほどに、サイコパスをめぐるキャラクターの考え方の違いがあって、なかなか興味深いなとは思いました。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
ただ、だからといって作品を手放しに褒められるかというと決してそうではなくて、脚本の組み立て方のところでピントがぼやけてしまっているのがまず気になります。骨格としては犯人探しの物語なんですが、その犯人を被害者のひとりである弁護士の二宮も警察も追っているという構図はいいものの、警察の中に敏腕女性プロファイラーいて、菜々緒演じる彼女が活躍するのが、僕は話の大筋をかえってグラグラさせている気がするんですね。彼女はすごくいいキャラなんですけど、単独行動が目立つため、警察組織のくたびれた刑事たちのこれはこれで味のある佇まいを完全に食ってしまっていて、もはや独自の探偵的なポジションになってしまうし、探偵的な役回りは犯人に襲撃された弁護士の二宮も同じだし、なんかこう話の線がグラグラしていて、うまく組紐状に束ねられていれば納得なんですが、むしろほつれ気味という印象です。僕はもうプロファイラーの彼女を主人公にしてしまっても良かったと思うくらいですよ。逆に不憫に思えてしまったのが吉岡里帆演じる二宮の婚約者で、彼女は舞台役者のような役どころでしたが、原因不明の死を遂げた父親と二宮との間でどんな思いを抱いているのかという描写がほとんどなく、人物像が浮かび上がってこないため、とても大事なキャラクターなのに映画の中でうまく機能していません。それから重要なモチーフかのように提示される絵本にしても、結局のところ、あの絵本がいったいなんなのか、今ひとつ示しきれていません。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
三池崇史の演出は、たとえば冒頭のカーチェイスや二宮の非道っぷりがすんなりわかる手際の良さもあちこちにある一方で、予算の都合もあるのでしょうが、大事な舞台となる洋館での対決シーンが、洋館の浮世離れしたおどろおどろしさにかなり頼っているのと、キャラクターが怪我を追ったのをいいことに全体の鍵となる部分を微動だにしない役者のセリフで説明してしまっていたのは大いにマイナスでした。

[c]2023「怪物の木こり」製作委員会
座組もストーリーももっと面白くなる可能性があるだけに、僕としては煮詰め不足を感じる結果となりました。原作があるからというのは別として、菜々緒を主人公というか全体のガイドにして構成を組み直したバージョンが見てみたいくらいです。

さ〜て、次回2023年12月19日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』です。ご存知、『チャーリーとチョコレート工場』の工場長ウィリー・ウォンカの若かりし頃を描いた作品ですね。って、考えたら、今日評した作品の劇中では、絵本『怪物の木こり』がティム・バートンによって映画化みたいなフィクショナルな遊びが入っていましたが、『チャーリーとチョコレート工場』の監督はティム・バートンやったやんかいさ。奇しくも、なんて思いながらも、ティモシー・シャラメに会いに行くことにしましょう。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『シチリア・サマー』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月5日放送分
『シチリア・サマー』短評のDJ'sカット版です。
1982年、イタリア、シチリア。サッカーのイタリア代表がワールドカップで優勝した、あの夏。17歳のジャンニと16歳のニーノ。バイクの整備工場と打ち上げ花火の現場でそれぞれ父親の手伝いをしていたふたりは、バイク同士でぶつかってしまったことをきっかけに知り合います。家庭環境も性格もまるで違うジャンニとニーノでしたが、だんだんと親密になり、ふたりだけの秘密を分かち合うようになっていきます。当時実際に起きた事件を基にしたこの映画は、イタリアの重要な映画賞ナストロ・ダルジェント(銀のリボン)で新人監督賞を獲得し、公開されるや記録的な大ヒットとなりました。
 
