FM COCOLO CIAO 765 毎週火曜、朝8時台半ばのCIAO CINEMA 12月26日放送分
映画『ポトフ 美食家と料理人』短評のDJ'sカット版です。
19世紀末のフランス片田舎。森の中の美しいシャトーに暮らす美食家のドダンと、彼のアイデアを完璧に具現化する女性料理人ウージェニー。ふたりが生み出す料理はヨーロッパで広く噂になるほどです。ある日、仲間と一緒にユーラシア皇太子晩餐会に招待されたドダンはその豪華なだけの料理にうんざりし、お返しに料理の真髄を示そうと、庶民的でシンプルなポトフでもてなそうとするのですが……
今年のカンヌ国際映画祭で最優秀監督賞を受賞し、アカデミー賞国際長編映画賞フランス代表になった本作。原作小説からの脚色・脚本・監督は、ベトナム出身のトラン・アン・ユン。料理人ウージェニーに扮したのは、ジュリエット・ビノシュ。そして、美食家のドダンを引く手あまたの名優ブノワ・マジメルが演じました。そして、料理の監修を務めたのは、ミシュラン三つ星シェフのピエール・ガニェールです。
僕は先週水曜日の午後にアップリンク京都で鑑賞しました。それでは、今週の映画短評、いってみよう。
五感で楽しめる◯◯なんていう表現をちょくちょく見聞きします。人間の五感というのは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚ですが、映画で言えば、このうち視聴覚を扱うものになるわけですね。ところが、本作は不思議と五感すべてをたとえ擬似的にであれ動員しているような錯覚を覚えるのがすごいところです。さすがは映像の名手トラン・アン・ユンだけありまして、わかりやすい例が開始30分の部分だと思いますが、ドダンとウージェニーがシャトーで朝食をとるところから、友人たちを招いての食事会へと流れていくくだりで早速その手腕が発揮されているんですね。スクリーンに映る湯気には香りも一緒に漂ってきそうだし、食材を収穫・調達してカットしたり煮込んだり焼いたりする際の音も伝わってくることから触感も刺激されます。そして、味覚は言わずもがなですよ。流れるカメラワークにはため息すら出るほど。それは眼福にして幸福、いや、口の福と書いて口福でもあります。
しかも、トラン・アン・ユンのすごいのは、ひとつひとつのショットのカメラポジションや動きに意味とリズムがあるんです。間が持たないから、とりあえずレールに乗っけてカメラを動かしておこうか、なんて選択はまずなかったはずです。さらに、これは19世紀末ということで、主な舞台となるシャトーなんてのは、昼でも暗いところがたくさん。その陰影をうまく計算しているし、蝋燭の灯りを使った撮影は相当に難しいはずですが、どの画面もそれぞれにまるで一幅の絵画のようでした。音楽はほとんどありません。19世紀末、同時代のクラシックを使ってムードを高めることもできるんだろうけれど、トラン・アン・ユンはフランスの田舎の自然音や料理や食事中の音、そしてそこで繰り広げられる会話こそ良質なサウンドトラックだと言わんばかりの演出で、下手すりゃ退屈しそうですが、そんなことはまったくない。
美食家と料理人なんて副題がついているから、僕はてっきり海原雄山みたいなのが出てきて蘊蓄を偉そうに語ってこちらの食欲を減退させるんじゃないかと身構えていましたけれど、このドダンという料理を芸術の域に高めた人物は大変に研究熱心であり、なおかつ知性豊かでウィットもあるイケオジでして、悲しいときにははっきりめっきり落ち込んじゃうところも含めて、もうその魅力ときたら、ブノワ・マジメルの好演も光って非の打ち所がないにも関わらず、20年来の仕事のパートナーであるウージェニーは、簡単にはドダンに身も心も委ねないのがまたピリッとしていて良いんです。仲良し夫婦でやってます、みたいなことでも良いんだろうけれど、ドダンがどれだけウージェニーに惚れ倒していても、ウージェニーはと言えば、公私混同はわきまえるべきものとして自立した女性として凛としているのがまた美しいんですね。で、これはまったくの余談だし、この品のある映画にはふさわしくないゴシップかも知れないけれど、ブノワ・マジメルとジュリエット・ビノシュはかつて結婚していて、ふたりの間には娘さんもいるんですよ。もう20年くらい前に別れているとはいえ、監督もこのふたりをドダンとウージェニーにそれぞれキャスティングする勇気と、それに見事に応えるという座組がまた素晴らしいなと思いました。
これは僕がちょくちょく言うことですけれど、食欲と性欲というのは芸術においてはよく置き換えて表現されることがあります。ドダンとウージェニーに当てはめれば、性的な関係を匂わせたりするところはあるものの、ふたりが知恵と技術を凝らして作る料理やそれをおいしく味わう様子そのものがとても官能的でもあって、あのふたりならではの愛の形として美しい。ドダンがウージェニーのために料理を作ってあげるところにはその愛が凝縮されているし、僕にはそのシーン全体がトラン・アン・ユンならではのラブシーンだと感じました。ドダンがウージェニーのために口にする季節をモチーフにした愛の詩とそこへの返答、そしてラスト近く、シャトーの厨房でカメラが360度くるりと巡るところなんて、僕はもう卒倒しそうなほどにうっとりしまして、大人の恋愛映画としても極上だし、全体として言うなら、ふたりのもとで料理を学ぶ若い女性たちの存在も含めて、食文化の伝統と革新というものがどれほどその文化そのものを広く豊かにするものかを教えてくれる食育映画でもあるなと感じました。それをベトナム出身のトラン・アン・ユンがものにしたことに最大級の賛辞を送りたいです。あと、ポトフ、食べたい。
先述したように、ポトフでは、基本的に音楽は流れません。森の音、料理の音、ドダンの詩的な言葉などが映画の音の基調をなすわけですが、僕はあの男女二人の友情、愛情、同士としての一口に表せない関係を念頭に、放送ではこの曲を鳴らしました。リンゴとポールが共演したWALK with You。
さ〜て、次回2024年1月2日(火)に評する作品を決めるべく、スタジオにある映画神社のおみくじを引いて今回僕が引き当てたのは、『ウィッシュ』です。ディズニー100周年記念作品ということで、これまでのディズニー像を総括したうえで未来へと向かう作品になっているという話も聞きますよ。楽しみ。さぁ、あなたも鑑賞したら、あるいは既にご覧になっているようなら、いつでも結構ですので、Xで #まちゃお765 を付けてのポスト、お願いしますね。待ってま〜す!