監督と脚本は、90年代から俳優として活躍してきたシチリア出身のジュゼッペ・フィオレッロで、これが長編初監督です。ジャンニとニーノを演じたのは、ともに2004年生まれのサムエーレ・セグレートとガブリエーレ・ピッツーロ。ふたり揃って、ナストロ・ダルジェント(銀のリボン)賞で最優秀新人賞を獲得したことで、ヨーロッパで人気が急上昇しています。
 
僕はメディア試写で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

銃声が鳴り響く、シチリア、海沿いの荒野。16歳のニーノとその甥っ子トト、そして、ニーノの伯父さんがいて、ニーノは銃の手ほどきを受けています。狙うのは野ウサギ。そこだけ切り取れば、親戚が集まってごちそう目当てに狩りをする手法を継承していく牧歌的な光景なんですが、映画を見終わってみると、これがプロローグとしてうまく機能していることがはっきりとわかります。銃というマッチョなアイテムと、そこに漂う極めて男性的な価値観が実はここで提示されていたということなんですね。

© 2023 IBLAFILM srl
残念ながら、80年代前半のシチリアは、カトリックの保守的な価値と倫理が支配するイタリアの中でも、性的少数者にとって居心地が最悪という場所でした。いわゆるホモフォビア、つまりは同性愛を多かれ少なかれ嫌悪する人が大勢を占めているような状況で、それは都会ならまだしも、田舎の村ならますますひどい状況だったことが端的に描かれています。ワールドカップでイタリアが勝ち進む様子を、村のバールにみんな集まって観戦するというようなところで、いつもの連中からいつものようにからかわれ、小突かれてばかりの青年ジャンニ。彼は同性愛者であるとそのムラ社会で完全に認識されているんですね。劇中でチラッとセリフで示されることですが、なんとまぁ矯正施設にも入れられた過去があるらしい。同性愛というのは、矯正するものであるという恐ろしい発想が施設という形をとって制度化されていたというありさま。そんなところから地元に戻ったら大変です。あちこちから後ろ指を指される中、ジャンニは義理の父親が運営するバイクの修理工場で働き、好奇の目で見られ続けるという責め苦を味わっています。ここで僕は重要だなと思ったのは、わりと屈強な村の若い兄ちゃん、バールにたむろしている兄ちゃんが、どうやら彼も同性愛の指向があるようでジャンニに陰で言い寄るんですが、拒絶されるんですね。すると、その兄ちゃんは、マジョリティの側に立って、マジョリティを隠れ蓑にしてジャンニに暴力を振るおうとする。これもこれで哀しく、差別の根が深いことをうまく描いたシーンです。強い抑圧が感情の屈折を生むわけです。

© 2023 IBLAFILM srl
そんな状況と環境の中で、ジャンニとニーノはバイク事故により文字通り交錯します。ひとつ年下のニーノの方は、おそらくまだ性に無自覚だったと思うんですが、かくしてふたりはまずは友情を育んでいきます。ジャンニにしてみれば、抑圧的な父親やムラ社会の外でほとんど唯一の友達としてニーノを大切に思えたし、そんなニーノが、彼しか知らない秘密の場所を自分に案内してくれたことにも感動したことでしょう。山間にかかる橋の下を流れる美しい川です。夏ですからね。そこで泳ぐふたり。この作品では、川と海と雨と、水はふたりにまとわりつく周囲からのホモフォビアという汚れを洗い流してくれる場所でありモチーフとして機能しています。一方で、ニーノの家業である花火は、また違った意味合いが込められていて、ニーノがジャンニにその魅力を熱心に説くように、愛をも表現できる美しいものでありながらも、僕たち観客には一瞬きらめいては闇に吸い込まれてしまう儚いものと読み取れるんですね。

© 2023 IBLAFILM srl
そして、もうひとつ、家族についても考えさせられます。家庭は、安らぎの場所であると同時に、守るべきものであり、それは時に、体面を汚す要素があれば手段を選ばずに守ることも起こり得る。特に、後半で鍵を握るのは、ジャンニとニーノ、それぞれの母親です。息子を愛してやまないのだけれど、ふたりはそれぞれに少し違った理由ではありますが、物語の決定的な引き金を引いてしまいます。これも、強い抑圧がもたらす屈折かも知れません。

© 2023 IBLAFILM srl
全体として、シチリアの美しい自然を背景に美少年たちがその青春を謳歌する喜びと悲しみが乱反射する作品になっていまして、その反射をつかさどるアイテムのひとつ、鏡を使った演出もあちこちで冴えています。そんな風に、直接的ではなく間接的に暗示的に、そして全体のトーンも抑制をきかせた演出の目立つフィオレッロ監督。長編初監督ですが、俳優だけじゃないその才能はすばらしい!
この映画のためにジョヴァンニ・カッカモというシンガーソングライターが書き下ろしてシチリア方言で歌い上げた、「遠い」という意味のLuntanuをオンエアしました。物語の基になった事件から40年余り。事件を発端に、まさにシチリアから性的少数者がその理解と人権意識の向上を促す団体が成立するなどしましたが、ある程度事態が改善していても、今年シチリアでいじめられた少年が自死するという痛ましい事件があったところ。そして、これは日本も同様ですが、先進国の多くで同性婚が法的に認められる中、イタリアも法整備が進んでいないという現実があります。誰もが自分のありのままで生きられる時はまだ遠い……。


さ〜て、次回2023年12月12日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『怪物の木こり』です。三池崇史監督が亀梨和也を主演に迎えたサイコスリラーって時点で僕は縮み上がっておりますが、そんなチキンでも大丈夫か!? さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月28日放送分
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』短評のDJ'sカット版です。

とある廃村にやって来た鬼太郎と目玉おやじ。その後を追って、特ダネを狙う雑誌記者も村へ入ると、そこには不思議な洞窟が……。実はその場所は、今から70年前の昭和31年当時、日本の政財界を裏で牛耳る龍賀一族が暮らしていた村。その頃、日本血液銀行に勤めていた水木という社員は、当主時貞が亡くなったことを聞きつけ、その弔いを建前に、会社の秘密司令と自分の野心を背負って、そして、鬼太郎の父は、自分の妻を探しに、やはり村へやって来た。村では龍賀一族の跡目争いが始まっており、村の神社で一族のひとりが惨殺されるという事件が起こる……。鬼太郎の父と水木青年の運命は、そして、現在との関わりは?

決定版 ゲゲゲの鬼太郎1 妖怪大戦争・大海獣 (中公文庫)

アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」は、この55年の間に6シーズン放送されてきました。そして、今年は原作者水木しげるの生誕100周年。それを記念しての長編アニメ映画という位置づけで、監督は2008年の『劇場版 ゲゲゲの鬼太郎 日本爆裂!!』を 手掛けた古賀豪。脚本は、マクロスFのシリーズ構成や脚本を手掛けてきた吉野裕行が担当しました。声優陣は、関俊彦木内秀信小林由美子種崎敦美、そして沢城みゆき野沢雅子古川登志夫など、豪華でファンも喜ぶキャスティングが実現しています。
 
僕は先週木曜日の夜、MOVIX京都で鑑賞しました。祝日だったこともあって、相当な入り具合でしたよ。それでは、今週の映画短評、いってみよう。


僕はこの映画、かなり良いアプローチだったと思うし、意義のある作品になったと感じています。ケチをつけたくなるパートもなくはないですが、概ね満足したし、感心もしました。アニメシリーズのスタートから55年、そして水木しげる生誕100年というアニバーサリーだからこその難しさやプレッシャーが相当なものだと推測されるにも関わらず、このタイミングだからこそ描いておくべき内容を高いレベルで実現しているんです。

©映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」製作委員会
まず、エピソードゼロを考えるにあたっての舞台設定が効果的でして、冒頭、現代の雑誌記者、映画制作者たちや観客の視点とも言える人物を据えて、廃村に迷い込ませ、鬼太郎たちに70年前を振り返らせるという導入が鮮やか。しかも、鬼太郎というよりも、目玉おやじを実質の主人公にしたこと、なおかつ、この物語のガイド、あるいは探偵的な役割として、水木という青年を配したことで、当然ながら水木しげるが鬼太郎というキャラクターを生み出したという事実を透けて見せる効果もあるんですよね。この水木を漫画家にすることもできただろうけれど、そうすると、水木しげるという人物の評伝要素が強く出過ぎる可能性が高いので、この映画では帝国血液銀行の勤め人ということにしてありました。

©映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」製作委員会
この血液銀行という名前は、知らないとギョッとしますが、戦後、60年代半ばまで実際にあったもので、今は献血として制度化されているものが、かつては個人が自分の血を売っていて、それを血液銀行が保管して必要に応じて供給していたんですね。こうした血液銀行や東京タワーの話題、ジャイアンツ川上の2000本安打とか、50年代半ばの日本のできごとを会話の中に散りばめることで、当時の雰囲気をしっかり出していました。それはちょうど水木しげるが、まず紙芝居として「墓場の鬼太郎」を作り、それから貸本漫画、さらには少年マガジンでの連載やアニメへとつながっていく原点ともつながりますし、劇中の水木が戦争で死ぬことを上官から求められながらも、生き残って帰ってきたという点も、水木しげる自身の体験や鬼太郎以外の作品、『総員玉砕せよ!』や『コミック昭和史』への目配せができていてすばらしい。余談ですが、このあたりは『ゴジラ-1.0』の主人公の造形と比較しても面白いかもしれませんね。復員兵が生活を立て直していく中で、人知を超えた得体の知れない存在と対峙するというのは同じですから。「妖怪のことなら、昔、子守のばあさんから聞いたことがある」という水木のセリフも、『のんのんばあとオレ』のことを思い出します。といった具合に、原作と原作者へのリスペクトが相当なこだわりをもって反映されています。
そして、もうひとつ成功している理由、うまいなと思ったのは、全体をミステリーの形式にしたことです。田舎の名家。次々と起こる怪奇な事件。観ていると、誰もが『犬神家の一族』などの金田一耕助シリーズを思い出すことだと思います。もちろん、最終的には妖怪や幽霊が絡んでくるので、純粋なミステリーではないものの、日本のムラ社会の悪しき伝統と近代化・現代化で生じるきしみを描くという意味で親和性があるし、誰もが知る鬼太郎の誕生と、その父親である目玉おやじの謎の過去に日本の近現代史の闇を重ねてみせるには格好の物語構造ですよ。

©映画「鬼太郎誕生ゲゲゲの謎」製作委員会
加えて、絵の雰囲気もザラツイた画調やダリオ・アルジェントばりの赤など原色の使い方、そして水木しげる自身がそうだったように、誰もがタバコを当たり前に吸いまくっていた時代とあって、その煙の効果的な使い方、それから金魚や汽車を使ったところなどの場面転換も見事に決まっていたと思います。一方で、謎がほぼ解明されてからのクライマックスが、盛り上げのための演出が目立つトゥーマッチなものになっていたのも事実でしょう。引っ張りすぎている。でも、その後にあのエンディングとエピローグはバッチリでしたよ。人間の業を踏まえた上で、なぜ鬼太郎たちが人間と妖怪の橋渡しをしているのか、そこがよくわかって、さらに鬼太郎の漫画やアニメに触れたくなる、あるいは見方が変わるという、見事なアニバーサリー作品でした。

さ〜て、次回2023年12月5日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『シチリア・サマー』です。イタリアの南、シチリア島で80年代前半に起きた事件を基にした少年たちの青春物語。瑞々しくって、華々しくて、苦しくなる。僕はもう観ていますが、これはあちらで大ヒットしたのもわかる。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『マーベルズ』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月21日放送分
『マーベルズ』短評のDJ'sカット版です。

MCUマーベル・シネマティック・ユニバースの中でアベンジャーズ最強と言われる女性ヒーロー、キャプテン・マーベルを主役に据えた第2弾です。ある理由からキャプテン・マーベルを憎む敵が姿を現した頃、宇宙ステーションに所属するエージェントで強大なパワーを覚醒させたモニカ・ランボー、そしてアベンジャーズの大ファンでキャプテン・マーベル大好きな女子高生ミズ・マーベル、さらにはキャプテン・マーベルの3人がコロコロ入れ替わってしまう謎の現象が発生。3人の女性はデコボコチームを結成して事態に立ち向かいます。
 
監督のニア・ダコスタさんは、まだすごく若くて34歳。スリラーとかホラー映画を手掛けてきた女性で、ヒーローものはこれが初めてですね。キャプテン・マーベルは、もちろんブリー・ラーソン。モニカ・ランボーをテヨナ・パリス、ミズ・マーベルと名乗ることになる女子高生カマラ・カーンをイマン・ヴェラーニがそれぞれ演じている他、アベンジャーズ計画の発案者たるニック・フューリーも登場するということで、おなじみサミュエル・L・ジャクソンも出演しています。
 
僕は先週金曜日の朝、TOHOシネマズ二条で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

まず言っとくと、キャプテン・マーベルを始めとして、今回の女性ヒーローのトライアングル、すごく楽しいです。なんなら、今回ヴィランとしてメインとなるダー・ベンというザウイ・アシュトンという俳優が演じる女性も魅力的です。そこにあの猫ね、グースが大いに絡んでくるうえ、おなじみニック・フューリーも事態の交通整理役としてつとめて冷静を装いながら時折ボロが出る感じがチャーミングでした。MCUこれで33作目。この前が傑作『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』でしたが、今作は「たった」という言葉を選びましょう、「たった」105分でサクッと観られる、つなぎだけれどなかなかに愉快痛快な1本というスタンスで捉えたいところです。

(C)Marvel Studios 2023
もちろん、いささか不親切なところはありますよ。たとえばモニカ・ランボーなんて、一応前作にお母さんが出ていたとはいえ、配信シリーズの方の『ワンダヴィジョン』を観ていないと、あの青色したオーラ、超常的な能力をどうやって身につけたのかさっぱりわかりませんし、ミズ・マーベルとして認められることになる女子高生カマラ・カーンなんて、まったくの初登場なんで、「君は誰なの?」ですよ。一応、最低限、たとえばその女子高生カマラちゃんが家にあった腕輪バングルをはめたら、自分でもよくわからないままとんでもパワーが備わっちゃったという新鮮な驚きがあります。しかも、どういうわけだか、自分が大好きで漫画とか同人誌的に部屋で描きまくっていたあこがれのキャプテン・マーベルと入れ替わってしまうという驚き・戸惑い・嬉しさがないまぜになった感情はきっちり表現されているから、もうグダグダ説明するよりも僕らはしっかり興味と興奮を覚えるように仕上がっていて十分なんです。入れ替わりの理由なんてそんなの本人たちもわかったようでわからないレベルなんだから、深追いせずに、その現象に当然面食らいながらも、3人でなんとか順応して、練習して、合宿して、だんだんと使いこなしていくようになるシーンの会話と入れ替わり映像の楽しさたるや! 話が大きくなりすぎてしまいがちなヒーロー映画の愉快な寄り道原点回帰って感じがして、僕はとくにそこ、大いに気に入りました。だって、アベンジャーズ最強とも言えるようなキャプテン・マーベルと、普通の女子高生が一緒に縄跳びしてるって、面白いじゃないですか。

(C)Marvel Studios 2023
あと、ある理由からそれこそ寄り道をしなけりゃいけなくなって3人が立ち寄る水の惑星アラドナの設定がまた笑えるんです。歌わないと意思疎通できないというか、歌が言語っていう惑星なので、そこだけミュージカルになるんですよね。それがディズニーのオマージュっていうか、はっきりパロディーになっているのに、実はそこの王子とある人が夫婦で、それがまた政略結婚とか言い出すから、そのディズニーへの結構な踏み込みっぷりとその苦味ありなパロディーに関心すらしたぐらいです。

(C)Marvel Studios 2023
こんな具合に、細かいことはあの特殊猫のグースみたいにエイヤッととりあえず飲み込んじゃえばかなりの満足感ですよ。とにかくカマラちゃんの登場が一般人、そして地球の観客たる僕らの世界との接続を取り戻してくれているし、ご本人はパキスタン系の俳優さんですが、あのエキゾチックな腕輪が確かに家にあってもおかしくないという意味付けだけではなく、あの移民家族たちの存在もうまく機能していたように思います。マッチョな価値観とは異なる女性たちのしなやかな強さと連帯というのは、MCUの中でもこれから大事にしてほしいものだし、ニック・フューリーのように、これまた偉そうなおっさんとは対極にある上司像というのも好感が持てます。

(C)Marvel Studios 2023
正直、MCUにはついていけなくてもう良いかなと思いかけていた僕ですが、僕みたいなレベルの観客にもマーベル再合流をおすすめできるようなマーベルズでした。
 
番組で短評の前にかけたBarbra StreisandのMemoryもそうですが、既存の音楽の使い方で効果的で良かったものをもうひとつ。僕の評価した縄跳びシーンのあたりでは、これ。楽しい!

さ〜て、次回2023年11月28日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』です。何を隠そう、幼少期に原作をかなり読みふけっていた僕なんで、鬼太郎は好きなんです。誕生のエピソードは中でもお気に入りというか、ゾクゾクときて子供心にかなりビビってしまったことを覚えています。今回はオリジナル要素も入るのかしら、どうかしら。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!

『ゴジラ -1.0』短評

FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 11月14日放送分
『ゴジラ -1.0』短評のDJ'sカット版です。

第2次世界大戦末期、1945年の日本。特攻の命令を受けたものの、戦闘機の不具合で整備を担っていた小さな島に着陸した主人公の敷島浩一。彼は、そこでゴジラを目撃するものの手も足も出ないままでした。生き延びた敷島でしたが、戦後東京の自宅に戻ると、そこは焦土と化していて、両親の姿はありません。戦争とゴジラのトラウマを抱える敷島は、そこで典子という女性と出会うのですが、ゴジラは今度は東京へと向かってくるのです。
 
特撮怪獣映画の金字塔『ゴジラ』の生誕70周年を記念して製作された実写ゴジラの30作目にあたります。監督、脚本、そしてVFXは、ヒットメーカーの山崎貴。主人公の敷島を神木隆之介、典子を浜辺美波が演じる他、安藤サクラ佐々木蔵之介吉岡秀隆青木崇高山田裕貴などが脇を固めています。
 
僕は先週金曜日の朝、Tジョイ京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。

ついつい、先週の放送で、おみくじを引いた時に、「こりゃ、正直面倒だな」と口走ってしまったゴジラです。今年で70年というゴジラ。作品の数も多いし、『シン・ゴジラ』でも賛否両論が渦巻きましたし、海外でもファンや影響力が大きい、日本の特撮怪獣映画の代名詞だっていうだけでも情報量や意見が多いところに、今回は山崎貴監督という、それこそ大衆的な映画のヒットメーカーである一方で、アンチも結構いるという人がメガホンを取るということで、論じるポイントを絞るのが大変そうだという気持ちが、とっさに言葉として出たのが、「こりゃ、正直面倒だな」だったわけです。で、観に行きました。僕はしっかり最後は泣いてました。落涙はしたけれど、一方で、いかがなものか、というか、納得しかねるというところもやはりありましたので、そこを整理してお話します。

(C) 2023 TOHO CO.,LTD.
ゴジラというのは、原子力放射能と切っても切れない、戦争そのものの象徴として、1950年代、それこそ70年前に登場しました。脚本も手掛けた山崎監督は、その初代への思い入れやリスペクトをキープしつつ、今回は戦後復興していく前、戦争の終わりから戦後すぐの東京に主な舞台を設定したというのは、確かにタイトル通りでもあるし、何より戦争の総括と、コロナ禍に右往左往した記憶も新しい現代の観客へ向けたメッセージにしたいという思いも重なり、これは妙案だったなとまず認めざるを得ません。ノスタルジックに過去を描くきらいのある方ですが、ノスタルジーどころか、敗戦のショックとゴジラを相手に何もできずに生き残ってしまった主人公の気持ちをトラウマという後悔と贖罪の意識でまとめた格好です。そこに、『ジョーズ』であるとか、『ダンケルク』であるとか、敗戦からは技術力で巻き返していくんだという日本の戦後の物語みたいな、きっと監督が好きな要素をバランス良く配置しながら、大作なんだけれど、緩急のある脚本で2時間ほどにしっかりまとめてしまう。技術力で勝負というところも、それこそハリウッド版のゴジラとはまったく違うだろう予算規模でもここまで面白くできるんだという作品自体の立ち位置と一致する痛快さがありました。「生きて、抗え」というキャッチコピーが付けられているように、戦時中の日本軍のシステムやスタンスに違和感を覚えてきたキャラクターたちのルサンチマンがお話の燃料になっている面もあり、これは真っ当なことだとも思います。元軍人たちが「お国のために死んでこい」と言われていたことへの立派な回答にもなっている。

(C) 2023 TOHO CO.,LTD.
神木隆之介の鬼気迫る演技はすばらしく、特にトラウマを乗り越えようとする決意が何より表情に表れていて説得力があったし、浜辺美波や近所の安藤サクラ、あるいは仕事仲間たちとの広い意味での家族のあり方、助け合いの精神も、くどいノスタルジーではない程度に抑えられていて良かったです。VFXの技術もますます上がっていて、ゴジラを前にした時の絶望感はひしひしと伝わってきました。

(C) 2023 TOHO CO.,LTD.
ただし、なんですよね。ただし、最終的には美談に流れていく、涙腺を刺激する方向に大きくかじを切ってしまっているため、確かに泣かされはするのだけれど、ロジカルにはおかしいだろうと多くの人が感じる物語運びだったことも間違いありません。民間主導でなんとかするんだっていうのは、これはきっと戦後復興を支えた日本の技術力へのノスタルジーだろうし、コロナ禍で国を頼りにできなかったことへの目配せもあるんだろうが、いくらなんでも、あんなゴジラみたいなものを海軍の生き残りが市民を巻き込んで対処するっていうのは無理がありましょうよってことだし、最終的に気合とか覚悟に結局なっちゃってるじゃないかというのもノイズになっていました。最後の涙腺刺激畳み掛けポイントも、人によってはご都合主義と切って捨ててしまうかもしれません。そして、民間で何とかするんだ、政府なんて当てにならんというのは、その心意気や良しとも思う反面、昨今の極端なリバタリアニズム新自由主義的な考え方と相性が良いので注意が必要だぞ、とも思うんですね。なおかつ、演技が悪いのではなく、舞台じゃないんだからっていう大げさな演出をところどころしてしまうのも、気になる人が出てくるのは当然です。
 
その上で、それでも、僕は前半で話した理由から、山崎貴監督、かなり良い仕事をされた見応えのあるゴジラをものにされたなとも思います。と、結局ごちゃごちゃしてしまいましたが、ぜひ劇場で観て、泣いて、でも、ちょっとあれはないんじゃないの、などとごちゃごちゃ喋っちゃう体験をしていただきたい!

さ〜て、次回2023年11月21日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、マーベルズ(The Marvels)」です。MCUはもう配信ものも含めて数が多すぎるからと脱落気味、つまみ食い上等でここまで来てしまっている情けない僕です。でも、観るとやっぱりテンション上がるんですよね。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!